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芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか⑩ 切支丹ものか敵討ちものか  

 そういえば、九章から十二章までの間、若殿様は登場しない。何か用事があったのか?

やはり切支丹ものなのか

 そう云う勢いでございますから、日が経るに従って、信者になる老若男女も、追々数を増して参りましたが、そのまた信者になりますには、何でも水で頭を濡らすと云う、灌頂めいた式があって、それを一度すまさない中は、例の天上皇帝に帰依した明りが立ち兼かねるのだそうでございます。これは私の甥が見かけたことでございますが、ある日四条の大橋を通りますと、橋の下の河原に夥しい人だかりが致して居りましたから、何かと存じて覗きました所、これもやはり摩利信乃法師が東国者らしい侍に、その怪しげな灌頂の式を授けて居るのでございました。何しろ折からの水が温んで、桜の花も流れようと云う加茂川へ、大太刀を佩いて畏った侍と、あの十文字の護符を捧げている異形な沙門とが影を落して、見慣れない儀式を致していたと申すのでございますから、余程面白い見物みものでございましたろう。――そう云えば、前に申し上げる事を忘れましたが、摩利信乃法師は始めから、四条河原の非人小屋の間へ、小さな蓆張りの庵を造りまして、そこに始終たった一人、佗しく住んでいたのでございます。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 やはり『邪宗門』は切支丹ものであったかと、「頭を濡らすと云う、灌頂めいた式」で臭わされる。女菩薩、天竺、震旦と目くらましをしながらやはり十字の護符とこの洗礼の儀式は基督教を仄めかすものであろう。

 そう気が付いてみて、キリスト教の沈黙を貫く神のイメージが大きく突き崩されていることに改めて感心する。キリスト教の神はいちいち人を罰しないし救わない。個別には手を下さない。一応そう言うことになっている。むしろここに描かれている摩利信乃法師は即座にやり返す基督、

『トマスによるイエスの幼児物語』に現れる幼いイエスのように残酷なキリストに似ている。

 その一方で貧しき人々ともにあるというオーソドックスなキリスト像に寄せてきている面もある。

 しかし話者は摩利の教が耶蘇教に似ていることに絶対に気が付かない。それだけはしてくれるなと作者から固く命じられているからだ。

ややこしい書き方だな

 そこでお話は元へ戻りますが、その間に若殿様は、思いもよらない出来事から、予て御心を寄せていらしった中御門の御姫様と、親しい御語いをなさる事が御出来なさるように相成りました。その思いもよらない事と申しますのは、もう花橘の匂いと時鳥の声とが雨もよいの空を想わせる、ある夜の事でございましたが、その夜は珍しく月が出て、夜目にも、朧げには人の顔が見分けられるほどだったと申します。若殿様はある女房の所へ御忍びになった御帰り途で、御供の人数も目立たないように、僅か一人か二人御召連れになったまま、その明るい月の中を車でゆっくりと御出でになりました。が、何しろ時刻が遅いので、人っ子一人通らない往来には、遠田の蛙の声と、車の輪の音とが聞えるばかり、殊にあの寂しい美福門の外は、よく狐火の燃える所だけに、何となく鬼気が身に迫って、心無い牛の歩みさえ早くなるような気が致されます。――そう思うと、急に向うの築土の陰で、怪しい咳の声がするや否や、きらきらと白刃を月に輝かせて、盗人と覚しい覆面の男が、左右から凡そ六七人、若殿様の車を目がけて、猛々しく襲いかかりました。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 この『邪宗門』が小説の常識を覆すかのように先に結末を書いてしまっていて、なかなか窮屈なやり方が選ばれているということは既に述べた。

 ここではもっと細かい形で、肝腎なことを先に書いてしまっている。「中御門の御姫様と、親しい御語いをなさる事が御出来なさるように相成りました」と結論を先に書いてしまって、「どうやって?」と読者に疑問を抱かせてから、事件を記述していく。「中御門の御姫様と、親しい御語いをなさる事が御出来なさるように相成りました」となるには二つの誤解が解消しなければなるまい。

・堀川の大殿様が少納言を殺した
・堀川の大殿様が少納言の北の方に産ませたのが中御門の御姫様

 これはなかなかの難題であろう。しかし「中御門の御姫様と、親しい御語いをなさる事が御出来なさるように相成りました」と結論を先に書いてしまう。これは何か小手先の書き方の工夫というよりは『邪宗門』という作品の基調のようなものに感じられる。

 確かにこうして「どうやって?」と思わせることで目先の作業目標というか、とりあえずここは理解しようという小さな目標が出来る。作品全体としてはどのように若殿さまが死ぬのかというところに大きな目標が掲げられているとして、摩利信乃法師で四章も油を売ったので、ここで小さな作業目標を設定すること自体は読ませる工夫として理解できなくもない。しかしそれにしても「若殿様はある女房の所へ御忍びになった御帰り途」とはどういうことか。ここで言う「御忍び」とはまさに「忍び逢い」のことであろう。それではいささかやかまし過ぎないのではなかろうか。そこは別に歌会の帰りでも何でもよかったはずだ。それわわざわざ「若殿様はある女房の所へ御忍びになった御帰り途」にしておいて、「きらきらと白刃を月に輝かせて、盗人と覚しい覆面の男が、左右から凡そ六七人、若殿様の車を目がけて、猛々しく襲いかかりました」とは喧しい上に忙しない。

 兎も角色々と詰め込み過ぎである。

これは不味いんじゃないか

 と同時に牛飼いの童部を始め、御供の雑色たちは余りの事に、魂も消えるかと思ったのでございましょう。驚破と云う間もなく、算を乱して、元来た方へ一散に逃げ出してしまいました。が、盗人たちはそれには目もくれる気色もなく、矢庭に一人が牛の韁を取って、往来のまん中へぴたりと車を止めるが早いか、四方から白刃の垣を造って、犇々とそのまわりを取り囲みますと、先ず頭立ったのが横柄に簾を払って、「どうじゃ。この殿に違いはあるまいな。」と、仲間の方を振り向きながら、念を押したそうでございます。その容子がどうも物盗りとも存ぜられませんので、御驚きの中にも若殿様は不審に思召されたのでございましょう。それまでじっとしていらっしったのが、扇を斜に相手の方を、透かすようにして御窺いなさいますと、その時その盗人の中に嗄れた声がして、
「おう、しかとこの殿じゃ。」と、憎々しげに答えました。するとその声が、また何となくどこかで一度、御耳になすったようでございましたから、愈怪しく思召して、明るい月の光に、その声の主を、きっと御覧になりますと、面こそ包んで居りますが、あの中御門の御姫様に年久しく御仕え申している、平太夫に相違はございません。この一刹那はさすがの若殿様も、思わず総身の毛がよだつような、恐ろしい思いをなすったと申す事でございました。なぜと申しますと、あの平太夫が堀川の御一家を仇のように憎んでいる事は、若殿様の御耳にも、とうからはいっていたからでございます。いや、現にその時も、平太夫がそう答えますと、さっきの盗人は一層声を荒らげて、太刀の切先を若殿様の御胸に向けながら、
「さらば御命を申受けようず。」と罵ったと申すではございませんか。

(芥川龍之介『邪宗門』)

※「御一家」……「今昔物語」だと読みは「ごいっけ」。

 物盗りでなければ殺しに来たかと思うところ。どうも若殿様側の家来どもは逃げ出していて、相手は抜き身の刀で取り囲んでいる訳だからただ事ではない。

 そうしてあることに気が付く。

 こ、これは……切支丹ものではなく、『三右衛門の罪』『或日の大石内蔵助』『伝吉の敵打ち』『或敵討の話』『猿蟹合戦』のグループ、つまり「敵討ちもの」なのではなかろうかと。

 主人、中御門の少納言の仇を家臣、平太夫がとれば、これは敵討ちものになる。私が無理にそうしたいわけではなく、設定としてはまさにそうなりかねない勢いなのだ。

 しかし残念なことに若殿様の死は敵討ちによる死ではないことは最初に予告されており、「敵討ちものかもしれない」というアイデアは浮かんだすぐそばから消えて行かざるを得ない。

 何だかそこはもう少し遊ばせてもいいような感じがして少し勿体ない。あるいは「ここで殺されるかも」という緊張感も削がれてしまう。


そもそも何故この時まで待ったのだろうか?


 しかしあの飽くまでも、物に御騒ぎにならない若殿様は、すぐに勇気を御取り直しになって、悠々と扇を御弄びなさりながら、
「待て。待て。予の命が欲しくば、次第によって呉れてやらぬものでもない。が、その方どもは、何でそのようなものを欲しがるのじゃ。」と、まるで人事のように御尋ねになりました。すると頭立った盗人は、白刃を益御胸へ近づけて、
「中御門の少納言殿は、誰故の御最期じゃ。」
「予は誰やら知らぬ。が、予でない事だけは、しかとした証もある。」
「殿か、殿の父君か。いずれにしても、殿は仇の一味じゃ。」
 頭立った一人がこう申しますと、残りの盗人どもも覆面の下で、
「そうじゃ。仇の一味じゃ。」と、声々に罵り交しました。中にもあの平太夫は歯噛みをして、車の中を獣のように覗きこみながら、太刀で若殿様の御顔を指しますと、
「さかしらは御無用じゃよ。それよりは十念なと御称え申されい。」と、嘲笑うような声で申したそうでございます。
 

(芥川龍之介『邪宗門』)

※「十念」……南無阿弥陀仏の六字の名号を10回唱えること。十念称名。浄土宗などで用いられる。


 ここで平太夫の行動が中御門の少納言の敵討ちだと確定してみると、改めて何故『奇怪な再会』は敵討ちものと言われないのか、何故お蓮の復讐は遅いのか、ということが気になってくる。

 お蓮はもっと早く金さんの敵討ちをしても良かった。しかしどういうわけか時間がかかった。

 この平太夫の場合もそうだ。

・若殿様が十五六の御年に中御門の少納言は、堀川の御屋形の饗へ御出になった帰りに、俄かに血を吐いて御歿りになってしまいました。

 敵討ちはこの翌日でも良かった。何故平太夫は即座に行動しなかったのか。あるいは平太夫は何故今更になって、つまり堀川の大殿様には敵討ちをしないで、若殿様に敵討ちをしようとしているのか。

 さらにここにはもう一つ疑問点がある。「頭立ったのが」平太夫に「どうじゃ。この殿に違いはあるまいな。」と、念押しをしている。「頭立ったのが」平太夫ではなく助太刀というのはどういうことか。

 平太夫は話者くらいの老侍である。中御門の御屋形には平太夫を頭に御召使の男女が居りますばかり。「頭立ったのが」平太夫でないとすれば、助太刀はいずれの殿様の家臣なのだろうか。

 この問題はおそらく平太夫の敵討ちを成立させない要素となるだろう。しかしどのようなロジック展開でそうなるのか、まだ誰も知らない。それは私がまだここまでしか読んでいないからだ。


[余談]

 小説の「テーマ」というと作者の中に内的に抱えている問題と云うものがあって、それが表現されてくるという考え方が根強くあると思う。例えば三島由紀夫の『仮面の告白』であれば「同性愛」であるとか、『金閣寺』であれば「天皇」であるとか。
 一方「形式」というのはどうなんだろうか。つまり「保吉もの」というのは芥川の中に内的に抱えていたものが表現された「形式」なのだろうか。

 この考え方は「切支丹もの」には何とか当てはまらなくもないように思えなくもないが「敵討ちもの」で考えると流石に無理ではないかと思えてくる。芥川の中に復讐に関する思いが深く根差していた?

 実は三島由紀夫が天皇について語り出すのはかなり後になってからのことで、『金閣寺』の時点では完全にゼロではないにせよ、「作者の中に内的に抱えている問題」というほどのものではなかったのではないかと私は考えている。平田篤胤なんかを読むのも昭和四十年代で、『金閣寺』の時点で天皇に関してどれほどのことを考えていたのかは謎だ。『金閣寺』の中で金閣寺と比較されているのは間違いなく有為子で、天皇ではない。そりゃ、天皇にした方が話は面白いが、何でも話を面白くすればいいというものではない。

 決して誰かへの悪口ではなく。

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