芥川龍之介の『さまよえる猶太人』をどう読むか⑥兼『奉教人の死』をどう読むか②兼『きりしとほろ上人伝』をどう読むか① 中身のない話を書くな
私が「芥川龍之介の作品は誰にも読まれていない」と書くのは冗談でも何でもない。例えばこの『きりしとほろ上人伝』に関してネットで検索すると一番上に恐ろしく中身のない論文のようなものが上がってくる。結論は、「『奉教人の死』を含めて考察する必要があると考えている」……それは前置きではないのか。
何故考察しない?
端的に言えば『奉教人の死』は「死んで見たらば始めて女であつたことがわかつたといふ筋」の話であり、「清らかな二つの乳房が、玉のやうに露れて居るではないか」というところが見せ場なので、本当はかなりきわどい(本来は主にさえ嘘をついた人間であるにもかかわらず、奉教人としてみとめられてしまった)『奉教人の死』でもあり、また「豊胸人の死」の話でもある。
はい。これで『奉教人の死』をどう読むか②の最低限の責任は果たした。
問題は『きりしとほろ上人伝』をどう読むか①なのだが、『きりしとほろ上人伝』は芥川の自負に反して、よく分からない話なのだ。
筋はこんなもの。
・遠い昔「しりあ」の国の山奥に、「れぷろぼす」という心優しい身長九メートルの山男がいた。
・「れぷろぼす」はいつか大名にでもなろうと志し、天下無双の大将と評判の『あんちおきや』の帝に仕える。
・「れぷろぼす」は戦で活躍して大名になる。
・「れぷろぼす」は「あんちおきや」が十字を切って祈る姿を見て不思議に思う。
・それが悪魔の障碍を払うためだと知り、帝よりも強い悪魔の臣下になろうとする。
・「れぷろぼす」は縛られて牢に閉じ込められる。
・「れぷろぼす」は緋の袍をまとうた学匠(悪魔)に助け出されて夜空を飛ぶ。
……とここまでは何となく筋が追える。次がややこしい。
おそらく悪魔と「れぷろぼす」の飛翔と場所の移動はあったのだろう。しかし「夢かとばかり眼の前へ現れた」もののうち、「室神崎の廓に変つたとも思ひつらう」とはどういうことか。大阪の淀川区の神崎に平安時代から遊郭があったことは知られている。これは暗に芥川が「遠い昔」とは平安時代以降のことだと仄めかしているところではないか。
・隠者は傾城に誘惑されまいと祈り続ける。
・すがりつく傾城を隠者は十字架で打つ。
・「れぷろぼす」は悪魔も「えす・きりしと」の意向に及ばないと知り、しもべになりたいと願い出る。
・隠者は「れぷろぼす」に流沙河という大河の渡し守になるように命じ、「きりしとほろ」という洗礼名を与える。
・「れぷろぼす」は三年間流沙河の渡し守の務めを果たす。
・ある夜、十歳にも満たない白衣の子供が一人現れ「父のもとに帰ろう」としているので「れぷろぼす」は渡そうとしてやる。
・白衣の子供はどんどん重たくなり、「れぷろぼす」死にそうになりながらなんとか渡す?
この「獅子王」がウィリアム1世だとしたら、やはりなんとなく平安時代、いや無理に平安時代にしなくてもいいのだが、少なくともイエス・キリストの少年時代ではないことが念押しされているように思えてくる。
イエス・キリストの少年時代に関しては紀元二世紀末以前に書かれたとされる新約外典の『トマスによるイエスの幼児物語』という奇書がある。
聖書の中のイエス・キリストからはいささかかけ離れた、どこか人間離れした冷酷な感じのイエスが描かれている。
この最後の河渡しの下りには「おそるべき子供」「超能力者」としてのキリスト、『トマスによるイエスの幼児物語』の中のキリスト像を当て嵌めたかのような、そして『さまよえる猶太人』に見られる残酷なキリスト像が現れているように思える。
この『きりしとほろ上人伝』の結末は曖昧である。「その夜この方流沙河のほとりには、あの渡し守の山男がむくつけい姿を見せずなつた」とは、「きりしとほろ」はいかにも死んでしまったようだが、流沙河に流されたとは読めない。柳の太杖は岸に残っているからだ。しかしそもそも「 四 往生のこと」という題が付けられている。「きりしとほろ」はただひたすら権威を求め続ける心の貧しい者ではあった。偉ければ悪魔にも仕えるというのだから大抵のサラリーマンは彼を笑えまい。仕方がないんだよ、こういうものが組織なんだよと自分に言い聞かせて、碌でもないことをしている人々は大抵権威に弱い。
蓮實重彦や柄谷行人が幾ら間違った事を書いていてもその事実を認めることができない。
よくよく読めば「きりしとほろ」はただ権威に傅いたに過ぎない。そして天国に連れていかれた? そこがぼんやりしている。これは実際に起きたことと語り手の主観が混ざり合ったところではあるとして、
・「きりしとほろ」は死んだ(殺された?)
・語り手は天主教徒なので「きりしとほろ」は天国に召されたと理解した
という二段構えの結びではなかろうか。「きりしとほろ」という名前からしていかにもキリストの代用品である。その「きりしとほろ」は「世界の苦しみを身に荷になうた『えす・きりしと』を負ひないた」のだから、その苦しみを引き受けて死ぬべきだったのだろう。「心の貧しいものは仕合せぢや。一定天国はその人のものとならうずる。」とはまるで「きりしとほろ」がポアされてしまったかのようである。
まさかイエス・キリストがポアしてはいかんだろうと思ったあなた、ウイキペディアではさすがに省かれているが、『トマスによるイエスの幼児物語』では幼いイエスはかなりの無茶をしているのだ。
さすがにこれはウイキには書けないところだ。この幼い日のイエスはまさしく、
このなんとも恐ろしい呪うキリストそのものではないか。
そしてこの『きりしとほろ上人伝』が師子王以降、室神崎の廓以降の昔の話であるとしたら、ここに現れる「えす・きりしと」は「おそるべき子供」「超能力者」としてのキリストであるだけでなく、形式的には時代を超えてさまよい続ける「さまよえる猶太人」そのものなのではなかろうか。
わらんべは白衣を着ていたがやはり靴は描かれない。……と『さまよえる猶太人』を含めて考察してみた。
この話はまだまだ続く。
ボアされるまで。
[余談]
新約聖書では十二歳になるまでのイエスのことは書かれていないとされている。その為に生まれた外典が直接芥川の目に触れていたかどうかは詳らかにしない。しかしどうも芥川が聖書以外にもキリスト教関連資料を読んでいることは間違いないので、『トマスによるイエスの幼児物語』そのものではないにせよそれに近いもの、関連したものを目にしていた蓋然性はかなり高いと考えられる。
当然「こんな話もある」として耳から入ってくる情報もあるだろう。「十歳にも満たない白衣の子供」を出してくる辺りは、どうしてもその関連を疑わざるを得ない。
[余談②]
芥川の『奉教人の死』の元ネタは『聖人伝』の「聖マリナ」であると知り、さっそく読んでみた。
すると「死体を洗わせた折に男ではなく女であることが解った」と書かれており、必ずしも上半身にフォーカスしての話ではないことが解る。つまり「ろおれんぞ」を豊胸人にしたのはあくまでも芥川なのだ。
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