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芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか① お前は村上春樹か

 村上春樹作品の多くが「100パーセントの女の子に出会うこと」というシンプルなモチーフの変奏曲であり、いくつかの長編が短篇小説の焼き直しであることは良く知られてゐよう。

 しかし私は芥川龍之介の『偸盗』を読むまで、それが『羅生門』の焼き直しのような作品であることに気が付かなかった。それもそうだ。読む前に解るわけがない。『羅生門』から何かが盗まれたから『偸盗』という題なのだと気が付くのは『偸盗』を読み終えた後だ。

 同様に『邪宗門』を読むまでは、それが『地獄変』の続きのような作品であることが解らなかった。

 先頃大殿様御一代中で、一番人目を駭せた、地獄変の屏風の由来を申し上げましたから、今度は若殿様の御生涯で、たった一度の不思議な出来事を御話し致そうかと存じて居ります。が、その前に一通り、思いもよらない急な御病気で、大殿様が御薨去になった時の事を、あらまし申し上げて置きましょう。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 たった一度の不思議な出来事……。それでは良秀の件は何だったのかというと、あれはきっと不思議な出来事ではなく、不快な出来事だったのだろう。それにしてもたった一度の不思議な出来事とは如何にも自分でハードルを上げ過ぎではないのか。その辺りも村上春樹に似ていなくもない。『騎士団長殺し』の発売前にも、「とても不思議な話」だと言っていたような。

 それに「思いもよらない急な御病気で、大殿様が御薨去になった時の事」として『騎士団長殺し』みたいに枠を作っている。枠というより、結末を言ってしまっている点ではまさに『騎士団長殺し』と同じだ。それで長編小説にしようとしているわけだ。でも結局最後は「大殿様が御薨去」なんだろうと敢て思わせながら、それでも「不思議な出来事」として描いて見せますよというのだからなかなかの自信だ。

 あれは確か、若殿様の十九の御年だったかと存じます。思いもよらない急な御病気とは云うものの、実はかれこれその半年ばかり前から、御屋形の空へ星が流れますやら、御庭の紅梅が時ならず一度に花を開きますやら、御厩の白馬が一夜の内に黒くなりますやら、御池の水が見る間に干上って、鯉や鮒が泥の中で喘ぎますやら、いろいろ凶い兆がございました。中でも殊に空恐ろしく思われたのは、ある女房の夢枕に、良秀の娘の乗ったような、炎々と火の燃えしきる車が一輛、人面の獣に曳かれながら、天から下おりて来たと思いますと、その車の中からやさしい声がして、「大殿様をこれへ御迎え申せ。」と、呼ばわったそうでございます。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 なるほどこれは不思議だ。

 しかし「お化け」を出して良いものか。「お化け」を出して不思議でいいのか。

 そんなことをしていると未完になるぞ。

 その時、その人面の獣が怪しく唸って、頭を上げたのを眺めますと、夢現の暗の中にも、唇ばかりが生々しく赤かったので、思わず金切声をあげながら、その声でやっと我に返りましたが、総身はびっしょり冷汗で、胸さえまるで早鐘をつくように躍っていたとか申しました。でございますから、北の方を始め、私どもまで心を痛めて、御屋形の門々に陰陽師の護符を貼りましたし、有験の法師たちを御召しになって、種々の御祈祷を御上げになりましたが、これも誠に遁れ難い定業ででもございましたろう。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 なんだ。夢か。たいがいにせんといかんで。

 自分で最初に「不思議な出来事」と書いてしまい、さらに枠を設定してしまう。「お化け」を出して「夢落ち」。これは普通の作家がやってはいけないことの連続だ。 

 そういうことを敢て芥川はやってみたのだろう。それもこれも『偸盗』がややちゅうとう半端、いや中途半端になってしまったからであろうか。何か自分を追い込むような形で『邪宗門』は書きはじめられている。
 
 この続きがどうなるのか、まだ誰も知らない。何故ならまだ読んでいないからだ。

[余談]

『邪宗門』→「じゃ、わし言うもん」の洒落かな?


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