岩波書店・漱石全集注釈を校正する37 どす黒いちゃんちゃんは三週間以内に去る
どす黒くて竹輪の出来損できそこないである
このどす黒い蒲鉾はおそらく「じゃこ天」であろう。蒲鉾のつもりでじゃこ天を食べればそりゃ不味いと思うに違いない。
どういう了見か地方の練り物の東京進出速度は緩やかで、小倉織や薩摩絣は早々に江戸に根付いたものの、当時の東京では蒲鉾と竹輪とはんぺんと真薯くらいしかなく、さつま揚げでさえ書物に現れるのは、明治四十五年、家庭に普及するのは大正期であると考えられる。
なると巻が出て來るのが1936年。
じゃこ天が東京で食べられるようになるのはかなり後であろうと思われる。ちなみに国立国会図書館デジタルライブラリー、青空文庫では確認できなかった。静岡の黒はんぺんの認知も、キリン一番搾りのCM後のことでごく最近である。
なお地方では昔から食べられていて、東京ではまず見られないという練り物は他にもいろいろある。また高野豆腐竹輪など、姿を消したものも少なくない。
こうした食べ物のことは案外解らなくなるので、できるだけ早い時期に註釈しておくべきだろう。
日清談判なら貴様はちゃんちゃんだろう
岩波書店『定本 漱石全集第二巻』注解に、
……とある。
ここは明確に清国人をさして「ちゃんちゃん」と言っている。これは阿片戦争によりアジア殖民地化が始まった歴史にかんがみ……といった深みはなく、漱石のコードとしては「ハイカラ野郎」程度のさして意味のない罵倒だろう。モモンガーだって、そもそも何かが悪いわけではないのだ。
ちゃんちゃんとは、そもそも清国の辮髪人に対する蔑称であったものが、戦後もなお漢民族を中心とする中国人にも向けられているというねじれが注釈の中に現れている。「日清戦争前後に使われた、中国人を嘲って読んだ語」ではなく「日清戦争前後から使われはじめた、中国人を嘲って読んだ語」あるいは「日清戦争前後に使われた、清国人を嘲って読んだ語」とすべきであろうか。
そもそもChainaman とは「支那」「人」であろうに、「支那」すら頑なに変換させぬ辞書機能になお根深い差別意識が込められてはいまいか。
こんな土地に一年も居ると
この土地の人々に対する激しい差別意識は、「イナゴぞなもし」が実は相当堪えていたというわけではなく、まさに被害妄想的である「おれ」と、この土地に「下宿の女房に足を拭かせた疑惑」や「延岡問題」が持ち上がるいかがわしさが現にあることの衝突があるとみるべきであろうか。
前回からの繰り返しになるが、そもそも完全なる正義や完全なる惡があるわけではなく、漱石は『坊っちゃん』で常に目に見えていることと見えていないことを対比させてきた。「親譲りの無鉄砲」「親爺の依怙贔屓」「清の溺愛」「山嵐の煽動疑惑」「うらなりくんの転任にかんする赤シャツの理路整然とした説明」、そうしたものに揺さぶられながら、読者は思いこみを捨てて読み進めなくてはならない。「おれ」はあくまで物事の一面しか見ていないという意味で「信用できない語り手」なのだ。そのことは『吾輩は猫である』で理解できていた筈なのに、『坊っちゃん』ではやすやすと「おれ」の言い分を信用してしまう人が多い。
たとえば「潔白なおれ」と書いてしまう漱石に、芸者遊び疑惑がなかったわけではない。
つまり「こんな土地に一年も居ると」と書きながら夏目漱石は一年は居たわけなので、ここは反語的な意味合いを持ってくる。
まさか三週間以内にここを去る事もなかろう
全体を見れば『坊っちゃん』という小説は、回顧の形式で、全ての出来事が終わった後、つまり街鉄の技士となった「おれ」の視点から描かれているとまずは考えてよいだろう。つまり「今となっては十倍にして返してやりたくても返せない」の「今」は清の死の後にある。「なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である」という現時点の「おれ」は街鉄の技士である。
ところがこの場面では、あたかも未来を知らない過去において、現在進行形の物語を生きているかのように振舞う。無論これは三週間以内に何かが起きるというふりではある。その仕掛けの意味や効果はさておき、ただここまで作り込まれた物語の構造を逸して、確定しない未来を置いたことは注目してよいだろう。
湯島のかげま
野だがかげまなら、赤シャツは何だということなる。山嵐と「おれ」の天誅が誤爆である可能性は、冒頭の「親譲りの無鉄砲」から暗示されていたことだ。
赤シャツの声が女のようだとかさんざん仕込まれたふりが最後の誤爆に繋がると考えてよいだろう。この「かげま」もふりである。
瘠せても病気はしません
昔は痩せていることは褒められなかった。ふくよかな方が金持ちに見られた、というような話を何となく聞き知っている人はいるとおもう。しかし当時の「痩せている」「肥満」「病気」のイメージは現代人の想像をはるかに超えるものである。
私もつい最近その事実を知って驚いた。それはたまたま「静坐」について調べていた時のことだ。まず、この写真に出くわして「おや?」と疑問が湧いた。
右が「静坐」一年、左が「静坐」三年。つまり左の方が仕上がっているのである。
横から見ると明らかなように、明らかに腹が出ている。これは一体何を自慢しているのかと不思議になる。
実は「肥満」にはそもそもマイナスイメージはなかったのだ。
こんな場面を読みながら、まさか腹が出ていることが良いことだとは思わなかった。
さてこうして肥満が良いことと云われてもなかなか承服できかねるのでさらに調べて行くと、やはり異なる立場はいくらでも見つかった。
どうやら著しい肥満は好ましくないものであったようだが、適度に肉づきの良いことが好まれていて、痩せていることにこそ健康に関するプラスのイメージがなかったということのようだ。
そういえば谷崎も、
などと書きながら脂肪過多症で徴兵検査は不合格になっている。あくまでもほどほどの肉づきが良いのだ。
[余談]
半切(はんせつ)と半切れ紙についても調べているがよく解らない。ただこんなものも現代人は半紙とまちがえてしまうのではなかろうか。杉原紙はもうない。半切(はんせつ)も半切れ紙も使う人がなかろう。
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