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織田作之助の文体について①

 

十行を一行で書く

 織田作之助の『雨』は怖ろしくスピード感のある話である。『雨』は後に『青春の逆説』として書き直される。村上春樹で言えば『蛍』と『ノルウェイの森』のような関係にある、思い入れのあるモチーフだったということになるのだろう。

 その夜、その女といっしょに千日前の寿司捨で寿司を食べ、五十銭で行けと交渉した自動車で女のアパートへ行った。商人コートの男に口説かれていたというただそれだけの理由で、「疳つりの半」へ復讐めいて、その女をものにした。自分から誘惑しておいて、お前はばかな女だと言ってきかせて、女をさげすみ、そして自分をもさげすんだ。女は友子といい、美貌だったが、心にも残らなかった。
 ところが、三月ほどして戎橋筋を浮かぬ顔して歩いていると、思いがけず友子に出会った。あんたを探していたのだと、友子は顔を見るなりもう涙を流していた。妊娠しているのだと聞かされ、豹一ははっとした。友子は白粉気もなくて蒼い皮膚を痛々しく見せていた。豹一は友子と結婚した。家の近くに二階借りして、友子と暮した。豹一は毎日就職口を探して歩き、やっとデパートの店員に雇われた。美貌を買われて、婦人呉服部の御用承り係に使われ、揉手をすることも教えられ、われながらあさましかったが、目立って世帯じみてきた友子のことを考えると、婦人客への頭の下げ方、物の言い方など申分ないと褒められるようになった。その年の秋友子は男の子を産んだ。分娩の一瞬、豹一が今まで嫌悪してきたことが結局この一瞬のために美しく用意されていたのかと、何か救われるように思った。その日、産声が室に響くようなからりと晴れた小春日和だったが、翌日からしとしとと雨が降り続いた。六畳の部屋いっぱいにお襁褓を万国旗のように吊るした。
 お君はしげしげと豹一のところへやってきた。火鉢の上でお襁褓を乾かしながら、二十歳で父となった豹一と三十八歳で孫をもったお君は朗らかに笑い合った。安二郎から、はよ帰ってこいと迎えが来ると、お君は、また来まっさ、さいならと友子に言って、雨の中を帰って行った。一雨一雨冬に近づく秋の雨が、お君の傘の上を軽く敲いた。(『雨』/織田作之助)

 いくらでも言葉を足すことができるところをまるでライトノベルのような文体で駆け抜ける。近代文学の枠組ではライトノベルを捉えることはできないから、ポストモダンとして前近代的なものも含めて見ていかなければならないと誰かが主張していても、どうもピンとこない。織田作は後に井原西鶴との類似を指摘され、前近代的なものと自然に結びつく。新戯作派でもあるデカダン三銃士の太宰治と坂口安吾は偶然にも共に西鶴に親しんでいた。

 この『雨』の文体はある意味すかすかである。美文ではない。このすかすかを織田作は「おれは人が十行で書けるところを一行で書ける術を知っている」と自負する。

 その文体は『青春の逆説』においてもさして変わらない。

「さあ、もうちょっとの辛抱や。しっかり力みなはれや。聟さんもしっかり肩を抑えたりなはれや。もうちょっとや」
 産婆の声をきいていると、豹一は友子の苦痛がじかに胸にふれて来て、もう顔を正視することが出来なかった。
(このまま死ぬのじゃないだろうか?)ふと、そんなことを想って、ぞっとした。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏!」
 いつの間にあがって来たのか、母親が産婆の横にちょこんと座って、念仏を低く唱え、唱えしていた。
 豹一は眼をつぶった。
「はあッ」産婆の掛声に豹一は眼をひらいた。友子の低い鼻の穴が大きくひらいた。その途端、赤児の黒い頭が豹一の眼にはいった。そして、まるくなった体がするすると、出て来た。
 産声があがった。豹一は涙ぐんだ。いままで嫌悪していたものが、この分娩という一瞬のために用意されていたのかと、女の生理に対する嫌悪がすっと消えてしまった。なにか救われたような気持だった。
「よかった。よかった」と、いいながら、部屋のなかをうろうろ歩きまわった。
「じっとしてんかいな」母親が叱りつけた。
 豹一はふと膝のあたりに痛みを感じた。枕元に鋏が落ちていて、豹一はその上に膝をついていたのだった。
 その日、産声が空に響くようなからりとした小春日和だったが、翌日からしとしと雨が降り続いた。四畳半の部屋一杯にお襁褓が万国旗のように吊された。
 お君は暇を盗んでは、豹一のところへしげしげとやって来た。
 火鉢の上へかざしたお襁褓の両端を持ちあいながら、豹一とお君は、
「乳母車を買わんならんな」
「そやな」
「まだ乳母車は早いやろか」
 そんな風なことを話しあった。やがて、お君は、
「早よ帰らんと叱られるさかい、帰るわ」そう言って立ち上り、買って来た赤ん坊の玩具をこそこそと出して、友子の枕元に置くと、また来まっさ、さいなら。
 雨の中を帰って行った。
 一雨一雨冬に近づく秋の雨がお君の傘の上を軽く敲いた。(『青春の逆説』/織田作之助)

 お産の場面がより詳細に描写されるがそれでも停滞しない。織田作の文章の速度は速い。部屋が一畳半狭くなっているだけで、文章の速度は速い。

 私の今日の文学にもし存在価値があるとすれば、私は文学以外のことでは、すべてを犠牲にしている人間だという点にあるのではないかと思う。私は傲慢にそう思っている。私は自信家だ。いやになるくらい己惚れ屋だ。私は時に傲語する、おれは人が十行で書けるところを一行で書ける術を知っている――と。しかし、こんな自信は何とけちくさい自信だろう。私は、人が十行で書けるところを、千行に書く術を知っている――と言える時が来るのを待っているのだ。十行を一行で書く私には、私自身魅力を感じない。しかし、やがて十行を何行で書くか、今のところ全く判らないという点に私は魅力を感じている。私はまだ全く自分にあいそをつかしたわけではない。私は私にとっても未知数だ。私はまだ新人だ。いや、永久に新人でありたい。永久に小説以外のことしか考えない人間でありたい。私の文学――このような文章は、私にはまだ書けないという点に、私は今むしろ生き甲斐を感じている。といってわるければ希望を感じている。それが唯一の希望だ。文学を除いては、私にはもうすべての希望は封じられているが文学だけは辛うじて私の生きる希望をつないでいるのだ。目的といいかえてもよい。(『私の文学』/織田作之助)

 まさに必死である。織田作は必死である。必死で早いのである。そして文学に本気だった。織田作はヒロポンも煙草も書くために使った。

私は半信半疑だったが、
「――二千円で何を買ったんだ」
「煙草だ」
「見たところよく吸うようだが、日に何本吸うんだ」
「日によって違うが、徹夜で仕事すると、七八十本は確実だね。人にもくれてやるから、百本になる日もある」
「一本二円として、一日二百円か。月にして六千円……」
 私は唸った。
「それだけ全部闇屋に払うのか」
「いや、配給もあるし、ない時は吸殻をパイプで吸うし、しかし二千円はまず吸うかな」
「じゃ、いくら稼いでも皆煙にしてしまうわけだ。少し減らしたらどうだ」
「そう思ってるんだが、仕事をはじめると、つい夢中で吸ってしまう。けちけち吸っていると、気がつまって書けないんだ」(『鬼』/織田作之助)

 だいたいこんな調子で煙草に金を使っていたらしい。そんなにまでして書いていたのだ。その織田作の文体をライトノベルのようだと例えてしまって申し訳ない気がするがやはり織田作の文体は速く、けちけちしておらず、未知数なのである。



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