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谷崎潤一郎の『恐怖』を読む コント作家・谷崎潤一郎

※この作品は青空文庫で誰でも無料で、何の手続きもなく、特別なプログラムのインストールなしで読むことが出来ます。ほぼ安全です。『恐怖』はとても短いので個人差はありますが、大体五分もあれば読むことが出来ます。できれば今回はまずご自身で『恐怖』を先に読んで貰えませんか?
その上で私が書いているものを読んで、自分の「感想」と私の書いていることの、どこがどう違うのか確認していただければ、有難いです。そうすれば多分、私が言う「読む」、ということがどういうことなのか、実感できると思います。


                ☆

 最初に書いてみますが、結局笑えたかどうかです。この作品のユーモアに辿り着いていないなら、再読してみてください。

 三島由紀夫が徴兵逃れのために転籍して、わざわざ健康優良児の多い田舎の漁村で徴兵検査を受けたことはよく知られていよう。夏目漱石も徴兵逃れのために分家して送籍した。

其の病気が、いつの間にか自分の体へブリ返して居る事を心付いたのは、六月の初め、京都の街の電車に揺られた時であった。私は当分、汽車へ乗る事を絶対に断念して、病気の自然に治癒する迄、東京へは帰れないとあきらめて了った。そうして、是非共此の夏中に受けなければならない徴兵検査を、何処か京都の近在で、汽車へ乗らないでも済む所で受けたいものだと思った。
調べて見ると生憎京都の近所はみんな時期が遅れて間に合わなかったが、大阪の住友銀行の友人O君の盡力で、阪神電車の沿道にある一漁村へ、検査の二三日前迄に籍を移せば、其処で受けられる事になった。其の村の検査日は何でも六月の中旬であったと覚えて居る。
兵庫県下なら、汽車へ乗らずとも電車で行けるから、東京の原籍地へ戻るよりはいくらか増しだと私は喜んだ。で、丁度月の十二日の午ごろ、日本橋の区役所から取り寄せた戸籍謄本と実印とを懐にして、五条の停車場へ行った。(谷崎潤一郎『恐怖』)

 谷崎潤一郎の『恐怖』はEisenbahnkrankheit、鉄道病で電車に乗り続けることが出来ない「私」が徴兵検査を受けるために大阪に向かう話である。作者の私生活と小説は原則切り離して読まなければならないが、これは実地の体験を基にした小説と見做してよいだろう。
 無論小説である以上、事実そのままではありえない。「私」の理屈はこうである。
 たまたま京都にいた時に鉄道病がぶり返した。東京までは帰れない。徴兵検査の起源が迫っていたが京都の検査場では時期が過ぎていた。友人に探してもらうとたまたま兵庫県下の漁村の検査場が見つかった。だからそこに徴兵検査を受けに行くのだ、と。
 なるほど一応筋が通っている。『朱雀日記』を読むと、はてと思うのだが一応谷崎潤一郎自身が鉄道病、汽車恐怖症を訴えており、その行程でも何度も電車に乗りそこなっており、また電車に乗ることへの差支えに関しては、『The Affair Tow Watches』において「山崎は電車に乗って足が楽になると今にも往来へ飛び出して駆け出したいような恐怖に襲われる。動悸がうち、心臓の血が凝結するような気がして肋骨を抑え、「死にそうだ、助けてくれ」と隣の客にむしゃぶりつきそうになるのを何とか堪え、水天宮前で電車を降りると渾身の意識を「駈ける(ランニング)」という一点に集めて箱崎町の家まで奔馬のごとくポンポン駈ける。」として既に告白されていたものだ。そこではHypochondriaとされてはいたが、書かれている内容から「山崎」は一人で電車に乗ることに差支えがあつたと見做しても良いだろう。では谷崎はどうかという実際の人間に対する診断はできない。私は医者ではなく、医者であったとしても医師法二十条により、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付することが禁じられているからだ。
 従って「山崎」がどうであれ、谷崎が鉄道病なのかどうか、私には判断できない。

 また、『恐怖』の話者「私」が『The Affair Tow Watches』の山崎とは異なる病気の持ち主のように思えるが、私には鉄道病の持病がないため、「私」の告白に対して解る解るとも書けない。

鉄道病と云っても、私の取り憑かれた奴は、よく世間の婦人にあるような、船車の酔とか眩暈とか云うのとは、全く異なった苦悩と恐怖とを感ずるのである。汽車へ乗り込むや否や、ピーと汽笛が鳴って車輪ががたん、がたんと動き出すか出さないうちに、私の体中に瀰漫して居る血管の脈搏は、さながら強烈なアルコールの刺戟を受けた時の如く、一挙に脳天へ向って奔騰し始め、冷汗がだくだくと肌に湧いて、手足が悪寒に襲われたように顫えて来る。若し其の時に何等か応急の手あてを施さなければ、血が、体中の総ての血が、悉く頸から上の狭い堅い圓い部分―――脳髄へ充満して来て、無理に息を吹き込んだ風船玉のように、いつ何時頭蓋骨が破裂しないとも限らない。(谷崎潤一郎『恐怖』)

 でも京都では随分お楽しみで、とただ嫌味を言うのではない。『朱雀日記』を読んだ時の素直な感想はまず、「谷崎はこの時点で既に大家だな。新聞や雑誌社の知己を得て、芸者遊びとは奢ったものだ」というものだった。夏目漱石の『満韓ところどころ』を読んだ時の感想は「さすが単身イギリス留学した漱石だ。旅慣れているな。中村是公の招きとはいえ、自分にはとても無理だな」というものだった。『朱雀日記』も事実そのままではなかろうが、とても『恐怖』に書かれているような鉄道病の気配がしないのはどうしてだろうと不思議だ。京都ぐらいは誰でも旅行出来るだろうとは常人の感覚で、『恐怖』の話者「私」ならば進んで行こうとはしないだろう。どうしても行かねばならぬなら仕方ないが、『朱雀日記』はまさに物見遊山で、これから真剣に文学の道を究めようという雰囲気はまるでない。ただ『朱雀日記』にもあるとおり芸者たちがみな『刺青』を読んでおり、先生扱いされ、既に文壇での地位も永井荷風の激賞により確立していたことにより、随分余裕があるように感じられるだけだ。「既に大家」でなければ芸者遊びはできまい。
 だからつい私にはこの『恐怖』の話者「私」の告白が大げさに感じられるのだ。いや、遡って『The Affair Tow Watches』の山崎がどうだったのかと。
 そもそも山崎の病気は鉄道病の様には表現されていなかった。「しかし山崎は本当に真面ではない。この頃はHypochondriaに陥っており、独りになると獰猛なる強迫観念に襲われ、居てもたってもいられなくなるところが、手付の五円で百円儲けようという話がまとまった夜に限って、そうではないものが現れる。下駄の鼻緒が切れたので手拭いで足を縛り付けたからだ。山崎は一つの真理を発見する。神経が下駄の方へ使われて、少しも怖ろしくないのだ。そしてそれからそれへとまとまりのない思想の断片が脳中をくんずほぐれつする。」

 そう、独りになると強迫観念に襲われ、居てもたってもいられなくなるのであり、対処法迄明らかなのだ。血液の話はないし、電車とも直接の関係はない。『恐怖』の話者「私」が徴兵逃れに仮病を告白しているなど書いているのではない。実際に伝わる谷崎の汽車恐怖症と『恐怖』における「私」の告白はどうも辻褄が合っており、『The Affair Tow Watches』や『朱雀日記』とは異質、なんなら『誕生』から『續惡魔』までの作品に現れた谷崎の真面ではないところとも一致しない。(『少年期の記憶』に現れる地震に対する不安は、『惡魔』『續惡魔』などに繰り返し現れており、本人の自覚に関わらず「揺れ」に関する恐怖はあったと言ってもいだろう。)だから私は『恐怖』が実地の体験を基にした小説であれ、事実そのままではないと見做すのだ。
 この『恐怖』は大正二年に発表されていることから、既に徴兵逃れの精神病の告白としてはその役目を果たさない。では谷崎は何を思ってこんな話を書いたのかと作者の意図を考えても良いだろうか。
 仮に谷崎が京都旅行で自分の評判に手応えを感じており、大向こうを唸らせるために『恐怖』を書いたとすれば、谷崎のプレゼンスとアクティビティが『恐怖』を面白く見せることも全く考えなかったわけではなかろう。
 小谷野敦の丁寧な年譜によれば、谷崎は明治四十五年七月八日、脂肪過多症で徴兵検査を不合格となっている。(【余談①】にリンク)
 そのことを踏まえると、この落ちは確かに笑えるのだ。

「ナニ僕は電車が嫌いですから、酒に酔ってゞも居ないと、気持が悪くなって仕様がないんです。」
私は、医者に話をするとしては、少し理窟が立たぬような弁解をした。
カオーッと笛が鳴って、電車がとう/\走り出した。
「いよ/\己は死ぬのかな。」
と、私は心の中で呟いた。断頭台へ載せられる死刑囚の気持も、此れと同じに違いないと思った。
「Aさんどうです、Tさんは検査に合格しますか知ら。」
K氏がこんな質問をする。
「そうですなあ。あなたは取られそうですなあ。何しろむくむく太って居て、立派な体格ですからなあ。
左右の窓には、京都の市街が盡きて、郊外の青葉や、樹木や、往還や、丘陵がどんどん走って居た。ひょッとしたら、無事に大阪へ着けるかも知れないと云う安心が、其の時漸く私の胸に芽ざした。(谷崎潤一郎『恐怖』)

 注意深く読めば「私」には兵隊にとられて戦死するかもしれないという恐怖は(まだ)ない。鉄道病で気が狂って死ぬのが怖いのである。大阪に無事つきたいのである。むくむく太って居て、立派な体格といわれ、検査に合格するだろうと医者に言われた後、明確には書かれていないものの、「ひょッとしたら、無事に大阪へ着けるかも知れないと云う安心が、其の時漸く私の胸に芽ざした。」ことから検査に合格するという医者の見立てが「私」の精神を落ち着かせたように思える。
 それはどうしてか?
 これはおそらくこれまで書かれてこなかったことだと思うがもう一度、『The Affair Tow Watches』の「下駄の鼻緒が切れたので手拭いで足を縛り付けたからだ。山崎は一つの真理を発見する。神経が下駄の方へ使われて、少しも怖ろしくないのだ。」というくだりを思い出してもらえば、ここには一つのロジックが浮かび上がっては来ないだろうか。
 君は兵隊にとられるよと医者に保証された瞬間、神経が徴兵検査の方へ使われて、鉄道病の症状が治まったから「ひょッとしたら、無事に大阪へ着けるかも知れないと云う安心が芽ざした」と考えられるのではなかろうか。つまり私は『恐怖』とは恐怖の対象がそれからそれへと移る小説だと読む。ここにはいわゆる自己戯画化がある。だからシンプルに笑っていいのだ。これはブラックながら確かにジョークなのだ。

 このあからさまには書かれていないちょっとした変化を、その明確には書かれていないところを読むのが近代文学2.0だ。だから夏目漱石の『こころ』の西洋人の猿股は透けているし、保田でKを海に投げようとした先生の股間はKの臀部に圧しつけられている。森鷗外は殉死は殿様に許されて時と場所を決め介錯人を呼んでやるもので、女房を道連れにすべきではないと書いている。谷崎潤一郎は『恐怖』というコントを書いた。

 そしてあくまで余談ながらむくむく太って居て、立派な体格と褒められたところが作品外で谷崎本人が脂肪過多症で徴兵検査を不合格となることを以て、『恐怖』はコント染みた落ちをひそかに隠している。
 また医者が、「体中に瀰漫して居る血管の脈搏は、さながら強烈なアルコールの刺戟を受けた時の如く、一挙に脳天へ向って奔騰し始め、冷汗がだくだくと肌に湧いて、手足が悪寒に襲われたように顫えて来る。」ような人間を目の当たりにして、「そうですなあ。あなたは取られそうですなあ。何しろむくむく太って居て、立派な体格ですからなあ。」と言うとしたら冗談が過ぎている。
 肥っている患者には碌な検査もしないで高脂血症と高血圧の医学管理料を算定しようとする医者くらいマインドが藪である。あ、今は生活習慣病指導管理料か。



【余談①】『恐怖』の言葉とか

健腦丸 けんのうがん

臭化カリウムは大脳鎮静剤で、一方ゲンチアナは苦味健胃薬、大黄、アロエは下剤の作用がありますが、発売当初の『健脳丸』は上記の広告の内容はもちろんのこと脳を健やかにするというその名称からしても、今でいうところの脳神経領域に効果をうたった薬だったわけです。

https://www.tpa-kitatama.jp/museum/museum_64.html

Eisenbahnkrankheit

鉄道病とは、新しい交通手段の発明に伴い、1860年以降に流行した診断名である。鉄道による頻繁かつ長期の移動の後、患者は震え、疲労、消耗、神経過敏、消化不良を訴えた[1]。 この症状は、気分障害を思わせるものだ。1892年のブロックハウスによると、蒸気機関車のドロンと振動が原因とされている。 このため、長時間立っていると足に鈍い痛みが持続した。 サービスマンと旅行者の両方がこの影響を受けていた。 [1872年の旅行記には、「揺れ動く馬車」の座席に対する苦情が残っている。 しかし、1900年には、乗客はすでに慣れていた。

徴兵検査  谷崎は明治四十五年七月八日、脂肪過多症で不合格。

「小谷野敦」作成

購った かった 買った
うぢやぢやけて 熟したくだものなどが、裂け、くずれる。ただれた状態になる。また、だらしない様子になる。ふざける用例もあり。

何も物や只猪口を舐めちゃ、うじやじやけてをるんで御座えます。」銅壺のが、何か泡を吹出しさうなので、急に引揚げて、大事さうに猫板の上におきながら、仕末に困った ...(徳田秋声『雲のゆくへ』)

ブツカキ 氷を打ち割った小さな塊。かちわり.
阿彌陀に冠り 帽子などを、前を上げて斜めに傾けてかぶること。

往還  人などが行き来するための道。 主要な道路。 街道。




こんな広告流れて来た。日本だと違法やん。




当った(;゚Д゚)







厚生労働省としては、可能な範囲で速やかに死亡者数を把握する観点から、 感染症法に基づく報告による新型コロナウイルス感染症の陽性者であって、 亡くなった方を集計して公表する取扱いとしています。 ○ したがって、事務連絡中の「新型コロナウイルス感染症患者が死亡したとき」 については、厳密な死因を問いません。新型コロナウイルス感染症の陽性者で あって、入院中や療養中に亡くなった方については、都道府県等において公表 するとともに、厚生労働省への報告を行うようお願いいたします。

https://www.mhlw.go.jp/content/000641629.pdf

 つまり死因は問わないと?




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