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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正するベストセレクション①

 校正と校閲がどう違うのか、正直私はどうでもいいと思っています。例えば「ヴィシ・ソワーズ」「グラス・ホッパー」は見るからに誤りですね。村上春樹さんは校閲を入れないそうですが、「ヴィシ・ソワーズ」「グラス・ホッパー」を誤りだと指摘するのは校正の仕事です、なんて言っていてもしょうがないんじゃないかと思います。
 逆にブラックホールは天体なのに「黒い穴」と書いてあれば、校正係が付箋をつけてもいいんじゃないでしょうか。三島由紀夫の『仮面の告白』に「コペルニスク」という文字が残ってしまっています。こんなものはちゃっちゃと直してしまえばいいと思います。

 ただし、「これ、どっちかな」というところでは本人に確認すべきなんですが、残念ながら漱石はもういません。それで仕方なく注解者はあれこれ調べて、なかなか解りにくいところを教えてくれるわけですが、そこを間違えていたら大変ですよね。
 それで夏目漱石作品を読んでいく中でやはり岩波の『定本漱石全集』というのは一つの基準ですから、あるいは権威ですから、読んでいるとあちこち引っかかるわけです。
 当然、「そうとも考えられる」というものもありますが、それは違うだろうというものも実際あるのです。

 今回は今まで書いて来た中で、「これ、どっちかな」「そうとも考えられる」レベルではないもの、つまり「タマルは七号定住者であり自衛隊員にはなれない」というレベルの校正ポイントをセレクトしてみたいと思います。

今の新橋駅は元烏森駅、新橋の停車場は汐留駅になり廃止


 新橋の停車場は何度も注解が出てくる中、説明に統一感がありません。現代の読者に向けては、その時代の新橋の停車場が何処にあり、今の新橋駅とはどう違うのか説明が必要でしょう。

赤い煉瓦は東大ではなく旧上野駅の赤煉瓦の駅舎

 描写をよく読むとそうなります。

三田線には「本郷三丁目行き」と「神田小石川行」があった


「神田」とは「神田方面という意味合いの通称」ではなく、また「神田バシ」を指すのでもなくまさに「神田小川町(かんだおがわまち)」を指すものと考えられます。

三田線で本郷三丁目から小川町経由で、そこで降りないで、そのまま桜田本郷町まで行って内幸町で降りた


 これは良く調べればわかることです。

淀見軒はアールデコ

 これは何が何でも直してほしいところです。岩波はアールヌーボの説明をしてしまっていますが、そもそも淀見軒がアールヌーボではないことこそが今ではもう解らないわけです。
 そこが分からないと筋が読めません。

 ここだけは何とか直してほしいところです。


[余談]

 そろそろ『行人』の「あらすじ」について書こうかどうしようか迷っている。ここに書いてもなあという感じが……

1969年と1971年の間に三島事件が挟み込まれます。三島由紀夫は楯の会の隊員たちと中古のコロナに乗って市ヶ谷に向かいました。『国境の南、太陽の西』にはなかった出来事、可能性としての中古のコロナが「西荻窪のぱっとしないマンションに住んで、エアコンのききのわるい中古のトヨタ・コロナにでも乗っていたことだろう」という文言が現れます。

 主人公が給仕に命じたことは定かではない。しかし「僕はいまもそのホテルの部屋に前の短篇を書きつづけている」のであれば、「今夜はもう、外から電話は取り継がないでくれ」と命じたのではなかろうか。

んーん。「金粉六朝香車何在。才華一代靑塚猶存」は「金粉六朝香車何處。才華一代靑家猶存」を少しいじっている感じか。「千載芳名留古跡。六朝韻事著西」とすべきところ「千載芳名留古蹟。六朝韻事著西冷」とする。(「冷」が落ちる資料もある。)「湖山 此地曾埋玉、花月其人可鳞金」という記録もある。「湖山 此地曾埋玉、花月其人可鑄金」としている。「桃花流水窅然去」は李白で「桃花流水杳然去」が正しいとして、「油壁香車不再逢」を「油碧香車不再逢」とする意図は如何。


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