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しわしわの白靴はくやいくさびと 芥川龍之介の俳句をどう読むか113

かはたるる靴の白さやほととぎす

明易き夜をまもりけり水脈(みを)光り

[大正六年六月二十日 松岡譲宛]

 羅生門の会が開かれることになり、いよいよ芥川龍之介が皆に押される形で文壇の寵児となりかけていた。

かはたるる靴の白さやほととぎす

 この白い靴は大塚靴店製のものと思われる。明治天皇の靴も作った老舗メーカーである。


紫江帖 第8 磯ケ谷孝治 編墓蹟発行所 1933年

 しかし解らないのは「かはたるる」である。そういう靴が見つからないのだ。

 このようなしわ加工のものを海軍が履いていたとは思えないし、白靴ではなお考えられない。海軍の白靴であればこのようなものであったはずだ。

 革がたれる、ということはということは構造上も考えにくい。つまり「かはたるる」が解らない。ほととぎすすはただ添えただけ、投げやりに俳句に拵えたということではあろうが、

変わったルール靴の白さやほととぎす

 こんなところか。そうでなければ、何の皮が垂れているのかわからないところ。

明易き夜をまもりけり水脈(みを)光り

 これは甲板で水脈を見守る光景を素直に詠んだものか。となると一晩乗り込んだということになるが、そうではなく、なんとなくなんとなくそういう光景をイメージして詠んだのではないか。

 愈々今日フネにのる事になつた

 手紙にはこうある。註に「フネ 金剛」とある。乗る前に想像して詠んだとして、やはりますます「かはたるる」が何のことやらわからない。あるいは見ていないからこそ、想像で詠んでいるからこそ、「かはたるる」なのであろうが、やはり「かはたるる」靴というものが見つからないのでしょうがない。しかしそこに引っかかっている人も見当たらない。困ったものだ。

 この次に秋の句が詠まれ、

 そして結婚、

朝焼くる近江の空やほととぎす

麦刈りし人のつかれや昼の月

[大正六年七月十二日 池崎忠孝宛]

 一応夏の句が詠まれる。そして、蛇女の句が詠まれる。

 どうもいささか生々しいが、合歓があったのであろう。

 しかしその次に、浅草の句が詠まれ、

 川柳としか言いようのない句が詠まれる。  

 そしてこの句、

沢蟹の吐く泡消えて明け易き

 この句も見たままとは思えない。

サワガニを飼育する上で大切なことは, 水かえです。 水が汚れてくるとサワ. ガニが泡を吹くようになります。 水がにごり始めたら, くみ置きの水とかえて. やります ..

https://www.nipec.nein.ed.jp/kyouiku-db/chikurisen/shiikusaibai/046sawagani.pdf


 蟹が泡を吹くのは呼吸困難な状態であり、水に入らないで泡を吐かなくなったらくたばる寸前なのではなかろうか。この句は、明け易きだけに意味があり、沢蟹は付け足しで、最近夜が短くなりましたね、という時候の挨拶なもののようで、……八月二十四日に明け易きではあまりにも遅すぎるのではなかろうか。夏至は六月二十日ごろ。

 沢蟹も明け易きも夏の季語ながら、この句ではダブル季語殺しが起きているような感じさえある。これが

 何なら人事句として勘繰りたくなる。

かはたるる靴の白さやほととぎす

 この句の時期には詠まれなかった句であり、この時期に詠まれるべき句であった。その間には、結婚があり、芥川も蛇女と合歓して泡を吹いていたのではなかろうか。

即今空自覚
四十九年非
皓首吟秋霽
蒼天一鶴飛

そくこんむなしくじかくす
しじふきうねんのひ
かうしゆしうせいをぎんず
さうてんいつかくとぶ

 この詩に自戒が込められているのだとしたら、自分も女房をもらって、来年の三月には家を持つ身分なのだなと、人生の一区切りを意識していたことであろう。

 こんなことを言っていた男が、

 こうして開き直りつつも、

 教師と作家の二重生活があった。

 不愉快なのだ。そりゃあ泡も吹きそうなものだ。 

静に幸福にくらして行きませう

 九月四日には文子にこう書き送っているがそんなに簡単に幸福にはなれない。幸福、それはかはたるる白き靴のように想像の中にしか存在しないものなのだ。

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名家俳句集全
15 4, 49.恭喜書魯飯974957正更量593 TH〓言一一本書收むる所の諸家の句集について解題すること左の如し。梅翁宗因發句集一陽井素外の編集にて、天明元年の印行なり。(之に拾遺後拾遺後々拾遺を加へて文化二年刊行せしもの、博文館の俳諧文庫中に收めたれど、原本を得ざりしを以て採らず)宗因の句集は此他に寬政十二年浪花一炊庵の序文ある宗因俳諧發句集あれど、句數百餘に過ぎず。宗因の傳記は素外の序文に見ゆれば改めて贅せざるべし。其句はなほ緣語掛詞の滑稽を脫せざれど、貞德派の陳腐幼稚なる駄洒落と異なりて、才氣煥發、輕俊にして詩趣あり、談林の開山たるに恥ぢずといふべし。西鶴句集西鶴は宗因門下の驍將なれども、其句の傳はるもの多からず、諸種の句集短册等より拾集して、漸く七八十句を得たり。而して其句の俊秀なるもの亦少し。附合に新奇を弄する手腕はともかく、發句は其長技にあらざるが如し。句集印刷後發見したるものを次に掲げて遺漏を補ふ。〓言
〓言黃黃昏や藤女首筋黑くとも歌人の人麿詩人の東坡是は名木とて譽めてしまはれし跡を今の世の俳諧師がとかう申すもおろかなり香の風や古人かしこく梅の花星の林明日見るまでの櫻かな蟬聞て夫婦いさかひはつる哉蓮の實を袖に疑ふ霰かな父は花酒の母なり今日の月(句集に母を花に誤りたれば改めて出す)里人は突臼かやす花野かな山茶花を旅人に見する伏見哉丸頭巾ひだのながめや位山冬籠長寢呵らぬ人となり世に住まば聞と師走の砧哉十萬堂來山句集俳諧五子稿(安永四年刊)中の一篇なり。來山は小西氏、別に湛々翁、十萬堂等の號あり、談林派の前川由平に從うて學ぶ。其句詼謔の中に蕭散の氣ありて、談林と蕉風とを融和せし趣あり。享保元年十月三日歿す、年六十三。來山の句集は別に今宮草、續今宮草あり。鬼貫句選不夜菴太祇の編にて二册五卷に分ち、卷の五に其紀行文を收む。鬼貫は伊丹の人、姓は上島、囉々哩、犬居士、佛兄等の別號あり。はじめ宗因の風調を慕ひしが、壯年まことの外に俳諧なしと悟りて、詞藻作意に汲々たるを陋とし、平淡率易なる句風を好む。其弊はや〓もすれば淡泊無味に陷るにあり。來山と鬼貫とは蕉風隆興時代に於て別に一旗幟を樹てし關西の二雄にして、倶に談林よりいでて一隻眼を開きしものなり。元文三年八月二日歿す、享年七十八。大悟物狂、七車等の句集あり、併せ見るべし。芭蕉翁發句集芭蕉の句集は其類多けれど、本書は句數多きに過ぎず少きに失せず、中庸を得たるに近し。五升菴蝶夢の編なり。山口素堂句集これも五子稿中のものなり。四季の末に附したる追加は、新に余が增補に係中庸を山口素堂句集四季の末に附したる追加は、新に余が增補に係緒言三
緒言四る。る。素堂名は信章、甲斐巨摩郡山口の人、江戶に遊び林春齋について經學を受け、又京都に遊歷して北村季吟を師とし俳諧に遊ぶ。芭蕉はもと同門の友たれば、その東下以後日夕往來、唱和を絕たず、天和の頃漢詩直譯風の新調を剏めて、隱然一方の俳宗たりき。享保二年八月十五日七十五歲にて歿せり。其角發句集坎窩久藏の考訂にて、小本二册に五元集の句を四季に分ち收め、詞書の如き往往節約に從へり。詞書の如き往立峰集百萬坊旨原の編にて、後に嵐雪句集と改題せり。四季の末に附したる追加は余の增補なり。其角の魂奇放逸と嵐雪の平弱溫雅と併せ見て、その人物性行を窺ひ知るべし。丈草發句集編者詳ならず、蓋し京都の俳諧書肆井筒屋などの集めしものか。惟然坊句集三河苅谷の士中島秋擧の編にて、文章逸話を附載す。此書文化九年版と、其後の再版と二種あり。再版本は宍戶方鼎の跋文を除き去り、追加の句二十餘を添へたり。而して其中に芭蕉の句二三句を混ぜり、芭蕉の一名風羅坊を惟然の事と思ひ誤りしにや。こここには右の二版を撮合し、再追加として新に增補を加へたり。去來發句集此書の由來は蝶夢の序文に詳しければ言はず、附錄は新に添へしもの。以上はいづれも芭蕉門下の名家、おの〓〓特得の風調ありといへども、之に據りて元祿俳壇の傾向を知るに餘師あるべし。蕪村句集門人几董の編む所にて、原本題簽に前編とあり。蕪村の句はもとより是に悉きたるにあらねど、水落露石氏の蕪村遺稿、秋聲會の句集拾遺など、世に汎ければ重ねて採錄せず。太祇句選俳友嘯山雅因二人の選ぶ所、後編は門人五雲坊必化が編なり。太祇は炭氏、江戶の產にして慶紀逸の門人なり。中年京に上り島原に住み、明和八年八月九日歿す、享年六十三。蕪村が漢語雅言を驅使して古典的景情を描くに反し、太祇は平談俗語を以て眼前の人事を寫すに長ぜり。想ふに紀逸門下にありて、雜俳の趣味に薰染せられしも其一因たるべし。緒言
緒言六樗庵麥水發句集何人の撰なるを知らず、寫本にて傳はれり。麥水は加賀金澤の人、堀氏、名は樗庵、將棊を善くし、藩主前田泰雲公のために五人扶持醫者格を以て、其師範を命ぜらる。幼より俳諧を好み、初め美濃の支考を仰ぎ、中比伊勢の麥林に依り、終に麥水の號あり。其後美濃伊勢の風調卑野にして蕉翁の意に隔ること遠きを悟り、虛栗の調を喜び新虛栗の著あり。几董が「明鴉」の序に、蕪村の言を引きて、「今や不易の正風に眼を開るの時至れるならんかし、既に尾張は五歌仙に冬の日の光を挑まんとす。神風や伊勢の翁ともてはやせし麥林の一格も、今は其地にして信ぜざるの徒多し。加賀州中に天和延寶の調に髣髴たる一派あり、平安浪華のあひだにも、まことの蕉風に志す者少からず」といへる、加賀州中の一派は麥水實に其唱首たり。句集には麥林調のもの多數を占むれども、虛栗調も亦乏しからず。麥水また文才ありて、慶長中外傳、慶安太平記、南島變等の稗史を著せり。天明三年十月十四日歿、享年六十六。(或云六十三)諸書を搜りて獲たるもの百三十餘句を收む。肖像と筆蹟とは、麥水七囘忌の麥水句集拾遺肖像と筆蹟とは、麥水七囘忌の追善集「落葉招」に載する所のものなり。無腸句集無腸は文壇の奇才上田秋成の一號なり、俳諧は少年の頃凡董の父几圭の指導をうけたり。「若い時は人まねして俳諧といふ事を面白くたふとがりしが、歌よみ習ひてのちも時々云て樂む也」とみづからいへる如く、中年以後多く作らざりしにや、傳はるもの極めて少きも、其佳句に富めるは、往くとして可ならざるなき斯翁の才を見るべきなり。文化六年六月二十七日歿、享年七十六。井華集蕪村の高足高井凡董が自選の句集なり。几董は京の人、通稱小八郎、春夜樓、春秋庵、晉明の號あり、蕪村歿後三世夜半亭となり、剃髪して詐善居士と稱す。父の几圭は早野巴人の門人にて、師の蕪村と同門なり。寛政元年十月二十二日歿、享年四十九。春泥發句集召波も亦京の人、蕪村門の俊足たり。姓は黑柳氏、春泥舍と號す、明和八年十二月歿す。句集は其子維駒の編する所なり。蘆陰句選蕪村が我門の錐嚢なりと推稱せし大魯は吉分氏、阿藩の士、公務の餘暇風流の志阿藩の士、公務の餘暇風流の志〓言七
〓言八深く、晩年に及び致仕して京師に住し、後大坂に遷る。初め馬南と稱し、後蘆陰舍と號す、大坂より更に兵庫に轉ずるに及び三遷舍と稱せり。安永七年十一月十三日蕪村に先だつこと五年にて歿す。其句太祇の迂餘曲折を好み、凡董召波の細心鏤刻を事とするに反して、一氣呵成直截明快、恰も白雨巨杉に濺ぐが如し。俳懺梅大江丸自選の句集にて、所々に新古の俳話を交ふ。大江丸は大坂の人、飛脚問屋島屋の主、氏は大伴名は政胤、囘心齋、大江隣の號あり。初め活井舊室に從ひ芥室と呼び、又舊國と稱す。師友頗る汎く、就中蓼太の感化多し。其句市井の氣に富み滑稽を喜ぶ。只その何となく油氣多くさらりとせざるは、鯛屋貞柳の狂歌と一般、大坂趣味のおのづからなる所なるべし。文化二年三月十八日歿、年八十八。一茶發句集一茶は小林氏、通稱彌太郞、俳諧寺、蘇生坊の號あり。信州柏原の產、幼時繼母の虐待に堪へず、家を脫して江戶に出で、素丸、成美等に從て俳諧を學び、巧に俚語を操りて飄逸酒落なる句を創始す。五十二歲〓里に歸り始めて妻を迎へて家を成し、文政十年十一月十九日寒酸なる生涯を終る、年六十五。俳諧玉藻集蕪村の編輯に成る女流句集なり。智月、園女等を除きては、佳句に乏しと雖も、婦人の柔情幽思、おのづから男子の想ひ到らざる所なきに非ず。一本集校訂に方り假名遣を一定し、漢字を充てたる外、すべて原本に從ひ私意を加へず、送假名不足のため兩樣に讀まる〓ものの如きは、皆本のま〓にして讀者の判斷に委せり。一頭註は故事〓據を示すを主とし、詞意の近似せるものを擧げて對照比較に便ぜり。一本集の材料は水落露石氏の藏架中に獲る所多し、附記して謝意を表す。一一一大正三年九月二日校訂者藤井紫影九緒言
西梅翁宗因發句集梅翁發句追加梅翁系傳冬之部秋之部夏之部春之部名家俳句集目錄冬秋夏春鶴目句錄集言三二三三一-三六三一九六二七三一-三〇鬼十萬堂來山句集冬卷之四秋卷之三夏卷之二春卷之一貫冬秋夏春雜句選選〓五一-九六四七四四四三七三七-五〇
惟然坊句集夏春丈草發句集追加追加追加夏之部追加春秋之部冬秋夏冬之部山口素堂句集追加夏追加春雜冬秋下上芭蕉翁發句集春夏卷之五禁足旅記目目錄錄三四〇三三〇三三五-三六四言三三九三三五三三三一七三一五-三三四三一四三〇八三八二九五二四二二一三cooニ元九三七一五七-一七〇三六一四五二三-九九九七-一五六八三蕪卷之上春之部夏之部村玄去來發句集春附錄夏冬秋下上其角發句集夏之部春之部秋雜文逸話追加冬再追加追加春之部峰雜之部冬之部秋之部追加追加冬秋句集集四〇三三九一三八九-四四〇三八六三八三三七七三七三三八九三六五-三八八三六〇三五七三四七三四五三四三二〇二三二七一-三一四二七〇三〇〇isia一九七二三一七一-二七〇101一九云一六三
井蘆樗庵麥水發句集太祇句選後篇秋冬夏春春泥發句選夏之部春之部秋之部冬之部太秋夏春冬卷之下冬之部秋之部冬秋夏春祇秋之部夏之部春之部陰句華目目句錄選集選錄六八〇六七六六七三六七一-六八八六五七六百里六三三六二一六一七-六七〇六〇四天心王九至る三五五九-六一六四九七-五四〇四九二四八八四八四七七四七五-四九六四八八四六、四五五四尺七四四一-四七四四九九四七俳無一麥水句集拾遺冬秋夏春追加冬の部秋の部夏の部春の部下上茶發句集秋夏春俳諧懺悔文冬懺冬之部冬秋夏春腸秋の部冬の部春の部夏の部句悔集五八二一八一一(20)七八五七八三-八三四七五九七三七七一七六九五六九一六八九-七八二六八四要八至五日五五六五五五五五三-五五八五五〇西八八五四五五四三五四一-五五二五三六三三五二三五一四七七
錄六俳諧玉藻集春之部夏之部秋之部冬之部八三五-八六四八七七八四六八五一八七七序當流の始祖梅花翁宗因誹諧のあやある言葉に其香かくれなく、陽春の色を見せしは寛文延寶の頃にや、此翁はじめは西山豐一とて、時の肥後侯の藩中八代の加藤正方に屬し、文雅につけてもおほえめでたかりしに、寛永九年大守さることの有て、はからずも武門を遁れ、身を雲水の行方にまかせ心を花月のながめにとゞむ。ひとたび伏見に寓居せしうち、湖東の縣に遊びやどりをもかさねしほどに、しるよしの君より、かりにいほりすべき地を望めよの命を蒙り、爰にせう梅あり山あり河もあり然りし後又東風に吹誘はれてや、浪速江のあしまめに杖を曳きしが、天滿の靈社に宿綠やありけむ、正保のはじめ鶯のやどに隣れる住所を得て、爰につらね歌の事をあづかる、いよ〓神ごころに叶ひけるにか、南枝に花の詞をひらき、北窓に雪の力を添へて、筑紫潟しらぬ人なく、吾妻路までとりはやす事になむなりにき。さりや武陽にくだりては誹諧の談林をひいよ〓人なく、梅翁宗因發句集
名家俳句集らきて、世俗の眠りを覺させ、花洛に登りては同總本寺を建て、末派の商量をはげましめ、年々益盛なりしに、老後鳴瀧の秋風等風義を亂すに及て犬櫻の唫あり、將楊梅の一句に口を閉ぢて世を連歌に終る。貞享元祿の間に一變せし後の諸書にも、我祖翁の名を擧げ句を載せざるは稀なり。されども俳句は徒活潑にいひ流して自の稿なければ、星か河邊の影さだかに數をとゞめず。予此末をくみ其匂ひをしたへど、幾とし月の春を經しかば、闇夜に探り雪中にもとむるが如く、漸今二百三十餘章を得たり。これ生涯の詠吟萬株の一朶なるべけれども、香ににほふ昔風俗をいたづらにひめ過さむも本意なく、櫻木をかりてあらはし、鳥の跡ながくとどめむと、糸もて縫ふてふ册子となす。猶もれぬるは時を待ち日をまちて、滿花のさかりを備へむとしか願ひ侍る也。くとどめむと、江戶誹談林七世一陽安永十年辛丑春一井素外述梅翁宗因發句集
梅翁宗因發句集たつ年のかしらもかたい翁か(三)きのふこそ峯に寂しき門の(三)書初や行年七十攝州の松部老なばます〓〓がつてんが歲日てん(一)初折は連句の第一(二)「かしらかたき」は頑健の意(三)新古今六、「冬の來て山もあらはに木の葉ふり殘る松さへ峯に寂しき」(四)箱崎、いきの松原、共に筑前の名所(五)伊勢物語、「栗原の姉羽の松の人ならば都のつとにいざと言はましぞ。新春の御慶はふるき言葉哉七十や何ほどの事千世の春朝夕の人も珍らしけふの春爰にありてつくしの綿やきそ始おもしろや頃は初折の花の春(三)のたうまく禮に立出る年始哉おほむつや箱崎いきの松飾(四、立ちやすしこんな事なら百年も歲德や御身輕げに巳午より春を祝して岩城へ申贈るなにい音津國飼の丑のとし古歌に曰くちとせぞ見ゆるかゞみ餅稀なりといふや老土產年の春初春や貴方に向て岩城やま子日撫でひくやあねはのもたる姫小松五ノ梅翁宗因發句集
名家俳句集梅(一)浪速津にさく夜の雨や梅のはな星と申晝をばなにとうめの花梅さくやにほふがうへの萩茶碗いまさかりなると告げこしたるにとへば匂ふ梅や自身の取あはせ江戶誹諧談林にてさればこ〓に談林の木あり梅の花壬生天神の禿倉ある所にて(三)梅のはなとんでおごらぬ小宮哉花櫻はつ花や急ぎいほどに是ははや江戶を以て鑑とす也花に樽武藏野やつよう出て來た花見酒それ花につらゆきもこれや夕嵐花や是春宵一刻ふる手形(三)花むしろ一けんせばやと存いな折りそとしかるに一枝の花の庭(1日)墨染もよしや飾らば花の袖淨瑠璃も語り出しかの花の友かり出すとはや橫に寢た花の宿しれさんしよからき名もよし花の緣(五)花でい御名をばえ申す舞の袖さきの日に見しやそならぬ花ざかりこれもいかに佐夜の中山花の晝(一)「浪速津にさくやこの花冬ごもり今を春べとさくやこの花」(二)飛ぶを富むにかく(三)蘇東坡、「春宵一刻價千金、花有〓香月有(四)「叱るに」「然るに」の兩意(五)知れ產性に山椒を(一)王建華〓宮詩、「酒幔高樓一百家、宮前楊柳寺前花」の句を用ふ河上や宮前の楊柳肥前の花(一)ゆくもかへるも旅すがたなる中にあふ坂のせきたても行く花見哉(三)奥州へたよりに關は名のみ花に名こその御意はなし(三)世の中のうさ八幡ぞ花に風野梅のかたえをわけて梅朝と名のらる〓若年の人東の春に赴き給ふを見送る下畧分けらる〓ものなら片眼花の江戶ひめもす花に暮して彼西上人の歌をおもふながむとて花にもいたし頸の骨(四二金龍寺にて花はちり寺はこんりうじぶん哉(五)讃州興昌寺宗鑑法師之舊跡一夜庵再興勸進花にあかで壁はいつまでも一夜庵追善あととはむ他力本願の花の友花の時は腕に生疵絕えなんだ是は俠者にかはるの作也猶再案あるべきよし後をきかず法華妙滿寺に此花ありける(二)急きに關をかく(三)千載集、「吹く風をなこその關と思へども道もせにちる山櫻かた(四)新古今、西行、「眺むとて花にもいたくなれめればちる別れこそ悲しかりけれ」(五)金龍寺に建立時分梅翁宗因發句集
名家俳句集を見て更に又法のはなふれ普賢像伊勢にて御鎭坐の床めづら也伊勢櫻(1)小町像讃おことこそ風狂亂の姨ざくら當世の風體年々日々ところどころにうつりかはる新しく珍らしく、かなはぬ老の耳にだにおもしろくうらやましながら、初學の人いづれをよしとおもひさだむるかたなくやとおほえて今つくばや鎌倉宗鑑が犬ざくらからし酢にふるは泪かさくら鯛(三)胡蝶世の中や蝶々とまれかくもあれもしなかば蝶々籠の苦をうけむ混雜飛入やかの海底のたま椿(三)池水にみどりを急ぐ柳かな籠に入れば座鋪へあがる雲雀哉うぐひすや眞丸に出る聲の色それ一種で野邊の宿かせ鶯菜(四)小泊瀨や眼鏡も餘所の霞かななのはなや一本咲きし松のもと(一)床に常をかく(二)古今、黑主、「春雨のふるは淚か櫻花ちるを惜まぬ人しなければ」(三)謠曲「海士」の趣を(四)新古今、家隆、「思ふどちそこともしらず行暮れぬ花の宿かせ野邊080引からげ九郞や片荷薪の能涅槃像(一)さるほどに千々に物こそかな佛歌の道になれもさし井出の蛙哉松に藤蛸木にのほるけしきありほと〓ぎす來ぬ夜數かくかしら哉(三)藥鑵屋も心してきけほと〓ぎすやごとなき御方にてはいかいの發句御所望ありけるにほと〓ぎすいかに鬼神も慥にきけ(三)鶴永が卷の奥に(四〓蜀魂ひとつも聲の落句なし人更にげにや六月ほと〓ぎすほと〓ぎす我も七十一度とふ岐會路にてほと〓ぎす名のるや木會の内のもの新樹木草の茂おもひこめて見るべき花の若葉哉(一)古今、「月見れば千千に物こそ悲しけれ我身一つの秋にはあらねど(二)古今、「曉の鴨の羽掻き百羽がき君がこぬ夜は我ぞ數かく」(三)第二第三句謠曲「田村」の文句(四)鶴永は西鶴夏之部杜鵑ともかくも申は古しほと〓ぎす有明の油ぞ殘るほと〓ぎす杜宇そのかみがたの傳もがな子規まつやら淀の水ぐるましのび音もやれたいこ鉦郭公梅翁宗因發句集
名家俳句集(一)十國子は宇津の山の名物、伊勢物語に「宇津の山に到りて我入らんとする道はいと暗う細きに蔦葛は茂りて物心細く」とあり蔦楓腹に茂るや十團子(10しげりゆく草津の姥や餅の情備前の一時軒大阪住庵の初會にあしからじこれこそ茂れ難波の住(二)素玄が獨吟せしにぬきん出た其櫻屋の茂りかな江戶にて舊友に逢てつもしりや朽葉とおもへば夏木立夏日短夜みじか夜や彼五文字に明石潟(三)東國めぐり大坂に歸るとて夏山や或は野に臥しふし見船なつの夜や吾妻ばなしに月は西木曾路夏やまは寢ざめの枕屏風かな螢水邊を付はなれゆくほたるかな螢火も百がものありなめり河螢來いと呼ぶや豊前のこくらがり(四川緩に一夜江尻さだめる火垂哉世の有さま斯ぞありけるふく風に居尻定めぬ螢かな人麿の御影に御筆のさきほの〓〓と窓の螢こい扇團扇(二)惡しからじ、蘆刈(三)彼五文字はぼのと」(四)小暗に小倉(五)火垂は「ほたる」手すさびに旅の跡見むあふぎ哉扇ケ谷左京殿にて谷々や此窓前にもち扇CIあふげ〓〓いづくか王地なら團扇納涼戶ざしせぬ代のタイニ江戶店や戶ざさぬ御代の下納涼津の國のこやかた涼しむかひ舟(三)兵庫にてかさ松や和田はおほきに夕納涼鎌倉にて山の内や兩上杉の下納涼金岡筆捨松すゞしさや折ふし是はと筆捨松田子のうらやら涼し富士は磯うつ波の音粟津ケ原かげすゞし松原さして落日より心太心太や祇園林にむらがらし(三)誹諧のことば傳へける人より所望に一口や御爲に殘すところてん上野にて請水門や民のとゞまるところ天八橋にて五文字やけふは水ゆく心太(五五(一)「いづくか王地ならぬ」の句謠曲「田村」にり(二)小屋形に昆陽をか(三)群鳥と辛子(四)詩經玄鳥之篇、「邦幾千里、惟民所止」(五)五文字は「かきつばた」「かきつ梅翁宗因發句集
名家俳句集〓水寄れくまむ兩馬が間に磯しみづ(一)手拭の雫もあかぬ〓水かな混雜さらし干す夏きにけらし不盡の雪もちにきゆる氷砂糖かふじの雪(三)笋の一寸のぶれば千尋かな(三)堺町肥前が座にて肥前節也今是その頃のの豐竹座何代か玉まくず葉の鶴ケ岡安部市やいざまた人を夏紙子蚊ばしらに大鋸屑誘ふ夕べかななんにもはや楊梅の核むかし口本所東安樂寺のあらたに成りたるに新地にもかくなるものか梅の核口まねや老のうぐひすひとり言うつりゆくやはや紙鳶紙幟五月雨は只むさし野の秋作か江山や沼津の屏風たかむしろ命なり素湯の中山香薷散(四円夕がほはへちまの皮の虛目哉(一)「組まむ」と「汲まむ(二)望と餅、萬葉に「富士のねに降りおける雪は六月の望に消ぬれば其夜ふりけり」(三)諺に「一寸のぶれ(三)諺に「一寸のぶれば尋」(四)新古今、西行、「年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」若竹の末一段やうき世ぶしやあしばらくタベのかね澤釣鰹留別鮓桶やなれぬをもつて後の爲みたらし詣みたらしやきのふは吾妻の十團子人並の輪をもこえけり御祓河(明)の七日きらはで星の出舟哉躍(五)リかけまくもかしこや爰の踊かなをどり子や兩町互にかけむかふ躍子はかならず秋のならしかな秋扇聞書もわするばかりの扇かな西本願寺にて西風や何ぞ自力の扇づれ萩駕籠はあれど只すね萩の花野哉長門萩昌次に對して皆人は萩を秋といふ長門こそ秋之部立秋きのふまで水にたてしが葛の葉のC·) (1)柴嚊がいへり奥は夕昏けさの秋一葉秋や來るのう〓〓それなる一葉舟類船と見ゆるやひと葉ふた葉ぶね七天にあらばひよこの羽根も星の妻(一)夏日葛水を喫すれば也(二)柴嚊は柴を負ふ女(三)長恨歌、「在天願作比翼鳥」(四)女は月に七日の不淨あり(五)畏と彼所梅翁宗因發句集
名家俳句集江戶衆訪らはれしに江戶に於て見し露も露萩もはぎ追善とりあへず玉にもがもな萩茶碗稻賤屋まで秋はいな葉や出來分限和泉國万町といふ山里にやどりていなばもる里や泉州万町樂C.芋いもは〓〓まづ月をうる今宵哉煮てい高野山より出たる芋露しら露や無分別なる置きどころ高野山にて露の世や萬事の分別奥の院(三)悼我も頓てまゐるぞか〓るぞ袖の露一時軒が母身まかりける時いかゞ申さうことのは〓なむ露の袖霧風にのる川霧輕し高瀨舟朝ぎりに海より出る海邊かなあかし潟一夜かぎりか朝霧か高野大德院にて霧に高し八ツ棟づくり八ツの谷(一)千秋万歳樂にかく(二)分別を止むる意の角力勝相撲淀鳥羽迄も見えたりやお角抵よ名のらば是も二所ケ關雁今こむといひしは雁の料理かな池田村にて雁啼て菊屋のあるじのわたりいかC)鹿おもひいる奧ぞ聞ゆるかいろと啼く三歸り出る山や思はむ鹿のこゑ紀州にてうら辻が筆捨松やしかの聲月月千金今宵一りんかけねなしいかな〓〓花も今宵の月一輪友人や古きを以て月も月月弓や佳名は秋の半ならず始終眞丸月に雲もなし此月になこその關や入間やう(三)此うへは何か阿漕がうらの月月ぞいる千賀の鹽竈力なしそれは近江これや此月紀三井寺紀の玉河にて大師の詠水の月かや手がさへられぬ(四)紀州藤代の御坂に御所方此ところ一見の時假家の場所(一)伊勢物語、「雁啼きて菊の花さく秋はあれど春の海邊にすみよしつき、(二)俊成、「世の中よ道こそなけれ思入る山の奧にも鹿ぞなくなる」(三)入間やうは殊更に反對をいふこと(四)風雅集、弘法大師、「忘れても汲みやしつらむ旅人の高野の奧の玉川の水」梅翁宗因發句集
名家俳句集一御所芝と云月の出やすは〓〓半時御所の芝(二)薄いろはにほへの字形なる薄哉登蓮が簑着て笠着て花見かな(三)これますほの花見か菊御定めの外かや菊の增り水酒一升九月九日つかひ菊此句は酒鄺にての當座也とぞ紅葉錦手や伊萬里の山の薄紅葉あらめ橋か〓る所やもみぢ鮒菊もみぢの畫に秋はたゞみな紅とかよれたり自脇書してある人のいはく右の五文字秋の葉をとこそ申したく侍れ秋日秋夜碓屋唄酒屋々々の秋の聲はるかなる唐茶も秋の寢覺哉(三)價あらばイニあらば價何か雄島の秋の景(四、所の秋久安寺とは名付たり七そぢに成りしに紀の山々かけありきて老イニ那智高野中にふらりと年の秋(一)諺に「御所の御成はすは〓〓半時」(二)徒然草の話による(三)千載、大貳三位、「はるかなる唐土までも行くものは秋の寢覺の心なりけり」(四)雄島に惜まむをか若の浦にてされば和歌の事あたらしや浦の秋常陸にて景によりとまるや秋の日高寺西行像讃秋は此法師すがたの夕べかな混雜峰入は宮も草鞋の旅路かな(i)から聲になくは蓼くふ虫いかまうし〓〓六藏が申女郞花秀でたる詞の花はこれや蘭十人が十花に遊ぶ野山哉、兼好像讃ともし火やつれ〓〓草の花つくりやがて見よ棒くらはせむ蕎麥の花すりこ木も紅葉しにけり蕃椒ある茶室にて一茶筅そよや穗に出る蘆簾伊丹村に愛宕火とて七月廿四日夥敷灯籠をともし或は松明にて參詣群をなすに天も醉へりげにや伊丹の大燈籠吳服社八朔や二日の日は又くれはどり穴織社紋がらや或は色鳥あやはどり一(一)新古今、蟬丸、「世の中はとてもかくても同じ事宮も藁屋もはてしなければ」(二)朗詠、「天醉于花、桃李之盛也」梅翁宗因發句集
名家俳句集大阪の繁花につぶりをもうつは隣の碪哉新酒の舟をしぞおもふ明石米松蕈に相生の名あり嵯峨よし野きくに聲の西南よりや秋鰯(一)紀州鈴木舊跡子孫住宅ありすゞき殿釣舟ばかりや殘るらむ九月十三日寶の市詣て住吉の市太夫殿へさらば〓〓やよ時雨紙子と申し足袋といひしぐれの雨あらそひかねの草鞋哉(三)茶室にて客人やさらりとたつた一しぐれ旅行の道にて終日時雨にあびてある山里に行きいたりけるに下略やどれとは御身いかなるひと時雨幸手の宿にて是は扨さつてのやどの靈かな岩城を出ていとま申しかへる山々しぐれ哉霜(一)歐陽永叔秋聲賦、「歐陽子方夜讀書、聞有聲自西南來者」(二)新古今、後鳥羽院、「ふかみどり爭ひかねていかならんまなく時雨のふるの神杉」冬之部時雨一順の四句めぶり也一しぐれ宇治にて里人のわたりいか橋の霜(二茶亭の女つるといへるが名に寄せて葛の葉のおつるがうらみ夜の霜報恩講平等にわたせる橋やお霜月雪おもひつ〓ぬればや壁も雪の色(三)おもへども雪と積りし無音哉雪の松曾根も久しき名所かな笛竹や雪の下折ふくきよのう久しぶりにて朋友に逢うた時笠ぬぐや出あひがしらの雪の友宇治にて春秋と人はいふ也けさの雪萬句雪の題遠國より乞はれしに萬にひとつ屆けやつとぞ雪礫鴨鴨の足は流れもあへぬもみぢ哉(三)かもあつうしてや料理の水いり菜四混雜宇治橋の神や茶の花さくや姫ある茶室にて(一)溫庭筠商山早行、雞聲茅店月、人跡板橋霜(二)古今、小町、「思ひつ〓ぬればや人のみえつらん要と知りせばさめざらましを」壁に要の意あり(三)古今、「山川に風のかけたる柵は流れもあへぬ紅葉なりけり」(四)該に「鴨寒うして水に入り雞寒うして木に登る」梅翁宗因發句集
名家俳句集庭は落葉其外かゆき所なし葉茶壺やありとも知らでゆく嵐(C)しら箸の夜のちぎりやゐの子餅(三)さ〓諷ふ五はい機嫌や伊勢神樂よむとつきじ人丸つらゆき玉霰そばきりのまづ一口やとし忘節季候おどろけや念佛衆生節季候さなきだにあら音高し節季候歲暮一日が大とも大事の師走かな暮れやすしこんな事なら百年も立ちやすしの唫は此翌春なりとぞ來る春や寅卯の間と岩城山(一)新古今、慈鎭、「木の葉ちる宿にかたしく袖の色をありともしらでゆく嵐かな」(二)拾遺、左近、「岩橋のよるの契もたえぬべし明くる佗しき葛城の神佳よし鯛はつりかぬるとも旬松魚曲杖しばし腰へまはして山ざくらきのふけふ他人がましき袷かなうつしきけ鹽に星の物語こはつ雪や尻も結ばぬ糸柳舊目ざましや浴て見上る瀧櫻唇のうすひ峠やほと〓ぎす人間の古きは恥よ種なすび頭巾着て取かへしけり稚がほ左風梅翁系傳當流先亡之發句菴西ことし又梅見て櫻藤もみぢ夜の錦うき世は晝の螢かな見た跡をもろこし人の月夜かも玉篠や不斷しぐる〓もと箱根才き〓酒やまだ見ぬ方の花おもひ柴ふねの漕ぎこそ殘せ夏木立夜寒さぞうら壁つけぬきり〓〓す日のもとの人の多さよ年のくれ鶴(一)該に、「尻も結ばぬ糸室麿簾梅翁宗因發句集
名家俳句集二〇氣の古い人にな見せそ花の山ひとり居に馴れてかしまし閑古鳥稻妻や十津坂本の人家まで(C)しら雪やつく〓〓黑き鐘の聲蒼狼のすむはまことか山ざくらあな暑し障子はづせば隣あり辻堂のともし火は誰秋の昏人ならばうしろ姿や竹の雪點關ながら此ごろ白し葛のうら良螢よし雪にはつらき破れ窓萬冬ごもる宿や不盡さへうしろ向眠醫師さへ見まはぬ日あり花ざかり五酒いれぬ寺の土にもさくら哉棧敷皆角力ごころやくらべ馬月はる〓夜や番船の聲す也河どめはなき世なりけり初時雨(1)丁(一)十津は大津の誤か牛狐璉(二)續後拾遺、定家、「いつはりのなき世なりけり神無月たが誠よりしぐれそめけむ」瑟雨西山家代々攝天滿ニ住シテ連歌相續ナリ昌琢門宗因忘吾齋向榮菴春-昌初學肥後ノ釋將寺豪信法印ヲ師トス現一一〇森林同、宗珍宗察-昌江戶誹諧傳系始メ一幽後ニ西翁又梅花翁又野梅翁世ニ知ル梅花メ一章ヨリ此翁ヲ誹諸談林ノ祖トス天和二年壬戌三月二十八日歿歲七十八葬大阪西寺町西福寺井原松壽軒攝住吉於社頭獨吟二萬三千句興行夫ヨリ一一萬翁ト號元祿六年癸酉八月十日歿歲五十二椎本少文別號舊德始メ谷松笠軒初學ハ西武門ニテ則武ト呼又西丸ト改ム後梅翁ニ因ミ松壽軒ニ從ヒ故アツテ上ノ文字ニカユ元文二年丁巳正月二日歿歳八十二葬大阪西寺町萬福寺豐島有紀堂始メ才尾享保十二年丁未二月六日歿歲四十九葬江戶谷中大雄寺笠家致曲庵始メ半局菴其頃ハ江戶點者諸流一列ナリ此翁ヲ以連名ノ卷軸トス延享四年丁卯五月二十七日歿歲七十三葬江戶淺草田原町報恩寺中高德寺笠家活々坊後活井始メ鰐糞江戶點者派ヲ別ツニ及ンデ宗因派中興ノ筆頭ナリ明和元年甲申十一月二十八日歿歳七十二葬江戶築地覺證寺梅翁西鶴才麿佳逸風志舊室梅翁宗因發句集
名家俳句集1點現左瑟簾歿ス其時同セザレバ年月不詳笠家古道安永八年己亥十一月二十三日歿歳六十六葬江戶上野山下啓運寺左簾笠家幽雲齋始メ桃義小菅柳前齋始メ笠菴舊丈菅神奉納獨哈一日五千句興行五千堂ト號明和三年丙戌十一月六日歿歲五十五葬江戶駒込德性寺歿ス其時ヲ同セザレバ年月不詳1蒼1良現1沾萬眠1五現寶現1素現津狐兩凉丁牛璉馬北東巴菴所緣アリテ萄岡沾凉ガ名ヲ繼老後甲州ノ故園ニ終ル增田匍匐菴明和八年辛卯三月六日歿歲五十三事武州槽壁刷成就院足高梅隣菴安永八年己亥九月二日歿歳七十六葬江戶小石川一音寺馬小菅後五千堂始メ吉成萬歳洞先師ノ例ニ傚テ奉納獨吟一日五千句興行ヨツテ今ノ號トス谷一陽井現山内外花縣別號玉岡又三化鮮橋隣現島妍齋別號君山木丹常富生まれ蒼狐歿後素外ニ屬シテ文臺ヲ開ク此外梅翁之支流雖都鄙多唯當流之擧一系而已山内鮮橋隣常生まれ外縣丹梅翁發句追加百十二章風氣の人をたづねて咳氣けに闇はあやなし梅の花頭をふらぬ柳は行基菩薩哉いざ馬士等はや吾妻見む花盛風便や花ちりいのよし野山かいしきの花も折敷と云つべし智仁勇の勇を題に得てなんの其氣でしたものぞ花見酒(三)物がたりの人も待ちけり伊勢櫻殿風や東西〓〓江戶ざくら明石にていかに見る人麿が眼には櫻鯛(三)信濃路の駒は春もや木曾踊春之部(一)古今、友則、「色も香も同じ昔にさくらめど年ふる人ぞ改まりける庭訓にまかせ畢ぬけふの春相生の陽にむかふや門の春あるはなしある年每のかゞみ餅旅亭けふは門の松こそめでたかり屋敷六十のとしの元日十六の若文字かへすことし哉ある人のもとへ申遣しける色もかほも知るらむ梅のはもじ哉(二) (二)諺まつ「男は氣でした(三)古今集序、「吉野山の櫻は人麿が目には雲かとなむ覺えける」梅翁宗因發句集
名家俳句集富士は雪三里裾野や春の景日ざしさへまはるが遲し瀨田の橋(一)四日市いつかかへらむ旅の春あぶなしやひよ〓〓ら瓢簞春の駒(1)里人を相まつところや獨活蕨(三)歌の作ほりかねの井の蛙かな獨吟千句囀るや爰に數ならぬ村雀やよひの頃旅立とて春がすみつくる東の日記かな内藤家の御かたにかねてせうそこなどして後はじめて罷出し時お便宜やありしにまさる藤の陰(一)醒睡笑に宗長の歌として、「武士のやばせの舟は早くとも急がばまはれ瀨田の長橋」(二)諺に「瓢簞から駒」夏之部伏見西岸寺にて寢道具もかりのやどりや更衣すりはづす枕もうれし郭公いつ聞た耳もつぶれう子規ひさしき人にあひて其後や何事から先ほと〓ぎす江戶高野幽山宅にて名をとげて一江戶勤めよ杜宇松山玖也追悼ことづてよ冥途の道の記郭公(三)所と野老明石にて柿のもとたつて道なる和歌葉哉京惣本寺談林へ申しつかはす末茂れ守武流義總本寺CI黃檗山山の祖こそしげれる苔の下此宿の名に兩說あれば御油か五井かとかく繁るや鷺の森江戶にて言の葉や茂る一もり長者町同藤堂任口の御亭にておことばにか〓る時節や葵草前にありと見れば螢のしりへ哉その頃や蟬の千聲鶴ケ岡(ニ)ゆづりてよ筆捨松に蟬の吟人の所望にかくもあらうかの聲ばかりや宵の空江戶一口屋といふ人のもとにて一もつて百の味ありはつ茄子先づ茄子句づくりは猶有べくいなすびあへや若紫のすりこ鉢梓弓谷中にたつや紙幟日本には我等ごときも田唄かな三吟して(一)荒木田守武の守に森をかく寺(二)諺にの一聲「雀の千聲鶴梅翁宗因發句集
名家俳句集若竹の筒いつまでか花の宴少年への挨拶御合點か世は若竹の一さかり花をやれとかく浮世は車百合C黃檗山にて親なしか唐撫子のちよつこちよこと小西似春興行にまんづ東次に南や夏座敷かみ京のしもにはた〓じ夏座敷江戶にて芝といふもののい夏ざしき夏風呂や〓水寺とはか〓れたり薄うしてあつき事あらじ夏羽織尾州宮のわたりにて舟は七里三里さきにや夏の月鎌倉一見して又東海道に出(一)華奢風流をつくすを花をやるといふる明けやすき夜日三日也小磯宿箱根の茶屋燒豆腐うすくてあつき夕日哉から風も入るやにほんの扇箱(三)右の酒氣さますは左あふぎ哉江戶にて天野氏所望に御望かどち風なりと持扇大井河洪水の時鳥田にやどりて(二)乾燥と唐、日本二本と(一)富貴と富鬭、と振り降り川越が富やふりものひと夜酒石山やこれもしみづの一すゞみ小石涼風や猶ながらへばこいし河江戶七面にて涼風の聲や八乙女七おもて同本所新錢座にてすゞ風や吹出す天下一貫文同所にて高野大德院興行にいと涼しき大とこ也けり法の水ある御方にて時得たりか〓る仰の下すゞみ宇治衆興行御はなしも涼しみや此たつみ風六月十三日京入に祇園會の山路にいるや大津駕籠ある人の興行にことの葉にうつさばなどか玉の汗江戶より登らむとしける時人へいひ遣す合點か秋風近し森の草蒼蠅やみそぎに捨る瓜の皮夏帶や鈴鹿のみそぎせしめ繩秋之部大坂出船の人に追風や一葉萬里いまの梶梅翁宗因發句集
名家俳句集七タ人間の水や井戶かへ星や空愛宕火やおびたゞしきみ作り花ひたち野にさくや照天の姫小萩常陸野や彼蓬生の宮の秋(一)八朔に一作祝義ばかりなり天王寺にて彼岸ざくら秋は月こそ西にあれ月白き鳥はえか〓じ墨田河有明のつきし松島物がたり月は花のまつさかりにや二八月秋よこよひ咲くや此花月一輪月こよひあく七兵衞と名のり鳧勢州山田月讀の森月次會にて月よみやよむとも盡きじ懷紙神雁に傳へむ白河一書二所の關まな箸の中の間くゞれもみぢ鮒三箱の御湯(3)姥鴫もたつやさは〓〓此湯もと松山玖也新宅やがためや新秋樂には松の聲(一)源氏物語蓬生の卷は常陸宮の事を記せり(二)鴫たつ澤にかく冬之部屋根や時雨谷深うして耳遠し故〓へも奢らぬ木の葉衣哉しぶ柿のこのはの後や染紙衣隱者の所望に冬ざきや隱逸傳の翁ぐさC(旅宿にて行く客の跡をうづむや置巨燵我すむ庵は小家なれど膝をゆるりの巨燵哉池田炭や名のる天下の炭がしら冬構へ一にたはらや炭俵勢州朝熊山金剛證寺にて嵩なれやくゆる炭竈夕げしき同所下山の折から雪ふりければ坂くだる菅の小笠や雪こかし同國久居藤堂家にて其己來申しわけけり巓の雪男山の麓に入道したる人を訪て雪をこそと落すや昔男山(三)盃やかさをさすなら玉あられ(三)伊勢の津に一宿してふみかよへ伊勢の津の國友衛月よみのかげや大とも大神樂酒屋にて奥深きその情こそ寒づくり民の家も又あらた也煤はらひ(一)翁草は菊の一名冬C( (二)白髪をこそと剃りおとす意をこめたり(三)狂言「末廣がり」の「かさをさすならば春日やんま」の句を取り梅翁宗因發句集
名家俳句集奧州岩城八幡宮法樂さ〓竹をふる宮人や煤はらひあてなしに打越す年や雪礫三十三年忌千句かぞふれば親指戀しとしの暮新宅春近し千世萬よし竈にあり天明元年辛丑首夏西鶴句集
西鶴句集ことし又梅見て櫻藤もみぢ思ふ事は根から葉から夜見(三)る花ぞめづらしたゞの時も吉野は夢の櫻かなあたら日を松は暮れゆく櫻かな水の江や吉野見にゆく櫻海苔むかし男の眺めすでし片野の花にゆきて紫影編春あら目出たや物に心得たる俳諧師ならねど君が春やまんざいらく萬歲樂蓬萊の麓にかよふ鼠かなつく羽子や擬寶珠を飛ぶ牛若子人近く召させたまひぬ子の日衣不便や櫻とつておさへて板木摺花散て藤さくまでは茶屋淋し(一)此句溫故集には鬼貫とせり(二)此前書一本には、「思ふ事は根から葉から花なき里に枕かる山のけしきうつ〓にも忘れじ」とあり(三)一本「ちるや櫻」となんと世に櫻が咲かず下戶ならばちるや梅こ〓らに茶屋があつたもの(三)花が化けて醜い人もさかりかな花に鐘くれて無常を觀心寺絕えて魚荷とぶや渚の櫻鯛(四) (四)河內渚院にて業平「世の中にたえて櫻のなかりせば」の吟に據る鶴集
名家俳句集どやきけり聞いて里知る八重霞祭る日もひまなき尼の水粉かなCI皺箱や春知り前にあけまいもの毛が三筋足らいでそれが呼子鳥(三)平樽や手なく生る〓花見酒(三)わが戀の松島もさぞ初霞グ3、春遲し山田につゞく黄はやし本丸の古道うづむ馬醉木かな曲水の水のみなかみや鴻の池四神の梅北條九代の接木かな(五)釋迦御一代に八千貫目衆生は皆々子供にとらすべししれぬ世や釋迦の死跡にかねがなる香の風やあるじかしこき梅の花吹貫の嵐も白しいかのぼり(一)河內道明寺祭の句(二)呼子鳥は猿なりとの說に據る(三)梵網經に、酒を人に勸むる者は五百生の間手なき者に生るとあ夏世界はひろし海見ぬ國もあるぞかし雲の峯山見ぬ國の拾ひもの(た)袖をつらねて見し花も絕えて女中着る物を今朝名殘ぞかし長持に春かくれゆく衣更笙吹く人留守とは薰る蓮哉(四)鴻池が酒を江戶へ送りてより富を作りし(五)河內の北條天句なり(六)一本「雲の峯や」と花の山薪にせぬもほと〓ぎす射て見たが何の根もない大矢數(一)戀人の乳守いで來ぬ御田植濁江の足あらひけり都鳥724 (三)元政の軒かこうたる藜かな(三)野鼠にゆかりもちたり鶉の巢竹伐や丹波の占もきく近江四夜の錦浮世は晝の螢かな闇はあやなし川舟の車の昔浪の聲をしるべぞかし五月雨や淀の小橋の水行燈秋(一)住吉の神事に乳守の遊女のいづるをいふ(五)木槿うゑてゆふ柴垣の都かな秋來ても色にはいでず芋の蔓月代のあ。と、や見あぐる高やぐらある皇子の忍び步行や初鳥狩菊酒に薄綿入のほめきかな賣當の一櫃出來ぬ吉野〓紅葉の橋は年にまれなるかけろく互にねがひもの(七)は是一六七日の夜の事ぞかしあふ時は重一うつたり二つ星(二)元政は深草の元政上人をいふ(三)田嵐化して鶉となるといふに依る(四)竹伐は鞍馬の神事(五)反正天皇河內丹比に都して柴籠宮といふ(六)かけろくは賭祿西鶴句集
名家俳句集の所にしばしのやどりをなし神風の住よしの春も久しかれとぞことぶき侍る濱荻や當風こもる女文字をしまれて梢の月や二度びくり鯛は花は見ぬ里もありけふの月9長羽織人の姿もかはる所ぞをかし是を思ふに剃さげ頭世の風俗やけふの月父は花酒の花なりけふの月姥捨や月は浮世にすてられず(三)見たあとを唐土人の月夜かも人間五十年の窮りそれさ對園女辭伊勢小町は見ぬ世の歌人今の世の伊勢の國より園といへる女の俳諧をわけて濱荻のいと遠き浪速の里に志しての我に嬉しく二見箱硯の海にそめて筆のうつりゆく言草を見けるに思ふま〓にぞ動きぬべし光貞の妻萱原の捨など花にしぼみて紅葉かつ散る世に詠の絕えにしに名をいふ月の秋に此女こ(一)其角「鯛は花は江戶に生れて今日の月」大江丸「月は雪はおしなべて櫻ながめけり」(二)此句名所發句集には栖鶴とありへ我には餘りたるにましてや浮世の月見過しにけり末二年世の有樣を見るに蛇のすく蓼くふ虫もあり唐がらし泪枝折ぞ鬼の角梢聲ありて人をおこす目覺して初げしき是沙汰ぞ風の吹くやうに今朝の秋げしきに松梅櫻を切りて火ばちのもてなしそれは是大ぶりや修行者うづむ炭がしら枯野かな要の時の女櫛業平が戀もたづねむ狩使鹽濱や燒かでそのま〓今朝の霜しく〓〓し若子の寢覺の時雨かな玉篠や不斷しぐる〓元箱根牢人や紙子むかしは十文字(三)穴師吹くうみ鬼灯の鳴戶かな(三)吉田の主人つれ〓〓草に書出し世間は其時も今も大晦日定めなき世のさだめ哉(一)俗に人丸の辭世と稱する「石見のや高角山の木の間より浮世の目を見果てつるかな」の歌に握りたるにや、切兄弟に(末二年浮世の月を見過たり」るは暗記の誤なるべし(二)牢人は浪人(三)穴師は西北風冬江戶の樣子皆までおしやるな山は雪33何國ぞ爰は佐野の夕風のは西鶴句集
ことしも又暮れ〓〓の人心浮世にすみける役とし思へばいづれ松吹く風の如し見つくして曆に花もなかりけり竿もたす梅に柳に年のくれ雜カイモク皆目の下戶やはなき里のもの十萬堂來山句集
十萬堂來山句集蓬萊に熨斗の高橋かけまくも十三絃潤年に表して嶺の松調子揃うて今年よりおもたくと雪つけて來い若菜賣(二)三味線も小歌ものらず梅の花梅の花名によびよくて匂ひかな小坊主に腋石さかせて梅の花座論梅一時に散る身で梅の座論かな鶯に問はめや梅の假名遣ひほのかなる鶯聞きつ羅生門蛙々土のけて見む歌の種何の役にた〓でつらる〓蛙哉浪華蘆陰舍大魯閱春元日やされば野川の水の音有樣は命ちゞまる今朝の春(二)舊臘三日の五更夢想あらたなり、幸の事にして鷄の旦(一)有機は實際の意(二)おもたくともの意なり、の一句に祝す蓬萊や升の中から山が出る今宮に幽居せしはじめ花の春命に枝や東うけ十萬堂來山句集
名家俳句集夢遊居調整修玉椿柱も石になりかより古梅園編集跋 文略汲み溜めて玉に聲あり花椿住吉にて若みどり神の濱松ひねたれど今更に土のくろさや朧月是や此日ぐれにつどく朧月行く月や朧は雪にしみこまず悼晋子國家事務霞みけり消えけり富士の片相手吹く音の柳に似たる嵐かな兩方に髭があるなり猫の戀むしつては〓〓捨つ春の草春の野やながきかづらの裾につく春風や堤ごしなる牛の聲住吉にてはる風にしら鷺白し松の中やはらかな水に角琢ぐ田螺かな春雨やもらぬ家にもうどん桶春雨や降るともしらず牛の目に春雨や巨燵の外へ足を出し飯蛸の哀やあれではてるげな精進すなといはれし親の彼岸哉寢姿を佛の恥やけふまでも長柄にて陽炎にむらなしどこが橋所出ずとよいとかげは人を驚かす土筆たけたは誰も手に合はず香をもつて掘りおこさる〓芽獨活哉世の事はいさ耳なしの山ざくら竹田西行寺とし〓〓に名に枝の出る櫻かな(一)木ひとつに花と櫻と咲きにけり西吟追悼今までは所の名なりさくら塚(1)東山にて九重も奈良茶がはやる櫻咲見かへれば寒し日暮の山櫻花ちりてよい古びなり一心寺花咲て死にともないが病かな若隱居見限り切つた花とはむ無二又無三花いけてそこな丸寢や刀鍜冶小座頭や花見ぬまでもよしの山題道成寺花の闇わる銀もつて追がける其角七囘忌花の名よ彫らず刻まずいつまでも鳥啼て鐘は花よりとつとうへ女人形記文略折る事も高根の花や見たばかり(一)西に枝を出すとの意(二)水田西吟攝津櫻塚に廿四十萬堂來山句集
名家俳句集○黑い蝶あれでも花にめづるかなはりまより信濃へ所替して行かる〓仕官のもとへちる花や雪の稽古を馬の上かいま見る山吹ねたむ菜種かな野の花や菜種が果は山の際山のべや風より下を行く燕海士の子の神子町に行く汐千哉桃日桃の花けふより水をさかな哉むらさきの塵編み干して小判かな(一)高砂の鹽竈を見ていづれとも雨の鹽がま雨の藤葛井寺むすび逢や花のかづらき藤井寺愛子をうしなうて春の夢氣の違はぬが恨しい住吉奉納浦の松帆に撫でられて幾春歟(一)紫の塵は蕨の異名木も草も八日めきたる若葉哉きら〓〓と若葉や花のおもわすれ若楓一ふりふつて日が照て短夜を二階へたしに上りけりしろ〓〓と見ればよその天井なりみじか夜や高い寢賃を出した事眠る蝶それともに散る牡丹哉牡丹の記文略ものいはゞ人は消ぬべし白牡丹座所は花の指圖やぼたん講さく中にむらさきばかり杜若田家夏病中の吟疊みながら見やつたばかり更衣袷出せ花さへ芥子のひとへなる時鳥ぬれてかたびら一つなり郭公裸で起きて橋ふたつきつね川にて宗鑑が詫宣かけよほとよぎす床緣は枕にひくしほと〓ぎす血を吐て思ふあたりの時鳥病中吟二句はづかしや醫師待つ身に郭公十萬堂來山句集
名家俳句集(C)「入る」は「入れる」又は「入る〓」二脚、じ古沓やくだいて入る瓜作り(一)ひとり居や蚊屋をきて寢る捨心蚊ふすべの中に聲あり念佛講其物にして其物をそこなふ竹の子を竹になれとて竹の垣端午二句幟出す南はせかず和田恩地(三)快やけふの浴に蚊の迯る早乙女やよごれぬ物は歌ばかり盃の記 文略四日の月夕立つ雲の晴間より涼しさに四橋を四つわたりけり乾氏餞別道々の涼しさ告げよ土用東風立志餞別涼しさや坊主ふたりのみだれ髮納涼舟是ほどの三味線暑し膝の上水踏て草で足ふく夏野哉無音せし人の許へ忘れ草を送るとて、花の科に云ひなしてせめて扨人の氣になむ忘れ草萱草の花とばかりやわすれ草色に香に江戶せぬ武士や花茨由平追悼(二)和田恩地は楠氏の-族有の無のといふ間も何も夏の月東雲や西は月入る夏の海
名家俳句集天地平等人壽長短秋風やことし生れの子にも吹く秋風や男世帶になく千鳥今宮にト居して今宮は蟲どころなり聾なり(1)行水も日まぜになりぬ蟲の聲寢あまつて又見る月や老の勝酒硯去年にもこりずけふの月松の月枝にかけたりはづしたり名月や草とも見えず大根畠熊野から南はどこぞけふの月こよひの月小笹へぬけた人とはむ今宮草庵記文略秋來る秋や住吉浦の足の跡秋たつやはじかみ漬も澄みきつて手なし坊又もや秋のたつが弓今朝よりは我々顏の荻薄星の夜の寢られぬ罪や蚊がはひる胸痛しきりなれば、何を待つ身とをかしながら魂まつり身は養生にこもりけり蕣に置くとは露のつよみ哉朝顏や蟲に喰はる〓花の運每日の花蕣のこりぬかな(一)今宮の蛭子は雙なりとの俗傳あり名月や耳の山風目の曇り家々に月の中言雨の音馬方に請なし扨もけふの月雨風の中に立ちけり女郞花ひたすら萩にめでて、庭にうつし植ゑたるを訪はむとて萩さかば鹿のかばりに寢に行かむ鉢に植ゑてかひなき荻のそよぎ哉夕顏や我葉を敷てころび寢を春日野に釋迦の案山子は笑止也C)唐がらし茄子にあけも奪はれず(三)重陽栗の日や椎も紅葉ものりこえずけふの菊袴きて寢る狐かな香箸に菊の蟲とる緣でこそ詞書路添竹もないに健氣に此菊の十日菊菊はかへて同じ女郎ぞめでたけれ花ならば花野の花にわけがあろ雨戶越す秋のすがたや灯の狂ひ初夜と四つあらそふ秋に成りにけり行方なき雲に組して野分かな若葉の頃跋文略關照るや紅葉にかこむ箱根山(一)釋迦の案山子は大佛をさす(二)紫の朱を奪ふといふ古語あり十萬堂來山句集
名家俳句集神明奉納早稻遲稻皆こちからのしむけ也(一)過ぎし頃三千風が行脚をうらやましくはなむけして、身のほどをいふとて幾秋かなぐさめかねつ母ひとり(一)遲稻は「むくて」嘯けば時雨に香あり菊屋酒初雪ことしも待ちかねて花とよむ雪につほみはない事か(1)雪を汲んで垢とは船の詞かな憶自他酒買ひにあの子傘かせ雪の暮李天集 文略是はとは朝戶〓〓に雪の聲餘の物にいたまぬ松を雪の勝一切衆生悉有佛性盜人の錢おく雪のやどり哉達磨の讃枯木にも着あり木々の歸り花(三)冬(一)雪を六つの花とい稻津氏剃髮賀調整旅櫛笥あけてゑむらむ神無月あさましやまだ十月の曆賣雪までのなじみを竹の時雨哉干網に入日染めつ〓時雨れつ〓宿老に夜番の供や時雨降る六字詰の念佛晝夜怠らず、十二時の鐘聲、遠近の耳をあらふ時雨る〓やしぐれの中の一心寺梅七のもとへ(二)着は執着の意か
名家俳句集何の木と問ふまでもなし歸り花若き妻におくれし人のもと誓文身の事にてはいはぬぞひとり寢や幾度夜着の襟をかむ松吹て橫につら〓の山邊哉手も出さず物荷ひ行く冬野哉埋火やしらぬ命に息かけむ細工繪を親に見せたる火桶かな妓婦に寄す鰤の腹廣し文箱の入れ所年內立春日を八日馴染むほどあり今朝の春氣にむかぬ時もあるらむ節季い僧ひとり師走の野道梅の花大坂も大坂まん中に住てなか〓〓に火燵が明て寒さかな貧家にうた〓寢て古火燵また足はさむ別れ哉我寢たを首上げて見る寒さ哉うちやむに間のなき冬のきぬた哉鉢た〓き顏の雫を呑みにけり二いろに氷らぬ袖のなみだかな眼ばかりは達磨に負けし冬籠醉て井筒屋の高樓に登る楊貴妃や踏皮までぬがすたいこ持(一)「負けし」か「負けじか、定め難しお奉行の名さへ覺えず年暮れぬ角もたぬ石ぞころ〓〓としの波年の瀨や漕がず楫せず行くほどに風雅はおのづから業となれば、問ふにこたへもこそすれとしの急ぎ書きとむなしや只の狀(二)夢にさへ落るやうなる師走かな揉みにもむ歌舞妓の城や大卅日(一)「書きとむなし」は書きたくもなし
鬼名家俳句集貫句選五〇
道にたどり深き翁ありけり、その行くや高きより飛び、卑きより躍りいづ、峻きに立ち、細きを傳ふ、されありき、おもむろにありく、夢の浮橋、足さはらず、蹈むに心よしとなむ。世離れければにや鬼つらと云ふ、むべ鬼なるかな。其聲玉に金に世に聞ゆる句そこばくと雖も、人の心に足らねばや猶求む、予も求めて見聞きに寫しけるが、漸かばかりにこそ侍れ。七車といふ家の集は世に顯れねばよしなしや、あはれそれをも傳へて、普く鬼貫の鬼たる無礙自在を見もし學びもせば、わが芭蕉翁に此翁を東西に左右し、延寶より享保に至るこの道の盛世を照し見て、けふこの道に行く人の心の花の匂ひに足り、心の月の影とゞきて、俳諧の幸ひ大いならむかし。しか思ふものから、自笑が乞にまかせ、これに序して與ふることになれり。明和五年春二月不夜庵太祇鬼貫選
名家俳句集鬼貫句選卷之一試筆人麿の尊像に向ひて旋頭句烏帽子の顏ほの〓〓と何の花ぞも年の花六日八日中に七日の薺かな芽柳の遊ぶ鳥まだ寒げなり風が吹く梅の蕾はしつかりと初春詠鶯が梅の小枝に糞をして山里や井戶のはたなる梅の花梅散てそれよりのちは天王寺宿替に鼻毛もぬきぬ梅の花鶯や梅にとまるはむかしから不夜庵太祇考訂春之部(一)「おほあした」は元日大旦むかし吹きにし松の風(一)ほんのりとほのや元日なりにけり老松町我宿の春は來にけり具足餅中垣や梅にしらける去年の空五器の香や春立つ今日の餅機嫌何おもふ八十八の親持て雪よ〓〓きのふ忘れし年の花鬼
名家俳句集鶯の鳴けば何やらなつかしう軒の鶯窓の鶯薗の鶯枝の鶯谷の鶯鶯は山ほと〓ぎすばかりなり旅行近江にも立つや湖水の春霞春の水ところ〓〓に見ゆる哉打晴れて障子も白し春日影曙や麥の葉末の春の霜しら魚や目まで白魚目は黑魚日南にも尻のすわらぬ猫の妻空道和尙いかなるか是汝が俳眼と問はれしに即答庭前に白く咲たる椿かな水入れて鉢にうけたる椿かな夕霧が塚にて此塚は柳なくてもあはれなり懶きはおぼろ烏の寢覺かなゆかしさのあて〓〓しきや雉子の聲草麥や雲雀があがるあれさがる(1)二月二日京に住どころ求め(一)草麥は靑麥北へ出れば東へ出れば花のなんの誰が家の醬油むすぶ春の草骸骨を乞て郡山をたちいづる名殘にたよりなや笠ぬぐ後の春の雨春の日や庭に雀の砂浴びてひとり舟にて伏見をくだる夜朧々ともし火見るや淀の橋月なくて晝は霞むや昆陽の池(一)玉水にて山吹は咲かで蛙は水の底佛別(三)如月の日和もよしや十五日何迷ふ彼岸の入日人だかり人の親の烏追ひけり雀の子人に迯げ人に馴る〓や雀の子遠里の麥や菜種や朝がすみ雨だれや曉がた.に歸る膓狀見れば江戶も降りけり春の雨里家春日猫の目のまだ晝過ぎぬ春日哉あら靑の柳の糸や水の流樹の中にたゞ靑柳の尾長鳥住吉にて綠たつ岸の姫松めでたさよ月尋が妻にわかれし悼春の夜の枕嗅ぐやら目が腫れた二月末惟然に訪はれてのち餞別(一)昆陽は攝津河邊郡(一)佛別は温槃の日鬼句選
名家俳句集五六いなうとの花の前なりや留められぬ春草の姿持たる裾野かな鳥はまだ口もほどけず初櫻伊丹俗洗賤の女や俗あらひの水の汁0から井戶へ飛びそこなひし蛙かな一鍬や折敷に載せし菫草春風や三保の松原〓見寺四日曉浪の底に我足形のあるやらむ永き日を遊び暮れたり大津馬一の洲へ都の客と馬刀とりに桃の木へ雀吐出す鬼瓦軒うらに去年の蚊うごく桃の花杖ついた人は立ちけり梨の花黃檗山にてありのみの有りとは梨の花香哉三月十日芭蕉翁懷舊、支考萬句興行にかけまはる夢は燒野の風の音(ニ)それは又それは囀る鳥の聲富士は雪は花一時の吉野山心あての花で吉野で餘をば猶恥しの老に氣のつく花見かは何くれと浮世をぬすむ花の陰煩惱あれば衆生あり(一)新酒を作りたる後其濾袋を川にて洗ふを(二)芭蕉「旅に病て要は枯野をかけまはる」骸骨のうへを粧て花見かな摺鉢の花ににぎはふ庵かな花鳥に何奪はれて此うつ〓銕卵懷舊うたてやな櫻を見れば咲きにけり花の頃扇さいたり諸職人兵部大輔光成のもとより、文の中に櫻の花を入れて送られし返し九重の狀より花のこほれけり去年も咲き今年も咲くや櫻の木櫻咲く頃鳥足二本馬四本日和よし牛は野に寢て山櫻谷水や石も歌よむ山ざくら此句長伯老人より誹諧歌傳受(一)の時の吟なる由人申しはべる黑谷にて盛なる花にも絕えぬ念佛かな師弟のむすびせまほしくいはれし人に花の無い木に寄る人ぞたゞならね大心禪師六十賀順ふや音なき花も耳の奥(二)うつろふや陽の花に陰の花又も又花に散られてうつら〓〓定家卿の夢中に抱留め給ひ(一)長伯は有賀長伯(三)六十歳を耳順とい鬼貫句選
名家俳句集しとなむ聞えし觀世音の立たせたまふ御寺に行て花そなら散はや夢も抱くらむC)花散て又しづかなり園城寺多田院花見武士も見ながら散らす花の風咲くからに見るからに花の散るからに散花又一つ花につれゆく命かな鶯よ花は散るとも飛びまはれ野田村に蜆あへけり藤の頃〓孝行目は橫に鼻は竪なり春の花どつちへぞ春も末ぢやに又ねる歟京に住むことありて古郷を離れける春の末、友に向うて申出でける春雨の降るにも思ふ思はれう彌生晦の雨を春雨の今日ばかりとて降りにけり雜淀川に姿おもたや水ぐるま初瀨に旅寢して小夜更けて川音高き枕かな闇の夜も又おもしろや水の星鹽尻は不二のやうなる物ならむ(一)放そなら散ればやの(一)野田は攝津西成郡なる藤の名所(一)池田猪名川に唐船淵といふ所あり、昔呉織穴織の二女來朝着岸せし所なりといふ池田唐船淵(一)昔の海、中頃の淵、今は田夫が疇まくらをなして、夢となる織女の歡樂の跡をおもうて棹の歌は松の聲のみ鍬つよみ藏に居て人には見えず白鼠松風や四十過ぎても騷しい東山院御葬禮を拜み奉りて御車は闇の月夜のなく音哉貫
名家俳句集鬼貫句選卷之二にまかせつかはしにとて、卯月三日かの寺に行て我はまだ浮世をぬがで更衣戀の無い身にも嬉しや更衣花惜むけも夏山の柴車聞かぬやうに人はいふなり時鳥おなじ雲井の時鳥時鳥耳すり拂ふ峠かな雲枕花の氣さむる時鳥津の國の玉川知れず時鳥傘のしるしに此夏は幾たび聞かむ時鳥鳥羽繩手を通りて不夜菴太祇考訂夏之部春みてる夜難波より船に乘りて、明ほの淀のわたりを過ぎけるほど淀舟や夏の今來る山かつら(1)春と夏と手さへ行きかふ更衣-日で花に久しき袷かな知れる者の尼のねがひありて西方寺に籠りけるを、望な鳥鳥(一)山かつらは山の端にか〓れる曉の雲(二)六玉川の一なる攝津の玉川は萬葉集なる三島江の玉江の遺名な-鬼貫句選
名家俳句集空に鳴くや水田の底の時鳥江戶にてあちら向く君も物いへ郭公なまじひに幾夜むかしの時鳥題吳猛(一)蚊をよけて親の〓や時鳥夜の後灯白しほと〓ぎす奈良にて神々と春日茂りてつゞら山非情にも毛深き枇杷の若葉哉三吉野の川上に業平の隱れ給ひし所とてありけるに、人の發句せよと望みければ、かの男のむかし杜若の例にならひて、むばらの花といふ言葉を沓かぶりに置きてむかしとへば卵塔までの葉末哉卯月二十七日西吟へ行て葉なりとも西吟櫻ふところに同じく歸るさにけふの日をさぞ五月雨に思ひ出む橘にておの〓〓發句せし時雨ぞ降る寢てたち花の起きてもぞ旅行の里乘懸や橘にほふ塀の内心ならでまはるもをかし茶引草(〓) (一)吳猛は二十四孝の一人、親のために我身を蚊にくはせたる孝子(一)茶引草はからすむつく〓〓と思ふわれ昔踏みつぶしたる蝸牛哉我が身の細うなりたや牡丹畑後に飽く蚊にも慰む端居かな猫信が妻におくれし悼夜もさぞな明けやすいとは僞と海音快氣のよろこびに發句(1)を乞れて遣りはなつ心車に飛ぶ螢卯月廿七日道聞といふ醫師の新宅にてほ句望まれしを此軒にあやめ葺くらむ來月は端午葦原や豐の粽の國津風(三)戀知らぬ女の粽不形なり人の旅宿にて壁一重雨を隔てつ花あやめ螢見や松に蚊帳つる昆陽の池藪垣や卒都婆の間を飛ぶ螢野の末やかりぎ畑を出づる月さつき雨たぶ降るものと覺えけり五月雨にさながら渡る二王哉五月雨や鮓のおもしも蛞蝓西吟興行侘びぬれど毛虫は落ちぬ庵哉竹の子や雪隱にまで嵯峨の坊(一)海音は淨瑠璃作者紀海音なるべし(二)不形はぶさま鬼貫句選
名家俳句集やれ壺に澤潟細く咲きにけり鵜飼鵜とともに心は水を潜りゆく根は草の水に花置く池の上大坂へ行きて東行興行に草の花の水にまかせて根を控へシタ暮は鮎の腹見る川瀨かな宮川町に遊びて飛ぶ鮎の底に雲行く流かな蜘の巢はあつきものなり夏木立鶯の聲なかりせば目白かなといへるを、今ならば鶯や音を入れて只靑い鳥休斗新宅夏菊に露をうつたる家居哉探題蟬鳴く蟬の其木にもまた居つかぬ歟鳴せはし烏とりたる蟬の聲(三行く水や竹に蟬鳴く相國寺己夫に烏帽子きせて夏草の根も葉もどちへどうなりと京より伊丹へ行く水無月や風に吹かれに古里へさは〓〓と蓮うごかす池の龜小町の繪のか〓りたる家にて(一)川瀨に背をかけて腹に對せり(一)「なくせはし」と讀涼風やあちら向きたる亂れ髪夏の日の浮んで水の底にさへ松雨興行撫子よ河原に足のやけるまで田家六月や臼を干さうぞ搗臼を知牛老母死を悼水無月の汗を離る〓佛かな雲の峰なんほ嵐の崩しても夕立の又やいづくに下駄はかむ夕立や隣在所は風吹いて夏草に身をほめかれて旅の空タ涼なんと今日の暑さはと石の塵を吹く旅行夏の日を事とも瀨田の水の色獅子谷涼風や虛空にみちて松の聲旅行あの山もけふの暑さの行方かな糺の涼日盛を花とみたらし明日も來む(一)夏の星の顏なつかしも暮れか〓る水無月の頃舍羅が剃髪しけるを國々を秋になつたら見にまはれ(一)見たらしを御手洗川にいひかく鬼貫句選
名家俳句集六六知らぬ人と謠問答すゞみかな冬は又夏がましぢやと言ひにけり雜しよろ〓〓と常は流る〓大井川須磨にこの吾妻からげや汐衣()山崎にて木神せよ油しめ木の音ばかり(三) (一)衣の裾をはしをり(二)木神はこだま(反響)鬼貫句選卷之三哀れげもまたほめく夜の秋の風朝も秋ゆふべも秋の暑さかな桐の葉は落ちても下に廣がれり下り舟にて稻妻や淀の與三右が水車人の親の來るとばかりや魂祭心にて顏に向ふや魂祭こほる〓につけてわりなし萩の露庭の萩內藏に月もかたぶく萩の露高井立志錢別人むかうて笑ふ、別れて思ふ、行くも百三十里、とど不夜菴太祇考訂秋之部初秋なんで秋の來たとも見えず心からそよりともせいで秋立つ事かいのひら〓〓と木の葉動きて秋ぞ立つ心略起きて秋立つ風のおと二此露を待て寢たぞや起きたぞや初秋雨初秋のどれが露やら雨の露(一)「こ〓ろほゞ」と讀むべし鬼貫句選
名家俳句集まるも百三十里そちへ吹かばこちらへ吹は秋の風家は汐津橋といふ橋のほとりなり、前には軒の松風流水にひたしてなほひや〓かに、後には野徑の蟲時しも野分に吹送りて、おのれ〓〓が聲かすかなり、今は闇なれば、やがて月のためにはと樂しく覺えて闇がりの松の木さへも秋の風むかふは堂嶋の新地家建並び、舟きほふ堀江の川嵐に西海の浪を忘れ、入日を惜む歸帆半は屋上に見越して、姿知らぬ旅人のわかれを思ふだに、此夕は更にも悲し須磨の秋の風のしみたる帆莚か野徑に遊ぶ秋風の吹きわたりけり人の顏寢物語の里を通りてぶむ足や美濃に近江に草の露宵はいつも秋に勝つ氣を蟲の聲行水の捨所なき蟲のこゑ野はなれや風に吹來る蟲の聲獨聞蟲人呼びにやるも夜更けつ蟲の聲(一)「なき」は「なし」の誤か右には武庫淡路のつゞき遠く聳えて、左は伊駒葛城の峰はるかに高し、來れる人も無ければ、物埋む雲もなく、打晴れて致景盡く的歷なりわせるなら霧のない間に誰も哉有岡のむかしを哀れに覺え(一)て古城や茨くろなるきり〓〓すおもしろさ急には見えぬ薄かな露の玉いくつ持たる薄ぞや茫々と取亂したる薄かな吹くからに薄の露のこぼる〓よ此薄窓より吹くや秋の風ゆがんだよ雨の後の女郞花今は昔の秋もなくて伏見には町屋のうらに鳴く鶉伊丹愛宕火(二)愛宕火に稻妻ひかるどひやうし哉芭蕉にも思はせぶりのうこん哉思ひ餘り戀ふる名を打つ碪かな朝寒のけふの日南や鳥の聲來山が老母の死を聞て送る句思ひやる只の秋さへ暮されぬく、(一)有岡は伊丹町の東にある荒丘、伊丹氏の城壘にして織田氏のために減さる(二)七月二十四日攝津池田の愛宕山なる愛宕權現の祭禮に種々の灯籠提灯など點ずるを愛宕火といふ鬼貫句選
名家俳句集七〇老母の身まかりける夜今日の秋にいつ逢ふ事ぞ親にまで富士の形は畫けるにいさよかかはる事なし、されども腰を帶たる雲の、今見しにはや變り、其景色も又々同じからずして、新なる富士を見ること暫時に幾ばくぞや、足高山はおのれ獨り立ちなば並びなからむ、外山の國に名あるはあれど、古今景色の變らぬこそあれによつぽりと秋の空なる富士の山夕暮に又馬は行けど今朝の富士見る秋路哉(一)うら聲と云ふにもあらで雁の聲雁がねの跡に飛行くむら烏昔から穴もあかずよ秋の空(三)來山が妻の追悼荻の葉そよぐゆふべ、さ夜更くる砧、ねやにさし入る月影、つれて渡る雁がね、人の妻の摺鉢の音うつ〓なの夜とは秋とは今ぞ嘸蹈ては花をやぶり、蹈まずしては行く道なし(一)うら聲は浦聲なり貞室の句にも「浦聲もよしや難波の郭公」と(二)「穴のあく程見る」といふ俗諺による(一)二三句は俗諸の文句なり野の花や月夜うらめし闇ならよかろCI老母をいざなひて風もなき秋の彼岸の綿帽子旅泊衣打つ京へは遠き寢覺かな犬つれて稻見に出れば露の玉家せばくて多からぬ道具さへ置所なく、そこ〓〓に棚などつらせて、晝の頃までは陋し、やう〓〓埃掃き捨て〓安座す吹く風や稻の香にほふ具足櫃待宵あす盈ちて翌缺ける月の今日こそな秋は物の月夜烏はいつも鳴く名月十九句月よ今日よ去年の命に花ぞ咲く珍しと我影さへや窓の月月をとて漸〓雲のちぎれ〓〓野も山も晝かとぞ首のだるくこそ木も草も世界皆花月の花連歌見るほどはいはれぬ月の今宵哉病後しみ〓〓と立て見にけり今日の月夜半の雨後鬼貫句選
名家俳句集七二名月や雨戶をあけてとんで出る更けゆくや花は紙にも押すものを此秋は膝に子の無い月見かな愚痴〓〓と獨に更る月見かは明けなばの俤こ〓ら窓の月月は此今宵に明けて何一つ父の身まかりける忌中の名月虫と鳴く月も更けたり忌の中名月くもりければ春ならば朧月とも眺めうに良夜大雨しよぼ〓〓に降るなら月を〓〓とも十五夜雨降りければ何の木と見えて雨降る今宵かなどこ更る空のあてども雨の月燈火やおのれがほなる雨の月歌人は居ながら入唐す秋の月人の國まで光りけり富士の山にちひさうもなき月し哉(一見ぬけれど月の爲には外の濱中秋十七日女の身まかりけ(一)「月し」は「月み」の誤なるべしゆく水にうき世の月もきのふ哉述懷銀もてばとかく賢し須磨の月月代やむかしの近き須磨の浦樅の木のずんと立たる月夜哉遊女の繪に讃す殿方を思うてゐるぞ閨の月袖が浦といふ盃にうつ〓なやうつ〓なの月の袖に〓〓後名月名月やわづかの闇を山の端に後の月手まめなといふこときより東山の峯を招きて、實に非情さへと見ゆ、猶頃さりて十五夜の雨も今宵の空に晴れて月明々たりあとの月雨の降る時けふの月十五夜も雨なりける、十三夜も降りければ又の月もあふのいてこそ甲斐はあれ貞享四の秋長月十七日の夜更行くま〓に庭の景色人は知らず今の心是こそ秋の秋の月同じ夜寢られぬほどにこ〓豆を食うて豆の花とも眺めばや後名月けふは梢の松風も暮れぬさ鬼
名家俳句集かしこをめぐりていとど鳴く猫の竈に眠るかな破芭蕉やぶれぬ時も芭蕉かな宗因墓宗因は春死なれしが秋の塚久方や朝の夜から空の菊重陽菊の香の一つを殘す匂ひかな翁屋阿貢月次初會(一)よも盡きじ草の翁を露拂旅泊病長き夜を疝氣ひねりて旅寢哉落穗拾ひ鶉の糞は捨てにけり古寺や栗をいけたる椽の下白くい紅紅の外は奈良の町文臺記みむろ山の嵐は立田川の錦におち、別所山の紅葉は今江原氏鷄賀の家に流れ寄りて、世に其名を照す、寸法は高サ三寸壹步竪壹尺八步横壹尺九寸裏には別所山滿願寺尊悟寺住之三寸壹步壹尺八步壹尺九寸(一)草の翁は菊をいふ時興昌寄進之と朱を以て並べたり、蒔繪は昔の秋底に匂ひて、夕に月を思ひ、朝に奥山の聲を慕ふ、實に月日とこしなへに流れて散らぬ影さへ眼に沈み、やをらこしかたを思ふに、幾ばくの人の心の種となりけむぞと、知らぬ言の葉の數さへすゞろに戀しくこそ侍れ、今年寶永ひのとの亥の秋、菊の花結ぶ窓のもとに筆を置きぬむかし色の底に見えつ〓花紅葉寄謠無常目をさませ後知らぬ世の紅葉狩あ〓蓄麥ひとり茅屋の雨を白にして草の葉の岩にとりあふ老母草哉cit木にも似ず扨も小さき榎の實哉さる程に打開きたる刈田かな賀言の葉の落穗拾ふもたのみかな九月盡昔やら今やらうつ〓秋の暮雜來いといふ時には來いでおういおい(一)老母草は萬年靑鬼貫句選
名家俳句集戀君もさぞ空をどこらを此ゆふべ契不逢戀油さし油さしつ〓寢ぬ夜かな鬼貫句選卷之四何と菊のかなぐられうぞ枯れてだに物すごやあらおもしろや歸り花世の中を捨てよ〓〓と捨てさせてあとから拾ふ坊主どもかな古寺に皮むく棕櫚の寒げなり在〓種なすび軒に見えつるタかな麥蒔や妹が湯を待つ頰かぶり葉は散てふくら雀が木の枝に宇治にて冬枯や平等院の庭の面枯蘆や難波入江のさよら浪久しく交りける友の身まか不夜菴太祇考訂冬之部あた〓かに冬の日南の寒きかな夕陽やさすがに寒し小六月大坂へ着てつめたいにつけてもゆかし京の山福島住居の年冬もまた松の木持てむかひけりつく〓〓と物の始まる火燵哉さ〓栗の柴に刈らる〓小春哉部(一)小六月は小春に同じく十月をいふ鬼選
名家俳句集七八りけると聞え侍りければ、いとゞさへ旅の寢覺は物うきを木がらしの音も似ぬ夜の思かなひう〓〓と風は空行く冬牡丹茶の花や春によう似た朝日山(0-皆人の匂ひはいはじ枇杷の花川越えて赤き足ゆく枯柳靑空や鷹の羽せ〓る峰の松白拍子の尼になりて久しく住みける庵に立寄りて引替へて白い毛になる石蕗の花(三)荒るものと知ればたふとし神送時雨れても雫短し天王寺おとなしき時雨を聞くや高野山野も枯れ落葉さへなき頃、關をくゞりて不夜城に入れ(三)ば、花ありて姿寒からず、歌は節なうて匂ひあり、聲はこけるといふたぐひならで玉あり、折ふしの雨昔をそほちて更にわれを責む糸に只聲のこぼる〓時雨かな寢られぬやにが〓〓しくも鳴く千鳥千鳥鳴く須磨の明石の舟にゆられ汐汲や千鳥のこして歸る海士(一)朝日山は字治にあ(三)十月朔日全國の神祭神出雲に旅立つを送る(三)關は闇の誤か空々寂々我また是何者ぞ、夢又夢、それが中に親みにひかれて昨日今日をは思は(二)是又ざりしをとおもふも、何事ぞやいつも見るものとは違ふ冬の月宵月の雲にかれゆく寒さかな旅泊膝がしらつめたい木曾の寢覺かな夜話灯火の言葉を咲かす寒さかな待宵の頭巾や耳をあけてゐる紙子着て見ぬ唐土の時鳥家鴨かと思ふ人なし沖の鴨筑後三毛領にて遠干潟沖はしら浪鴨の聲水鳥のおもたく見えて浮きにけりおもふに花の頃より其かたち凋み、時鳥の聲聞く夜每も懶き閨さぞなにやありけむっ散りか〓る紅葉の頃故郷を都に別れて、立返る秋を知らぬ身の哀れさよ、はや時移り、一生爰に盡きて、月も日も十に滿つる夜嵐に鐵卵去て來らず、是何者ぞ、(一)「昨日今日をは」は」とは」の誤なるべし鬼貫句選
名家俳句集餞別盤谷はかたちまで才覺あり漸のびて冬の行方やよいつぶり그(一)山家契っはづかしや榾にふすほる煙草頰初雪に友を招きに遣しける我宿の雪のはしり穂見にござれ白妙のどこが空やら雪の空雪路かな薪に狸折添へてCE十二月二日初雪此雪が降らう〓〓と師走まで富士の雪我津の國のものなるが寒苦雪の降る夜握ればあつき炭團哉雪で富士歟富士にて雪か富士の雪知れる人の中むつまじう、今は關守もなくて樂める宿に行て雪に笑ひ雨にも笑ふむかし哉をさなき子におくれし人の許へ悼みて申遣しけるちらとのみ雪は浮世の花いな飯後の雪を河豚くうて其後雪の降りにけりふくと程河豚のやうなるものはなし(三)水よりも氷の月はうるみけり(一)つぶりは頭(二)「折添」は「打添」の誤にや(三)「ふくと」も「ふぐ」も同物なりウ井のもとの草葉に重き氷柱哉何ゆゑに長みじかある氷柱ぞや朝日影さすや氷柱の水車寢て冷えて空也きことて覺めはせぬ(一一殊勝なり牛の糞ふむ鉢た〓きわれが手で我顏撫づる鉢叩鉢叩古うもならず空也より節季候や臼こかし來て間が拔ける世の花や餅の盛りの人の聲歲暮惜めども寢たら起きたら春であろ月花を見かへすや年の峠より花雪やそれを盡してそれを待つ鏡を磨がう春待つ老の若盛り灯の花に春待つ庵かな欄や髮の扇に年行く日惜まじな翌日の莟となる年を君を月を待つ夜過こし春待つ夜CI)그寢よぞ寢よ夢の行方の年を又流れての底さへ匂ふ年の夜ぞ雜獨居の僧の庵に行て燃る火に灰うちきせて念佛かな人間に智惠ほどわるい物はなし(一)空也は空也念佛(一一)「過こし」は「過ぎこし」と讀むべきにや鬼貫句選
名家俳句集鬼貫句選卷之五脫けて行かば、我願も足り不孝にもあらずと思立ちぬ。廿日の夕暮大坂に出て、伏見への舟かりて乘る。我が身に秋風寒し親ふたりほのぐらき頃難波の地を離れて行く、草葉の露は左右同じく置けど、船曳く男等の岸傳ひにかた〓〓は虫のね絕えて、是も物の哀なるべし、江口の里はまだ宵闇の覺束なく、川風は今も旅人の枕に馴れて、昔の秋を慕ひ顏なるも又哀に覺ゆ。幽靈の出どころはあり薄原なほ過るに月は佐田の空に出て、森のと不夜菴太祇考訂禁足旅記北窓の月は遠山の曉にそむき、南面の秋日は軒をめぐること早し、われ心あらばめでたき閑居なるめれど、賤しければ樂みの思短く、欝寥たる秋のなか〓〓吾妻のかたに旅したけれど、用なきに身を遠く遊ぶこと、暫く老親の爲におもければ、こしかた見盡したる所々、居ながら再廻のまなこを及ぼし、日々心ばかりを鬼
名家俳句集八四もしび影うすくいと神々し、夜は牧方葛葉の里に更くれど、川浪枕の下をた〓きて夢も結ばす心澄みて、ひや〓〓と月も白しや秋の風曙近き頃淀のわたりを行く、むら霧川づらに立昇れど、水車の姿とは見ゆるほどなり。霧の中に何やら見ゆる水車廿一日伏見に着く、朝ぼらけ打眺め行くに、町は所々家の隣畠になりてさびし。伏見人唐黍からをたばねけりそれより深草に行く。少將屋敷草露道なうして風は昔の匂ひもなく、今は野人の車のみ徃來す牛御亭車に落す草 の露元政舊庵この沙門日蓮宗なれど、常の佛の數も並べず、只釋迦のみたふとく見え給ふを箔の無い釋迦に深しや秋の色里離れて出家ひとりつれ立つ、行く〓〓法の事など殊勝に聞えて逢坂に至る、昔行基の鯖つけたる馬に逢ひて詠みたまひける歌など物語しければ、かの法師行基に一問ありとて發句す。露鹽鯖といづれか動く紅葉鮒別れて關の明神にまゐる。琵琶の音は月の鼠のかぶりけり案内する子を雇ひて、三井寺より高觀音にのほる、處々の事念比に、夜は湖水の月など舌さへまはらず言ひしも、實に馴るればおとなしきものをと愛らしくて、大津の子お月樣とは言はぬ哉松本を過ぎてもろこ川に到る、人の家のうしろに柿の木ありて、義仲塚柿茸や木曾が精進がうしにて(1)又膳所を行き離れて秋の田の面の物哀なる中に、兼平塚兼平が塚渺々と刈田かなこの所より道を右に登りて、石山のいしの形もや秋の月もどりに芭蕉が庵に尋ねて、我に食はせ椎の木もあり夏木立(1)長はしを渡りて、:瀨田の秋橫頰寒し鏡やま廿二日草津を出て、宿の別れに發句す、思ふに付所品々ありて句の姿は變るやうなれど、皆同じうつはものの中をめぐりて心新しきは無し、世の常の俗言をも(一)「がうし」は合子(がふし)か(二)芭蕉「まづ賴む椎の木もあり夏木立」鬼貫句選
名家俳句集八六つて作れば全く誹諧にして、而も其古きを免るべしと、我姑く爰に遊ぶ、此地にも安心せば又例の病起らむ、只誹諧を乘物にして常をわたる人あらば、行かず止らずして誹諧もなく病もなき大安樂界に到らむ。樂々と姥が屋根ふくや今年藁此發句にて伊丹風獨吟歌仙あり石邊水口は此獨吟に紛れて發句も無く、今日は土山に假寢す。廿三日朝日より先に出て、吹かば吹け櫛を買うたに秋の風白川橋といふを渡りて、爰にもと思へど趣向も無くて、蟹が坂になる、それが爲にとていさ〓かの石塔あり、ほとりの松風は苔に聞ゆるばかり侘し。つま白の石の哀れや秋の霜近江の國を別れて鈴鹿の峠に着く、常はこの所より湖水を見れど、今日は霧深うしてあやなし。狂歌鬼貫が鈴鹿の山にきたればや霧にくもりて見えぬ湖汗かいて坂をくだる、又田村堂にのほりて瓦の奉加つく。六文が月をもらすな田村堂道すがら見るに野山の色は新玉の空よりうつりかはるならひ、げに世の中の事はそれのみならずと思ひ〓〓て、鈴鹿川を渡る。一とせの鮎もさびけり鈴鹿川瓠界來りぬ、いざとて行く、彼も我も骸は津の國に置きて、心は今關の宿のほとりに遊ぶ、野は草の茫々として枯れか〓りたる中を見れば、歌仙瓠界發句あり誹諧略之四日市といふ所にとゞまりて、今日石藥師にていひたる句書きつく。國富むや藥師の前の綿初尾廿四日桑名に出づ、風烈しくて船こはさに宿とる、座敷は海を受けたる所なり、磯より小さき釣舟の行方覺束なく見遣りて、蛤など燒かせて心暢びけり。風の間に鱸の膾させにけり午のさがりに風直りて舟だす、打晴れてそこ〓〓おもしろかりしものを、申のかしらより雨になりて憂い目す、漸日のをはる頃熱田にあがりて今宵の宿かる。熱田にて鱸の膾吐きにけり廿五日鳴海の宿を過ぎて、行くさき尾張三河のさかひ橋あり、尾張のかた半は板をわたし、三河の地はつち橋なり。發句合鬼貫句選
名家俳句集八八尾張板かけて更に見するや草の此繼橋尾張のかたよりも土を渡さば、かくまで眺あるまじ、板より土に行きうつりて、草は橋にさへうら枯れぬと、秋の哀を見せなむ心尤深し。三河板わたる人に見するや草の此句三河の人は尾張のかたに板渡せるを見て、橋を土になしたりといへり、意味左右同じきか、されども草は三河の地にうら枯れて、哀は此國の勝たるべし。池鯉鮒を過ぎて矢矧に着く、藪生たる所、かの長者の跡などいひて田の中に見雇ひたる馬士の、是によそへて望むほどに、耳近き世の一ふしを取りて、淨瑠璃よ刈田の番は夜ばかり我心の留主見舞すとて燈外見ゆ、幸ひに此人とらへて行く〓〓兩吟して赤坂に宿取る、亥のさがりまで語りて、また例の獨寢す。歌仙燈外發句あり誹諧略之廿六日程なくて御油の宿にか〓る、猶行露露く道の左右に大きなる松生えつゞき梢一つになりて、日の影さへもらぬほどなり旅の日はどこらにやある秋の空よし田の町にて鶉聞きて、鶉啼く吉田通れば二階から(1)ひうち坂といふ所に休みて、霧雨に屋根よりおろす茶の木哉ふた川を過ぎ行く、爰にも三河遠江の境に川橋あり、それを渡りて、我裾は三河の露とまじりけり白須賀越えて荒井に着く、濱名の橋の跡なつかしくて、ことしにて濱名の橋は幾秋ぞまた夜の心になりてあの月やむかし濱名の橋の月舟より前坂にあがりて、今宵は濱松に明す。二十七日天龍をわたる。御上洛の御時は此川舟橋になりぬと船頭の物語す、實に宗府が事を聞傳へて懷(二)しくなりたり。わが祖父も舟橋拜む秋の水池田の宿に遊也が石塔あり、老母のはかなくやならむと慕ひし女も、かく哀に見ゆるよと世を觀じて、(一)俗謠「吉田通れば二階から招くしかも鹿子の振袖で」(二)宗府は將軍家鬼貫句選
名家俳句集九〇秋の夢老母も遊也も我もまた袋井を出て行く道の田のほとりに鵙おとす人あり、されば伊丹の馬櫻が狂句に田の中に棒の一本立たるば鵙をおとすか千の字かかくをかしき事をおもひ出て、我も其類にあつまる。田の中に雪隱一つ立たるは箕を伏せたるか鹽釜か此興に掛川を越えて、けふの宿りは日坂に定めぬ。廿八日佐夜中山、松杉のすげなう立たる中に、朝日影力無くさし入りて猶心ほそしけふともに秋三日あり佐夜の山菊川承久三年の秋中御門中納言家行と聞えし人罪ありT、東へ下られけるに、此宿にとまりけるが、昔は南陽縣の菊下流を汲て齢を延ぶ、今は東海道の菊川の西の岸に宿して命を失ふと、ある家の障子に書かれたりけると、聞置きたれば哀にて、其家を尋ぬるに、火の爲に燒けてかの言の葉も殘らぬと、長明が書きたることなど思ひいでて、我も家の障子に家行は承久三年の秋述懷を書、我は元祿三年の秋其亡魂を弔ふ本來の障子は燒けじ秋の風大井川雨遠く水無うして越ゆるに易し瘦臑に漸寒し大井川また素龍に訪はれて毬子のやどの初夜までに、半歌仙素龍發句あり誹諧略之廿九日阿邊用を行く時、東路の夜露こうたる紙子哉道々我心二つに分れて、半心は此句冬なり、總じて露月などの類、季の限りある物に結びては、いづれも其季に引かる〓ならひ、しかれば夜露こふ紙子全く秋ならずといふ、又半心の曰く、悲いかな汝色を見て未だ其色に奪はる〓こと、尤も物につれては四季の間をわたる露月なれば、句躰打聞えたる所秋なし、されば一とせの長月ははや今日明日の限知られて此宿を過るに、吾妻の秋の形見は夜鬼貫句選
名家俳句集九二露しみたる紙子にこそ殘れりと、深くも秋を慕ひて也、又此露冬にして聞所いささか意味なし、句は是心より作れる姿、爰に於て汝心をとるや、姿を取るやといへば、實に至極の秋なりしものをと、心また一つになりて府中にか〓る、爰は竹にて物作る家あまたなり。虫籠を買うて裾野に向ひけり江尻を過ぎて〓見寺に登る。庭上秋深うして佛閣靜に高し、海原見やる處に望めば、心暢び又心弱くなれり秋の日や浪に浮たる三穂の邊興津の浦の海士の蚫取るなど、都にはなきをと見る、猶あら波の磯傳ひに道すなほならで、實に所の名もと思ふに、又古〓なつかしくて、雜故郷や猶心ほそ親知らず由井蒲原を越えて富士川に着く、色さへ餘所の水にかはりて、船の去ること甚だ早し。不二川や目くるほしさに秋の空吉原に臥して晦日の朝、秋の日や富士の手變の朝朗(一)浮嶋が原を久しく通りて、(一)手變は「てへん」にて頂上の意浮嶋や露に香うつす馬の腹三島の社を拜み奉るに、皆幾抱あらむと思ふばかりの松杉間なく立籠りて、さびわたる神風に梢の雫落つるも遠し、眞砂はその白玉に沾ひ、御池は水の面靑み立て底おぼつかなくすごし。雜ちはやふる苔の生えたる神組(一)のぼり〓〓て箱根の峠に到る、けふ三嶋の空に戴きたる雲ははるかなれど、今宵は又そのうへに枕す。十月朔日宿を出て行く、俗に此山にて死人に逢うたる例多しといひならはすほどに、雜水海や我影にあふ箱根山磯ばたに賽の河原あり、念佛する法師の家所々に聞え、徃來の人の小石あまた積み重ねたるを見るにも、子を慕ふ數知られて物あはれなり。お地藏のもすそに啼くや磯衞權現にまゐりて、神の留主留主と思へば神の留主かしの木は皆人馬にも乘らず、其外岩根道幾まがりも曲りて、なか〓〓鈴鹿の坂は此汗にも似ず、漸く小田原にくだる。(一)組はうなぎ鬼選
名家俳句集之道けふは隙にして來りぬといひけるヽ歌仙之道發句を、又とらへて、あり誹諧略之かな川を過ぎて、爰にも富士の人穴といふ穴あり、口廣くあいて奧の深さ闇くて見えず。人穴に折ふし寒し風の音品川より鐵炮洲の御堂を見遣りて、武藏野は堂より出づる冬の月江戶に入て日本橋を渡る。いつもながら雪は降りけり富士の山嵐雪に行て宿す、去年の秋は瓠界此庵に來て夜長く、ことしの春は伴自が日永うして我事いふに短く、又歸りていふに長雜氣辛勞や馬に乘ろもの小田原へ實に心ばかり行く道なれば、落つることもなきにと後悔して過ぐ、曾我の里を問へば、海道より十町ばかり左の山陰なりと云ふ。さむ空にいとゞ思ふや會我の里それより大磯に越えて、虎御前今はつめたし石の肌藤澤にとまりて、二日の朝遊行の御堂にまゐる、看經の聲たふとく、我も無念の念佛す。十月の二日も我もなかりけりし、互に笑つて夜もすがら兩吟す、句は其俗にむかふ。歌仙嵐雪發句あり誹諧略之(一)盧生が榮華は一睡五十年の夢、囉々哩が歡樂は旅心十三日のうつ〓、行くも鬼貫かへるも居士、とゞまるも亦跋もみづからなり。(一)其帝は嵐雪の編集元祿三年庚午十月日
名家俳句集九六鬼貫句選跋五子の風韻を知らざる者には、ともに俳諧を語るべからず、爰に五子といふものは、其角嵐雪素堂去來鬼貫なり、其角嵐雪おの〓〓其集あり、素堂はもとより句少く、去來はおのづから句多きも、諸家の選にもる〓こと侍らず、ひとり鬼貫は大家にして世に傳はる句稀なり、不夜庵太祇年頃此事を嘆きて、藻鹽草こよかしこにかき集めて數百句を得たり、譬はど滄海に網して魚を求むるが如し、なほ洩れたるもの幾ばくか侍らん、さるを鬼貫句選と題して早く世の好士に傳へむと、例の氣みじかなる板元は八文字屋自笑也。于時明和己丑春正月三菓軒蕪村書麩屋町通誓願寺下ル町平安書肆安藤八明和六己丑年春正月左衞門板芭蕉翁發句集
今はむかし京極中川の寺よりこの東山岡崎の草庵に隱れ住みけるもはや十年になりぬ。その年頃つれ〓〓の折ふしは芭蕉翁の發句をよみて、ひたぶる其世のなつかしさのあまり、土芳が蕉翁句集、こ州が笈小文、史邦が小文庫、支考が笈日記、桃隣が陸奥千鳥、風國が泊船集等の門人の古き句集を輯錄し、かつ芭蕉句選の誤りを改め芭蕉翁發句集を著述して、過ぎし午の年の春ならむ梓にのす。其發句集をしも小冊に物して花晨月夕に好士の袖にするたよりあらしめむと、書林井筒屋庄兵衞のこふによりて、其句をかたの如く年歴の次第に書き並べ、其句の題の末に書て句體に流行有ることをしらしむ、四季のあつか年歷の分明ならざるは、其句の題の末に書て句體に流行有ることをしらしむ、ひ、てにをはのたがひ、諸集の中に同異あるは土芳の句集によりてしるす。句選に集めしは六百三十餘句なりしに、かれこれの書に拾ひ集めて、さりと覺ゆる句を追加して七百五十餘句となれり。さはいへ聞きたがへ思ひあやまりたること多かるべし、これを正さむ事は後の人にゆづるものなり。芭蕉翁發句集九七
名家俳句集安永五年五月あやめ草ふける軒にして九八蝶夢幻阿書之芭蕉翁發句集上酒のみ夜更して元日晝まで寢て餅くひはづしぬ二日にもぬかりはせじな花の春春立ちてまだ九日の野山かな元日に田ごとの日こそ戀しけれ都ちかき所に年をとりて薦を著て誰人います花の春(三)湖頭の無名庵に春をむかふ時、三日口を閉ぢて題正月四日大津繪の筆のはじめは何佛年々や猿に著せたる猿の面人もみぬ春や鏡のうらの梅春庭訓の往來誰が文庫より今朝の春(二)幾霜に心ばせをの松かざり春立つや新年ふるき米五升山家に年をこえて誰聟ぞ齒朶に餅おふうしの年(三)嵐雪が許より正月小袖を贈りければ誰やらが姿に似たり今朝のはる宵の年空の名殘をしまむと(一)寺子の文庫より手本をとりだすを趣向と(二)野晒紀行にいづ(三)一本「誰人か薦著ています」とあり
名家俳句集蓬萊に聞かばや伊勢の初だより子日しに都へ行かむ友もがな古畑や薺つみゆく男どもよく見れば薺花さく垣根哉菎蒻にけふは賣りかつ若菜かな一とせに一度つまる〓なづな哉うぐひすや柳のうしろ藪の前黃鳥や餅に糞する椽の先この梅に牛も初音と啼きつべし淺草のある庵にて(6)留主に來て梅さへ餘所のかきね哉伊賀のある方にて旅がらす古巢は梅に成りにけり秋風が鳴瀧の山家をとふ二句(海白しきのふや鶴を盜まれし樫の木の花にかまはぬ姿かなうめ咲くやしら〓落くぼ京太郞(三)あこくその心は知らず梅の花(四)山家手鼻かむ音さへ梅のさかり哉伊賀山家にうにといふ物あり、土の底より掘出て薪とす、黑色にしてあしき香あり香に匂へうにほる岡の梅の花門人何某みちのくに下るを(一)「かきね」一本「かきほ」とあり(二)林和靖が孤山の隱居に二鶴を飼ひし故事をふまへし作意也(三)しら〓、落窪、京太郞、いづれも物語の名(四)阿古久曾は貫之の童名、「人はいざ心も知らず云々」の歌をいふ馬の餞してわするなよ藪の中なる梅のはな伊勢の神垣の內には梅一木も見えず、子良の館の後に一木ありといふに御子良子の一もとゆかしうめの花(一)網代民部の息にあひて梅の木に猶やどり木や梅の花園女が家にて暖簾の奧ものふかし北の梅山里は萬歲おそし梅の花卓袋亭月待月待や梅かたげ行く小山ぶし里の子等梅折りのこせ牛の鞭春もや〓けしきと〓のふ月と梅去來の許へなき人の事など言遣すとて菎蒻のさしみもすこし梅のはな梅が香にのつと日の出る山路かな何某新八去年の二月十三日身まかりしを一周忌の程に父梅丸子の方へ申遣しける梅が香にむかしの一字哀なり(三)うめ咲てよろこぶ鳥のけしきかな紅梅や見ぬ戀作る玉すだれ乙州が江戶へ赴く時(一)神事に奉仕する少(二)新古今、家隆「梅が香に昔をとへば春の月答へぬ影ぞ袖にうつれる」芭蕉翁發句集
名家俳句集梅わかな鞠子の宿のとろ〓汁うめ柳さぞ若衆哉女かなかぞへ來ぬ屋敷々々の梅やなぎうぐひすを魂にねぶるか嬌柳(一)はれ物にさはる柳のしなへかな八九間空で雨ふる柳かな傘に押分け見たるやなぎかな春なれや名もなき山の朝霞吉野の苔〓水にて二句凍解けて筆に汲みほす〓水哉(三)春雨の木下につたふ雫かな尾州笠寺奉納笠寺やもらぬ窟も春の雨春雨や蓬をのばす草の道不性さやかき起されし春の雨はる雨や簔吹きかへす川やなぎ春雨や蜂の巢つたふ屋根の漏伊賀の國阿波の庄新大佛にて丈六に陽炎高し石のうへかれ芝やまだかげろふの一二寸陽炎のわが肩にたつ紙衣かな四 かげろふや柴胡の原の薄ぐもり膳所へ行く人に獺の祭見て來よ瀨田 のおく袖よごすらむ田螺の海士の隙をなみ(一)柳のしなやかに垂れたる心地をいふ(一)此句自筆の物に、「春の雨いと靜にてやがて晴れたる比近きあたりなる柳見にゆきけるに春光〓かなる中にもした〓りいまだをやみなければ」と前書ありといふ(三)西行、「淺くとも我に事足る山の井のくみほすほどもなきすまひ哉(四)柴胡は麥門冬に似たる藥草(一)源氏箒木「折らば落ちぬべき萩の露、拾はば消えなむと見ゆる玉篠の上の霰」(二)蜆子は蝦蜆などをすくひて食にあてたる僧なり(三)西行「同じくは蛎をばさしてほすべきに蛤よりは名もたよりあり此歌の意をふまへ藻にすだく白魚も取らば消えぬべき()曙やしら魚しろき事一寸留別鮎の子の白魚送る別かな蜆子圖讃(三)白魚や黑き目をあく法の網老慵蛎よりも海苔をば老の賣りもせで(三)千里が許にて海苔汁の手際見せけり淺黃椀おとろへや齒にくひあてし海苔の砂二月堂に籠りて水とりやこもりの僧の沓の音是橘が剃髪して醫門に入るを賀す初午に狐の剃りし頭かな伊勢にて神垣や思ひもかけず涅槃像(四)神路山を出るとて西行の泪(五)をしたひ增賀の信を悲む二句(四)金葉九「神垣のあたりと思ふにゆふだすき思ひもかけぬ鐘の聲(五)增賀上人伊勢に詣で、衣服をぬぎて乞食にとらせし事撰集抄に見ゆ(六)「花とも二本「花とは」とあり、「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに淚こぼる〓」の歌を下にもて裸にはまだきさらぎの嵐かな何の木の花とも知らず匂ひかな(大莊子繪讃唐土の俳諧とはむ飛ぶこてふ蝶のとぶばかり野中の日影かな芭蕉翁發句集
起きよ〓〓わが友にせむぬる胡蝶乍木亭蝶の羽の幾度こゆる塀の屋根古池や蛙とびこむ水の音ながき日も囀りたらぬ雲雀かな原中や物にもつかず啼くひばり雲雀より上にやすらふ峠かな高野にて父母の頻にこひし雉子の聲(1)ひばり啼く中の拍子や雉子のこゑ蛇くふと聞けば恐しきじの聲杯に泥な落しそむら燕(二)煤ぼりて埃たく家になくつばめ雀子と聲啼きかはす鼠の巢田家にありて麥飯にやつる〓戀か猫のつま猫の戀やむとき閨の朧月湖水眺望辛崎の松は花より朧にて(三)奈良にて故人に別る二股にわかれ初めけり鹿の角鶯の笠落したる椿かな落ちざまに水こほしけり花椿杵折の讚此槌のむかし椿か梅の木か山路來て何やらゆかしすみれ草(四コ(一)玉葉集、行基「山鳥·のほろ〓〓と鳴く聲きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(二)其角「茶の水に塵なおとしそ里燕」(三)句解大成に或人の說として「からさきの松のみどりも朧にて花よりつゞく春の曙」といふ歌を出せり、出所不確(四)實朝「箱根山けふこえくれば壺菫二入三入たれかそめけむ」呂丸が旅にて死せしをいたむタウキ當歸よりあはれは塚のすみれぐさ(一)菩提山トコロ山寺の悲しさ告げよ野老ほり(二)二乘軒藪つばき門はむぐらの若葉哉龍氏尙舍有職の人に侍れば物の名をまづとふ荻のわか葉かな茅舍の畫讃葎さへわか葉やさしややぶれ家木曾の情雪や生えぬく春の草靑柳の泥にしだる〓汐干哉(三住める方は人に讓り杉風が別墅にうつる草の戶も住みかゆる代ぞ雛の家(四.伏見西岸寺任口上人に逢うて我衣にふしみの桃の雫せよ草菴に桃櫻あり門人に其角嵐雪あり兩の手に桃と櫻や草の餅煩へば餅こそ喰はね桃の花咲きみだす桃の中より初ざくら伊賀上野藥師寺初會初ざくら折しもけふはよき日なり(一)當歸は藥草、之に歸るべしの意あるよりいふ(一)野老は薯預に似たる蔓草(三)原本「した〓る」とあるは誤なり(四)「かゆる」一本「かはなるとあり、賣壓力住みし跡を雛商人の借りて賣物を入れしといふ、奧の細道にいづ芭蕉翁發句集
名家俳句集顏に似ぬ發句も出よはつ櫻奈良七重七堂伽藍八重櫻雨の降りければ草履の尻折て歸らむ山ざくら(1)水口にて廿年を經て故人土芳と大仙寺にあふ命ふたつ中に活たる櫻かな山ざくら瓦ふくものまづ二つ(三)探丸子の君別墅の花見催さ(三)せ給ひけるにまかりてさま〓〓の事おもひ出す櫻かな笠のうらに書付けける芳野にて櫻見せうぞ檜木笠櫻がりきどくや日々に五里六里扇にて酒くむ陰やちるさくら山家鶴の巢に嵐の外のさくら哉(五)似合しや豆の粉めしに櫻狩木のもとは汁も鱠もさくらかな萬乎別墅年々や櫻をこやす花のちり春の夜は櫻に明けてしまひけり句空への文にうらやまし憂世の北のやまざくら阿蘭陀も花に來にけり馬に鞍(大)憂方知酒聖貧始覺錢神(一)謝靈運が山に上るには木履の前齒を去り下るには後齒を去りしといふ故事を草履に轉用せし也(二)瓦ふくものは寺をいふ此語木下長嘯の山家記にいづ三笈日記には「故主蟬吟公の庭前にて」と(四)笈日記にいづ(五)一本「鶴の巢に」と(六)賴政「花さかばつげよといひし山里の便は來たり馬に鞍おけ」(七)原本憂を愛とし始の字なし、今改む(一)酒白くは薄酒をい花にうき世わが酒白く飯黑し(一)艶なるやつこ花見るや誰が歌の樣世にさかる花にも念佛申しけり菜畑に花見顏なる雀かな(二)觀音の甍見やりつ花曇花咲て七日鶴見る麓かな(三)物皆自得花に遊ぶ虻なくらひそ友すゞめ鸛の巢も見らる〓花の葉ごし哉草菴花の雲鐘は上野か淺草か翌は檜木とかや谷の老木のといへる事ありきのふは夢と過ぎて明日はいまだ來らずたゞ生前一樽のたのしみの外に翌は〓〓と言ひくらして終に賢者の譏をうくさびしさや花のあたりの翌ならう(四)景〓も花見の座には七兵衞瓢竹庵に膝を入れて旅のおもひいとやすかりければ花を宿にはじめ終や廿日ほど旅立ける日此ごろを花に禮いふ別かな龍門にて酒のみにかたらむか〓る瀧の花(二)西行「ますげ生ふる荒田に水をまかすれば嬉し顔にもなく蛙かを(三)諺に花七日といへ(四)あすならうは檜の一種、雞腿芭蕉翁發句集
名家俳句集芳野にて花ざかり山は日ごろの朝ほらけしばらくは花の上なる月夜かな草尾村にて花の陰謠に似たる旅寢かな(1)かつらぎ山の麓を通るに四方の花ざかりにて嶺々は霞わたりたる明ほのの景色いと艶なるにかの神のみかたちあし〓と人の口さがなく世にいひつたへ侍れば猶見たし花に明け行く神の顏二見の圖を拜み侍りてうたがふな潮の花も浦のはる路草亭紙衣のぬるとも折らむ雨の花(1)伊賀の國花垣の庄はそのかみ南都の八重櫻の料に附けられけると言ひつたへ侍れば一里はみな花もりの子孫かや(三)藤堂橋木子にて土手の松花や木ぶかき殿作り珍碩が酒落堂の記ありて四方より花吹入れて湖の波(四.尾張の人より淡酒一樽木曾(一)謠曲「西行櫻」などの趣をいへるなるべし(二)新古今、家隆「露時雨もる山陰の下紅葉ぬるとも折らむ秋のかたみに」(三)此詞書一葉集に「藤堂喬木子亭」とあるに從ふべし(四)「湖の波」の海」とあり一本「鳰の獨活茶一種贈りしを門人にひろむるとて飮明けて花生にせむ二升樽肅山のもとめにて探雪が畫ける琴の讃に散る花や鳥もおどろく琴の塵(1)僧專吟錢別鶴の毛の黑きころもや花の雲(三)露沾公にて西行の庵もあらむ花の庭(三)玄虎子深川の旅舍をとふ花見にとさす舟遲し柳原櫻をばなど寢處にせぬぞ花(四川)に寢ぬ春の鳥のこ〓ろよ花に寢ぬこれもたぐひか鼠の巢上野の花見にまかりけるに人々幕うちさわぎ物の音小うたの聲さま〓〓なるかたはらの松陰をたのみて四つ五器の揃はぬ花見ごころかな支考東行餞別此こ〓ろ推せよ花に五器一具蝙蝠も出でようき世の花に鳥路通みちのくに赴く時草まくらまことの花見しても來よ子に飽くと申す人には花もなし(一)散る花を梁塵に比す、「鳥ももどろく」の語源氏若菜にいづ(二)赤壁賦に鶴の事を玄裳臨衣といへりCIII庭を吉野山に比し(四)源氏若菜に、「いかなれば花に木傳ふ爲のさくらをわきて時には芭蕉翁發句集
名家俳句集〓-晝の休ひとて旅店に腰をか畠うつ音やあらしの櫻あさCIこまかなる雨や二葉の茄子だね初瀨にて春の夜や籠り人ゆかし堂の隅(三)鐘撞かぬ里は何をか春のくれ行春に和歌の浦にて追付たり前途三千里のおもひ胸にふさがりて行春や鳥啼き魚の目はなみだ(三)望湖水惜春行春を近江の人とをしみける(一)櫻麻は花の咲く麻雄麻躑躅生けてその陰に干鱈さく女丹波市とかやいふところにて日の暮れか〓りけるに草臥て宿かるころやふぢの花山吹の露菜の花のかこち顔なるや西河にてほろ〓〓と山吹ちるか瀧の音やまぶきや笠にさすべき枝の形畫讃山ぶきや宇治の焙爐の匂ふ時種芋や花のさかりを賣りありく(二)「山里の春の夕暮來て見れば入相の鐘に花ぞちりける」より轉化せしか(三)奧の細道にいづ、一本「鳥は啼」とありにくみて弓をもておどすぞ海士のわざとも見えずもし古戰場の名殘をとゞめてかかる事をなすにやといとど罪深く猶むかしの戀しきま夏卯月のすゑ庵にかへりて旅のつかれをはらす夏ごろもいまだ虱をとり盡さずCI旅行一つ脫でうしろにおひぬ衣がへ(三)ほと〓ぎす正月は梅の花ざかり(三)〓く聞かむ耳に香性て郭公時鳥なき〓〓飛ぶぞいそがはしきすごといふ魚を網して眞砂の上にほし散らしけるを烏の飛來りてつかみ去るを(一)野晒紀行にいづ(二)笈の小文にいづ須磨の蜑の矢先に啼くや子規ほと〓ぎす消えゆくかたや島一つ雨降りければこの高角といふ所にやどりて落來るやたかくの宿の時鳥館代より馬にて送らる此口付の男短冊得させよとこふ(三)「花ざかり」は「花さけり」の誤なりとの說あり芭蕉翁發句集
名家俳句集やさしき事を望み侍るものかなと野を橫に馬牽きむけよ郭公(一)不ト一周忌琴風勸進(二)ほと〓ぎす啼く音やふるき硯箱京にても京なつかしや時鳥嵯峨にてCity蜀魂大竹藪をもる月夜(四)ほと〓ぎす啼くや五尺のあやめ草木がくれて茶摘も聞くや杜宇烏賊賣の聲まぎらはし郭公ほと〓ぎすまねくか麥の村尾花(五)一聲の江に横たふやほと〓ぎすほと〓ぎす聲橫たふや水のうへ曙やまだ朔日にほと〓ぎす思ひ出す木曾や四月の櫻がり奈良にて鹿の子をうむを見て此日においてをかしければ灌佛の日にうまれあふ鹿の子かな(お)灌佛や皺手合はする數珠の音(+)夏來てもたゞ一つ葉のひと葉かなク、椹の實や花なき蝶の世すて酒(八)圓覺寺大〓和尙ことしむ月のはじめ遷化し給ふよし誠や夢のこ〓ちせらるにまづ(一)奧の細道にいづ(二)岡村不ト元祿四年四月九日歿(三)一本「大竹原」とあ(四)古今十一、「時鳥なくや五月のあやめ草あやめも知らぬ戀もするか公又連歌至寶抄に「發句の仕立はすらすらとしてたとはゞ五尺のあやめに水を注ぎたるに等しく仕立たるがよし」などある意を用ふ(五)前赤壁賦「白露橫江、水光接天」(六)笈の小文にいづ(七)一つ葉は草の名(八)「蕎麥の花は蜂の酒」の諺による道より其角が方へ申遣しける梅戀て卯の花拜む淚かな()其角が母五七日追善卯の花も母なき宿ぞすさまじきうの花やくらき柳の及びごし知足亭庭前にて杜若われに發句のおもひあり大坂にて或人の許にて燕子花かたるも旅のひとつかな山崎宗鑑屋敷にて近衞殿の宗鑑が姿を見ればがきつばたと遊ばしけるとを思出て心のうちにいふありがたき姿拜まむかきつばた手のとゞく水際うれし杜若白げしや時雨の花の咲きつらむ贈杜國子白芥子に羽もぐ蝶のかたみかな(三)漁人の軒ちかき芥子の花のたえ〓〓に見わたさる(三)蜑の顏まづ見らる〓やけしの花靑ざしや草餅の穗に出でつらむ(四)伊豆の國蛭が小島の桑門これも去年の秋より行脚しけるが我名を聞て草の枕の道(一)野晒紀行にいづ(三二野晒紀行にいづ(三)笈の小文にいづ(四)靑ざしは靑麥を熬り臼にてすり条の如く拈りたる菓子芭蕉翁發句集
名家俳句集づれにもと尾張の國まで跡をしたひ來りければ(二)いざともに穗麥くらはむ草まくら甲斐の國山家に立寄りて行く駒の麥に慰むやどりかな(二)麥の穗を泪にそめて啼くひばり武府を出て古〓に赴く川崎まで人々送り來りて餞別の句をいふそのかへし麥の穂をたよりにつかむ別かな(三)二度桐葉子が許にありて今(四)や東へ下らむとするにほたん藥ふかく分出る蜂の名殘かな贈桃隣新宅自畫自讃寒からぬ露や牡丹の花の蜜招提寺にて鑑眞和尙の御影を拜し御目の盲させ給ふ事を思ひつゞけて靑葉して御目の雫ぬぐはばや(五)日光にてあらたふと靑葉若葉の日の光(大)須磨の浦一見の時すま寺に籟ぬ笛きく木下闇雲岸寺奥に佛頂和尙の山居(七)の跡あり木啄も庵はやぶらず夏木だち(一)(二)野晒紀行にいづ(三)「たより」一本「ちから」とあり(二)桐葉は林氏、熱田の人熱田(五)笈の小文參照(六)奧の細道にいづ(七)奧の細道參照石山の奥國分といふ所に人の住捨てたる庵あり幻住菴といふ〓陰翠微の佳境いとめでたき眺望になむ侍れば卯月のはじめ尋入てまづたのむ椎の木もあり夏木立(一)松風の落葉か水の音すゞし〓瀧や浪にちりこむ靑松葉甲斐山中山賤のおとがひ閉づるむぐらかなあらし山藪のしげりや風のすぢ大垣の城主日光御代參勤めさせ給ふに扈從す岡田何某を送る笹の露袴にかけし茂りかな畫讃馬ほく〓〓我を繪にみる夏野哉落梧のぬしをさなきものを失ひける事をいたみてもろき人にたとへむ花も夏野哉秣負ふ人を枝折の夏野かな殺生石にて石の香や夏草赤く露暑し高館夏草や兵どもが夢の跡(三)竹の子や稚きときの繪のすさび(一)幻住庵記參照、源氏椎が本「たちよらむ蔭と賴みし椎がもと空しき床になりにけるかを(二)奧の細道參照芭蕉翁發句集
名家俳句集小督屋敷にて(一)うきふしや竹の子となる人の果四度むすびたる深川の庵を立出るとてうぐひすや竹の子藪に老を啼く能なしのねぶたし我をぎやう〓〓しうき我をさびしがらせよかんこ鳥(二)這出よかひ屋が下のひきの聲わが宿は蚊の小さきも馳走哉かつを賣いかなる人を醉はすらむ鎌倉を生きて出でけむはつ鰹うらみの瀧にて暫くは瀧に籠るや夏の初(三)あやめ生り軒の鰯のされかうべ俗士にいざなはれて五月四日吉岡求馬を見る五日はや死すと聞て花あやめ一夜にかれしもとめ哉佐藤庄司が舊跡の寺に義經の太刀辨慶が笈をとゞめて什物とす彼も太刀も五月にかざれ紙幟仙臺に入るあやめふく日也畫工嘉右衞門と云者あり紺の染〓付たる草鞋を餞すあやめ草足に結ばむ草鞋の〓(五五) (一)古今、躬恒「今更に何おひいづらん竹の子のうきふし繁きよとは知らずや」(三)かひ屋は蠶を飼ふ室、奧の細道にいづ(三)奧の細道にいづ(四)(五)同前粽ゆふ片手にはさむひたひ髪病中自詠髪はえて容顏蒼し五月雨さみだれにかくれぬ物や瀨田の橋簔輪笠島も此頃の五月雨に道いとあしく身つかれぬれば餘所ながら眺めやりて笠島はいづこさ月のぬかり道(1)光堂は七寶ちりうせて珠の扉風にやぶれ金の柱霜雪に朽ちたり五月雨の降りのこしてや光堂(C)さみだれをあつめて早し最上川(三)芭蕉翁發句集日の道や葵かたぶく五月雨四落柿舍にて五月雨や色紙へぎたる壁の跡さみだれや蠶わづらふ桑のはた露沾公に申侍る五月雨に鳩の浮巢を見に行かむ大井川水出て島田塚本氏が(一)(二)(三)奥の細道さみだれの雲吹落せ大井川五月三十日の富士の思ひ出らる〓に目にか〓る時や殊さら五月富士駿河路やはな橘も茶の匂ひ(四)日の道は太陽の通る道
名家俳句集(一) (三) (四)(五)(八)奧の細道參照眉掃を俤にして紅の花(三)つく〓〓と榎の花の袖にちる(二)とんみりと樗や雨の花曇り桑門已百亭に日ごろありてやどりせむ藜の杖になる日まで(三)象潟や雨に西施がねぶの花栗の木陰をたのみて世をいとふ僧あり可仲といふ世の人の見付けぬ花や軒の栗(四)擧白といふものの武隈の松見せ申せ遲ざくらと餞別したりければ(五)櫻より松は二木を三月ごし紫陽花や藪を小庭の別座敷あぢさゐや帷子時のうす淺黃落柿舍油の花にむかし忍ばむ料理の間(六)森川許六餞別二句椎の花の心にも似よ木曾の旅(七)うき人の旅にもならへ木會の蠅山中逗留入蛋虱馬の尿する枕もとこの境はひわたるほどといへるも爰の事にやかたつぶり角ふりわけよ須磨明石(九)愚にくらく荊をつかむほたる哉(一)「とんみり」は「どんより」の意(人)嵯峨日記參照、本「昔を忍ぶ」とあり(七)韻塞參照(九白氏文集「但愛莊佯愚、草螢有耀終非火、生能詐聖、可知宵子解荷露雖〓豈是珠」木會路の旅思ひ立て大津にとゞまる頃勢多の螢見に出てこのほたる田ごとの月にくらべみむ草の葉を落るより飛ぶほたるかな勢多の螢見ほたる見や船頭醉て覺束な())己が火を木々の螢や花の宿晝見れば首筋あかきほたる哉奥州白川にて關守の宿を水鷄に問ふものを大津湖仙亭この宿は水鷄もしらぬ扉かな露川がともがら佐屋まで道送りして共に山田氏が家にかり寢す水鷄なくと人のいへばや佐屋泊り鵜飼といふもの見侍らむと暮かけていざなひ申されし(三)にまたたぐひ長良の川の鮎膾鵜舟の通り過ぎぬる程に歸るとておもしろうてやがて悲しき鵜舟かな雨をり〓〓思ふ事なき早苗かな〓水流る〓柳は薦野の里(一)一本「ほたる火」と(二)「暮かけて」原本「幕懸て」とあり、今改む芭蕉翁發句集
名家俳句集にありて田の畔に殘るいづくの程にやと思ひしをけふ此柳の蔭にきて立寄り侍りつれ田一枚植ゑて立ちさる柳かな奥州今の白川に至る二句早苗にも我色黑き日數かなCI西か東かまづ早苗にも風の音等窮といふものの白川の關いかゞこえつるやと問ふに風流のはじめやおくの田植うた(三)しのぶの里もぢずりの石を尋ねて早苗とる手もとやむかししのぶ摺(CI)柴付し馬のもどりや田植樽尾張にて舊交に對すシ ロ世を旅に代かく小田の行きもどり四羽黑山に籠りて後鶴が岡にいたり重行亭にてめづらしや山を出羽の初茄子島田塚本氏にて苣はまだ靑葉ながらや茄子汁竹睡日降らずとも竹植る日は蓑と笠(五)明石夜泊蛸壺やはかなき夢を夏の月(一)能因の故事に本づ(二)奧の細道にいづ(三)同上(四)代は若干の田をい(五)竹睡は竹醉の誤なるべし、五月十三日竹を植うればよく生育す月を見ても物たらはずや須磨の夏手をうてば木魂に明くる夏の月夏の月御油より出て赤坂か曲翠亭なつの夜や崩れて明けしひやし物梢よりあだに落ちけり蟬のから稻葉山撞鐘もひゞくやうなり蟬の聲立石寺靜さや岩にしみ入るせみの聲無常迅速やがて死ぬけしきは見えず蟬の聲人に帷子をもらひていでやわれよき布きたり蟬ごろも盤齋うしろむきたる像團扇取てあふがん人のうしろむき佐夜の中山にて命なりわづかの笠の下すゞみ(O)風瀑を餞別すわすれずば小夜の中山にてすゞめ破風口に日影やよわる夕すゞみ長良川十八樓此あたり目に見ゆるもの皆すゞし尾花澤〓風亭涼しさをわが宿にして寢まるなり(二)すゞしさやほの三日月の羽黑山(三) (一)西行の歌、「年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山(二)(三)奧の細道參照芭蕉翁發句集
名家俳句集(一)溫海山、吹浦、共に羽前にありあつみ山や吹浦かけて夕すゞみCI汐ごしや鶴脛ぬれて海すゞし(三)花の上漕ぐとよまれし櫻の老木西行法師の記念をのこす夕ばれや櫻にすゞむ浪の花小鯛さす柳すゞしや蜑が軒四條川原納涼川風や薄がき着たる夕すゞみ田家(四)飯あふぐ嚊がちそうや夕すゞみ川中の根木によころふすゞみかな野水閑居を思ひ立ちけるにすゞしさは差圖にみゆる住居かな雪芝が庭に松を植るを見て涼しさやすぐに野松の枝の形すゞしさを繪にうつしけり嵯峨の竹風の香も南に近し最上川羽黑山有りがたや雪をかをらす南谷(五)丈山の像に謁す風薰る羽織は襟もつくろはずさゞ波や風のかをりの相拍子小倉山常寂寺にて松杉をほめてや風のかをる音雲のみねいくつくづれて月の山(六) (二)汐ごしは地名(三)西行、「象潟の櫻は波にうづもれて花の上こぐ海士の釣舟」以上三句皆奧の細道にいづ(四)笈日記に出づ(五)奧の細道參照六)同上湖や暑さををしむ雲の峯本間主馬が家名を稱して二句ひら〓〓とあぐる扇や雲のみね蓮の香に目をかよはすや面の鼻夕顏の白く夜の後架に紙燭とりてゆふがほや醉て顏出す窓の穴夕がほに干瓢むいて遊びけり晝顏に米搗すゞむ哀なり皷子花のみじか夜ねぶる晝間かな子どもらよ晝顏咲きぬ瓜むかむ李由の許へ文の音信に晝がほにひる寢せうもの床の山(二)芭蕉翁發句集河野松波宅にて古き長瓢に瓜の花を生けて下に無絃の琵琶を置て花生より落つる雫を撥面にうけたりふりの花雫いかなるわすれぐさ(三)稻葉山の松の下涼して山かげや身をやしなはむふり畑初眞桑四つにやわらむ輪にやせむ花と實と一度に瓜のさかり哉夕にも朝にもつかずふりの花朝露によごれてすゞし瓜の泥柳ごり片荷はすゞし初眞桑之道に對して(一)床の山は近江にあり、畫寢の緣語(二)「ふり」は瓜
名家俳句集我に似な二つにわれし眞桑ふりふりの皮むいた所や蓮臺野正成像鐵肝石心此人之情撫子にか〓る泪や楠の露醉て寢む撫子咲ける石の上藤の實は俳諧にせむ花のあとさゞれ蟹足はひ上る〓水かな岐阜山城跡や古井の〓水まづ問はむ那須の温泉明神の相殿に八幡宮を移し奉りて兩神一方に拜れ給ふ湯をむすぶ誓も同じ岩〓水むすぶよりはや齒にひゞく泉かな晉の淵明をうらやむ窓形に晝寢のござやたかむしろ(二)千子が身まかりけるを聞て去來の許へ申しつかはしけ(一)普書陶潜傳「潛甞之下、〓風颯至、自謂義言、夏月虛閑、高臥北窓皇以上人」なき人の小袖も今や土用ほし修驗光明寺にて行者堂を拜す夏山に足駄を拜む首途かな秋鴉主人の佳景に對す山も庭もうごき入るや夏座敷松島(二)役行者の足駄はきたる像をいふ、奧の細道にいづ島々や千々にくだきて夏の海新庄且水亭にて水のおく氷室尋ぬる柳かな暑き日を海に入れたり最上川こ、水無月はふく病やみの暑さかなみな月や鯛はあれども鹽くぢら六月や嶺に雲おく嵐やま不ト亡母追悼水向けて跡とひ給へ道明寺ハなまぐさし小なぎが上の鮠の膓(三)世の夏や湖水にうかぶ浪のうへ木節亭にて秋ちかき心のよるや四疊半(一)奥の細道にいづ(二)「小なぎ」は水葵に似たる草、〓草芭蕉翁發句集
名家俳句集芭蕉翁發句集下文月七日の夜風雲空にみち白浪銀河の岸をひたして烏鵠も橋杭をながし一葉梶を折るけしき二星も屋形をうしなふべし小町の歌を題として高水に星も旅寢や岩のうへ(三)七夕や秋をさだむる夜のはじめ(四)加賀の國を過ぐるとて熊坂がゆかりやいつの魂祭木曾塚草菴墓所近し魂まつりけふも燒場のけぶりかな尼壽貞が身まかりけると聞秋初秋や海も靑田の一みどりはつ秋やたよみながらの蚊帳の夜着文月や六日も常の夜には似ず(C)荒海や佐渡に橫たふ天の川(二)合歡の木の葉ごしもいとへ星の影素堂の母七十餘り七年の秋七月七日にことぶきするに萬葉の七種を題とす七株の萩の手本や星の秋(一)(二)奧の細道にい(一二)「高水」一本「洪水」とあり、小町の歌は「岩の上に旅寢をすればいとさぶし苔の衣よ我にかさなむ」(四)「夜のはじめ」一本「はじめの夜」とあり
名家俳句集て數ならぬ身とな思ひそ魂まつり蓮池や折らでそのま〓魂まつり舊里に歸り盆會をいとなむに家は皆杖に白髮の墓參盆過ぎて宵闇くらし虫の聲簔虫の音を聞きに來よ草の庵白髪ぬく枕の下や蟋蟀太田の社にて實盛が兜錦の切をみてむざんやな甲の下のきり〓〓す(一)·床に來て〓に人るやきり〓〓す蜻蛉や取りつきかねし草のうへ蜑の屋は小海老にまじるいとゞ哉胡蝶にもならで秋ふる菜虫かな寄李下稻づまを手にとる闇の紙燭かなあの雲はいなづまを待つたより哉或智識の曰なま禪大疵のもとゐとかやいと有がたくていな妻にさとらぬ人の貴さよいなづまや海の面をひらめかす稻妻や闇のかた行く五位の聲(三)本間主馬が宅に骸骨どもの笛皷をかまへて能する所を(一)奧の細道參照(二)五位鷺畫て舞臺の壁に抄たりまことに生前のたはぶれなどか此遊びにことならむやかの髑髏を枕として終に夢うつつをわかたざるもたど此生前を示さる〓ものなり稻妻や顏の所がす〓きの穗二見の浦にて硯かとひろふやくほき石の露とく〓〓の〓水にて露とく〓〓試に憂世す〓がばや(一)畫讃西行のわらぢもか〓れ松の露會良に別る〓とてけふよりや書付消さむ笠のつゆ(三)草庵道細しすまふとり艸の花の露關こゆる日は雨降て山みな雲にかくれたるを霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき牛部屋に蚊の聲暗き殘暑哉ひや〓〓と壁をふまへて晝寢かなある草庵にいざなはれて秋すゞし手每にむけやふり茄子全昌寺にとまる曙の空ちかう堂下に下るを若き僧共紙(一)野晒紀行參照(二)奧の細道參照芭蕉翁發句集
名家俳句集硯をか〓へて追來る折ふし庭の柳の散りければ庭掃て出でばや寺にちる柳和角蓼螢句(1)蕣にわれはめしくふをのこ哉當麻寺に詣て庭上の松をみるに凡千とせも經たるならむ大さ牛を隱すとも云ふべけむかれ非情といへども佛緣にひかれて斧斤の罪をまぬがれたるぞ幸にしてたふとし僧あさがほいく死かへる法の松嵐雪が畫きしに讃を望みければ朝顏は下手の書くさへ哀なり旅だちけるころ人々廓外に送りて三盃をかたぶけける朝顏は酒もりしらぬさかり哉閉關の說あり朝がほや晝は鎻おろす門の垣蕣や是もまたわが友ならず朝顏の花に啼きゆく蚊のよわり萩原や一夜はやどせ山の犬枕引寄せて寢たるに一間隔て若き女の聲二人ばかりと(一)其角は蓼くふ螢かな」「草の戶に我(二)人と舜との無常なるに對して法の常住なるを松樹千年極花一日に比す聞ゆ年老たる男の聲も交りて物語するを聞けば越後の國新潟といふ所の遊女なりし伊勢參りするとて此關まで男の送り來れるなり一家に遊女もねたり萩と月(一)小松といふ所にてしほらしき名や小松ふく萩す〓き(二)歡水亭雨中の會ぬれて行く人もをかしや雨の萩畫讃白露もこぼさぬ萩のうねりかな藤堂立虎子の庭の半に作りたるを見て風色やしどろに植ゑし庭の萩浪の間や小貝にまじる荻の塵(三)荻の穗や頭をつかむ羅生門深川庵芭蕉野分して盥に雨をきく夜かなこの寺は庭一ぱいのばせをかな畫讃鶴啼くやその聲に芭蕉やれぬべしひよろ〓〓と猶露けしや女郎花玉川の水におほれそをみなへしてふと云ける女あが名に發句せよと云て白き絹出しけ(一)(二)奧の細道にい(三)原本「荻の聲」とあり、一本によりて改む芭蕉翁發句集
名家俳句集るに蘭の香や蝶のつばさに薰ものす或寺にて門に入れば蘇鐵に蘭の匂ひかな木曾塚の舊草にありて敲戶の人々に對す草の戶をしれや穂蓼に唐がらし靑くてもあるべき物を唐がらし夕顏や秋は色々の瓢かな眼前(一)道のべの木槿は馬に喰はれけり花むくげはだかわらべのかざしかな高田醫師細川靑庵にて藥園にいづれの花を草まくら草いろ〓〓おの〓〓花の手柄かな早稻の香や分入る右は有磯海(二)むかしきけ秩父殿さへ相撲取三日月や朝顏の夕べつぼむらむ何事の見たてにも似ず三日の月三日月に地は朧なり蕎麥の花嵐蘭の墓に詣でて見しやその七日は墓の三日の月詠るや江戶にはまれな山の月侘て住め月侘笠の窓を家として(三)杜牧が早行の殘夢小夜中山(四四)にいたりてたちまち驚く(一)野晒紀行にいづ(二)與の細道參照(三)天和三年の武藏曲「うかれ行く月網笠の窓を家として(角止)佗てすめ月侘齋が奈良茶歌(芭蕉)」混同せし誤なり(四)杜牧早行詩「垂鞭信馬行、數里未鷄明、林下帶殘夢、葉飛時忽驚、霜凝孤雁廻、月曉遠山橫、僅僕休辭險、何時世路平」馬に寢て殘夢月遠し茶のけぶり月はやし木ずゑは雨をもちながら明ほのや二十七夜も三日の月月のあるじに酒ふるまはむといへば盃持出たり都の人はか〓る物とては手にもふれざりけるに思ひもかけぬ興に入りて清碗玉壺の心せらる〓も所がらなりあの中に蒔繪書きたし宿の月(〓)更科山は八幡といふ里より쥬1,西南に橫をれて冷じく高くもあらずかど〓〓しき岩なども見えずたゞあはれ深き山のすがたなりなぐさめか(三)ねしといひけむもことわりに知られてそゞろに悲しきに何ゆゑにか老たる人を捨てたらむと思ふにいとゞ淚も落ちそひければ俤や姨ひとりなく月の友(三)善光寺明影や四門四宗もたど一つ悼遠流天宥法印その魂を羽黑にかへせ法の月月のみか雨に相撲もなかりけり(一)(三)(四)更科紀行にいづ、「玉壺」一本「玉扈」に作る(二)大和物語「我心慰めかねつ更科や姥捨山に照る月を見て」(四)四門は有門、空門、亦有空門、宗は天台、眞言、禪、律非有空門、四芭蕉翁發句集
名家俳句集燧が山義仲の寢覺の山か月悲し湯尾峠(月に名をつ〓みかねてやいもの神氣比の明神に夜參す往昔遊行二世の上人みづから土石を荷ひ泥濘をかわかせて參詣往來の煩ひなし月〓し遊行のもてる砂のうへ(二)鐘が崎にて月いづこ鐘はしづめる海の底戶をひらけば西に山あり伊吹といふ花にもよらず雪にもよらずそのま〓に月もたのまじ伊吹山又玄が妻もの事まめやかに見えければかの日向守の妻(三)髪を切て席をまうけられし事も今更に申出て月さびよ明智が妻のはなしせむ賤の子や稻すりかけて月をみる正秀亭初會月代や膝に手を置く宵の內鎻明けて月さし入れよ浮御堂柴の庵と聞けばいやしき名なれども世にこのもしき物(一)越前湯尾峠に疱瘡の守神あり、それを芋にかけたり(二)「もてる」は盛りたるの意(三)日向守は明智光秀にぞ有ける此歌は東山に住みける僧を尋ねて西行のよませ給ひけるよしいかなる住居にやとまづその坊のなつかしければ柴の戶の月やそのま〓あみだ坊石山へ詣でける道橋桁のしのぶは月の名殘かな明月のよそほひにとて芭蕉五本を植ゑて芭蕉葉を柱に懸けむ庵の月深川のすゑ五本松といふ所に舟さして川上とこの川下や月の友東順老人は湖上に生れて東CI野に終をとれり入る月の跡は机の四隅かな月下に兒を送るといふ題を置きて月すむや狐こはがる兒の供見る影やまだ片なりも宵月夜月見せよ玉江の芦をからぬ先武藏守泰時仁愛を先とし政以去欲先とすとあり明月の出るや五十一箇條(三)名月や池をめぐりて夜もすがら(一)東順は其角の父(二)五十一箇條は貞永式目をさす芭蕉翁發句集
名家俳句集令人發深省」(一)杜甫「欲覺聞晨鐘、根本寺の隱室にやどる人をCIして深省を發せしむ寺に寢てまこと顏なる月見哉雲折々人を休むる月見かな座頭かと人に見られて月見かな淺水の橋をわたる俗にあさうづといふ〓少納言の橋はと有て一條あさむづと書ける所とぞあさむづや月見の旅の明けはなれ名月や北國日和さだめなき古寺翫月名月や座にうつくしき顏もなし名月や兒達ならぶ堂の椽名月や湖に向へば七小町(二)名月や二つ有ても勢多の月名月や門にさしこむ潮がしら名月の花かと見えて綿ばたけ名月に麓の霧や田の曇り夏かけて名月暑きすゞみかな三井寺の門た〓かばや今日の月米くる〓友をこよひの月の客今宵たれ吉野の月も十六里(三)木を伐て本くち見ばやけふの月十六夜もまだ更科の郡かなやす〓〓と出ていざよふ月の雲(二)七小町は謠曲の通小町、關寺小町、〓水小町、草紙洗小町、卒塔婆小町、鸚鵡小町、雨乞小(三)新古今、「今宵たれ篠吹く風に身をしめて吉野のたけに月を見るF〓堅田にていざよひや海老煑る程の宵の闇(一)いざよひはわづかに闇のはじめ哉暮て外宮に詣侍りて三十日月なし千年の杉を抱く嵐芋の葉や月まつ里のやけ畠西行谷の麓に流あり女共の芋洗ふを見て芋洗ふ女西行ならば歌讀まむ竹葉軒といふ庵を尋ねて粟稗にまづしくもあらず草の庵知足弟金右衞門新宅を賀すよき家や雀よろこぶ背戶の栗(三)たう黍や軒端の荻の取違へ雞頭や雁の來る時猶赤し(三)閑人廬牧亭をとひて蔦植ゑて竹四五本のあらし哉棧や命をからむ蔦かづら遊女畫讃枝ぶりの日に〓〓かはる芙蓉哉霧雨の空を芙蓉の天氣かな何くうて小家は秋の柳かげ秋海棠西瓜の色に咲きにけり鬼灯は實も葉もからも紅葉哉芳野にて或坊に一夜をかりて(一)師走常に「是は魏志に南海中に國あり日暮れて羊の腸を煑てはつかに熟すれば則ち月を見るといへるを取ていざよひの月はわづかに海老煑る程の宵闇なりと羊膓を海老にかへての作なり」(二)淮南子說林「大厦成而燕雀相賀、湯沐具而蟻蝨相弔」(三)雞頭に雁來紅の一名あり芭蕉翁發句集
名家俳句集(一)野晒紀行參照磁打て我に聞せよや坊がつま(〓)猿引は猿の小袖をきぬた哉北枝見送り來るに別に望みて物書て扇引きさく餘波かな桐の木に鶉啼くなる塀の内鷹の目の今やくれぬと啼く鶉堅田にて病雁の夜寒に落ちて旅寢かな稻すゞめ茶の木畑や迯處刈跡や早稻かた〓〓の鴫の聲老の名の有りともしらで四十雀榎の實ちる椋鳥の羽音や朝あらし目にか〓る雲やしばしのわたり鳥ひいと啼くしり聲悲し夜の鹿棧やまづおもひ出る駒むかへ高瀨の漁火といふ題をとりて篝火に河鹿や浪の下むせび猪もともに吹かる〓野分かな吹きとばす石は淺間の野分哉(三)江上の破屋を出る程風の聲そゞろ寒げなり野ざらしを心に風のしむ身かな(三)富士川を通るに三つばかりの捨子の泣くあり(二)原本「吹きとざす」とあり、笈小文により人民間(三)野晒紀行にいづ(一)朗詠集「巴猿三叶曉 霜行人之裳」野晒紀行參照猿をきく人すて子に秋の風いかに(一)いにしへの常盤が塚あり伊勢の守武がいひける義朝殿に似たる秋風とはいづれの所か似たりけむ我もまた義朝のこよろに似たり秋の風(11)秋かぜや藪もはたけも不破の關(三一身にしみて大根からし秋のかぜ(四.)一笑追善塚もうごけ我が泣く聲はあきの風(千)あか〓〓と日はつれなくも秋のかぜ(八)那谷寺は奇石さま〓〓に古(七)松植ゑならべて殊勝の土地2石山の石より白しあきのかぜ桃天の名を付て桃の木のその葉ちらすな秋の風秋風や伊勢の墓原猶すごし座右の銘人の短をいふ事なかれ己が長を說く事勿れものいへば唇寒し秋の風去來が許より伊勢の紀行書て送りけるその奥に書付けける西東あはれさ同じあきの風嵐蘭を悼む(二)(三)野晒紀行にい(四)更科紀行にいづ(五)(六)(八)奧の細道(七)那谷寺は加賀江沼郡にあり芭蕉翁發句集
名家俳句集秋風に折れて悲しき桑の杖ラン入麪の下燒立つる夜寒かな旅窓長夜九度起きても月の七つかな車庸亭二句秋の夜をうち崩したる咄かなおもしろき秋の朝寢や亭主ぶり大和の國竹の内にて綿弓や琵琶になぐさむ竹のおく菊花の讃秋を經て蝶もなめるや菊の露草庵の雨起上る菊ほのかなり水の跡はやく咲け九日も近し菊の花蓮池の主翁また菊を愛すきのふは龍山の宴をひらきけふはその酒のあまれるをすすめて狂吟たはぶれとなす(一)猶思ふ明年誰かすこやかならむ事をいざよひのいづれか今朝に殘る菊山中溫泉山中や菊は手折らぬ湯の匂ひ(二)木因亭かくれ家や月と菊とに田三反痩せながらわりなき菊のつぼみかな(一)杜甫九日詩此會知誰健」「明年(二)奧の細道參照九月九日乙州が一樽をたづさへ來ければ草の戶や日くれてくれし菊の酒見處のあれや野分の後の菊田家にやどりて稻こきの姥もめでたし菊のはな大門通を過ぐるに琴箱や古物店の背戶の菊何某木既の兄の亭にてもてなされけるに菊花の膾いと芳しければ蝶も來て酢をすふ菊の鱠哉岱水亭にて影まちや菊の香のする豆腐ぐし八町堀にてきくの花咲くや石屋の石の間范蠡が長男の心をいへる山(一)家集の題にならふ一露もこぼさぬ菊の氷かな菊の香や庭にきれたる履の底きくの香や奈良には古き佛たち菊の香や奈良は幾代の男ぶり(三)闇峠にて菊の香にくらがり登る節句かな生玉邊より日をくらして菊に出て奈良と難波は宵月夜(一)范蠡の子罪あり父金を以て其罪を償はしむ長男金を吝みて弟をすて〓歸る、山家集「すてやらで命ををふる人は皆千々の黃金をもて歸るなり」(二)「京女に奈良男」の諺に思ひよせたるにや芭蕉翁發句集
名家俳句集一四、一園女家にて白菊の目に立て〓見る塵もなし後醍醐帝の御陵を拜む御廟年を經てしのぶは何を忍草(一)木曾の橡うき世の人の土產哉(二)恕水別墅籠居て木の實草のみ拾はばや秋風の吹けども靑し栗のいが可休亭にて祖父と親その子の庭や柿蜜柑望翠宅にて里ふりて柿の木もたぬ家もなししぶ柿や一口はくらふ猿のつら菊の露落ちて拾へばぬかごかな茸がりやあぶない事に夕しぐれ松茸やかふれた程に松の形はつ茸やまだ日數へぬ秋の露松茸やしらぬ木の葉のへばり付伊勢の斗從に山家をとはれて蕎麥はまだ花でもてなす山家哉中秋の月は更科の里姨捨山になぐさめかねて猶哀さの目にもはなれずながら長月十三夜に成りぬ木曾の瘦もまだ直らぬに後の月(一)野晒紀行にいづ(二)笈の小文にいづ(三)「かふれた程」は「少しばかり」の意か住吉の市に立てCI升買て分別かはる月見かな秋もはやはらつく雨に月の形內宮はことをさまりて外宮の遷宮拜み侍りて尊さに皆押合ひぬ御遷宮兄の守袋より取出て母の白髪拜むに浦島が子の玉手箱汝が眉もや〓老たりとしばらく泣く手にとらば消えむ泪ぞあつき秋の霜秋風や桐にうごいて蔦の霜見わたせば詠むれば見れば須磨の秋秋十とせかへりて江戶をさす古郷留別送られつ送りつ果は木曾の秋種の濱に遊ぶさびしさや須磨にかちたる濱の秋小名木澤桐奚興行秋に添うて行かばやすゑは小松川旅懷此秋は何に年よる雲に鳥(三)秋ふかき隣は何をする人ぞ憶老杜(三)髭風を吹て暮秋歎ずるは誰が子ぞ(四)武藏野を出し時野ざらしを(一)九月十三日住吉寳市と稱して升取鉢を賣(二)東坡詩「南來北去幾時歸、倦鳥孤雲豈有期、斷送一生消底物、三年光景六篇詩」(三)杜甫「老去悲秋強自實、興來今日盡君歡、義將短髮還吹帽」(四)原本「風影を吹て」とあり虚栗集によりて改む芭蕉翁發句集
名家俳句集心に思ひて旅だちければ死もせぬ旅寢のはてよ秋のくれ枯枝に烏のとまりけり秋の暮桑門雲竹の像あなたのかたに顏ふりむけたるにこちらむけ我もさびしき秋のくれ所思此道や行く人なしに秋の暮人聲や此道歸るあきのくれ〓水寺の茶店に遊ぶ松風の軒をめぐりて秋暮れぬ行秋や身に引きまとふ三布蒲團長月六日になれば遷宮拜まむと蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ行秋の猶たのもしや靑蜜柑ゆく秋や手をひろけたる栗のいが草庵人々をしぐれよ宿は寒くとも時雨る〓や田のあら株の黑むほど島田の驛塚本が家にいたりて宿かして名をなのらする時雨かな馬かたは知らじ時雨の大井川けふばかり人も年よれはつ時雨新藁の出そめて早きしぐれ哉美濃垂井矩外がもとにて作り木の庭をいさめる時雨かな人の方へはじめて行て初しぐれ初の字をわが時雨かな冬桐葉のぬし心ざし淺からざりければ暫とゞまらむとせし程に此海に草鞋を捨てむ笠しぐれ草まくら犬もしぐる〓か夜の聲江戶を立出るとて旅人とわが名呼ばれむ初時雨一尾根はしぐる〓雲か富士の雪(+)山城へ井手の駕籠かる時雨哉初しぐれ猿も小簑をほしげなりいづくしぐれ笠を手に提げて歸る僧(一)「尾根」は峯
名家俳句集一しぐれ礫や降て小石川冬庭や月もいとなる虫の吟冬ごもりまたより添はむ此はしら金屏の松の古びや冬ごもり贈洒堂湖水の磯を這出たる田螺蘆間の蟹の鋏を恐れよ牛にも馬にも踏まる〓事なかれ難波津や田螺のふたも冬ごもりしばしかくれ居ける人をなぐさめてまづ祝へ梅をこ〓ろの冬籠千川亭折々に伊吹を見てや冬籠留主の間にあれたる神の落葉哉霜月のはじめ深川の舊草にかへりて都出て神も旅寢の日數かな御影講や油のやうな酒五升(1)菊鷄頭きり盡しけり御影講蛭子講酢賣に袴着せにけりふり賣の雁哀なりえびす講支梁亭口切の日口切に堺の庭ぞなつかしき爐びらきや左官老いゆく鬢の霜木がらしの身は竹齋に似たるかな(一)日蓮の報書に新春一斗笋三本油のやう經と囘向いたし候」な酒五升南無妙法蓮華(一)竹齋は竹齋物語といふ草子に見ゆる風狂の藪醫者なリ竹畫讃こがらしや竹にかくれて靜まりぬ凩や頰はれいたむ人の顏參州鳳來寺木殺風に岩吹き尖る杉間哉同新城菅沼權右衞門宅京にあきて此木がらしや冬住居多度權現を過るとて宮人よわが名をちらせ落葉川三尺の山もあらしの木の葉かな平田明照寺木立物ふり殊勝に覺え侍れば二句百年の景色を庭の落葉かなたふとかる泪やそめて散る紅葉道圓居士の芳名きく事久しきま〓にまみえむ事を契りて終にその日をまたず初冬一夜の霜ときえぬ今日ははや一めぐりにあたるといふを聞てそのかたち見ばや枯木の枝の長熱田に詣づ社頭大にやぶれ築地はたふれて草むらにか(一)野晒紀行にいづしのぶさへ枯れて餅かふやどり哉(一)霜の後葎をとひてな芭蕉翁發句集
名家俳句集花みな枯れて哀をこほす草のたね三秋を經て草庵に歸れば舊友門人日々に來りていかにと問へば答へ侍るともかくもならでや雪の枯尾花十月八日旅中吟旅に病て夢は枯野をかけめぐる刈跡や物にまぎれぬ蕎麥の莖美濃耕雪別墅木がらしに匂ひやつけし歸り花寒菊や粉糠のか〓る臼のはた熱田梅人亭塵裏の閑を思びよせて水仙や白き障子のともうつり三河の白雪といふものの子二人に桃先桃後と名を付けあたへてその匂ひ桃より白し水仙花菊の後大根の外さらになし鞍坪に小坊主のるや大根引立虎子旅宿にて菜根を喫して武士の大根にがき噺かな冬がれの磯に今朝みるとさか哉(一)防川亭香を探る梅に家見る軒端かな(一)「とさか」は鷄冠に似たる海草(一)保美は三河にあり梅椿早咲ほめむ保美の里C打寄りて花入探れうめ椿芹燒やすそ輪の田井のはつ氷(三)杜國が庵を尋ねて二句麥はえてよきかくれ家や畠むらさればこそ荒れたきま〓の霜の宿貧山の釜霜に啼くこゑ寒し(三)病中藥のむさらでも霜の枕かな葛の葉のおもて見せけり今朝の霜深川大橋成就せし時ありがたやいたゞいて踏む橋の霜から〓〓と折ふし凄し竹の霜帋子にも霜や置くかと撫でて見し初雪やさいはひ庵に罷りある山中に子供と遊びてはつ雪に兎の皮の髭作れ南都にて初ゆきやいつ大佛のはしら立旅行はつゆきや聖小僧の笈の色初雪や掛けか〓りたる橋のうへはつ雪や水仙の葉のたわむまで夜着は重し吳天に雪を見るあらむ四雪見にありきて市人にいで是うらむ雪の笠(二)芹燒は芹を酢醤油にていため燒きたる食品、擧白集山家記に「唐衣裾輪の田井に根芹をつみ外面の澤に慈姑をぞ拾ふ」(三)山海經霜降而鳴」「豐山之鐘(四)釋惠崇詩「笠重呉天雪、鞋香楚地花」芭蕉翁發句集
名家俳句集旅人をみる馬をさへ詠むる雪のあしたかな箱根こす人もあるらし今朝の雪中あしき人の事などとりつくろひ侍りて雪と雪今宵師走の名月歟深川八貧の中米買ひに雪の袋や投頭巾對友人會良君火たけよき物見せむ雪丸げ閑居の箴前書有酒のめばいとゞ寢られぬ夜の雪鳴海の驛本陣業言亭に泊りけるに飛鳥井雅章の君都をへだててと詠みてあるじに給はりけるをみて京まではまだ半空や雪の雲(一)熱田の宮御修覆なりぬ磨ぎ直す鏡も〓し雪のはな去年のわび寢をおもひ出て越人に贈る二人見し雪はことしも降りけるかCI雪ちるや穗屋の薄のかり殘しいざ〓らば雪見にころぶ處までおのが音の誰人となむ世に(三)さたせられて老の後志賀の(一)笈の小文參照、雅章「うち日さす都も遠く鳴海潟はるけき海を中にへだて〓」雪(二)信州諏訪明神七月廿七日の神事に山の薄を刈取りて假屋を薄の穂にてふく故に穂屋祭巾(三)井蛙抄に藻壁門院少將「ものが音につらき別れのありとだに思ひも知らで鳥の鳴くらむ」此少將尼になりて大津に終る、少將の尼里に隱れ侍りしとなりいま大津松本あたり智月といふ老尼の許に尋ねてか〓る事などかたり出けるついでおもしろければ少將の尼のはなしや志賀の雪湖水眺望比良三上雪かけわたせ鷺の橋つねににくむ烏も雪の朝かな(1)小町畫讃(三)貴さや雪ふらぬ日も蓑と笠雪ごとに梁たわむ住居かな竹の讃たわみては雪まつ竹のけしき哉寒山畫讃庭掃て雪をわする〓箒かないざ子供はしりありかむ玉あられ自畫自讃いかめしき音や霰の檜笠膳所の草庵を人々訪ひけるに霰せよ網代の氷魚煮て出さむ雜炊に琵琶きく軒のあられ哉おもしろし雪にやならむ冬の雨雁さわぐ鳥羽の田面や寒の雨から鮭も空也の痩も寒の中(一)一本「つねにくむ」(二)卒塔婆小町なり芭蕉翁發句集
名家俳句集(一)笈の小文參照、古文後集張子厚西銘橫渠先生銘其書室之兩牖、東日従愚、西曰訂頑」月花の愚に針たてむ寒の入(一)艪聲波を打て腸氷る夜は泪〓茅舍買水氷苦く偃鼠が咽をうるほせり(三)すくみ行くや馬上に氷る影法師瓶破る〓朝の氷の寢覺かな(四)こを焚て手拭あぶる寒さかな越人と吉田の驛にて寒けれど二人旅寢ぞたのもしき仙化が父の追善袖の色よごれて寒し濃ねずみ鹽鯛の齒ぐきも寒し魚の棚葱白く洗ひ上げたる寒さかなによき〓〓と帆柱さむき入江哉鳳來寺に參籠して夜着一つ祈り出したる旅寢哉きり〓〓ずわすれ音になく火燒哉住みつかぬ旅のこ〓ろや置巨燵ふるき世をしのびて霜の後なでしこ咲ける火桶かな少年をうしなへる人に埋火もきゆや泪の烹る音曲翠旅館にてうづみ火や壁には客の影法師長頭丸の讃(五)をさな名やしらぬ翁の丸頭巾(二)一本「船の聲」とあり(三)莊子逍遙遊「鷦鷯巢於深林、不過一枝、偃鼠飮河、不過滿腹」(四)「こ」は松葉の方言(五)長頭丸は松永貞德ためつけて雪見にまかる紙子哉海くれて鴨の聲ほのかに白し毛衣につ〓みてぬくし鴨の足呼續の濱はくれてから笠寺は雪のふる日星崎の闇を見よとや啼くちどりCI闇の夜や巢をまどはして鳴く千鳥冬牡丹ちどりよ雪のほと〓ぎす伊良古崎は南の海のはてにて鷹のはじめて渡る所といへりいらこ鷹など歌にもよめりと思へば猶あはれなる折ふし鷹一つ見付けてうれしいらこ崎生きながら一つに氷る海鼠哉あら何ともな昨日は過ぎてふくと汁熱田にて遊び來ぬ純釣りかねて七里まで(1)ふく汁や鯛もあるのに無分別長嘯が塚もめぐるか鉢た〓き四納豆きる音しばしまて鉢叩節季候の來れば風雅も師走哉節季候を雀のわらふ出立かなくれ〓〓て餅を木魂の侘寢かな有明も三十日に近し餅の音煤掃やくれ行く宿の高鼾(一)笈の小文參照(二)拾遺集友則れば佐保の川邊の川霧に友まどはせる千鳥なくなり」(三)七里は桑名より熱田までの海上の里數(四)長嘯は木下勝俊芭蕉翁發句集
名家俳句集旅寢して見しやうき世の煤拂行脚の五器一具難波に殘し置たるを年經て路通がおくりけるをこれや世の煤にそまらぬ古盒子旅行煤掃は杉の木の間の嵐かなす〓はきは己が棚つる大工哉月白き師走は子路が寢覺かな(一)何に此師走の市に行くからすかくれけり師走の海のかいつぶり年の市線香買ひに出でばやなこの忘れながる〓年の淀ならむ洛御靈別當景桃丸興行半日は神を友にやとしわすれ乙州が新宅に春をまちて人に家を買せて我は年わすれ魚鳥の心はしらず年わすれせつかれて年忘する機嫌かなわすれ草菜飯に摘まむ年の暮旅寢ながらに年のくれければとしくれぬ笠着てわらぢはきながら乞てくらひ貰てくらひさすがに年のくれければめでたき人の數にも入らむ老の暮(一)子路が藜霍の實を食ひ親の爲に米を百里の外に負ひし〓貧の境月雪とのさばりけらし年の暮ふる里や臍の〓になく年のくれ盜人にあうた夜もあり年の暮蛤の生ける甲斐あれ年のくれ分別の底た〓きけり年のくれ
名家俳句集雜月花もなくて酒飮むひとりかな越後新潟にて海にふる雨や戀しきうき身宿布袋の繪讃物ほしや袋の中の月と花みづから雨の侘笠をはりて世にふるも更に宗祇のやどりかな(二)三聖人圖(三)月花のこれや誠のあるじ達桑名より馬に乘て杖突坂引上すに荷鞍うちかへりて馬より落ちぬカチ步行ならば杖つき坂を落馬かな朝よさに誰まつ島ぞ片ごころかたられぬ湯殿にぬらす袂かな酒のみゐる人の繪に(一)笈日記には1HTP中は」とあり、宗祇の句は「世にふるも更に時雨のやどり哉」なり、然るに吉野拾遺には此句を後村上院の御製とせり(二)三聖人圖とするは非なり、宗鑑守武貞德三人の讃なり寛政元歲酉七月再版洛陽薫門書林井筒屋庄兵衞橘屋治兵衞(三)奧の細道に「此山中の微細、行者の法式として他言するを禁ず」とあり山口素堂句集
山口素堂句集西國へ下りし頃周防長門の間の堤に大木の柳ありける浪華蘆陰舍大魯閱を胴をかくし牛の尾戰ぐ柳かなCI谷川に翡翠と落つる椿かな大井川いさめて落つる椿かな雨蛙聲高になるもあはれなり夕風に見うしなふまでは雲雀哉朝虹やあがる雲雀のちから草大磯にて荒れてなか〓〓虎が垣根のつぼ菫命ながし其如月の前の顏(三)はりま巡りの時春(一)王義之をいふ宿の春何もなきこそ何もあれとく〓〓の水まねかば來ませ初茶湯老の春初鼻毛拔今からも悼少長性さしや齒朶の中よりこぼれ梅蘭亭の主人池に鵝を愛せらCIれしは筆意有るゆゑなり池に鵝なし假名書き習ふ柳陰(二)莊子人間世、「匠石之齊、見櫟社樹、其大蔽(三)西行、「願はくは花の下にて春死なん其如月の望月のころ」
名家俳句集遲き日や飾磨のかち路牛で行く木の間行く被に散りしさくら哉福原菜畠の爰が左近の櫻かよたれか見む櫻の頃の野人參さぞな聲淨るり小歌は爰の花彌生の頃東武へ下りけるにふんきつて都の花を下りけり(一)芭蕉居士の舊跡を訪ふ志賀の花湖の水それながらよし野にて是つらよ吉野の花に三日寢て三輪至れりや杉を花とも社とも(三)よし野川鮎小あゆ花の雫を乳房かよ初瀨山宿からむ花にくれなば貫之の芭蕉行脚に出て久しく歸らざりし頃いつか花に小車と見む茶の羽織池上偶成池はしらず龜甲や汐を干す心會良餞別汐干つゞけけふ品川を越ゆる人芭蕉會良餞別(一)「ふんきつて」は決然として(二)三輪の社は杉を本社とすい(三)芭蕉は衣眼に茶色を好めり松島の松陰にふたり春死なむ春もはや山吹白く苣苦し追加散る頃は明石の鯛の花盛方々へ身も分けられず花の時芭蕉翁茶の羽織の詞書あり花にいつ茶の羽織見む檜笠或人の羽織夏化せば何にかならむと申されしに鼯となりぬべうなり茶の羽織
名家俳句集夏綿の花たま〓〓蘭に似たる哉宇治喜撰法師螢の歌も詠まれけり瀨田水や空うなぎの穴も星螢蓑虫の角やゆづりし蝸牛愛宕山一宿しら雲を下界の蝙に釣る夜哉垣根破るその若竹を垣根かな河骨や終にひらかぬ花ざかり澤潟や弓矢立たる水の花箱根峠涼し沖の小島の三年酒鎌倉一見の頃目には靑葉山郭公はつ鰹夜鰹やまだしと思へば蓼の露贈一鐵又や鰹命あらば我も魴村雨につくらぬ柘植の若葉哉又是より若葉一見となりにけり筬の音目を道びくや藪椿餘花有りとも楠死て太平記山彥と啼く郭公夢を切る斧わすれ草もしわすれなば百合の花(一)わすれ草の花は百合に似たり木曾路をのほる頃夕立にやけ石涼し淺間山舟有り川の隈に夕涼む少年歌諷ふ比叡山の絕頂にて山涼し京と湖水に眼三つ千鳥聞きし風の薫りや蘭奢待暑き日も樅の木の間の夕日哉富士山姫や鹿の子白無垢土用干浮葉卷葉此蓮風情過ぎたらむ浮葉卷葉葉葉折葉とはちすゞし開かむとする時筆に似たり己つぼみおのれ畫て蓮かな我蓮梅に鴉のやどり哉髭宗祇池に蓮あるたぐひ哉(三)一葉浮て母に告げぬる蓮かな魚避けて帥いさむる荷葉哉鳥うたがふ風蓮露を礫けり(三二)そよがさす蓮雨に魚の兒躍る荷たれて母にそふ鴨の枕蚊帳靑とんほ花の蓮の胡蝶かな荷をうつて霰ちる君みずや村雨蓮世界翠の不二を沈むらむ或は唐茶に醉座して舟行蓮の楫〓芙蓉〓女湯あがりて走りけり筆と見てひらく芙蓉の命かな(一)「はちうゞし」は「はすすゞし」の誤か(二)萬葉、「かつまたの池はわれ知る運なししかいふ君の影なきがごと(三)原本「鳥うたふ」とあり、一本により改む「風蓮」も一本に「風蘭」(四)「走りけり」一本「立れけり」に作る、是なる新町山口素堂句集
名家俳句集(一)誹諸品彙に「みたらしや半流る〓年忘」年もはやなかば流れつ御祓川(1)追加長雨の雲吹出せ靑あらし靑雲や舟流しやるほと〓ぎす三日月の影にて涼む哀かな影にして涼むもあはれ三日の月その富士や五月晦日二里の旅土佐が畫の彩色兀げし須磨の秋西瓜ひとり野分をしらぬ朝かな棚橋や夢路をたどる蕎麥の花獨樂我舞て我に見せけり月夜影もしやとてあふぐ二日の初月夜むさし野の月見にまかりて歸るさに袖みやげ今朝落しけり野路の月西國下りの頃淋しさを裸にしたり須磨の月三日月にかならず近き星ひとつ三日月をたわめて宿す薄かな秋昔此日家隆卿七そぢな〓のと詠じ給ふはみづからを祝ふなるべしと我母のよはひのあひにあふ事を壽きて猶九そぢ餘り九つの重陽をもかさねまはしく思ふ事しかりめでたさや星の一夜も蕣も去年の蔓に蕣か〓る垣根かな有明も蕣の威に氣おされぬ朝顏よおもはじ鶴と鴨のあし(一)山口素堂句集(一)莊子駢栂「鳧脛雖短、續之則憂、鶴脛雖長、斷之則悲」
名家俳句集武藏野の薄を手折て大佛の前に耳かきをひろひし事を思ひ出て宿にみるもやはり武藏野の薄哉いべくいや小野のお通が花す〓き晴る〓夜の江戶より近し霧の不二明石朝霧に歌の元氣やふかれけむ玉津島霧雨に衣通姫の素顏みむ(一)野水の雁の句をしたひて(三)麥を忘れ花におほれぬ雁ならしいつくしま回廊に汐みちくれば鹿ぞ啼く露ながく釜に落來る覚かな長崎にて珠は鬼灯砂糖は土のごとく也(三)南瓜やずつしり落ちて暮淋し忍の岡のふもとへ家を移しける頃塔高し梢の秋の嵐よりちからなく菊につ〓まる芭蕉かな宗祇法師のことばによりて(八二)名もしらぬ小草花さく野菊かな戊寅の秋洛陽に遊び一日鳴瀧に茸狩して兩袖にいだき(一)玉津島は衣通姫を祭る(二)野水、「麥くひし雁と思へど別かな」(三)杜牧之阿房宮賦、「鼎鐺玉石、金塊珠礫」(四)宗祇「名も知らぬ小草花さく川べかな」て歸りぬ其片袖は都の主人にあたへ其片袖は大津の浦の一隱士安世のかたへ此三唱を添へて送るならし其一茸狩や見付けぬさきのおもしろさ其二松茸やひとつ見付けし闇の星其三袖の香やきのふつかひし松の露九月十三夜游園中十三唱其一ことしや中秋の月よからず(一)山口素堂句集此夕は雲霧のさはりもなく遠き山もうしろの園に動き出るやうにてさきの月のうらみもはれぬ不二筑波二夜の月を一夜哉其二寄菊たのしさや二夜の月に菊添へて其三寄茶江を汲て唐茶に月の湧く夜かな其四指すぎぬこ〓ろや月の十三夜(二)其五寄蕎麥月に蕎麥を占ふこと古き文(一)其袋には、「月は心よからず」とあり(二)一本「旨過る」とあ
名家俳句集に見えたり我蕎麥は占ふによしなし月九分あれ野の蕎麥よ花ひとつ其六畠中に霜を待つ瓜あり試に筆をたて〓冬瓜におもふ事かく月見哉其七同隱相求といふ心をむくの木のむく鳥ならし月と我其八寄薄蘇鐵にはやどらぬ月の薄かな其九寄蘿遠くとも月に這ひか〓れ野邊の蘿其十一水一月千水千月といふ古ごとにすがりて我身ひとつの月を問ふ袖につまに露分衣月幾つ其十一答月一つ柳ちり殘る木の間より其十二寄芭蕉去年の今宵は彼菴に月をもてあそびて越の人あり筑紫の僧ありあるじも更科の月より歸りて木曾の瘦もまだ(一) (一)芭蕉「木曾の瘦もまだ直らめに後の月」直らぬになど詠じけらしことしも又月のためとて菴を出ぬ松島象潟をはじめさるべき月の所々をつくして隱の思ひ出にせむとなるべし此度は月に肥えてや歸りなむ其十三國より歸る我をつれて我影かへる月夜かなうるしせぬ琴や作らぬ菊の友酒折のにひばりの菊とうたはゞや(一)こかしせし思ひを小夜の枕(三)にて我此心をつねにあはれむ今なほ思ひ出るまよにはなれじときのふの菊を枕かな石山雲なかば岩を殘して紅葉けり大江山ふみも見じ鬼住む跡の栗のいが甲斐が根ほぞ落の柹の音聞く深山哉(一)日本武尊甲斐酒折の宮にて、「にひばり筑波をすぎて幾夜か寢つる」とよみ給へり(二)こかしせしの句誤脫あるにや追加(三)小式部「大江山生野の路の遠ければまだふみも見ず天の橋立」唐に不二あらばけふの月見せよ堂高し梢の秋の嵐より市中より東叡山の麓に家を移せしころ山口素(句句集
名家俳句集鮭の時宿は豆腐の雨夜哉芭蕉庵にまうでて秋むかし菊水せむと契りしか月一つ柳ちり殘る木の間より比良暮雪暮遲し敦賀の津まで比良の雪炭がまや猿も朽葉も松の雪芭蕉いづれ根笹に霜の花盛烏巾を送る唐のよし野の奥の頭巾哉茶の花や利休が目にはよしの山(三)金馬のとし仲の冬中の七日三四友をかたらひて心ざしを申侍る人やしる冬至の前のとし忘名をとげて身退しやふくもどき(四)埋火冬天の原よし原不二の中行く時雨かな三保夕照網さらす松原ばかりしぐれ哉深草の翁宗祇居士を讃して(一)いはずや友風月家旅泊と芭蕉の趣きに似たり旅の旅つひに宗祇の時雨かな寒くとも三日月見よと落葉哉松陰に落葉を着よと捨子かな竹日の畫竹靑く日赤し雪に墨の隈(三)山口素堂句集(一)深草の翁は釋元政(二)原本黑とあり、本により墨と改む(三)其角、「餅花や鼠の目には吉野山」(四)「身退し」は「身退く」の誤なるべし、老子「功成名遂身退天之道
名家俳句集宮殿爐也女御更衣も猫の戀花桃身しりぞかれしはいづれの江の邊ぞや俤は〓へし宿に先立てこたへぬ松と聞えしは誰をとひし心ぞや閑人閑をとはまくすれどきのふはけふを好みけふも又くれぬ行かずして見る五湖煎蠣の音を聞く和布刈遠し王子の狐見に行かむ(1)鳴戶磯渦まく曆くれはやし此わすれ流る〓年の淀ならむ(三)市に入てしばし心を師走かな追加(一)「和布刈遠し」一本「年の一夜」とあり亡友芭蕉居士近來山家集風躰を慕はれければ追悼に此集を讀誦すあはれさや時雨る〓磯の山家集芭蕉舊庵にて歎げとてふくべぞ殘る垣の霜腹中の反古見分けむ年の暮(二)これは芭蕉の句なり、葛の松原に「名月や池をめぐりて夜もすがら」の句と並べ出して、「必とする事なきは素堂亭の年忘にして固とせざるは芭蕉庵の月見なるべし」素堂の句なりと誤解せ其角發句集
其角と嵐雪とは菴中の桃櫻なりと蕉翁の稱し申されしは、りといひけむ心ばへなるべし。か〓れば此ふたりは一雙の名家にして、天下の桃李こと〓〓く公が門に在りといひけむ心ばへなるべし。か〓れば此ふたりは一雙の名家にして、うにおほえたれど、その中にも聊かの勝劣はなきにしもあらざるべし。千里獨步の氣性あり、世人も人丸赤人のやうにおほえたれど、そも〓〓嵐雪は、風雅に禪味をかねて無門の關もさはる事なく世理の外に遊び、千里獨步の氣性あり、晉子は志學の年より功をつみて、はたちばかりの頃は既に次韵の作者に許されたり。かく警古の心あつき上に、醉〓に入てはいよ〓〓奇語人を驚かす。おのづから松の尾の神の助あるにや、こ人の思ひ及ぶまじき妙處に至る。されば嵐雪が下に晉子は志學の年より功をつみて、かく警古の心あつき上に、醉〓に入てはいよ〓〓奇語人を驚かす。人の思ひ及ぶまじき妙處に至る。こやとも人をいふべきにとよみしやうに、人の思ひ及ぶまじき妙處に至る。た〓む事かたくなむあるべき。翁も俳諧の定家卿なりと賞譽し、すべて濶達の中にほそみありて、句々みな自在をつくせり。た〓む事かたくなむあるべき。さわやかなる事は此人に及ばずと去來もぬかづきぬ。すべて濶達の中にほそみありて、誰の人か世に敵するものあらむや。此ごろ句集を板に刻むに、懷にひきいる〓ばかりに殊にちひさくしたて〓、學者に便あらせむとす。牛をたづねて跡を求め、魚をうらやみて網をむすぶ其角發句集
名家俳句集一七一二輩、此書をはしだてとしてたゞちに百尺竿頭に步をす〓むべしと也。隨齋成美序其角發句集行きあひの松もかたそぎ飾竹年たつや家中の禮は星月夜明くる夜のほのかにうれし嫁がきみ元日や月見ぬ人の橋のおと元日の炭賣十の指くろし破魔弓や當時紅裏四天王(三)手握蘭口含雞舌ゆづり葉や口にふくみて筆はじめ師走の分野是かや春の物ぐるひ高砂住の江の松を古今萬葉のためしに引かれしより散りうせずして連歌に傳ふしかるに此松は枝葉百間にあ坎窩久藏考訂春之部日の春をさすがに鶴のあゆみ哉鐘ひとつ賣れぬ日はなし江戶の春(1)鶴さもあれ顏淵生きて千々の春題黃金目には見ず一萬枚を御代の春世の中の榮螺も鼻を明のはる松かざり伊勢が家かふ人は誰(三)神明町に居をうつして(一)江戶の繁昌をいふ(二)古今伊勢「家をうりて、飛鳥川淵にもあらぬ我宿もせにかはりゆく物にぞありける」(三)「泰平の四天王は紅裏を着し徃昔の四天王は甲胃を着す」と詞書あり其角發句集
名家俳句集まりて諸木にことなる景色尤俳諧なるべし蓬萊の松にたてばや曾根の松蓬萊の讃(一島ぞよる三つの書院のかゞやくまで庭竈牛も雜煮をすわりけり春王正月老生死のむかし男ぞと水いはひしたしき友にこなたにも女房もたせむ水祝ひ若水に松魚のをどる涼しさよ福祿壽の讃長き日や年のかしらの影法師はつ夢や額にあつる扇より寶引に蝸牛の角をた〓く也寶引の讃保昌がちからひくなり胴ふくり衆鼠入懷の夢をひらきて引きつれて松をくはへる鼠かな大根畫讃兵のひかへてふたり子日かな松かさやまはさば獨樂にまはるべく花さかば告げよ尾上の春おろし(三)帶せぬぞ神代ならまし踏歌宴蛭子昏かけとり帳の三枚目(三)十一日(一)三書院を蓬萊、丈、瀛洲に比す方(二)鞍馬山にて番に燧石を入れつりもろして賣るをいふ(三)たち餘りのつきたる紙をいふお汁子を還城樂のたもと哉大黑殿をいさめ申せとて樽送られしに年神に樽の口ぬく小槌かな漸覺春相泥といふ切句削りかけ膏藥ねりの鼻にあれ景〓が世帶見せぬや二薺CC百人の雪かきしばし薺ほりとばしりも顏に匂へるなづな哉七種や明けぬに聟のまくらもとな〓草や跡にうかる〓朝がらすさわらびの七種打は寒からむ砂植の水菜も來たり初若菜二人靜のかけものになつみ哉扇ふたつを飛ぶこてふうかれ雀妻よぶ里の朝若菜畠から頭巾よぶなり若菜摘傘持はつくばひなれし若菜哉長嘯の記をおもひ出て(三)土手の馬くはむをむげに菜摘かな(三)菜摘ちかし白魚を吉野川に放てみう河州八尾嫁そしりうすらひやわづかに咲ける芹の花溪邊雙白鷺沐ぶ鷺芹梳るながれかな萬葉集にも朱雀の柳と侍り(四、) (一)景〓が大宮司の女に通ひ又五條坂に通ふを二世帶といへる也(二)吉原通の遊客の乘る土手馬、長嘯「いかなれや野邊に刈りかふ淺草のくはんをむまのはみ殘しける」(三)「みう」は「見よう」(四)萬葉集云々は例の杜撰なり其角發句集
名家俳句集一七六所がらのけしきを(一)たびらこは西の禿にならひけり正月廿日冠里公に侍座菜刻みの上手を握る蕨かな新三十三間堂若草やきのふの箭見も木綿賣參宮の四判は來たり亥子の間春の水かろく能書の手をはしらすちくま川春ゆく水や鮫の髓(二)四十の賀し給へる家にて御祕藏に墨をすらせて梅見哉なつかしき枝のさけめや梅の花うめが香や乞食の家ものぞかるよ小庭にうつしたる梅の小枝に鵙の草莖を見出て人々に句をす〓めけるついで梅の名をうたてや鵙のやどりとはさす枝のゆきとゞかぬや繪馬のうめ等躬あいさつやみの夜のをりないかとは梅の袖(三)百八のかねて迷ふや闇のうめ進上に闇をかねてやうめの花(四)こつとりと風のやむ夜は藪の梅旅立ける人に古郷へうめをり入れよかたな箱不曲亭(一)「たびらこ」は佛の座(鷄腸草) (二)雪の氷りて流る〓が鮫の髄に似たりと也(三)「をりない」は不居の〓(四)曉闇の時より起きて長者に贈る梅を折るあぜをこす目あても梅の匂ひ哉腕押のわれならなくに梅のはな三日月の命あやなしやみの梅元祿十四年二月廿五日聖廟八百齡御年忌於龜戶御社詩歌連俳令興行一坐梅松やあがむる數も八百所箒木のゐぐひは是に闇のうめCO和心水推敲之句た〓く時よき月見たり梅の門CI)白主改名白黑の間の障子やうめと星梅津硯水會に窓をやれと梅ほころびぬ大家中宰府奉納守梅のあそびわざなり野老賣元日眞珠喰ひあてし人の句を祝へといふに夜光る梅のつぼみや貝の玉小袖着せて俤にほへ梅がつま(三)仙石壹岐守殿正月五日にみまかり給ひぬ玉芙公に御悔申上侍るとて外樣まで手向のうめを拜みけり久松肅山亭にて梅寒く愛宕の星のにほひ哉(一)坂上是則「園原やふせやに生ふる箒木のありとは見えて逢はぬ君かな」狂言の「居机」は觀音要想の頭巾をかぶればあたりの人に見えずといふを趣向とす(二)心水詩末若葉に見ゆ、「愛君滑稽一時豪、雁花門裏月、字帶霞入彩毫、不知誰與定福包装飾推敬」(三)用箱に、俳優瀧井山三郞追善の句なら其角發句集
名家俳句集一八八梅津氏の祖父大坂表の軍功によりて御感狀御太刀を頂戴せらる正月十七日の朝とかや上杉蜂須賀等の家臣十七人と也家の風相つたへて今も正月十七日鏡開の興行あり其雫家督執權として此春の賀會あり幡持を文臺脇やうめのはな宿のうめ樅いかばかり靑かつし芭蕉翁百ケ日懷舊墨のうめ春やむかしの昔かな氷肌玉骨とかやむかしみし花にも香にも梅の皮うぐひすの身を逆にはつねかな鶯よいでもの見せむ杉鋏芭蕉庵をとひてうぐひすや十日過ぎてもおなじ梅あらし座にて鶯の子は子なりけり三右衞門うぐひすに罷出でたよひきがへるうぐひすの曉寒しきりん) す鶯に藥をしへむ聲のあや市隅竹と見て鶯來たり竹虎落(三)うぐひすや鼠ちりゆく閨のひま(一)嵐三右衞門は俳優(二)竹虎落は竹の物干茶臼にとまりたる畫に鶯やこほらぬ聲を朝日山茶杓にとまりたる畫にうぐひすの曲げたる枝を削りけむ鶯がねぐら笛ふきおこせ笹神(一)うぐひすや遠路ながら禮がへしうぐひすに長刀か〓るなげし哉(三)柳上鷺の圖にさかさまに鷺の影見る柳かなまがれるをまげて曲らぬやなぎ哉蝸牛豆かとばかり柳かな風なりに靑い雨ふるやなぎ哉傾城の讃靑柳の額の櫛や三日の月靑柳に蝙蝠つたふ夕ばえや柳には鼓もうたず歌もなし欄干や柳の曲をつたふ狙(三)山更上京貫ざしもわがねて輕き柳かな傾城の賢なるはこの柳かなこと葉書有略燒けのこる琴にうらみの柳哉芭蕉の自畫十三懷周之讃師の坊の十年しばし柳蔭正月己巳布施辨財天へ詣侍る奉納(一)風俗歌「うばらこきの下には鼬笛ふく猿かなづいなごまろは拍子うつきり〓〓すは鉦鼓うつ」(二)撮解に、「爲の花ふみちらす細脛を大長刀にそうとかけばや」(三)み〓な草「鞠の神を精大明神といふ猿田彥なり鞠に衣紋流し柳流しなどといふ事あり成道卿〓水寺の舞台の欄干を鞠を蹴て廻りし事あり」其角發句集
名家俳句集玉椿晝と見えてや布施ごもり白魚や漁翁が齒にはあひながらしら魚の營にあがる雲雀かな白魚露命マ月と泣く夜生雪魚の朧闇しらうをの色かはるもの川げしき白魚や海苔は下邊の買あはせ行く水や何にとゞまる海苔の味のりす〓ぐ水の名にすめみやこ鳥一升はからき海より蜆かな石ひとつ〓き渚やむき蜆陽炎や小磯の砂も吹きたてず四睡圖(一)かげろふに寢ても動くや虎の耳梟にあはぬ目鏡やおぼろ月點印半面美人の字を彫て琴形の中に備へたるを始めて冠里公の萬句の御卷に押弘め侍るとて春の月琴に物かくはじめ哉(三)おぼろとは松の黑さに月夜かな二月十七日原驛富士の朧都の太夫見て譽めむ沾德岩城に逗留して餞別の句なきを恨むよし聞え侍りしに(一)豐干禪師、寒山、拾得と虎との睡りたる圖(二)み〓な草に、「冠里公万句の褒貶を師に仰付られし時五十點の印なき由を申上ければ机上の文鎭を下されたりそれをすぐに用ひし也」松島やしまかすむとも此ついで不二の繪にのぞまれ侍り三帆舟は鹽尻になるかすみ哉みの路にか〓り侍るに孫どもの蠶やしなふ日向かなはるさめや桑の香に醉ふ美濃尾張春雨やひしきものには枯つ〓じ(二)綱が立て綱が噂の雨夜かなこの雨はあた〓かならむ日次かな本多總州公にて春の夜や草津の鞭の夢ばかり遠遊醉歸の駕のうちにてはるの夜の女とは我むすめ哉三州小酒井村觀音奉納如意輪や鼾もか〓ず春日影伶人の門なつかしや春のこゑ悼後立志初音は女也昔かなはつ音三井寺夢の春(二)引きかへて蕪をはたのに春の駒畫讃浦島がたよりの春か鶴の聲たねかしや太神宮へひとつかみ舞鶴や天氣さだめて種下したねおろし俵にわたす小橋かな苗代や座頭は得たる畝づたひ格枝繪馬合に(一)謠曲羅生門「いかに面々さしたる興も候はねども春雨のきのふけふ云々」この趣なり(二)初音は立志のなじめる遊女、「三井寺」は立志の好みし謠なりと其角發句集
名家俳句集ことし斯螽ふえたり稻荷山禁固を破りて暇を玉はる也破や見にくい銀を父のためやぶ入やそれはいなばの是は星藪いりや一つはあたるうらや算藪入や早いにろくなつらはなしやぶ入や牛合點して大原まで故赤穗主淺野少府監長矩之舊臣大石內藏之助等四十六人同志異體報亡君之讎今玆二月四日官裁下令一時伏刄齊屍萬世のさへづり黃舌をひるがへし肺肝をつらぬくうぐひすに此からし酢はなみだ哉畫讃拾得の鳳巾にからむや玉箒かつしかや江戶をはなれぬ鳳中支考が遠遊のこ〓ろざし有りけるに白河の關に見かへれいかのぼり人に胡椒の粉をふりかけられて耳ふつてくさめもあへず鳴く音哉自得蝶を嚙んで子猫を舐るこ〓ろ哉或お寺にねう比丘とて腰のぬけたるおはしけり住持の深くいとほしみ申されしに五の德を感ず能睡あた〓かな所嗅出すねぶりかな能忘おもへ春七年かうた夜の雨能捕鶉かと鼠のあぢを問てまし能狂陽炎としきりに狂ふ心かな能耽髭のあるめをと珍し花心ci吉原の初午はつうまや賽錢よみは芝居からはつ午に寺のほりの例をふたりの御子達に祝願いたし候いの字より習ひそめてやいなり山奉納金柑や冬靑にさしても稻荷山爰にけふ御馬水かへ水間寺惜春梅ちるやこれを箕にせむ鳳巾すべらずに筏さす見よ雪の水類燒のころ邊鄙の居を問て一樽に玉子を送る人にわらづとや雪の玉水十とよむ杉起きて畠をみする雪間哉淺茅が原出て山寺に遊び畠中の梅のほつえに六分ばか(一)來山「兩方に影があるなり猫の戀」其角發句集
名家俳句集一八四りなる蛙のからを見付て鵙の草莖なるべしと折取侍る草莖をつ〓む葉もなき雪間哉霞きえて不二を裸に雪肥えたり足あとをつまこふ猫や雪の中猫の子のくんづほぐれつ胡蝶かな近隣戀京町の猫通ひけり揚屋町寄竹戀埋られたおのが淚や(1)斑竹幼(三)戀箒木の百目なき子に別かな(三)寄寺戀柏木の柳もそれかあがり猫思他戀飯くへば君が方へと訴訟猫疑(四.戀花の夢胡、蝶に似たり辰之助御忌人の世やのどかなる日の寺ばやしわたし舟武士はたゞのる彼岸哉授記品無有魔事くもりしが降らで彼岸の夕日影不生不滅のこ〓ろを海棠の鼾を悟れねはん像佛若し大晦日に入滅し給はばいかに佛ともとんちやくすべきかよる衆生のためには往生もふのものなるべし佛とはさくらの花に月夜かな二月十五日上京發足西行の死出路を旅のはじめ哉(五) (一)舜崩じて其妃の淚竹を染めて斑竹となれ(二)猫の子の百目あるに至り乳をはなし他に(三)源氏柏木「此春は柳のめにぞ玉はぬく咲きちる花のゆくへ知らねば」り物となりたる也愛猫の寺にあが(四)辰之助は名優水木辰之助(五)西行の歌、「願はくは花の下にて春死なん其如月の頃寒食や竈下に猫の目を怪む今案ずるに寒食の家には自身番餅配り國栖人ごまめ奏してより野老賣こゑ大原の里びたりはつ茸の盆と見えたり野老賣駒とめて雪見る僧に蕗のたううめが香や此一すぢをふきのたう竹の香や柳をたづね蕗の薹菜苑ツク〓〓シ黑胡麻でこ〓をあへぬか土筆すこ〓〓と摘むやつますや土筆野鼠のこれをくふらむ土筆泥龜の腕とおもへば土わさび山里の名もなつかしや作り獨活南都にあそぶ雨傘や薪の夜のあれとほしねぶる蝶よる〓〓何をする事ぞ見獅子伶有感蝶しるや獅子は獸の君なりと百とせはねるが藥の胡蝶かな(10無車馬喧夕日影町中にとぶ胡蝶かな蝶とぶや猿をよびこむ原屋敷藁屑に花を見すてしこてふ哉釋菜聖堂にこまぬく蝶もたもと哉(一)「睡るが藥」「胡蝶の要の百年目」といふ二つの諺による其角發句集
名家俳句集一八六(一)撮解「自注にとびあがり障子といふらんとあり、井蛙抄に爲氏卿がやりし雀の子とびあがりしやうしといふらん(三)萬葉三に、鳥總立(トフサタテ)の語あり、トフサは木の梢なりと雀子やあかり障子の笹の影〓山の端に乙鳥をかへす入日かな畫讃燕やかろき巢を曳くいかのぼりからかさに時かさうよぬれ燕川燕纖さす邪魔と見ゆる哉柳燕の圖乙鳥の塵をうごかす柳かな海づらの虹をけしたる燕かな茶の水に塵なおとしそ里つばめ階子からとふさに及ぶ乙鳥かな(三)歸る雁米つきも古〓やおもふ小田かへす鍬もはしらや殘る雁市川才牛追善一子九藏名をつぎ侍るに(三)塗顏の父はながらや雉子の聲世の中は何かさかしききじのこゑウうつくしき顏かく雉子の距かな角田川にてなれも其子を尋ぬるか雉子の聲人うとし雉をとがむる犬のこゑ帆柱のせみよりおろす雲雀哉(五円壓やひばりあがれとか夕日かげ(五)淺草川泛舟川上は柳か梅かも〓ちどり浴にいふうぶめなるべし呼子鳥(く) (三)古歌「物いへば父は長柄の人柱鳴かずば雉もいられまじきを」雉子の顔の赤きを荒事の紅隈に比せり(四)せみは帆綱をかくる滑車にて其形蟬に似(五)廳はかげろふ(六)うぶめは產婦の死して化したる鳥なりと(一)花は歌舞妓の本狂言、桃は脇踊となり花さそふ桃や歌舞妓の脇踊り(一)醴に桃李の詩人髭しろし菓子盆にけし人形やも〓の花(二)綠豆の頭もしろし桃の眉燕にすさめられてや庭の桃あけほのやことに桃花の雞のこゑ鷄の獅子にはたらく逆毛哉順禮はよそにをがむや鷄あはせ勝足をひたさば關の〓水かな炭喰の聲だにた〓ぬねらひ哉毛ごろもに腹黑き名を雪けり老鳥のけふわかやぎぬ固本丹割つて入るくるみ花冠も箕手かな王子曲水もよほされて水呑を烏帽子にきせむ岩つ〓じ曲水にあの氣違は茶碗かな曲水や筧まかする宿ならばおはしたに木兎もあり雛座敷かつらぎの神はいづれぞ夜の雛(二一)もどかしや雛に對して小盞見てのみや盜まぬ雛は松浦舟上座ほど雛のすがたの新なり傳へ來てひなのたからや延喜錢三月四日雪ふりけるに雛やその佐野のわたりの雪の袖(四)紙雛のさう〓〓しさよ立ち姿(五) (二)瞿粟人形は極めて小き人形(三)葛城神は夜間のみ(一四)「駒とめて袖打拂たりの雪の夕暮」ふかげもなし佐野のわ(五)さう〓〓しは淋しき意其角發句集
名家俳句集綿とりてねびまさりけり雛の顏(一)ひなのさま宮腹々にまし〓〓けるいもうとのもとにて世わすれに我酒かはむ姪がひな雛やそも碁盤にたてしまろがたけ折菓子や井筒になりて雛のたけくり言をひなもあはれめ虎が母段のひな〓水坂を一目かなひなくれぬ人をはつせの棧敷哉永代島八幡宮奉納汐千也たづねてまゐれ次郎貝is親にらむ比目を踏まむ汐干かな(三)紀の國の鯛釣つれて汐千かな貝つるや白洲の末のながれ松へなたりやかづき上げしは水の栗われからと雀はすゞめからす貝貝にて貝をむき侍るをあさり貝むかしの劍うらさびぬ海松ふさや浪のかけたるほらの貝藤潟や鹽瀨によするふくさ貝(三)すだれ貝雪の高濱みし人か子安貝二見の浦を產湯哉貝ぞろへを送られしに蛤のしかもはさむかたま柳鐵槌にわれから贏螺のからみ哉江の島や旦那跡から汐干がひ(一)大なる雛から段々小なるを立並べたる景色(二)諺に「親をにらむと比目魚になる」(三)鹽瀨の服紗に籐色の緣をもたせたり東潮留主見舞出代や人おく世話も連衆から傀儡師阿波の鳴戶を小うた哉伊勢の雲津を過侍る馬に出る子をまつ門や傀儡師露沾公御庭にて寢時分にまた見む月かはつ櫻沓足袋や鐙にのこる初ざくら一筆令啓上候と招かれてはつ櫻天狗のかいた文みせむいざさくら小町が姉の名はしらず猿のよる酒屋きはめて櫻かな京中へ地主のさくらや飛ぶこてふ仁和寺(三)いなづまのやどり木なりし櫻かな八つ過の山のさくらや一沉み雨後さくらちる彌生五日はわすれまじさくら狩けふは目黑のしるべせよ妙鏡坊より花送られしに文はあとに櫻さし出す使かな上野〓水堂にて鐘かけてしかも盛のさくら哉折るに殺生偸盜ありあた也と花に五戒のさくら哉これは〓〓とばかり散るも櫻かな(三) (一)〓水地主權現の櫻(二)仁和帝の御代短くて崩じ給へるよりいふ(三)貞室の「これは〓〓とばかり花の吉野山」其角發句集
名家俳句集上野にて浮助や扈從見にゆく櫻寺(1)芳野山ぶみして明星やさくらさだめぬ山かつらCII口びるを魚に吸はる〓さくら哉大悲心院の花を見侍りて灌頂の闇より出て櫻かな酒のさかなに櫻花をたしなむ人に下臥に漬味見せよしほざくら墨染に鯛彼さくらいつかこちけむ身をひねる詠なりけり糸ざくら浦人の花をもらうてちる時を計に買はむ磯ざくら花中尋友饅頭で人をたづねよ山ざくら山ざくら鏡戀しき僧あらむやまざくら猿をはなして梢がなCity石河氏宜雨公の山莊にて二すぢの道は角豆かやまざくらひまな手の鎗持寒し山ざくら目黑松隣堂にて浮世木を麓にさきぬやま櫻小坊主や松にかくれて山ざくら土取の車にそふや山ざくら辛未の春上野に遊べる日門(一)浮助はうかれ者(二)山かつらは山の端にか〓れる曉雲(三)手の届かぬ梢を猿に折らせたしとの意主薨御のよしをふれて世上一時に愁眉ひそめしかば其彌生その二日ぞや山ざくら含秀亭の花植ゑそへ給ふに植足に三切の供や山ざくら勢多春望山ざくら身を泣くうたの捨子哉茶もらひに此晩鐘をやま櫻萬日の人のちりはや遲ざくら一食千金とかや津の國の何五兩せむさくら鯛友猿のともぎらひすな花ごろも緣からはこなたおもふや花の庭泥坊や花のかげにて踏まれたり行露公あたみへ御浴養の頃脇息にあの花をれと山路かな花鳥もうつよとならむ願かな含秀亭の山ぶみに御供して御近習や花のこなたにかたをなみ花ひとつたもとにお乳の手出し哉地うたひや花の外には松ばかり讀莊子彼是は嵐雪の僞花のうそ門柳塵を拂ふ折ふし鶯啼く(1)御用よぶ丁兒かへすな花の鳥花見哉母につれだつ盲兒(一)白詩呼客」「臺頭有酒覺
名家俳句集護國寺にあそぶ時馬にて迎へられて白雲や花になりゆく顏は嵯峨C-はなざかり瓢ふみわる人もあり大佛膝うづむらむ花の雪世の花や五年已前の女とは憶芭蕉翁月花や洛陽の寺社殘りなく傀儡の鼓うつなる花見哉寢よとすれば棒つき廻る花の山花に遂げて親達よばむ都かな立君をあはれむざれありく主よ下人よ花ごろも德利狂人いたはしや花ゆゑにこそ花ざかり子であるかる〓夫婦哉人は人を戀のすがたや花に鳥庚申の雨といふ題にて此降を人が延ざる花見かなちるはなや踏皮をへだつる足の心此雨に花見ぬ人や家の豆九條殿御下向傳奏にものかは見ばや花の門雜司ヶ谷にて(三)山里は人をあられの花見かな花折て人の礫にあづからむ屋形舟花見ぬ女中出にけり(一)千載集良經極度はく比良の山風吹くから浦波」に花になりゆく志賀の袁中郎送李湘洲使浙詩「不言知向越、面上有西湖」(二)月〓集「山里は槇の葉しのぎ霰ふりせき入れし水の音づれもせ意馬心猿解立馬の曰くは猿のはなごころ永代寺池邊池をのむ犬に入相のはなの影をるとても花の間のせかれ哉侍座花にこそ表書院でお月代神力品現大神力法の花ちるや高座をた〓く音はな笠を着せて似合はむ人は誰惜花不掃地我奴落花に朝寢ゆるしけり日輪寺の僧と對興して花に酒僧どもわびむ鹽ざかな花は都ものくる〓友はなかりけりかんざしや散りゆく花のおもしにも上野御わたり徒士見立つる頃の花見哉酒を妻つまを妾の花見かな妓子萬三郞を供してその花にあるきながらや小盞花に來て都は幕のさかり哉代〓樵彫笛縫蓑花に晴せむ浮世かな車にて花見をみばや東やま尋花(一)今昔物語廿四殿守のとものみやつこ心あらば此春ばかり朝〓めすな」其角發句集
名家俳句集植木屋の亭主留主なり花いまだこの〓〓と花の名殘や節扇湖春をいたみて泣てよむ短尺もあり花は夢甫盛はじめて上京に花ぞ濃伊勢をしまへば裏移名ざかりや作戀五郞花定め行露公年々花を給はることし遲かりければ花を得む使者の夜道に月を哉はな下げてやりてがひとり寺參り花に鐘そこのき給へ喧嘩買O客ずきやこ〓ろを花に浮藏主榎島花風や天女負れて歩わたり宰府參詣の舟中菜のはなの小坊主に角なかりけり(三)海棠の花のうつ〓やおぼろ月山吹は黃玉靑玉露ぞうき三月正當三十日やまぶきも柳の糸のはらみ哉月雪に山吹花の素顏よし淺草川逍遙鯉の義は山吹の瀨やしらぬ分(三)小鳥居は葉守の神かつ〓じ山こ〓ろなき御影さんはに岩つ〓じ(四) (一)謠曲雲林院「あら心もとなの散らしつる花や、さればこそ人の候落花狼藉の人そこのき給へ」龜戶なるべし、(二)撮解に、「按ずるに渭北が集に晉子自らいふ、紅葉に鹿、菜の花に小坊主とは案じつれど終には聞えぬ事とあり」(三)山吹の瀨は字治に(四)西行の畫讃なり、「心なき」は鴫立つ澤の歌をいふ、「さんは」は佛家の生飯なり、散飯の意か旦夕のはしゐはじむるつ〓じ哉亦是より木屋一見のつ〓じ哉きりしまに豆腐を切て捨てばやな柴舟の里は茶摘の水けぶり白藤を酢みそにつたふ雫かな畫讚藤の花これまで顯れいで蛸なりふぢ咲て松魚くふ日をかぞへけり水影や殿わたるふぢの棚錦にも藤の虱は憎からしよそに見ぬ石の五德やふぢの露秋航庭せ〓りせらる〓にたそがれや藤うゑらる〓扇取わかさ三嘯公侍從になりて京使にたち給ふを祝して藤浪や廿七人草履とりこ〓かしこかはづ鳴く江の星の數ちんば引く蝦にそふる淚かな市間喧つけ木屋の手なら足なら雨蛙景政が片目をひろふ田螺かな(一)ある人の子の名をきいてことわりや養ひ子なら蜂之助(二)竹に蜂の巢かけし繪になよたけのさ〓ら三八宿とこそ(三)何必逃杯走似雲(一)鎌倉權五郎景政(二)似我蜂は他の虫をとりて我子として育つ(三)疱瘡除の守札に「さ〓ら三八宿」と書く事あり、そのさ〓らを竹の緣によせたり其角發句集
名家俳句集此虻をたばこで逃すけぶり哉龍樹菩薩の禪陀伽王に對して貪欲をしめし給ふにたとへば有瘡人近猛煙始雖悅後增苦の文の心を雁瘡のいゆる時えし御法かな摩訶止觀に一目之羅不能得鳥得鳥之羅唯是一目此文のこ〓ろを鳥雲に餌差ひとりのゆくへ哉南村千調仙臺へかへるに行春や猪口を雄島のわすれ貝三月盡鳶に乘て春を送るに白雲やとしたけて伊勢まで誰か更衣乞食哉天地を着たる夏ごろもわか鳥やあやなき音にも郭公有明の面起すやほと〓ぎす(三)淀舟や犬もこがる〓子規夜這星鳴きつるかたやほと〓ぎす歴々や下馬のをりふし時鳥川むかひ誰屋敷へかほと〓ぎす鵺啼くやこのあかつきを子規あかつきの氷雨をさそふや郭公百間長屋にて時鳥人のつら見よ下水打ほと〓ぎす一二の橋の夜明かな四夏之部風光別我苦吟身大酒におきてものうき袷かな一つとろに袷になるや黑木うり越後屋に絹さく音や更衣(1)卯月八日母におくれて身にとりて衣がへうき卯月哉ぬがでやは千手觀音ころもがへ(三)法體もしまの下着や更衣寄甘己白禿もなほるばかりぞ衣がへ奉幣使御代參の人の家にて(一)越後屋は江戶駿河町の三井呉服店(二)千手觀音は虱をい(三)擧白集逆衣「月花も面起すべき時なれ(四)東福寺門前大和大路に一の橋二の橋あり其角發句集
名家俳句集(二)阮咸が三味線しばしほと〓ぎす亦打山(11)夜こそきけ穢多が太鼓杜鵑きぬ〓〓の用意か月に杜字寮坊主飮まねば淋し郭公宰府奉納ほと〓ぎす鳥居々々と越えにけり林中不賣薪(三)せになくや山ほと〓ぎす町はづれウコギ麓寺五加が奥をほと〓ぎすさる江といふ村にてキくらぶ山材場の日蔭や子規曲終人不見(四)あかつきの反吐はとなりか杜宇たのみなき夢のみみる曉夢に來る母をかへすか郭公ほと〓ぎす我や鼠にひかれけむ子もふまず枕もふまず蜀魂枳風が妻を供して熱海へ行くとて馬の間妹よびかへせほと〓ぎす桑名にて蛤の燒かれてなくや子規それよりして夜明烏や時鳥點滴を硯に奇なりほと〓ぎす(五)人間の四月にふけれほとよぎす(一)阮咸は晉の七賢の一人、音律に妙にして善く琵琶を彈ず(二)亦打山はまつち山(三)西行「聞かずともこ〓をせにせむ時鳥山田の原の杉のむらだち」(四)唐の錢起驛舍に宿りし時舍外人あり、咏じて曰く、「曲終人不見、江上數峯靑」と(五)白氏「人間四月芳菲盡、山寺桃花始盛開、長恨春歸無賃處、轉入此中來」不知ある人の愛子にねだり申されてほと〓ぎす幟そめよとす〓めけり月消えて腰ぬけ風呂や子規六阿彌陀かけて鳴くらむ杜鵑〓淺草寺樹下虫つかぬ銀杏によらむ郭公葉になりてか〓れぬ梅や時鳥子規たど有明のきつね落ほと〓ぎす人を馳走に寢ぬ夜哉目の上に目をかく人や郭公夢晝砂は目に寢覺をあらへ蜀魂姊が崎の野夫忠孝心をきこしめされて祿を給はりたるよし起きてきけこの時鳥市兵衞記ほと〓ぎす二聲めには出馬かな上方があのこゑで螈くらふかほと〓ぎす音を守る夜寺に鬼なし子規山田市之丞ちつ〓〓と歸すつゞみや杜宇觀音で耳をほらせてほと〓ぎす〓我句人しらず我を鳴くものは杜鵑(三)ヨヤ鉦かん〓〓驚破時鳥草の戶にめれ〓〓と〓まらはづれて子規(一)彼岸の中日に參詣する六箇所の阿彌陀佛、江戶にて上豐島村西福寺、下沼田延命院、西ヶ原無量寺、田端與樂寺、下谷長福寺、龜井戶普光寺(二)當時耳の垢取を業とする者ありき、淺草にて耳垢をとらせしと也(三)論語憲問篇莫我知者也夫.者其天乎」「子曰知我(四)艪まらは船臍其角發句集
名家俳句集明方啼きすてし一こゑを(一)郭公中入までのばせをかなさもこそは木兎わらへ時鳥須磨にてほと〓ぎす雲も輪になる浦わ哉屏風に藤房卿住みすつるの所迷ひ子の三位よぶなり郭公(三)草の戶や犬に初音を隱者鳥上行寺二句灌佛や拾子則ち寺の兒灌佛や墓にむかへるひとり言佛さへこの世間はくるしきに知らでやけふは生れ出けむ麥飯や母にたかせて佛生會卯の花やいづれの御所の加茂詣うの花や蛎がら山の道のくま蟾をふんで夜卯の花を憎みけり年寒し若葉の雲の朝ほらけ舟歌の均しを吹くや夕若葉慈母墓花水にうつしかへたる茂かな僧正の靑きひとへやわか楓にしへの奈良のみやこの牡丹持(三)河州觀心寺(一)能樂の「芭蕉」をい(二)三位は籐房をさす(三)奈良産の牡丹に千貫屋、東大寺、乙子白などいふ名花あり楠の鎧ぬがれしほたん哉うかれ女や異見に凋む夕牡丹筑前紅を(11)しらぬ火の鏡にうつる牡丹かな丹羽左京かうのとのの參勤(三)を黑牡丹ねるやねりその大鳥毛艶士にめでて八專をうつ〓に笑ふ牡丹かなむらさめや驪山を名にし深見草肖柏の行狀をあつめて集編(三二)める人にさ〓はうし角に火ともす深見草殿つくり並てゆ〓し桐のはな紅毛來貢の品々奇なりとして桐の花新渡の鸚鵡ものいはず今日にかはる淨瑠璃殿や靑簾下洛卯月の中の一日隱岐殿のかへり見はやせ鏡山帆をおろす舟は松魚か磯がくれ鰹荷の跡は巳日の道者哉夕しほや客の間にあふ中ぶくらこよろぎの名は昔にてうつは哉和重錢に伊勢にても松魚なるべし酒迎(一)筑前紅又霞關ともいふ、牡丹の名品にて黑田侯の江戶邸の庭に生ぜしより此名あり(二)「かう」は守(三)肖柏は「春咲かぬ花や心の深見草」の句を以て名高く、又牛に乘りて遺遙せり其角發句集
名家俳句集二〇二たのみなき夢のみ見けるにうた〓寢の夢に見えたる鰹かな妻鰹の卵の中のめぢか哉人のまことまづ新しきかつを哉魚市涼宵楊貴妃の夜は活きたる松魚かなC)光廣卿の歌をおもひ合せ侍澤潟の鑛を引くなりかきつばた杜若疊へ水はこほれてもかきつばた女雪駄のかたしありむらさきの蛛もありけり杜若簾まけ雨に提げ來るかきつばた護國寺にあそぶ水漬になみだこほすや杜若奉納から衣御影やかけてかきつばたけしの花朝精進の凋れかな散りぎはは風も賴まじけしの花芥子ばたけ花ちる跡の須彌いくつ(1)祝產育(一)鰹のいき〓〓したるさまを楊貴妃の湯上り姿に見立てし也松魚かな先づまな箸を袖で拭く木賀名所は海を見ずして松魚かな袖裏や茄よりけに白く〓り淺野家義士等をいたむ(二)芥子の中に須彌山ありなどいふ佛語に本るたかうなの皮に臍の緒つ〓みけり笋よ竹よりおくに犬あらむ笋や丈山などの鎗の鞘CI大町亭法會法のため筍羹皿もかたみ哉(11)寄幻叶長老(三)老僧の筍をがむなみだ哉わか竹や鞭にわがぬる箱根山しなびたる法師の梅干しけるをうめいくつ圈伽の折敷に玉あられ傾城の夏書やさしやかりの宿番合羽かろしや浮世夏念佛短夜や朝日まつ間の納屋の聲岩翁亭題送蟹みじかよや隣へはこぶ蟹の足秋しらぬしげりも憎し烏麥馬士起きて馬をたづぬる麥野哉麥にかなし薄に月を見む迄の秋能化堂麥つく僧をけしき哉壁の麥葎に年を笑ふとかや田家早乙女に足あらはる〓嬉しさよ汁鍋に笠のしづくや早苗とり木賀入湯のころしばしとや早苗よりみる寺の門(一)丈山は石川丈山(二)筍羹皿は未詳(三)幻吁は圓覺寺大巓和尙の俳名其角發句集
名家俳句集田植まで水茶屋するか角田川合羽着て友となるべき田植かな早乙女のよごれぬ顏は朝ばかり(二)摺鉢の早苗穗に出る秋こそあらめ憫農燒鎌の背中にあつし田草取幟網沖にはいくつ帆かけ船もの〓ふの幟甲や庫のうちなよ竹の末葉のこして紙のぼり幟たつ長者の夢や黑牡丹(三)疱瘡のあとははるかに幟哉花あやめ幟もかをる嵐かな公門に入る時あやめわく明り障子のみどりかな錢湯を沼になしたる菖かなけふもけふあやめも菖かは(三)らぬにと伊勢大輔家の集に見え侍る菖こそ蛙のつらにあやめかな本つ〓じゆふべをしめて菖かなきる手元ふるひ見えけり花あやめ根合や御池にひたす花筐廻文けさたんとのめや菖の富田酒此友や年を隱さず白鬚ニ一毛の身を忘れて松どの太郞ど(一)來山の句に、「早乙女やよごれぬものは歌ばかり」(二)事類全書「唐劉訓假貸以給軍、京師富人、梁氏開國甞京師春遊以牡丹爲勝賞、調節會賞花、乃繫水牛數百前、指曰此劉氏黑牡丹也」(三)下の句「宿こそありし宿と覺えね」後拾遺にも見ゆのなりけりと詈れば今の人形の風俗殊更に小兵衞などいふ人形はなし我むかし坊主太夫や花あやめCI蝙蝠の屎も子になれあやめ草屋根ふきとならんで葺ける菖かな粽かはむ驛にとめて鈴のほりちまきゆふはさみや蘆の葉分蟹相知れる女の塔澤に入て文こしたるに山笹の粽やせめて湯なぐさみくさの戶やいつまで草のかひ粽午の年午の月午の日午の時うけに入る競馬埓に入る身のいさみかないかにひまなき雨とおもへばさみだれの名もこ〓ろせよ節句前(二)五月雨にやがて吉野を出ぬべし三味線や寢衣にくるむ五月雨隅に巢を鷺こそねらへ五月雨(三二)さみだれや是にも外を通る人燕もかわく色なしさつきあめ顏ぬぐふ田子のもすそや五月雨呈露江公錢箒木や人馬へだつる五月雨(一)天和貞享の頃坊主小兵衞といふ道外役者あり、その姿を五月の兜人形に作り始めて小兵衞人形といふ公爵考二) (二)西行の歌、「吉野山やがて出でじと思ふ身を花ちりなばと人や待つらん」に對していふ(三)狂言「酢薑」の狂歌「住吉の隅に雀が巢をかけてさぞや雀は住みよかるらむ」に本づきたる句作、五元集に「千山亭新宅雪丹の繪に」と前書あり其角發句集
名家俳句集題江戶八景住むべくば住まば深川の夜の雨五月さみだれや湯の樋外山にけぶり鳧五月雨や君がこ〓ろのかくれ笠(一)五月雨やからかさにつる小人形さみだれや酒勾でくさる初茄子(三)嚴宥院殿の大法事を拜み奉らに見しれる人にもあらず哀にも思ひよらずして古來稀なる年にこそなどいへどとかく許さざりければ六尺もちからおとしや五月雨(三江の島黴雨の窟座頭一曲聞えたまへ何を音にすほん鳴くらむ五月闇舞坂や闇の五月のめくら馬竹の屁を折ふしきくや五月闇雨雲や竹も醉ふ日の人あつめ(四川)下闇や鳩根性のふくれ聲腰越(一)小人形は五月の節句に小兒の玩ぶ人形をいあ、骨董集に圖あり(二)四代將軍家綱(三)六尺は駕籠かき五月雨の雲もやすむか法のこゑ七十餘の老醫身まかりて弟子どもこぞりて泣くま〓予に追善の句を乞ひけるその老醫のいまそがりける時さ(四)竹を植うる時季なる竹醉日をいふ篠すがき熨斗を敷寢の五月雨傾廓八兵衞や泣かざなるまい虎が雨須磨の山うしろに何を閑古鳥風ふかぬ森のしづくやかんこ鳥僧正ケ谷わびしらに貝ふく僧よかんこどり自愧夜あるきを母寢ざりける水雞哉水鷄啼く夜半に遊行のつとめ哉和古詩琴を燒て水雞を煮る夜酒淋し吐ぬ鵜のほむらにもゆる篝かな鵜につれて一里は來たり岡の松石燈籠かやに消えゆく鵜舟哉杜國をいたむ羽ぬけ鳥啼く音ばかりぞいらこ崎(三)ある人の別墅にて内川や鳩のうき巢になく蛙朔日に七里は出たり名古屋鮮石の枕に鮮やありける今の茶屋永代島の茶店にやどりして明石より神鳴はれて鮮の蓋(ヘニ)湖舟餞に酒たうべて貫之の鮎のすしくふわかれ哉(四)飯鮮の鱧なつかしきみやこ哉(一)貞享頃淺草田町に住みし三絃の師小歌八兵衞の女穢多と不義して出奔せし事をいふ(奇跡考一) (二)芭蕉が杜國に而會C希「鷹一つ見つけて嬉しいらこ崎」の吟ありしに據る(三)續博物志「雷不蓋醤、令人腹中雷鳴」(四)土佐日記に干鮎を食ふ事あり其角發句集
名家俳句集二〇八岩根こす鞋に鱗あり走鱗しらすか通るに世の中を知らずかしこし小鰺賣(一)更るほど四つ手に鯔の光かな目通りの岡の榎や築ざかひ夏川に藏より仕出す簀子哉枇杷の葉やとれば角なき蝸牛爭はぬ兎の耳やかたつぶりかたつぶり酒の肴に這はせけり鎌倉やむかしの角の蝸牛文七に踏まるな庭のかたつぶり(三)たのめてや竹に生る〓蝸牛草の戶に我は蓼くふ螢かな宇治にて二句柴舟にこがれてとまる螢かな川くまや水に二重のほたる垣蠧しらみ窓のほたるに語る也妾が家ほたるに小唄告げやらむこまがた此碑では江を哀まぬ螢かな(三)蚊ばしらに夢の浮橋かよるなり愛娘子鷄啼て玉子すふ蚊はなかりけり烏山へおもむく人に靑柳やつかむほどある蚊の聲に市の假屋のいぶせきに(一)句中に「しらすか」の四字をよみ込みたり(二)文七は元結の製造者、古歌に「牛の子にふまるな庭の蝸牛角ありとても身をな賴みそ」(三)元祿六年駒形に殺生禁斷の碑をたつ、れを杜甫の哀江頭の詩にいひかけたり沓つくり藁うつ宵の蚊やり哉夜はや寢む紙帳に風を入る〓音夜讀書蚊をうつや枕にしたる本の重松賀秋帆岩城へ赴くにかやり火に挾箱から團扇かな蚊遣火に夕顏しろし橙は醉て忘る宵の蚊も枕をわたる八聲かな生死去來烏行く蚊はいづくより暮のこゑ捕虎東坡七つ毛の蚊にくるしむや足疾鬼(1)かやり火や蚊帳つるかたに老ひとり蚊をやくや褒姒が閨の私語(三)佛骨表しばらくは蠅を打ちけり韓退之射ル者中リ奕〓ル者勝ッ蠅打よいづれにあたる點ごころ信濃へまゐらる〓人の餞に梁の蠅をおくらむ馬のうへ蠅なくば一花をらむ夏の菊土さへさけて照る日にも蠅追ふに妹わすれめや瓜作り西鶴が矢數俳諧に後見たのみければ(一)足疾鬼は佛骨を盗みて走りしといふ鬼(二)褒似は周の幽王の籠妃其角發句集
名家俳句集(一)蒼蠅の驥尾につきて遠きに達すとの語に據る驥の歩み二萬句の蠅あふぎけりC)不二の雪蠅は酒屋にのこり鳧逐歐陽公賦(二)蠅の子の兄に舜なき憎さ哉いきげさにうちはなされたるがさめて斬られたる夢はまことか蚤の跡(三)蚊は名のりけり蚤は盜人のゆかり綠槐高處はつ蟬や笛に袋を十文字一晶の宿坊にて四日蓮よ木ずゑに蟬の鳴くときは空蟬に吉原ものの訴訟かな木戶番をあはれむ蟬をきけ一日鳴て夜の入湯の人木賀をかたりしに蟬の聲ましらもあつき梢かな蟬なくや木のぼりしたる團うり水打や蟬も雀もぬる〓ほど綟子を懷紙の表紙にして點取おこせければ飯櫃にかけもたらぬか蟬の衣視彼蟬貧者に衣をぬぐ事を隣から此木にくむや蟬の聲竹の蟬さ〓らにしほる時もあり蝙蝠に宇治のさらしや一くもり露(二)歐陽公に賦」あり「憎蒼蠅(三)枕草子「蚊の細聲に名のりて顏のもとに飛びありく」(四)撮解「日蓮御書の中、身延山御抄に梢に一乘の菓を結び下枝に鳴蟬の滋く云々、故に淨瑠璃の文句にも梢に蟬の鳴く時はとあり日蓮山入の段なり、晋子は此詞によるならん」かはほりの物書きちらす羽色かなうつせみの繪に夏虫の碁にこがれたる命かな宗長の句をとりて橘のひとつ二つは蚊もせよれ(1むかし匂ふ花さへ實さへ陳皮さへ交代の葉守の神やはつ柏夏木立哉池上の破風五寸建長寺無詩俗了人爰に詩なし我に俗なし夏木立露江公溜池の高閣にはじめて涼を挽くとき當座と仰せありければ夏山にわれは御簾とる女かな或人の從者參宮の餞とてなつの夜を吉次が冠者に恨かな夏の夜は寢ぬに疝氣のおこり鳧夏の月蚊を疵にして五百兩日待醉ひしらけて皆迯げちりたる跡にひとり燈火をかかげたる難有さよいつのまにお行ひとりぞ夏の月雪に入る月やしろりと不二の山淺草川逍遙富士行や網代に火なき夜の小屋しら雪に黑き若衆やふじ詣(一)宗長の句、「橘のかにせ〓られて寢ぬ夜かな(三)「春宵一刻價千金の句に本づく其角發句集
名家俳句集(二)「麻の中の蓬は扶けずして直し」の語にはれてい又くもりい不二日記氷室やま里葱の葉しろし日かげ草夏草や橋臺見えて河通り引舟の讃夏草に臑でかるたをそろへけり楓子居なつくさや家はかくれて御用茅麻村や家をへだつる水ぐるま三藏といへるかたゐのもの俳諧の歌仙とり出して點ねがはしき由を申してしさりぬその卷のおくにあまさかる非人たふとし麻蓬(-)蕗の薹にとおもふも悲し深草寺百合の花折られぬ先にうつぶきぬ蟷螂の小野とはいはじ車百合(三)紅粉買や朝見し花を夕日影望相州雲見草かまくらばかり日が照るか(三)ひるがほや猫の糸目になるおもひ白露を石菖にもつ價かな祐天和尙に申す夕顏にあはれをかけよ賣名號四ゆふがほや白き雞垣根より畫に題すタがほや一臼のこす花の宿(五) (三)「螳螂の斧を以て隆車に向ふ」の語を取(三)雲見草は樗の異名、俗謠「坊さんよ沙彌さんよ鎌倉五山へ行かんすかひと夜は泊らんせ錄倉ばかりに日が照るか」(四)祐天和尚は自筆の六字の名號を多く信者に授けたりき(五)五元集詞書に、「晝顏に米搗涼む哀也、故翁の句を繪にか〓せて讃望むあり其繪は夕顏の花をかきたり云々」酒滿葛の葉の酒典童子も二面藻の花や金魚にか〓る伊豫簾遊女小紫をか〓せて讃望まれしに藻の花や繪に書きわけてさそふ水藻の花や海老越す袖にさゞれ石茂叔讃傘に蝶蓮の立葉に蛙かな詞書略香一爐蓮に錢を包みけり(三)得正觀世音像手に蓮膠にしまぬ匂ひかな妙法蓮華經たへなりや法のはちすの華經惠遠法師は法花の筆受たり(三)といへども廬山の交りをゆるさゞりけるとかや玉あらば爰で筆とれ白蓮社泥坊の影さへ水の蓮かな靈夢を感じて東湖辨財天に(四)詣侍る出ぬ茶屋に欺かれてもはちす哉蓮切や下手にし切れば莖を角寢てか問へ蓮にさそふ朝ほらけ海松の香に杉のあらしや初瀨山(一)小町の「侘びぬれば身をうき草の根をたえてさそふ水あらばいなんとぞ思ふ」の歌に據る(二)圓覺寺にて大巓和問の位牌を拜せし時の句(三)此事つれ〓〓草に見ゆ(四)東湖は不忍池香(三)其角發句集
名家俳句集籠前栽CI海松和布をや蜑の腰〓靑角豆みるの香や汐こす風の磯馴松鎌倉の濱出を海松ふさや貝とる出刄を海士にかる瓜の一花この花に誰あやまつて瓜持參ならはしの鹽茶のみけり瓜の後(三)あたまから蛸になりけり六皮半母の日や又泣出す眞桑うり水飯にかわかぬ瓜のしづく哉瓜の皮水もくもでに流れけり(三)浴衣着て瓜買ひにゆく袖もがな龜毛に餞(四川)うりの皮笠は重しとかさねけり鬼のやうなる法師みちのくへ下るとて道祖神にとがめられ異例して何某のもとより心よわき文ども送られしに辨慶も食養生やうりばたけ瓜守や桂の生洲たえてより干瓜やおしろいしても黑き顏ほし瓜やうつむけて干す蜑小船豐年ぬか味噌にとしを語らむ瓜茄子(一)籠に野菜を入れて人に贈りし時の句なり(二)瓜の皮を六皮半に剝けば蛸の形に似たりと也(三)瓜の皮をむきたる勢物語の趣に取合せた形の蜘蛛に似たるを伊(四)詩人玉層、聞僧可鞋香楚地花」士送僧詩「笠重吳天雪、順禮のよる木のもとやところてん皿鉢に駒の蹴あげや心太手にとるも林檎は軸でおもしろし百日のあ〓ら戀しやあらひ鯉〓百姓のしぼるあぶらや一夜酒醉登二階酒の瀑布冷麥の九天より落るならむ(三)ひや酒やはしりの下の石だたみ會盟交りのさめて亦よし夏料理手にかわく蔘摺小木の雫かな止波浦にて地引すと蟹のまに〓〓暮の汐鴫燒はゆふべを知らぬ世界かな(三)土用のいりといふ日に箒木に茄子たづぬる夕べかな蓮生は歌はよまぬを虫はらひ樟腦に代をゆづり葉の鎧かなよめりせし時のまくらか土用干捨人や木草にかけて土用干うた〓寢や揚屋に似たる土用ぼし市原にて虫ばむと朽木小町の干されたり夜着をきてあるいて見たり土用干法のこゑむなしき蠹の窟かな宗竹のもとへ博多より文參(一)徒然草に百日の鯉料理の事あり(二)李白盧山詩「飛流直下二千丈、疑是銀河落九天」無村にも「心太さかしまに銀河三千丈」の句あり(三)西行の鴨たつ澤の歌にいひかけたる也其角發句集
名家俳句集りたり送りものやさしかりければぬしに代りて生の松いかにわすれむ汗ぬぐひ(一)死の海を汗のうき寢や夢中人歌仙貫之の古畫に冠にも指をそふめり歌の汗(三)汗濃さよ衣の背縫のゆがみなり灸すゑてゆふだつ雲のあゆみ哉白雨や內儀たま〓〓物詣に市中白雨といふ題に鳶の香も夕だつかたに腥しモ)夕だちや漏をとむれば鼠の子白雨にひとり外見る女かな雨乞するものにかはりて夕立や田を見めぐりの神ならばゆふだちに鶯あつく鳴く音かな舟中唫さ〓がにの筑波鳴出て里急ぎ夕だちや法華かけこむ阿彌陀堂ゆふだちや洗ひ分けたる土の色白雨に獨活の葉ひろき匂かな夕立やきのふの坂をのほらば瀧淺茅が原にあそびて晴間うれしくATH白雨や螽ちひさき草の原ゆふだちや樂屋をかぶる傀儡師(一)生の松原は筑前の名所(二)み〓な草に「もと實定といふ殿上にて冠を落せし時けふよりは紀の貫之と召さるべし紀の實定が冠落せば」(三)「に」は「で」の誤か(一四)偏師の樂屋は即ち肩にかけたる箱なり夕だちや家をめぐりて啼く家鴨八雲たつこの嶮蟆を雲の峰櫛挽のこ〓ろすかすや雲の峰高閣挽涼香薷散犬がねぶつて雲の峰(一)西行と武藏坊には〓水かな(三)にんにくの跡が清水のこ〓ろ哉ある人大なるふくべを二つに引割て蓋としたるに句をのぞむしみづかけ李白が面にかぶりけり芋の葉に命をつ〓む〓水かな元角田川牛田といふ所にていそのかみ〓水なりけり手前橋井に髪あらふ女は思ひもかけぬつやなり顏あげよ〓水をながす髪の長露沾公能興行(三)日にやけて酒のみけるか〓水鬼世にありわびて西行の跡なつかしき儘本にひとりすむ友よ朧の橢雪〓水〓めり濁れりの判談せよといはれて此論は一荷にになへ氷水嵯峨の御寺の開帳に(一)事文類聚「淮南王安臨仙去、雛犬舐之、竝得飛昇、餘藥在鼎中、故雞鳴雲中、犬吠天上」(一)西行は道のべの〓水、辨慶は龜割坂にて京の君御產の時〓水を汲みしこと義經記に見(三)鬼〓水は狂言にあ其角發句集
名家俳句集まはらば廻れ振舞水の下向道祇園殿のかり屋しつらふを杉の葉も靑水無月の御旅かな里の子も夜宮にいさむ鼓かな乳のめば〓水がもとの祭かな七日鉾にのる人のきほひも都かな山王氏子として我等まで天下祭や土ぐるま番付を賣るもまつりのきほひ哉松原に田舍まつりや畫休み瓜むいて狙にくはするあつさ哉蓮の葉の赤鱈もかる〓暑かなかまくらにて山賤が額の瘤のあつさかな蠟かけの欄干あつし星は北小女の帶にくるまるあつさ哉冠里公備中松山初入の時川と暑や浦の苦屋の軸うつり傳九郎が持ちし扇に(i)朝比奈の樂屋へ入りしあつさ哉むらさめの木賊にとほる暑哉呈露江公錢供かたの鞘のあつさや岡の松舟暑し覗かれのぞく闇の顏身にからむ一重羽織も浮世かな(一)俳優中村傳九郎何と羽織縮緬は重し紗は輕し晝よりいねてうた〓寢やかぶりつめたる麻頭巾抱籠や妾か〓へてきのふけふ曲水の旅宿に湖水をおもひ出して漣やあふみ表をたかむしろうすものの風情日にはる團扇哉紅に團扇のふさの匂ひかな小町の讃腰かけて休むなるべき大團扇破扇の圖維光が後架へもちし扇かな烏飛ぶ紺のあふぎのあつさ哉水の粉に風の垣なる扇かなある御方より蕣書たる扇に讃せよとあるに朝顏やあふぎのほねを垣根哉と書て奉りけるに重ねてまた軍繪かいたる扇に讃のぞませ給ふ涼風や與市をまねく女なし(二)序令はじめて上京に餞(三)涼みまで都のそらや連と金すゞみ舟泥ぬりあひし游かな所見(一)維光は光源氏の家(二)與市は那須與市を(三)腰纒十萬貫、上揚州の意騎鶴
名家俳句集二二〇藏か家か星か川邊のすゞみ哉翁よりの文のかへしに丈山の渡らぬあとを涼かな(一)タ藥師すゞしき風の誓かな(二)少年を供して不死の肴をととのへたる此舟に老たるはなし夕すゞみ布袋の讃寢たうちを子ども起すな夕納涼海を見て涼む角あり鬼瓦淺草川歲々吟涼此人數舟なればこそ涼みかな古田牛河すゞみ顏に泥ぬる泳かな涼つむ安房や上總に舟はなしすゞしさや帆に船頭のちらし髪千人が手を欄手や橋すゞみすゞしさや先づ武藏野の流れ星舷を玉子でた〓くすゞみ哉韓退之捨酒吟あり酒ほかす舟をうらやむ納涼かな牛御前是やみな雨を聞く人下すゞみ餞久松肅山筆をさす御笠やかろき下涼人の子をめでて涼しいか寢てつぶり剃る夢心(一)石川丈山「渡らじなせみの小川の〓ければ老の浪そふ影もはづかし」(二)藥師には夜の參詣多きより夕藥師といふ畫讃大虚すゞし布袋の指のゆく所日枝にむかひ給ふ御神を十八の明神つねにすゞみかな河原にて曉を牛さへすゞみ車かなこの松にかへす風あり庭涼み勘當の月夜になりし涼み哉CI人にまだ暑い顏あり橋すゞみ自棄たがためぞ朝起ひるね夕すゞみ上下と裸の間をゆふすゞみ蟹をもてなす人にうき舟のすゞしき中へ蟹の甲はなむけの一句を扇にのぞまれて生の松原のうたをよす木曾路とは涼しき味をしられたり(三)祇公日次の題をとりあはせ(一)千載、俊成「すみわびて身を隱すべき山里にあまり隈なき夜半の月かな」(二)新古今、枇杷皇太后宮「太宰師隆家下りけるに扇賜ふとて、ずしさは生の松原まさるとも添ふる扇の風な忘れそ」河簀垣德利もひたす流かな遠浦の獵船押送りしてこの橋の下に入る帆をかふる鯛のさわぎや薰る風夏醉やあかつきごとの柄杓水子の肩とみつはくむなり夏旱其角發句集
名家俳句集靑流亡妻をいたみて園女とはこれや此世を夏の海夏瘦に能因しかも小食なり蕣になくや六月郭公庵の留守すびつさへすごきに夏の炭俵隣家に樹をすく人ありその四時先後を愛する事をしらず何かいはむ六月桐をうゑる人洞木の鬼なおそれそともし笛(1)市中の光陰はことさらにいそがしきを秋ならすさ〓ら太鼓や夏神樂御祓夏祓御師の宿札たづねけり大雨大風吹降りの合羽にそよぐ御祓かな(一)ともし笛は照射の時に用ふる鹿笛に快しといふを告げたり妙感のあまりこ〓にしるす秋といふ風は身にしむくすり哉格枝亭柱がくしに乾ニ兌坎震離良坤巽空や秋水ゆりはなす山颪と御よみいへ下の字自然にまはりいこそ彌三五郞にていCI秋夜話隱林;雨冷に羽織や夜の簑ならむ文月やひとりはほしき娘の子七夕や暮露よび入れて笛をきく(二)星合やいかに痩地の瓜つくり其角發句集下坎窩久藏考訂秋之部文月や陰を感ずる蚊屋の中詞書略空や秋蚊屋を明れば七多羅樹身にしむや宵曉の舟じめり父の煩はしきを心もとなくまもり居たるにいなみがたき會に呼びたてられて此句を申出たれば一折過るほど部乾ニ巽(一)撮解に、「山本彌三五郞碁盤人形を使ふ手づまの人形の元祖人形のやすらかにまはる如く又手づまの如く下の字よめんとの意なるべし」(二)暮露は虚無僧其角發句集
名家俳句集二二四ほしあひや山里もちし霧のひまほし合や女の手にて歌は見む星あひやあかつきになる高燈籠ほしあひや人のこ〓ろの爪はじき比叡にのほりてほしあひや雙林塔の鈴のおと丸腰の冶郞笠とれ星むかへ笹の葉に枕つけてやほし迎へCI二星うらむ隣のむすめ年十五雨後鵠や石をおもしの橋もありはしとなる鳥はいづれ夕がらす露橋やまつとは宇治の星姫もかさ〓ぎや丸太のうへに天の川新居塀梢かけてかよへや銀河あまの川けふのさらしや一しぼり弄化生あひろの子孚るといなや天の川樽買がひとつ流すやあまの河大切の夜は明けにけり天の川素堂が母七十七歲の賀題秋七草星の夜よ花火紐とく藤ばかま妻星よあふに一くせある女かけふ星の賀にあふ花や女郞花(一)白氏文集恨歲」「隣家孃葛花や角豆も星の玉かづら明星や額に落る鞠ぼくろ二挺立歸棹鬢をやくまくらつれなし星の露女わらべの心ばへして籠に露かひ侍るを七夕の手向草にせしかば露まつや味噌こしふせて蟋蟀七夕歌盡しなどいふ草紙行く水に數かくよりも鷺に傘(二)三遷のをしへに慣ひて七つになりける姪を寺へのほせたれば一日ありて七夕に歌を奉りけるをいとほしみて文月や產る〓文字も母の恩井の柳きのふを桐の一葉かな水の蛛ひと葉に近くおよぎ寄る肅山子のもとめ笙の畫にけしからぬ桐の一葉や笙のこゑ草庵に水つきて住みわびける僧をとひて手拭の筐よりもるひと葉哉錢肅山子かけて待つ伊豫簾もかろし桐の秋春日野や風こく猿の一葉川朝な〓〓に咲きかへての御(一)撮解に、「子供の弄鷺の傘をくはへて舞ふぶ七夕歌づくしの表紙所を畫く、伊勢物語に行く水に數かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり」其角發句集
名家俳句集歌を感じ奉りてあさがほは仙洞樣をいのちかなCI)朝顏にしをれし人や鬢帽子あさ顏やとれぎはに咲く猪口の物朝顏に立ちかへれとや水のものあさがほやよし見む人は竹格子す〓きを書けるかけ物の讃朝顏や穂に出るまで這ひあがる蕣にきのふの瓜の二葉かなあさ顏にいつ宿出し御使殊に晴れて雷朝顏にいさぎよしあさがほの日陰まだあり中老女暮蕣といふ題をあさがほに花なき年の夕かな道心の妻しをれて恨む槿垣市隅西側に燈籠なかれや三日の月美女美男灯籠にてらす迷ひかな增上寺晩景馬老ぬ燈籠使の道しるべ見る人もまはり灯籠に廻りけり遊山火を蘆の葉わけやたま迎かへらずにかのなき魂の夕べかなたらちねに借金乞はなかりけり右二句文有略魂まつり門の乞食の親とはむ(一)後水尾院「朝顏は朝な〓〓に咲きかへてさかり久しき花にぞありける」きのふみし人や隣のたままつり棚經よみに參られし僧の袖よりおひねりを落しけるかの授記品の有無價寶珠と說せ給ふ心をおもひて衣なる錢ともいざやたままつり棚經やこのあかつきのあかの水棚經や聲のたかきは弟子坊主送り火や定家のけぶり十文字()淵明が隣あつめや生身たま生靈酒の下らぬ親父かな侍坐さし鯖も廣間に羽をかはしけり文月をかねて刺鯖を獵領し世の人のいはひ草とすと鯖切のかくてもへけり大赦迄親も子もきよき心や蓮うり陀羅尼品銀を罪のはかりや墓まゐり分郊原みぞはぎや分限にみゆる髑體小娘の生ひさきしるしかけ踊一長屋錠をおろしてをどり哉靑山邊にて躍子を馬でいづくへ星は北踊召して番の太郞に酒たうべけむ(一)定家「大原やをしほの山の橫霞たつは柴屋の烟なるらん」其角發句集
名家俳句集伊勢の鬼見うしなひたる踊かな千之と黃檗にあそぶ盆前をのがれし山の二人かな玉川の水筋かれたるとし水汲の曉起やすまふぶれ投げられて坊主なりけり辻角力よき衣の殊にいやしや相撲とり(一)ト石やしとゞにぬれて辻ずまふ上手ほど名も優美なり角力取相撲氣を髪月代のゆふべかな神のため女もうるや角力札壹兩が花火まもなきひかり哉扇的花火たてたる扈從かな小屋涼し花火の筒のわる〓音鵜さばきも逆櫓もやるや花火賣稻妻やきのふは東けふは西妻におくれて後子にもはなれたる人に稻妻や思ふもいふもまぎる〓もけ稻妻や朝暾したる空に又齋院の此戶さしけむ露なれや船ばりをまくらの露や閨の外周信が瓢の畫にしら露も一升入のめぐみかな石藏寺對僧手に提げし茶瓶やさめて苔の露取のまはしを三石とい(一)撮解「師說に相撲さっ、ふんどしと讀まむかと、愚按ずるに三つゆひの所をいふか······又三つゆひとよむべきか」露の間や淺茅が原へ客草履霧汐烟行くすゑかけて須磨の浦宇治山水川ぎりや茶立ぶくさののし加減中の〓にて幸〓が霧のまがきやむかし松(1)遠里小野の忠守にまかりて霧雨は尾花がものよ朝ほらけあさぎりに一の鳥居や波の音宵闇や霧のけしきに鳴海がた笠取れよ富士の霧笠しぐれ笠朝ぎりや空飛ぶ夢を不二颪彌陀のりさうをかうむらず(三)ばとこそたのみしにこれらが結緣は夏のうちに杓子をかぶる鼠かな杓子のうせけるをとぶらひけるなりつぼみともみえず露あり庭の萩ことば書畧萩もがな菩薩にて見し上童萩な苅りそ西瓜に枕借す男文はこ〓に畧はぎの露蛤貝にくすり哉切悠亭にて日盛を御傘と申せ萩に汗(三) (一)幸〓次郎は小鼓の家也、融の謠に「松風も立つなりや霧のまがきの嶋がくれ」とあり(二)「りさう」は利生(三)古今「みさむらひみ笠の木と申せ宮城野の下露は雨にり其角發句集
名家俳句集曉松亭獅子舞の胸分にすな庭の萩(二)ねだり込は誰の內儀ぞ萩に鹿仙石玉芙公御加番に餞別萩すりや傘すかすむかし鞍專吟庵萩す〓きむすび分けばやササ井二間茶屋にて白馬の尾髪吹きとる薄かな召すことになれし子方や花す〓き在原寺にて僧ワキのしづかにむかふ芒かな井筒を略したる畫にいそのかみ竹輪にむすぶ薄かな角文字や伊勢の野飼の花す〓きぜにかけ松蛛のいや薄をかけて小松原二見にて岩のうへに神風寒しはな芒沾德餞別點せがむ人の宿かれ花す〓き牛にのる嫁御落すな女郞花遍昭の讃僧正よ鞍がかへつて女郞花(三)一夜前栽といふ事を御城へは何に成るやらをみなへし(一)鹿は萩を妻と戀ひ親むより萩が花妻ともニン「名にめでてをれるばかりぞ女郎花われ落ちにきと人に語るな」の歌による短冊か〓せらる〓迷惑さを葛の葉のあかい色紙をうらみかな悲しとや見猿のためのまんじゆさげ茶筌もてはへの掃除や白芙蓉(三)あまがへる芭蕉にのりてそよぎけりばせを葉に雀も角をかくし鳧醬油くむ小屋の堺や蓼のはな花もうし佐野のわたりの蓼屋敷酢を乞ふあり隣の蓼のはなざかり雞頭や松にならひの〓閑寺たばこ干す山田の畔の夕日かな取る日よりかけてながむる烟草かな夢となりし骸骨をどる荻の聲髭がちなる男の椎つみたる(三)はにげなかるべし西瓜くふ奴の髭のながれけり西瓜喰ふ跡は安達が原なれや山城がまだ鑄ぬ形や鈷西瓜芋をうゑて雨を聞く風のやどり哉やま畑の芋ほるあとに伏猪かな嵐蘭一子孤愁をあはれむ芋の子もばせをの秋をちから哉淺茅が原仇し野や燒もろこしの骨ばかり吉田氏唐租も糸をたれたる手向かな(五) (一)曼珠沙華は彼岸花死人花などいふ植物(三)「はへ」一本「眞」(三)「影がちなる云々」枕草紙の文による(四)山城は本所三目に住みし釜師藤兵衞、鈷はカマ又はナベと讀む人生の力(五)み〓な草「花鳥餘情にさま〓〓の香を紙に包て五色の条にて結ひかけて佛に奉るとあり、唐租の先には糸のやうなる物あり、中七文字味ふべし」其角發句集
名家俳句集唐租を流る〓沓や水見舞蘆の穗や蟹をやとひて折りもせむ妓子萬三郞を悼て折釘にかづらやのこる秋のせみ鬼灯のからを見つ〓や蟬のから(一)工齋をいたむ其人の鼾さへなしあきの蟬亡父葬送場にて一鍬に蟬も木の葉も脫かな頰摺やおもはぬ人にむしやまで元結のねるまはかなし虫の聲柴雫と伊勢をかたりて故郷もとなり長屋か虫のこゑ松むしに狐を見れば友もなしすむ月や髭をたてたるきり〓〓すまくり手に松虫さがす淺茅かな猫にくはれしを蝉の妻はすだくらむすゞむしや松明さきへ荷はせて蜻蛉やくるひしづまる三日の月山の端をやんまかへすや破れ笠酒さびて螽やく野の草もみぢ酒買にゆくか雨夜の雁孤つ一しほの妻もあるらむ天つ雁翁にともなはれて來る人の珍らしきにおちつきに荷分が文や天津雁(一)今昔二十二「空蟬はからを見つ〓も慰めつ深草の山煙だにたて題湯豆腐あとの湯か雁を濁さぬ豆腐哉(二)隣家に元結こくを(三)大絃は晒す元結に落つる鴈雁の腹見送る雲やふねの上しら雲に聲の遠さよ數は雁冠里公御わたまし祝奉りて初鴈や臺は場はれて百足持(三)品川も連にめづらし鴈のこゑ自畫片足はやつしい也小田の雁詞書を畧す陣中の飛脚もなくや鴈の聲鴫たちてさびしきものを鳴をらば泥龜の鴫に這ひよるゆふべかな順檢に問はずがたりや百舌の聲むすめ食ひぞめに鵙啼くや赤子の頰を吸ふときに感微和尙に對すそば打つや鶉衣に玉だすき餞秋航諸鶉駒はまかせぬ脇目かな平家の衰を語るにかへり來て福原さびし鶉たつみ〓つくの頭巾は人に縫はせけり木兎や百會にはかり巾りもの(一)「たつ鳥跡を濁さず」の諺にいひかく(二)元結車の音を大絃嘈々如急雨」に比す(三)一本の巨材に多人數か〓りて運ぶをむかで持といふ其角發句集
名家俳句集仁兵衞の片山かげやわらひ菟秋葉禪定下山かし鳥に杖を投げたるふもと哉山雀の戶にも窓にもなら柏春澄にとへ稻負鳥といへるあり小鳥盡長歌四十から小夜の中山五十から中村少長夫婦連にて上京せし時(一)山鳥も人をうらやむ旅寢かなつばくらもお寺のつゞみかへりうて(二)鹿の一聲といふ小歌のさんに更けかたを誰か御意得て鹿のこゑさをじかや細きこゑより此ながれ木辻にて(三)門だちの袂くはへる男鹿かな小原女や紅葉でた〓く鹿の尻合羽着てしかにすがるや秋葉道暮の山遠きをじかのすがた哉自畫讃さを鹿やばせをに夢の待ちあはせ苅りのけよそれを繩なへ小田の鮭鰍此夕愁人は猿の聲を釣る(四円さちほこに笹をかまする鱸かな遠州二股川を河ふねにて下(一)中村少長は俳優、山鳥は雌雄谷を隔て〓眠るといふ(二)謠曲難波「梅が枝ども古き鼓の苔むしてに來居鶯春かけて鳴け打鳴らす······拔頭の曲はかへりうつ」(三)木辻は奈良の遊廓(四)鰍はハゼに似たる川魚り侍るに推河脇といふ所逆水大切所を越て打つ權に鱸はねたり淵のいろ小いわしや一口茄子藤の門ほの〓〓と朝飯にほふ根釣かな高雄にて此秋暮文覺我をころせかし岡釣のうしろすがたや秋のくれない山の不二に竝ぶやあきの暮木兎のひとり笑ひや秋のくれ木事件あきのくれ祖父のふぐり見てのみぞ(1)靑海や淺黃になりてあきの暮寂蓮和歌の骨槇たつ山のゆふべ哉(三)あきの空尾上の杉をはなれたり鑑素堂秋池風秋の荷葉二扇をく〓るなり背面の達摩を畫て武帝には留守とこたへよ秋の風秋山や駒もゆるがぬ鞍のうへ相模川洪水落水接天狼の浮木にのるやあきの水あきの心法師は俗の寢覺哉野田玉川に西行上人の堀井あるよし濁る井を名にな語い、そ秋のあめ(一)祖父のふぐりは螳螂の巢をいふ(二)寂運「寂しさは其色としもなかりけり槇たつ山の秋の夕暮」其角發句集
名家俳句集工齋三囘忌に智海師をともなひて三人の聲にこたへよ秋のこゑ子々等には猫もかまはず夜寒哉酒もる詞を切題にして間をあびせばや夜寒さこその空寢入悼朝叟此人に二百十日はあれずして春日法樂今幾日あきの夜結を春日やま砧の町妻吼ゆる犬あはれ也芭蕉廬の夜墨染を鉦鼓に隣るきぬた哉點取におこせたる懷紙のおくに二卷に目をさましたる砧かなみの路に入てきぬたきかむ孫六屋敷志津屋敷(二)ある長者のもとにて中の間に寢ぬ子幾人さよぎぬた和水新宅さい槌の音を仕舞へば碪かな餞靑流難波蘆刈のうらを喰せてきぬた哉(三)雪の下にてきぬたうつ宿の庭子や茶の給仕(三) (一)孫六志津共に美濃の四十七(二)大和物語なる蘆刈は女富みて男貧しきに靑流は之に反して妻難波にありて貧しく暮らすと也(三)庭子は奴婢の間に出來たる子奥好の殿やうつらむ唐ごろも駒曳や岩ふみたて〓もと筥根こまひきの題にて甲斐駒や江戶へ〓〓と柿葡萄眺めやる凾谷やけふ驢馬迎盃と椀を畫て中椀の黑いも御意に三日の月紀川いくせもありたつか弓矢に行く水や三日の月池水も七分にあり宵の月雲井にかけれの畫にCI傘持は月に後る〓すがた也小くらがり故〓の月や明石潟水想觀の繪に我書てよめぬものあり水の月夢かとよ時宗起きて月の色(三)あつたにて更々と禰宜の鼾や杉の月月出て座頭かたむく小舟かな宿とりて東をとふやくれの月維摩の讃山のはは大衆なりけり床の月(三)張良圖智中の兵いでよ千々の月布袋の月を掬る繪に有てなき水の月とや爪はじき(一)源氏、明石一八八夜の月毛の駒よわがこふる雲ゐにかけれ時のまも見む」(二)矢根五郞の歌舞妓の淨瑠璃に「時宗夢さめむつくと起き」(三)維摩が三千の大衆を方丈の室に入れたりといふ事を比喩とす其角發句集
名家俳句集閑倚橋猿這ひに我とらんとや橋のつき寺の月葡萄膾は葉にもらむ(1)小野川檢校に餞入る月や琵琶を侍にをさめけむ聲かれて猿の齒白し峯の月契不逢戀閨の火にひかる座頭や袖のつき病中制禁好橋桁の串海鼠はづすや月の友遊子いねぶるな松のあらしも江戶の月膓啼くや弓弛をみれば暮の月玉津島歸望わかはみつ更井の月を夜道かな燃杭に火のつきやすき月夜哉庖丁の片袖くらし月の雲月のさそふ詩の舟か山市か川武か(三)長柄文臺之記もる月もむかしの橋に朽目かな仲麿畫讃月影や舌を帆にまく三笠やま月をかたれ越路の小者木曾の下女月になりぬ波に米守る高瀨歌滿百ありあけの月になりけり母の影(一)萬葉二「家にあれば笥にもる飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛さ(二)詩の舟は大納言經信桂川の舟遊に後れて至り詩歌管絃いづれの舟にても寄せ候へといひし著聞集の故事、山市丸と川武丸とは有名なる屋形船の名有明や待夜なからの君と伯父所思いざよひも公づくしや十四日待宵や明日は二見へ道者われ木母寺に歌の會ありけふの月烏帽子屋はゑぼしきて見よけふの月雨駒とめて釜買ひとりけふの月川すぢの關屋はいくつけふの月納屋に何雨吹きはれてけふの月含秀亭富士に入る日を空蟬やけふの月琵琶行をよむ十五から酒をのみ出てけふの月CI所思京にていはぬ事三つ心に名ありけふの月汐汲をか〓へて見ばやけふの月鯛は花は江戶に生れてけふの月三三ましらふに飮まざるもありけふの月文略(三)信濃にも老が子はありけふの月酒くさき鼓うちけり今日のつき淺妻舟の繪におもふ事なげぶしは誰月見舟得蟹無酒蟹を畫て座敷這はする月見哉(一)白樂天琵琶行三學得琵琶成、名屬〓十坊第一部」(二)西鶴の句、「鯛は花は見ぬ里もありけふの月(三)其角の弟信濃にあ·戶に來りし時の句也り、老父看病のため江其角發句集
名家俳句集人音や月見と明すふしみ草風雨雷に楫はなひきそ月見舟布袋の畫に月みるも杖につなげる小舟かな平家落の屏風に宿なしのとられて行きし月見哉てつぺんに丸盆おいて月見かな一休の狂詠自畫を寫して律師沙彌相剃をして月見かな上交語上平家なり太平記には月も見ずC)娘には丸きはしらを月見かな僧と咄あかして小便に起きては月を見ざり鳧名月や疊のうへに松のかげ名月やこ〓住吉のつく田じま名月や居酒のまむと頰かぶりめいげつや竹をさだむるむら雀(一)名月や金くらひ子の雨の友名月やかゞやくま〓に袖几帳三日糧をつ〓むといふにめいげつや十步に錢を握りけり柴ふるひ荷へる人に名月や皺ふるびとの心世話めいげつや人を抱く手を膝がしら(一)平家は流石に風流なり、太平記には月見の記事なし(二)此句「明星や櫻定めぬ山かつら」と同調にして有名なり鐘聲客船めいげつや御堂の太鼓かねて聞く名月やことしも筆にへらず口新月やいつをむかしの男山閏十五夜前の十五夜江戶雨ふりければ御番衆は照る月を見て駿河舞待乳山今宵滿てり棹のふとんにのる鳥松前の君に申しおくるこさ吹かば大根でけさむ秋の月CI宗因がまづ月をうるの句をとりて芋は〓〓凡そ僧都の二百貫(二)君がいひけむと云すて〓出たるあした物かはと靑豆うりが袖のつきいざよひや龍眼肉のからごろも(三)十六宿は儒者と名乘りし姿なりあたかの童に扇とらする畫に關守の心ゆるすや栗かます山川やこずゑに球はありながらいが栗に袖なき猿のおもひ哉栗賣の玄關へか〓る閑居かなあふひの上の後花子喜太郞(一)蝦夷人の息を吹きて幻術を行ふをこさ吹(二)徒然草に盛親僧都芋頭を好み師匠より讓られたる錢二百貫と坊とを芋に代へて食ひたりと、宗因の句は手宵哉」は芋はまづ月をうる今(三)撮解「龍眼肉は殻を少し穿ちて實をとる形の旣望の始めて缺くるに似たり、から衣は殼をいふ比喩なり」其角發句集
名家俳句集に三栗のうはなりうちや角被生栗を握りつめたる山路かな如是果のこ〓ろを二子山ふた子ひろはむ栗のから泊瀨女に柿のしぶさを忍びけり嵯峨遊隘〓瀧やしぶ柿さはす我こ〓ろ(-)霧香月灯を憐む古寺や澁紙ふまむところだに駿府御番に旅立給へる人にたがうへに賤機ごろも木澁桶御所柿やわが齒にきゆるけさの霜問ひ來かし椎いる里の松葉より月日の栗鼠葡萄かつらの甘露あり子籠の柚の葉にのりし匂ひかな南天やおのが實ほどの山の奥南天の實をつ〓めとや雁の聲南天や秋をかまへる小倉やま子なきことをなげく夫婦におもふ葉は思ふ葉にそへ秋菓種竹三竿竹のこゑ許由がひさごまだ靑し茸や御幸のあとの眉つくり茸狩や山のあなたに虚勞病たけがりや鼻の先なる歌がるた(一)さはすは柿の澁みを除き去ること松吟尼の庭に嵯峨野の土をほりうつして薄に松など其ま〓にもてなす中にしめじ初たけ有り行かずして都の土や木の子狩松の香は花と吹くなりさくら蕈鳳來寺の山の邊を過る時冷泉の珠數につなげる茸かな(〓)松の葉にその火先づたけ薄醬油(二)川芎の香にながる〓や谷の水稻葉見に女待ちそへすみだ川いねこくや穀をにぎる藁の中敷臺に稻干す窓は手織かないつしかに稻を干す瀨や大井川稻塚の戶塚につゞく田守かなにはとりの卵うみすてし落穗哉早稻酒や稻荷よび出す姥がもと(三)足あぶる亭主にとへば新酒かな太郞二郎の貝をとりてかけ出の貝にもてなす新酒哉(四)橫几追悼一鍬を手向にとるや新麴よこ雲やはなれん〓の蕎麥島種茄子北斗をねらふひかり哉茶のけしき咄しむころや新豆腐生綿とる雨雲たちぬ生駒山(一)冷泉は淨瑠璃姬の女(二)夫木集、の隱題「足曳の山下水れ〓〓て其火まづたけ衣あぶらなん」(三)み〓な草「元祿年間三圍社內に姥が茶屋といふありて此姥が呼べば狐出來りて供物を持去ると也、の良位に彼の姥が石像今も御社あり」(四)峯入の吉野より入りて熊野へ出るをかけ出といふ其角發句集
名家俳句集あほうとは鹿もみるらむ鳴子曳七十の腰もそらすか鳴子引雞の下葉つみけり宿のきくいきぬけの庭や鐙摺菊の花手のうちの〓こぼれて菊の露駕にぬれて山路の菊を三島かなしほらしき道具何ある菊の宿荷分が從者短冊ほしがるに土器の手ぎは見せばやけふの菊けふの菊小僧で知るやさらさ好きくの香や瓶よりあまる水に迄白雞の碁石になりぬ菊の露雨重し地に這ふ菊をまづ折らむこは誰に雨ののこりの袋ぎく畫菊きく白く荅は後にかよれけり(二)素堂殘菊の會に此きくに十日の酒の亭主あり菜苑菊をきる跡まばらにもなかり鳧病起千山より菊を得て大母衣のうしろを押すや瓶の菊三島にて重陽門酒や馬、屋のわきの菊を折る宮川のほとりに酒送らせられて(一)繪事後素の語によせたる作意なり重箱に花なきときの野菊哉みちとせの桃の名におふとよみけるにいかで我七百の師走菊にへむ竹苑のやごとなきたねをうつして出世者の一もとゆかし作り菊一百年十時服藏菊にはきくの笆かな千々のきく歌人の名字しのばしく袖の浦といふ貝づくしに白菊を貝の實にせむ袖のうら笠きたる西行の圖に菊を着てわらぢさながら芳しや女の子をねがひてまうけたる人にかに屎にうつらふ花の妹かな(一)觀世殿十日の菊をかねてより宸宴の殘りもがもな菊繪未曉唫鐘つきよ階子に立つて見る菊は翁さび菊の交むに任せたり籠鳥のゆるすにうとし園の菊千家の騒人百菊の餘情菊うりや菊に詩人の質をうる柚の色や起きあがりたる菊の露きくの酒葡萄のからにしたみけり(一)產兒の始めての糞をかに屎といふ其角發句集
名家俳句集内藤風虎公十三囘忌菊の香やたぶさよごれぬ箙さし九月九日扇を拾ひける人にきくや名も星に輝く禮あふぎ菜花餞別友成は菊の使に播磨まで二一手入かなよしある賤がむかし菊產寧坂くだりて菊紅葉鳥邊野としもなかり鳧菊もみぢ水やはじけて流るめり水鼻にくさめなりけり菊〓母と月見けるに寢られねば雨元政の十三夜うれしさや江尻で三穂の十三夜しかぞすむ茶師は旅寢の十三夜(三)藥〓では粉炊おろすか後の月(2)後の月上の太子の雨夜かなのちの月躍りかけたり日傘白鷺の蓑ぬぐやうに後の月いづれも古〓をかたるに後の月松やさながら江戶の庭はら〓子を千々にくだくや後の月家こぼつ木立も寒しのちの月樽むしの身を栗に鳴く今宵かな住の江や夜芝居過ぎて浦の月白玉に芋を交ばや瀧のつき(一)議曲高砂に阿蘇宮の神主友成播磨一見のため都に上る事あり(二)元政の身延紀行に十三夜にいねかねたる文あり(三)喜撰の歌によりて(四)撮解「梅花心易に冬至の時、邵康節一子と爐を擁して座するに斧をかりに來りしを鍬と斧との考、父子の心易あり、月夜に藥〓をかりに來るはこがしの用ならめと推せる、後の月の閑寂か」やよや月夜は物なき木挽町漬蓼の穗に出る月を名殘かな笈の菓子古郷さむき月見哉御遷宮の良材ども拜奉りて大工達の久しき顏や神の秋御齋にまうで奉りて(1)御穗をとりて髪ある眞似のかざし哉内宮法體の遠拜なるに身の秋や赤子もまゐる神路山外宮日ははれて古殿は霧のかゞみ哉太々や小判ならべて菊の花雲津川にて花す〓き祭主の輿を送りけり二月堂に參りけるに七日斷食の僧堂のかたはらに行ふ聲を聞て日の目見ぬ紙帳もてらす絶かなかつちりて翠簾に掃る〓紅葉哉戶越山庄むら紅葉荏の實をはたく匂かな谷へつけ鹿のまたきの紅葉がり三條橋上片腕はみやこにのこす紅葉かな紅葉にはたが〓へける酒のかん(三)山姫の染がら流すもみぢかな(一)參宮に圓頂の者は附髪する事あるよりい二白詩「林間暖酒燒紅葉」平家物語設け心をばさればそれらには誰が〓へけるぞや」其角發句集
名家俳句集筥根杉のうへに馬ぞ見え來る村紅葉もみぢ見る公家の子達かはつせ山道役に紅葉はくなり佐夜の山もみぢして朝熊の柘といはれけり大山腰押やか〓る岩根の下もみぢ(一)山ふさぐこなた面や初もみぢ新殿六間港水つかぬ塵のはじめや下紅葉氣のつまる世やさだまりて岩に蔦木葉の食蘿を狄のにしき哉この風情狂言にせよ蔦のみちうつの山の繪に笈の角梢の蔦にしられけり鶴が岡古樹のもとにてありし代の供奉の扇やちる銀杏遊弘福寺木犀や六尺四人唐めかすうら枯や馬も餅くふうつの山錢少長上京うらがれに花の袂や女ぼれ白扇倒懸東海天といへる句をつねに此頂に對して手に握りたる心ちせらる白雲の西に行くへや普賢不二(二) (一)み〓な草「智海といへる人への文に、十八町の岩壁を九文にて腰をおし申候いづれ親仁が小便に出る手を引てさへ孝行の名は取候しにかやうの無用の骨を折申候」(二)謠曲江口「普賢菩薩とあらはれ舟は白象となりつ〓光と共に白妙の白雲に打乘て西の空に行きたまふ洞房の茶屋孚兄生前笛を好みけるがうせたるを悼てとぶらへや笛のためには塗足履(二)見し月や大かたはれて九月盡吉野山ぶみせし頃賴政の月見どころや九月盡(三)怨閨離傾城の小歌はかなし九月盡雁鹿蟲とばかり思うてくれけり暮(三)九月盡寢ぬ夜松風身のうき秋を師走哉(一)徒然草「女のはける足駄にて作れる笛には秋の鹿必ず寄るとぞいひ傳へ侍る」(二)新古今、賴政「こよひたれすゞ吹く風に身をしめて吉野のたけに月を見るらん」(三)始めて蕉門に入りし時の句なり其角發句集
名家俳句集冬之部鷺からす片日がはりやむらしぐれしぐる〓や葱臺のかた柳遊金閣寺14八疊の楠の板間をもるしぐれ蓑を着て鷺こそす〓め夕時雨むらしぐれ三輪の近道たづねけり釣柿の夕日にかはる北しぐれ芭蕉翁病床吹井より鶴をまねかむ時雨哉飼猿の引窓つたふしぐれかな時雨瘦松私の物干にと書けり時雨もつ空の間にあへ酒のかんといふ人に神無月ふくら雀にまづ寒き高砂や禰宜の湯治の神無月玉津島にて御留主居に申しおくなりかみな月(1)高野にて卵塔の鳥居やげにも神無月東には祇園〓水とうたへば楊弓に名のるをんなや神無月神の旅酒勾は橋と成りにけり(二)家々の留主居よるなり大社あれきけと時雨くる夜の鐘の聲(一)原本「御留居」あり、今改むと(二)酒勾川は春秋の落水烈しき時は橋を引崩し冬夏のみ橋ありし也しぐれ來る醉や殘りてむら時雨當麻寺奧の院にて小夜しぐれ人を身にする山居かな松蔭の硯に息をしぐれかな(1)三尺の身を西河のしぐれかな(三)本多總州公に侍坐しける夜村雨とひとしく蝙蝠の鳴くに發句せよとあるに蝙蝠や柱を捻たる一しぐれ守山の子にもりを葺く時雨かな夢よりか見はてぬ芝居むら時雨柴はぬれ牛はさながら時雨哉神鳴のまことになりし時雨かな今熊をしぐる〓頃はあれぞかし國阿の繪我山は足駄いたゞく時雨かなよそに名たつるからさきの(三)まつしぐる〓やありし厠の一つ松おもしろき人をよび出す時雨哉島むろで茶を申すこそしぐれ哉松原のすきまを見する時雨かなばせを翁終焉の記になきがらを笠にかくすや枯尾花同年忌に三句しぐる〓やこ〓も舟路を墓まゐり(四) (一)五元集の詞書に、「當院に靈寶什物さまざま多し、中にも小松殿法然上人にまゐらせられし松蔭の硯あり云云(二)西河の瀧は吉野に(三)こは詞書にあらで「七とせを知らすやひとり小夜時雨」CaDD脇句なるべし(四)深川長慶寺に芭蕉の墓を移したれば也其角發句集
名家俳句集七とせと知らすやひとり小夜しぐれ辰霜や鳳尾の印のそれよりも()リ達摩忌や自剃にさぐる水かゞみ文有畧凩よ世にひろはれぬみなし栗こがらしとなりぬ蝸牛のうつせ貝こがらしや沖より寒き山のきれ凩に氷るけしきや狐の尾木枯や瀨多の小橋の塵も渦曲翠と幻住庵のあとを尋てまほろしもすまぬ嵐の木の葉かなしばらくもやさし枯木の夕づく日からびたる三井の仁王や冬木立冬木立いかめしや山のた〓ずまひ靈山のみちにてかまきりの尋常に死ぬ枯野かな〓讃松一木乞食の夜着のかれ野哉捨人やあた〓かさうに冬野ゆく芭蕉翁を見送りて冬がれを君が首途や花ぐもり三日月のをぐらきほどに玄猪哉何某の家にて御流頂戴のことぶきに紅葉の下部もあらむゐのこかな立猪とや祖父のうたふ枝折萩(一)「それよりも」は五元集に「それよりは」とあり、鳳尾は芭蕉の一名くろのもの代々の玄猪にかへり花歸花それにも敷かむむしろぎれ生島新五郞上京(一)鉢の木の扇わらふなかへり花坊主小兵衞の道心に坊主小兵衞小兵衞坊主と歸花(ニ)口切やはかまのひだに線蘿蔔爐開や汝をよぶは金の事朝叟老父七十の賀に白川の浪をか〓ばや桐火桶埋火の南をきけばきり〓〓すうづみ火に芋やく人は薫す埋火や土器かけていじり燒閑居安慰へら鷺の爐を殘さぬや灰ぜせり寢ごころや巨燵ぶとんのさめぬうち火燵のうた〓寢夢に眞桑を枕とす周防殿は才ある人にて政事行はる〓に一生非なしひなきをめでて板倉殿と申すと(三)かや此中より錢を拾ひてこたつから靑砥が錢をひろひけり松風や爐に富士を燒く西屋形侘にたへて一爐の散茶氣味ふかしさびしさはひとり我住むほいろかな片手打落したる火鉢を幸の(一)生島新五郎は俳優、嚴冬に扇使ふも笑ふべからず、歸花もあればと也(一)「坊主小兵衞道心して人々小兵衞坊主と申しければ」と詞書あ(三)「板倉殿の冷火燵」ふ諺をさせり其角發句集
名家俳句集物哉とて忠度と灰にか〓れし火鉢かな(三)名も忠度といふべしこれに對して炭とりに鏡のぬけし手樽哉炭燒のひとりぞあらむ釜のきは炭竈や鈴木龜井が軒のまつ(三)炭賣やおほろの〓水鼻を見るすみがまや煙をぬけば猿の聲かた炭もその木の葉より發りけり炭屑にいやしからざる木の葉哉新宅竹の場の小庭なるべし炭俵とてもならかの一車とのゐずみ茶の幽居炭の黑人を佗名なり蚫のうつせ貝を盃にして都鳥と名づけたるによせて炭うりは炭こそは、かれ都鳥眞炭割る火箸を斧の幽なり表えびす十九日から見えぬなり大黑のうせたる家にて醉さめて大黑出でむ夕えびすまな板に小判なげけり夷講嵯峨山や都は酒のえびす講打鎰に鰒も惠比壽の笑かな法雲寺老僧春色と聞えたり(一)思度は一の谷にて岡部六彌太の童のため右の肘を切落されたり(二)おぼろの〓水は大原にあり(三)此文は「粟飯のこげて匂ふや霜の聲」の句の註なり、此に出すは誤なり源氏もや季吟の家の蛭子講福天の床机にするや仕切帳子は衣裝親はつねなり夷講幻住菴にて雜水の名どころならば冬ごもり人年新宅鼠にもやがてなじまむ冬籠蕗のたう其根うゑおけ冬がまへつく〓〓と壁の兎や冬ごもり霜月朔日の例を諸人や嵐芝居を冬ごもり顏見せや曉いさむ下〓の橋CI何よけむ藻魚はた白冬ざかなci閑さや二冬なれて京の夜帆かけ船あれや堅田の冬げしき此木戶や鎻のさ〓れて冬の月(三)山鳥の寢かぬる聲に月寒し人を見む冬のはしゐも夕納涼冬川や筏のすわる草の原住吉にて蘆の葉を手より流すや冬の海憎まれてながらふる人冬の蠅立厩冬持の足下をかけむなるとぜめ冬來ては案山子にとまる烏かな關守の紙子もむ矢か手束弓(一)下邳橋は張良が黃石公と出會せし所(二)催馬樂「我家は戶張帳をも垂れたるを大君來ませ聟にせん御肴に何よけん、かかせよけん、〓鰒さだを(三)平家物語五、月見「惣門は鎖のさ〓れて候ぞ東の小門より入らせ給へと申しければ」其角發句集
名家俳句集縫ひか〓る紙子にいはむ嵯峨の冬むかしせし戀の重荷や紙子夜着紙子着てわたる瀨もあり大井川紙子きてく〓り頭巾もみそぢ哉目ばかりを氣儘頭巾の浮世かな〇一(三)朝あらし馬の目で行く頭巾哉おき出でて事しげき身や足袋頭巾捨人のための切とて火打かな大町新宅水仙や鉋ついでの小島臺水仙になほ分けゆくや星月夜柯求老人の手向山茶花や獨もれたるお盛もの對友內藏の古酒をねだるや室の梅圍より大工めしけり室のうめ朝鮮の妻やひくらむ葉人參(三)玄賓を世に見るさまか干菜賣御殿場に馬休めけり大根ひきお師どのは先づこなたへと大根引日本の風呂ふきといへ比叡山四蜑の刈る蕪をかしやみるめなきかぶ汁や霜のふりはも今朝はまた祕藏がる鍋のかるさや筑摩汁文略茶の湯にはまだ取らぬなりひさご汁(一)氣儘頭巾は奇特頭中、又ともこも頭巾ともいふ、目ばかり出るやうに頭を包むなり(二)三谷通ひの土手馬(三)玄賓は道鏡の族人にして野に隱れし高償山田守るぞほづの身こそ哀なれ秋はてぬれば問ふ人もなしの吟(四)叡山の三千坊より思ひつきて天台根本の台根を大根と見立て三千坊を三千本ともぢりたる作意也閑居の糠味噌うき世に配る納豆哉砧つきて又の寢覺や納豆汁遠水三十五日おほふ哉さまさぬ袖を納豆汁(2)つみ綿に兎の耳を引たてよ金藏のおのれとうなる霜の聲鬢の霜木賊の一夜枯れにけり滋樂城の火洞にあらば霜の聲貞佐新宅此宿を御師もたづねて杉の霜酒くさき蒲團剝ぎけり霜のこゑ妙身童女を葬りて霜の鶴土にふとんも被されず宗隆尼みまかり給ふ年(三一)婆に逢ひにか〓る命や瀨多の霜野の宮の藪蔭に槌の音しけるに鍬鍛冶に隱者たづねむ畑の霜はつ霜に何とおよるぞ舟の中四石菖の露もかれ葉や水の霜播州の僧をいたむ粟めしの焦げて匂ふや霜の聲あな寒しかくれ家いそげ霜の蟹山犬を馬が嗅ぎ出す霜夜かな螻の手に匂ひのこるや霜の菊ふれみぞれ柊の花の七日市(一)千載、慈圓「おほけなく憂世の民におほふかな我立つ杣に墨染の袖(二)其角の女、寶永三年十歳にて死す(三)宗隆尼は其角の父元祿元年八十四歲にて死し堅田に葬る(四)狂言靱猿には何とおよるぞ苦を「舟の中敷寢に楫を枕に」ての吟なり淀に其角發句集
名家俳句集みぞれにも身はかまへたり池の鷺宿僧房あられなし関伽の折敷に冬菜哉取次へあられをはじく長柄かな武藏野や富士の霰のこけどころ海へ降るあられや雲に波の音みがかれて木賊に消ゆる霰哉市川三升を祝すみつますやおよそ氷らぬ水の筋瀧幅や氷の中にゐざり松閑倚橋うすらひや鐙長なる橋ばしら煮凍や簀子の竹のうすみどり長屋割付られし人の有明の月に酒賣不許入內とてなきあかしたり水窓の網手もきる〓氷柱かな柳寒く弓はむかしの憲〓なる夢なほ寒し隣家に蛤をかしぐ音たかとりの城のさぶさや吉野山(三)使者ひとり書院へ通るさぶさ哉父が醫師なれば戯に純汁にまた本草のはなしかな河豚あらふ水のにごりや下河原人妻は大根ばかりをふくと汁生煮をふぐといふなりふくと汁(一)〓〓は西行の俗名(三)「白雲峯に重り烟雨谷をうづんで山賤の家所々に小く西に木を伐る音東にひゞき院々の鐘心の底にこたふ寒雲繡磐石といふ句に思ひよせて」と詞書あり世の中に舅をよぶや河豚じるふけゐの浦打めぐりて純ひとつ捕へかねたる網引かなふぐ汁や祝言のこす能もどり妻ならぬ鰒なうらみそ小夜衣(C)鐵砲のそれと響くやふくと汁手を切ていよ〓〓にくし純の面詩人ゆるせ松江の鰒といはむに鯖にこりず松魚にこりず雪の鰒鮟鱇をふりさけ見れば厨かな足袋うりやたびかさなれば學經蠣むきや我には見えぬ水かゞみ鯉ひとつあじろの夜のきほひ哉梅津某秋田へ發駕を送り侍てこ〓に呑む座敷しつらへ網代守網代もり大根ぬすみを答めけりあじろやに心太屋の古簾夜興曳ぬすびと犬や龍田山犬引て豆腐狩り得たり里夜興衿卷の松にか〓るや三穗の海市隅の侘人に宮藁屋はてしなければ矢倉賣CI貞德翁五十年忌帶ときも花たちばなの昔かな霜月廿七烏候于黃門光圀卿(一)新古今「さなきだに重きが上の小夜衣わが妻ならぬ妻なかさね(二)新古今「世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければ」
名家俳句集之御茶亭題題山之佳景硝子の御茶屋水の工み醉顏〓し氷茶屋〓水寺音羽櫻精舍梢や千々の雪ざかり耕作の御茶屋根深ひく麥の早苗やあやめ草黑木の御茶屋我や賤牛に雪咲く黑木茶屋藤棚藤葺やあられにやどる不破庇西行堂炭や岩間こかしの〓水とく〓〓と唐橋長橋やせたにあひ見むふゞき松八はしの花のかほよきを恥て坊主かげ月にも冴えよ御川水河原書院八千代とぞ河原御館の御千鳥西湖詩をあさるなるらむ雪の樽小舟右十章越後屋の算盤過ぎて小夜ちどり啼く千鳥いく夜明石の夢おどろくむら千鳥その夜は寒し虎が許心をや筌にゆらる〓浦ちどり浦千鳥さこそ明石も大神鳴しほ擔や投げてたゆたふ磯ちどりよき日和に月のけしきやむら衞妹が手は鼠の足か小夜ちどり人丸講月次沖の帆も十はたみそや濱千鳥氷にも蓋とぢよ鴛の中十石は鴛につくなり龍安寺瀧口やおもひすて〓も池の鴛(1)夜學感鴛氷る夜や蜉蝣燈盞に羽を閉ぢて揚屋の外邊に鴨の毛を引くを見て鴨の毛や鴛の衾の道ふさげしほくみの猪首も波のかもめ哉菰一重わぶや乞食のぬくめ鳥めづらしき鷹わたらぬか對馬船京なる人に案内してゑぼし着た船頭はなし都どり町神樂店前の日蔭をかつらとしひたち帶のならはしなど思(二)ひよせ侍りてたれとたが緣組すんで里神樂夜神樂や鼻息しろき面のうちはつ雪や犬のつら出す杉の垣初雪に此小便は何やつぞ(一)平家物語の瀧口入道が橫笛に死別れし事(二)常陸鹿島神社にて布帶に記し巫現之を結正月十四日男女の名をび合せその結ばれたる男女を夫婦の緣ありとする神事ありたりき其角發句集
名家俳句集智恩院町にやどりてはつゆきに眞葛が原の妾かな初雪に人ものぼるか伏見ぶねはつ雪や赤子に見する朝朗初雪や雀の扶持の小土器はつゆきは盆にもるべきながめ哉初雪やうちにゐさうな人は誰めづらしい物が降ります垣根かな人も來ぬ夜の獨酌はつゆきや十になる子の酒のかん或御方より雪見に迎へさせ給ふ馬上にて初雪に牧やえられて無事なやつ楠の銅壺四間に一間とかや萬客の唇をうるほせばはつ雪や湯のみ所の大銅壺市中閑はつ雪や門に橋ある夕まぐれ雪買に雪を沽らばや鶴の雪〓水修行にとまりてむかしたれ雪の舞臺の日の氣色雪の日や船頭どのの顏の色馬士に貧しきはなし雪の宿寒山の讃寢る恩に門の雪はく乞食かな我雪とおもへば輕し笠のうへ(二) (一)修行は執行と書くを正しとす(二)「笠重呉天雪」句に據る門といふ字を得て馬に炭さこそはた〓け雪の門窓錢のうき世をはなす雪見哉(一)芭蕉空庵をとひて衰老は簾もあげず菴の雪官城御普請成就して諸家御褒美給はりける頃陪臣は朱買臣なりゆきの袖山居の僧に雪を汲て猿が茶を煮けり太山寺かも川にひとむれとよみたるを釋迦とよぶ頭も雪の黑木かな醉吟雪うちややり手をかへす小忌衣戶障子の音は雪なり松のこゑ望叡山薄ゆきや大の字枯る〓山の草かはかうや竹田へかへる雪のくれ(二)遊女土佐をむかへたる人にうとく成て黑塚の客あしらひや閨の雪もとすみだ川といふわたりにて半衿の洲崎もありや雪の松鴨川の鴨を鐵輪に雪見哉(一)柳亭筆記二一つにつき何程といふ運上錢を出すを窓錢といふ也、此事江戶にはなし、さればかく難有き所に住む故に思ふさまの所へ窓をあけ雪を快く見る事かなと浮世語りをせしといふ句意也(二)「かはかう」は「圓買はう」の意にて、肥料取其角發句集
名家俳句集軍兵を炭團でまつや雪つぶてまつの雪蔦につら〓の下りけり前といふ字にて雪の句叡覽の人になりつ〓今日の雪出口にてきぬ〓〓に犬をはらふや袖の雪すて〓あるといふ小歌を句(一)の題にしておもはめや捨ててあるかは雪の宿腸を鹽にさけぶや雪の猿溫飩屋へゆく念佛なり夜の雪文略黑塚のまことこもれり雪をんな埋木のふしみ勝手や雪の友雪の日は聲ばかり賣る黑木かな不二の烟のかひやなからむとの御製をよく〓〓了簡せばふし無念に思ひ淺間を討ちぬべきものとかく作を麁相に極めおいて淺間がうらみ成べしといひて諷にてあさまになりぬ富士の雪靑漆を雪の裾野や丸合羽富士うつす麥田は雪の早苗かな(11)奈良茶の詩さこそ盧仝も雪の日は拔出してゆき打拂ふ柄ぶくろ(一)寶永の頃吉原にて、すて〓ん節といふ小唄流行せり、感想到五の卷に「聞けば聞く程聲やさしく、三五十手下に主のない子がすて〓んあると歌ふ聲色云々」(二)虛仝は唐の詩人、茶を愛して七碗歌を作雪おもしろ軒の掛菜にみそさ〓い祕藏の鶉の落ちたるををしめる人に黑染に御弔や雪うづら朝ごみや月雪うすき酒の味雪にとへばかれも蘇鐵の女なり雪窓損料の史記も師走の螢かな書出しを何と師走の卷柱秋にあへ師走の菊も麥ばたけ大小の唫元祿十年大庭をしろくはく霜師走哉四六八九荷よばりの小坊主にこそ師走ごゑ妖ながら狐まづしき師走かな不分當春作病夫酒ゆゑと病をさとる師走哉新堰にて食くふやうに師走かなありがたき親の恪氣もしはす哉山陵の壹分をまはす師走かな千鳥たつ加茂川こえて鉢た〓きこと〓〓く寢覺はやらじ鉢た〓き伊勢島をにせぬぞまこと鉢敲C)あかつきの筑波にたつや寒念佛寒念佛橋をこゆれば跡からも酒飯の飮酒はいかにかんねぶつ南都にあそべる時(一)伊勢島宮內の始めたる淨瑠璃節をまねぬが鉢叩の殊勝なりとの意其角發句集
名家俳句集二六六寒聲や南大門の水の月並藏はひゞきの灘や寒造り極寒さだめよの遺精もつらし寒の水漫成五倫君臣有義家の子等けふを忘るな年忘父子有親純計や憎き嫁にはなほくれじ夫婦有別鉢敲めをと出ぬもあはれなり長幼有序はかま着は娘の子にも袴かな朋友有信君と我爐ヒ手を反すしがなかれ極月十四日西吟大坂へのぼるにいそがしや足袋賣にあふ宇津の山節季いや口を閉ぢたるわたし舟元日を起すやうなり節季い節季いは左の耳になると哉煤はいて寢た夜は女房めづらしやす〓はらひ暫しと侘て世捨藏童にはしころ頭巾やす〓はらひ忠信が芳野じまひや煤拂閑窓に羽箒をめでて煤ごもりつもれば人の陳皮かな(二)鼻を掃く孔雀の玉や煤ごもり辰之助に申すす〓はきや諸人がまねる鎗踊(三) (三)寒苦鳥明日餅つかうとぞ鳴けり(一)煤拂の時老人病者などの別室に移り籠るを煤ごもりといふ、此句は業平の「大方は月積れば人の老となるもの歌を下に含ませ(二)水木辰之助の槍踊の所作事當時評判高か(三)寒苦鳥は寒氣に堪へずして夜明りなば巢作らんと言ひて鳴きながら明くれば亦遊びくらして巢を作るを忘る餅花や灯たて〓壁のかげもち花や鼠が目にはよしの山餅と屁と宿はき〓わく事ぞなき(二)震威流火しづまりて妹が子や薑とけてもちの番女子疱瘡しける家にきげんとりて子餅の粉や花雪うつる神の咲:弱法師わが門ゆるせ餅の札(三)としの市誰をよぶらむ羽折どの梟よ松なき市の夕あらし鰤荷ふ中間どのにかくれけり行露公萬句御興行卷軸萬代の〆をあげけり神樂帳揚屋に醉房して戀の年差紙籠をさらへけり詩商人年を貪る酒債かなウ、いざくまむ年の酒屋の上だまり行く年も板戶めでたし餅の跡ゆくとしに唾はくらむ鏡とぎ座右銘行く年や壁に恥ぢたる覺えがきゆくとしや貉評定夜明までやりくれて又や狹莚としのくれ行幸の牛あらひけり年のくれ小傾城行てなぶらむ年の暮(一)素堂「茶の花や利休が目には吉野山」(二)撮解「弱法師は物もらひ也、師走門々に貰ふの札をはる也」(三)揚屋に客ある時遊女を借りにやる手形を差紙といふ其角發句集
名家俳句集鳩部屋の夕日しづけし年のくれ子をもたばいくつなるべき年の暮千觀の馬もせはしや年のくれ(一)年中の放下みえけり年の暮ばせを翁はてのとしは堅田のゆかり伊賀のしるべおもひの外になりぬるをわびてうつの山より人々に申遣はすおきずてに笈の小文や年のくれ流る〓や千手陀羅尼の年の垢流る〓年の哀世に白髪さへ物うき年の瀨やひらめのむ鵜の物おもひ(三)臘兎五つの子を產めり樊中にやしなはれて若草にかけらむ事をいはひて年をとる兎に祝へ熬らぬまめ駿洲久能の別當さんざめかして御通あるをゆ〓しさや御年男の旅すがた豆をうつ聲のうちなる笑かな三升所持鍾馗の自畫讃今こ〓に團十郞や鬼は外乾元の節分長き夜の遠くてちかし得方丸とし越やたゞ業平の御袖ひき(一)千觀は橘敏貞の子、三井寺に上りて學び後攝津の田中金龍寺に住す、時々淀口にいでて自ら馬夫となりて行人を恵む、永觀元年寂年六十六(二)年末の苦しさは鵜が比目魚を呑む如しとの比喩のり物の中に眠沉て年わすれ劉伯倫はおぶはれてCI乳母ふえてしかも美女なし年忘千山宅とし忘に割すそや八乙女神樂男より御玄關より破魔弓をかぞへ奉りて誰いふとなしに大殿としわすれ大晦日ねいつたうちが年わすれ聖代鶴おりて日こそおほきに大晦日(一)劉伯倫は晉の詩人にて酒德頌を作れり
名家俳句集於冠里公各題五色梅黑黑梅や花のしらべのかけちがへ村雨のとぎれ〓〓や會根の松天智天皇うちをさむ入鹿が首に四海波雜之部十及の圖に文略尋牛闇の夜は吉原ばかり月夜かな呼牛呼子鳥あはれ聞てもきかぬ哉隱牛夏の夜は寢ぬに疝氣の起り鳧貧牛二朱判や取るがうへにも年男廻牛小便も筧にあまる五月かな番牛ほと〓ぎす曉傘を買はせけり無牛きり〓〓す枕も床も草履哉半牛何となく冬夜隣を聞れけり送牛さめよとの千手陀羅尼や霜の聲老牛けふも又溫飩のはひる時雨哉文略文化十一年甲戊本石町十軒店英本石町四町目西村平吉源六玄峰集
かくともなく集むるともなく、机上に一書あり、みな雪中庵嵐雪のほくなり。といてまもりをるひるつかた、例の竹川訪ひ來りて、たまへ梓にきざまむといふ。ひとりこれを紐といてまもりをるひるつかた、立峰集とものしうちくれぬ。さはまて、かうぶりして得させむとて、百萬坊旨原玄峰集二七一
玄峰集五十にて四谷を見たり花の春アフリあら玉の馬も泥障ををしむには四初空や鳥をのする牛の鞍さつ楳の世阿彌祭りや靑かづら(五)シモチ惟茂と起しに來たる二日かな(大)此句は睦月二日にあさいせしを人の來て起せしにかく申されしとかや寶ぶね詞書有爰に略須磨明石見ぬ寢ごころや寶舟夢明けて浪のりふねや泊瀨寺む月はじめのめをといさかひを人々に笑はれ侍りて(一)元且の物靜にして魚もき〓耳たつべしと(二)三夕暮は定家西行寂連の三夕の歌をいふ(三)北條盛衰記といふ書に、「親の子の子の子まで山賤の榾の火けたで形見とぞする」といふ古歌ありとぞ(四)泥障は馬の兩脇を覆ふ泥よけの革、李白紫騮馬詩、「紫騮行且嘶雙翻碧玉蹄、臨Ⅶ不肯渡、似惜金泥障云云(五)世阿彌は觀世太夫の二代目(六)紅葉狩の惟茂をこれ餅と戯れたる也春之部改正四海波魚のき〓耳あけの春(一)元日ややう〓〓動くいかのぼり元日やはれて雀のものがたり年すでに明けて達磨の尻目哉面々の蜂をはらふや花の春三つの朝三夕暮を見はやさむ(一)今朝春の奥孫もあり彥もあり榾を富(三)若水に智慧の鏡を磨うよや部玄峰集
名家俳句集(一)萬葉に「初春のはつねのけふの玉箒手にとるからにゆらぐ玉の緒(二)七草粥よろこぶを見よやはつねの玉は〓き(一)若菜七つがいを判する詞略(三)七草を三べんうつた手首かなぬれ椽や薺こぼる〓土ながら霜は苦に雪に樂する若菜かな憶翁之客中裾折て菜をつみしらむ草枕夫要と〓ははやすめは聲若しなつみ歌春朝部あげてく〓だち買はむ朝まだき風渡つて石にすがれる薺かな題しらずほつ〓〓と喰摘あらす夫婦かな鶯鶯にほうと息する山路かなうぐひすや書院の雨戶はしる音鶯をなぶらせはせじ村すゞめ鶯の宿とこそ見れ小摺鉢梅梅一輪一りん程のあた〓かさ此句ある集に冬の部に入たり又おもしろきか輪に結ぶ梅をぬけたる月夜かな臥龍梅白雲の龍をつ〓むや梅の花荏柄天神奉納(三)喰摘は米熨〓昆布搗栗などを三方に盛り(一)「何事のおはしますかは知らねどもかたに淚こぼる〓」の古歌に依るこほれ梅かたじけなさの淚哉(一)北といふ一字題手のゆかぬ背中を梅の木ぶり哉梅ちるや齒のない馬に恥しき桐雨のぬし京うち參りとて出ぬ行くかたの覺束なく知る人はそこ〓〓に道のほどはかう〓〓と言ひふくめて出したてつ卯の花の雪消え五月雨のくもらぬほどに歸り來べきなれどいと名殘をしくて梅にさむる朝け忘るな辛きもの翁の春もや〓けしきと〓のふと申殘されし句意を味へ侍りてこの梅を遙に月のにほひかな梅干ぢや見知つて居るか梅の花椿鋸のからき目見しを花つばき柳目前に杖つく鷺や柳かげ中納言藤房於馬場殿龍馬に付て直諫を奉られしが其言行未如鏡亂るべき風の柳をさすの神子(三) (二)每朝養生のため蕃椒の如き辛味を服せよ(三)さすの神子は晴明五世の孫泰親の占ト掌を指すが如くなりしよ玄峰集
名家俳句集二七六春の水に秋の木の葉を柳鮠題しらず正月も廿日に成て雜煑かな一鹽の聲さぞあらむ南部雉せはしなき身は痩せにけり作り獨活蕗のとうほうけて人の詠かな狗背の塵にえらる〓わらび哉きさらぎや火燵のふちを枕もと春風の石を引切るわかれかな此句は門人なにがしが旅立けるに蠟石をおくるとてかく申されしとなりをんなにかはりてなれも戀猫に伽羅燒てうかれけり燕簾に入て美人に馴る〓燕かな柳には吹かでおのれ嵐の夕燕歸雁順禮に打ちまじり行く歸鴈哉箱根にてかへる雁關とび越ゆる勢なり(一)紙鳶糸つくる人と遊ぶや風巾惜暫別虛空を引きとゞめばやいかのほり蚊足が鄰かへたるに申しつ(一)嵐雪の上京を門人百里氷花二人餞別せるに對する挨授の句なり裝遊稿にいづ風巾かはしける此夕べ軒端へだちぬいかのほり行脚惟然へ申しおくり侍る木の枝にしばしか〓るや風巾蛙合よしなしやさでの芥とゆく蛙(三)上野より歸り侍るとて酒くさき人にからまる胡蝶かな朧月中川やほうり込んでも朧月我等今日聞佛音〓歡喜踊躍と讀誦し奉りて嬉しいか念佛をどりの柄枚ふり出かはり出かはりや幼心にものあはれ出かはりや其門に誰辰の市(二)接見たい物花もみぢより接穗かな(三)苗代なはしろに老の力や尻だすき靑精飯桐柳民濃に 菜飯かな(12)上巳隣々雛見廻る〓小家かなうまず女の雛かしづくぞ哀なる鶯の來て染めつらむ草の餅(一)「さで」は魚を掬ふ手綱(二)辰の市は大和添上郡にあり、辰の日に市たちしより此名あり(三)狂言「花子」に「花よりも紅葉よりも見たいものぢやえ」の句あり桐(12)濃に 菜飯かな(四)寒食の日桐柳等の若芽をつみとりて染めたる飯を靑精飯といふ玄峰集
名家俳句集(一)馬刀貝の筆の鞘に似たるよりいふ汐干に水莖の馬刀かき寄せむ筆の鞘(1)しほひくれて蟹が裾引くなごり哉(二)桃おの〓〓の桃の席や等持院(三)桃の日や蟹は美人に笑はるよ四花あらおそや爪あがりなる花の山白鳥の酒を吐くらむ花のやま花に風かろくきてふけ酒の泡櫻川はほそくながれて靑柳の里一かまへうちかすめり膝木よる長女いやしや糸櫻(五)殿は狩りつ妾餅うるさくら茶屋手習の師を車座や花の兒兼好の莚おりけり花ざかり(六)逍遙鵬號之間出入是非之境花の夢此身をるすに置きけるか花はよも毛虫になちじ家櫻はなを出て松へしみ込む霞かな新發意が花折るあとや山颪賴光山入之讃なまくさき風おとすなり山櫻(七)小町讃我戀よ目も鼻もなき花の色人原の宿を通るに勅使の歸京(二)「しほひくれて」原本「しほひくれ轉」とあり、虎栗集に據りて改む(三)等持院は洛北衣笠山の麓にあり(四)桃の日は三月三日(五)膝木は絲をよる器具(六)炭俵集には「兼好も」とあり、兼好阿部野にありける頃筵を織りて衣食の資とせりとい(七)風もとすは風の吹き落す也(八)此句嵐雪の作にあらずと雀志いへり月花の其ひとふしや火吹竹女中方尼前は花の先達か大和廻りの東潮めぐれ〓〓(四円風車東風ふかば西へ行き西吹かば戾れ前後與す箱根は手形あり大井は川越あり左右廣し空吹く風の何が吹くやら逢坂は關の跡なりはなの雲大井川船有るごとし花の旅(五)躑躅泊つよじまねくやうなり角櫓藤詞書あり略すましますとて海道も塵をはらひ山も殊更に恥しげにけふを晴とつくろひたてり砌のすだれはね上げられたるにゑぼうしの用意なんどきら〓〓と見ゆ恐らくはいまだきかず富士に雲ゐの客人を見る人は仕合なる旅に參り合ひたり富士を見ぬ歌人もあらむ花の山(1)雲雪と仇名も言はじ花ざかり(二)筆とるは硯やほしき兒ざくら(三)花片々鼓にあたる舌の先(一)裝遊稿中の句なり(二)文集にいづ、詞書あ(三)兒筆序にいづ(四)東潮は嵐雪の弟子和田堵中(五)駿州島田の宿役人塚本如舟の好意にて大井川を渡りし時の挨授(六)白躑躅を角櫓の麾に見立てしなり玄峰集
名家俳句集ふぢ浪に船は得たりいらこ崎小奴吉齋に花を見せて小坊主よ足なげかけむ松に藤立志追善(一)山吹のうつりて黃なる泉哉ばせを翁は普化の師晉子は臨濟の怨子三十年來は面にから竿をならして他のつらを出せるなし末期に及て半句を吐かずさらに遺跡を止めざるは若夫それもしらず大悲院へ齋喰に行く歟中陰廻向普化去りぬ匂ひ殘りて花の雲(三)亡跡菜の花や坊が灰まく果はみな三七日鶯や弓にとまりて法の聲墓參山吹の實を穴掘の鍬ひとつ(一)高井立志天和元年十月歿(二)普化禪師は昇天せし人なり追加飯焚の輔は筆師よ釋奠雷や油のまじる春の雨雷の姑なれや花の父母羽子板や只にめでたき裏表名月を家隆にゆるす朧かな草餅にあられを炒るやほろ〓〓と男もすなる俳諧は女もすなり童もすなり誰もすなり鋤立もすなり我もすなりとてそれの日も硯とりけむ土佐の海武藏野八百里といひし頃を思ひ合せて武藏野の幅にはせばき霞哉名取川笠は持ちたりさくら魚草庵と捨てしも秋や花の庵玄峰
名家俳句集玄峰集行燈を月の夜にせむほと〓ぎすほと〓ぎす恥かき道具かたづけむ(三)伊勢法樂こ〓ろには松杉ばかり郭公(三)錦帳の鶉世を草の戶や蜀魂(四)たちばなを喰ひもつみもし時鳥待乳山の社頭に雨をしのぎて空は墨に畫龍のぞきぬ郭公(五)神鳥鳴くや利休の落し穴悼晋子が母啼きいりて音もなしそれは時鳥ほと〓ぎす旦夕里さび燧うつ頃(一)源氏行幸の卷に、「靑色の衣えび染の下がさね殿上人五位六位こきまぜて云々」夏之部更衣鹽魚の裏ほす日なり衣がへ腸は野に捨てたれど袷かなすゞりする傍にうつくし白がさね詞書あり略老ひとつこれを荷にして夏衣靑簾五位六位色こきまぜよ靑すだれ(一)時鳥部(一))恥かき道具は見苦しき夜具食器などをい(三)裝遊稿中の句(四)錦帳の中に飼はるる鶉草の戶に啼く時鳥いづれか幸なるべき(五)社殿の天〓に畫龍(六)山科のノ貫といふ隱者利休を招きて陷井に陷れて戯れし事あり御成筋いかなる筋をほと〓ぎす冠里公にてありがたやたゞとり山の郭公(二)時鳥聞けば座頭の根付かな(二)似た鳥を賣付けてゆけ時鳥≦卯花聲もなく兎うごきぬ花卯木齋をまうく樒賣あな卯の花の飯を見るホ東骨や機に凋める夜半樂四經の偈は連歌とき〓ぬ時鳥此三句は晉子追善の吟なりとぞ懷舊からびたる秋なりけるを若楓島田の宿に或僧をとふ3やすき瀨を人に〓へよかきつばた牡丹古庭にあり來りたるほたん哉土甞てはにかむ顏が牡丹かなはつ鰹盛りならべたる牡丹哉靑嵐靑あらし定まる時や苗の色義仲寺師父之廟色としもなかりける哉靑あらし六新樹(一)奧州磐城平の城主安藤冠里候の邸にて羽織を拜領せし時の卽興(二)根付の笛を按摩の吹き鳴らし〓よりいふ(三)似せものにても早く聞きたし(四)川骨の花機に似たり、夜半樂は樂の名(五)裝遊稿中の句(六)裝遊稿中の句、寂蓮、「さびしさは其色としもなかりけり槇たつ山の秋の夕暮」玄峰集
名家俳句集若葉ふく風やたばこの刻よし煮鰹をほして新樹の烟かな鎌倉鶴が岡並松の行列ありし夏木立こかね海道にて;れ霧雨に木下闇の紙帳かなばせを菴にてX,菴の夜もみじかく成りぬ少しづつうた〓寢の夢に見えたる鰹哉晉子其夢に戲る下部等に鰹くはする日や佛内外の神拜終りて猶磯の宮の奥深く八十瀨をわたりぬ塵外五里の山陰にして森の雫に舍殿破れ寄生としを重ねて夜の嵐いぶせげなるにいとゞかみさび渡らせ給ふ(一)神ませばかつをもすめり山の奥大勢の中へ一本かつをかな熊野煮取たく爰でもお僧愚なり(三)南無大悲觀世音ぼさつと聲よくうたひ連れたりヨ(三)桑笑むや名とりの老女娵達者燕居もやう〓〓見出されてこのごろは新麥くる〓友もあり橫へたる木をかつを木(一)神社の屋根の棟に(二)鰹節を蒸して製する時いづる液を煮取と(三)「桑笑む」は「頬笑む」の誤なるべし氷花へ祝義つかはすとて澤潟の花にくはへの銚子かなCO笋竹の子や兒の齒ぐきのうつくしき(二)たけの子やかり寢の床の隅よりも善光寺にてみる喰ひける尼に·海松ふさやか〓れとてしも寺の尼(三)悼靑流亡妻(四)物ごとに妻なき家の茄子づけ蝸牛ツ,白露や角に目をもつ蝸牛坂本の宿にとまりたるに樵木つみたる火たき屋の隅に具足と太刀の埃にまじりて侍りけるを持ちつたへたる故やあるとたづねければ爰のならはしにてかばかりの器具もたぬ家は侍らずと申しける心にくかりけるなめくじり這て光るや古具足(五)大津の驛に出てあぢさゐを五器に盛らばや草枕大津の梅主入集の句あまたこされけるを草案みだりがはしく失ひければ(一)「くはへ」はくわろ(慈姑)に加へを掛けしなるべし(二)源氏横笛の卷に、細麺 8おひいづるにくひあてんとて等をつと握りもちて雫もよ〓とくひぬらし給へば云云(三)遍昭、「たらちねはか〓れとてしもぬば玉の我黑髪はなでずやありけん」(四)靑流は稻津祇空の初名、享保十八年四月歿(五)裝遊稿中の句玄峰集
名家俳句集(一)菖蒲は其根一寸九節なるを良しとすあぢさゐやどこやら物のこと足らず漁父蓑ほして朝々ふるふ螢かな照射弓杖に歌よみ顏のともし哉端午しだり尾の長屋々々に菖蒲哉一刀見せむあやめの九節(1)あやめ草賀茂の假橋いま幾日(二)世のあやめ見ずや菰の髑體(三)會根太郞を登り會根次郞を下る片足は岩に放つてかぶとかな粽一ふさ全阿袖にし來りねぶりかたむきたるに粽もつ扨はうつ〓の草むすび(四,)文もなく口上もなし粽五把樗佩てわざとめかしや芝肴(二)印地おもふ人にあたれ印地のそら礫(八)競馬賀茂落ちたるがことに目立つやあし揃(七)拔劒逐蠅蠅はじき怒る心よ手束弓顏につく飯粒蠅にあたへけり獨坐(二)裝遊稿中の句(三)曾根太郞曾根次郎は紀州熊野路の難所、句意は五月人形の見立(四)亡魂が舊恩に報いんために草を結びて魏武子の軍を助けしこと左値宣公十五年に見ゆ(五)五月五日樗を帶ぶれば邪氣を避くといふ、芝看は武州芝浦の魚(六)印地打とて石を投合ふ遊〓、端午の日に行はれたり(七)五月五日の競馬の準備として一日に足揃あり、裝遊稿中の句來る蚤蚊裾から蠅の折ふしは題しらずそれにさへ願ひ絕えめや金の蚤(一)めづらしや唐の蚊詩人を喰つて桃のごとし珍らしやからの蚊美人の帳にこがれて痩せて柳に似たりからの蚊からの蚊唐の蚊や終に枯れたる藻鹽草此句は唐紙に蚊を漉きいれたるに書かれたる由うち歎く事侍りて哀れとより外には見えぬ蚊遣哉蚊遣木や斧に女の石をうつ旅意萍の實もいさぎよし水驛(10.2)紀の山紀の浦海にいり江に入る禹益の水を治めて異物をしるせる海外山表のありさまルスンカボチヤなどいふ遠津島根の人がらは〓にのみ見たり目前に南のえびすの洞にかくれいはほに走るを鬼にもせよ人にもせよこ〓ろおかる〓旅寢なり蛇いちご半弓提げて夫婦づれ(一)蛋は性金を好むと(二)水驛は人馬の水を飲み飯芻を食ふために立寄る宿驛玄峰集
名家俳句集(一)風雅集に「和泉式部熊野へまうでたりけるにさはりにて奉幣かなはざりけるに、晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさはりとなるぞ悲しき」和泉式部之石塔C本宮より一里彼式部の月のさはりと詠みたる所といふて、蚋のさす其跡ながらなつかしき維盛彌助十津川近き湯の川のほとりなり除田百五十石代かはり家くだりたれどさすがに今も平家なり川骨の花一時もさるほどにニ二)ガ妻驅詣文あり略茨の花裾きらじや旅ごろも(三)梶原屋敷を見る此人はさばかり文筆には達せざれども歌も詠み物の情もしれる人にや折ふしの口ずさみもきこえとゞまりしをにくきものの一つには先づ此一族をいひふらしぬるはいかなる宿執のつきたるにか舊跡あはれに覺え侍りてむつかしき中に香もありばらの花菜英山茱萸のかざしや重きふじ颪瓜兒の手の玉にもあまる眞桑哉(四) (二)謠曲「賴政」に「さるほどに平家は時をめぐらさず云々」(三)同行の妻に問ひか(四)掌中の珠とするには大に過ぐ八幡太郎讃御堂關白殿御物忌に義家朝(一)臣參籠の時南都より早瓜をたてまつりしに博士毒氣あるよしを申義家に仰せて瓜を割たるに毒氣則出 下略瓜切てさびぬ劒の光かな氷花が妻うしなひたるにい(二)たみとて遣す詞書有略撫子よ紅粉おしろいも散らしすて常盤木のちるや母さへ其子さへうち籠るほど訪ひ侍りて山鳥のほろ〓〓なきや五月雨夜雨吟五月雨や硯箱なる唐がらし(三)、赤さみだれや蚯蚓の徹す鍋の底時鳥の二聲三聲おとづれければ五月雨の端居古き平家をうなりけり亡母を夢見る五月音に我蓑虫や母戀し(四)伏見橦木町炬松ふつて野邊を行くもげに爰もとの古風なるべしプ行燈で來る夜送る夜五月雨(五五明けてのく家に伏見や夏の月(+) (一)此事著聞集にあり(二)妻のみならず子をも失ひたるなり(三)濕氣拂として唐がらしを用ふ(四)五月音は五月雨の誤なるべし、蓑虫が父を戀ひて鳴くといふ話を母に轉じ用ひたり(五)裝遊稿中の句(六)同前、夜明くれば直に立退く家なれどの意玄峰集
名家俳句集草菴むすび侍るとて蓼紫蘇にむすばぬ先の白露か題しらず鶯の音を入るあやし二つぼし早乙女にかへて取たる菜飯かな三河鳳來寺もとのあふひを登る山路哉()打麥歌蟬鳴くや麥をうつ音三々三(二)六本木にて(三)下闇や地虫ながらの蟬の聲あなかなし鳶にとらる〓蟬の聲那智山暑雲の外瀑に奪る〓人の色(四)使わ夏の日に懶き飴のもやし哉おもだかのふとり過ぎたる暑さ哉江の島夏の日やさめて窟のいなびかり稻村が崎を過ぐるに木陰ともなき砂のうへに漁父のこぞりてわかなごといへるものをえりとり侍る照付けてひかりも暑し海の上貝うる家の男のわらは麥の粉を盒子にもりてかしら揃へてうちなめたるに水を乞(一)葵は直立の喩(二)江戶麻布六本木(三)木下闇の蟬聲は土中のものかと疑はる(四)許渾、「一聲山鳥曙雲外、萬點水螢秋草中」て蜑の子にたふとがらせむ道明寺CI長谷寺の前にて飴賣の箱にさいたや百合の花能見堂(三)ふるく侍るといふ人あり汗ぬぐひ小松に干して沖つ風雪の下に泊り侍りしに蚊やりたきたてけぶたかりければみたらしのふちにむしろ敷て川芎のたまさか匂ふ茂り哉(三)藤澤を出行く民家の門に木立根は土を拔きあがりて五尺ばかり高く左右にひろごり元木たくましく肥えて末葉もつたて蟷螂の髭をもて鼻にかへたるさまして這出たり西行のもどり松とかや申侍る越路松島のかたにもか〓る名のきこえ侍る故はしらず童にあふぎとらせむ松の陰(四川納涼犬に迯げ犬を追ふ夜のすゞみ哉水車のしづくをうけて(一)道明寺精は夏季の旅行に携ふるが常なり(二)武州金澤八景の一(三)川〓は川骨の根(四)銀猫を童子に與へし事によそへたり玄峰集
名家俳句集すゞしさや心手へとる水の色かはらの涼來る水の行く水洗ふすゞみ哉(三)埋火を涼しとあふぐ夜的かな(三)一種賞翫にとて皆ゆく中にまじはり侍りてリ味噌するにすどしき鮴の游哉(三二祇園の會の七日の鉾十四日の山綾より錦より見ものなるは荻野いがらし松尾まつむら素袍に太刀はきて四條高倉の辻に床凡を据れば下の雜式おなじさまにて紅の總さげたる鐵棒かいこみかちんの上下着たる男等黑漆の棒手に手に持て粧をつくろひ非常をいましむ兼て定められたる一二の圖を改めかへす威儀嚴重なる中にはしごと臼と車に積て町ごとに引くは何の用にか侍りけむ飮て白もともに踊るや紙園の會移徙の祝義にとこなつの家にいれたる德利哉(五)逢恨戀(一)裝遊稿中の句(二)同前、的の下に穴をほりてその中に火を點じ矢を射るを夜的と(三)初五一本に「摺鉢に」とありとぞ、裝遊稿中の句(四)同前(五)常夏の家は卽ち德私もりホ、我戀や口もすはれぬ靑鬼灯竹婦はなれて抱きよけれどこと人やねたまむ涼しくて一人ねむには汗に朽ちば風す〓ぐべし竹襦袢(三)尋常の和巾さばきや汗拭〓水詞書あり略拔けたりなあはれ〓水の片草鞋目黑の瀧も人のまうでぬ日底しみづ心の塵ぞしづみつく序令沾洲ちなみ侍りて京よ(三)り大和路かけて和歌の道たづねむと出立けるを跡をしみして神奈川の岱の〓水に先づ進め(三)紀伊野中の〓水播州に同名有すみかねて道まで出るか山〓水柴の菴夕だちや障子かけたる片びさし題しらずすぐろたつ羽黑のきどす夏尾花四夏畑に折々うごく岡穗哉切味噌のひなた臭さや夏泊り芭蕉の墓まゐりのついで義仲菴へ尋ね侍りけるに庵主出奔せられければ(一)竹襦袢は細き竹又は葭の類を短く切りて中に糸を通して菱形などに編みしもの(二)序令は本名石打四郞兵衞、沾洲は貴志氏、共に江戶の俳人(三)「進め」は「涼め」の誤なるべし(四)燒野の草木の末の黑くなりたるをすぐろ玄峰集
名家俳句集住持まで拂ひ果てけり夏の空御祓今日の日は東北の隅より出て西北の間にをさまる長日短夜の頂上なりとて此國の法しれる家々にはことさらに日の神を祭り侍るとかや靑海のおもても限りなく覺えて尤祓すべき砌なるべしいくばくの溜息つきて夏はらひCCなつはらひ目の行くかたや淡路島追加淺草川にて郭公なくは佛法長吉か若竹は片肌ぬぎのきほひかな轍士に尻すゑよとて根のつくやさき〓〓へ飛ぶ石荷(一)形代に息を吹きかけて川へ流すよりいふ石塔をなでては休む一葉かな(五)市中盆までは秋なき門の灯籠かな七タ眞夜半やふりかはりたる天の川ほし合に我妹かさむ待女郞ほし合や瞽女も願ひの糸とらむ大伽藍造營まし〓〓ける年の今日遠くをがみ侍りけるに富士筑波根の間に更に山ひとつ出來たるかと空のにほひもちかく成るべきほどなりけり玄峰集秋秋之部初秋秋風の心うごきぬ繩すだれCIつくり木の糸をゆるすや秋の風洛外の辻堂いくつあきの風CIU閑居瘦る身をさするに似たり秋の風(三)葛齒のあとのあり葛の葉のうら表宗祇之廟(二四)部(一)後嵯峨院、「あし簾夕暮かけて吹く風に秋の心ぞうごきそめぬる(二)裝遊稿にいづ(三)裝遊稿には「歸庵」と前書あり(四)箱根湯本にあり(五)塔澤記中の句玄峰集
名家俳句集上野より道や付くらむ銀河瀧飛のけろりと浮くや星使名月の夜はいかならむはかりがたし七夕は降ると思ふがうき世かな北タや賀茂川わたる牛車防鴨河使妻越や人目づつみの河づかひ梶の葉に小うたかくとて我や來ぬひと夜よし原天の川年渡りえや隅田川原の橋柱三さもあらばあれ句を洗ふ天の川飛鳥井なんばどのの蹴鞠池(三)の坊の立花みやこの田夫ゐなかの風流立て見るあり居て見るあり秋風のうしろを覗く立花哉(四二)薄野の宮にまゐりて嵯峨中の淋しさく〓る薄かな(五)花す〓き階子つれなくこけか〓りすると、品川へ二里の休や花す〓き野の花おもしろく富士にすぢかふ花野哉花の秋草に喰ひあく野馬かな盃のことばを切題にして一(一)裝遊稿中の句(二)硯筆は洗はずとも句を洗ひ〓めんとなり(三)七月七日六角室池の坊にて立花の式あり(四)聽遊稿中の句(五)裝遊稿にいづ、本「淋しさくる〓」とあ字を探りうる洗ク潜らせて色々にこそ萩の露蟲寺にて常燈や壁あた〓かにきり〓〓す蓑虫の音をき〓に來よ草の菴 芭蕉翁(一)聞きにゆきて何も音もなし稻うちくうて螽哉茶碗銘黑茶碗あり花の朝はますますくろく雪の夕はいよ〓〓黑し月待つ宵のやみをさぐり闇夜に鼻をとられしはおのおのつちめくらのまじはりなるべし檢校貧僧大黑小ぐろはちの子早ふね小雲雀三代目をのんこといふのむここそ猶ふかき意味あれ祕してしばらく殘す松むしのりんともいはず黑茶碗底倉木香あしの湯を經て地獄めぐりといふことあり惣じて此邊の濕化蝶蜻の類墨をぬりたるがごとし(一)文集の「蓑虫を聞に行辭」參照玄峰集
名家俳句集(一)塔澤記中の句おのれさへ餓鬼に似たるよ蟋蟀(1)露草の葉を遊びありけよ露の玉十歳に成りける童の身まかりけるに駒取りのもとの雫や末の露(三)うすひ權現にて(三)稻妻にけしからぬ神子が目ざしやな鷄頭まだ夏の心ならひや葉鷄頭味噌で煮て喰ふとは知らじ鷄頭花(四、)鷄頭は蜑のたきさす煙かな西瓜身ひとつをもてあつかへる西瓜哉妻悼尸かな桔梗かるかやをみなへし蓮の骨あはれは美女の尸哉(五)朝叟をとぶらふ蓮の實の飛びはとびしがそもされば同一周忌靑ふくべひとり廻つて一周忌里右が娘うしなひたるに遣す鬼灯のさすればつぶす歎哉(六)盆會魂棚は露も淚もあぶらかな(二)駒取りは童の連りて帶と帶とをとり首尾をなす遊戯、遍昭、「末の露もとの雫や世の中のもくれ先だつためしなるらん」(三)神子の目の物すごく神のつきたるが如き(四)白鷄頭を味噌にて煑て食すれば腹藥なり(五)胡塞記にいづ(六)裝遊稿に出づ魂祭母屋の妻戶の音は何喰ものも皆水くさし魂祭たま棚や皆こまん〓と茄子あへ詞書有略たま祭り爰が願のみやこなり(ニ)九日の六道まゐり小野の篁の冥途にかよへる道なりとて洛中の貴賤まうでて槇の葉をもとめて魂をむかふる印とし侍る打てば響く物としりつ〓迎鐘靈棚の粟にさきだついの字哉あかねや美濃やと聞えたる(四,峰集なき名のながれとゞまる所は千日寺の蓬生の露ときえかへりぬ盆のこのごろは夜ごとに群集して逆緣にとぶらふ人もあまた侍りけり戒名嵐雪月照と石の塔婆に彫入れたりあるまじきことならねどをりからは思ひかけずおぼえ侍りければ夢によく似たる夢哉墓參り松が崎妙法の火(五)經を燒く火のたふとさや秋の風大文字の句をもとめたれば(大) (一)裝遊稿中の句、妻の都にて死せしを弔ふ(二)裝遊稿中の句(三)撮解に、「いの字草は狼尾草にて粟に似たる草也」(四)あかねや半七美濃や三勝をいふ(五)七月十六日洛北松ケ崎に妙法の火を點ず、裝遊稿中の句(六)洛東淨土寺山の送火をいふ玄集
名家俳句集雪のこ〓ろの出でけるまよに山の端を雪にも見ばや大文字(一)相撲角力とり並ぶや秋のから錦木下り千本を南へよつづかの邊へ行くとて島原の外もそむるや藍畠(三)戾りにも賣れずに鵙の草鞋哉蘭鮑同肆盜みたる蘭や乞食の蓑の下秋暮立出てうしろ歩や秋のくれもどかしく吾面くはす秋の暮寢て起きて又寢て見ても秋の暮秋の暮石山寺の鐘のそば定家舟炙るとまやの秋の夕かな(三)單誓上人の岩室燕のかへりみちありほらの雨(四.)江の鳴日を拜む海士のふるへや初あらし釘の島の穴をうなるや秋の夢鶴が岡の放生會拜みにとて待宵の月かけて雪の下のやどりに侍り試樂の笛に夜す(一)裝遊稿にいづ(二)裝遊稿中の句(三)定家「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苦屋の秋の夕暮」(四)塔澤記中の句なり(五)「秋の夢」は「秋の聲」の誤なるべしがらうかれぬ明れば朝霧の木の間たえ〓〓に樂人鳥のごとくつらなり社僧雲に似てたなびき出る神のみゆきの嚴重なるに階下塵しづまり松の嵐も聲をとゞめぬ烏帽子着て白きもの皆小田の雁月名月や柳の枝を空へ吹く(一)名月や烟這ひゆく水のうへ旅泊錢矢立空に三五とよぶ聲を仕合な岨の松かなけふの月(三峰集靑空に松を書きたりけふの月花折新發意に戶ほそを扣て(三)茶飯の狼藉をする一客あり名月は蜂もおよばぬ梢かな明月や先づ蓋取りて蕎麥を艱ぐ海も山も坊主にしたりけふの月(四、)〓凉紫宸のあらたにつくりみがかれたる中に新月や内侍所の棟の草名月や歌人に髭のなきがごと(五分靑鷺の叱と鳴きつ〓けふの月名月の團友坊は男かな(七)土臭き鯔にはあらずけふの月(一)類柑子集に、「塗垂のうしろに一株高し」と前書あり(二)支考の「其許は涼しさうなり峰の松」蓼太の「名月や生れかはらば峯の松」皆これよ(三)花折新發意は能の狂言なり(四)門人〓水周竹が剃髮せし時の吟なり(五)萬葉、「かつまたの池はわれ知る運なししかいふ君の影なきがごと(六)團友坊は涼菟の初名玄集
名家俳句集ひたちの鮭かまくらのかつを松江の鱸膾わたらぬ雁に俎板をならし遠き海の珍物ちかき江のひれもの心におもへばよだれに流れさもあれことしの名月眺め得たりコン~獻々は噺ですみぬけふの月(三)名月は絕えたる瀧のひかり哉詞書あり略早雲寺名月の雲はやきなり€鎌倉大佛明月は南を得たり佛頂珠(三)名月やたしかに渡る鶴の聲高笑ひ月見る人に見さげたりけふ長崎の泥足めづらしき顏もて目なれぬうつは物をおくり侍るに新月の心ばえなり唐煙筒(四四)明月や道心の名のおもしろき聾とは外よりしらぬ月見哉詞書有略野に寢たる牛の黑さを秋の月(五)とこぶしは宵の小貝か磯の月(大)信濃催馬樂君來ずばねこにせむ信濃の眞そば(+)初眞蕎麥(一)獻々は酒盛をいふ(二)塔澤記中の句、早雲寺は箱根湯本にあり(三)塔澤記中の句(四)白氏、「三五夜中新月色、二千里外故人心」の句意をとれり(五)裝遊稿にいづ(六)とこぶしは蚫に似て小なる貝(七)ねこは粉の腐敗しか〓るをいふイガ グリ毬栗や手にさ〓けたる法の場秋の暮井手の蛙のからを見む(六)(七)舟竹というて土產ねだられけるに人丸の柿の實山の邊の栗の殻けふの得もののあまりなりと笑ひ興じて榧のから吉野の山の木の實見よ標茅林間に煮燒する日をたゞたのめ(八)くち木となおぼしめされそ榎茸菊初菊やほじろの頰の白きほど(九〓指に入る風はや寒しけふの菊(一)越智越人にあひし時の句なり(二)杜牧、「千里鶯啼綠映紅、水村山廓酒旗風、南朝四百八十寺、多少構臺烟雨中」(三)豐年の秋の樣新酒我もらじ新酒は人の醒めやすき(一)題しらずはぜ釣や水村山廓酒旗ノ風(三)あしの穗やおやぢと呼ぶは渡し守木犀の晝は醒めたる香爐かな八九月風やいづこのほらの貝穂に出でて世の中は田も疇もなし(三)水音も鮎さびけりな山里は(四)柿栗ひとり旅しぶ柿くうた顏は誰詞書有略猶石にしぶ柿をぬる翁かな(五)峰集(四)塔澤記の中の句(五)同前(六)舟竹は周竹の前名(七)節信が「井手の蛙のから」と能因が「長柄答せしこと袋草子にあの橋の鉋屑」と互に贈(八)「林間煖酒燒紅葉」の句と、「只賴めしめぢが原のさしも草我世の中にあらんかぎりは」の歌とを取合せたり(九)ほじろは畫眉鳥玄集三〇三
名家俳句集蒼浪にのぞみたえけり菊の岸一くねりくねるにもこそ菊の水菊九章其、九日菊もまだつゆ〓〓つぼむ九日哉其二素堂亭にて人々菊見られけるにかくれ家やよめ菜の中に交る菊其三百菊を揃へけるに黄菊白菊其外の名はなくも哉其四名所の菊白ぎくの鎌倉やすまば扇ケ谷其五菖のたけのみやびやかなるは歌の姿なりけらし菊を見て句をまうく鶴の聲菊七尺のながめかな其六琴琴は語る菊はうなづく籬かな其七棊菊買ふは又棊にまけし人やらむ其八書一元十七書を抽芭蕉にねぶれ菊の兒其九畫菊さけり蝶來て遊ベ繪の具皿京よりから崎へ詣るとてしがの山越はすることなり(一)裝遊稿中の句志賀越とありし被や菊の花(二)斯にておのれと覺めぬ菊の畫霜の菊杖がなければおきふしも繪の菊に今朝は餓ゑたる胡蝶哉(三)蜂はさし蝶はねぶるや菊の花瀧下圓哲に燕すきくの香にさすが山路の雪踏哉山路ふるこ〓ちや菊に榎茸菊添ふやまた重箱に鮭の魚さればこそ鄙の拍子のあなるかな神田祭のつゞみうつ音岐足(三)ひやうしさへあづまなりとや花す〓き大名衆をまつりかな詞書有略袖つまにもつれし雲や露時雨(四,まつ風の里は籾するしぐれ哉狐林紅葉(七十)牛まれに茶道をかくす絶かな(五)莊子樗木の大きさ牛をかくす紅葉の醉ざめを一ぶくとかや化されけむと放散逍遙のたはむれ事なりちり行くも二度の情や梅紅葉去るかたへまゐりて蔦の葉やつたの身ながらか〓る時(二)胡塞記にはも」とあり「今朝(三)神田祭は九月十五日(四)塔澤記中の句(五)茶道坊主玄峰集
名家俳句集病床に虱をとる辨しらず身の毛いよだちて襟の程うさ〓〓としつるが飯つぶの半したる物さすりあてたり疾くものの上に赦しはなちめがね二重に疊て渠がさまを窺ひ見るに白き肉黑き腸呼吸につれて動搖ゆるぐ眼きら〓〓と見すゑ手139足よつか六つかありて怒げなるが護摩堂にまします明王尊に似たり虎にも戰ひ龍とも爭ふべし誠や必死の人の床にはかいふり戾りてあざむきにらむとこそ本草には見えたれいまだ死まじきにやしりついむけて行く恐ろしと見ればこそさも覺ゆれおのれが姿のなべての虫におとれるものかは歌うたはぬは聲のなければなり今少し身かろからば待宵のふ(1)るまひもしかねやはすべきを蓑虫にゆかりたる鬼の子なればかかく世にうとみ果てられたる業生のほどこそ(一)衣通姫「我背子が來べき宵なりさ〓がにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも」いと拙けれ臭穢の中に質を請けて禪に潜りぬひめにかくれて人の血氣を犯し吸ふこと蚊子の鐵牛を嚙むより猶甚しその生涯の終れる所は火とりの中に細きけぶりと飛び木枕の角にからき恥をばさらされぬされば眞如の性のみてる事や摩竭なに(+)とかいへる魚の大百由旬より蝶螟の微細なるまで行きわたりて憎愛かはる事なしとこそ見ゆれ内裏にもの祈りけるひじりの御灯の光に一夜しらみ拾はれたるに物の化のこと治りけるとぞ知識の肌に馴れまとひて德をおなじういはれけるもさるべき因緣にや柱の穴に生をたくはへて舊年の怨人には報ふともさもあれさついか(三)にゆるしてむとかたなひねくり鎗とりしごく迄いらちおもふ間にころ〓〓ところげて見えずこはもらしつるはと騒てあなぐり求むれど(一)摩竭は鯨(二)「さつ」は「しやつ」(這奴)玄峰集
名家俳句集なし淵に物落せし人の顏して手打ちはたきてより夢もしらみにしらみ東雲の空もしらみはてぬ白身坊が衣被けしものかあさがほの花ほど口をあくび哉朝日山更に幽なり網代打烏なと起出よあたら月夜哉只ならぬ故にうへ吹くか荻の風秋の日の事たらはしや三つ盒子菊の香に鳩も硯の水添へむ追加われからと喪に住む人の淚かな木蓮や花にて照らす秋もありひえ鳥は椿の命しらねばやきつ〓きや鎧傳ふる家の軒毬栗のにくさをにじる若衆哉玄峰集凩の吹きゆくうしろ姿かな一葉ちりいくらも散りて月夜哉時雨茶を煎て時雨あまたに聞きなさむ深谷やしきる時雨の音もなし山茶花いさはやの葉やあは雪も消えがてに(三)延喜帝寒夜に國土の民もか寒からむと夜のおとどにて御衣をぬがせ給ひけるとなり脫ぎたまふ御衣は天下の衾かな京にて冬之部讃大黑神の留主能く女房を守るべし十月の蟋きり〓〓す鼠の巢にて鳴終りぬ凩木がらしに梢の柿の名殘かな(一)前川亭にて木がらしの僅にまねく庭木哉芭蕉翁回郷部(一)胡塞記中にいづ(二)「いさはや」は椿玄峰集
名家俳句集ふとん着て寢たる姿や東山足袋はきて寢る夜隔てそ女房共爐爐ぴらきの日をしめし野に土菜哉法華を聞き侍りて沈著世樂無有慧心つとめよと親もあたらぬ火燵哉冬の日客をもてなす君見よや我手いる〓ぞ莖の桶(1)たま〓〓に引く人のあり赤大根午といふ一字題萱原や枯れかげろひて馬の陰囊水鳥鈴鴨の聲ふり渡る月寒し萍に何を喰ふやらいけのかも汀氷鴨おりて水まで歩む氷かな題夷講人水鱈汁をついて巖に落つるなる霜朝の嵐やつ〓む生姜味噌十月廿五日共桃隣出武江而曁義仲寺望芭蕉翁之墓歎唱上略(三)霜月七日のゆふづくよの程に義仲寺の家上にひざまづく空華散じ水月うちこぼす(一)元祿三年鬼貫來訪の時挨拶の句也(二)文集に全文いでた時心鏡一塵をひかざれば萬象よくうつる此師この道においてみづからを利し他を利して終に其神不竭今も見給へ今も聞給へとて此下にかくねむるらむ雪ほとけ十月廿二日夜十月を夢かとばかりさくらばな(1)四七日題翁三物木がらしの猿も馴染か蓑と笠十一月十二日初月忌泣く中に寒菊ひとり耐へたり元祿乙亥十月十二日一周忌夢人の裾を摑めば納豆哉七囘忌霜時雨それもむかしや坐興庵(三)十三囘品々の蒲團にのほる木魚哉歸依法肉邊の菜を喰ふ鰒のやうに腹を立するあげ麩哉海鼠海鼠喰ふはきたないものかお僧達海鼠だたみもむつかしき世や獨住蠣を得て返事にはまはるは石花にかしこしひねり文神樂(一)枯尾花集歌仙の發句なり(二)枯尾花集にいづ(三)坐興庵は芭蕉庵の前名にや(四)蠣を捻りて砂を去りたるをひねり石花と玄峰集
名家俳句集)かぐら舟澤の灯の御火白くたけ雪門の雪臼とたらひの姿かな竹の雪百歩の馬屋見すかせり蛇もせよ木兎もせよゆきの猫初雪や裾へとゞかぬ白丁花御築地のうちををがみ侍りけるに如意が嶽より出る月の南門にか〓りてかぎりなくめでたかりければから花に月雪こほすとびら哉菓子盆やそもそめいろの雪ならば澤庵の若衆ぜせりや雪のふみ藏ありと知りたる雪の光かな今の島田よし助が門も見す(一)てがたくて鍛冶の火も殊さらにこそ笠の雪明星は乞食も見るか雪のうへ(三)雪中に雪を投込むあそび哉雪はまうさず先づ紫の筑波山此雪にむかひにおこす人も人霰平リ武士の足で米とぐあられかな顏出してはづみをうけむ玉霰鉢た〓き今少し年より見たし鉢叩(一)駿州島田の刀鍛冶(二)釋迦出山の時沙羅雙樹の下にて明星を見給ひしといふ(三)嵯峨落柿舍にての作なり畫讃畑中によし野靜やす〓拂(1)歲暮山伏の見ごとに出立つ師走かな古足袋の四十に足をふみ込みぬ東潮が子もてるに申遣すつき立の餅に赤子や年の暮(三)おもへはや泣かれ笑はれとしの暮とし一夜輾殘さじ日の鼠又汁粉さまで浮世にあかねどもばせを庵の芭蕉もいまだうひうひしかりける秋桐の葉の一葉とへと告げこし給へる事なんどおもひ出られ侍りて錢ほしとよむ人ゆかし年の暮(三)慰女房三盒子ことたらはすや年の暮古曆ほしき人には參らせむ岡見すと妹つくろひぬこへの門四五十ばかりの古猫の鼠もとらずなりて常にゐろりに鼻さしくべて冬ごもりたりなまじひに南泉の刀をのがれ(五)たるを身の幸にして今年も暮れぬ(一)畫にかきたる靜御前の市女笠きたるさまを煤拂の女の姿に見立(二)俗に赤子の肌はつき立の餅のやうといへ(三)草庵集に兼好がもとよりよねたまへ錢もほしといふ事を沓冠にもきて歌よみて頓阿に送りし事あり(四)「こへ」は小家か(五)南泉といふ禪僧猫を斬りし事あり玄峰集
名家俳句集いづれもの猫なで聲にとしの暮軒の柊梅を探るにおぼつかなし豆をさへ聞かぬ藁屋にこれや此G此句は家をやきたる年小屋の住居のわびしきに眼をさへやみての吟なるよし蕎麥うちて鬢髭白し年の暮猿猴の手に手をかるや年のくれ辭世一葉ちる咄一葉ちる風のうへ追加(一)節分の豆打の聲もきかずとなり、蟬丸の「宮も藁屋」「これやこの行くも返るも」の音百を併せ用ふ稻妻やあはれに薄きかんな月六祖讃そむきなりそ〓麥なりや年の暮呑んで置く殘る齢や菊の宴雪に折れ天窓の上に菊の杖道の記に戀歌は多し狩使見れば垣に裏表あり雪の聲皆寬延三庚午正月百萬旨原校訂丈草發句集
丈草俗姓は内藤にして、世々尾張の國犬山の城主に武を以て仕ふ、り、若きより佛乘に歸して玉堂和尙の禪意を傳へ、奉公を辭して薙髪す。偈曰、多年負屋一蝸牛、化做蛞蝓得自由、火宅最惶涎沫盡、追尋法雨入林丘、發句、涼風にきゆるを雲の舍り哉と云々。終に故郷を去りて、湖南の栗津龍ケ岡に茅屋を結び、佛幻庵と號し、芭蕉翁を開祖とす、近くまで其跡ありて、岡の堂といふ。翁の滅後山に籠りて、師恩の報せむために、一石一字の法華經を書寫して墳に築く。元祿十七年の春二月廿四日病床に坐化す。墳は龍ケ岡の東林の中にあり、正秀が墓に隣る。文を右にして和漢の才あ偈曰、多年負屋り、一蝸牛、發句、丈草發句集三一五
丈草發句集尾張の國に春を探りて梅の花散り初めにけり難追風芭蕉翁の往昔を思ふ梅が香に迷はぬ道のちまた哉引寄せてはなしかねたる柳哉我事と鰺の迯げし根芹かな寒だけは寒く、土用だけは暑し、春ひとり何ぞ餘興なきや春だけはもちのこさぬや面白み背戶中は冴返りけり田螺殻里の男の田螺殻を水底に沈め、待ち居たれば、腥を貪春うぐひすや茶の木畑の朝月夜竹簀戶のあふちこぼつや梅の花(一)床脇は梅さくかたか荷茶屋待つことは梅にあるかも茶摺子木奉納梅が香や湯立の跡の炭の切片屋根の梅開きけり烟出し遲望が新宅を賀す水仙に作事は濟んで梅の客(一)一本「竹簀子にあほちこぼすや」とあり
名家俳句集る鯲のいくらともなく入り籠りて入替る鯲も死ぬに田螺がら(1)取付かぬ心で浮ぶ蛙かな梅本寺に遊びて松風を打越して聞く蛙かな草庵火を打てば軒に啼合ふ雨蛙のら猫やうかれ行くほど松の中歸る空なくてや夜半のやもめ鴈眞野雄琴雲雀にとゞく煙哉朝ごとに同じ雲雀か屋根の空支考餞別松風の空や雲雀の舞ひ別れ燕の鴈に問うてや鳰まはり蘆文に別る〓とて落付の知れぬ別や鳳巾大原や蝶の出て舞ふ朧月陽炎に隣の茶さへすみにけり芭蕉翁の墳に詣でて我病身をおもふ陽炎や墓より外に住むばかり春雨や何から言はむ嵯峨戾り春雨やぬけ出たま〓の夜着の穴身を風雲にまろめ、あらゆる乏しさを物とせず、唯(一)一本「入替る〓もあるに」とありつの頭の病もてる故に、枕のかたきを嫌ふのみ、惟然子が不自由なり、蕉翁も折折之を戲れ興ぜられしに、此人はつぶりにのみ奢を持てる人なりとぞ、此春故〓へとて湖上の草庵を覗かれける、猶末遠き山村野亭の枕に、いかなる木のふしをか侘びて、殘る寒さも一入にこそと、後見送る岐にのぞみて木枕の垢や伊吹に殘る雪閑居朝夕にせ〓る火燵や春のたし白妙に月夜烏や花の奥眞先に見し枝ならむ散る櫻角入れた人をかしらや花の友更に劉伶が鋤を倩はじと興(1)じて醉死なぬ先から花の埋みけりうか〓〓と來ては花見の留主居哉鳶の輪の崩れて入るや山櫻花曇田螺のあとや水の底死んだとも留主とも知れず庵の花塗樽の庵に立寄る花見かな(一)晉の劉伶常に鹿車をして鋤を荷ひて隨はに乘り一壺酒を携へ人しむ、蓋し醉死の時直に埋めさせんため也丈草發句集
名家俳句集花散るや覗きあひたる岩の穴水壺にうつるや花の人出入片尻は岩にかけたり花莚散る方は志賀にしておけ澳の花木啄や枯木をさがす花の中笠松に舞ひもどりけり花の友小疊の火燵ぬけてや花の下洛東の花落込むや花見の中のとまり鳥病中山がらは花見もどりや枕もと夕ばえや花の波こすあらつよみ餞別見送りの先に立ちけりつく〓〓し咲立て柴のならぬや躑躅山さし覗く窓へ躑躅の日脚哉あぐらかく岩から下や藤の花畫讃何の葉の影ぞねぢむく雉子のてり三月や冬の景色の桑一木三月盡明けぬ間は星も嵐も春の持ち鹿追の寢入るや藪の杜鵑木曾川のほとりにてながれ木や篝火の上の不如歸月夜の松原に醉出て狂亂のけいこの中にほと〓ぎす遊長命寺笋の鮓を啼出せ郭公寢て待つや梅田枇杷麥蜀魂C)屋の棟の麥や穗に出て夕日影杉なりにせり上りたる田植かな谷風や靑田を廻る庵の客松風を中に靑田の戰ぎかな夕ばえや茂みに洩る〓川の跡夏時鳥啼くや湖水のさ〓濁り飛込んだま〓か都のほと〓ぎす子規瀧より上のわたりかな川越の途中に立つや郭公ほと〓ぎす誰にわたさむ川向ひ啼かぬ間よ空一ぱいの時鳥菜種殻焚くや野風の子規杜鵑なくや榎も梅さくらしるべして山路もどせよ杜宇山道や壺荷にひゞく時鳥嵯峨にて(一)攝津梅田村は枇杷と麥との名產地なり丈草發句集
名家俳句集去來が落柿舍にて芽出しより二葉に茂る柿の實はね釣瓶蛇の行方や杜若靑雲や馬鍬休むる晝の芥子晝鐘や若竹そよぐ山づたひ子につれて返る靑みや去年の竹草芝を出づる螢の羽音かなはしりこむ螢の中や谷の水螢火や蟹のあらせし庭のへり豐後龍門寺の瀧螢火や村中に取る瀧の水曲水の子を悼む呼聲は絕えて螢のさかり哉やう〓〓と出て啼く時か閑古鳥仰木の里書懷おのが音の尼や水鷄の磯の闇(一)血を分けしものと思はず蚊の憎さ朝日さす紙帳の中や蚊の迷ひ衰病倚人行先にのがれ入りけり蚊帳の中魯九剃髪せし時番辭蚊帳を出て又障子あり夏の月隙明や蚤の出て行く耳の穴電のさそひ出してや火とり虫梅本寺より歸るとて蟬啼くやわかれて上る軒の山(一)尼の字は誤なるべ夕立のかしら入れたる梅雨かな美濃の關にて町中の山や五月の上り雲テ白雨に走り下るや竹の蟻夕立に飛びのく月や松の上涼しさに寢よとや岩のくぼたまり小屏風に山里すゞし腹の上あら壁や水で字をふく夕涼CI突立て帆となる袖や涼舟(三)草臥の根ぬけや澳の晝涼すゞしさの心もとなし蔦うるし丈山の像さかさまに扇を懸けて猶すゞし(三)犬山にて市中苦熱涼しさを見せてや動く城の松ぬけ果てし納涼のあとや椽の月四梅廬の納涼(四)打水にのこるすゞみや梅の中澁笠に受合せけり蓮の露浦舟の頭へしに匂ふ蓮かな惟然行脚を送りて炎天に歩行神つくうねり笠雨乞の雨氣こはがる借着哉元春法師身まかりけるに世の中を投出したる團扇かな旅行(一)一本「字をかく」と(二)一本「帆になる」と(三)丈山の富士の詩、「白扇倒懸東海天」の句による、一本「又すゞし」とあり(四)四梅廬は僧李由の別號丈草發句集
名家俳句集帷子にあた〓まり待つ日の出哉梅本寺を立出るとて雨乞に先立つけふや破笠秋いなづまや夜明けて後も舟心悔みいふ人の途切やきり〓〓す行燈に飛ぶや袂のきり〓〓す宵までや戶にうたれたる蟋蟀キリ〓〓ス踊子のかへり來ぬ夜や番寒けれど穴にも啼かずきり〓〓すきり〓〓す啼くや出立の膳の下物かけて寢よとや裙のきり〓〓す寢がへりの方になじむや蟋蟀つれのある所へ掃くぞきり〓〓す病床虫の音の中に咳出す寢覺哉(一)一本「朝夕を」と朝夕ベ秋の廻るや原の庵(一)夜明まで雨吹く中や二つ星精靈の好かれし人を集めけり聖靈の隣ありきや山の上魂棚や藪木をもる〓月の影精靈も出てかりの世の旅寢哉舊里に歸りて精靈に戾り合せつ十年ぶり送火の山に上るや家の數稻妻のわれて落つるや山の上夜舟より上りて洒堂亭に眠
三二六啄木の入りまはりけり藪の松ばせを翁へ文通の奥に招けどもとゞかぬ空や天つ雁山ばなやわたりつきたる鳥の聲脫殻にならびて死ぬる秋の蟬旅中蜻蛉の來ては蠅とる笠の內啼き腫れて目ざしもうとし鹿の形北嵯峨や町を打越す鹿の聲あれこれを思ひはづれる花野かな早稻の香や雇出さる〓庵の舟名月や雨にはりあふ風光名月や車きしらす辻番屋辻堂に梟たてこむ月夜かな戶を明けて月のならしや芝の上から樽を漏にあてけり月の雨野山にもつかで晝から月の客京筑紫去年の月問ふ僧仲間淀川の邊にて舟引の道かたよけて月見かな發句して笑はれにけり今日の月此句は林之助といひける九歳の時、はじめて言出せる句の由友づれの舟に寢つかぬ夜寒哉答見寄山庵(一)一本「友つれて」と燒栗も客も飛び行く夜寒かな病人と撞木に寢たる夜寒かな(II洛の惟然が宅より故郷へ歸るに鼠ども出立の芋をこかしけり鷄頭に置いて迯るや笠の蠅鷄冠の晝をうつすや塗枕つり柿や障子に狂ふ夕日影木傳うて穴熊出づる熟柿哉落柿舍すたれける頃(二)澁柿はかみのかたさよ明屋數谷越に鳴子の綱や窓の中居風呂の下や案山子の身の終借りかけし庵の噂や今日の菊嵯峨にて竹伐の外には見えず菊の主蘆の穂や顏撫上る夢さかり蘆の穂や蟹をやとひて折りもせず早咲の得手を櫻の紅葉かな稻積に出づるあるじや秋の雨松の葉の地に立並ぶ秋の雨ねばりなき空を走るや秋の雲伊賀へ越す時おとき峠にていひおとす峠の外も秋の雲飼猿も秋はことさら山の聲旅瘦を見には寄らぬに秋の池(一)二人丁字形に寢る(二)頑健なるを「かみがかたい」といへり丈草發句集
名家俳句集靑空や手ざしもならず秋の水歸り來る魚のすみかや崩築堂頭の新蕎麥に出る麓かな夜噺の長さを行けばどこの山須磨の浦眺めあふ秋のあてどや寺と船行く秋や梢にか〓る鉋屑行く秋の四五日弱る薄かな入る月や時雨る〓雲の底光り海山の時雨つきあふ庵の上所思もたれたる柱も終に磯時雨(一)芭蕉翁病中祈禱の句峠こす鴨のきほひや諸きほひ(三)ばせを翁の病床に侍りてうづくまる藥の下の寒さかな傷亡師之終焉曉の墓もゆるぐや千鳥數寄芭蕉翁追悼ゆりすわる小春の湖や墳の前芭蕉翁の七日〓〓もうつり冬雷落ちし松は枯野の初時雨一方は藪の手つたふ時雨かな黑みけり沖の時雨の行處幾人か時雨駈けぬく瀨田の橋鳥の羽もさはらば雲のしぐれ口屋根葺の海をふりむく時雨哉鍋もとにかたぐ日影や村時雨風雲や時雨をくゞる比良おもて東湖あたりの冬空を吟じてむきたらで又や時雨のかり着物越中翁塚手向(一)「磯時雨」一本「幾時雨」とあり(三)「峠こす鴨の羽なりや諸きほひ」の誤な
名家俳句集行く哀さ、無名庵に偶居して心地さへすぐれず、去來が許へ申送る朝霜や茶の湯の後のくすり鍋國々の墓所も同じ蕉葉の霜にしらめる三年の喪は疎ならぬ中に、湖上の木曾寺は其全き姿を收めて、人々のぬかづき寄る袖の泪も、しほの時雨をす〓むる、舊寺の夕べより朝をかけて、梵筵吟席の勤ねもごろなり、然れども野納は獨り財なく病有る身なれば、なみなみの手向も心にまかせず、あたり近き谷川の小石かきあつめて、蓮經の要品を寫し、その菩提を祈り、その恩を謝せむ事を願へり、誠に今更の夢とのみ驚く心喪のかぎりに筆を抛ち、手を拱して、唯墓前の枯野を見るのみ石經の墨を添へけり初時雨芭蕉翁七回忌追福の時、法華經頓寫の前書あり待受けて經書く風の落葉かな水底の岩に落ちつく木の葉哉風のあたり所や瘤柳奈良の立梅、蕉翁のこがらしの身は竹齋に似たる哉といへる句を夢見て、其翁の像を畫きて讃望みけるに木がらしの身は猶輕し夢の中飛返る岩の霰や窓の中山中泊電ふる宿のしまりや蓑の夜着初霜の泥によごれつ草の色思はずの雪見や比叡の前うしろ雪空の片隅さびし牛の留守狼の聲そろふなり雪の暮納豆するとぎれや嶺の雪おこし(I)ふりかへて山から見たし雪の窓狐なく岡の晝間や雪曇野も山も雪にとられて何も無しさかまくや降積む峰の雪の雲CII折れあうて中行く道や雪の友都の人に申遣しける山雲の餘りをやれば京の雪嵯峨の野明別莊にて柴の戶や夜の間に我を雪の客去來が菴を訪ひ來れるに別(一)北國にて雪の降らんとして雷鳴あるを雪おこしといふ(二)一本「雪の松」と丈草發句集
名家俳句集る〓とて雪曇身の上を啼く烏かな村雲の岩を出づるや吹雪の根しまき來る雪の黑みや雲の間淋しさの底ぬけて降る霙哉背戶口の入江に上る千鳥かな小夜千鳥庚申待の舟屋形水底を見て來た顏の小鴨哉夜鳥をそやし立てけり鴨の群霜腹の寢覺々々や鴨の聲榾の火や曉がたの五六尺草庵の火燵の下や古狸下京を廻りて火燒行脚かなほた〓〓と朝日さしこむ火燵かな守り居る火燵を庵の本尊かな吹く嵐あらしや今は山やおもふ行く曉の寢覺なりしをといふを誦して山やおもふ紙帳の中の置火燵炭賣や隣の人が焚きに行く紙子着て寄れば火燵の走り炭貧交まじはりは紙衣の切を讓りけり一夜さに猫も紙子もやけどかな居寢さへか〓らぬものなりければ、立別る〓宿の跡も岩間に降積れる雪の日に照されて、此物とはなれりとぞ、浪化より惠まれしに取りあへず海苔の名やたゞ打見には雪と炭あら猫の駈出す軒や冬の月雪よりも寒し白髪に冬の月獨法師はなか〓〓の手廻しにて煤掃や山風うけて吹通し寒は旣望の日より明けて、風景殊更に悠然たり十五日春やのしこむ年の暮然こそと思ひて、踏破る紙帳の穴や置土產鷄の片足づつや冬ごもり靜さを數珠も思はず網代守舟岡に影氷らすや鉢た〓き(一)一月はわれに米かせ鉢た〓きうら門の竹にひゞくや鉢敲長崎卯七渡鳥撰集の時句選や雲降る夜の霰酒水風呂に筧しかけて谷の柴鷹の目の枯野にすわる嵐哉神松のさえこむ影や禰宜の夢黑海苔は雪海苔ともいふ、(一)舟岡は京の墓地丈草發句集
名家俳句集行燈を消せば鼠の年忘追鳥も山へ歸るか年の暮安永三午年六月翠樹堂月代や時雨の中の蟲の聲粟津野や山から京のほと〓ぎす〓口尋ねられしに名月の前へまはるや旅枕賀助然于山彥撰集月花や好きこたへある里の山追加鶯に取らばや庵の風ふせぎ着て立てば夜の衾もなかりけり影法師の橫になりたる火燵哉白粥の茶碗隈なし初日影酒賣のもどりは樽に野梅かな子規たしかに峯の早松茸と〓川の春や暮れ行く葭の中船待の笠にためたる落葉哉惟然坊句集
梅華鳥落人、惟然坊は美濃國關里の產、廣瀨氏安通が舍弟なりけり。ずして鳥の羽風に落散るを感動せしより、しきりに隱遁のこ〓ろざし起りてやまず、ある夜妻子を捨て、自ら薙髮して芭蕉門にかけ入り、吟徒となりて、晝夜をわかず俳諧三昧にして、終に此道の大眼悟徹を遂げたり。翁遷化後師として隨ふべき人なし、友とし親むものなしとて、風羅念佛といふものを作り、古き瓢を打鳴し、諷ひ風狂して足の行く處に走り、足のとどまる處にとゞまりて、心の儘に身の天然を終れり。まことに世に奇々たる風骨のこのもしかの鳥落人の句々、奇事奇談眼に見耳にふれたる程の數々廣瀨氏安通が舍弟なりけり。或日庭前の梅花時ならしきりに隱遁のこ〓ろざし起りてやまず、ある夜晝夜をわかず俳諧三昧にして、友とし親むものなしと或日庭前の梅花時ならある夜妻子を捨て、終に此道の大眼悟徹を遂げたり。て、風羅念佛といふものを作り、古き瓢を打鳴し、どまる處にとゞまりて、心の儘に身の天然を終れり。て、古き瓢を打鳴し、足のとどまる處にとゞまりて、きあまり、わが旅寢のびま〓〓、かの鳥落人の句々、關里巴圭が勸めにまかせて、書集め、一囊となしたるを、一囊の紐解て、一とぢの冊子とはなしぬ。曙菴秋擧惟然坊句集
名家俳句集鳥落人惟然坊は蕉門の一奇人なること、世に知る人まれなり。秋擧之をかなしび、草枕の時時目に見耳にふる〓每に年頃書置きぬ。こたび惟然坊がふるさと關に假寢して巴圭にかたらひ、鳥落人の遺稿をあはせて、かの風韻を世に輝かすことしかり。朱樹叟樹叟士朗惟然坊句集曙庵先生選定巴圭校春しづかさの上の靜や梅の花梅さくや赤土壁の小雪隱梅の花赤いは〓〓あかいはな梅〓梅の花あの月ながら折らばやな人日(C)芹薺踏みよごしたる雪の泥山の幅啼きひろげけり雉の聲(二)風呂敷へ落ちよ包まむ舞雲雀衣更着の重ねや寒き蝶の羽(三)山吹や水にひたせるゑまし麥まだ山の味覺えねど松の花こよひ智積院の鐘聞、今朝まで其元の事ども益御無事之旨及承い、秋與風須磨明(四),石のはつ花一兩日已前にあわて〓東山に飛びまはれば花もなう少しの分かまたなんぼ久泄に弱り果て、いづ方にてもゆるりと伏し申分別のゐ、大雲樣近日御下可被成巴圭校(一)人日は正月七日(二)一本「啼きひろげたる雉かな」とあり(三)一本「衣更重ねや重き」とあり(四)此二三行誤脫あるベし、意義通ぜず惟然坊句集
名家俳句集いよし御聞可被成いかしく三月廿七日惟然東暇丈かう居るも大切な日ぞ花盛(C)我儘になるほど花の句をさらり富貴なる酒屋にあそびて、文君が爪音も醉のまぎれにおもひ出らる〓に酒部屋に琴の音せよ窓の花上市にとまりける夜は雨ふりけるに、明けて晴渡りける、よしの川をわたれば、口の花はちり過ぎて、かへらぬころほひになりぬ、それよりしてひたはひりにはひれば、花も奥あるけしきにて、匂ふばかりに咲きわたりぬ、なほ山深く入れば、圓位の住める蹟と幽靜の谷(三)あり、鳥しづまり處々花はかなげにて、しばらく此石上に眠れば、心空しく萬事を休す今日といふ今日この花の暖かさ馬の尾に陽炎ちるや畫多葉粉出羽にて然(一)一本「かう居ても大切な日ぞ花の陰」と(二)圓位は西行しとやかな事ならはうか田うち鶴鶯や笹葉をつたふ湯だて曲突(一)新壁や裏もかへさぬ軒の梅宗鑑の陳蹟を尋ねて梅散て觀音艸の道の奥(三)詣聖廟(七)如月や松の苗賣る松の下乙鳥や赤土道のはねあがり鳥散す檜木の中や雉子の聲菜の花の匂や庵の磯畠文臺に扇ひらくや花の下(一)曲突はくど(遙) (二)觀音草、又吉祥草ともいふ、喰地へ生じ中の〓冬に似て晩秋彩算化を開く梅(三) (三)聖廟は天滿宮惟然坊句集
名家俳句集夏故郷の空ながめやりてあれ夏の雲又雲のかさなれば四日市にて涼しさよ饅頭食うて蓮の花無花果や廣葉にむかふ夕涼竹の子によばれて坊のほと〓ぎす蓴菜やひと鎌入る〓浪のひま嵯峨鳳仭子の亭を訪ひし頃、川風涼しき橋板に踞してすゞしさや海老のはね出す日の曇り史邦吟士に別る起臥にたほふ蚊帳も破れぬべし(三)芭蕉翁岐阜に行脚の頃した(一)一本「若葉吹くさらさらさらと雨ながら」とあり若葉吹く風さら〓〓と鳴りながら()於知足亭名所夏涼まうか星崎とやらさて何處ぢや澤水に米ほ〓ばらむ燕子花かるの子や首さし出して浮藻艸(三)撫子やそのかしこさに美しき夕顏や淋しう凄き葉のならひ糊ごはな帷子かぶる晝寢哉追善追付かむ誰もやがてぞ夏の月(二)「かるの子」は「かりの子」か、「かもの子」の誤なるべし(三)「たほふ」は「たばふ」にて貯ふの意か、或は「にほふ」の誤にやひ行き侍りて見せばやな茄子をちぎる軒の畑遣悶鷄鳴くや柱踏まゆる紙張ごし玉江貰はうよ玉江の麥の刈り仕舞
名家俳句集秋異にて奈良一宿仕、重陽の日に大坂着仕い、翁菊に出て奈良と難波は宵月夜此御句にて會など御坐い、其元彌御無事に被成御坐い哉、御句など少々承たくい、先日奈良越にて、近付になりて別る〓案山子哉錢百のちがひが出來た奈良の菊右兩句いたし申い、御聞可被下い、土芳丈望翠丈どれどれ樣へも可然樣に御心得被成可被下い、如何樣ふとなほ秋に竹のしわりのしなし哉更け行くや水田のうへの天の川七夕やまづ寄合うて踊初1張り殘す窓に鳴入る竈馬かな尙々御無事之段承りたく奉存に、爰もと折々の會にて風流のみにい、以上先月ははじめて罷越、ゆるゆる得貴意、大慶に奉存い、色々預御馳走、御懇意の御事ども忝奉存い、翁彌御無罷越、萬々可得貴意い、京都にて高倉通松原上ルつどらや町笠屋仁兵衞店にて素牛と御尋被下いへば相知れ申候、何時にても風流の御宿可申上い、恐惶謹言九月廿二日惟然意專老人此冬の寒さもしらで秋の暮粟津にていまならば落ちはなされじ田刈時(1)鹽壺の庇のぞかむ今日の月(三)なほ月に知るや美濃路の芋の味奥の細道萩枯れて奥の細道どこへやら田の肥る藻や刈寄せる磯の秋物干にのびたつ梨子の片枝哉朝露に躄車や草のうへ廣瀨氏の別墅を萩山とも又は松山ともいへり萩にのほる雲の下のは木曾山か悲しさや麻木の箸も長生並(三)竹藪に人音しけり括蔞(四)伊賀の山中に阿叟の閑居を訪ひて松茸や都にちかき山の味(五) (一)義仲の落馬をいふ(二)一本「鹽尻の」とあ惟然(三)長生並は「おとななみ」と讀むべきか、一本に「悲しさよ」とし「悼少年」と前書あり(四) (五)一本「山の形」とあ惟然坊句集
名家俳句集湖邊八景の中吹きぬくや秋の風我寺の藜は杖になりにけり(一)肌寒きはじめに赤し蕎麥の莖世の中をはひりかねてや蛇の穴翁に坂の下にて別る〓とて別る〓や柿食ひながら坂のうへ(一)一本「我家の」とあガ撫房のさむき影なり堂の月(三)萬句興行はつ霜や小笹が下のえび蔓冬川や木の葉は黑き岩の間寒き日にきつとがましや枇杷の花蕉翁病中祈禱之句足ばやに竹の林やみそさ〓い看病引張りて蒲團ぞ寒き笑ひ聲於義仲寺六七日花鳥にせがまれ盡す冬木立越路にて薪も割らむ宿かせ雪の靜さは(三)冬何事もござらぬ花よ水仙花水仙の花のみだれや藪屋敷凩や刈田の畔の鐵氣水(1)鵜の糞の白き梢や冬の山しかみつく岸の根笹の枯葉哉鵯や霜の梢に鳴きわたり枯蘆や朝日に氷る鮠の顏欲塡溝壑只踈放水草の菰にまかれむ薄氷茶を啜る桶屋の弟子の寒さ哉稻荷堂に詣る(一)鐵氣水はみづ」「かなけ(二)撫房はなで佛をい(三)一本「靜さよ」と
名家俳句集あそびやれよ遊ぼぞ雪の德者達世の中はしかじとおもふべし、金銀をたくはへて人を惠める事もあらず、己をも苦ましめむより、貧しうして心にかよる事もなく、氣を養へるにはしかじ、學文して身を行はざらむより、知らずして愚なるにはしか水さつと鳥はふは〓〓ふうは〓〓水鳥やむかうの岸へつうい〓〓芋鮹汁は宗因の洒落奈良茶漬は芭蕉の〓貧冬籠人にもの言ふことなかれラな臘八や今朝雜炊の蕪の味CI煤掃や折敷一枚ふみくだく節季候や疊へ鷄を追上げる天鵝毛の財布さがして年の暮年の夜や引結びたる續守年の雲故郷に居てもものの旅尋元政法師塚竹の葉やひらつく冬の夕日影(一)臘八は十二月八日の意にて、釋迦成道出山の日なりとて佛徒は之を尊み臘八粥を作りて食ふ人はしらじ實に此道のぬくめ鳥有千斤金不如林下貧ひだるさに馴れてよく寢る霜夜哉曾根松曾根の松これも年ふる名所哉囘答ながら、それを繪にかきてたびけるが、今更草庵の記念となして、猶はた茄子夕顏に培ひて、その貧樂にあそぶなりけり。さて我山の東西は木曾伊吹をいたどきて、郡上川其間に橫ふ。ある日は晴好雨奇の吟に遊び、ある夜は輕風淡月の情を盡して、狐たぬきとも枕を竝べてむ、いはずや道を學ぶ人はまづ唯貧を學ぶべしと、世にまた貧を學ぶ人あらば、はやく我が會下に來りて手鍋の功を積むべし。日用を消さむに、經行靜坐もきらひなくば、薪を拾ひ水を汲めとなむ。貧讃いにしへより富めるものは世のわざも多しとやらむ、老夫こ〓の安櫻山に隱れて、食はず貧樂の諺に遊ぶに、地は本より山畑にして茄子に宜しく、夕顏に宜LO今は十とせも先ならむ、芭蕉の翁の美濃行脚に、見せばやな茄子をちぎる軒の畑、と招隱のこ〓ろを申遣したるに、その葉を笠に折らむ夕顏、とその文の惟然坊句集
名家俳句集椎葉文之事坊適〓おのれが庵に在て、紙なき時は自ら軒端なる椎の枝をりて、葉の次第に一二三のしるしをわかち、味噌ほしき、或は米ほしき、その餘のあらまし事葉每に書て、關里の社友へおくり、事足しぬとなむ。家にあれば笥に盛る飯を旅にしあれば椎の葉にもる、事かはれど用を爲すこと一つにして、その氣韻もつとも高Lo訪ふに、をりしも人つどひ、俳席を設けゐたりけり。あるじ進出でていふやう、いづこの人かはしらざりけれど俳諧好みけるとあれば、まづ此席へつらなれか+cしといふ。坊頓ににじりあがりて、はるか末座につらなり、たゞ默々として沈吟す。もとより孤獨〓貧の身なれば、衣服などとりつくろふべきやうなければ身すほらし、一座のものみな見あなどりて、指さし呼きあへり。さるほどに附くるほどの連句、いひ出すほどの發句、盡く引直しけれど、さもうれしげに一々おし戴きぬ。とかくするうち卷滿尾にいた坊名を僞り俳席に交る事西國に遊びける頃にやありけむ、たはむれにおのれが名を隱し、ある好人の家をれば人々立還りぬ。坊も歸らむとしければ、あるじ呼びとゞめて、一一夜とはならざれど、こよひ一夜は宿かさむなど、見下しがましくいひければ、坊大笑して、天を幕とし地を席とし、雲に風に身を易うするもの、何ぞ一夜のやどりに身を屈せむやとて、たゞはしりに走りゆきぬ。あるじも今更いさ〓か訝しき者とおもひいりぬ。明る日朝疾くきのふのあらまし且「粟の穗を見あげてこ〓ら鳴鶉」かかる句書て、加筆ねがはしとて、けふは惟然坊と文の奥に書きした〓めて遣りけり。あるじひらき見て、さてはきのふ來られしは聞及ぶかの惟然道人にてありしやと、開たる口をもふさがず、腋下に冷汗流し、恥ぢに恥入て返事さへ得せざりしとぞ。翁に隨從惟然行脚の事翁と共に旅寢したるに、木の引切りたる枕の頭いたくやありけむ、自らの帶を解て、これを卷て寢たれば、翁見て惟然は頭の奢に家を亡へりやと笑はれしとな90蕉像の事風羅念佛の事翁の亡骸いとねもごろに栗津義仲寺に惟然坊句集
名家俳句集葬りたてまつりて、幻住菴の椎の木を伐りて、初七日のうちに蕉像百體をみづから彫刻し、之を望めるものに與へぬ。又「まづたのむ椎の木もあり夏木立降るはあられか檜笠古池や〓〓蛙とびこむ水の音南無アミダ〓〓」か〓る唱歌九つを作りて風羅念佛となづけ、翁菩提の爲にとて古き瓢をうちならし、心の趣く所へはしりありく、そも風狂のはじめとぞ。翁亡きあと旅のものの具携行事かくて惟然坊翁遷化し給ひし難波花屋何がしが家に歸り、殘れる蓑笠をはじめ、旅硯、錢入、杖などひとつにとり集め、みづから背に負て播磨國姫路にゆきぬ。舊友のしひて求むるにまかせて、みな與へぬ。今增井山のふもと風羅堂の什物となりぬ。翁百年忌の頃笠あて稍ほつれければ、堂守こはよく翁の筆の蹟に似たりとて、ほどきて見るに翁の草稿なり。こまやかに切れたるを彼此とつぎあつめぬれば、芳野山こぞのしをりのみちかへてまだみぬかたの花をたづねむわが戀は汐干にみえぬ沖の石の人こそしらねかわくまもなし靑柳の泥にしだる〓汐干かなか〓る一紙にて、ことに筆のすさみいとうるはしく、めでたき一軸とはなりぬ。坊婚家一宿の事坊ある俳士のもとにやどる、其あるじ近き頃妻をむかへていまだ座敷のかざりををさめず、振袖の小袖あまた衣桁にかけならべ置きたり。朝とく家なる下女座敷へ行きて見るに、かの坊は疾く出行きたりと見えて、やり戶明放ちたるま〓にてあるに、衣桁にかけたる娘の小袖ひとつうせたり、さはこの坊のぬすみたるものにこそ、と走り入てあるじにかくと告ぐるに、あるじの曰、惟然坊なか〓〓盜などすべき小器の人に非ず、しかし洒落の道人なれば、朝の寒さを凌がむ爲に此小袖を着て徃くまじきものにもあらざれば、夜前のものがたりに、明日はそこそこの風士のかたへ行かむなどと聞えければ、先づかのかたへおとづれして見むと、やがて坊行くべき知るべのかたへ使もてたづねつかはしけるに、坊その家に在て答へけるは、その事なり、今朝とくたち出たるに、野風の身にしみて甚だ寒かりしゆゑに、たちかへりて衣桁に在りし小袖を一つとり、うへに覆ひ來れ惟然坊句集
名家俳句集り、もとより小袖なることは知りたれども、男女の服のわかちは覺えず、さだめてこれにてやあらむと、かの振袖したる伊達模樣の小袖を取出し、其使に返し侍りけるとぞ。坊布を得る事西國行脚の時ならむ、播州姫路の方に知る人ありて立寄り侍りける。もとより風狂者のならひ、裾を結び、肩をつなぎたる單物を身にまとへり。あるじ憐みて、布一匹とり出て與へけり。坊これを得て柱杖にかけていでて行き、旅店に到りていふやう、この布にて帷子一つ縫て給れ、殘りは内義にあたへむといひけるゆゑ、あるじ悅び、取急ぎ縫立て〓與へぬ。やがて古衣をぬぎ捨て新衣に着かへ出けるが、二町もゆきぬらむとおもふころ、立返りていふやう、何としても着なれたるものは心よきものなり、新しきものはどこやち着心あしければ、もとの古衣に着かへむために返りたりとて、やがてかの帷子をぬぎ、もとの垢つきたるものに着かへ、あとをも見ず出行きぬ。ここにおきてあるじも始めて道人なる事を感じ、このものがたりしてたふとみけるとぞ。俳諧の心を語る事姫路に寓居しておはせし頃、久しく俳諧の席へ出ず、うち籠りて居侍りけるを、或人いふやう、此程は何とて俳諧の交りしたまはざる、今宵は誰が亭にて俳諧あり、いざさせ給へかしとす〓めければ、坊うちわらひ、をかしき事をいふ人かな、我は俳諧師なり、さあれば日いでて起き、日入て休らふ、喫茶餐飯行住坐臥共に皆俳諧なり、それを外に俳諧せよとは何事ぞや、さやうのことは俳諧と常とかはりたる人にこそ勸むべき業なれといはれければ、其人且恥ぢ且歎じて還りけるとぞ。娘市上に父惟然坊に逢ふ事坊風狂しありくのちは娘のかたへ音信もせず。ある時名古屋の町にてゆきあひたり。娘は侍女下部など引連れてありしが、父を見つけて、いかに何處にかおはしましけむ、なつかしさよとて、人目もはぢず乞丐ともいふべき姿なる袖に取付きて歎きしかば、おのれもうちなみだぐみて、兩袖にたゞ何となく時雨かなと言捨て〓走り過ぎぬとなむ。娘父を慕ひ都に登る事井娘惟然坊句集
名家俳句集薙髮の事娘父に逢はまほしとおもふ心明くれ已まざりけるを、ある時父都に在りと聞て、いそぎ都に登り、書肆橘屋何がしの家は諸國の風客いりつどふ處なれば、此家にゆきて問はゞ、父の在家もしらるべければとて、ゆきてあるじに逢ひていふやう、みづからは惟然坊といふものの娘にて侍る、父風雲の身となりてより、たえて音信なかりしを、さいつ頃ある街にてふと行逢ひ侍りていとうれしく、近くよりて過ぎこし程の事いひ出でむとし侍りしほどに、かきけすごとく遁れ隱れて、影だに見えずなり侍りつれば、いはむかたなく打歎きつ〓日數過しつるほどに、此ごろ都におはする由風のたよりに承りて、取るものもとりあへず、はるばる登り侍りぬ。父の在家知り給はゞ逢はせ給へ、いかで〓〓と泣く〓〓言出づれば、うちうなづきて、げにことわりなりけり、さらば尋ね求めて逢はせ參らせむとて、彼方こなたかけあるきつ〓、からうじて坊がありか尋ねあたりて、かくてしか〓〓のよしかたりければ、坊とかうの返事なく、硯とり出て、墨すり流し、か〓る畫かきて、うへにほ句書ていふや真蹟縮圖惟然坊句集
名家俳句集う、あふべきよしなし、此一片の紙を與へて還したまひてよとて投出しつ〓、かくて其身は雪の越路の冬ごもりこそ好もしけれとて、うち立たむとしけるを、袖をひかへて引きとゞむれど、ふりはなちて草鞋さへはかずして、越路をさして走りゆきぬ。橘屋何がしほいなく思ひけれど、せむすべもなく、かのかいつけたるを持て歸り來て、ありしことのよしを語りければ、むすめはたゞふしにふして泣きけり。あるじも共に淚にかきくれけるを、や〓ありて娘頭を擡げていふやう、かくまで清き御こ〓ろを强ひて慕ひまゐらするは、わが心匠のつたなきなり、これぞ我身にとりてのうへ無きかたみなるとて懷に入れて、いとねもごろにあるじに暇乞して、父のふるさとこそ戀しけれとて、關の里にかへり、みづから髻をはらひ、幽閑なる山陰の竹林に草の菴をむすび、かの都よりもて歸りたるを一軸となして、明暮父に事ふる心にして、かの一軸をぞかしづきける。坊か〓るよし越路にて聞て、遽に馳せ歸りて、かく染衣の身となりぬれば、過ぎこし方の物語し、一碗の物をも分けつ〓食ひて、ともに侘住居せむと、心うちとけて多年の思一時にはらし、かくて辨慶庵といふ額を自ら書て懸けつ〓、此庵の名と調度七つをもて明暮しぬ。の辨用するゆゑとぞさるを一とせもた〓ざるうちに、又風雲の心おこりて、風羅念佛を歌ひ、浮れて走り出ぬ。かくて播磨國姫路の里は親しき友多ければ、尋行きてこ〓に足とゞめしを、日あらずして病して終に姫路にて身まかりぬとぞ。追加春南部に年を越してまづ米の多い處で花の春鶯のうす壁もる〓初音かな下萠もいまだ那須野の寒さ哉宵闇も朧に出たりいでて見よ飛て又みどりに入るや松むしりC.山中に入湯してこ〓もはや馴れて幾日の蚤虱惟然坊は枕のかたきを嫌はれしが、故郷へ歸るとて草庵を訪はれける、なほいま(一)松むしりは小島の惟然坊句集
名家俳句集だ遠き山村野亭の枕に如何なる木のふしをか侘びむと、木枕の垢や伊吹に殘る雪丈草かへしうぐひすに又來て寢ばや寢たい程行春や寢ざめきたなき宵の雲○ほとよぎす二つの橋の淀の景たゞ物はもてなすべき美惡を知らむにこそ、その愛する心のすがたも別る〓にあめれ、あるじ雪下風人は淵明が菊にならひ、宗祇の朝がほをもおもはる〓草々花の籬中ながら、とくに蘭にありもはら(1)ならむ。古人もあわたゞしからぬ匂の一間へだつるに、なほ〓〓なればことにとぞ、草中に入て其香をしらず、知らざるにより其談無味をしられつる、にほひなほうす〓〓としてうす〓〓しからぬも、又風雅の友にこそ。すんこりとなほなる蘭かことに月磯際の浪に啼きゐるいとゞ哉夜あらしに尻吹きおくれ峯の鹿○しぐれけり走り入りけり晴れにけり彥山の鼻はひこ〓〓小春かな長いぞや會根の松風寒いぞや丈草(一)誤脫あるにや、意通ぜず文山茶花や宿々にして杖の瘦しめなほす奥の草鞋や冬の月名とりとの二つ三つ四つ早梅花仙(一)花柚押ゆべし〓〓汝そよ、ある園に生し實の經山寺の會下となり、味噌にあらぬ華衣晩方の聲や碎くるみそさよいゆつたりと寢たる在所や冬の梅贈杜國笠の〓に柳縮ぬる旅出かな(ニ)古沓や老の旅出のひろひ物(三)○相國寺にて鶯に感ある竹のはやしかな(四、山頭月掛雲門餅屋後松煎超州茶佛法は障子のひき手峯の松(五)火打袋にうぐひすの聲これこれを以て俳諧の變化を知るべし○煙艸のまぬ傾城と菓子食はぬ俳諧師は少きものなりちり枝や鶯あさる聲のひま(一)一本「名のりその二つ三つ四つ早梅花」(二)此句一葉集に收めたれば芭蕉の句なるべ(三)これも「古沓や花の旅出の拾ひばき」して一葉集に收めたり(四)これも一葉集にあ(五)此歌も惟然の作にはあらざるべし惟然坊句集
名家俳句集再追加るに、明けて主に遣すべき料足もなければ、枕元の唐紙に名處とともに書捨て〓のがれ出侍る短夜や木賃もなさでこそばしり故郷の空を眺めやりてあれ夏の雲また雲のかさなれば辨慶庵盆の賀茶の下に眞菰はくべて裸粽越中に入るゆりいだす綠の波や朝の風かろ〓〓と荷を撫子の大井川春ふみわける雪が動けばはや若菜深更寢られぬぞ未だ寒さの梅の花深川庵思ふさま遊ぶに梅は散らば散れ磯際を山桃舟の日和かな夏奈良の萬僧供養に詣でて、片ほとりに一夜をあかしけ酒田夜泊出て見れば雲まで月のけはしさよ元祿八年の秋西海の羇旅思立ち月に吟じ雲に眠りて九月一日崎江十里に落付たる朝霧の海山うづむ家居かな七夕やまだ越後路の這入りぞめ行く雁の友の翼や魚の棚風に名のあるべきものよ粟の上粟の穗をこほしてこ〓ら鳴く鶉夕暮れて思ふま〓にも鳴く鶉'羽黑山に僧正行尊の名ありけるに里人に案内せられて秋初秋をもてなすものや燕の羽待宵や流浪の上の秋の雲またいつと寄占のはたや秋の風も〓島の浦は村上近き所にて有明の浦ときけば月に鳴くあれは千鳥か秋の風湯殿山にて日の匂ひいたゞく秋のさむさ哉松島や月あれ星も鳥も飛ぶ象潟にて名月や靑み過ぎたるうすみ色唯然坊句集
名家俳句集豆もはやこなすと見れば驚かれ芭蕉翁の伊賀へ越し給ふを洛外に送りてまづ入るや山家の秋を稻の花時を今渡るや鳥の羽黑山伊丹の鬼貫を尋ねし時秋晴れてあら鬼貫の夕やな奥の細道萩枯れて奥の細道どこへやら冬刈りよする蔦の枯·葉や雪の朝雪をまつ家なればこそ有りのま〓錢湯の朝かげ〓き師走かな春かけて旅の寓や年忘曙庵道人我關里に來給ひて、一日惟然坊が舊庵に遊び、道人坊が人となり、坊の唫詠をよく覺え、詳に語りてのたまふやう、惟然以前惟然なし、惟然以後惟然なし、前後その風調を似せさせず、誠に俳家に二なき風骨なりと歎美し給ふ。けふ庵につどへるものそれを喜び、それを慕ひて、とりあへず道人の筆勞をかりて此集なりぬ。秋香亭巴圭
涉所拾之句、欲上木以公ニ風騒之一人、而遊方之外者也。奇哉烏落人之爲人也、奇、不不自知其奇。ニ)テ于世。鳴〓可謂勤矣。其詳宜矣、世無中·大身江壑焉、知。其爲奇奇。。擧擧道士多年悲之、遂集其甞跋心花月焉。朱樹先生旣述之、小子又何贅。ニ八句々愈出愈奇。顧是古今文文化壬申花朝前一化名家俳句集九去壬申來歲春日發三月句三集河宍戶方鼎〓書
わが世尊に十大弟子とて、やごとなき羅漢達のおはしけるにも、智惠第一の何、神通第一の何とかやいうて、その一つ〓〓修し得たる德のおはしける、また孔子の十哲とて、かしこき人々のいますがりけるも、德行は誰、言語には誰と、己々が學び得し道のありけるとぞ。芭蕉翁の風雅の門人にも、其角は其句體花やかに、丈草は靜に、野坡は輕く、土芳はあだに、許去來の評ありし如く、己が好たる智惠第一の何、神通第一の何とかやいうて、かしこき人々のいますがりけるも、德行は誰、其角は其句體花やかに、德行は誰、芭蕉翁の風雅の門人にも、其角は其句體花やかに、六ははたらきあり、正秀は奇に、支考はほどけたりなど、去來の評ありし如く、己が好たる句體の一すぢによりて、かた糸のかた〓〓に習ひ得たるなるべし。これみな蕉翁一人の〓より出て、かくその句體のかはりたる、これや世尊の十大弟子、孔子の十哲のたぐひなるべし。されば其門人多かる中にも、關東に其角嵐雪といひ、關西に去來丈草とて難兄難弟の上足なれども、其角嵐雪は風雅を弘むるを業とし、もはら名利の境に遊べばまたその流れを汲む輩も多くて、其角に五元集、嵐雪に立峰集といへる家の集ありて世につたふ。さるを去來丈草風雅の名利を深く厭ひて、たゞ拈華微笑のこ〓ろをよく傳丈草は靜に、去來の評ありし如く、支考はほどけたりなど、これみな蕉翁一人の〓より出て、れども、も多くて、其角に五元集、は蕉翁の直指の旨をあやまらず、去來發句集
名家俳句集수1.一紙の傳書をも著さず、一人の門人をもとめざれば、ましてその發句を書集むべき人もなし。この寥々たるこそ蕉翁の風雅の骨髓たるべけれ。予としごろ此二人の風雅をしたひて、嵯峨野の春の花に遊びては、梢にちかき嵐山と吟じて、落柿舍にむかしをかたり、粟津の浦の秋の月にうかれては、秋の廻るや原の菴と詠て、岡の堂のすたれたるをなげく。かしこにすみ、爰に思ひ出て、書きあつめたる發句を久しく衣囊の底にかくし置きしを、このごろ嵯峨の重厚粟津の魯江の二法師、寫さむことをあながちに乞ひもとめぬるに見せしむ。かならずや窓の外へ出して、いたづらに古人の心に背く事勿れ。か明和八年卯の春二月東山岡崎の里五升菴にて蝶夢記去來姓は向井、名は平次郎、號義焉と、肥前長崎の人なり。彼地の聖堂祭酒の氏族にして、世世儒を業とす。博く書をよみ、天文曆學をきはめ、詩歌を翫ぶ、また沈勇にして猛猪を刺す。都にありて何がしの殿下に仕へ奉る。宦袴の暇には芭蕉翁に隨ひて、誹諧の風雅を學ぶ。鴨川の東聖護院村に住めり、また嵯峨の小倉山の麓に別莊をいとなみて行通ふ。ある秋のころ庭に柿の落ちしを見てその居を落柿舍と名づく、菊亭内府公よりその三字を賜ふ。寶永元年の秋九月十日歿す、墓は東山眞如堂にあり。今の落柿舍は明和のころ重厚再興して今存せり。去來發句集
去來發句集嵯峨にてある曙に春や祝ふ丹波の鹿も歸るとて鶯のなくや餌ひろふ片手にもうぐひすの音づよになりぬ二三日鶯や內のもなけば野から來る黃鳥のなく〓〓そこに樂寢かなうぐひすの朝日まつ音や谷の底鶯や雀よけ行く枝うつり黃鸝のまだ啼くまいか今朝の雪(三)風押が春の景色見むと舟に乘て出けるにうぐひすか人の眞似るか梅ケ崎痩せはてて香にさく梅のおもひ哉春元日や家に讓りの太刀帶かむ元日や土つかうたる顏もせずC褻形では逢はじいうても花の春(三)商人の空音ゆたかや伊勢の春蓬萊にかけて飾るや老の袖萬歲や左右にひらいて松の陰月雪のためにもしたし門の松獨寢もよき宿とらむ初子の日若菜つみ敷物やらうさん俵(一)五子稿に「元日は」(二)褻形は「けなり」と讀むべし、常著の(三)五子稿には冬の部取代の
名家俳句集上薦の山莊にまし〓〓けるに候し侍りて梅が香や山路分入る犬のまね3高潮や海より暮れて梅の花五六本よりてしだる〓柳かな應々で人をすかせる柳かな靑柳のた〓いて遊ぶ板戶かな姑の氣に入る人は柳かなたのしさよ闇のあげくの朧月鉢た〓き來ぬ夜となれば朧なり洛よりの文の返しに(三)朧月一足づつにわかれかな弟魯町故郷へ歸りけるに手をはなつ中に落ちけり朧月呼出しに來てはうかすや猫の戀うき友にかまれて猫の空ながめ竹原や二疋あれこむ猫のこひいくすべり骨折る岸の蛙かな田の畔や虹を背負てなく蛙一畔はしばし啼きやむ蛙かな(三)瀧壺もひしげと雉子のほろ〓かな雞のをかしかるらむきじの雛歸るとてあつまる雁よ海のはた(四,)遊ぶとも行くとも知らぬ燕かな山雀の高音になるも別かな振舞や下座に直る去年の雛(一)五子稿に入る」とあり「山路獵(二)五子稿につも」とあり「一足づ(三)五子稿に「一畔はしらし」とあるは非也(四)五子稿に「雁や」と上り帆の淡路はなれぬ潮干哉うごくとも見えで畑打つ男かな陽炎や足もとにつく戾り駕神鳴や一むら雨のさえかへり(1)春風に吹出されけり水の胡蘆呂丸追悼踏みきやす雪も名殘や野邊の供丈草を哭す凡十年の笑は三年の恨に化しその恨は百年の悲を生ず惜みても猶名殘をしく此一句を手向て來しかた行くすゑを語り侍るのみなき名きく春や三とせの生別花を待つ日數によごす衣かな西行の詞をかりて賴政の詠(三)を難ず疎きも人は折にこそよれ使は來たり馬に鞍おけ供觸も折にこそよれ初ざくら花守や白き頭をつきあはせ知る人にあはじ〓〓と花見哉何事ぞ花見る人の長刀(三)咲く花にうき世の人や神ぜせりよし野山また散る方に花めぐり小袖ほす尼なつかしや窓の花昨日はあの山こえつ花ざかり(一)五子稿に「一むら空」とあり(二)西行「とめこかし梅盛りなる我宿を疎きも人は折にこそよれ」賴政「花咲かば告げよといひし山里の使は來り馬に鞍おけ」「一むら(三)五子稿に初五花を見に」去來發句集
名家俳句集花見にもた〓せぬ里の犬の聲湖上の花花に今眼入けり志賀の浦立枯の殘り多さよ花の中(一)田上の尼へ·花見にまねかれて海を見る目つきも出す花の雲山深く分入りて木の空の天狗も今は花の友南都の般若寺にて散りこもる花や般若の紙の間散錢も用意顏なり森の花花雪とちらすや錢の間の山朝ざくら芳野深しやタ櫻一むしろ散るや日うらの赤椿手一ぱいゆすのかるたや躑躅山閑居山藤のもとのゆがみを机かな藪の根やあけてゆり出す茶摘うた百姓も麥にとりつく茶つみ歌翁の身まかり給ひし明る年の春義仲寺へ詣て石塔もはや苔つくや春の雨三月と文に書くのも名殘かな參宮の折奉納の心を神風の彌生はふかし門の竹(一)五子稿にさや」とあり「殘り多熊野にあたしかといふ所あり初音をき〓てこちの身もあたしかに聞郭公伊勢にて卯の花も海のかざりや朝熊山うの花の絕間た〓かむ闇の門巡禮のころ卯の花に笈摺寒し初瀨山光りあふ二つの山の茂りかな色々の作となりけり麥のあとつかみあふ子供のたけや麥畑朝々の葉のはたらきやかきつばた舟乘の一濱留主ぞけしの花夏(一)五子稿に「雲雀の」郭公なくや雲雀と十文字(一)うかれ出て山がへするか子規兄弟が顏見合すやほと〓ぎす心なき代官殿や時鳥吉野にて逢れう物かほと〓ぎす横雲の間や山出しの郭公ほと〓ぎすきのふ一聲けふ三聲(二)うぐひすもや〓受太刀や時鳥明暮の空啼きひらけほと〓ぎす西山へまかるとて新足に聞くや內野の子規(二)五子稿に聲「今朝三去來發句集
名家俳句集熊野路にしる人もちぬ桐の花元祿七年久しく絕えたりける祭の行はれけるを拜して醉顏に葵こぼる〓匂ひかな竹の子や畠隣に惡太郞武士の子の生長をいはうて笋の時よりしるし弓の竹CI湖の水まさりけり五月雨たま〓〓に三日月拜む五月かな(三)大和紀伊の境はてなし坂にて往來の順禮をとどめて奉加す〓めければ料足つ〓みたる紙のはしに書付けよるつゞくりもはてなし坂や五月雨(三)雲とりの峠にて五月雨に沈むや紀伊の八莊司曲水子にいざなはれて勢田の螢見にまかりけるにタベの程流れにつゞきて下りぬと語れば猶舟をさし下してほたる火や黑津の梢兒が島妹千子身まかりけるに手の上に悲しく消ゆる螢かな水札なくや懸波したる岩の上鷄もはら〓〓時か水鷄なく(四)石垢になほ喰入るや淵の鮎(一)犬註解に「弓になる笋は別の育ちかな」とあり、此句の初案な(二)蓼太、「五月雨や或夜ひそかに松の月」(三)五子稿に「つ〓くりと」(四)五子稿に「はらはら啼か「つ〓く「はらは見物の火にはぐれたる步行鵜哉旅寢して香わろき草の蚊遣哉木津へまかりて山里の蚊は晝中に喰ひけり其角の母の悼に蚊遣にはなさで香たく悔みかな靑柴を蚊帳にも釣るや八瀨大原谷汲寺にて順禮もしまふや襟に鮮の飯すゞしさや浮洲の上のざこくらべ立ちありく人にまぎれて涼かな涼しさよ夕立ながら入日影町筋は祭に似たり夕すゞみ更る夜を隣にならふ納涼哉猫の子の巾着なぶるすゞみ哉紀伊の藤代を通りける頃此所に三郞重家の末今にありと聞及びぬれば尋入り侍りしに門築地押廻し飼たる馬みがき立たる矢の根立てかざりていみじき武士なりまた庭にいにしへの弓掛松とて古木今もあり藤代やこひしき門に立すゞみ洛東眞如堂にて善光寺開帳の時去來發句集
名家俳句集(一)空也上人「念佛は野にも目にも申しおけ犬も鼠もくはぬものなりすゞしくも野山にみつる念佛かな(こ)夕すゞみ疝氣起して歸りけりじだらくに寢れば涼しき夕かな蕣の二葉にうくる暑さかな(1)石も木も眼に光るあつさかな美濃の國熊坂が人見の松にてわるあつく吹くや人見の松の風住みかへよ人見の松の蟬の聲同じ國にて夏かけて眞桑も見えぬ暑哉(三)葉がくれをこけ出て瓜の暑かな暮まつや藪のひかへの雲の嶺夕暮や兀げならびたる雲の峯伏見の舟中より都の方をながめて夕立の雲もか〓らず留主の空六玉川の記あり六玉川高野の外は〓水かや鎧着て疲れためさむ土用干水無月の竹の子うれし竹生島從兄弟の筑紫より上けるにむかし思へ一つ畑のふり茄子夕顏や名を落したる花の形洒堂が難波に居を移せし時門賣も聲自由なり夏ざかな(二)五子稿に「うへる」とあるは非也(三)五子稿に「美濃かけて眞桑も見えず」うちつけに星まつ顏や浦の宿魯町が許にて山本や烏入り來る星むかへ魂棚の奥なつかしや親の顏妻におくれたる人の許にて寢道具のかた〓〓やうき魂まつり年經て長崎に歸りけるに見し人も孫子となりて墓まゐり(一)踊子よ翌は畑の草ぬかむ朝顏や夜は葎の博奕宿秋の日のかりそめながら亂れけり初露や猪の臥す芝の起上り(三)露落ちて尻こそばゆき木蔭哉秋蠅ならぶはや初秋の日數かなうちた〓く駒のかしらや天の河酒盛となくて酒のむ星むかへ筑前の黑崎にて明日は此邊りのた〓ども沖に出て雨乞の踊し侍るといふを聞て七夕をよけてやた〓が舟踊た〓とは此邊にて漁父の妻娘の事也けふは七月七日の事にぞ侍りける黑崎砂明亭にて(一)五子稿に中七「今は孫子や」(二)五子稿に初五朝露や」去來發句集
名家俳句集悼風國朝夕にかたらふものを袖の露嵐蘭追悼千貫の劍うめけり苔の露遊女常盤身まかりけるをいたみて相知れる人に申侍る露けぶり此世の外の身受かな芭蕉翁の奥の細道を拜してその書寫の奥に書付けけるぬれつ千つ旅やつもりて袖の露稻妻のかきまぜて行く闇夜かな長崎丸山にていなづまやどの傾城とかり枕都にも住み交りけりすまひとり淺茅生やまくり手下す蟲の聲早稻ほすや人見えそむる山の足田上にて山家にて魚喰ふ上に早稻のめしこけざまにほうと抱付く西瓜かな尻撫でて馬飛ばするな花す〓きひみといふ山にて卯七に別る〓とて君が手もまじるなるべし花す〓き岩端や爰にもひとり月の客盲より啞のかはゆき月見かな名月や椽とりまはす黍のから名月や海もおもはず山も見ず月見せむ伏見の城の捨郭名月やむかひの柿屋照さる〓乘りながら馬草はませて月見哉黑い身に照りこむ旅の月見かな誰々も東向くらむ月のくれ猪の寢にゆく方や明の月嵯峨に小屋作りて折ふしに休息仕いなれば月のこよひ我里人の藁うたむ世波にたゞよひて日ぐれの頃岡崎より京に歸るとて鴨川や月見の客に行きあたり長崎素行亭浦人を寢せて海みる月夜かな長崎より田上に旅寢うつしける時名月やたがみにせまる旅ごころ(二)園木の宿にて小姫のまたらぶしうたふを聞て月かげに裾を染めたよ浦の秋中秋の望猶子を送葬してか〓る夜の月も見にけり野邊送り長崎諏訪の社にて前書ありたふとさを京で語るも諏訪の月十六夜やたしかに暮る〓空の色(一)田上に誰身をかけ去來發句集
名家俳句集駒牽の木曾や出づらむ三日の月海山を覺えて後の月見かな(1)宰府奉納幾秋の白毛も神の光かな一戶や衣もやぶる〓駒むかへ乘掛の眠をさますきぬた哉娘より嫁より弱き砧かな秋風やしら木の弓に弦はらむ秋風に耳の垢とれわたし守吉備津宮奉納秋風や鬼とりひしぐ吉備の山臥所かや小萩にもる〓鹿の角小男鹿や岩に踏ばる雲のすき啼く鹿を椎の木の間に見付けけり(ニ)夜嵐や空に吹きとる鹿のこゑおく山や五聲つゞく鹿の聲伊都岐島にてみつ潮の岩ほに立つや鹿の聲浦陰や通しも交るわたり鳥(三)朝あらし天窓の上を渡り鳥長月の末筑紫より上りける道安藝の廣島を通りけるに人々とらへけれども故郷に心急ぎせられて逃れいづる曉一夜の宿に書き止め侍るけふ翌と成ていそがし渡り鳥(一)五子稿に前書牡年亭にて」とあり(二)五子稿にり「見付た(三一「通し」は通事にて、譯司の意にや長崎に旅寢のころふるさとも今はかり寢や渡り鳥雁がねの竿になる時尙さびし(筑前の國にて福岡や千賀もあらはに雁すずき同黑崎にて氣遣うてわたる灘女や鱸つり先訪をあくの浦に訪ふ(三)八月や潮のさわぎを山かづら(三、田家鯛まつといふか案山子の腰刀有磯海集撰給ひける時入句ども書集め參せけるに添て鷲の巢や野分にふとる有磯海(十五)舩茸や人にとらる〓鼻の先老て神職かうむりたる人を賀して花も實も晩稻に多し神の秋難波津にて蘆の穂に箸うつかたや客の膳(+t)園女亭にて先師の事ども申出ける序に秋はまづ目にたつ菊の莟かな(人)菊咲て屋根のかざりや山畑筑前博多にて菊の香にもまれて寢ばや濱庇(一)五子稿にき「雁がね(二)五子稿に「先放」と(三)同中五「潮のさはぎの」(四)「聞まつ」は「聞くまい」の誤ならむ(五)五子稿に「鷲の子や(六)其角、「茸狩や鼻の先なる歌がるた」(七)五子稿に「客の杯」(八)芭蕉が園女亭の句、「白菊や目にたて〓見る塵もなし」に因む去來發句集
名家俳句集自題落柿舍柿ぬしや梢はちかき嵐山落柿舍感偶柿買や見ればぬいたる眞桑賣(一)芽立より二葉にしげる柿の實と丈草申されしもいつの頃にやありけむ彼落柿舍もうちこぼつよしやがて散る柿の紅葉も寢間の跡長崎にて支考に逢て京の事などたづねられて息災の數に問れむ嵯峨の柿木のもとに圓座とりまけ木練年周防にて德山の蕎麥白たへや綿もふく(一)唐人の枕とて故〓にて人のくれけるに囉へどもまづ此秋はかり枕鼠の說面扶持をへつるか栗の鼠ども讀甲陽軍鑑あら蕎麥の信濃の武士はまぶし哉長き夜も旅草臥に寢られけり聖護院にて樫の木の色もさめるや秋の空(三)うき人を又口說き見む秋のくれ(一)「ぬいたる」は人の目をぬき欺く意か(二)五子稿、「綿もふく蕎麥しらたへに德の山(三)五子稿「さむるや」翁の病み給ふを聞て伏見より夜舟さし下す舟に寢て荷物の間や冬籠翁の病中白粥のあまりす〓るや冬ごもり(四)看病も一人前の火燵かな(五)眞夜中や火燒際まで月の影翁の病中祈禱の句木がらしの空見直すや鶴の聲傷亡師終焉わすれ得ぬ空も十夜の泪かな丈草の許より芭蕉翁の七日七日とうつり行くあはれさ冬鳶の羽もかいつくろひぬ初しぐれかはらけの烏帽子の上や初時雨柳など天窓は寒き初しぐれ(1)いそがしや沖の時雨の眞帆片帆(三)時雨しぐれて明し辻行灯こがらしの地にも落さぬ時雨かな(三)毛としぐる〓や紅の小袖を吹きかへし雲よりも先にこぼる〓時雨かな山雀の里かせぎするしぐれかな塗物の上にちよほ〓〓時雨かな食時にさしあふ村の時雨かな(一)初五誤字まるか(二)五子稿に「辻灯籠」(三)五子稿に「臨川寺」と前書あり(四)五子稿初五の」とあり「病中(五)同書「一人前する」去來發句集
名家俳句集猶無名庵に偶居して心地さへすぐれずとて朝霜や茶湯の後の藥鍋といへるかへし朝霜や人參つんで墓まゐり翁三囘忌に義仲寺にて夢うつ〓三度は袖のしぐれかな行きか〓り客になりけり蛭子講木曾墳に參りて船馬にまた泣きよるや神無月松本にて初雪や四五里へだて〓比良の嶽應々といへどた〓くや雪の門せめよせて雪のつもるや小野の嶺雪の山かはつた脚もなかりけり九重に見なれぬ雪の厚さかなながめやる奧のとろくや比良の雪(一)旅人の外は通らず雪の朝繪の中に居て見る雪の山路かな(三)雪空や鬼も腕を出すべう悼浪花君その時や空に花ふる野邊の雪暖簾や雪吹きわたす旅籠町軍書を讀て雪降れば常盤御前のいとほしきひつかけて行くや雪吹の豐島御座松杉にすくひ上げたるみぞれ哉(一)「とろく」は道陸神の事なるべし(二)五子稿、「畫の中にゐるや山家の雪げしき老武者と指やさ〓れむ玉あられ訪僧丈草馬道や菴をはなれて霜のやね山畑や靑みのこして冬がまへ墨染に眉の毛長し冬ごもり卯七亭霜月や日まぜにしげく冬ごもり其角へかへし放すかと問はる〓家や冬籠賀礪波山撰集木がしや劍をふるふとなみ山追加靑柳や覆ひかさなる糸ざくら十五夜の月のひらきや前うしろ日和見る窓にはちかし月の暮牛賣て伯父と道きるしぐれ哉(一) (一)「道きる」は絕交を
名家俳句集附錄五子稿にありて去來發句集に洩れたるを拾うて附錄とす秋老樂の股たけあまる薄かな筑前のすまふ取にほうびとらすとて秋風や西へ名を得し金碇春正月を出して見せうか鏡餅夏冬長崎へ越す道にて世を海に長飛したる水雞かな膳所曲水樓にて螢火や吹きとばされて鳰のやみさみだれの尻をく〓るや稻光大井里冬枯の木の間覗かむ賣屋敷朝霜の花も奧あり茶の木原李下が妻身まかりしを悼みて寢られずやかたへ冷えゆく北おろし丈草庵を訪ふ寒き夜を思ひつくれば山の上有明にふりむきがたき寒さ哉箒こせまねても見せむ鉢叩其古き瓢簞見せよ鉢叩旅人の馳走に嬉し鉢た〓き榾の火に親子足さす侘寢哉廣澤にて池のつら雲の氷るやあたご山荒磯やはしり馴れたる友千鳥鴨啼くや弓矢をすて〓十餘年CI尾頭の心もとなき海鼠かな盜人におひともいはむ鰒の錢御神樂や火を焚く衞士にあやからむ老らくの口もと寒し御佛名草庵の一の寳や靑むしろ(三)神鳴もさわぐや年の市の音うす壁の一重は何かとしの宿くれて行く年の設けや伊勢熊野行く年に疊の跡や尻の形年の夜や人に手足の十ばかり年もはや牛の尾ほどの便かな(一)一本「十五年」とあ(二)誹諸品彙にご れは除風子の撰集を初ひ發句まゐらせんと思ふに靑むしろは今年の藁を持て織出したる物なりと人の申されければ必ず冬季なりと沙汰し侍りて」と詞書あり去來發句集
蕪村句集
洛夜半亭蕪村老人、年頃海に對し山に嘯き、花に眠り鳥に寢覺て、句を吐くこと十萬八千、その秀でたるものは、ひとの耳底にとゞまり、諸集にあらはる。惜むべし去年の冬衰病終に夜臺に枕して一字不說、高弟几董頓て金婆羅華をつたへて、門人のため一集を撰、書肆佳棠にちからをあはせて、ことし小祥忌辰の永慕とす。はた予と亡叟とまじはり久しきま〓に、遙予又わすれめや舊識五十餘年。年頃海に對し山に嘯き、ちからをあはせて、に武江に告げてそれが序を需む。遙雪中庵蓼太蕪三八九
名家俳句集うぐひすや賢過ぎたる軒の梅鶯の日枝をうしろに高音哉うぐひすや家内揃うて飯時分鶯や茨くどりて高う飛ぶうぐひすの啼くやちひさき口明て禁城春色曉蒼々靑柳や我大君の艸か木か(三)若草に根をわすれたる柳かな梅ちりてさびしくなりし柳哉捨てやらで柳さしけり雨のひま靑柳や芹生の里のせりの中出る杭をうたうとしたりや柳かな草菴蕪翁句集卷之上几董著春之部ほうらいの山まつりせむ老の春日の光今朝や鰯のかしらより三椀の雜煮かゆるや長者ぶり離落(一)鶯のあちこちとするや小家がち鶯の聲遠き日も暮れにけりうぐひすの麁相がましき初音哉鶯を雀かと見しそれも春畫讃(一)籬落の誤なるべし(三)の國なればいづくか鬼「草も木も我大君歌に據るのすみかなるべき」の蕪村句集
名家俳句集二もとの梅に遲速を愛す哉うめ折て皺手にかこつ薰かな白梅や墨芳しき鴻鸕館(一)しら梅や誰むかしより垣の外舞々の場まうけたり梅がもと出づべくとして出ずなりぬ梅の宿宿の梅折取るほどになりにけり摺子木で重箱を洗ふがごとくせよとは政の嚴刻なるをいましめ給ふ賢き御代の春にあうて隈々に殘る寒さやうめの花しら梅や北野の茶店にすまひ取うめ散るや螺鈿こほる〓卓の上梅咲て帶買ふ室の遊女かな源八をわたりて梅のあるじ哉(二)燈を置かで人あるさまや梅が宿あらむつかしの假名遣ひやな字義に害あらずんばアヽま〓よ梅咲きぬどれがむめやらうめぢややら(三一しら梅の枯木にもどる月夜哉小豆賣小家の梅のつぼみがち梅遠近南すべく北すべく早春なには女や京を寒がる御忌詣(一)鴻鸕館は昔の外賓經理事(二)源八は櫻宮に近き淀川の渡の名(三)本居宣長と上田秋成と假名づかひの論爭ありし頃の句ならむ御忌の鐘ひゞくや谷の氷までやぶ入の夢や小豆の煮るうち藪入やよそ目ながらの愛宕山やぶいりや守袋をわすれ草養父入や鐵漿もらひ來る傘の下やぶ入は中山寺の男かな人日七くさや袴の紐の片むすびこれきりに徑盡きたり芹の中古寺やほうろく捨るせりの中几董とわきのはまにあそびし時筋違にふとん敷たり宵の春肘白き僧のかりねや宵の春春の夜に尊き御所を守る身かな(1)春月や印金堂の木の間より春夜聞琴瀟湘の鴈のなみだやおぼろ月折釘に烏帽子かけたり春の宿公達に狐化けたり宵の春もろこしの詩客は千金の宵ををしみ我朝の歌人はむらさきの曙を賞す春の夜や宵あけぼのの其中に女倶して內裏拜まむおぼろ月藥盜む女やはあるおぼろ月(一)印金堂は山城葛野郡妙光寺の山上にあり蕪村句集
名家俳句集よき人を宿す小家や朧月さしぬきを足でぬぐ夜や朧月野望草霞み水に聲なき日ぐれ哉指南車を胡地に引去る霞哉高麗舟のよらで過ぎゆく霞かな橋なくて日暮れむとする春の水春水や四條五條の橋の下足よわのわたりて濁るはるの水春の水背戶に田作らむとぞ思ふ春の水にうた〓鵜繩の稽古哉蛇を追ふ鱒のおもひや春の水西の京にばけもの栖て久しくあれ果たる家ありけり今は其さたなくて春雨や人住みて煙壁を洩る物種の袋ぬらしつ春のあめ春雨や身にふる頭巾着たりけり春雨や小磯の小貝ぬる〓ほど瀧口に燈を呼ぶ聲や春の雨ぬなは生ふ池の水かさや春の雨夢中吟春雨やもの書かぬ身のあはれなる春雨や暮れなむとして今日もあり春雨やものがたりゆく蓑と傘柴清の沈みもやらで春の雨春雨やいざよふ月の海半はるさめや綱が袂に小でうちんある隱士のもとにて古庭に茶筌花さく椿かなあぢきなや椿落ちうづむにはたづみ玉人の座右にひらくつばき哉初午やその家〓〓の袖だたみはつうまや鳥羽四塚の鷄の聲初午や物種うりに日のあたる莟とはなれも知らずよ蕗のたうある人のもとにて命婦よりぼた餅たばす彼岸哉そこ〓〓に京見過しぬ田にし賣なつかしき津守の里や田螺あへ靜さに堪へて水澄む田螺かな鴈立て驚破田にしの戶を閉る鴈行て門田も遠くおもはる〓歸る鴈田ごとの月の曇る夜にきのふ去にけふいに鴈のなき夜哉郊外陽炎や名もしらぬ蟲の白き飛ぶかげろふや簣に土をめづる人芭蕉庵會畑うつやうごかぬ雲もなくなりぬはた打よこちの在所の鐘が鳴る畑打や木の間の寺の鐘供養蕪
名家俳句集小原にて春雨の中におほろの〓水哉(一)日くる〓に雉子うつ春の山邊かな柴苅に砦を出るや雉の聲龜山へ通ふ大工やきじの聲兀山や何にかくれて雉のこゑむくと起きて雉追ふ犬や寶寺(二)木瓜の陰に顏類ひ住むきゞす哉琴心挑美人(三)妹が垣根さみせん草の花咲きぬニ梅梅比比より劣る比丘尼寺紅梅の落花燃ゆらむ馬の糞垣越にものうちかたる接木哉裏門の寺に逢着す蓬かな(五畑うちや法三章の札のもと(大)きじ啼くや草の武藏の八平氏きじ鳴くや坂を下りの驛舍西山遲日山鳥の尾をふむ春の入日哉遲き日や雉子の下りゐる橋の上懷舊遲き日のつもりて遠きむかしかな春の海終日のたり〓〓哉畠うつや鳥さへ啼かぬ山かげに(+)耕や五石の粟のあるじ顏飛びかはすやたけ心や親雀(一)もぼるの〓水は大原の名所(二)寶寺は山城國山崎の寶積寺をいふ(三)司馬相如が文君を挑みし故事(四)徒然草「四部の弟子はよな比丘よりは比丘尼は劣り比丘尼より優婆塞は劣り優婆塞より優婆夷は劣れり」(五)戴叔倫「僧房逢著款冬花、出寺吟行日己斜、十二街中春雪遍、馬蹄今去入誰家」(六)漢の高祖咸陽に入り秦の苛政を改め法三章を定む(七)王荊公「一鳥不啼山更幽」大津繪に糞落しゆく燕かな大和路の宮も藁屋もつばめ哉つばくらや水田の風に吹れ顏燕啼て夜蛇をうつ小家哉無爲庵會曙のむらさきの幕や春の風野ばかまの法師が旅や春の風片町にさらさ染るや春の風のうれんに東風吹くいせの出店哉河内路や東風吹送る巫女が袖几董が蛙合催しけるに月に聞て蛙ながむる田面かな閣に坐して遠き蛙をきく夜哉苗代の色紙に遊ぶかはづかな日は日くれよ夜は夜明けよと啼く蛙連歌してもどる夜鳥羽の蛙哉獨鈷鎌首水かけ論のかはづかな(1)うつ〓なきつまみごころの胡蝶哉曉の雨やすぐろの薄はらよもすがら音なき雨や種俵古河の流を引きつ種おろししの〓めに小雨降出す燒野哉かく夜長帶刀はさうなき數寄もの也けり古曾部の入道はじめてのげざんに引出物見すべきとて錦の小袋をさ(一)顯昭は律僧にて獨鈷をもちて和歌を論辯し寂運は鎌首をもたげて之に應答せし事井蛙抄に見ゆ蕪村句集
名家俳句集がしもとめける風流などおもひ出でつ〓すゞろ春色にたへず侍れば山吹や井手を流る〓鉋屑(一)居りたる舟を上ればすみれ哉骨拾ふ人にしたしき菫かなわらび野やいざ物焚かむ枯つ〓じ野とともに燒る地藏のしきみ哉つ〓じ野やあらぬ所に麥畠つ〓じ咲て石移したる嬉しさよ近道へ出てうれし野の躑躅哉つ〓じ咲て片山里の飯白し岩に腰我賴光のつ〓じ哉上巳古雛やむかしの人の袖儿帳箱を出る顏わすれめや雛二對たらちねのつま〓ずありや雛の鼻出代や春さめ〓〓と古葛籠雛みせの灯を引くころや春の雨雛祭る都はづれや桃の月喰うて寢て牛にならばや桃の花商人を吼る犬ありも〓の花さくらより桃にしたしき小家哉家中衆にさむしろ振ふ桃の宿凧きのふの空のありどころやぶいりのまたいで過ぎぬ凧の糸(一)能因は井手の蛙の乾物を帶刀は長柄の橋の鉋屑を珍重して互に誇りし故事風入馬蹄輕木の下が蹄のかぜや散るさくら(一)手まくらの夢はかざしの櫻哉タ剛力は徒に見過ぎぬ山ざくら曉臺が伏水嵯峨に遊べるに伴ひて夜桃林を出てあかつき嵯峨の櫻人暮れむとす春を小鹽の山ざくら錢買て入るやよし野の山ざくら糸櫻讃き暮れて雨もる宿やいとざくら歌屑の松に吹れて山ざくらCIIまだきとも散りしとも見ゆれ山櫻嵯峨ひと日閑院樣のさくら哉みよし野のちか道寒し山櫻旅人の鼻まだ寒し初ざくら海手より日は照りつけて山ざくら吉野花に遠く櫻に近しよしの川花に暮れて我家遠き野道かな花ちるやおもたき笈のうしろより花の御能過ぎて夜を泣く浪花人鋼古久會のさしぬきふるふ落花哉高野を下る日かくれ住て花に眞田が謠かな玉川に高野の花や流れ去る(一)木の下は源賴政の子仲綱の愛馬(三)「冬の來て山もあらはに木の葉ぶり殘る松さへ峯にさびしき」を新古今の歌屑なりと(三)貫之の童名蕪村句集
名家俳句集なら道や當歸ばたけの花一木日暮る〓ほど嵐山を出る嵯峨へ歸る人はいづこの花に暮れし花の香や嵯峨のともし火消ゆる時雨日嵐山にあそぶ筏士の蓑やあらしの花衣傾城は後の世かけて花見かな花に舞はで歸るさにくし白拍子花に來て花にいねぶるいとま哉なには人の木屋町にやどりゐしを訪ひて花を踏みし草履も見えて朝寢哉居風呂に後夜きく花のもどりかな鶯のたま〓〓啼くや花の山ねぶたさの春は御室の花よりぞ一片花飛減却春(一)さくら狩美人の腹や減却す花の幕兼好を覗く女ありやごとなき御かたのかざりおろさせ給ひてか〓るさびしき地にすみ給ひけるにや小冠者出て花見る人を咎めけりにほひある衣も疊まず春の暮誰ためのひくき枕ぞ春のくれ閉帳の錦たれたり春のタ(三)うた〓寢のさむれば春の日くれたり(一)杜甫の詩句(二)一本「開帳」とあり(一)晋の阮咸性任達不拘酒を好み貧甚し、其叔父阮藉と道南に居り諸阮は道北に居る、北阮は富み南阮は貧し(二)此句主花鳥篇には金篁とあり春の夕たえなむとする香をつぐ花ちりて木の間の寺と成りにけり苗代や鞍馬の櫻ちりにけり甲斐がねに雲こそか〓れ梨の花7a梨の花月に書よむ女あり人なき日藤に培ふ法師かな山もとに米踏む音や藤のはなうつむけに春うちあけて藤の花春景菜の花や月は東に日は西になのはなや笋見ゆる小風呂敷菜の花や鯨もよらず海暮れぬ春夜廬會爐塞て南阮の風呂に入る身哉(1)爐ふさぎや床は維摩に掛替る暮春ゆく春や逡巡として遲ざくら(二)行春や選者をうらむ歌の主洗足の盥も漏りてゆく春やけふのみの春を歩いて仕舞ひけり召波の別業に遊びて行春や白き花見ゆ垣のひま春をしむ座主の聯句に召れけり行春やむらさきさむる筑波山また長うなる日に春の限りかなガ、ゆく春や橫河へのほるいもの神(三)いもの神は痘瘡の神蕪村句集
名家俳句集ある人に句を乞はれて返歌なき靑女房よくれの春春惜む宿やあふみの置火燵(1) (一)芭蕉「行春を近江の人と惜みける」ふみ添へておくりければ橘のかごとがましきあはせかな更衣いやしからざるはした錢鞘走る友切丸やほと〓ぎす(1)ほと〓ぎす平安城を筋違に子規柩をつかむ雲間より春過ぎてなつかぬ鳥や杜鵑ほと〓ぎす待つや都のそらだのめ大德寺にて時鳥繪になけ東四郞次郞(三)岩倉の狂女戀せよ子規(三)稻葉殿の御茶たぶ夜や時鳥四箱根山を越ゆる日みやこの夏之部絹着せぬ家中ゆ〓しき更衣辻駕によき人のせつころもがへ大兵の二十あまりや更衣ころもがへ印籠買ひに所化二人眺望更衣野路の人はつかに白したのもしき矢數のぬしの袷哉瘦臑の毛に微風あり更衣御手討の夫婦なりしを更衣しれるおうなのもとよりふるききぬのわたぬきたるに(一)友切丸は源家の寶(二)狩野元信の通稱四郞次郎を東が白むとい(三)岩倉に瀧ありて狂者を之にうたせたり(四)稻葉殿は淀の城主、「たぶ」は給ふの意村句集
名家俳句集友に申遣すわするなよほどは雲助ほと〓ぎす(二)歌なくてきぬ〓〓つらし時鳥草の雨祭の車過ぎてのち牡丹散てうちかさなりぬ二三片波翻舌本吐紅蓮閻王の口や牡丹を吐かむとす寂として客の絕間のほたん哉地車のとゞろとひゞく牡丹かな(三)ちりて後おもかげに立つぼたん哉牡丹切て氣のおとろひしタかな山蟻のあからさまなり白牡丹廣庭のほたんや天の一方に(三)柴庵の主人杜鵑布穀の二題を出していづれ一題に發句せよと有されば雲井に走て王侯に交らむよりは鶉衣被髪にして山中に名別をいとはむには狂居士の首にかけたか鞨鼓鳥〓古鳥寺見ゆ麥林寺とやいふ山人は人也かんこどりは鳥なりけり食次の底た〓く音やかんこ鳥足跡を字にもよまれず閑古鳥うへ見えぬ笠置の森やかんこどりむつかしき鳩の禮義やかんこどり(一五) (一)伊勢物語「忘るなよ程は雲ゐになりぬとも空ゆく月のめぐりあふまで」(一)地車はダンジリと讀むべきか(三)赤壁賦「望美人兮、天一方兮」(四)麥林舍乙由「閑古鳥われも淋しいか飛んでゆく」(五)鳩に三枝の禮ありといふ語に據る閑古鳥さくらの枝も踏で居るかんこどり可もなく不可もなくね哉探題實盛名のれ〓〓雨しのはらのほと〓ぎすCIかきつばたべたりと鳶のたれてける宵々の雨に音なし杜若雲裡房に橋立に別るみじか夜や六里の松に更けたらず鮎くれてよらで過行く夜半の門みじか夜や毛むしの上に露の玉短夜や同心衆の川手水(1)みじか夜や枕にちかき銀屏風短夜や蘆間流る〓蟹の泡みじか夜や二尺落ちゆく大井川探題老犬みじか夜を眠らでもるや翁丸(一)、短夜や浪うち際の捨篝みじか夜やいとま給はる白拍子みじか夜や小見世明けたる町はづれ東都の人を大津の驛に送る短夜や一つあまりて志賀の松みじか夜や伏見の戶ほそ淀の窓卯の花のこぼる〓蕗の廣葉哉來て見れば夕の櫻實となりぬ圓位上人の所願にもそむきたる身のいとかなしきさま(一)謠曲實盛「光盛こそ奇異の曲者と組で候へ、大將かと見れば續く勢もなし、又侍かと見れば錦の直垂を着たり、名のれ〓〓と責むれども終に名乘らず、聲は坂東聲にて候」(二)同心は今の警官の如き役(三)翁丸は枕草紙にある犬の名蕪村句集
名家俳句集也實ざくらや死のこりたる菴の主しの〓めや雲見えなくに蓼の雨砂川や或は蓼を流れ越す蓼の葉を此君と申せ雀鮓(〓)三井寺や日は午にせまる若楓あらたに居をトしたるに釣しのぶ幗にさはらぬ住居かな蚊屋を出て奈良を立ちゆく若葉哉窓の燈の梢にのほる若葉哉不二ひとつうづみ殘してわかばかな絕頂の城たのもしき若葉かな若葉して水白く麥黃みたり山に添うて小舟漕ぎゆく若葉哉蛇を截てわたる谷路の若葉哉(三)蚊屋の内にほたる放してアヽ樂や尼寺やよき〓たる〓宵月夜あら涼し裾吹く蚊屋も根なし草蚊屋を出て內に居ぬ身の夜は明けぬよすがら三本樹の水樓に宴して明けやすき夜を隱してや東山古井戶や蚊に飛ぶ魚の音くらしうは風に蚊の流れゆく野川哉蚊やりしてまゐらす僧の座右かな嵯峨にて(一)此君は竹の異名(二)史記劉季夜徑澤中、有大蛇當路、季拔劍斬之」三軒家大坂人のかやり哉蚊の聲す忍冬の花の散るたびに諸子比枝の僧房に會す余はいたつきのために此行にもれぬ蚊屋つりて翠微つくらむ家の内若竹や橋本の遊女ありやなし(一)笋の藪の案内やおとしざし若竹や夕日の嵯峨と成りにけり筍や甥の法師が寺とはむけしの花籬すべくもあらぬ哉垣越えて暮の避行くかやりかな嵯峨の雅因が閑を訪てうは風に音なき麥を枕もと長旅や駕なき村の麥ほこり病人の駕も過ぎけり麥の秋旅芝居穗麥がもとの鏡たて洛東のばせを菴にて目前のけしきを申出侍る蕎麥あしき京をかくして穗麥哉狐火やいづこ河内の麥畠大魯凡董などと布引瀧見にまかりてかへさ途中吟春や穗麥が中の水車丹波の加悅といふ所にて(三)夏河を越すうれしさよ手に草履(一)橋本は山城男山の西麓にあり春(二)加悅(カヤ)は丹後與謝郡にあり、丹波とせるは誤なり蕪村句集
名家俳句集なれ過ぎた鮮をあるじの遺恨哉鮮桶をこれへと樹下に床几哉鮮つけて誰待つとしもなき身哉鮒ずしや彥根が城に雲か〓る兎足三周の正當は文月中の四日なるを卯月のけふにしじめて追善いとなみけるに申遣す麥刈りぬ近道來ませ法の杖かりそめに早百合生けたり谷の房かの東皐にのぼれば花いばら故郷の路に似たる哉路たえて香にせまり咲くいばらかな愁ひつ〓岡にのほれば花いばら洛東芭蕉菴落成日耳目肺腸こ〓に玉卷く芭蕉庵(〓)靑梅に眉あつめたる美人哉靑梅を打てばかつ散る靑葉かなかはほりや向ひの女房こちを見る夕風や水靑鷺の脛をうつたちばなのかはたれ時や古館浪花の一本亭に訪れて粽解て蘆吹く風の音聞かむ夏山や通ひなれたる若狹人述懷椎の花人もすさめぬにほひ哉(一)司馬溫公獨樂園記「明月時至、〓風自來、行無所牽、止無所枕、耳目肺腸卷爲己有、踊々焉洋々焉」水深く利鎌鳴らす眞菰刈しの〓めや露の近江の麻畠採蓴を諷ふ彥根の信父哉藻の花や片われからの月もすむ路の邊の刈藻花さく宵の雨蟲のために害はれ落つ柿の花浪華の舊國あるじして諸國(一)の俳士を集めて圓山に會莚しける時うき草を吹きあつめてや花むしろさみだれのうつぼ柱や老が耳(三)湖へ富士をもどすやさつき雨さみだれや大河を前に家二軒さみだれや佛の花を捨てに出る小田原で合羽買たり皐月雨五月雨の大井越たるかしこさよさつき雨田每の闇となりにけり靑飯法師にはじめて逢ひけるに舊識のごとくかたり合て水桶にうなづきあふや瓜茄子いづこより礫うちけむ夏木立酒十駄ゆりもて行くや夏こだちおろし置く笈に地震る夏野哉(三)行き〓〓てこ〓に行きゆく夏野かなみちのくの吾友に草扉をた(一)舊國は大江丸(二)うつぼ柱は箱戶樋(三)文選古詩「行々重行々、與君生別離」蕪村句集
名家俳句集(一)〓少納言「よをこめて鳥の空音ははかるとも世に逢坂の關は許たかれて葉がくれの枕さがせよ瓜ばたけ離別れたる身を蹈込で田植哉鯰得て歸る田植の男かな狩衣の袖のうら這ふほたる哉一書生の閑窓に書す學問は尻からぬけるほたる哉で〓むしやその角文字のにじり書き蝸牛の住みはてし宿やうつせ貝こもり居て雨うたがふや蝸牛雪信が蠅うち拂ふ硯かな畫讃こと葉多く早瓜くる〓女かな關の戶に水鷄のそら音なかりけり(1)蝮の〓も合歡の葉陰哉蠅いとふ身を古〓に晝寢かな春泥舍會東寺山吹にて有りけるに誰住て檣流るよ鵜川哉しの〓めや鵜をのがれたる魚淺し老なりし鵜飼ことしは見えぬ哉殿原の名古屋顏なる鵜川かな鵜舟漕ぐ水窮まれば照射哉夏百日墨もゆがまぬこ〓ろかな日を以て數ふる筆の夏書哉(二)慶子病後不二の夢見けるに(二)「筆の壽は日を以て計へ墨の壽は年を以て計へ硯の壽は世を以て計ふ」の古語に依る申遣す降りかへて日枝を二十の化粧かな(一)馬南剃髪三本樹にて脫ぎかゆる梢もせみの小河哉石工の鑿冷したる〓水かな落合うて音なくなれる〓水哉丸山主水がちひさき龜を寫(三)したるに讃せよとのぞみければ仕官縣命の地に榮利をもとめむよりはしかじ尾を泥中に曳かむには錢龜や靑砥もしらぬ山〓水二人してむすべば濁る〓水哉我宿にいかに引くべき〓水哉草いきれ人死居ると札の立つ晝がほやこの道唐の三十里夕顏や黄に咲たるも有るべかり夕顏の花嚙む猫や餘所ごころ律院を覗きて飛石も三つ四つ蓮のうき葉哉蓮の香や水をはなる〓莖二寸吹殻の浮葉にけぶる蓮見哉白蓮を切らむとぞ思ふ僧のさま河骨の二もと咲くや雨の中座主のみこのあなかまとてやをらたち入り給ひけるい(一)伊勢物語「その山をこ〓にたとへば比叡の山を二十ばかり重ねあげたらん程して云々」(二)九山主水は應擧蕪村句集
名家俳句集とたふとくて羅に遮る蓮のにほひ哉夏日三句雨乞に曇る國司のなみだ哉負腹の守敏も降らす旱かなケ(二)大粒な雨は祈の奇特かな夜水とる里人の聲や夏の月堂守の小草ながめつ夏の月ぬけがけの淺瀨わたるや夏の月(三)河童の戀する宿や夏の月瓜小家の月にやおはす隱君子(三二)雷に小家は燒れて瓜の花あだ花は雨にうたれて瓜ばたけあるかたにて弓取の帶の細さよたかむしろ細脛に夕風さはる簞箱根にてあま酒の地獄もちかし箱根山御佛に晝供へけりひと夜酒愚痴無智のあま酒造る松が岡寓居半日の閑を榎やせみの聲大佛のあなた宮樣せみの聲四蟬鳴くや行者の過る午の刻蟬啼くや僧正坊のゆあみ時かけ香や何にとどまるせみ衣(一)守敏は空海と雨乞の祈禱を競爭して負けし人なり(一)河童はカハタラウと讀むべきか(三)漢書「邵平者故秦東陵侯也、秦破爲布衣、種瓜長安城東、瓜美、故世號東陵瓜」(四)宮樣は妙法院の宮をさすなるべしかけ香や啞の娘のひととなりかけ香やわすれ顏なる袖だたみ雁宕久しくおとづれせざりければ有りと見えて扇の裏繪おぼつかなとかくして笠になしつる扇哉繪團のそれも〓十郞にお夏かな手ずさびの團畫かむ草の汁渡し呼ぶ草のあなたの扇哉七日祇園會や眞葛原の風かをるぎをん會や僧の訪ひよる梶が許ニ加茂の西岸に榻を下して丈山の口が過ぎたり夕すゞみ(三)網打の見えずなり行く涼かなすゞしさや都を竪にながれ川葛圃が魂をまねく河床や蓮からまたぐ便にも川床に憎き法師の立居かな涼しさや鐘をはなる〓鐘の聲鴨河にあそぶ川狩や樓上の人の見しり顏雨後の月誰ぞや夜ぶりの脛白き:a月に對す君に唐網の水煙川狩や歸去來といふ聲すなり雙林寺獨吟千句(一)梶は寶永の頃祇園鳥居の南に茶店を出しし風流の女(二)「渡らじな」の歌を蕪村旬集
名家俳句集ゆふだちや筆もかわかず一千言白雨や門脇どのの人だまり(ヘ)夕だちや草葉をつかむむら雀施米水粉腹あしき僧こぼし行く施米哉水の粉のきのふに盡きぬ草の菴水の粉やあるじかしこき後家の君旅意廿日路の背中にたつや雲の峯揚州の津も見えそめて雲の峯雨と成る戀はしらじな雲の峰雲のみね四澤の水の涸れてより(三)飛蟻とぶや富士の裾野の小家より日歸りの兀山越るあつさ哉居りたる舟に寢てゐる暑かな探題寄扇武者暑き日の刀にかゆる扇かな宗鑑に葛水給ふ大臣かな葛を得て〓水に遠きうらみ哉端居して妻子を避くる暑かな花頂山に會して探題褒居士はかたい親父よ竹婦人(三)虫干や甥の僧訪ふ東大寺ところてん逆しまに銀河三千尺(四)宮島薰風やともし立てかねついつく島(一)平賴盛六波羅惣門の脇に住みしより門脇殿といはる(二)陶淵明「春水滿四澤、夏雲多奇峯」(三)褒居士は魔居士の誤なるべし(四)李白盧山詩「飛流直下三千尺、疑是銀河落九天」裸身に神うつりませ夏神樂つくばうた禰宜でことすむ御祓哉灸のない背中流すや夏はらへ出水の加茂に橋なし夏祓鴨河のほとりなる田中といへる里にてゆふがほに秋風そよぐみそぎ川蕪村句集上卷終蕪村句集
名家俳句集蕪翁句集卷之下七夕梶の葉を朗詠集のしをり哉戀さま〓〓願の糸も白きより(三)つと入や知る人に逢ふ拍子ぬけ(三)あぢきなや蚊屋の裙蹈む魂祭魂棚をほどけばもとの座敷かな十六日の夕加茂河のほとりにあそぶ大文字やあふみの空もたゞならね相阿彌の宵寢起すや大文字(四二接待にきせるわすれて西へ行く英一蝶が畫に讃望れて四五人に月落ちか〓るをどり哉几董著秋之部秋來ぬと合點させたる嚏かな(一)秋たつや何におどろく陰陽師貧乏に追ひつかれけりけさの秋秋立つや素湯香しき施藥院初秋や餘所の灯見ゆる宵のほど秋夜閑窓のもとに指を屈して世になき友を算ふとうろうを三たびか〓げぬ露ながら高燈籠滅なむとするあまた〓び(一)古今、敏行「秋來ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」(二)墨子練絲を見て悲む、その黃にすべく黑にすべきため也(三)七月十六日家々に祕藏する器財等を見るために突然他人の家に入るをつと入りといふ(四)相阿彌は義政の同朋にて銀閣寺の庭を作りし人蕪村句集
名家俳句集ひたと犬の啼く町越えて踊かな萍のさそひ合せてをどり哉かな河浦にていな妻や八丈かけてきくた摺いな妻の一網うつや伊勢のうみいなづまや堅田泊りの宵の空稻妻にこぼる〓音や竹の露春夜に句をとはれて日ごろ中よくて恥あるすまひ哉飛入の力者あやしき角力かな夕露や伏見の角力ちり〓〓に負けまじき角力を寢物がたり哉遊行柳のもとにて柳散〓水涸石處々小狐の何にむせけむ小萩はら薄見つ萩やなからむ此ほとり山は暮れて野は黃昏の薄哉女郞花そも莖ながら花ながら里人はさとも思はじをみなへし永西法師はさうなきすきものなりし世を去りてふたとせに成りければ秋ふたつうきをますほの薄哉茨老いす〓き瘦せ萩おぼつかな猪の露折りかけてをみなへし白萩を春わかちとるちぎり哉垣根潜る薄ひともと眞蘇枋なるきちかうも見ゆる花屋が持佛堂(二)澗水湛如藍(三)朝がほや一輪深き淵のいろ朝貌や手拭のはしの藍をかこつ夜の蘭香にかくれてや花白し蘭夕狐のくれし奇楠を性かむ辨慶讃花す〓きひと夜はなびけ武藏坊しら露やさつ男の胸毛ぬる〓ほどもの〓ふの露はらひ行く弱かな妙義山立去る事一里眉毛に秋の峰寒し白露や茨の刺にひとつづつ狩倉の露におもたきうつほ哉市人の物うちかたる露の中身にしむや橫川のきぬをすます時身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む朝露やまだ霜しらぬ髪の落つ葛の棚葉しげく軒端を覆ひければ晝さへいとくらきに葛の葉のうらみ顏なる細雨哉朝貌にうすきゆかりの木槿哉朝霧や村千軒の市の音朝霧や杭打つ音丁々たりもの焚て花火に遠きか〓り舟(一)「きちかう」は桔梗(二)碧巖集「山花開如錦潤水湛如藍」蕪村句集
名家俳句集花火せよ淀の御茶屋の夕月夜八朔や扨明日よりは二日月初汐に追れてのほる小魚哉となせの瀧水一筋月よりうつす桂河蟲賣のかごとがましき朝寢哉(1)むし啼くや河内通ひの小提灯みのむしや秋ひだるしと鳴くなめり蠧て下葉ゆかしきたばこ哉小百姓鶉を取る老となりにけり鬼灯や〓原の女が生寫し日は斜關屋の鎗にとんぼかな良夜とふかたもなくに訪來る人もなければなか〓〓にひとりあればぞ月を友名月にゑのころ捨る下部哉身の闇の頭巾も通る月見かな月天心貧しき町を通りけり(三)忠則古墳一樹の松に倚れり月今宵松にかへたるやどり哉(三)名月や雨を溜めたる池のうへ銘月やうさぎのわたる諏訪の海探題雨月旅人よ笠島かたれ雨の月月今宵あるじの翁舞ひ出でよ(五)仲丸の魂祭せむけふの月(一)源氏、幻「つれ〓〓をかごとがましき蟲のと我泣きくらす夏の日聲かな」(二)邵康節、〓夜吟「月到天心處、風來水上時」(三)忠度の「行きくれて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし」の歌によりていふ(四)僧自休「緣樹影沈魚上木、〓波月落兎奔(五)源氏、花宴「翁もほとほと舞ひいでぬべき心地なんし侍りし」語を借る名月や夜は人住まぬ峯の茶屋山の端や海を離る〓月も今庵の月主をとへば芋掘りにかつまたの池は闇也けふの月(一)鯉長が醉へるや鬼義として玉山のまさに崩れむとするがごとし其佛今なほ眼中に在て月見ればなみだに碎く千々の玉(三)花守は野守に劣るけふの月雨のいのりのむかしをおもひて名月や神泉苑の魚躍る探題雁字ン一行の雁や端山に月を印す紀の路にも下りず夜を行く雁ひとつ雨中の鹿といふ題を得て雨の鹿戀に朽ちぬは角ばかり鹿寒し角も身に添ふ枯木哉鹿啼ては〓その木末あれにけり菜畠の霜夜は早し鹿の聲三度啼て聞えずなりぬ鹿の聲殘照亭晩望鹿なから山影門に入日哉(三)ある山寺へ鹿聞きにまかりけるに茶を汲む沙彌の夜す(一)萬葉「かつまたの池はわれ知る運なししかいふ君の髯なきがごと(二)大江千里「月見れば千々に物こそ悲しけれ我身一つの秋にはあらねど」(三)百聯抄解「山影入門推不出、月光鋪地掃還生」蕪村句集
名家俳句集がらねぶらで有りければ晉子が狂句をおもひ出て鹿の聲小坊主に角なかりけり(三)折あしく門こそ叩け鹿の聲老懷去年より又さびしいぞ秋の暮父母のことのみおもふ秋のくれあちらむきに鴫も立たり秋の暮猿丸太夫讃我がてに我をまねくや秋の暮門を出れば我も行く人秋のくれ弓取に歌とはれけり秋の暮淋し身に杖わすれたり秋のくれ故人に別る木曾路行ていざ年よらむ秋ひとりかなしさや釣の糸吹くあきの風秋の風書むしばまず成りにけり金屏の羅は誰があきのかぜ秋風や干魚かけたる濱庇古人移竹をおもふ去來去り移竹移りぬいく秋ぞ順禮の目鼻書きゆくふくべ哉腹の中へ齒はぬけけらし種ふくべ四十にみたずして死むこそ(二)めやすけれあだ花にかよる恥なし種ふくべ(一)其角「菜の花の小坊主に角なかりけり」(二)「四十にみたず云云」は、徒然草にある兼好の語人の世に尻を居ゑたるふくべ哉我足にかうべぬかる〓案山子哉武者繪讃御所柿にたのまれ貌のかゞし哉姓名は何子か號は案山子哉三輪の田に頭巾着て居るかどしかな山陰や誰呼子鳥引板の音雲裡房つくしへ旅たつとて我に同行をす〓めけるにえゆかざりければ秋かぜの動かして行く案山子哉水落ちて細脛高きかゞし哉故郷や酒はあしくと蕎麥の花宮城野の萩更科の蕎麥にいづれ道のべや手よりこほれて蕎麥の花落つる日のくゞりて染る蕃麥の莖題白川黑谷の隣はしろし蕎麥のはな(一)なつかしきしをにがもとの野菊哉綿つみやたばこの花を見て休む三徑の十步に盡きて蓼の花(1)甲斐がねや穗蓼の上を鹽車沙魚釣の小舟漕ぐなる窓の前百日の鯉切盡きて鱸かな(三)釣上げし鱸の巨口玉や吐くひどり大原野のほとり吟行(一)雄長老「白川隣黑谷、紫野近丹波」(二)歸去來辭荒、松菊猶存」「三徑就(三)百日の鯉料理の事つれ〓〓草にあり蕪村句集
名家俳句集しけるに田疇荒蕪して千ぐさの下葉霜をしのぎつれなき秋の日影をたのみてはつかに花の咲出たるなどことにあはれ深し水かれ〓〓〓かあらぬか蕎麥か否か小鳥來る音うれしさよ板びさし此森もとかく過ぎけり鵙おとし山雀や榧の老木に寢にもどる竹溪法師丹後へ下るにたつ鴫に眠る鴫ありふた法師鴫立て秋天ひき〓ながめ哉わたり鳥こ〓をせにせむ寺林(二)わたり鳥雲の機手のにしき哉瀨田降て志賀の夕日や江鮭駒迎ことにゆ〓しや額白秋の暮辻の地藏に油さす秋の燈やゆかしき奈良の道具市追剝を弟子に剃りけり秋の旅秋雨や水底の草を蹈みわたる丸山氏が黑き犬を畫きたるに讃せよと望みければおのが身の闇より吼えて夜半の秋甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋(三)枕上秋の夜を守る刀かな身の秋や今宵をしのぶ翌もあり(一)西行「きかずともこ〓をせにせむ時鳥山田が原の松のむらだ(二)伊賀の甲賀の侍は忍術をよくせり我則あるじして會催しける(一)俵藤太秀〓が三上山の蜈蚣を射殺したる故事秋寒し藤太が鏑ひどく時(1)角文字のいざ月もよし牛祭うら枯やからきめ見つる漆の樹物書くに葉うらにめづる芭蕉哉斗文父の八十の賀をことぶくに申贈る稻かけて風もひかさじ老の松廣澤水かれて池のひづみや後の月山茶花の木の間見せけり後の月泊る氣でひとり來ませり十三夜十月の今宵はしぐれ後の月小路行けば近く聞ゆるきぬた哉うき人に手をうたれたる砧かな遠近をちこちと打つきぬた哉うき我に砧うて今は又止みね石を打つ狐守る夜のきぬた哉鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉門前の老婆子薪貪る野分哉麓なる我蕎麥存す野分哉市人のよべ問ひかはす野分かな客僧の二階下り來る野分哉三井の山上より三上山を望蕪村句集
名家俳句集十三夜の月を賞することは我日のもとの風流也けり唐人よ此花過ぎてのちの月3日でり年伏水の小菊もらひけり山家の菊見にまかりけるにあるじの翁紙硯をとうでてほ句もとめければきくの露受けて硯のいのち哉いでさらば投壺まゐらせむ菊の花(11)菊に古笠を覆ひたる畫に白菊や吳山の雪を笠の下〓三手燭して色失へる黃菊哉村百戶菊なき門も見えぬ哉あさましき桃の落葉よ菊畠菊作り汝は菊の奴かな高雄西行の夜具も出て有る紅葉哉ひつぢ田に紅葉ちりか〓る夕日かな谷水の盡きてこがる〓紅葉哉よらで過ぐる藤澤寺のもみぢ哉むら紅葉會津商人なつかしき須磨寺にて笛の音に波もより來る須磨の秋雨乞の小町が果やおとし水村々の寢ごころ更けぬ落し水毛見の衆の舟さし下せ最上川(五) (一)元稹「不是花中偏愛菊、此花開後更無花」(二)投壺は臺の上に壺をすゑそれに矢を投げ入る〓遊戲、蕪村時代に流行せり(三)「笠重吳山雪」の句を轉用せり(四)西行が高雄の文覺を尋ねし事井蛙抄にあ(五)毛見は稻の出來ばえを檢する役人新米の坂田は早し最上河落穗拾ひ日あたる方へあゆみ行く山家猿どのの夜寒訪ひゆく兎かな壁隣ものことつかす夜さむ哉缺け〓〓て月もなくなる夜寒哉起きて居てもう寢たといふ夜寒哉夜を寒み小冠者臥したり北枕長き夜や通夜の連歌のこぼれ月山鳥の枝蹈みかゆる夜長哉子鼠のち〓よと啼くや夜半の秋秋風や酒肆に詩うたふ漁者樵者秋はものの蓄麥の不作もなつかしき幻住菴に曉薹が旅寢せしを訪ひて丸盆の椎にむかしの音聞かむ椎拾ふ横河の兒のいとま哉探題餉にからき淚やたうがらし(1)俵して藏め蓄へぬ蕃椒折りくる〓心こほさじ梅もどき梅もどき折るや念珠をかけながらにしき木を立てぬ垣根や蕃椒稚子の寺なつかしむいてふ哉几董と鳴瀧に遊ぶ茸狩や頭を擧れば峯の月(一)伊勢物語の餉に淚をおとし〓事による蕪村句集
名家俳句集茯苓は伏しかくれ松露はあらはれぬうれしさの箕にあまりたるむかご哉(一)鬼貫や新酒の中の貧に處す栗そなふ惠心の作の彌陀佛にしき木は吹きたふされて鷄頭花ある方にてくれの秋有職の人は宿に在すいさ〓かなおひめ乞れぬ暮の秋(三)行秋やよき衣きたる掛り人跡かくす師の行方や暮の秋洛東ばせを庵にて冬ちかし時雨の雲もこ〓よりぞ(一)箕を身にかくCISIおひめ」は負債やがてはら〓〓と打ちちりたることにあはれふかし爐に燒てけぶりを握る紅葉哉初冬や日和になりし京はづれ居眠りて我にかくれむ冬ごもり冬ごもり壁をこ〓ろの山に倚る冬ごもり燈下に書すとか〓れたり勝手まで誰が妻子ぞ冬ごもり冬ごもり佛にうときこ〓ろ哉東山の麓に住どころトしたる一音法師に申遣す嵐雪とふとん引合ふ侘寢かな(三)いばりせし蒲團干したり須磨の里冬之部みのむしの得たりかしこし初時雨初しぐれ眉に烏帽子の雫哉楠の根を靜にぬらす時雨哉時雨る〓や蓑買ふ人のまことより(一)しぐる〓や鼠のわたる琴の上古傘の婆娑と月夜の時雨哉しぐる〓や我も古人の夜に似たる(三)夕時雨蟇ひそみ音に愁ふ哉人々高尾の山ぶみして一枝の丹楓を贈れり頃は神無月十日あまり老葉霜に堪へず(一)定家「いつはりのなき世なりけり神無月たが誠よりしぐれそめけん」(二)宗祇「世にふるは更に時雨のやどり哉」芭蕉「世にふるは更に宗祇のやどりかな」(三)嵐雪「ふとんきて寢たる姿や東山」蕪村句集
名家俳句集古〓にひと夜は更くる蒲團かなかしらへやかけむ裾へや古衾大兵のかり寢あはれむ蒲團哉虎の尾を蹈みつ〓裾にふとんかな(二)十夜あなたふと茶もだぶ/〓と十夜哉浪花遊行寺にてばせを忌をいとなみける二柳庵に蓑笠の衣鉢つたへて時雨哉夜興引や犬のとがむる塀の内枇杷の花鳥もすさめず日くれたり茶の花や白にも黄にもおぼつかな茶のはなや石をめぐりて路を取る咲くべくも思はであるを石蕗の花几董にいざなはれて岡崎なる下村氏の別業に遊びて口切や五山衆なんどほのめきて口切や小城下ながら只ならね爐びらきや雪中庵の霰酒狐火や髑體に雨のたまる夜に(二)一條もどり橋のもとに柳風呂といふ娼家ありある夜太祇とともに此樓にのぼりて羽織着て綱もきく夜や川ちどり風雲の夜すがら月の千鳥哉磯ちどり足をぬらして遊びけり(一)虎の尾云々は恐る恐るの意(二)古事談に「花山院頭痛をやませ給ひ雨氣の時殊に甚し阿倍晴明トして曰く、前生はやごとなき行者なりしが大峯の某宿にて入滅あり、その髑體嚴の間にあり候が、雨風には岩太りて今生かく痛ませ給ふといふ云々」是等より思ひつきしにや打ちよする浪や千鳥の橫ありき水鳥や百姓ながら弓矢取里過ぎて古江に鴛を見付けたり水鳥や舟に菜を洗ふ女あり加茂人の火を燧る音や小夜衞泰里が東武に歸るを送る嵯峨寒しいざ先づくだれ都鳥(I)早梅や御室の里の賣屋敷宗任に水仙見せよ神無月(三)うかぶ瀨に遊びてむかし栢(三)莚が此所にての發句を思ひ出て其風調に倣ふ小春風眞帆も七合五勺かな冬の梅きのふや散りぬ石の上千葉どのの假家引けたり枯尾花たんぽ〓のわすれ花あり路の霜老女の火をふき居る畫に小野の炭匂ふ火桶のあなめ哉(四)われぬべき年もありしを古火桶うづみ火や終には煮る鍋のもの炭うりに鏡見せたる女かな裾に置て心に遠き火桶かな炭團法師火桶の穴より窺ひけり讃州高松にしばらく旅やどりしけるにあるじ夫婦の隔なきこ〓ろざしのうれしさ(一)貞室、「いざ上れ嵯峨の鮎くひに都鳥」花を示して之は何ぞと(二)殿上人が宗任に梅問ひしに、「我國の梅の花とは見つれども大宮人はいかゞいふらん」と答へしといふ(三)うかぶ瀨は攝津の新〓水にありし酒樓(1四)「秋風の吹くにつけてもあなめ〓〓小野はじ芒生ひたり」に基く蕪村句集
名家俳句集にけふや其家を立出るとて巨燵出て早あしもとの野河哉腰ぬけの妻うつくしき巨燵かな沙彌律師ころり〓〓とふすま哉鋸の音貧しさよ夜半の冬飛驒山の質屋とざしぬ夜半の冬春夜樓會むさ〓びの小鳥はみ居る枯野哉大とこの糞ひりおはす枯野哉(一)水鳥や枯木の中に駕二挺子を捨つる藪さへなくて枯野哉(三)草枯れて狐の飛脚通りけり狐火の燃えつくばかり枯尾花息杖に石の火を見る枯野哉金福寺芭蕉翁墓我も死して碑に邊せむ枯尾花馬の尾にいばらのか〓る枯野哉蕭條として石に日の入る枯野かな大魯が病の復常をいのる痩脛や病より起つ鶴寒し待人の足音遠き落葉哉菊は黄に雨疎かに落葉かな古寺の藤あさましき落葉哉ス井タ往來待て吹田をわたる落葉哉(三)墮葉を拾ひて紙に換へたる(四)もろこしの貧しき人も腹中(一)「大とこ」は大德にて僧をいふ(二)諺「子をすつる藪はあれど身をすつる藪はなし」(三)吹田は攝津の地名(四)鄭度が柿葉に隷書を習ひ都隆が日に向ひて仰臥し腹中の書を曝すといひし故事の書には富めるなるべしさればやまとうたのしげきことのはのうち散りたるをかきあつめて捨てざるは我はいかいの道なるべしもしほ草柿のもとなる落葉さへ西吹けば東にたまる落葉かな鰒汁の宿あか〓〓と燈しけりふく汁の我活きて居る寢覺哉秋風の吳人は知らじふくと汁(一)音なせそ叩くは僧よ鰒じる河豚の面世上の人を白眼む哉顕うつて鰒になき世の友とはむ袴着て〓喰うて居る町人よ霍英は一向宗にて信ふかきをのこ也けり愛子を失ひて悲しびに堪へず朝暮佛につかうまつりて讀經おこたらざりければらふそくの淚氷るや夜の鶴大魯が兵庫の隱栖を几董とともに訪ひて人々と海邊を吟行しけるにわ七凩に鰓吹る〓や鉤の魚こがらしやひたとつまづく戾り馬こがらしや畠の小石目に見ゆる(一)晉の張翰は吳の人なり、秋風の起るを見て故〓の輩羹鱸膽今うまきさかり也とて、官を辭して歸郷せり蕪村句集
名家俳句集こがらしや何に世わたる家五軒凩やこの頃までは荻の風木枯や鐘に小石を吹きあてるこがらしや岩に裂け行く水の聲晋子三十三囘權益のみそみめぐりや寺の霜(一)麥蒔や百まで生きる顏ばかり初雪や消ればぞ又草の露初雪の底を叩けば竹の月題七步詩(三一)雪折や雪を湯に焚く釜の下雪の暮鴫はもどつて居るやうなうづみ火や我かくれ家も雪の中いざ雪見容す蓑と笠鍋さげて淀の小橋を雪の人雪白し加茂の氏人馬でうて雪折や吉野の夢のさめる時漁家寒し酒に頭の雪を燒く朝霜や室の揚屋の納豆汁入道のよ〓とまゐりぬ納豆汁朝霜や劒を握るつるべ繩宿かさぬ火影や雪の家つゞき几董と浪華より歸さ霜百里舟中に我月を領す故人曉臺余が寒爐を訪はずして歸〓す知是東山西野に(一)「みそみめぐり」原本「みそみくり」とあり(一)曹丕其弟曹植と中惡しく或時七歩の間に詩を作れ能はずんば汝を殺さんと、曹植乃ち「煮豆燃豆其、豆在釜中泣本是同根生、相煎何太急」と詠ぜり吟行して荏苒として晦朔の代謝をしらず歸期のせまりたるをいかんともせざるなるべし寒き梁の月の鼠かな陶弘景讃山中の相雪中のぼたん哉(三)町はづれいでや頭巾は小風呂敷引かうて耳をあはれむ頭巾哉みどり子の頭巾眉深きいとほしみめし粒で紙子の破れふたぎけり此冬や紙衣着ようと思ひけり老を山へ捨てし世もあるに紙子哉我頭巾うき世のさまに似ずもがなさ〓めごと頭巾にかづく羽織哉頭巾着て聲こもりくの初瀨法師題戀顏見せや夜着をはなる〓妹が許かほ見せや既にうき世の飯時分かの曉の霜に跡つけたる晋(三)子が信に背きて嵐雪が懶に倣ふ顏見世や蒲團をまくる東山新右衞門蛇足を誘ふ冬至かな(四)書記典主故園に遊ぶ冬至哉水仙や寒き都のこょかしこ(一)杜甫、夢李白「落月滿屋梁、猶疑見顔色」〓牙(二)陶弘景致仕して茅山に居る、梁の武帝の時大事あるごとに之に諮詢す、時人之を山中の宰相と稱す(三)其角「顏見せや瞬いさむ下邳の橋」(四)蜷川新右衞門は一休に參禪せし人、曾我蛇足は一休の畫の師蕪村句集
名家俳句集水仙や美人かうべをいたむらし水仙や鵙の草莖花咲きぬ冬されや小鳥のあさる韮畠霜あれて韮を刈取る翁かな葱買て枯木の中を歸りけりひともじの北へ枯臥す古葉哉易水にねぶか流る〓寒かな(一)皿を蹈む鼠の音のさむさ哉郊外靜なるかしの木原や冬の月冬こだち月に隣をわすれたりこの句は夢想に感ぜしなり同二句二村に質屋一軒冬こだちこの村の人は猿なり冬木立鴛に美を盡してや冬木立斧入れて香におどろくや冬こだち鳴らし來て我夜あはれめ鉢叩一瓢のいんで寢よやれ鉢た〓き木のはしの坊主のはしや鉢た〓き三ゆふがほのそれは髑髏か鉢敲花に表太雪に君あり鉢叩(三)西念はもう寢た里をはち敲御火焚といふ題にて御火焚や霜うつくしき京の町御火たきや犬もなか〓〓そゞろ貌(一)荊軻「風蕭々今易水寒、壯士一去兮不復(二)枕草紙「思はん子を法師になしたらんこそはいと心苦しけれ、さるはいと賴もしきわざを只木の端などのやうに思ひたらんこそいとほしけれ」(三)表太は表具屋太兵にて近世畸人傳に見ゆ衞といふ洒落なる奇人足袋はいて寢る夜ものうき夢見哉宿かせと刀投出す雪吹哉寺寒く檣はみこほす鼠かな杜父魚のえものすくなき翁哉貧居八詠愚に耐へよと窓を暗うす雪の竹かんこ鳥は賢にして賤し寒苦鳥我のみの柴折りくべる蕎麥湯哉紙ぶすま折目正しくあはれ也氷る燈の油うかゞふ鼠かな炭取のひさご火桶に並び居る我を厭ふ憐家寒夜に鍋を鳴らす·コノ齒豁に筆の氷を嚙む夜哉一しきり矢種の盡きるあられ哉玉霰漂母が鍋をみだれうつ(一)古池に草履沈みてみぞれ哉山水の減るほど減りて氷かな倣素堂(三)乾鮭や琴に斧うつひゞきありから鮭に腰する市の翁かなからざけや帶刀殿の臺所(三)詫禪師乾鮭に白頭の吟を彫る鐵骨といふは梅の枝を寫する畫法也寒梅や火の迸る鐵より寒梅を手折る響や老が肘(一)漂母は韓信の貧を憐みて食を與へし老婆(二)素堂が「浮葉卷葉此蓮風情過ぎたらむ」の運をレンとよませたるに倣ひ琴をキンとすと也(三)能因と風流を爭ひし帶刀をさす蕪村句集
名家俳句集感偶寒月や門なき寺の天高し寒月や鋸岩のあからさま寒月や枯木の中の竹三竿寒月や衆徒の群議の過ぎて後寒聲や古うた諷ふ誰が子ぞ細道になり行く聲や寒念佛極樂の近道いくつ寒念佛寒垢離や上の町まで來たりけり寒こりやいざまゐりそふ一手桶(3)几董判句合鯨賣市に刀を皷しけりしづ〓〓と五德居ゑけり藥喰藥喰隣の亭主箸持參くすり喰人に語るな鹿ケ谷妻や子の寢顏も見えつ藥喰客僧の狸寢入やくすり喰春泥舍に遊びて靈運もこよひはゆるせ年忘にしき木の立聞もなき雜魚寢哉おとろひや小枝も捨てぬ年木樵うぐひすの啼くや師走の羅生門御經に似てゆかしさよ古曆としひとつ積るや雪の小町寺(1).ゆく年の瀨田を廻るや金飛脚年守る夜老はたふとく見られたり(一)「まゐりそふ」は「參り候」なり(二)俗に小町の歌と稱「面影のかはらで年の積れかしたとひ命に限ありとも」に據る題沓石公へ五百目もどす年のくれ(1)年守るや乾鮭の太刀鱈の棒笠着てわらぢはきながら芭蕉去てその後いまだ年くれず(三) (一)張良が黃石公に片方の香を拾ひて返したるを、一貫目の半分五百目返したるに比す(二)芭蕉、「年くれぬ笠きてわらぢはきながら」蕪村句集下卷終蕪村句集
名家俳句集夜半翁常にいへらく、發句集はなくてもありなむかし、世に名だたる人の、其句集出て、日來の聲譽を減ずるもの多し、況や汎々の輩をやと。しかるに門派に一人の書肆ありて、あながちに句集を梓にちりばめむことをもとむ、翁もとよりゆるさず。翁滅後にいたりて、二三子が書きとめおけるをあつめて、是を前後の二編に撰分けて、小祥大祥二忌の追福のためとすと也、其志又淺からずといふべし。されば句集を世に弘うすることは、あなかしこ翁の本意にはあらず、全く是をもて此翁を議すべからずといふ事を田福しるす。天明四甲辰之冬十二月日二三京寺町通五條上ル町書肆汲古堂棠佳太祇句選
太祇句集序交は易からぬもの也、始は刎頸にして半に寇讎たるの類古より少からず。太祇はもと江戶の其ま〓に二十餘年の春を迎へ、秋風のたつごとさ本より山水の癖ありて、みちのくつくしの果までも杖を引き、弱かりはた其好めるや樂めるや尋常にかはりて行住座臥燕まいて誰某が會など云ふには、一の題に十餘章を竝太祇はもと江戶の產にて、中年都に上り住心やよかりけむ、秋風のたつごとさまで蓴鱸をも思はず、弱かりしより好める俳諧をもて生涯の樂とす。飮病床といへども、日課の句を怠らず。べ、三に五に及べるにも此規矩を違ふ事なく、にもつゞりて一句を五句にも七句にも造りなし、唯意をうるをもてせとす、又連ね句をなすにも、いつも沈吟すること他に倍せり。日課の句を怠らず。まいて誰某が會など云ふには、べ、もし趣を得れば上に置き下になし、あるは中唯意をうるをもてせとす、故に其篇什佳境あるは中唯意をうるをもてせとす、に入るもの許多なり。又連ね句をなすにも、いつも沈吟すること他に倍せり。惜哉去年の秋文月の半より半身痿ゆるのやまうを感こ〓をもて何れの卷にも造語連續の率易なるを見ず、じて、幾程なく葉月上の九日に折からの草の露と消失せぬ。平生友とせる人あまたなる中に、わきて嵯峨の宛在主人と予と三人雅莚を共にせし事亦復他に類ふべきにあらず。あるは雨し太祇選
名家俳句集めやかなる春の夕はた雪面白き冬の夜など、硯にむかひておのがじし得たると得ざるの自らなるをしらべ合、巨燵に倚居て櫓の上に杯をめぐらし、果てはなき跡の事まで語出て、吾儕かうやうに此道に執深うそめぬれば、誰にまれながらへ殘りたらむ者、志を一にして草稿を選出で世に殘さましかば、生に死に改めざるの交ならむかし。げにもさなりやなど、互に契り約せしことも亦幾度にか及びけむ。されば今雅因とともに遺草數十卷を閱して、その中より先づ初稿を編輯して世に廣うせむとす。事成るの日雅因亦來會して、一は此功を終るを喜び、一は多からざる心友の缺けぬるを嘆じけるに、予頭を掉てそれもさる事なれど、兄も我も元來二腰を橫たふ身ならねば、生前刎頸の交は思懸けず、されど風雅の可否を討論せしより外さらに市道の交をなさゞりしがうへ、契りし事のかうなむとみに成りぬるは、易からぬ交のよく終あん也と、祇もまた我等が相倍かざるの心を黃壤の下に眉を開かざらましや、遂に此語をもて序とす。明和九年壬辰夏五月洛嘯山書洛嘯山書太祇師年ごろいひ捨ておかれしほくの草稿なるものみな我に讓られ紙魚のために空しくせむこと本意なく、選を葎亭夜半亭の兩匠へ任せ、老師生涯のあらましまで序跋に述べ、一冊となして給は侍る、匠へ任せ、老師生涯のあらましまで序跋に述べ、一冊となして給はりぬ。さるを竹護叟の〓書を乞ひ、さくら木にゑるとて、今の不夜庵のあるじ師の俤をいたづらに書きうつし置かれし反古をあながちに所望して、こ〓に彫刻し侍りぬ。一冊となして給は今の不夜に所望して、呑獅太祇句選
名家俳句集朱雀〓巷歌酒常酣叟之雪月〓不夜幕〓山題五雲坊必化寫太祇會て小言すらく、靑丹よしなら漬といはむより奈良茶といはむこそ俳諧のさびしみなれ、焦遂が五斗はそちにさわがし、蕉翁の三斛こそ長く靜にして鐵杵を鍼に磨し、點滴の石を穿つをしへにも叶て、我業の卒る時もありなむ、かりにもおこたりすさむべからずとて、佛を拜むにもほ句し、神にぬかづくにも發句せり。されば祇が句集の艸稿をうちかさね見るにあなおびたゞし、人のイめる肩ばかりにくらべおほゆ。げにや伊勢の濱荻のおきふしにもふんでをはなたず、勃率として口よりいづるにまかせ書きおけるものにしあれど、難波のあしのいづれ刈りすつべきも見えねば、葎亭宛在の撰者も眼つかれ心まどひて、まめやかにえらび得べうもあらじかし。余二子にいふ、さははつべき期あらめや、大かたにこそあらまほしけれたゞ四時のはじめごとに出せる五六紙がほどをえらみ取て、初稿と題し木にきざみて世にひろうし、二稿三稿といへるものは年を經てもほい遂ぐべきわざなれと、す〓めければ、二子もうけひてかしこうこそ申しつれ、さらば其ことを世にことわり聞えよとあるにぞ、や
名家俳句集がてしりへにかいつく。明和壬辰九月蕪村書不夜菴太祇發句集初寅や慾面あかき山おろし春駒や男顏なるをうなの子春駒やよい子育てし小屋の者萬歲や舞ひをさめたるしたり顏萬歲やめしのふきたつ竈の前羽つくや用意をかしき立ちまはりはねつくや世ごころ知らぬ大またげ(三)北山やしさり〓〓て殘る雪家遠き大竹原やのごる雪梅いけて月とも侘びむともし影虛無僧のあやしく立てり塀の梅春もや〓遠目に白しうめの花な折りそと折てくれけり園の梅春目を明けて聞て居るなり四方の春鰒くひし我にもあらぬ雜煮哉元日の居ごころや世にふる疊元朝や鼠顏出すものの愛(一)年玉や利かぬ藥の醫三代とし玉や杓子數そふ草の庵げにも春寢過しぬれど初日影七草や餘所の聞えもあまり下手子を抱て御階を上る御修法哉(一)愛は間の假字か(二)世心は色氣
名家俳句集紅梅の散るやわらべの紙つゞみ誓願寺紅梅や大きな彌陀に光さす東風吹くと語りもぞ行く主と從者春風や薙刀もちの目八分糊おける絹に東風行く門邊哉投出すやおのれ引き得し胴ふぐり(3)情なう蛤乾く餘寒かな色々に谷のこたへる雪解かな里の子や髪に結ひなす春の草丸盆に八幡みやげの弓矢かな元船の水汲むうらや蕗の薹花活に二寸みじかしふきの薹朱を〓ぐや蓬萊の野老人間に落つこ〓ろゆく極彩色や涅槃像涅槃會に來てもめでたし嵯峨の釋迦引寄せて折る手をぬける柳かな靑柳に灸すゑてやる彼岸かな起き〓〓に蒟蒻もらふ彼岸哉川下に網うつ音やおぼろ月海の鳴る南やおぼろ朧月月更けておぼろの底の野風哉島原へ愛宕もどりやおほろ月欺いて行きぬけ寺やおぼろ月連翹や黃母衣の衆の屋敷町實のために枝たわめじな梨の花(一)胴ふぐりは寶引の繩につきたるしるしにて之を引きあてしを勝(一)「皮ひてし」は皮を水にひたすなり皮ひてし穢多が入江や蘆の角(1)江をわたる漁村の犬や蘆の角野を燒くや荒くれ武士の烟草の火畑うつやいづくはあれど京の土耕すやむかし右京の土の艶(三)山葵ありて俗ならしめず辛き物春雨のふるき淚や梓神子はるさめや芝居みる日も旅姿春雨や晝間經よむおもひもの德門より春雨の句聞ゆそれに對す春雨やうち身痒がるすまひ取聲眞似る小者をかしや猫の戀草をはむ胸安からじ猫の戀おもひ寢の耳に動くや猫の戀諫めつ〓繋ぎ居にけり猫の戀遲き日を膝へ待ちとる番所かな春の日や午時も門掃く人心扨永き日の行方や老の坂遲き日を見るや眼鏡をかけながら長閑さや早き月日を忘れたる矢橋乘る娵よむすめよ春の風春風にてらすや騎射の綾藺笠燕來てなき人とはむ此彼岸ゆた〓〓と畝へだて來る雉子かな雉子追うて呵られて出る畠哉(二)朱雀通以西を右京太祇句選
名家俳句集(一)桑子は蠶葉隱れの機嫌伺ふ桑子かな(I)髪結うて花には行かず蠶時花稀に老て木高きつ〓じかな蠶飼ふ女やふるき身だしなみ小一月つ〓じ賣り來る女かな御影供や人のとひよる守敏塚菜の花や吉野下り來る向ふ山猪垣に餘寒はげしや旅の空川の香のほのかに東風の渡りけり東風吹くや道行く人の面にも下萠や土の裂目の物の色やぶ入や琴かきならす親の前出代や朝飯すわる胸ふくれ親に逢ひに行く出代や老の坂出替の疊へおとすなみだかな春江花月夜花守のあづかり船や岸の月きさらぎの頃嵯峨の雅因がいとなめる家見にまかりけるに、そこらいまだ半なり、木の工どもきそひはげみぬる其かたはらに、むしろ設け酒うち呑居たるに句を乞はれて大工まづあそんで見せつ春日影又彌生二十日餘行きぬ、元の竹林にあらず、もとの水にあらず、をかしう造りなして宛在樓にありすみけりな椀洗ふ水もありす川中風めきて手痿ける春不自由なる手で作よ花のもとつきまとふ內義の沙汰や花ざかり극鞦韆や隣みこさぬ御身代ふらこ〓の會釋こぼる〓や高みより寒食に火くれぬ加茂を行くや我介子椎お七がやうになられけむうぐひすの聲せで來けり苔の上うぐひすや聟に來にける子の一間鶯や葉のうごく水の笹がくれ江戶へやる鶯なくや海の上鶯の目には籠なき高音かな人音にこけこむ龜や春の水行く舟に岸根をうつや春の水堀川や家の下ゆく春の水穗は枯れて接木の臺の芽だちけり接ぎわびぬ世になき一穗得てしより奉る花に手ならぬわらびかな紫の塵やつもりて問屋もの七十つみ草や背に負ふ子も手まさぐり摘草やよそにも見ゆる母娘來るとはや往來數ある燕かな太句選
名家俳句集あなかまと鳥の巢見せぬ庵主かな落ちて啼く子に聲かはす雀哉あながちに木ぶりは言はず桃の花大船の岩におそる〓霞かなふりむけば灯とほす關や夕霞つぎねふの山睦じきかすみかな田螺みえて風腥し水のうへ山獨活に木賃の飯のわすられぬ崖路行く寺の背や松の藤朝風呂はけふの櫻の機嫌かなした〓かな櫻かたげて夜道かな塵はみな櫻なりけり寺の暮咲出すといなや都はさくらかな京中のまだ見ぬ寺や遲櫻身をやつし御庭見る日や遲櫻あるじする乳母よ御針よ庭の花兒つれて花見にまかり帽子かなちる花の雪の草鞋や二王門齒をた〓く事三十六、我白樂天にならふ齒を鳴らし句成先立てり花の陰宋屋は杖引くことまめなる叟、みちのく西の海邊より、近所はさらなり花に涼みに我わたり灯籠の夜までもらさず、此春身まかりけるを(一)「つぎねふ」は山城の枕詞猶幻にある心地す死なれたを留守と思ふや花盛蛙居て啼くやうき藻の上と下出代や厩は馬にいとまごひ出代やきのふから言ふいとま乞養父入の顏けば〓〓し草の宿やぶ入の寢るやひとりの親の側商人や干鱈かさねるはたり〓〓長閑さに無沙汰の神社囘りけりからくりの首尾のわるさよ鳳巾落ちか〓る夕べの鐘やいかのぼり屋根低き聲の籠るや茶摘唄世を宇治の門にも寢るや茶摘共桃ありてます〓〓白し雛の顏花の色や頭の雪もたとへもの御僧のその手嗅ぎたや御身拭()百歳賀口馴れし百や孫子の手毬うた太宰府の神池に鳧雁群をなす飛梅にもどらぬ雁を拜みけり陽炎や景〓入れし洞の口墨染のうしろ姿や壬生念佛爐ふさぎや老の機嫌の俄事春の夜や女をおどす作りごと節になる古き訛や傀儡師(一)三月十九日京嵯峨〓涼寺の釋迦佛を開帳し寺僧白布を以て像を拭ふ式あり祇句選
名家俳句集山吹や葉に花に葉に花に葉に腹立て〓水呑む蜂や手水鉢人追うて蜂もどりけり花の上聲立て〓居代る蜂や花の蝶見初ると日々に蝶見る旅路かな苗代や日あらで又も通る路御供してあるかせ申す汐干哉女見る春も名殘やわたし守春ふかし伊勢を戾りし一在所夜步く春の餘波や芝居者行く春や旅へ出て居る友の數子子やてる日に乾く根なし水景〓は地主祭にも七兵衞(一)呑獅參宮を送る餘花もあらむ子に〓へゆく神路山西風の若葉をしをるしなへかなみじか夜や今朝關守のふくれ面ある人のもとにてめかしさよ夏書を忍ぶ後向靑梅のにほひ侘しくもなかりけり抽でてうめ勝ちけりな寺若衆靑梅や女のすなる飯の菜傘燒きし其日も來けり虎が雨さみだれの漏て出てゆく庵かな夏(一)芭蕉の「景〓も花見の座には七兵衞」句に基く物堅き老の化粧やころもがへいとほしい瘦子の裾や衣更綿脫ておます施主あり旅の宿かしこげに着て出て寒き袷哉行く女袷着なすや憎きまで能く答ふ若侍や靑すだれ盜まれし牡丹に逢へり明る年猫の妻かの生節を取畢んぬ夜渡る川のめあてや夏木立甘き香は何の花ぞも夏木立高麗人の旅の〓や夏木立
名家俳句集つれ〓〓に水風呂たくや五月雨歸り來る夫のむせぶ蚊遣かな蚊屋に居て戶をさす腰を譽めにけり事よせて〓へさし出す腕かな蚊屋くどる今更老が不調法やさしやな田を植るにも母の側早乙女や先へ下りたつ年の程蚊屋くゞる女は髪に罪深し蓴菜やしるよししける水所閨怨飛ぶ螢あれと言はむもひとりかな三布に寢て蚊屋越の蚊にくはれけむ御卽位きのふありて、けふは庭上の御規式の跡拜し奉るとて、みなつどひまうのぼるを聞て蚊屋釣て豐に安し住める民蚊屋つるや夜學を好む眞裸蚊のあるに胯るふりや稚がほ蚊遣火もみゆや戶ざさぬ門並び下手乘せて馬も遊ぶや藤の森妾が家は江の西にあり菰粽CI武士の子の眠さも堪る照射かな月かけて竹植ゑし日のはし居かなしらで猶餘所に聞きなす水雞かな妾人にくれし夜ほと〓ぎす(一)崔顎長干行「君家住何處、妾住在橫塘」の句調を取る追ひもどす坊主が手にも葵かな葵かけてもどるよそ目や駕の内碓の幕にかくる〓祭かな低く居て富貴をたもつ牡丹かなこ〓ろほど牡丹の撓む日數かな門へ來し花屋にみせる牡丹哉切る人やうけとる人や燕子花深山路を出拔けてあかし麥の秋麥秋や馬に出て行く馬鹿息子笋を堀部彌兵衞や年の功筍のすゑ筍や丈あまり白罌粟や片山里の濠の中牡丹一輪筒に傾く日數かな麥打に三女夫並ぶ榮えかなさつき咲く庭や岩根の黴ながら濡るともと幟立てけり朝のさまくらべ馬顏みえぬまで譽めにけりなぐさめて粽とくなり母の前物に飽くこ〓ろ恥し茄子汁列立て〓火影行く鵜や夜の水舟梁に細きぬれ身やあら鵜どもいで來る硯の蠅の一つかみ人く〓る繩もありけり瓜作り姫顏に生し立てけむ瓜ばたけ盜人に出合ふ狐や瓜ばたけ二階から物のいひたや鉾の兒太祇句選
名家俳句集あふぎける團を腕に敷寢かな書きすてし歌も腰折れ團かな風呂敷のつ〓むに餘る團かな蜩ごしに柄から參らすうちはかな扇とる手へもてなしの團哉貯ふともなくて數あるあふぎ哉雷止んで太平簫ひく涼かな蠅をうつ音も嚴しや關の人夜を寢ぬと見ゆる步みや蝸牛ありわびて這うて出でけむ蝸牛怠らぬ步みおそろしかたつぶり引入て夢見顏なりかたつぶり折あしと角をさめけむ蝸牛水の中へ錢遣りけらし心太もとの水にあらぬしかけや心太蚊屋釣てくる〓友あり草の庵偶成よしはら鳥のよしと思へばこれも鳴く音のあらぎやう〓〓し氣のゆるむあつさの顏や致仕の君世の外に身をゆるめゐる暑かなめでたきも女は髪のあつさ哉あつき日に水からくりの濁かな朝寢しておのれ悔しき暑哉病んで死ぬ人を感ずる暑かな色濃くも藍の干上るあつさかな釣瓶から水呑む人や道の端虫干や片山里の松魚節かこつことある人の許へ來し跡のつくが淺まし蝸牛草の戶の草に住む蚊もありと聞け水練の師は敷皮のすゞみかな空を見てすゞみとる夜や宿直の間前鬼にも呑ませて行くや香薷散川狩や夜目にもそれと長刀あしらひて卷葉そへけり瓶の蓮蓮の香や深くもこもる葉の茂り寄蓮戀蓮の香の深くつ〓みそ君が家百圃より東寺の蓮贈られてまづいけて返事書くなり蓮のもとたつ蟬の聲引放すはづみかな澤潟や花の數そふ魚の泡かたびらのそこら縮て晝寢かな晝顏や夜は水行く溝のへり夕顏やそこら暮る〓に白き花夕顏のまどひも知らぬ垣根かな白雨や膳最中の大書院白雨や戶さしにもどる草の庵ゆふだちや落馬もふせぐ旅の笠白雨やこと鎭めたる使者の馬橋落ちて人岸にあり夏の月太
名家俳句集琴泉と東寺へ蓮見にまかりて醉中の吟引寄せて蓮の露吸ふ汀かな城内に踏まぬ庭あり轡むし見かけゆく麓の宿や高灯籠夕立の晴れゆくかたや揚灯籠聲きけば古き男や音頭取彼後家のうしろに踊る狐かな末摘のあちらむいても踊かな蕃椒疊の上へはかりけりつる草や蔓の先なる秋の風瘦せたるを悲む蘭の荅みけりある方より蘭を贈らるよに名立つ事ありて蘭の香や君がとめ奇楠に若も又長月の末召波訪來りし時秋涼しさのめでたかりけり今朝の秋初秋や障子さす夜とさ〓ぬ夜と七夕や家中大かた妹と居す月入て闇にもなさず天の川家づとの京知り顏やすまひとり裸身に夜半の鐘や辻相撲勝迯の旅人あやしや辻角力(一)引組で猶分別やすまひとり山霧や宮を守護なす法螺の音さし鯖や袖とおほしき振合せ明放し寢た夜つもりぬ虫の聲(一)蕪村「飛入の力者怪しき角力哉」太
名家俳句集何もなし夫婦訪來し宿の秋行先に都の塔や秋のそら岩倉にて雨にあひ、金藏寺大德の情に一夜の舍り免され嬉しと這上りて笠ぬげば鹿の聞きたき夜とぞなる南谷上人の書の額あり、藥師の寶前に二種の草あり南無藥師藥の事もきく桔梗小倉山のふもとなる湧蓮子の庵を卯雲子と共に尋侍るにあらざりければ扉にかい留守の戶の外や露おく物ばかり此鱸口明せずと足んぬべし畠から西瓜くれたる庵かな遺言の酒そなへけり魂まつり懸乞の不機嫌みせそ魂祭おもへども一向宗や魂まつり(一)魂棚やほた餅さめる秋の風たま祭る料理帳あり筆の跡送り火や顏覗きあふ川むかひいなづまや舟幽靈の呼ばふ聲鬼灯や摑み出したる袖の土產乞ひければ刈てこしけり草の花二里といひ一里ともいふ花野哉(一)一向宗には魂祭を行はず鮹追へば蟹もはしるや芋畠饑ゑてだに痩せむとすらむ女郎花其葉さへ細きこ〓ろや女郞花雞頭やはかなき秋を天窓勝雞頭やすかと佛に奉る蜘のいに棒しばりなるとんぼ哉靜なる水や蜻蛉の尾に打つも荻原にすて〓ありけり風の神荻吹くや燃る淺間の荒殘り椋鳥百羽命拾ひし羽音哉經師何がし芭蕉畫ける扇に讃望まれて裂けやすき芭蕉に裏を打つ人歟秋さびしおほえたる句を皆申す築をうつ漁翁がうそや今年限ものの葉に魚のまとふや下り築京へのぼりし時蕣に垣根さへなき住居かなみどり子に竹筒負せて生身魂野分して樹々の葉も戶に流れけり淺川の水も吹散る野分かな渡し守舟流したる野分かな片店はさして餅賣る野分哉イ芋莖さへ門賑しやひとの妻おもはゆく鶉なくなり蚊屋の外畠踏む似せ侍や小鳥狩太
名家俳句集身の秋やあつ燗好む胸赤しいと若き大女に秋來て柳絮の才も一葉と散行き蘭蕙の質も芳しき名のみに歸り來ぬ道のくま〓〓問ひよる中に交りて父の蘭虎によす此夕べぬしなき櫛の露や照る花燭をおくりて靈前にさしよするは、いさ〓か其情を慰するにありみそなはせ花野もうつる月の中あさがほに夜も寢ぬ噓や番太郎三日月やかたち作りてかつ寂し三日月の船行くかたや西の海三日月や膝へ影さす船の中雨に來て泊とりたる月見かな狂はしやこ〓に月見て又かしこ來ると否端居や月のねだり者名月や君かねてより寢ぬ病名月や花屋寢てゐる門の松うかれ來て蚊屋外しけり月の友後の月庭に化物つくりけり灯の届かぬ庫裏やきり〓〓す雪ふれば鹿のよる戶やきり〓〓す大根も葱もそこらや蕎麥の花うら枯れていよ〓〓赤し烏瓜萩活けて置きけり人のさはるまで石榴くふ女かしこうほどきけりくはずとも石榴興ある形かな菊の香やひとつ葉をかく手先にも見通しに菊作りけりな問はれ顔菊の香や山路の旅籠奇麗なり旅人や菊の酒くむ晝休み殘菊や昨日迯げにし酒の禮朝露や菊の節句は町中も古畑の疇ありながら野菊かな泊問ふ船の法度や秋の暮ありわびて酒の稽古や秋のくれをどり人もへりし芝居や秋の暮ひとり居や足の湯湧かす秋の暮夕露に蜂這入りたる垣根かな出女の垣間見らる〓きぬた哉泊り居てきぬた打つなり尼の友菊の香や花屋が灯むせぶ程剃て住む法師が母のきぬた哉寢よといふ寢覺の夫や小夜砧夜嵐に吹細りたるかゞし哉や〓老いて初子育る夜寒かな旅人や夜寒問合ふねぶた聲舟曳の舟へ來ていふ夜寒かな水瓶へ鼠の落ちし夜さむかな朝寒や起きてしはぶく古ごたち(一) (一)「古ご」は古女房太祇
名家俳句集椽端の濡れてわびしや秋の雨茄子賣揚屋が門や秋の雨夜に入れば灯のもる壁や蔦かづら引けば寄る蔦や梢のこ〓かしこ町庭のこ〓ろに足るや薄紅葉鐵槌に女や嬲るうちもみぢ空遠く聲あはせ行く小鳥かな露を見る我尸や草の中靑き葉の吹かれ殘るや綿畠柿賣の旅寢は寒し柿の側關越えて又柿かぶる袂かな殘る葉と染めかはす柿や二つ三つかぶり缺く柿の澁さや十が十戀にせし新酒呑みけりかづら結よく飮まば價はとらじ今年酒きりはたりてうさやようさや吳服祭新米のもたる〓腹や穀潰しどうあろとまづ新米にうまし國蘆の穂に沖の早風の餘かな迷ひ出る道の藪根の照葉かな藥掘蝮も提げてもどりけり身ひとつをよせる籬や種ふくべ口を切る瓢や禪のかの刀此あたり書出し入もふくべかなひとつ家に年あるさまや若烟草(一)夜の香や烟草寢せ置く庭の隅(一)「年ある」は豐年の事繁く臼ふむ軒やかけ煙草小山田の水落す日やしたりがほ永き夜を半分酒に遣ひけり秋の夜や自問自答の氣の弱り長き夜や夢想さらりと忘れける寢て起きて長き夜にすむひとり哉長き夜や思ひけし行く老の夢落つる日や北に雨もつ暮の秋長き夜や餘所に寢覺し酒の醉壁つゞる傾城町やくれの秋塵塚に蕣さきぬ暮のあき行く秋や抱けば身にそふ膝頭孳せし馬の弱りや暮の秋
名家俳句集冬達磨忌や宗旨代々不信心をどらせぬ娘つれゆく十夜かななまうだや十夜の路のあぶれ者夜步行の子に門で逢ふ十夜かな追々に十夜籠りや遣手まであら笑止十夜に落る庵の根太莟みしは知らでゐにけり歸花京の水遣うてうれし冬ごもり身に添てさび行く壁や冬籠冬ごもり古き揚屋に訊れけりなき妻の名にあふ下女や冬籠尻重き業の秤やふゆごもり僧にする子を膝元や冬ごもり(一)古今「みさむらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり立關にて御傘と申す時雨哉(一)うぐひすの忍び步行や夕時雨濡れにける的矢をしはくしぐれ哉しぐる〓や筏の棹のさし急ぎ中窪き徑わびゆく落葉かな米搗の所を替る落葉かな盜人に鐘つく寺や冬木立冬枯や雀のありく戶樋の中爐開や世に遁れたる夫婦合川澄むや落葉の上の水五寸麥蒔や聲で雁追ふ片手業いつまでも女嫌ひぞ冬ごもり來て留守といはれし果や冬籠それ〓〓の星あらはる〓寒さ哉紙子着てはる〓〓來たり寺林紙子着し音や夜舟の隅の方わびしさや旅寢の蒲團數をよむ活僧の蒲團をた〓む魔風哉足が出て夢も短き蒲團かな旅の身に添ふや敷寢の駕ぶとん夜明けぬと蒲團剝ぎけり旅の友人心いくたび河豚を洗ひけむ死ぬやうに人は云ふなりふくと汁鰒くうて酒呑む下戶のおもひかな鰒賣に食ふべき顏を見られけり河豚くひし人の寢言の念佛かな意趣のある狐見廻す枯野かな(三)不夜庵に芭蕉翁を祭る塀越の枯野やけふの魂祭行き〓〓て心おくるよ枯野かな行く馬の人を身にする枯野かな分稻一周の忌となりぬ、此叟のす〓めにて大原野吟行せし往事を思ひてなつかしや枯野にひとり立つ心鼠くふ鳶のゐにけり枯柳目にぞしむ頭巾着て寢る父が顔(一)意趣は怨恨の意太祇句選
名家俳句集新尼の頭巾をかしや家の内頭巾おく袂や老のひが覺え法體をみせて又着る頭巾かな庚寅冬十月又例の一七日禁足して俳諧三昧に入るに、草の屋せばく浴も心にまかせねば、やう〓〓か〓り湯いとなむに、時雨さへ降りか〓りて、いとゞ寒きを侘びゐしに、呑獅より居風呂わかして、男どもにさし荷はせ來したり、贈物の珍し(二)くうれしと、やがてとび入て心ゆくまで浴しつよかく申侍る頭巾脫いで戴くやこのぬくい物眼までくる頭巾あぐるや幾寢覺歸り來て夜をねぬ音や池の鴛草の屋の行灯もとぼす火桶かな鹽鱈や旅はる〓〓のよごれ面手へしたむ髪の油や初氷朝顏の朝にならへりはつ氷勤行に起き別れたる湯婆かな茶の花や風寒き野の葉の園み口切や花月さそうて大天狗口切や心ひそかに聟えらみ(一)「來したり」は「こしたり」と讀むべし菊好や切らで枯れゆく花の數ちどり啼く曉もどる女かな爐に銚子かけて酒あたょむる自在の竹に、鬼女の面かけたるを、人の仰ぎ居る圖に讃をせよと、田福より賴まれて吹ききやす胸はしり火や卵酒鴨の毛を捨るも元の流かな胴切にしをせざりける海鼠かな(一)海鼠だたみやありし形を忘れ顏身を守る尖ともみえぬ海鼠かな(二)うぐひすや月日覺える親の側大食のむかしがたりや鰤の前剛の座は鰤大ばえに見えにけり立つ波に足みせてゆく千鳥かな莖漬や妻なく住むを問ふおうな草の庵童子は炭を敲くなり水仙や胞衣を出たる花の數膳の時はづす遊女や納豆汁曲輪にも納豆の匂ふ齋日かな僧と居て古びゆく氣や納豆汁御命講の花のあるじや女形人の來ていはねば知らぬ猪子哉喜介を江戶へ下せしあくる日(一「しをせ」は「しおほせ」の訛(二)尖は「とげ」と讀む太祇句選
名家俳句集初雪や旅へやりたる從者が跡はつ雪や酒の意趣ある人の妹木がらしの箱根に澄むや伊豆の海陰陽師歩にとられゆく冬至かな野の中に土御門家や冬至の日(1)雨水も赤くさびゆく冬田かなたのみなき水草生ふる冬田かな木がらしや柴負ふ老が後より今更にわたせる霜や藤の棚腰かける舟梁の霜や野のわたし鶤の起きけり霜のかすり聲笘船の霜や寢覺の鼻のさき行く舟にこぼる〓霜や蘆の音恥しやあたりゆがめし置巨燵埋火に猫背あらはれ給ひけり埋火にとめれば留る我が友あてやかにふりし女や敷巨燵火を運ぶ旅の巨燵や夕嵐淀舟やこたつの下の水の音草の戶や巨燵の中も風の行く攝待へよらで過ぎけり鉢た〓き曉の一文錢やはちた〓きはげしさや鳥もがれたる鷹の聲鷹の眼や鳥によせ行く袖がくれ雪やつむ障子の紙の音更けぬ小盃雪に埋めてかくしけり(三) (一)土御門家は天文曆數の家(二)徒然草に、仁和寺の法師散り敷きたる紅葉の中に酒肴を埋めかくす話あり、出でし着想ならむ汲公と葎亭に宿してそのあした道にてわかる〓とて見返るやいまは互に雪の人宿とりて山路の雪吹覗きけり空附の竹も庇も雪吹かなうつくしき日和になりぬ雪のうへ降り遂げぬ雪にをかしや蓑と笠御次男は馬が上手で雪見かな足つめたし目に面白し手にかゞむ里へ出る鹿の背高し雪明り長橋の行先かくす雪吹かな交りは葱の室に入りにけり(一)寒垢離の耳の水ふる勢かな寒月や我ひとりゆく橋の音寒月の門へ火の飛ぶ鍛冶屋哉寒月や留守賴まれし奥の院駕を出て寒月高し己が門鍋捨る師走の隅やくすり喰日頃經てうまき顏なり藥喰枯草に立つては落る〓かな(三)氷りつく蘆分舟や寺の門御手洗も御燈も氷る嵐かな垣よりに若き小草や冬の雨父と子よよき榾くべし嬉し顏勤行に腕の胼やうす衣几圭師走廿三日の夜死せり(一)家語「與善人居、如入芝蘭之室、久而不聞其香、卽與之化矣、云云(二)此句誤字あるべし太祇句選
名家俳句集節分の夜明なりければ死ぬ年もひとつ取つたよ筆の跡梅幸へ言遣る積物や我つむ年を顏見せに大名に酒の友あり年忘夢殿の戶へなさはりそ煤拂聲立る池の家鴨や煤はらひ煤をはく音せまり來ぬ市の中剃りこかす若衆のもめや年の暮褌に二百く〓るや厄おとし煤拂の埃かつくや奈良の鹿怖すなり年暮る〓よとうしろから年とるも若きはをかし妹が許寳船わけの聞えぬ寢言かな聲よきも賴もし氣なり厄拂年とりて内裏を出るや小挑灯谷越に聲かけ合ふや年木樵かねてよく顏見られけむ衣配唐へ行く屏風も畫くや年の暮雅因を訪ふ年のくれ嵯峨の近道習ひけり年内立春歲のうちの春やいざよふ月の前室町中立賣上ル平野屋京善書林京兵衞太祇句選後篇
不夜庵太祇句集を撰して序を夜半翁にもとむ。深きものをよしとす、これを葎亭宛在に歸せよ。翁曰序はかりそめにすべからず、祇と因みの深きものをよしとす、退て葎亭宛在の二翁にはかる。二翁曰序はこれを呑獅に歸す。退て序つくる、二翁曰序はかりそめにすべからず、祇と因みの深きものをよしとす、ひそかに思ふ序のこと旣に前集に盡たり、今はた何をかいはむ、意匠萬端つひに章をなさず、たゞちに三翁の言をもて序とす。不夜城呑獅太祇句選後篇
太祇句選後篇若草ややがて田になるやすめ畑旅立の東風に吹かする火繩かな駕に居て東風に向ふやふところ手紅梅や公家町こして日枝山嚙れしが思ひもすてず猫の聲白魚や〓きにつけてなまくさき閑かさを覗く雨夜の柳かな嫁入せし娘も多し御忌詣春寒く葱の折れふす畠かな白雲や雪解の澤へうつる空芹の香や摘みあらしたる道の泥ぬす人の梅やうかゞふ夜の庵うつくしき男もちたる雉子かな春小書院のこの夕ぐれや福壽草二日には箒のさきや福壽草七草やや弟の子の起きそろひ初寅や賴光しばし市原野鉢の子に粥たく庵も若菜かな(一)あら手きて羽子つき上げし軒端かな萬歲のゑほし姿やわたし舟穴一の筋引きすてつ梅が下若草や四角に切りし芝の色(一)鉢の子は鐵鉢
名家俳句集つみ草や馬のはせきぬ馬場の末鶴を畫く雲井の空や鷄合物音は人にありけりおほろ月歸り來て灰にもいねず猫の妻髭につく飯さへみえず猫の妻漏る雨を人とかたるや春の宵はる雨や風呂いそがする旅の暮水吸ひに鼠出でけり瓶の花宵月や船にも櫻うちかたげ女を供して旅だつ人へつかはす、女にかはりて枕香の梅を見よとの旅路かなはる風や殿待ちうくる船かざり濡れて來し雨をふるふや猫の妻挑灯で若鮎を賣る光かな拾ひあげて櫻に珠數や御忌の場餅燒くをおいとま乞のどんど哉籠耳に山の名を問ふかすみ哉陽炎や板とりて干す池の舟踏みつけし雪解けにけり深山寺うぐひすや君こぬ宿の經机初午や狐つくねしあまり土はつ午やもの問ひ初る一の橋おそろしの掛物釘や涅槃像散るなどと見えぬ若さや初櫻見え初めて夕汐みちぬ蘆の角すみの江に高き櫓やおぼろ月春寒し泊瀨の廊下の足のうら陽炎や筏木かわく岸の上かげろふや夜べの網干す川の岸涅槃會や禮いひありく十五日はる雨や音もいろ〓〓に初夜の鐘今日は身を船子にまかす霞かな若鮎や水さへあれば岩の肩散てある椿にみやる木の間かな蝶飛ぶや腹に子ありてねむる猫うばか〓の櫻を覗く彼岸かな歸る雁きかぬ夜がちに成りにけり吹きはれて又ふる空や春の雪いろ〓〓の名は我言はず櫻かな情なの荅ざくらや雛の前むかひ居て櫻に明す詞かな嵐山の花みにまかりて筏士よ足のとまらぬ花ざかりはる雨や講釋すみて殘る顏三日月に木の間出はらふ茶つみ哉行く雁の高きや花につりあはず地借衆へ一枝づつや桃の花掃きあへぬ桃よさくらよ雛の塵紙びなや立ちそふべくは袖の上照り返す伏水のかたや桃の花二里程は鳶も出て舞ふ汐干哉
名家俳句集勝鷄の抱く手にあまる力かな下手の焚くひなの竈ぞ賑はしき巢を守る燕の腹の白さかな山吹や腕さし込て折りにけり船寄せてさくら盜むや月夜影塀ごしや櫻ばかりの庭の體半ば來て雨にぬれゐる花見哉狂言は南無ともいはず壬生念佛暮遲く日の這ひわたる疊かな口た〓く夜の往來や花ざかりしなへよく疊へ置くや藤の花遲き日の光のせたり沖の浪凧持て風尋ぬるや御伽の衆山路きて向ふ城下や凧の數家内して覗きからせし接木かな永き日やいまだ泊らぬ鷄の聲堀川の畠から立つ胡蝶かな寄添て眠るでもなき胡蝶かな人眞似のおぼつかなくも接穗哉泊らばや遲き日の照る奧座敷膝たて〓遲き日みるや天の原池の舟へ藤こほる〓や此タベ蕨採て筧に洗ふひとりかな凧白し長閑過ぎての夕ぐもり諸聲やうき藻にまとふむら蛙京へきて息もつぎあへず遲ざくら伸びよかし藤の荅の咲かで先づ寒食や竈をめぐるあぶら蟲春の行く音や夜すがら雨のあし下戶の子の上戶と生れ春暮れぬ
名家俳句集夏るなどとむかしかたり出て興じける年よらぬ顏ならべたや初鰹など我は寢ざめぬ老ぞ時鳥灌佛や假りに刻みし小刀目新茶煑る曉おきや佛生會麥秋や埃にかすむ晝の鐘あまた蚊の血にふくれ居る座禪哉蠅を打つおとや隣もきのふけふ年よれば瘦もをかし更衣(一)濃く薄く奧ある色や谷若葉ほり上げてあやめ葺きけり草の庵川風に水打ちながす晒かな立ちむかふ廣間代りや更衣ほと〓ぎす今見し人へ文使ひ卯の花はまはりこくらの垣根かなかきつばたやがて田へとる池の水切る人の帶とらへけり杜若湖へ神輿さし出てほと〓ぎすほと〓ぎす江戶のむかしを夢の内布子賣囘國どのよころもがへ江戶雅光訊來て旨原珠來などが噂申いでて予が顔の年よらぬ事おもひしにたがへ(一)「瘦も」は「瘦せるも」と讀むべきか用意せし袷出す日や晝旅籠葉ざくらのひと木淋しや堂の前川留の伊東どのやな虎が雨あら浪に蠅とまりけり船の腹麥を打つほこりの先に聟舅穗にむせぶ咳もさわがし麥の秋みじか夜や無理に寢ならふ老心雨に倦く人もこそ有れかきつばた泥の干る池あたらしや杜若寢た顏へ〓吹きあてる端居哉飮みきりし旅の日數や香薷散みじか夜や來ると寢に行くうき勤うつす手に光る螢や指のまた音はして行く水くらき木がくれを照らすほたるの影もすゞしき通村螢火や岸にしづまる夜の水柳みむ餘所に夕立つあまり風帷子や明の別のすそかろき蝠蝠や千木見えわかる闇の空白雨はあなたの空よ鷺の行くみじか夜や雲引殘す富士の峯雨の日は行かれぬ橋やかきつばた蚊の聲は打ちも消さぬよ雨の音一日は物あたらしき五月雨竹の子や己が葉分に衝きのぼる
名家俳句集(一)蕪村「更衣母なむ藤原氏なりけり」笋やおもひもかけず宇津の山底見えて鵜川あさまし夜の水八重雲に朝日ののほふ五月哉手から手へ渡しわづらふ螢かな若竹や數もなき葉の露の數ゆふだちの月に成りぬる鵜川かな今朝見れば夜の步みやかたつむりさみだれや夜半に貝吹くまさり水笋や掘りつ〓行けば拔いた道早乙女の下りたつあの田この田哉旅人や曾我の里とふ五月雨みじか夜や旅寢のまくら投げわたし古き代を紋に問はる〓幟かな幟たつ母なむ遊女なりけらし(一)鹽魚も庭の雫やさつき雨岩角や火繩すり消す苔の花ぼうふりや蓮の浮葉の露の上呑獅またことしも旅立を人もうらやむ袷かなほと〓ぎす聞くや汗とる夜着の中影高き松にのぞむや蝸牛君めして突せられけりこ〓ろぶとかはほりや繪の間見めぐる人の上蝙蝠や傾城いづる傘の上わびしげや麥の穗なみにかくれ妻麥埃樗にくもる門邊かな思案して旅の袷にうつりけり側に置て着ぬ斷や夏羽織ひるの蚊の顏に鳴り行く廣間かなかやり火のうたて殘るや夜の儘とりにがす隣の聲や行く螢寺からも婆を出されし田植哉白雨のすは來るおとよ森の上雨あれて筍をふむ山路かな隣には木造のほる新樹哉子子やなまなか澄めるくされ水回國の笈にさし行く團かな竹醉日草の戶や竹植る日を覺書物あぶる染殿ふかし五月雨漣にうしろ吹かる〓田植かなさみだれや夜明見はづす旅の宿掃き流す橋の埃や夏の月五月雨や川うちわたす蓑の裾角出して這はでやみけり蝸牛化猫も置手拭や麥の秋かたびらの無理な節句や傘の下松蔭に旅人帶とく暑かな飛石にとかきの光る暑かな松明に雨乞行くやよるの嶺夕立や扇にうけし下り蜘木枕に耳のさはりて暑き也(一)「とかき」は蜥蜴太祇句選後篇
名家俳句集向陽軒にてあつき日や明け放す戶のやらむかた鵜ぶね見る岸や闇路をたどり〓〓ゆふ顏のまとひもたらぬ垣根哉帷子や蠅のつと入る袖のうちか〓る日や今年も一度心太松かげに見るや扇の道中記汗とりや弓に肩ぬぐ袖のうちはや鮮の蓋とる迄の唱和かな早鮓に平相國の鱸かなひとり言いうて立ちさる〓水哉關守の背戶口に立つ涼み哉片道はかわきて白し夏の月屋根葺は屋根で涼の噂かな醉ひふして一村起きぬ祭かな蟲ぼしのすゞしさ語れ角櫓むし干や拔身をさます松の風まし水にあやふき橋を涼かな鉾處々にゆふ風そよぐ囃子哉老いたりといふや祭の重鎧まつりの日屏風合の判者かな花鳥もうら繪はうすき扇かな酒藏に蠅の聲きく暑かなかたびらの癖はつきよき腕まくり涼風に角力とらうよ草の上土照りて裂るや草の生ひながらむし干やむかしの旅のはさみ箱水打て露こしらへる門邊哉草の戶や疊がへたる夏祓
名家俳句集はつ秋や團扇の風をひいた人手習子屋の門うつ子あり朝さむみ夕されや軒の烟草に野分ふく朝さむく蠅のわたるや竈の松刀豆やのたりと下る花まじり夜の問の露ゆりすうる廣葉哉吹倒す起す吹る〓案山子かな片足は踏みとゞまるやきり〓〓す初雁や遊女にあぶらさ〓せけりはつ雁や夜は目の行く物の隅さわがしき露の栖やくつわ蟲脫ぎすて〓角力になりぬ草の上着物のうせてわめくや辻角力秋眼さましに見る背戶ながら今朝の露木戶しめて明る夜惜むをどり哉船よせて見れば柳のちる日かなたま祭.持佛に殘す阿彌陀かな駕に居て挑灯もつやはつ嵐君こねばあぶら灯うすし初嵐めでたくも作り出けり芋の丈浦風に蟹も來にけり芋畠初戀や燈籠によする顏と顏よひやみや門に稚き踊聲狼のまつりか狂ふ牧の駒鬼灯や物うちかこつ口のうちはつ雁やこ〓ろづもりの下り所かけ稻や大門ふかき並木松鉢の子ににえたつ粥や今年米里の燈をちからによれば燈籠哉立寄れば椎はふりきぬ雨舍猪の庭ふむ音や木の實ふる待宵やくる〓に早き家の奥手折てははなはだ長し女郎花蚊の有りつ無かりつ月の船路哉呵る程舳さきへ出たき月見哉(一)あさ顏や小詰役者のひとり起稻妻の無き日は空のなつかしきいなづまのこもりて見ゆれ草の原いなづまや無きと思へば雲間よりいなづまやよわり〓〓て雲の果芋むしは芋のそよぎに見えにけりもる〓香や蘭も覆の紙一重芋の露野守の鏡何ならむ降られても行くや月見の泊客いなづまや雨雲わかる闇のそらあと追うてわめきくる也橋の月名月や船なき磯の岩づたひ日は竹に落ちて人なし小鳥網聞きはづす聲につゞくや鹿の聲名月の晝まで大工遣ひかな俳優(一)小詰役者は下級の
名家俳句集くさの戶の用意をかしや菊の酒朝市や通りか〓りてけふの菊ひとり居や思ひまうけし十三夜田舍から柿くれにけり十三夜十三夜月は見るやと隣から表から出汐告げ來つ十三夜おもはずも餘所に更しぬ十三夜朝市や蟲まだ聲すものの下あさ寒や旅の宿たつ人の聲打ちやまぬ碪たのもし夜の旅枝裂けてしろりと明る野分哉よる浪や立つとしもなき鴫一つ白き花のこぼれてもあり蕃椒中入に見まふ和尙や茸がりうかれ女や言葉のはしに後の月一葉さへかさなり易き日數かな家々や銚子の菊の咲き咲かぬしづめたる菊の節句の匂ひ哉臺灣を當推量や十三夜いく浦のきぬたや聞てかより船馴れて出る鼠のつらや小夜ぎぬた庭のもみぢの染たるとて魯庸もちきたりけるや〓あつて水に生けたるもみぢ哉哲哉卷を袖にし來て引墨を乞ふついで菊をおくりけるに哲哉もと菊を養ひつくり得しが今は平常の菊のみ愛すなどとかたり出たるに予も同意なるよし答へて中菊や地に這ふばかり閑なる曉の籠をぬけけむ蟲の聲寒きとて寢る人もあり暮の秋氣のつかぬ隣の顏や暮の秋鷄頭や一つはそだつこぼれ種
名家俳句集ひとの子の惡所戾りや門の霜(三)千人の日用そろふや雪明り〓人去て曉くらき十夜かなとする間に水にかくれつ初氷千本をもどる霜おける畠の冴えや鍬の音下戶ひとり酒に逃げたる火燒哉木の葉散る雨うち晴れて夜明けたり人踈し落葉のくぼむ森の道木がらしや手に見え初る老が皺木枯や大津脚絆の店ざらしぬれ色をこがらし吹くや水車晝になつて亥子と知りぬ重の内冬水仙を生けしや葉先枯る〓迄木戶しまる音や荒井の夕千鳥(二)水仙や疊の上に橫たふしよる見ゆる寺のたき火や冬木立一番は逃げて跡なし鯨突宵やみのすぐれて暗し冬の雨十月の笹の葉靑し肴籠つめたさに箒捨てけり松の下人顏も旅の晝間や神無月かみ無月旅なつかしき日ざし哉御築地に見こす山邊やいく時雨(一)荒井は遠江にある關所(二)惡所は色町(三)日用は日傭人足炭賣よ手なら顔なら夕まぐれたそがれに吹きおこす炭の明り哉獺に飯とられたる網代かな水指のうつぶけてある寒かな花もなき水仙埋む落葉かな起きうきを起出て冬のいさみ哉飯喰うて隙にして見る冬至哉掃きけるが終には掃かず落葉かな壁までが板であられの山居哉鳴きながら狐火ともす寒かな初霜やさすが都の竹箒はつ雪や町に居あはす桑門(1)初雪や酒の意趣ある人の妹(三)末摘や炭吹きおこす鼻の先(11)はつ雪や醫師に酒出す奥座敷醫師へ行く子の美しき頭巾かな盃を持て出でけり雪の中雪を見る人さわがしや夜の門犬にうつ石の扨なし冬の月かさの雪たがひに杖で打ちはらひよるの雪寢よともいはぬ主哉口切のとまり客あり峯の坊寒菊や垣根つゞきの庵の數一とせ翁をゆめみ侍るをおもひよせて其魂の朱雀もめぐる枯野哉(1日, (一)桑門は「くはのかご又は「よすてびと」と讀むべし、儈をいふ(二)此句前篇と重出(三)末摘は源氏物語にある鼻先の赤き女(四)「旅にやんで要は枯野をかけめぐる」の吟による太祇句選後篇
名家俳句集今朝は先づ消えて見するや初氷冬のあさひのあはれなりけりとばせを翁の句をおもひよりて身をよする冬の朝日の草のいほ藤棚のうへからぬける落葉かな水仙や幸あたりに草もなきくらがりの柄杓にさはる氷かなさむき夜や探れば窪き老が肩水仙や莖みじかくと己が園腰かくる船梁の霜や野のわたし顏みせの難波のよるは夢なれや3寒聲や親かたどののまくらもと寒菊や茂る葉末のはだれ雪苞にする十の命や寒雞卵親も子も醉へばねる氣よ卵酒腰かけて紅葉みつらむ炭俵かれ蘆や鴨見なくせし鷹の聲鶯に藪の掛菜のにほひかな木の葉ちる風や戶をさす竈の前あるほどの水を入江の氷かな關守へ膳おくり來つえびす講句を煉て腸うごく霜夜かな枯くさや藪根の椿落つる迄雪見とて出づるや武士の馬に鞍ゆふ風や木咲というて梅持參(三) (一)西行「津の國の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風渡るなり」(一)木咲は室咲にあらで自然に咲きたるをい獵人の鐵砲うつや雪の中うまきとはいつはりがまし藥喰稚子の寢て物とふや藥ぐひ(〓)手燈しの低き明りやくすり喰盃になるもの多し卵酒魚ぬすむ狐のぞくや網代守髮おきやちと寒くとも肩車町中のあられさわがし人の顏かみ置やか〓へ相撲の肩の上髪おきやうしろ姿も見せ步くそれとみる松の戶尻や莖の桶顏みせや狀を出しあふ宇津の山嫁みせに出て來る茶屋の落葉哉對にしてかぞへて歩く鴛見哉霜の聲ひとの〓で寢ぬ夜哉咲てゐる梅にもあふや寒念佛冬ごもる心の松の戶をほそめかたちして孤屋までぞ水の色節季候ややむ時はやむ物の聲狐なく霜夜にいづこ煤はらひ樓に歌舞妓の眞似や煤拂とし〓〓や煤よう掃いて手向水道ばたの天秤棒や大根引爼板に這ふかと見ゆる海鼠かな餅つきやものの答へる深山寺とし忘扨も人には精進日(一)此句宇治拾遺の「兒のかい餅するに空寢入したる事」より思太祇句選後篇
名家俳句集餅の粉の家內に白きゆふべかな二階から土器投やす〓はらひ居風呂の底ふみぬくや年の暮わびしさや思ひたつ日を煤拂す〓拂てそろりとひらく持佛哉す〓はきの中へ使やひねり文煤拂のあら湯へ入る座頭かなCす〓はきや挑灯しらむ門の霜山吹のいはぬ色あり衣配とにかくに足らぬ日數や年忘眼に殘る親の若さよ年の暮年とるや帆柱の數ありそうみ(三)「入る」は「はひる」と讀むべきか安永丁酉秋八月不夜庵五雲撰樗庵麥水發句集
樗庵麥水發句集思ひ出るや山をひがしに初霞花もさぞ先づはいつもの初がすみ門松や白も七世の孫に逢ふたはら藻や龍宮ならば掃き捨てむ大服や我乞ふものは歌袋初夢や火燵の裾野おもしろき書初や窓も丁字に梅の影讀初もうらからをかし茶道口梅に來る鳥のあとなり初懷紙靜まりて障子の咳や初懷紙門に立つ松の葉ごしや初懷紙伊勢海老につかへる庵の御慶哉乾坤春の部歲旦春立つや其儘の松も又嬉し春立つや朝夕はまだ海の音初鴉月明かにかゞみ餅一かけに水の若さや白根下樗庵のよみ初も例の杖笠にこよろうごき花の春まだ見ぬ方の國盡庵の春かけもの竿も杖はじめふるとし富士に登山せしを乾樗庵麥水發句集
名家俳句集木つ〓きの人影見やる子の日哉普請にも引く松ありて子の日かな我はひく松のまくらや初子の日まだ鴛の耳に戾らぬ餘寒かな雛櫃に綿入るよ日は餘寒かな沫雪や檜原のおくの酒ばやしあは雪に茶店は出たり初芝居田につもり都につもり霞かな深山樹や霞が裂けて經の聲湖の城はくだけて霞かな悟りにはまだ紙ひと重霞かな途中唫鷗鳴く方に日脚やあさがすみ東風吹くや年と〓〓の透間より木々を出る香はまだ辛し春の風春風の吹返してや種ふくべ春風や嗅いで見る人心あり春風やそ〓けぬ髪に吹きはじめ春風や一葉二葉の色みより鷹が峰の禪林にて春雨は此軒になむ嶺の風圓山はしの寮にて-春雨や給仕も交りて座敷鞠春雨や心のおくのよしの山下萠となる戀もあり春の雨山寺に何待つ人ぞ春の雨春雨やけふは道庫の棚さがし茶かぶきに欠伸もひとつ春の雨遺愛寺に晝の枕や春の雨柱から芽を出す庵や春の雨竹はまだ雪の寢癖や春の雨けさ蒔いたものの靑みや春の雨早苗ゆふ藁をすげるや春の雨春雨やまだ家もたぬ蝸牛何見ると問ふ人多し春の月題水鳥囀鴛鴦の音はかり物ぞ春の空照されて雪をくゞるや春の水大根に岡のあらしや春の空鳥影の北へ消えたり春の水まだ曳かぬ鳥影白し春の水おもしろき鏡にやがて春の水雪見えて笠の端輕し春の山笠取山といふ處にて笠取や松吹き荒れて春の海朝夕にかはる衞や春の海舟はまだ疊も入れず春の月春の夜や眠らぬ人は我と誰如月やまだ蝶ばかり山おろし如月やまだ燒筆のよしの山朧夜や誰を迎のこし車出て遊ぶ繪馬の沙汰あり朧月樗庵麥水發句集
名家俳句集古〓の山にも似たりおぼろ月わけ行けば桃にやあらむ朧月こもり人の松とかたるや朧月もの聲の京に缺けたる雛かな曲水の客流れこむ雛かな袖笠の難波は跡に汐干哉入り兼ねて日も漂ふや汐干潟海松に引く日もありて汐干かな泉州堺古郷は路の千尋ぞ汐千潟曲水に一葉流る〓扇かな曲水や一人は醉て折烏帽子富山乘性院の庭にて立山をのけては春の夕かな茶畠の木隱れ笠ぞ春の暮春暮れぬよし野は蝶の行處行春や人は柳を折らぬ時行春や足あと石に花の塵絲遊の切れやすうして春行くぞ行春に誠の雲となりにけり行春や一鎌殘す草むすび七草や留守のあたるも君が爲植物七種やあらしの底の人の聲七草や音羽のおとはまだ寒し七種や明けての物のかぞへ初め逢ふ處で御慶濟ますや若菜摘振袖にあらしの岡や若菜摘我は又留守の廣野や若菜摘井手はまだ耳の隙なり若菜摘見めぐるも七野やしろや若菜摘田の中の山越やすし若菜摘庵の戶は跡からとどく若菜哉ぬぎ捨てて笠は雪間ぞ若菜摘蓬萊は遠山にして若菜かなみづがきの外へ百度や若菜籠寺を出て料理好みや蕗のたうつまづいた人を蹴ぬけや蕗のたうはりの木の陰は田舟や蕗のたう若草や古葉は化して雉子と成る若草や水をへだてて駒の聲若草や笛の尾上は牛の聲若草やことしも城にならぬ山若草の押してのぼるや白根まで若草や遠き心も此葉より神通川にて風鳴つて春草白し神通川御腰懸石とて人々なづるあたよまる石も尊し春の草梅が香に襟引きしめて一つ橋北東風は雪も交るや梅の花雀子の御供こぼすや梅の花樗庵麥水發句集
名家俳句集見る人の腰にふくさや梅の花梅咲くや夜着垂れたがる江湖寺梅咲くや釣瓶にか〓る薄氷篠原の邊に逍遙して池水に路次洗はせて梅の花もの洗ふ脛にはあらず梅の花梅が香の吹て風折烏帽子哉新宅に移りけるとき枝は梅も賴むや下地窓丑の日の野邊に人あり梅の花梅ほめて物申遲き折戶哉畫讃梅が香やひとり社壇の開く音まのの長者やしき窓の影おもふ霞の野梅かな鳥さしは手を合せたる柳かな網打はあちらへ手ぐる柳哉いつもある舟を招いて柳哉人買の舟にみえたつ柳かな逆まに鳥のとまりて柳かな月ひとつ水へ掃きこむ柳哉忘れては橋を越したる柳かな橋守の隙とは違ふ柳かなころび木に手はかけながら柳哉白露の重さくらべる柳かな關越えて髪結ひ直す柳かな裾上げる事も覺えず柳かなあり明る人聲深き柳かな川舟の四五町出れば柳かな遊里傾城の別れ見習ふ柳かな置かぬもの搜すは我と柳哉舟關の人をかぞへる柳かな靑柳や野馬の尾にもむすぼれず靑柳も逆に吹くなり水の上紅梅や鷄も笠持つてこそ見廻せば我庵富めり枸杞五加木苗代や角力は京へ出づるとき苗代や菅簑にはやひとそよぎたてがみ山を越る菜の花や橫向いて峯越る人田家春日鳥鳴くや藪は菜種のこほれ咲(一)山崎にて庵の陰瘦せて芽だつや杜若水橋のわたし葭の芽も北を指す日や雁の觜白髪明神いく度ぞ霞とふ日や蘆の角繩絢うて濟ます普請や桃の花水のない川掘る人や桃の花茶に醉うて宇治へ立ちけり桃の花(一)「こぼれ咲」一本「はしり咲」とあり
名家俳句集桃咲くや飛べば近しと道をしへ三日月も屋根のたわみや桃の花桃咲くや寺を見廻す講がしら佛壇を見せる馳走や桃の花初花や鞍馬の方へ駒迎へ見處の有るに禿や初ざくら日最中の花靜かなり虻の聲橋はまだ霜も折々初ざくら風邪引を手柄に花の旅寢哉吉崎三谷氏の庭にて捨石に加嶋もひとつ庭の花高岡櫻馬場雪となる花や泥障のあらしまで鎭守堂の花に木猿と噺かな花の降る庭を靜めて机かなちる花に蝶も重たき氣色かなうか〓〓と日の減り行くや花の雪月は入るかぎりもあれど櫻かな人なれて山あた〓まる櫻かな八景は比良にかたまる櫻哉狂人の鐘をとゞむるさくら哉小貝塚種として櫻さかえむ小貝塚袂から下着を脫いでさくら哉山中越え牛馬多出る黃鳥も連牛づれや櫻まで年禮も羽織でいふや山ざくら茶に減つて音羽は細し山ざくら見おろせば人里深し山ざくらさそへばぞ座頭もみえて山ざくら休みたる薪のあとや山ざくら傾城の所帶もどかし山櫻洛外をまはる日錢間の開帳多し山ざくら月あらば松は木影ぞ山ざくら手鼓や鳩の峰ごし山ざくら白雲に誠の帶や山ざくら鐘の尺扇子でとるや山ざくら蜂の巢に笠は小さし庭櫻途中唫酒好のおくれやすさや遲櫻ひそ〓〓と靑う吹きけりおそ櫻祇王寺にてとても散る夕べぞしばし遲ざくら徑盡きぬ馬醉木盛て馬の骨虻も來ぬ藪や李の花の晝樋の口に大工のおとや堇草路かへて庵へもどるや堇草僧正は叱りずきなり四手辛夷宇治のほとりにて吹落ちて水屋はらくや茶摘唄空也派の夫も持て茶摘哉樗庵麥水發句集
名家俳句集(三)てう〓〓」は町々(チヤウ〓〓)なるべし(一)てう〓〓の店おろしあり藤の花鹿のくふ短冊もあり藤の花門に待つ駕の欠伸や藤の花藤の花道から醒めて戾りけり逆まに箒入れけり藤の花藤咲くや鮒に投げ込む葩煎の上山吹や水のぬるみも佛肌山吹の水に籬や障子骨山吹や野を行く水の九折生類泉水の橋姫いかに猫の戀白魚や伸びぬ藻にはや花の色鶯や一冬越る葉はかたし鶯や水のつかゆる淀づつみ鶯や竹田の里は留守ばかり鶯の鳴き靜めたり海の色鶯の巢にくせものやおほろ月鶯は此木によればあれに鳴く鶯や水も葉色の竹筏鶯に留守も尊し宇治の庭八日から塵塚靑し黃鳥よ黃鳥や雪の雫も光りあり鶯や熊のやしなふ人も出る鶯やよい事千里山家まで三暮れてしる比叡の般若や夕鴿只ひとつ柚うらやまし鳴く雲雀(一)惡事千里の諺を轉用すうつむいた草はまだなき雲雀哉ひと圍ひ茶の木畑の爲かなト野ゆき紫野行きひばりかな()笠は皆胸にかぶりて雲雀かな今江潟にて蜆とる臂やもたせて鷺の上篷船にだまされて出る燕かなあのうへも世はいとまなき乙鳥哉粟島の留主へ來初る乙鳥哉きじ啼くや空は正しく月日星佛法と鳴くを破してや雉子の聲きじ鳴くや山か藁屋が薄がすみ駕で行く旅人の夢をきじの聲嵯峨野雉子鳴くや今もうき世を舌鼓この寺は監司もちなり雉子の聲道作る一儈あはれ雉子の聲筏士の陸をのほるや雉子の聲きじ鳴くや持ちこたへたる朝曇鍬の刃にはね出す石や雉子の聲山畑に種のはじきや雉子の聲行く雁やふり向く顏も水の上加嶋行く雁や我目も暫し島めぐり紀の路にて雀子や柱のふとき八庄司(一)萬葉一、額田女王「茜さす紫野ゆきト野ゅき野守は見ずや君が袖ふる」樗庵麥水發句集
名家俳句集松原に日はをさまりて蛙かな終に夜は明けて只ゐる蛙かな洛にむかふ日西海道をはじめて過ぐ晝からは日も西吹くや鳴く蛙化された人ではなうて蛙かな次の間はかぶろかたまる蛙かな蟲にして月は短きかはづかな嵯峨雅因亭大井から音を細めて蛙かな禿の宿にやどる玉川の耳に毒なし鳴くかはづ途中木曾殿を訪へば鳴出す蛙かな傾城の傘の上行く胡蝶かな蝶々や晝は朱雀の道淋し蓮植る足に罪ある田螺哉この朝の鳥は低し田にし取菩提寺の腰もさがすや田螺取弘法の水のすゑなり田にし取一錢の橋守殿やたにし取夕暮の身は蓑虫や田螺取三本木茶店石川や雪駄に馴れて上る鮎茶店に感あり三軒茶屋といふ白髪まで人に嵯峨なし小鮎さきまだ夢を見る心なき蠶かな衣食雨の日に使は來たり木の芽漬神釋初午やまだ蕨手のかゞむ頃初午や遣手の鍵は置いて出るこれにても水の恩知れ二月堂八十八梅の日數や涅槃像涅槃會やものの重なる影法師水茶屋の簾もおろす日や涅槃像玉子から血に鳴く鳥やねはん像見る人に呼子の聲や壬生祭題人丸忌鴨山の岩根に消えし春の霜か(1)春雜ふ是春か初音皆心に對七面明神アンネン坊にて桃柳菜も見おろすや七面かへる山はかへりといふ里の上なり鹿の音に聞き置く里を春越えぬ竹の浦にて春も老いてかゞめる竹や水の上蓮如山花瓶の松幾春にかはるも松のほまれ哉(一)萬葉二、人麿臨死時自傷作歌「鴨山の岩根しまける我をかも知らずと妹が待ちつ〓あらむ」初樽庵麥水發句集
名家俳句集水鳥の鳴くと何々鳰の春埋めしところの山なりとい夏の部乾坤蓑の音けふも卯の花くたし哉朝疾く出るとて短夜を雲も急ぐか駒ヶ嶽旅館みじか夜や翌を事足す文一つ福島の人々に夏の夜や早吹きわけて草枕獅山に寓る此地往昔作獅子の靈物ありて里民に祟る、依てこれを木獅々の沈で氣澄む夏の夜哉實ざくらに又白雲の幟かな入梅や乾き眞砂も持つた家(一)白雲山妙義堂五月雨や雲も尊き杉の奥伊吹山 此山の神姿など思ひ出朝虹は伊吹に凄し五月晴小野が瀧五月雲墨すりうけて小野が瀧築山もけふ奧深し虎が雨桂男にかして戾るやさらし臼(一)徒然草に、宗尊親王雨後蹴鞠の催ありけるに佐々木隱岐入道鋸層を車につみて奉りたりければ泥土のわづらひなく人々其用意を感賞しけるに吉田中納言乾砂子の用意やなかりけると評せし話あり樗庵麥水發句集
名家俳句集忘れては梅見に立つや氷室守奉る手元ふるふや氷むろもり月花の都は知らじ氷室守こらゆれば世に逢ふ日あり氷室守蟹藥師あつき日をはづす岩間や蟹藥師合羽干す川原おもての暑さ哉涼しさや船に射さうな扇子影涼しさや傳授もしらず流れ足涼しさや手合て舟をのけるみち涼しさや幾間の奥の燈の光り初て本郷の武門に參る汲む水も巢鴨は涼し森の鳥隱士のもとを尋ねて其人は近くに遠く出たるといへども茶の下の建仁寺風呂に鐘涼し琵琶坂琵琶坂のよの手も涼し松の聲穗浪崎別莊朝月の入帆は涼し穗波崎木曾のかけはしかけ橋や水とつれ立つ影涼し玉澤橋玉は淵に沈めて涼し橋の月(一)涼しさや嵯峨のいかだの捨柱(一)莊子天地篇於山、藏珠於淵」「藏金いつの間に帶のとけたる涼み哉寢る下へ月流れこむ納涼かなくつさめを廻してもどる涼み哉僧ひとり水上へ行く納涼かな家明けて蟬も夜聲や川納涼川下は酒の香の吹くすゞみかな物見松我は其松を物見や畫すゞみ琴の手は橫に流る〓納涼かな夕暮の星よみか〓るすゞみ哉帶もたす人ばかりなり舟遊び千本は京の梢ぞ靑あらし西行塚吹返す笠も御影や靑嵐衣張も九十九折ほど雲の峰芝のあたご雲の峰海は小さし旅硯途中唫馬ながら軒へかけ込む夕立哉まだ靑い西瓜流る〓夕立かな落書の石に足おく〓水かな虫干や爰へも通ふ天津風夕顏の姊か妹か竹婦人途中より古郷へ音傳して夏山や遊び〓〓の旅に肥涼袋と道連にさそはれ雲樗庵麥水發句集
名家俳句集いざともに秋むかへばや宇津の山植物瘦せたがる妾もありて牡丹かな燕子花硯石にもひとわたり尼寺は御所の末葉ぞ杜若葛袴干す家もありかきつばた芥子の花見て慰みぬ兒の親夕陽に九重の塔や立葵まだ遠い馬もよけたり麥の中麥秋や踊のしまぬ音ばかり卯月の末〓に歸るこの關も秋風ぞ吹く麥のくれ泉式部の廟所門の外響くではなし風車蟷螂や何ごころなく風ぐるま此垣の西は法輪風ぐるま經の聲入て玉卷くばせをかな跡に見て地藏いたゞく覆盆子哉世尊院翁塚靑葉若葉日影も深し翁塚能因の顏見わすれず若楓霧に似て茶から立ちけり若楓下闇や桂に月の香はあれど獨千句題懷舊葉ざくらやむかし戀しき道すがら陵の色どり淋しさくらの實卯の花や誰が卯月より此曇卯の花に鵜飼の里は寢過しぬ卯の花やイむ人の透通り峽中水勢女たる男たるの瀧卯の花に聲はあらじな瀧津波掃きよせて耳塚ゆかし桐の花洗濯の姥を引手や花茨柚の花や庖丁持つて緋の袴矮鷄の來て飛上りけり手鞠花鈴懸や峰越えて行く人の影長椽に茶はさめて來て機櫚の花小松神主松木氏の旅舍にて其伊勢をうつせば寂びて茂りかな竹の子や角は延びたり小先達竹の子や草の袂をふりはなし鳩の聲肩にとゞくや夏木立靑野が原もの好も替へず靑野の夏木立義仲守の翁の像を拜す猶見るやむかしながらの夏木立外井戶は澄むも甲斐なし靑山椒주·1湖も里へ根のさす蓴菜かなぬれて來る人芳しや菖蒲の日菖蒲湯や八棟深き草まくら賤の女は引きわづらはぬ菖蒲哉二月ひとつ落して行くや眞菰苅(一)源平盛衰記十六、賴政「五月雨に沼の石垣水こえていづれかあやめ引きぞ煩ふ」樗庵麥水發句集
名家俳句集兀山の影を靑めて田植かな靑鷺は植ゑたでもなし餘り苗裾野にも二十の揃ふ田唄かな戀ひとり折々たまる田唄かな早乙女や跡を追ふ子のつまみ結早乙女や乳の下に置く月のかげ河骨の花□をかし鍬に笠東海寺池庭にて河骨の花さへたりて靜なりうき草や鵜に出る舟に取りすがり萍や扇子流しは知らぬ里萍のうら形もあり水かゞみ藻の花も朧のものや水烟松任千代に紅粉畑や尋ねて鹿の足がため朝の日やかた野を出づる紅粉の花雨に寢ていつを節句や忘れ草紫陽花とかはりくらべや定芝居苔の花彌生のもののこぼれより夏菊や晝寢のなるも亦樂し淺間のふもと撫子や馴るればもゆる淺間にも撫子やあらき言葉のわたし守梅兒塚撫子や振上げて打つ棹の露此奧の寺は紫衣や花樗桑の實や紅粉つけ過す里の嫁山梔子や築地の崩れ咲きかくすてふ〓〓の五月躑躅に又夢か五月芽の松に朧はなかりけりかゞみ野にて夏草や我影うつす野は長し夏草や今はなにしに那須の原夏草や初菜に來たる道はなし夏草や小蟲吹きやるひとあらし三葉庵大睡夏草や何々譽めむ三葉庵降り晴れも背戶では知れず合歡の花合歡の花茶挽坊主はいつとても斗升坊とつれ立つ合歡の花もす〓めて一夜宿りけりあぢなもので酒呑む家や花柘榴靑梅やたま〓〓晴れて初日かげ東行おもひ立て箱根の宮柱に一章を殘す我は梅靑みに飛ぶや旅ごろも門建てておちつく日あり今年竹まだ忍ぶ小袖あらはせ今年竹灯ともしの僧も見なれて今年竹舟ゆりて子は寢入りけりみるめ刈蓮の花琵琶にほろりとはづれけりぼつつりと汗ひと雫浮葉かな樗庵麥水發句集
名家俳句集五一八夕顏や物着る宿へ歸る人夕顏や聞耳たてるくれる蝶夕顏や徑の隣に笑ひ聲夕顏や駒の出て行く垣つゞき夕顏や蟲はら〓〓と人の音晝顏や跡になり行く朝日山風蘭に雲吹きやるや湯のいきり涼しさの思ひがけなし綿の花麻刈や葺いた蓬は落ちてから凌霄や龍の上つた手水鉢凌霄や家は入日の入りまはり本吉百草洞靑田から誠の波も見越しけり生類草踏んで一夜給 仕や時鳥傘もちの眠は白し子規時鳥明けても橋の小提灯明けぬ戶にはら立うちや時鳥曙や蘆毛の駒と時鳥茶の秋はまだ朝寒し子規それて飛ぶ矢數のそらや時鳥夏菊の星にくらみて郭公子規平安城も見下ろさず時鳥竹の植處定まりぬ麥林叟をしたふ麥畑に尋ぬる人 や時鳥時鳥子規几帳はなる〓人の影蚊帳ごしに月の曇や時鳥賈島が推敲のうつ〓行き當る人もこ〓ろや時鳥きぬ〓〓をひやして行くや子規ゆり起す舟もこ〓ろや子規楠は朝寢好きわらにふの人とも見えて時鳥(i)盧生は晝寢好き草枕耳も芳ばし郭公牛で行く道ほのぐらし子規子規麥の月夜は薄ぐもり志賀上人の木の端にあらず觀念の橫へこ〓ろや時鳥寢ぬ痩も夏のものなり時鳥盧山の三笑長尻にどちを庵主ぞ子規雲を見て初瀨に籠るや時鳥椿井峠にて馬の耳足にさはるや時鳥觀音の燈に舟見えて子規希因に逢ふ子規木曾路の笠の手にばかり常陸坊は仙に登る我膝の足高山や時鳥木曾のやどり(一)「わらにふ」誤寫あるべし我や時鳥樗庵麥水發句集
名家俳句集子規ことにほいなき木曾の空碑の銘は撫でてよみけり閑古鳥山崎にて庵室の調度のうちや閑古鳥湯尾峠淋しさは足のうらまで閑古鳥山崎に茶船はなうて行々子山公事に鶯も音を入れにけり卯の花や蝙蝠さがす小僧ども蝙蝠は開帳の日を初音哉蜘の子やおの〓〓巧み持去らむねざめの床螢火も細しねざめの床の松切々に橋を見渡すほたる哉恐しう町を見に來る螢かな蘆は今ちからざかりや蝸牛暮柳にめぐり逢ひけるとき行逢ふも跡は知れよし蝸牛もの問うて蠅に追はれて戾りけり蚊柱や大佛とてもこの通り片側は藪に暮れ行く蚊遣哉夕顏に圍車を預けて蚊遣哉もゆる時はつと涼しき蚊遣哉姑をふすべ返して蚊やり哉蘆は皆男ざかりの鵜舟哉長良川の茶店に書付けていざ頭陀に鮎干させばや長良川初蟬や加茂の祭は幾日から初蟬や麓の流れ消えて行く惠心寺に歌聞かぬ日や蟬の聲汐越にて今朝見れば潮は遠し松に蟬岩頭いは屋觀音にて空蟬に似たり窟を出づる人塩尻峠諏訪の海鷲より上の浮巢哉品川朝夕庵鳥はまだ浮氣で峠にかよひけり金城留別水鳥のけふ巢ばなれや朝あらし八幡にて水雞にはどちらも馴れてあふむ石乞食の背中もた〓く水雞哉麥を搗く星かげぬけて水雞哉きぬた聞く夜には短き水雞哉僧ひとり門にイむ水雞かな白鬼女の邊雨に逢ふ合羽にも足もつる~や羽拔鳥鐘鳴て林の靑き鹿の子哉蹈みわけて躑躅をはしる鹿の子哉誦みさして經に拂ふや灯とり蟲蟲の火や蚊屋釣草もあるなれば
名家俳句集川狩やゐろりにつもる岩の數衣食百里でも行くこ〓ろなり更衣綿脫の日からかふるや鹿の角獵人の念佛を聞く新茶かな尼寺や干瓜の手も歌がるたほたる待つ遊びも笹や一夜酒神釋蓮はまだ柱も立たず花御堂其水に我は筆かむ夏花かな卯の花を窓に集めて夏書かな呑舟の心夏水の魚に無か皆わたる蟬の小川や足揃ひあびる程酒呑む神輿洗ひけり夏雜靑墓の宿にてあをはかや夏とぶ蝶の物がなし望月牧夏萩の鹿かと見せて牧野かな泉岳寺義士塚夏陰やまだ山彥の合ことば御坂越といふ處にてなつ藤や石も亂れて御坂越安宅關を須臾にうつしける帳に名乘ても甲斐なし夏の梅に鳥立琴にト見せ顏や蜘蛛の糸東都より江の島に詣づとてあと向て旅立つ今朝や舟の露飛鳥山秋雨に逢ふ石ぶみも露の淵瀨や飛鳥山羽衣の松取りさうな物なきけふや松の露硯の宮松古りて黑むや宮の露雫不忍池朝霧や蓮の白帆も見えかくれ途中唫穗の上に鳴戶の日あり秋の風秋の部日の岡にて秋たつや京のあつさをふりかへり東都に秋立つ日秋立つも嬉し上野とわかる鐘鎌倉に秋を迎へてヤツ〓〓谷々に日なたほそめて今朝の秋建長圓覺の諸寺に詣でて撥開の風やことさらけさの秋(1)星月夜七夕も近し浴か星月井彥星や我に別れる竹婦人(一)撥開の二字誤寫か樗庵麥水發句集
名家俳句集東山にて見盡さぬ伽藍のおくや秋の風平野社頭にてむら鳥の平野に裂けて秋の風北潟安樂寺に兩金剛の舊物あり秋風を押返す手や枯木立何に吹て此あはれそふぞ秋の風ことしも帝京に杖をひく又この聖城の友に送られて各(C)筆を嚙む縮柳もことふりにたれば只秋興とのみ替へて予も是に野行を記す秋風は吹けどもひくき牛の耳きかせけりしぶとき我に秋の聲潮來長勝寺の古鐘を見る鐘は下りてむかし告ぐるや秋の聲あふむ石沖の石の自問自答 や秋の聲稱名寺靑葉紅葉(三)鐘にそふ葉は靑きにぞ秋の色遊山分け入るや湯のいきりほど秋の山乙巳七月うち外の神の御前にひざつけば松杉のあらし何となく尊く殊更あらたに(一)聖城は加賀大聖寺(一)武藏稱名寺に秋になりても紅葉せぬ楓あり、これを靑葉紅葉と遷ります宮殿もかたへにかがやきけるに秋の山に白う見越すもありがたし野水のほとりに逆まに澤潟ふくや秋の水瀨田眺望橫に見て舟の薄さや秋の水湊の濱馬上にて過ぐるとき折節白根川の秋水出て雲とひとしき蒼溟に横たはりけるに水ばなの雲橫たふや秋の海深木山妙行寺山につき山にはなれつ秋の雲里をうつしたるあとの野にて女郞花心とむなと野分かな山中湯にて湯にばかり月は長居やおとし水名月やとし〓〓劣る我望み旅舍名月や友もとむれば翌の馬士長崎に遊びし日故ありて紅毛館に入る出島の臺にヘトルの役アルメナヲルトと宴する事ありて其日は文月の樓庵麥水發句集
名家俳句集十五日也宵の月甚だ明かなりしいざたまへ豕名月と興ずべき深川のほとり舟に寢て城のうごきや今日の月上野淺草に杖を曳て恐しきひとつ家もなし今日の月やすの川中にて松消えて川原はふるし今日の月瀨戶明神炮木月にされ汐に老いてや瀨戶の松能見堂に八景を望む月ひとつ石に圍むや島の秋汐見坂近うなり遠うなる月や汐見坂据風呂のかげん覺えり後の月染井にて秋暮寂寥を見る人の來ぬ道のしるしや露時雨苅萱の關のあと秋霜の威や今更にはつかなる城跡に舟繫石と云ふあり滿干しる千鳥も早し秋の暮CI道明の岩路行秋や蔦も手を引きはなるべき洛西行秋や小倉高尾の手を盡し(一)「遠くなり近くなるみの濱千鳥鳴く音に潮の滿干をぞ知る」古歌に據る大聖寺岡々庵行秋や水はもとより橋の人此邊寺々院々行秋や一入塔の延上り山中の湯に別る〓とて行秋の靑う別る〓尾上かな行秋や蹴ぬけの塔をちる木の葉八橋無量寺澤は田と成てむかしの男郞花道灌山へか〓る道を尋ぬさしまねく萩につかばや城の道靜さや蓮の實の飛ぶあまた〓び空也寺の兒をなぶるや靑瓢山森稻荷あらはれて尾花の上や稻荷山豆腐にはいつの由緣ぞ唐がらし朝比奈の切通し葛ならぬ葉も裏見えて切通し海上寺木犀や碁にも木魂のひゞく庭日ぐらしの里にていろ〓〓に秋を仕わける花野哉府中妙園寺佛殿をくゞる夕日や錦草桃源の邊は床し藥掘湯涌のゆもとに樗庵麥水發句集
名家俳句集溫泉の花の流は高し蕎麥の花うき柳といふに雨に逢ふ茸狩や降つて家さへ見出しもの菊の日住吉のほとりにて菊の日や我は歩行を生く藥山路けふの菊巖やいつのさゞれ石八幡にて菊咲くや津田の細江の源問はむ大和の古山と路に逢ふ菊水や互に老をくらべあひ小松よし島といふあたり舟を廻す押廻す水や幾すぢ蘆の花神護寺にて高尾流殿のむかし聞く日や初紅葉下水によればまばゆき照葉哉久能山石壇の伊豆へも行くか薄紅葉藥師堂藥師山湯にしむ人の薄紅葉洛の高雄山にあそぶ我を折込や紅葉の九折(一)舟行 海安寺にて海ごしに日の行き過る紅葉哉洛東(一)此句誤脫あるべし我(一)石につく紅葉は古し下川原護國寺開帳秩父三十三所皆爰に遷すうつむいて人の分け入る紅葉かな笠寺笠寺ぞ降らばやどらむ紅葉陰うたの中山九重は名にも塔にも絶かな〓水奥院牛尾まだ靑き紅葉覗くや繪具谷府中色紙塚薄いろの紅葉も爰や色紙塚一路の寒溪に谷水を包んでこぼす絶かな安宅の水戶にて折々の水にものありむら紅葉うつの山蔦の手の笠に這ふまで休まばや根津權現此一木枯れて名高し蔦もみぢ貝多羅園松が枝も左に繩や蔦紅葉中の河內松柏亭にやどる一夜急雨の過ぐると聞き窓を開けば秋聲のみ只烱々たる星沉々たる水樗庵麥水發句集
名家俳句集物すごき旅寢を栗の笑ひけり翻手成作覆手愚紛々俳書何須數君不見蕉門七部集棄去糟粕有虛栗拾ひ得て世をとふ嵐みなし栗(一)嵯峨野にて飛込んだ蟲の音流す筏かな太宰府聖廟7キ七七神寂や秋蟬我にいしばりすさよの中山ひぐらしも其命なりさよの山途中蜩や女子の連はあとの宿秋の螢露より薄く光りけり菊川の驛菊川に先づ長いきや秋の蠅長途のこ〓ろなぐさまでひとり郊外に出るさびしげな野にひとりゆく鶉哉すみだ川にて問はですむ鴫猶淋し隅田川途中倒に稻は立ちけり鴫の聲那谷寺にて叱つても石は石なり鹿の聲(三) (一)其角「凩よ世に拾はれぬ虛栗」(二)黃初平が地上の白石を叱して數萬頭の羊と化せしめし事神仙傳に見ゆしら山の宮に詣て階は坂の仕廻や鹿の聲建長寺にて初雁や古り行くは惜しき額の文字途中雁はまた我そら耳や高師山さわの岡にて鳥渡る梢の底や市の聲神釋むかひ鐘それ程撞けば湯に涌かむこれにさへ祕する曲あり聖靈會秋更けし聲ともきけし勸學會江の島蓬萊の外に千種や島の秋品川を過ぐるよし秋の日にはかざさじ袖の浦麥林塚さびしさは其日といづれ秋の寺(一)阿漕浦淋しさも度かさなりぬ浦の秋將軍塚爰ばかり秋淋しかれ松の聲近きあたり行脚して秋吹くや日なたに笠を置忘れ鴉なく秋の柳や長づつみ祖翁七十囘忌手向聲(一)麥林舍乙由「閑古鳥われも淋しいか飛んで行く」(二)源平盛衰記六伊勢の海阿漕が浦にひく網も度かさなれば人もこそ知れ」古今六帖「逢ふことをあこぎの島にひく鯛のたび重なれば人知りぬべし」樗庵麥水發句集
名家俳句集塚によりて荒磯の秋人絕えしかんともせず木枯よ削り過すな山の形霜の朝茶屋ねんごろに物言ひし旅中朝霜や袖もうごかず志賀越えぬ途中霜多き山路になりぬ猿の聲不忍の池のほとりに居せし日朽蓮や葉よりも薄き初氷十月北地より步して又八幡山の湖中に遊ぶ此夏納涼の遊びの猶忘れがたくて後赤冬の部洛西に遊ぶ鐘聞きに都を出でてはつしぐれ草枯れて牛も仰向くしぐれかな(一)わざくれの夜月時雨る〓捨河邊途中走り付く里は物干す時雨哉玉造にて片時雨幾日つゞくぞ小町寺信中の搖落碧潭の上に吹廻りて山のすがたいふばかりなし驛馬の疾く過ぐるをい(一)此句一本「鳥羽にて」と前書あり樗庵麥水發句集
名家俳句集壁の興なからむやと夜話に人々を催す氷るとも又水莖の岡の月旅中日の岡を跡に見る日の寒さ哉こ〓にて歸〓を思ふため息の遠山へ行く火桶哉鬢雪なり我月花をいつや經し中の河内雪に隔てられながら碁の敵手ありて雪路を忘れし凡十餘日の逗留多く之仁藤雪深し石に碁盤に見るばかり歸庵のあした雪降りけるにいつくると見やりしが今庭の雪大和の古山に洛に會す落ちあふや雪も一すぢ下川原北浦冬景卷きおろす外山の雪や浪がしら旅中竹の雪觀音院もこのあたり歸路雪中行目のすゑの醉うてしらむや雪の暮向田玉壺が文房に飮む丸雪せよ醉いしぶしの石に寢む中の河内に行き惱む日あり此あわも鳴戶の波ぞ一ふゞき犀川眺望冬川や瀨々ぞ悲しき老渡る〓のしたしき人々に會す冬枯やうつ〓の末の富士筑波いぶり橋の邊にて日の透いて落葉のうすき白根哉山の下あら波打寄せてわらぢに殘る落葉哉長命寺のほとりにて枯蘆や低う鳥たつ水の上加越の牛原を過ぐる日よわ〓〓と日の行屆く枯野哉冬野の眺望枯れて行く野にかすがひや橋幾つ三保の松原鷹もまた富士思ふ顏や三保か崎越の寺泊に徃昔妓はつ君大納言爲兼卿に別る〓時ものおもひこし路の浦の白浪はたちかへるならひ有りとこそ聞けといふを今爰に石碑に銘して是に句を添へむと乞ふ百數も千鳥きく夜や濱びさし三四坊囘國へおもむく此行樗庵麥水發句集
名家俳句集只浪花のあしの力を賴みて杖笠をはじめて勞なき旅と聞ゆるに鳴く千鳥杖は名所を指すばかり社頭に眠る松ひとり風のとだえや神迎曉に京は古びてはち叩佐那武の社にて吹きかへす鴛のふすまや朝神樂若和布神事めかりすや潮にひゞく沓の音歲暮頭陀あけて旅見返すや年の暮兒が淵より日暮の富士を望む染め負けて日はかくれたり富士の色すめるもの登りて嬉し井戶はじめげに〓〓と榾折入るや夢始白雪や白根の影のほつれそめ悟らねば戾さぬ橋の霞かな袖引て梅かあらぬかおぼろ月一日は人の藻にすむ汐千哉汐千潟是もいち夜の裾野ほど夢想の後會千本は今朝も氷柱や梅の花逢坂の琵琶にさはりて柳かな鞍馬から奥へ人やる木の芽哉人待たぬ心は高き木の芽哉猿の手は欠伸に延びて木の芽山おき合す石のくほみや土筆兀山の處々につ〓じかな春雨は裾から晴れてつ〓じ哉一休み馬醉木の花の日陰かな鹿に來て泣いた寺なり初ざくら汝にさへ恥し花に山がらすものとへば子供ばかりや桃の花桃の日の裳に是を藁の莖櫛笥干す窓や毛桃の花盛り浦半の人のもとへ約ありて鶴の爲ととめて行かばや磯菜摘やれ窓の格子々々や猫の戀袋にはいかなるものを蛙かなつけておく種にふくろや鳴く蛙唐崎の道問ふ人やなく蛙井の水は井ほどの波を啼く蛙馬は田をつかれて上る蛙かな鳴く蛙こたへぬ友のあるにこそ麥の穗の茶筌に音や鳴く蛙火をくれぬ里まで來たる蛙哉闇の夜の田毎も人や鳴く蛙樗庵麥水發句集
名家俳句集飛び飛んで水で延びたる蛙かな蛙啼く夜やひか〓〓と潦夕ぐれに都をたつて蛙かな人影の障子に出來て蛙かな村松のひとむら消えて蛙かな猿の手も目にはつがりや涅槃の日加紅がもとに甲子唫行を拜す夏山やあふげば高き鳥の跡なら井坡に市中もへだでものよし雲の峰葉櫻や譽めらる〓日は忍び道葉櫻や花は鵜舟にともす時葉櫻や伐るに忍びず人ごころ葉櫻や今は鳥居の色ばかり實櫻や何所となく鳴る鐘の聲みざくらやいにしへ聞けば白拍子茶の秋の朝さめにくし櫻の實實櫻の雨やあられと矢數かな實櫻や靑き巖に靑きかげ長客の魂眠る事あたはず一夜東都所々の樓に遊びしを思ふ邯鄲の夢にあそぶか金銀花湖は里へひろがる靑田哉澤潟にか〓るや水の一めぐり下戶ひとり庭を歩行くや葛の花相如が首途は涼し擬寶珠に一首殘すや子規(一)都因坊が風流十哲の祭はさびし時鳥在中將は旅好き駒も夜は雲井にかけれ時鳥(二)竹繁も伐つた藪なり時鳥人は蚊帳かぶりそむるや袋角しだり尾に柳ながれて浮巢哉水鏡川へ出そめる袷かな夏山のふところ涼し佛生會茂りから鳥の音遲し練供養山中十景醫王林花花の日や迷ひに登る藥師山湯屋烟雨湯のうたによその早苗や五月雨無水啼猿なに〓〓の足らでや月に猿の聲富士寫雪湯けぶりのなびくは遠し案の雪蟋蟀橋霜かふろぎの細るや霜の橋ばしら高瀨漁火いざり火や夜の紅葉に人の聲(一)司馬相如は蜀郡成都の人なり、少くして讀書を好み擊劔を學ぶ、蜀城の北七里に昇仙橋あり、相如其柱に題して曰く、大丈夫駲馬の車に乘らざればまた此橋を過ぎじと業水水(二)源氏、明石「秋の夜の月毛の駒よわが懲ふる雲井にかけれ時のまもみむ」十鳥釋庵麥水發句集
名家俳句集道明淵月水底の月や下へも山ふかみ大岩紅葉日も巖をめぐり果すや蔦紅葉黑谷城跡香の圖に堀は殘りて野菊哉桂〓水螢月待たぬかつら〓水や飛ぶ螢麥水句集拾遺
麥水句集拾遺五四
名家俳句集とら〓や麥水句集拾遺紫夜〓淺水を折懸の梅の影椿落ちて一僧笑ひ過ぎ行きぬ腹あしき人なすみれに足駄跡邯鄲の市な過ぎ來そ蠶飼紙浦ひさし孤月や梅をめぐるめれ小梅ちるや馬藝女の股のすれ閏花はなし金陵一月の古小袖夕臺の銘(三)梅が香の心の種にそひてしな裏垣やしらされ李日や倦る乾ればこそ波の音なし朧月若草や水を隔て〓馬の聲影編春1·くらべ見む年立山の否の目路おのづから斐吹ひがし春の色此芽いつのおもひ草にな風誘ふ(一)磯や春しら藻にかよる日の光かげろふのおのれこそ家あり顏に陽炎の根に葉にもえつ石楠花薄氷や春風わたる馬さくり春雨氣日を小欠伸の片ほくり蛙なく野路の三十日夜何求む(一)「にな」は「かな」又は「よな」の誤か(二)夕臺は石臺の事か麥水句集拾遺
名家俳句集石に居てまどろみしばし春の暮月やすし朧のうへの春ごころ我や只朧ならぬはなき世經る世ほとんど花に死殘る我たてり花の雲上野淺草の吟に對して眺望こ〓に詞なくさえかへる等の音いづこ月萬家歸る雁水の田面のみそかなる蝙蝠や人うば玉のおとしざしやは是非の街口なし世を咲て石に寢飽く我と體わする世や玉卷いてうらみも葛のなき日かな〓巖にこ〓畫かせむ若楓鷹の巢の水の手隱す茂りかな船中聲あやしこの時鳥灘や過ぐ美人草赤きによれる名なるべし生節に竹の子匂ふ旅籠かな松一里歸路暑き日を荷ふ哉入梅の日の影弱からし花柘榴木の端の法師もあつし六月會夏郭公穗麥が岡の風はやみ夏日涼し是竹に依て起る風實ならむと思ふや柑子花窄き於蔡華園院各感古(1)蝸牛汝もとく〓〓の水求む日はたゞにたつや牡丹の戰はせよき椎や誰ぞ安居せよ茶はこばむ蟬をいたみ杖水を打て葉に添へり世奢れり螢汝に書生なき子にくれむ晝をなほだす瓜の色漁火涼しよらば悲しき事や見む(一)蔡華園院は京都東山雙林寺の子院にて、今日の西行庵は其遺跡麥水句集拾遺
名家俳句集腰にさす物と覺えし扇かな入梅中の虹つくりけり百日紅朝風や蓮の散たる蓮の上綿の花大和は多き都かなたしかなる垣には這はぬさ〓げ哉紫陽花やきのふは非なる庭造りかきつばた蚊になる水もにくからず入相にもとの野原や花御堂萍や鵜に出る舟に取りすがり翠簾捲けば靑き峯あり氷室の日鵜遣ひは夢にくるしむ暑さ哉涼しさの思ひかけなし綿の花夕顏や物をかり合ふ壁のやれ白雨や日は奈良坂の片おもて夏の頃一軸の讃を乞ひしかば瀧は夢さては空山あら涼しタ)夢龍の都路や經む舟涼し一乘寺金福寺うき我吟の庵(三)の跡驅上り驅下る翁なしその蜀魂近江ほとりをめぐる世はかくも折入る余吾の藻刈舟皐月はじめ若江に導かれて木村重成が古墳を感ず淚斯く橫にたばしる靑嵐(一)一乘寺村金福寺に芭蕉住みける頃「うき我をさびしがらせよ閑古鳥」の吟ありしとい葛井精舍にやどりを許されて朝暮の風景を放にす此閣や在五中將の修學の跡となり生駒遠山の雲雨又何をか述べむ言止みね雲葛城の子規ことし先師懷舊の集ありと〓て此題に句を並ぶ予は此夏世を遁れて啞蟬に感ずる事あり山も又うき世を見てや鳴かぬ蟬此宿を我逢坂や夏の月(三)言(一)麥林二十三囘の迫善集「一字題」(二)麥浪の來遊を迎へし時の句麥水句集拾遺
名家俳句集秋そも草の咎何事ぞ秋の霜初三の月手にさはる菊の剛き哉宮怨芙蓉今朝誰をふるせし風の色市人に粟津問はゞや今朝の秋裏町は其日過ぎなり花木槿朝顏を見るや紙燭も一ひねり蘭の香や袴着習ふ女の童吹返す高野の鐘や女郎花我庵は足らぬに樂し小望月名月や我をほこりに水の上十六夜やなしに行く舟さし戾し石を出る流れは白し花す〓き初夜の風星のみやびを吹添ふか早きにやゆるきにや秋の水心:まつ宵や月樞桲の丸きほど日は暑し葉うらの哀見え初る名月や故人〓並べし腹の中秋霜の置渡さじな朝日山小雨降る秋のはつ樹々目渡りし秋の雨蜘のい裂けて我髪か翁あらむあらば出給へ秋のくれ衣さび鹿に歸らめの歎を吐く色にのみ朝顏の空だのめなる(一)小望月は待宵の月大根の肩あらはれて夜寒かな水仙のしげりば寒し後の月秋霜やおくれ小鳥の一つ鳴くゆく秋や日なたにはまだ蟻の道醉今朝の夢路やいづこ秋の水前文あり幸のうづら衣や草の花ふる里へ我顏見せむ不二の月蝶の行く末の低さや今朝の秋
名家俳句集冬土深く爪たてにけり力草湯如減はにえるにしかぬ湯婆哉出迎うてまうけの新亭初時雨雪垣に我門うとくなりにけり山崎へ急ぐ人あり今朝の雪軒近く鰯うかゞふ鼠かな芭蕉忌去り行くや見あげ馴れにし塚の霜麥奈良茶いづれか先の霜ならむ四つ五器に甘んじ足るか霜の宿愚耳寒し彼やは月に浮衡利休の像今に霜靑竹朽木威なるかな茶枕を我宇治山や初しぐれしぐるればこそ戶の音や峯の坊比枝に燈を遠くか〓げて落葉かな寒菊の陰や夜學の硯水下伏は船まつ人ぞ歸り花鳥の尾の動くばかりぞ霜柱窓ひとへ白根へだて〓冬牡丹泡雪のなりとげもせぬ我世かは埋火やあたり消したる老の果鷹狩や初雪も見ずといふ日あり白骨のあなめ〓〓や枯すよき水仙や此花のもとの飯袋子初雪やさはいへ孤婦の泣くあらむこほる夜や玉はあしきを疵とせむ年經るやふるに飽く雪を一棒す萬境や春をせく雨寒の雨我冬や胸朽蓮のくたし身ぞ己が世のせきは知らずや庭雀年內立春世の善惡やいづれ今年の夜半の月遠近や世に轟きの餅の音雨乞は禁物ならむ酉の市(一) (一)十月中の酉の日に行ふ伊豆三嶋明神の祭を酉の市といふ、能因の雨乞の歌は當社へ奉
無腸句集五五二
無腸句集五五三
名家俳句集この肖像は無腸の友人甲賀文麗が畫きしものの摸本に據れり。文麗は京都の畫家にて百鍊と號す。秋成が渠に與へし書中より其一節を玆に抄出す。一小庵鹿鳴夜々と隣家は申さる〓老耳き〓はづしても度々の感ありどちへも行には不及候へばいよ〓〓禁足と存候近日御會面萬々可申述候不具八月廿三日餘齋秋成が渠に與へし書三日餘齋百鍊賢兄無腸句集紫枕にもならうものなり春の水G春の雲ゆく〓〓鶴におくれたりさくら〓〓散て佳人の夢に入る東風凍を解く日或人の許より洛の蕪叟の計を告來る我此叟の俳諧天の下にとゞろくを知れ〓ば時々得てよむに實に當世の作者なり然るに其句々の麗藻なるや其文の洒落なるには相似ぬものにてうちなめて貝から歌を女文字してかいつけたる樣したるはむかし蕉窓にゐく影編春山畑や蕎麥屋の軒に花薫る伊丹村に遊びて米搗も北へ歸るや天つ雁(聞耳世間狙卷四兄弟は氣の合はぬ他人の始の條)屎ふむやあまりに奥の山櫻梅さくや馬の糞道江の南人の失語は答めずともあれな據りていふ(一)漱石枕流の故事に無腸句集
名家俳句集ぐまりて杜律をうまくよみ笠きてわらぢはきながら山家を懷にしたる人の一すぢの〓なるべし王母が鍋を霰のうつといひ牡丹を天の一方にといふは其語勢をまねび出たるものよ又釣の糸に秋風を悲び花茨しげしき路に古里を思ふは其の意旨をやうつしなせるならむ是やかむなのから歌ともいふべくと時々人にも語りあひき今や老いさりて終をよくせられしを羨みかつ其麗藻を惜みつ〓もかき書の詩人西せり東風吹て夏雷に落さぬ箸をほとよぎす弟咲に淺黃が咲いたかきつばたあなかまと靑梅盜む衣の音(雨月物語佛法僧の條に)鳥の音も祕密の山の茂みかな豆崎灰小屋をもるとも賴め秋時雨秋風に聲まだ靑し笹のいほ渡る雁聲をから艪の入江かな月に遊ぶ己が世はありみなし蟹淨几焚香のつとめは誰もすなる夕例の物ぐるほしうてやみぬるいとむくつけきな秋武庫川にて鞍かりて蹴上つめたし朝心豐年祭餅それが夜寒の粥ばしら月は入りぬ波朝霧の明石潟見あぐれば月に聲あり嶺の松物のへんといふ里にて秋山のしただみけりな物のへん山を洗ふ雨に色なし秋の水雁鳴て菊を垣根の宿かな何も〓〓秋詠めなり須磨の里梶の葉に硯はづかし墨の糞月の秋や二百十日の二十日のと朝顏に島原者の茶の湯かな枕ふる翌となりけり相ずまふ無
名家俳句集四つに折ていたゞく小夜の頭巾哉口切や老が借錢なしはてむ冬城崎の溫泉にて霙ふる湯ざめの床の夜もすがら新嘗を神の降らせる木の葉哉霜ふけむ道のさ〓ぎの橋ならば霜曇り思ふ方から朝日さす曉や市の中にも鐘こほる弟晉明を悲む冬がれてゆかしげもなき都かな月霰その夜もふけて川千鳥小夜千鳥加茂川越る貸蒲團夜坐井華集
蕎麥と俳諧は田舍ぞよきとや、蕎麥と俳諧は田舍ぞよきとや、しかつぶやかれし世を思へば、都はなほ柿園の昔口なる人もこそおほからめ。我難波のうら人も口網おもからぬ西山ぶりをまねぶには、蕉翁の雅致高情をも人妻のよそばかりにや見過しけむ、是を恨みと歟何某が十論古今抄俳家の說難數萬言、むなしく紙墨を費えたりな。いでやそのかみの都人は、和歌の風姿に椋の葉をかけ、手爾葉は鼻昨日は里村の月次にひねもすうめき暮し、けふは貞室重賴らが扉を推更くる夜を惜みしとか、和歌の風姿に椋の葉をかけ、手爾葉は鼻昨日は里村の月次にひねもすうめき暮し、けふは貞室重賴らが扉を推今や和歌連歌の道場おのがどち〓〓立ちわかれて、かりにも於是みやこの俳諧もひとかたの道と成りんてより、何がしくれがしの統油をすりみがけるも、して、かりにも隣に遊ばぬげなり。何がしくれがしの統をよばはる人も、おほかたは蕉門の風韻をうつしまねぶには、爐邊のかけこ碗に信濃伊吹の夫も是もみやこのゐなかにおとるべ挽おろし、又なつかしまる〓みやびわざとなりんてぞ、きかは。我友几董は御溝水の流にうぶ湯を引きて、みどろが池の蘆の角髪より、みどろが池の蘆の角髪より、俳句の長短しかも其雅致を師にまなび、洒落は父に傳ふのみならず、か口に絕ゆる日なき好士なりけり、井華集
名家俳句集ねては晋子が風韻を宗とせり。むべなるかな師は蕪村、父は几圭、此二老が師なる巴人はむかしの晋子が徒弟にしあれば、墨繩の筋たがはずもぞある。畸人この頃都に遊びて夜半亭をとむらふ、何くれの物がたりのついで、一部の册子をとう出ていふ、是我二十年來の句帳なり、社友らこれを江湖にせよとす〓むを、我まどひてはたさず、幸に事さだめせよ。畸人云、兄しらずや、世を見れば詩文の自撰日を逐て戶々にいづ、和歌には市賈の撰集あり、俳士のみ壁に藏むべきにあらず、さらばこれをはしにことわれとや、あ〓さしでの磯川瀨の古杭うたていはずばとひとり言しつ〓、この夜の旅寢に筆をとり侍る。此篇や師が雅致、父が酒落、かつ師祖達の風韻をも備へて、卷をひらけば彩色まばゆきばかりなり。これやゐなかのはいかいの今は都に及ぶべからぬを、うまく讀みて知る人はしらむものぞ。かくいふは長柄の濱松陰なるゐなか人無腸居士といふものなり。り、自叙明和庚寅のとしより、かりそめに記し置ける家集めけるもの數册子になれりけり。此頃秋の夜のつれ〓〓なるま〓、とうでてをり〓〓よみ見るに、うたて庭の木草のいや茂りにはびこり、古井の水のながめに溢る〓が如く、いとわづらはしきばかり多かりければ、やがて筆とりてかたはしに墨ぬり打消しぬべくおもふを、其をりし人ありて、あなむざんやそが中には年ごろ人の聞知りたるもあらむ、又みづから頭いたむまで案じこうじたるもあるべし、いかにさばかり無下の事はなし給ふやと、泣くばかり制しとどめらる〓にぞ、亦此志をもうばひがたくて、さらば是を二卷ばかりに書約むべしとて、昔のも今のも、鈍きさかしきに拘らず、淡き濃き打ちまじへ、つき〓〓しく撰びあらためつ〓、扨此双紙に名をかうぶらせよといへば、かの人とみに井華集と號く。いかなる故やらむ我知らず、しらざれども何となく心にかなひたれば、漫に表題となし置きぬ。于時天明七年丁未龝長月のはじめ、洛東聖護院の杜陰なる春秋菴にして、几董詐善書井華集井集
名家俳句集井華集金衣公子鶯や小太刀佩たる身のひねり鶯や日の出の後の霜ぐもり筥根にて鶯に松明しらむ山路かな新鶯鶯の訛かはゆき若音かな梅花見にこそ來つれとうたひて鶯よ何がこはうて迯げじたく鶯の影ぼし見えて初音かな狂雲妬佳月梅が香に狂ふが如し月の雲鶯の卯の時雨に高音かな鶯の隣へ迯げて初音かな鶯や伊勢路をいづる曆彫感偶羽洗ふ鶯も見ゆ紙屋河鶯の脛にか〓るや枯かづら市中鶯の二度來る日あり來ぬ日がち鶯の立つ羽音して高音かな初音して鶯下りぬ臼のもと井
名家俳句集埓もなき〓が中の野梅かな見苦しき疊の焦や梅の影梅散るや京の酒屋の二升樽山人に花咲きぬやと尋ぬれば咲き散りもいさしら梅の伏見人をちこちや梅の木の間の伏見人遠望しら梅に餘寒の雲のか〓るなり墻を踏で罪得べしこの梅が宿狼藉を從者ことわるや垣の梅しら梅にこはそも氷雨の降る日かな但聞人語響梅寒し奴にくる〓小盃ぬつくりと寢てゐる猫や梅の股から駕や梅の中行く懷手鳥邊野舟岡の烟立ちさらでのみと、無常迅速の世のならひながら、春の日の麗かなるけしきには、人の命ものばはる心地す野梅咲て挽歌聞えずなりにけり耕さぬ人に見らる〓野梅かな木に殘る心や手折る梅の花梅の春鰒かくばかり白かつし詩をうたひ畫を工のあまり、阮成が風流をたしむ者あり梅の窓に三線ひくや毛唐人離別戀々として柳遠のく舟路かな若柳枝空ざまに綠かな春水わたり二つ見えて夕日の柳かな靑柳や初神鳴の雨の後寒かりし月を濁らす柳かな辛崎の松は花より朧にてといへるは、さゞ波やまのの入江に駒とめて比良の高根の花を見る哉、只眼前なるはとありけるとぞ比良の雪大津の柳かすみけり犬に逃げて庭鳥上る柳かなさし木の柳の生立ちたるを愛して寓居の柱に書老そめてことにめでたき柳かなしばし見む柳がもとの小鮒市春風如刀顏いたき風のよそ目に柳かな子日手を添へて引せまゐらす小松哉まないたの七野に響く若葉かな七草に鼠が戀もわかれけり井華集
名家俳句集蛤の煮汁か〓るや春小袖寶引の宵は過ぎつ〓あはぬ戀さめたらむほど念佛したまくん、法然上人の答へたまふいとたふとかりけり氣にむかば念佛申せよ御忌の場着だふれの京を見に出よ御忌詣やぶ入の脛おしかくす野風かなやぶ入や命の恩の醫師の門やぶ入やついたち安き中二日やぶ入の我に遲しや親の足五雲東府の俳士を催して北野聖廟奉納の句勸進し侍りけるに白梅や機婦にねたまぬ花一重田家大事がる柿の木枯れて梅の花園日涉以成趣(I)荒につく畠の柳みどりせり賣家の伊勢が軒端や猫の戀轉び落ちし音してやみぬ猫の戀琴の〓に足繋がれつうかれ猫餘寒よき衣に春の寒さをしのびけり正月や胼いたましき采女達春寒く二つ殘りし難卵酒(一)歸去來賦の句春水滿四澤あふれ越す野澤や芹の二番生日は落ちて增すかとぞ見ゆる春の水さす棹の拳にのるや春の水五器皿を洗ふ我世やはるの水川風寒み千鳥鳴くなりといしは、人をして炎暑にも寒からしむとかや、あるは蛙飛込むと、水音を觀じたる言外の餘情、それらの妙境は及ぶべくもあらねど夕されば千鳥とぶなり春の水磯山や小松が中のはるの水野も山も冬のま〓ぢやに春の水雪に折れし竹の下ゆく春の水畫に光琳あり俳諧に鬼貫あ行く水や春のこ〓ろの置所市陌繪草紙に鎭おく店や春の風春風のこそつかせけり炭俵途にあうて手紙披けば春の風少年行春雨や蓑の下なる戀衣春雨に似氣なき雷の響かな春雨や造化へもどす莖の壓井華集
名家俳句集春雨や鼻うちくほむ壬生の面薄々春雲籠皓月おぼろ夜や南下りに東山戲男に道踏みかへむおぼろ月あじろ木のゆる〓夜比や朧月三盃の酒にうかれて風雲の癖しのびがたししやせまし志賀の山越おぼろ月鹽山亭落ちぬべき西山遠しおほろ月春の夜や柚を踏みつぶす小板敷海邊の曙といふ題に紫に夜はあけか〓る春の海春の夜や連歌滿ちたる九條殿缺盆のよし野もをかし蕗のたう物答む伏見の畑や蕗の-臺南都にて熊坂に春の夜しらむ薪かな元日の醉わびに來る二月哉二日灸花見る命大事也如月や一日誕す海の凪傾城に菎蒻くはす彼岸哉一休は何とおよるぞ涅槃の日或山寺にとまりて水におちし椿の氷る餘寒かな奉納伊勢太神宮ありがたさ餘りて寒し神の場畫讃紅梅に睡れり衞士の又五郎紅梅に衣もどし行くや盜人等野烏の巢にくはへ行く木の芽かな田家乙鳥や雪に撓みし梁の上燕や流れのこりし家二軒むら燕牛の胯ぐら潛りけり市廓つばくらや夜の酢買の驚かす村深し燕つるむ門むしろ淀鳥羽のわたりにて乙鳥や轍の小魚つかみゆく旅意三條をゆがみもて行く霞かなこたつ出てまだ目のさめぬ霞かな待つ日には來であなかまの蜆賣干鱈やくつ〓じの柴や燃えむとす遊糸白日靜いとゆふにいと靜かなり松の風陽炎や酒にぬれたる舞扇まさご路や陽炎を追ふ波がしら土脈潤起燒寺も春來て萩のわか葉かなかげろふや泥脚かわくくわゐ掘井華
名家俳句集晉子七十年懷古夕がすみ思へば隔つむかし哉凧の尾の我家はなるよ嬉しさよ海士の子や舟の中より紙鳶廳のそなた長閑にいかのぼり西行忌骨をもて作れば和歌の聲美也點印筥の裏書を望れて濱の眞砂路の遠き近きをうかゞひつ、句の甲乙を撰ぶに丹靑の色をもて分ち侍るえりわけむ眞蘇枋の小貝海苔の屑倣素堂口質雁がねも春の夕暮となりにけり風呂の戶をあけて雁見る名殘かな客中野遊吟紅裏は屋敷女中歟遠雉子雉鳴くや暮を限の舟わたし虹の根に雉鳴く雨の晴間かな句合に三井寺の鐘はくる〓に雉の聲小松野の蕨葉廣になりにけり土を出て市に二寸のわらびかな野を燒くや小町が髑髏不言野行拔捨てし野葱土かわく春日かな摘草や印籠さげし尼の公道の記に假の栞やつく〓〓したんぽ〓や五柳親父がしたし物芭蕉菴の松宗和尙へ消息に椎の葉に盛りこぼすらし春の雪山かげの夜明をのほる雲雀かな起臥や身を雲介が友ひばり應擧が畫に春のあはれ雉子うつ音も霞みけり島原の歸さ桐油臭き駕に蛙をきく夜哉とび〓〓に芹の葉伸や鳴く蛙啼く蛙神も初めて鳴る夜かな三日月の影蹈み濁すかはづかな村落さむしろや蝶も卷込む俄雨舟につむ植木に蝶のわかれかな蜂の巢に爰源八の宮居かな畑をうつ翁が頭巾ゆがみけり苗代やある夜見そめし稻の妻初草に心つよさよ春の霜はづかしと客に隱すや田螺あへ亡母二十五囘忌花の雲ぼさちの數と經りにけり咲くをさへ驚くに散るはつざくら禁城の御みぎりを徘徊して井
名家俳句集(一)新古今「も〓しきの大宮人は遑あれや櫻かざして今日もくらし2とまあるけふまだ咲かぬ櫻哉い(〓)散ると見し夢もひと〓せ初櫻そ〓こしきあるじが接木おぼつかな僧になる兒にはくれじ雀の子上巳雪信が屏風も見えつ雛祭うら店や簟笥のうへのひな祭雛酒や汐干を語る國家老雛の日や翌旅にたつ客もあり桃の日や雛なき家の冷じき墨よし浦にて落ちか〓る日に怖氣だつ汐干哉鯛を切る鈍き刃物や桃の宿桃咲きぬ誰喰ひさしの實生より加持すとて群れ來る人や桃の宿初瀨にてこもりくの蜂にさ〓れな糸櫻(三)淵靑し石に抱きつく山櫻松伐りしあとの日なたや山櫻雨中多武峯雲を踏む山路に雨の櫻かな咲き出でてあらせはしなの櫻哉夜は嵐の吹かぬものかはけふ來ずて見ぬ友ゆかし山櫻月のあかき夜はたのみある櫻かな東山吟歩(二)「こもりく」は初瀨の枕詞大阪の遊女か知らず櫻狩さむしろに錢置く花のわかれ哉勅額のたふとく霞むさくらかな絕壁懸河を凌て日每に越來るはいと危き世渡なりけり筏士の嵯峨に花見る命かな始めて吉野山に遊びける時、曙夕暮の花を見ありきつ〓二日見ていかさま花の吉野山芭蕉翁百年忌花といふ論定りぬ櫻人大和の何來といふ人、はつせ山のかたはらに蕉翁の碑を封溝し、こもりく塚と號く、翁や生涯漂泊を恒とし、五天に白髪の勞をいとはず、片雲の風にしたがひとどまる所を知らざるが如し雲水の香をせきとめて花の塚雨日仁和寺に遊ぶ晴る〓よと見ればかつ散る雨の花門賣の花屋が手よりちる櫻かしこくも花見に來たり翌は雨花過ぎて雨にも疎くなりにけり花に來て侘びよ嵯峨野の草の餅葉櫻のなか〓〓ゆかし花の中井華集
名家俳句集須磨秋」といひし哀を須磨の山ざくら女夫して住持醉はしぬ花に鐘元日の雲かさなりてさくら哉夜櫻に靑侍が音頭かな分題飮中八仙宗之滿洒美少年擧觴白眼望靑天醉て猶眼涼しやさくら人慮外して祿かづきたる花見かな植木屋の花うれぬ間に盛かな觀想二十とせの小町が眉に落花かな花競ふ寺としもなし東山底た〓く春の隅より遲ざくら少年行花手折る美人縛らむ春ひと夜うちとけて我に散るなり夕ざくら君見ずや花に我等がおとし文西行上人の意を追て鬼貫が口拍子に倣ふ來たか來い見ずに置てもちる花ぞ(一)識盈虛之有數百花咲てかなしび起るゆふべ哉花過ぎて吉野出る日やわすれ霜長き日の背中に暑しおそ櫻(一)「來たか」は「來たくば」の意遲き日やひとへからげる草履道影遲し魚餌について日三竿對酌遲き日や〓めるは昇る酢あへもの長き日や宿替の荷の殿す長き日を羽織著ながら寢たりけり題しらず蹇の顏ほがらかに春日かな出代の跡濁さじやぬか袋出代の身のかたづきや草枕佐久良太比之辭かの大臣の都に潮を汲せ給ひし風流には似氣なけれど、鯛の鹽竈燒といふものを製して、各箸を下し盃を衝むの興に乘じつよ、やがて醉中の吟を諷ふ、其吟二句腸を牡丹と申せ櫻鯛山葵酢に肝をねらふや丸炙春眠不覺曉春の泊鯛呼ぶ聲や濱のかた門口に風呂たく春の泊りかな關札やどなたのとまり春夕僕が妻の絹著て歸る春のくれ今著きし澤庵漬けて春ゆふべ無聲詩井華集
名家俳句集山吹や胡粉の見ゆる雨の後有聲畫山吹やさしぬき濡る〓步わたり棣棠の影さすさては夕月夜逆旅山吹にめで損ひやわるい宿白馬金鞍入誰家堇踏で今去る馬の蹄かな菫踏で石垣のぼる戀路かな菫野や今見し昔なつかしき五加木垣都の客を覗きけり家主の摘みにわせたるうこぎ哉奉納玉津島おもしろき名のありがたや和歌の春靑海苔や石の窪みの忘れ汐鮎汲や喜撰が嶽に雲かよる柑子を惜みて砌を圍たる人の心こそいやしまるれあだ花ときけばけだかし梨の花いざ春に生のうら梨花は今紺かきが竹虎がくれや花林檎月中の盜人落ちよ李花白し安良居祭やすらゐや鬼も籠れる若草野ば〓嚊の肩ぬぐ空や御身拭朱雀野にて菜の花や雲たち隔つ雨の山菜の花の紀路見越すや山のきれ雪踏にて辷る山路のつ〓じ哉尋蝶夢不遇草の戶や藥を嘗めに蝶の留主爐ふたいで棊といふ病うつりけり表具師が無沙汰呵りつ爐の名殘芳野の山廻りして春過ぎて夏箕の川や藤の花藤咲て田中の松も見られけり白藤や猶さかのほる淵の鮎源氏などほのめく藤のあるじかな誰願ぞ地藏縛りし藤の花藤橋やおもき身をこす孕鹿花に醉ひ鳥にうかれ、あるは靑樓の宿酒に三春の曉をおほえざるも、又風流洒落のためにつかはる〓奴なるべし死なでやみぬいたづらものよ暮の春園の戶に鎖おろす春の名殘かな春暮れぬ醉中の詩に墨ぬらむ對友人行燈をとぼさず春を惜みけり大名のひと夜島原くれの春暮れむとす春の狂ひや雹ふる井
名家俳句集草臥れて寢し間に春は暮れにけり還俗のあたま痒しや暮の春行く春や狸もすなる夜の宴めづらしと見るもの每に春や行くおこたりし返事かく日や彌生盡生のわたらじなせみの小川のといへる歌を思ひ出て時鳥鴨河越えぬ恨かな曉や地震の後の時鳥時鳥天狗の礫ゆるせかし丹靑の彩をからず、うす墨を引きはへたる如きよこ雲の絕間より探幽があけほのの夢や時鳥伏見の夜急に更けたり杜鵑峨山聞子規まほろしの花忘れめや蜀鳥重ねばうとしいざ二人ねむ(三)ほと〓ぎす古き夜明のけしき哉月よりは上ゆくものかほと〓ぎす子規〓おとしの折からに靜座睡氣さす魔を蹴て行くや子規時鳥啼くかと待てば蜘の糸芭蕉庵にて時鳥あとは松吹くあらし哉ほと〓ぎすいかに若衆の聲がはり時鳥呪詛の釘うつ梢より詩仙堂の邊にて子規のしきりに鳴きけるにぞ、丈山先(一)上句「世を背く苔の夜は只ひとへ」(大和物語)井華集
名家俳句集寒しとは小町が嘘よ時鳥曉のかねてしゞまやほと〓ぎす子規けふはきのふと成る夜かなあればとてたのまれぬ哉、翌は又きのふとけふはいはるべければ西行上人亂鶯欺子規飛鳴の若音あやなし時鳥松浦佳則亭にて短册かけに句を望みけるにとばしりし墨も頓阿の杜鵑ほと〓ぎす路通はもとの乞食哉五斗俵の地をはなる〓や更衣袷著て昔ごころや花の塵病む人のうらやみ顏や更衣誤落塵網中町内に家振舞あり更衣馬の背にかろく胯る袷かな小褄より針ひねり出す袷かなある家にて牡丹二代連歌は劣るあるじ哉百兩のなき魂もゆる牡丹かな牡丹畑小草に箸を下すなり或御方にて牡丹芳御坊主蜂にさ〓れたりねたまる〓人の園生の牡丹かな此寺の牡丹や旅のひろひもの閨怨短夜や妹がほむらの有りあがしみじか夜に敵の後を通りけり旅泊曙短夜や空とわかる〓海の色みじか夜を四郞兵衞が假寢かな短夜や蟹の脫に朝あらし後朝短夜や伽羅の匂の胸ふくれみじか夜は犬の鼾に雀かな兵庫にて短夜や蛸這ひのほる米俵短夜の香をなつかしみひと夜莖今少しなれぬを鮓の富貴哉なれきとやいざとけ眞木の柱鮓兼好法師の口まねして下戶等に酒もり過ぎそ鯖のすし時鳥まつ頃北潟にて漁し鯖の魚に、活ながら薄鹽きりたるものを、早鯖というて都方にて初鰹に代るものなり沖鹽のはやせを戀や蓼の雨卯の花に加茂の酸莖のにほひ哉千里尊羹未下鹽鼓といふ題井華
名家俳句集をもて、おの〓〓句を合せけるに幽庵が便ゆかしきぬなは哉かきねにきえぬ雪と見るまでと詠じけむ卯の花に寒き日も有り山里は明けいそぐ夜のうつくしや竹の月白罌粟に煤はく家や加茂の里たれこめて祭見る家や薰す荒れたる家の籬さし覗きたれば、いやしからぬ女の里居とおぼしくてイみゐたる、いとゆかしくおぼえけるにおの〓〓句を合せ卯の花や薄痘がほにしろいもの筍に括り添へたり著義の花鳥散餘花落かきつばた魚や過ぎけむ葉の動き等閑に杜若さく古江かな伏見任口上人の舊房にてよし吹や若葉ながらの靑簾嵐して藤あらはる〓若葉かな祟なす樹も枝かはす若葉かな若葉して親と子うとき雀かな葉櫻に一木はざまや若楓囀に蟲も聲添ふ若葉かな奉納石〓水君が代や今も若葉の男山むら雨の音しづまればかんこどりかんこどり樹下に虱を捫る時ねぶの木のその花鳥や布穀布引瀧山鳥の尾上に瀧の女夫かな瀧見して袖かき合す袷かな郊外麥歌や野鍛冶が槌も交へうつ麥歌の聲まね行くや琵琶法師麥秋や埃の中を薩摩殿麥秋の草臥聲や念佛講泰里が姊古友洛にて薙髮し侍るにうき草を拂へば涼し水の月家事の公務に就て東武に赴く菱湖に餞す旅涼しうら表なき夏衣戀しのぶ草顏に墨つく夏書かな末摘の母屋の柱に飛蟻かな小角力が舊きにかへる酒煮哉端五髭黑の上手又出よくらべ馬此非吾所以居處子菖蒲太刀芝居に近き家かへむ井華集
名家俳句集五八四さみだれや船路にちかき遊女町五月雨の猶も降るべき小雨かなさみだれの夜は音もせで明けにけりさみだれの空や月日のぬれ鼠二日とまるは下々の下の客宗鑑が竹の挽香を蚊遣かな(二)蚊遣木にたま〓〓沈の匂ひ哉我につらし起きて蚊をやく君が顏蚊柱や蜘蛛の工のうら手より雞の寢つかぬ宿の蚊遣かな蚊はつらく蚊遣いぶせきうき世哉君が手のつめたさ見たり〓の月吹折て蟇のむせびし蚊遣かな夕殿螢飛思悄然C()あるじなき几帳にとまる螢かなファ、うき舟や痞おさへて螢狩水うみの低きに就て行く螢みたらし河に遊て行く水に誘はれがほの花藻かな川越えし女の脛に花藻かな葭雀や曉けて一二のみをつくし川風や鵜繩つくろふ小手の上に廣ごらぬ網や貴人の肱白しえものある網やうれしきひそみ聲有感生きて世に人の年忌や初茄子(一)山崎宗鑑その庵の柱に「上は來ず中は暫く下は一日云々」し、又竹の油筒をひさと書ぎて糊口にあてたりき(二)長恨歌の句初瓜の價きのふのむかし哉白砧百ケ日に橘のかたみの衣に夏書せむ放參の鐘鳴るかたや夏木立神鳴の上りし松や夏の月古君の化粧上手や夏の月拔身かと鞘のひかりや夏の月堀川百首にゆひもやとはで早苗とりてむとあるに雇はれて老なるゆひが田歌かな湖の水かたぶけて田植かな玉苗やけふ手よごしの二三反村居かしこくも盜人は來で水雞かな神樂岡崎の隱士高橋氏住める庵の四隅より望るところの山岳を題して、詩歌連俳の詠を集めらるよに、予は生駒山を得たり角豆とる籬のそなたや生駒山金福寺芭蕉菴再成角文字のいほりに題すかたつぶり三日月の木末に近し蝸牛ひよんの葉の落ちてありくや蝸牛罪深く夜を寢ぬ蠅や瓜の皮毛蟲這ふ背中をかしや郭索駝(1) (一)郭ニ駝はせむしの植木屋、柳宗元の種樹郭彙駝傳に本づく井華集
名家俳句集いとし子に毛蟲とりつく端居かな代官に化けて瓜喰ふ狐かな扇合に流れ來て撫子による扇かな夜歩行の露にとぢたる扇かな讀李斯傳側なる扇もくらふ鼠かな(一)暗がりへ要のはしる扇かなうた〓ねの夢想書きとる團扇哉秋ならぬ閨の團扇や君と我祇園會うす痘の見えずていとし鉾の兒酒ゆるす醫師も見えて夕涼涼しさや遠く茶運ぶ寺扈從涼しさや絹著ておはす老和尙雨後大德寺に遊ぶ涼しさやこぼれもやらぬ松の露涼しさや花屋が店の秋の草醉登高閣涼しさや遣水うつるかけ鏡涼しさや再びともす燭の下あかしに遊ぶこよろぎのいそ魚買はむ夕涼夏痩やあしたゆふべの食好み撫子に霜見むまでの暑かな水のめば腹のふくる〓暑かな(一)李斯が米倉の鼠と側の鼠と其居る所によりて幸不幸の差あるを歎ぜし話に據る暑き日の都や鯛の恥さらし金剛杖いかめしく突きならし、法螺貝かまびすく吹立て行くつらつきいと愛なし暑き日や御嶽まうでのさばき髪難波橋の邊に船泛て遊びけるに、江南江北の遊客の舟、花やかに所せきまで漕出たり我を招く玉蟲出でよ涼舟夜涼や露置く萩の繪帷子醉中葛水や王敦を憎む女ありくず水や浮べる塵を爪はじき我等亦佛子譬喩品の蟲殺さじと拂ひけり贋物のいく代めでたし蟲拂著すぐれぬ伯母の小袖や土用干工業かなしくす小姫が顏の熱病かな汗拭や左祖ぐ夏芝居あとさきに小魚流る〓〓水哉山寺や椽の下なる苔しみづ穢多村のうらを流る〓〓水かな山吹のわすれ花さく〓水哉田中勘左衞門が愛蓮は周茂叔をあざむくと聞え侍りし(一)玉蟲は源平屋嶋の合戰に扇の的を出し〓平家の美人(二)晉の王敦色を食り體を損ふ、左右之を諫めしかば直に婢妾數十人を逐ひたりき井華集
名家俳句集か茂助田に愛すともなき蓮哉いゐの香に朝氣の蓮を愛す也(一)わけ入るや浮葉乘越す蓮見舟けふもまた午の貝こそ吹きつなれひつじの歩みちかづきぬらし夕立やけふのあゆみも未申夕立やよみがへりたる斃馬白雨や水晶のず〓の切る〓音夕立や傘を借す世は情夏日雲の峰大工屋根屋を憐めり廳のおし動かすや雲の峰かげろひし雲又去て蟬の聲手に持てば手にわづらはし夏羽織忘れゐし惟子ありぬ妹が許難波梅女が母薙髮しけるよし告げこしけるに剃捨てし髪や涼しき蓮の糸夕顏や鼠葬るめくら兒萬民雨を悅ぶ喜雨亭に夕風わたる靑田哉難題を集めて探りけるに桑の實や兒にまゐらす李氏が環(二)瓜冷す井を借りに來る小家哉(一)「いる」は飯か藺か、不明(二)晉の羊祜五歳の時隣人の桑畠の中に金環を探らしめし事あり待ちうけて醫師にす〓むる甜瓜哉酢陶を水主あやまちそ沖膾夏日鳥卵の羹を愛し、冬夜鯉鮒の冷味を賞す、よろづに珍しきを好むは、長安繁華の人氣なりけらし新芋にまづ六月の月見かな夕がほやくれと呼ばる〓油賣晝顏にしばしうつるや牛の蠅孤村禰宜ひとりみそぎするなる野川哉名越の神事終れば、やがて水面に立てたる五十串を拾ひて、農家の守護となす事かねて近在の土人川岸に聚り居て、我一と爭ふ事也いぐし奪ふ人の羽音や御祓川井華集
名家俳句集梶の葉に配りあまるや女文字浪越さぬかさ〓ぎの羽や天の川事しげき女をあはれむ髪とくをせめて願や星あふ夜星合も山鳥の尾の別れ哉乙未秋十唱よみ哥をひそかに星の手向哉瘧落ちてあさがほ〓し〓の外彩らぬ切籠の總に秋の風島原や踊に月のむかし顏桔梗なら女郎花なら露にぬれてやはらかに人分けゆくや勝角力花火盡きて美人は酒に身投げけむあかつきの神鳴はれてけさの秋秋立つや宵の蚊遣の露じめり形影自相憐起き〓〓の鏡するどしけさの秋馬鹿づらに白き髭見ゆけさの秋立秋の翌庚申なりければ明けてけさ鍋の尻かく秋の聲初秋や旭出ぬ間の寺まゐり日々醉如泥今朝秋の腹に酒なしものの味乞巧奠振袖の憂をはたちや星祭乞兒かへる徑の木槿しぼみけり蟲聲非一おほとのあぶら白きまで賭にしてたうがらし喰ふ淚かな感懷松風にかなしき聲や高灯籠宵闇の氣のおとろひや高灯籠死なでわれむかしの戀を魂祭魂棚の親に見せけり錢五貫魂棚や腰ぬけどのの居はからひ攝待の茶にかき立る藥かなやぐらかたすかしなどは聞きなれたる手なるを、著聞集に古き名の見えたるぞいとゆかしことし又きやつに勝れな腹くじり御相撲や五年前見し美少人(三)い胸あはぬ衣かづきけり角力取關取や妻は都のをみなべし遊高臺寺萩に遊ぶ人たそがれて松の月御しのびの下山や萩のから衣荻の風北より來り西よりす優妓中村鯉長はかねて佛の道に志深く、四天王寺の邊に終の栖をもとめ、柴の戶に明くれか〓る白雲を、い(一)美少人は美少年と同意井華集
名家俳句集つ紫の色にぞなさむといへる法然上人の御詠歌を念じつ〓、終にめでたき往生の素懷を遂げたり、彼が所緣の者追悼の句を求めけるに紫に見よや桔梗を手向草きちかうの露にもぬれよ鞠袴蕣や稚き足に蚤のあと蕣や恪氣せぬ妻うつくしき朝いする人をおどろかして蚊屋はづせ蕣の花の赤む程に鉢植の蕣も見ゆれ檜垣舟ある人の別墅にて葉がくれに蟲籠見えけり庭の萩おもかけの幾日かはらで女郎花生添ふや小松が中のをみなべし伊勢のつと入といふことを頓入りて望一に誰とさ〓れけり(1)市に隱る二百十日はきのふなり島原や躍に月の昔顏又平が畫もぬけ出でて躍かなふり付の飯くひこほす躍かなつ〓み合ひし夫婦出くはす躍かな電光石火の世を觀ずる人あれば、戀慕の闇に身を惑ふものあり(一)杉田望一は山田の人、盲人にして俳諧をよくす、寛永七年歿稻妻やみそか法師は老なりき稻妻や隣の藏も修覆時稻妻や壁を迯げさる蜘の足雨後稻妻や空にも雲の忘れ水稻妻や山城の山河内の河稻妻のをさまるかたや月の雲鬼貫五十年懷舊淋しさのとし〓〓高し花す〓きC刈取りてもとのみだる〓薄哉東城より歸さ、しらすかふた河の際より、松間の不二をかへり見る所あり伸上る富士のわかれや花す〓き朝露や膝より下の小松原夜坐閑蟲の聲草のふところ離れたり鳴神のたえ間や夜半のきり〓〓す蘭の香や雜穀積みたる船の底蘭を愛す賓主の座いまだ定まらず寓居園中十三唱之内物しらぬ妻と撰ぶや蟲の聲今借した提灯の火や草の露旅せよと我背にあまる藜かな稻荷山とんほうに螽飛びかつ朝日かな(一)鬼貫の「面白さ急には見えぬす〓き哉」の句によりていふ井華集
名家俳句集古墳添新土なき人のしるしの竹に蜻蛉哉燒捨の人のむくろに秋の風つり鐘に椎の礫や秋の風秋風や捨てば買はうの越後縞たかうなを握りもちてとい(一)へる兒とは、またやうかはりにたれど露草や家中の兒の剃りこかし朝霧や施米こぼる〓小土器朝霧や二人起きたる臺所霧こめて途ゆく先や馬の尻霧深し何呼ばりあふ岡と舟八月十四日新居會八九分に新酒盛るべし菴の月待宵をたゞ漕行くや伏見舟月前懷古名月や朱雀の鬼神たえて出ず新月に蕎麥うつ草の菴かな水ばなに月澄み渡るひとり哉湖上名月や辛崎の松瀨田の橋靑樓曲二句名月や金でつらはるかくや姫月今宵やり手が歌の昔ぶり送夕陽迎素月(一)源氏橫笛の卷に、兒の笋を握りもちて食ふ樣を寫せり草の戶や秋の日落ちて秋の月まつ毛にも露おく秋や夜半の月〓夜の吟うち曇る秋は多けれ月今宵名月や蟹のあゆみの目は空に良夜雨見ぬ月の千々に悲しき雨夜かな(一)船頭と月見あかしや肴きれ淺河や月をよけ行く步わたり駿府の旅寢を思ふ名月に富士見ぬ心奢かなわかのうらゆく月や國なきかたに田鶴の聲欠して月ほめて居る隣かな待宵は曇り良夜は雨を帶びたり十六夜は雲一つなき寒さ哉十六夜や闇より後の月の雲十六夜やかざめを迯す汐がしら悼太祇十六夜やひとり缺けたる月の友臥待月の夜湖邊の水樓に遊びて月しろや金の波をまくら上黑谷の初夜きく月の野川哉返照らす有明の月や小便所(一)「月見れば千々に物こそ悲しけれ」の歌(二)「かどめ」は蟹の一井華集
名家俳句集戀夜べ逢ていとどなつかし秋の暮何いそぐ家ぞ火とほす秋の暮かなしさに魚喰ふ秋のゆふべかな旅思馬下りて馬夫がわかれも秋のくれ朱をそ〓ぐ入日の後は秋の暮衣著よと母の使や秋のくれ述懷老いそめて戀も切なれ秋夕白箸の翁といへるものは、元政上人の隱逸傳にも見え侍りしかたうがらし賣る白頭の翁かなうき旅や酒に擲つたうがらし待戀幾度か磁うちやむよそごころ人妻の隣うらやむきぬた哉熟柿の落ちてとばしる砧かな遊子ひとの國にや〓馴る〓夜の砧かな比叡に通ふ麓の家のきぬた哉指うちてしばらくとやむ砧かな行く舟に遠近かはるきぬた哉仁和寺や門の前なる遠碪衣うつよ田舍の果の小傾城矢背の竈風爐にある人を訪ひて養生の夫婦別在り鹿の聲西行上人の世にこのもしき住居なりけりとよみ給へるに柴の戶のいやしくもあらず鹿の聲戀ひ〓〓て田に踏みかぶる男鹿かな月となり闇となりつ〓鹿の戀旋轉俯仰發揮我巨巨之聲聲韻不凡立ちされば五歩に聲ある添水哉案山子から苗一筋や秋の雨草取りし笠の辛苦をかゞし哉田疇荒蕪燒帛のけぶりの末に野菊哉あし早き雲の蹴てゆく鳴子かな早乙女も引板曳く秋となりにけり題美人ことし米西施が胸につかへけり馬わたす舟にこほる〓や今年米聟入に樽提げて來る新酒哉駒迎當時の歌仙誰々ぞ源氏物語をよみける折ふし物のあやも暮れて猶吹く野分哉かなしさも破れかぶれの野分哉井華集
名家俳句集野分の夕杜子美が禪はづれけり乞食にも臥戶のあればのわきかな雨風の夜もわりなしや雁の聲題雁字きれ〓〓の雲や雁ゆく五字七字米蹈の腹寒き夜や雁の聲井伊殿の御拳見ばや小鷹狩落鮎や畠もひたす雨の暮今は身を水に任すや秋の〓澁鮎を炙り過ぎたる山家哉(二)捨る程とれて又なし江鮭鶉わたる桂のあした加茂の暮信濃路を過るに駕舁は畠ぬし也蕎麥の花花そばや立出て見ればましろなる二三升蕎麥粉えまほし我畠花か穗かもみぢか蓼の紅は山河の野路に成行くや蓼の花九日けふの菊秋の泣顏洗ひけり太刀持の背中に菊の日なた哉愛菊掛乞に八日の菊を見せにけり不遠慮に公家の來ますや菊の宿菊を見つ且後架借る女かな酒を出すうしろの音や菊畠(一)秋になりて鮎の長じて背に錆色の斑紋生ずるを澁鮎とも錆鮎と秋悲し白菊の色に染む事田家今いぬる隣の客に門の菊此隣菊に琴彈く門徒寺丸盆に白菊を解く匂かなわざくれに小菊買ひけり宵藥師雲母阪を下りに手折り捨る山路の菊のにほひ哉紫に似ずてゆかしき野菊かな時雨のいそぎに此夜の月も曇勝なれば空暗し月やもひとつ牛祭秋の月千々に心を碎ききてこよひ一夜にたへずもある哉月にたへぬ今宵ひと夜の寒かな蕪叟判句合後シテの面や月のやせ男加賀の千代尼身まかりしと息白鳥よりせうそこせしかば來る雁にはかなき事を聞く夜哉二柳が東行に椎の實の落ちて音せよ檜笠芭蕉菴にて白露の百歩に茸を拾ひけり井華集
名家俳句集紅茸やうつくしき物と見て過る嵐山一周忌鴫立てひととせふりぬ此ゆふべ夕まぐれ鴫立つ澤の忘れ水思ひいでても袖はぬれけり慈鎭和尙蕪翁と曉臺が湖南の旅舍に遊ぶ太平さす月もあな冷じの九月〓後苑ひとりはえて一つなりたる瓢かな夕風やしぶ〓〓動く長ふくべ草枯れて人にはくずの松むしよ渭堤の輻湊亭に東行の離盃をとりて殘菊にさめじと契る欝金香草菴を立出るとて歸來る日も松に見よ月の秋於粟津芭蕉堂薙髮稻刈て麥に田がへす我世哉大魯判句合瘦臑に落穗よけ行く聖哉しばらくは北へ流れつおとし水亡父二十五囘法會 小序略雨露の舍あればぞ法の秋由男が舞臺納に色かへぬ松のはれ着や蔦紅葉山莊手折り置きし紅葉かげろふ障子かな桂州和尙の隱栖を尋ねて何の木ぞ紅葉色こき草の中さながらに紅葉はぬれて朝月夜遊仁和寺君知るや花の林をもみぢ狩梅ケ畑といふ山里にて薪樵る山姫見たりむら紅葉高雄山二句よし野の櫻は一目に千もとの花を見そなはす一もとのひとめに餘る紅葉かな紅楓深し南し西す水の隈長月の末木會の溪に分け入るに、丹山碧水羇旅の目をよろこばしめ、將また迅速の感をなさしむかけはしにけふも翌ある紅葉かな周防國より、信州へわたる天產僧と同行して途中に別るとてわかれ路や草の錦を裁おもひ鳥居嶺橡の木の秋を剝がるよ嵐かな井華集
名家俳句集朝寒に鉈の刃にぶき響かなあさ寒や水曜ふ家まだ起きず咳く人に素湯まゐらする夜寒かなめかれたる松茸市の夜寒哉不淨說法したる、(1)僧にはあらで市に出るひら茸うりは法師かな茸狩の柴に焚る〓さくらかな倣七步詩柚を燒くや味噌は釜中にありて泣く柿割て君思ふやのうら問はむ懷古むかし誰この堀越えし鴨脚ぞも出づるかと妖物を待つ夜長かな秋聲逢阪の町や針〓ぐ夜半の秋忘られし女の暫く北嵯峨のしるべに身をよせゐしに妓王寺へ六波羅の鐘や夜半の秋長月三十日須磨の浦づたひしてはる〓〓と來てわかる〓や須磨の秋更科姥捨の邊に杖曳きけるは九月盡の日なり月の夜を泣き盡してや果の秋あはれことしの秋もいぬめ(一)字治拾遺物語卷丹波國篠村平茸生の事の條を見より勾當の身をなく宿や暮の秋蕣に鶯見たりくれの秋醫得眼前瘡劍郤心頭肉行く秋や五月に糶しことし米冬を待つといふ題にて小鍋買て冬の夜を待つ數奇心
名家俳句集錦織る家見によれば時雨かな梅の樹の容すはつしぐれ疊屋のいなでぞありぬ夕時雨芭蕉忌俳諧に古人有る世の時雨かな(一)義仲寺枯れ〓〓て光をはなつ尾花かな東武にありて深川芭蕉菴の正當會にあふ(三)ばせを忌や木曾路の瘦も此ためぞ善光寺の路人が家に客と成て、か〓る尊き御佛の邊近く旅舍せし因緣の有難さに初しぐれ今日庵のぬる〓程野風ふく室町がしら初時雨吹上るほこりの中の初時雨信濃の文兆がタ陽樓にて雪見ゆる峯を隱して初時雨難波女の駕に見て行く時雨かな遊金福寺しぐれ過ぎて草に落ち來ぬ松の風杉たつる門に蚊の鳴く時雨かな羽織著て出か〓る空の時雨かなしぐる〓や南に低き雲の峰ゐなかうど西陣に伴て(一)芭蕉が「俳諧に古人なし」といひし語を取る(二)芭蕉「木曾の瘦もまだ直らぬに後の月」朝每の法や旅寢の一大事布子きて嬉し顏なる十夜哉藪寺や十夜のにはの菊紅葉上京や月夜しぐる〓御妙講春坡が小松谷の別莊に遊て紅葉ちるこのもかのもの忘れ花散りはてぬ紅葉もあるを冬の梅稻妻の見えし夜あけて歸花愚なる僧の祈りや歸花蓼太と東海寺に遊ぶ澤菴をやらじと門の紅葉ちる東叡山下りざまに又鐘きくや冬もみぢ天府公侍座しぐれ來て園の錦をふむ日哉のどかさに落ちもさだめぬ落葉かな迯足に落葉踏み行く烏かな此風の夏は吹かいで落葉かな草庵二度までは箒とりたる落葉かな伏水下村氏にて日の影の枯枝に配る落葉かな大村鶴汀興行元服の面起すやえびす講貞柳が歌よまぬ日や夷講淺草寺前紫陌紅塵井華集
名家俳句集十月の春吹く風や海苔の屑三阿法師が喫茶會に招かれしに、あるじの風流有馬涼及の趣にさもにたり口切の菴や寢て見る隅田川成美あるじして、墨水の流に舟を泛ぶに、冬枯のけしきいと閑に、幽懷却客情を惱す我舟におもて合せよ都鳥闇を鳴く沖の千鳥や飛ぶは星水鳥や墓所の火遠く江にうつる野の池や氷らぬかたにかいつぶり春坡興行に影うつる鴛のふすまやよばひ星貫之が船の灯による千鳥かな明石の浦浪夕陽に映じ、淡路島山咫尺にあり夕衞手にも來るかと淡路島鎌倉の袖が浦にて裾ぬる〓浪や七里が濱千鳥えのしま霜いたし草鞋にはさむうつせ貝不騫公へはじめて召されけるに季吟芭蕉其角の三筆を御床にかけられたり俳諧の三神こ〓に冬籠書棚に鹽辛壺 や冬籠さかしらいふ隣も遠く冬籠長繁八尺空自長短檠は二尺のもので冬籠自悔冬の夜や我に無藝のおもひありまらうどに炭挽く姿みられけり碧雲引風吹不斷白花浮光凝碗面茶の花の香や葉がくれの玉川子茶の花に喜撰が歌はなかりけり對漆翁紹朴爐びらきや紅裏見ゆる老のさび口きりや此寒空のかきつばた白石城主君の御需により二見文臺のうら書をつかうまつりし御報いに竹島といふ所の竹をもて爲に製せさせ給ふ花器を給はりけり、はた松島と申す銘字御名判等も御染筆のよしきこえさせ給ふにいと有がたく頂戴し侍るわが庵ににほひあまるや冬牡丹水落石出井華集
名家俳句集冬川にむさきもの啄む烏哉初霜や烏を懼すからす羽に初霜や野わたしに乘る馬の息舟慕ふ淀野の犬やかれ尾花芝泉岳寺懷古石寒し四十七士の霜ばしら尾上鐘此鐘や袖が摺てもさゆるなり紙衣著ていろは〓る御僧かな(三)遠く遊ぶ子に囉ひたる紙子かな四つに折て行李にあまる衾かな戀恨寢の蒲團そなたへゆがみけり疊むとて主客爭ふふとん哉晝も見るつれなき人の蒲團かな花美を好む老人の剃髪したるに丹頂の頭巾似あはむ霜の鶴箱根にて關越えてうれしく被く頭巾かな少年行頭巾くれし妹がり行く夜〓ふる頭巾懶く切られし髪を懷におちぶれて關寺謠ふ頭巾かな頭巾著し戲男うつる鏡かな紅閨の足につめたき頭巾かな野行皆に比叡のはなれぬ寒かな明ほのやあかねの中の冬木立冬木立月骨髓に入る夜かな草の葉の霜より明けて山かつら結構な天氣つゞきや草の霜海寶禪寺鶯のうしろ影見し冬至かないまそかりし師の坊にあふ枯野かな鰒喰ひし犬狂ひ臥す枯野かな皮剝の業見て過る枯野かな大佛を見かけて遠き冬野かな大根引といふ事を水風呂の貝ふくまでや大根曳大根引こ〓ら畠の字かな淺間の麓を通りけるに、燒亡の後三とせの春秋を經けれども、木草生ぜず、大石なども灰にうもれて、うすひ峠を越すに、駕かく者の申しけるは、一丈ばかりも下に赤き土の見え侍る邊りぞ、其昔の道なりと、田畑などは燒砂を高く搔きよせたる儘にて、只徒に茫々たり土までも枯れてかなしき冬野かな井華集
名家俳句集柏山眺望こがらしや三つに裂けたる筑摩川凩にあらそふごとし鐘の聲慶子上京に顏見せや北斗に競ふ炭俵顏見せや矢倉に起る霜の聲江戶にて顏見せやしばらく冬の初日影煎蠣に咲くや此花蕗のたう鰒を煮る汁なむ〓〓とこぼれけり河豚好む家や猫までふくと汁燈下獨酌煮凍や精進落るかねのこゑ煮氷やもろく折れたる萩の箸活きて居るものにて寒き海鼠かな敏馬浦客中瘦葱にさかな切込む磯家かな砂を吹く家の棟川や冬颪島田の千布は驛吏なりければ、臺輿など下知して嚴重に大井川の岸まで送らるやすき瀨や冬川わたる鶴の脛金谷の庄家河村氏は古舟といへる俳士にて、曾祖父は如舟といふ、芭蕉翁の門人なり、一とせ嵐雪此家に泊(一)夫木集十八「初雪にしるしのさをは立てしかどそことも見えぬ越のしら山」りて、大井川に舟ある如し花の雪といふ句を殘せりとぞ、予もせちに留められて鵠の霜の一夜をやどり哉駿府の時雨窓に三日杖をとどめて、一夜葛人が樓上に更るまで酒うちのみて沖津鯛冬の山葵もたゞならね熱田奉幣馳折をしばらくおろす神樂哉夜神樂や水沸拭ふ舞の袖葬大魯人をして哭しむ霜のきり〓〓す初雪のしるしのさをや草の莖(1)初雪や靑物市のよめがはぎ甲辰冬別莊におの〓〓を招き一夜俳諧催しけるに、明方より初雪の降出ければ幸のこぼる〓雪や草の戶に商人のよき藏いやしけさの雪恐是五侯家誰門ぞ雪に寢ぬ夜の魚の骨盤銅の火は炎々と雪見かなイめば猶ふる雪の夜道かな原驛富士に添て富士見ぬ空ぞ雪の原薩埵峠望嶽亭井華集
名家俳句集晴る〓日や雲を貫く雪の富士鮮き魚拾ひけりゆきの中畫賛鳥羽殿へ御歌使や夜半の雪(一)池水にかさなりか〓る深雪かな駕の戶の右も左も深雪かないたく降ると妻に語るや夜半の雪靑樓曲二日見る雪の迎や手代ども倣古今集物名茶莨菪(三)しなのぢや小田は粉雪に蕎麥畠題田家柊の角をかくすや今朝の雪旅人に我糧わかつ深雪かな歸樂孝子を養て老の後を樂まる〓を竹に寄て壽くとて杖となるたかうな得しや雪の中浪速人手飼の犬を亡ひしを深く惜みて、追悼の句を乞ひけるに足跡の梅花なつかし雪の朝古硯銘鈍きものまづ氷るなる硯かな題墨平仲が空泣をかしうす氷出づる日や風に吹る〓薄ごほり(一)蕪村「鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな」(二)莨菪はタバコかたぶきし水彌氷る鹽かなわきも子が油こほれり玉櫛笥郊外寒き野を都に入るや葱賣春秋をぬしなき家や石蕗の花炭屑に小野の枯菊にほひけり苦哉名利人樂矣乞兒身から鮭に名利のあぶらなかりけり乾鮭や挽けば木のはし炭の折去來七十年忌まねし人のゆかしや夜半の鉢叩(1)戀凍え來し手足うれしくあふ夜かな胼の手を眞綿に恥る女かな樗良が僑居を訪てうづみ火を手して掘出す寒かな妻の留主に煮凍さがすあるじ哉辭義をして皆足出さぬ巨燵哉夜著かけて容いぶせき巨燵かな朔日や聟殿わせてたまご酒納豆汁必ずくる〓隣ありおの〓〓の喰過ぎ顏や鯨汁むつかしと今宵はやみぬ藥喰藥喰おぼつかなさに人誘ふ鳴海の千代倉が門前を乘打すとて(一)去來「籌くせまねても見せん鉢叩」井華集
名家俳句集六一四盃は預けおくなり冬の梅所思桑名にて白魚やさぞな都は寒の水寒月や行ひ人の赤はだか寒月に照りそふ關のとざし哉寒聲やあはれ親ある白拍子寒垢離やひととせ見たる角力取畫讃守武の水沸おとす火桶かな火桶抱て草の戶に入るあるじ哉駢拇の身を墨染や桐火桶CI足袋賣の聲うち曇る師走哉水仙にたまる師走の埃かな英が畫に枯尾花醜き小町臥りけり酒を聖賢として口がしこき男あり師走ぞと呵る妻あり舌ありや餅搗の日も幸齋が茶の湯かな醉李白師走の市に見たりけり亡父大祥忌佛の三とせをいだく帋衣かな同十三周月雪に集めてかな し筆の物右は其雪影集に遺句七十餘をもて、百韻を綴りし意を(一)際拇は足の大指と第二指との連りたる畸形をいふ、「墨染」原本「黑染」とあり、今改む述侍る也同二十五囘寒月にうつし見む我かこち顔哭亡師終焉記略之から檜葉の西に折る〓や霜の聲同期年おこたらぬ月日の數珠や一廻り松浦公甫還暦賀寄松祝松千とせ算へもどせや古ごよみ人住まずなりぬはしらの古曆老懷わかき人に交りてうれし年忘除夜靑樓に遊ぶ年かくすやり手が豆を奪ひけり醉て寢た日の數々や古曆うそ寒う晝飯くひぬ煤拂行く年や古傾城のはしり書年のくれさる御方へ招かる〓春屆く文した〓めつ年籠大路のさま松立て渡し、行きかふ人のあわたゞしげなる中に、家々の神わざいとまめやかに見ゆるぞ、又なくめでたき心地せらる年一つ老行く宵の化粧かな八十の老に親あり年木樵井華集
名家俳句集跋昔の五元集は其角先生自撰びみづから淨寫して匣底にありしを傳へて人の祕藏し侍りし也。さるを年經て延享の比旨原なる人乞得て梓行し、世にあらはれしものなりとぞ。夫よりかみつかた、あるは今の人も家々の句集すくなからずといへども、多くは後人の意に預る所にして、晉子自撰の如き花實配當變化自在なるは彼五元集を權輿と謂ひつべし。吾師や春夜といひし弱冠の比より蕉門の深きを探り、晉子のひととなりを慕て筆意を摸し風韻を學ぶの志大なりしかば、彼五元集に倣ひ家の集を筆記せり。人たま〓〓乞ひて閱せんことを望めば、師云、いまだ稿を脫せず、自得の期を待つべしと。余其春秋を待つに日あらむことを歎じ、しきりに勸めて先づ初編を木にゑらせ、三都の書肆に託す事とはなりぬ。し下村氏春坡平村氏杜栗書識寛政元年己酉春門人夜半亭藏板春泥發句集
抑維駒父の遺稿を編集して、余に序を乞ふ、序して曰、「余會て春泥舍召波に洛西の別業に會答て曰、俳諧は俗語を用て俗を離る〓を尙ぶ、俗を離れてす。波すなはち余に俳諧を問ふ、答て曰、かの何がしの禪師が隻手の聲を聞けといふもの、俗を用ゆ、離俗の法最もかたし、則ち俳諧禪にして離俗の則なり。波頓悟す、却て問ふ、叟が示すところの離俗の說、其旨玄なりといしかじ彼もしらず我其旨玄なりといへども、なほ是れ工案をこらして、我よりしてもとむるものに非ずや、もしらず、自然に化して俗を離る〓の捷徑ありや。答て曰、あり、詩を語るべし、子もとより詩を能くす、他にもとむべからず。波疑て敢て問ふ、夫詩と俳諧といさ〓か其致を異にす、ル〓答て曰畫家に去俗論あり、曰畫去さるを俳諧をすてて詩を語れと云、迂遠なるにあらずや。答て曰畫家に去俗論あり、俗無他法、多讀書則書卷之氣上升市俗之氣下降矣、學者其愼旃哉、それ畫の俗を去るだも筆を投じて書を讀しむ、況や詩と俳諧と、何の遠しとする事あらんや。波すなはち悟す。或日風調を異にす、いづれの門よりしてか、其迂遠なるにあらずや。それ畫の俗を去るだも筆を投じて書を讀しむ、況や詩と俳諧と、波すなはち悟す。或日又問ふ、いにしへより俳諧の數家各〓門戶を分ち、風調を異にす、春泥發句選
名家俳句集堂奥をうかゞはむや。答て曰俳諧に門戶なし、只是俳諧門といふを以て門とす、又是畫論に日、諸名家不分門立戶、門戶自在其中、俳諧又かくのごとし、諸流を盡して、これを一囊中に貯へ、みづから其よきものを撰び、用に隨て出す、唯自己の胸中いかんと顧るの外他の法なし、しかれども常に其友を撰て、其人に交るにあらざれば、其〓に至ることかたし。波問ふ、其友とするものは誰ぞや。答、其角を尋ね、嵐雪を訪ひ、素堂を倡ひ、鬼貫に伴ふ、日日此四老に會して、はつかに市城名利の域を離れ、林園に遊び、山水にうたげし、酒を酌て談笑し、句を得ることは、專ら不用意を貴ぶ、如此する事日々、或日又四老に會す、幽賞雅懷はじめのごとし、眼を閉ぢて苦吟し、句を得て眼を開く、忽ち四老の所在を失す、しらずいづれのところに仙化し去るや、恍として一人自イむ、時に花香風に和し、月光水に浮ぶ、是子が俳諧の郷なり。波微笑す、つひに我社裏に歸して、句を吐くこと數千、最も麥林支考を非斥す、余曰麥林支考其調賤しといへども、工みに人情世態を盡す、さればま〓支麥の句法に倣ふも、又工案の一助ならざるにあらず、詩家に李杜を貴ぶに論なし、猶元白をすてざ日、るが如くせよ。波曰叟我をあざむきて、野狐禪に引くことなかれ、畫家に吳張を畫魔とす。支麥は則ち俳魔ならくのみ。ます〓〓支麥を罵て、進て他岐を顧みず、つひに俳諧の佳境を極む。をしむべし一旦病にふして、起つことあたはず、形容日々にかじけ、湯樂ほどこすべからず、預め終焉の期をさし、余を招て手を振て曰、恨らくは叟とともに流行を同じくせざることをと、言終て淚潜然として泉下に歸しぬ。余三たび泣て日、我俳諧西せり、我俳諧西せことをと、60右のことばは夜半茗話といふ册子の中に記せる文なり。夜半茗話は余が几邊の隨筆にて、多くもろ〓〓の人と討論せしことを雜錄したるものなり。しかるに其文を其ま〓にて、此集の序とするはまことに故あり、此文を見て波子が清韻洒落なるや、其ひととなりを知て、その句のいつはりなきことを味ふべし。かの虎の皮を引きかうたる羊に類すべからずといふことを、洛下の夜半亭に於て、六十二翁蕪村書。于時安永丁酉冬十二月七日春泥發句選
名家俳句集春泥發句選福壽草ひともとはかたき荅や福壽草鏡開うれしさや養君のかゞみ割學寮や祖師の鏡のあぶり喰寶引羽子板寶引の味方にまゐるおとな哉羽子板の一筆書や内裏髪猿曳年玉猿曳の村へ來たるよ呼子鳥とし玉や抱きありく子に小人形年だまやわび寢の菴の枕上若菜春之部元旦こと〓〓く申は盡きじ花の春(一)けさ春の氷ともなし水の糟春たつや靜に鶴の一步よ、り素袍著た酢賣出こよ花の春等持院寓居の頃元日や草の戶越の麥畠元日雪ふる野一遍雪見ありきぬ雜煑腹(一)「申はは「申さば」と讀むべきか春泥發句選
名家俳句集小わらはの物は買ひよき若菜哉ほと〓ぎす渡らぬさきに薺哉御飛脚の堀河出てなづな哉野老ところ掘おのれが髪も結ふる(一)梅此日ごろ梅にながる〓野河哉宦高き人のにがみや梅の花うめ生けて是より瓶の春いくつ梅白く藪の綠にさす枝かな梅ぼしの酒しほす〓め寺の梅梅折て斜にし見る木曲哉梅の月源氏の噂女房連御室の僧梅花一枝をたまふ衣裡よりも得たりかしこし梅の珠(二)梅折れば先づ夕月のうごくなり醍醐出て二度に囉ひぬ梅二本二日目に葛家は成りぬうめの花伏見鶴英、任口上人の眞跡を惠みければ短册と伏見の梅を一荷かな梅の花美人來れり漸二更咄されぬ梅のあるじや道心者歸るさの棒の片そぎ梅の花柳さし柳五尺の春を見せにけり(一)「結ふる」は「むすぼふる」と讀むべきか(二)法華經に、無題の寶珠を衣裏にかくる喩五條まで舟は登りて柳かな靑柳や堤の春のいく所かたり合いかにもそこの柳哉椿我庭を瓶に憐む椿かな里の子が拾ひ首する椿かな落ちなむを葉にが〓へたる椿哉黃鳥鶯につめたき雨のあした哉うぐひすの聲あはせけり春の奥鶯の聲は戶にあるあした哉うぐひすや銅蓮水を湛へぬる無人境うぐひす庭を歩りきけり御忌八郡の空の霞や御忌鐘土筆獨活つく〓〓しほうけては日の影ぼうし子爼ばしやかづき上げしはうどの線所思土筆經木のか〓る河邊かな東風餘寒東風うけて川添行くや久しぶり飮、過ぎた禮者のつらへ餘寒哉いかづちの後にも春のさむさ哉思ひ出て藥湯たてる餘寒哉からびたる竹の寒さや春いまだ春泥發句選
名家俳句集自悔四十にも餘る寒さやものの悔底た〓く音や餘寒の炭俵霞望汐の遠くも響くかすみかな日三竿雨になり行く霞かな波の寄る小じまも見えて霞哉海苔若鮎生海苔の波打際や東海寺點々と折敷に見せる小鮎哉汲鮎や靑山高く水長し柴にとる海苔大分も見えぬなり朧月おぼろ月獺の飛込む水古し我影や心もとなき朧月田薗の趣更におぼろ月土とりのあとの溜りやおぼろ月囀春風囀に獨起き出るや泊客撫であげる晝寢の顏や春の風紙鳶暮れか〓る空をかこつや凧里坊に兒やおはしていかのぼり朝東風に凧賣店を開きけり此糊のひる間過せよいかのぼり紙鳶買て子心ぞ憂き雨つゞきいかのほり遠まさり行く反古哉白魚白魚に餘寒の海や伊勢尾張(一)しらうををめづるや老のうん呑にしら魚やつきまとはる〓海の塵蛙こもり江や雲母うく水に啼く蛙西行の席さわがしき蛙かないづちともなくや蛙の在所はじめから聲からしたる蛙哉江の蛙生駒の雲のか〓るなり猫戀木づたひにいどみより來ぬ猫の夫思ひかね夜べ寢ぬ猫の眠哉よく見ればこはる〓妻やこちの猫歸雁あた〓かな雨間を雁の呼ぶ夜哉沖に降る小雨に入るや春の雁北ぞらや霞みて長し雁の道燕古き戶に影うつり行く燕かな酒簇につばめ吹るよ夕かな幢の佛間へ這入る乙鳥かな蜆みづうみの淺瀨覺えつ蜆取和海藻(一)「うん呑」は鵜呑
名家俳句集わかめ刈る乙女に袖はなかりけり春深く和布の鹽を拂ひけりわかめ刈竹枝のことば習ひけり蕗臺酒いたく呑てをかしや蕗の薹晉人の味噌の洒落や蕗のたう梅生けて根じめに折るやふきのたう初午二日灸初午や足ふまれたる申分鴛の衾に二日やいとかな涅繫天人の肘に泪やねはん像悼北邑幸順苦き手の其人ゆかし蕗のたう木芽山葵大原や木の芽すり行く牛の頰蕎麥打てば山葵ありやと夕哉おもしろうわさびにむせぶ泪哉摘草摘草やいとはしたなき包みもの蕨さし木野の河や蕨さはしてひたしもの古箸に人をよけたるさし木哉雀子雀子や書寫の机のほとり迄人の手に巢へ戾されつ雀の子雀子や並び居つ〓も黃なる觜畑打瘦脚や畑打休む日なたほこ蝶地車に起行く草の胡蝶哉はかなしや蝶の羽染むる鳥の糞屋根ふきのあがれば下る胡蝶哉上巳雛の宴天井に雲畫せむ曲水に病後の僧の苦吟哉曲水や江家の作者誰々ぞ有常は娘育て〓家の雛雛の宴五十の內侍醉はれけり桃花盃疊のうへを流るめり雛店に彷彿として毬かな鷄合鷄合左右百羽を分ちけり暹羅がしは桃花の雨のみだれ哉鶤のしわがれ聲に名乘りけり桃劉阮の桃に泊るや撞木町風呂に見る早き泊りやも〓の花立ちよりて苣な荒しそ桃の花雲雀庵室や雲雀見し目のまくらやみ島原に田舍の空や夕ひばり春泥發句選
名家俳句集耕耕に馬持てる身のうれしさよたがへしやいづこ道ある谷の底耕や矢背は王氏の孫なりと十津河や耕人の山刀田螺鳥巢片口のわぶと答へよ田にしあへ泥澄みてそこらに見ゆる田螺哉鳥の巢や誰か髪もじの一摑此殿の古巢たづねつ鳥二つ花櫻舟橋の勅使まうけや花の雲定りの花見の日あり家の風侘人の虱盡して花ごろもいで花に君粮包め我は酒花のため家に釀する主かな哀れなる痩地の麥や花の道嵯峨にて材木の上にあらしや山櫻むかし道見上げて過ぎぬ山櫻北谷は南谷はいま山ざくらやま櫻うつほに折て歸るなり須磨寺のめしのけぶりや山櫻晩望燒火かと夕日の藪や花に鐘落つる花ひとかたならぬ夕哉莖ながら雨の日頃や落つる花菴の雨花相似ざるきのふには御室にて仁和寺やあしもとよりぞ花の雲脫ぎかけの袖や花見る舞子どもことしまた花見の顏を合せけり西陣や花に夫婦のにしめものいとゞしく花に怠る箒かな花踏て戾る公卿の草履哉その寺の名はわすれたり糸櫻さくら狩古き手代や飯奉行遲櫻驗なる聖住みおはす(二)壬生念佛山吹やいはでめでたき壬生念佛御身拭御影供乘物で優婆夷も來るや御身拭北面の御堂かしこし御影供人丸忌石見のや月も朧の人丸忌出代養父入出代や人の心のうす月夜やぶ入の枕うれしき姊妹養父入や行燈の下の物語山吹折ればちる八重山吹の盛かな山ぶきや雨水ひかぬ地のひくみ(一)源氏若案の北山ごもりの面影春泥發句選
名家俳句集苗代宵月や苗代水の細き音里の犬苗しろ水を啜りけり松遠し苗代水に日の當る春夜春の夜や足洗はする奈良泊春の夜』もかたぶく月や連歌町春雨春雨や野老喰うて見る女あり最前に起きてもよきを春の雨文ぬれしことわり言ふや春の雨迎待つ母よ娘よはるのあめ春の雨あるじは猫でおはすなり春雨や財布ぬらして節句前春さめや暮を約せし妻戶口はるさめや谷の古葉も流出づ春雨の泥や棧敷の階子まではるさめや柳の雫梅の塵春雨に鐘のうねりや障子越春水しづかさや雨の後なる春の水玄水七十賀まな鶴をほとりの友や春の水探題春燈春の燈油盛りたる宵の儘春深く部に透るともし哉蠶浴して蠶につかふ心かな月更けて桑に音ある蠶かな雉子背のひくき木瓜に身を置く雉子哉(1)いで其頃竹拔五郞きじの聲菜花菜の花の道行人の岡見哉なのはなや此邊までは大内裏菜の花に春行く水の光かな躑躅白雲の根を尋ねけり岩つ〓じ莟には皺を見せたるつ〓じ哉陽炎かげろふや燃えてはしさる物のひま陽炎に兎出てゐる檜原かなかげろふを搔出す鷄の距哉陽炎に美しき妻の頭痛かな(11遲日遲き日を追分ゆくや馬と駕枕して遲き日を行くのぼり舟寒食寒食や饐に馴れたるひとり住爐塞爐ふさぎや旅に一人は老の友物くさく爐塞くとしも見えぬなり(一)蕪村「木瓜の陰に額たぐひ住む雉子かな」(二)蕪村「水仙や美人かうべを痛むらし」春泥發旬選
名家俳句集爐塞て主をかしや力あし爐ふさぎや招隱の詩を口ずさむ藤しら藤や奈良は久しき宮造白藤や開帳前のひらき道なつかしき湖水の隅や藤の花()藤棚や小詰役者の草鞋がけ春暮晩春橋守の錢かぞへけり春夕大原の千句過ぎたり春の暮公家町や春物深き金屏風ゆく春やいづこ流人の迎舟狩倉の矢來出來たり暮の春春をしむ人や落花を行戾りたんぼ〓もけふ白頭に暮の春ほし衣も暮行く春の木の間哉行春に流しかけたる筏かな題鞍馬ゆく春のとゞまる處遲ざくら(三)鷲尾は親子住み居て春をしむ八專の空たのめなくゆく春や野に山に閑人春を惜みけり(一)小詰は俳優の下等(二)蕪村「行春や逡巡として遲櫻」遣唐のいとま賜ひぬ更衣更衣ひそかに綿を著します親殿の御物めかしや更衣リ馬場騎の背中ふくる〓袷哉うのはな卯の花や茶俵作る宇治の里CI卯の花に貴舟のみこの箒哉うのはなやかきあけ城の湛水桐花茨道のべの低きにほひや茨の花逞しき葉のさまうたて桐の花ぎやう〓〓しぎやう〓〓し日高に著て伏見哉夏之部郭公あかつきの一言ぬしや時鳥烏帽子にも耳は出づるよ子規ほと〓ぎす我も都のうつけ哉(二)今宮の煤掃しばし郭公貧乏性いたゞく星や蜀魂うぐひすの箱根や伊豆の子規ことかたを歩行て訪ふや杜宇ほと〓ぎす啼くやあふみの西東ほと〓ぎす夜もいろ〓〓の物の音更衣(一)宗鑑、「かしがまし我里過ぎよ時鳥都のうつけいかに待つらん」(二)蕪村「卯の花や貴丹のみこの練の袖」春泥發句選
名家俳句集佛生會灌佛や雲慶閑に刻みけむ灌佛やわらぢも許す堂の椽閑居鳥さびしさの中に聲ありかんこ鳥日くるればあふ人もなし正木ちる峯のあらしの音ばかりして晝日中逢ふ人もなしかんこ鳥若葉あはしまを女の出づる若葉哉水音も若葉も木曾の日々〓〓に題橋虹たる〓もとや樗の木の間より祭加茂衆の御所に紛る〓祭かな牡丹大坂の牡丹さ〓げぬ本願寺おめかけを牡丹の花の主かな夜ををしむ筒のほたんや枕上嘗て見しほたんにめでて入院哉御出入の李白を搜す牡丹哉園廣し黃なるも交る牡丹哉夏書人しらぬ不犯誓うて夏書かな似合しき聟おもふ身の夏書かな夏書さへ晝に成りけり妾麥覆面の内儀しのばし麥の秋痩麥や我身ひとりの小百姓麥秋や聟殿ことしはじめぢやの十津河や見込の武具も麥埃豆査ci餘花いまだきのふの酒や豆查汁短夜短夜や老しり初むる食もたれみじか夜を知らで明けけり草の雨短夜の獲物見せうぞ桶の鮒みじか夜や宿立出でて小石原蝸牛かたつぶりけさとも同じあり所(三)夜べの雨馬藺に殖えぬ蝸牛靑梅靑うめや黃なるも交る雨の中燕子花かきつばた深く住む戶に鳴子哉鍵の手の寺前の池やかきつばた小瓶もてみやげにくれし杜若杜若門から覗く賣屋鋪女〓なら舟へと申せ杜若重五幟競馬菖蒲齋に來て幟うらやむ小僧哉(一)豆査はキラズ(二)蕪村「凧きのふの空のあり所」春泥發句選
名家俳句集ことし又おと子うみけむ幟數凄哉競馬左右の顏合せ我牛をめでてやふけるあやめ草竹醉日此日よと竹移したり立關前杏醫者どのと酒屋の間の杏かな早苗田植山城へあふみの早苗移しけり白雲や早苗とりさす水の面早乙女やひとりは見ゆる猫背中けふも又田植あるやら竹の奥筍笋やしづかに見れば草の中笋や脚の黑子も七十二水雞日も暮れぬ人もかへりぬ水鷄なく月の出に川筋白しくひな鳴く射照百姓の弓矢古りたるともし哉十五から列卒にさ〓る〓射照哉一兩を擲つ木香のともしかな鹿遠しいでや射照の手だれ者五月雨さみだれの石に鑿する日數哉五月雨や晝寢の夢にうつの山顏につく〓のしめりや五月雨農業笠に入れて燧うちけり五月雨螢雨の夜や猶おもむろに行く螢行く螢夜のみかうしまゐりけり(一)夏野夏草夏草に狩入る犬の見えぬなり夏野ゆく村商人やひとへもの夏山夏の山しづかに鳥の鳴く音哉鮎我井戶に桂の鮎の雫かな河骨水渺々河骨莖をかくしけり藻花藻の花やわれても末に舟の跡若竹若竹に蠅のはなれぬ甘み哉わか竹や村百軒の麥の音(三)麥粉むせるなと麥の粉くれぬ男の童梅漬梅漬にむかしをしのぶ眞壺哉靑田むら雨の離宮を過ぐる靑田かな(一)「みかうし」は御格(二)蕪村「朝霧や村千軒の市の音」春泥發句選
名家俳句集百合蓼ゆりあまた束ねて涼し伏見舟脛高く摘みおく蓼や雨の園夏木立木下闇夏木立いつ遁失せて裸城下闇の三輪も過ぎけり泊瀬の町谷河の空を閉づるや夏こだち市人の爰見立てけり夏木立夏木立阿闇梨の供の後ればせ茄子人妻のこれを饗應す茄子漬茄子ありこ〓武藏野の這入口なすび賣一夏の僧を音信る〓蚊〓うき人に蚊の口見せる腕かな雪隱に信玄おはす蚊やり哉世やうつりかはらの院の蚊遣哉翌までと括りよせけり幅の破燈に書のおぼろや蚊屋の中待戀苦しさや幅へも入らず蚊屋の傍植込の蚊に罵れる女かな物得たり〓のかくれの妹が文いぶせきや子のあまたある〓の内淋しさは天井高し寺の〓蚊の聲の目口を過ぐるうき世哉蚊やりして武士守りぬ崩れ塀淺まーや蚊屋に透たる夜のものはづかしや朝いの〓を覗く人(一)蠅毛蟲詩にあらず錦にあらず機の蠅あさましく蠅打つ音や臺所羽もいだ蠅步きけり誰が所爲桃原の岸に流る〓けむし哉夏羽織帷子交れば世にむつかしや薄羽織かたびらや浴して來し人の顏新尼の著つ〓をかしや繪帷子鮓鮮壓して我は人待つ男かな(三)早鮮に王思は飯をあふぎけり(三)酒呵る人もや鮮に小盃鵜曲り江にものいひかはす鵜舟哉早瀨とは鵜の火に見ゆる遙なり吐かす鵜と放つ鵜繩のいとまなみ夏月夏の月よき人加茂の歩わたり涼しさの日枝をのぼるや夏の月少年の犬走らすや夏の月ほのめける端居の君や夏の月檀林に談義果てしよ夏の月(四) (一)朝いは朝寢(二)蕪村「鮓つけて誰待つとしもなき身かを(三)王思は魏の人、官九卿に至り列侯に封ぜらる、性甚だ苛急にして、甞て筆をとり書を作る時蠅の來るを怒り筆を地に擲ち之を踏み碎きしといふ(四)蕪村「寒月や衆徒の談議のはてし後」春泥發句選
名家俳句集川狩河狩や身にそふ陰間かたらひぬ水更けぬ岸をうちゆく網の音白雨雨乞ゆふだちや市の中ゆくさ〓ら波君王の夕立譽むる臺かな雨乞に夜ひと經よむ僧徒哉暑暑き日や產婦も見えて半屏風町あつく振舞水の埃かな雲峯假そめの油廣がる雲の峯良のことに恐し雲のみね兀山のうしろをのぼる雲の峰題斧つ〓立て雲の峰見る五鬼善鬼汗拭目ざましに水ひて〓來よ汗拭團扇うす雲に歌や望まむ白うちはまらう人へ團まゐらせむ白き方前帶の友むつまじき團かな面頰をはづして將の扇哉蟬夏蟲さまかへて御庭拜むや蟬の聲蟬鳴くや晝寢しばらく旨かつし(一)五鬼善鬼は後鬼前鬼とかくを常とす、役行者が使役せし大和大峰の鬼童つ啼く蟬の岩倉たどる目疾哉せみの聲茶屋なき岨を通り鳧夏むしや夜學の人の顏をうつ納涼涼舟いとし若衆の小皷は水練を舟の御遊やゆふ涼うか〓〓と南草に醉ふや朝涼(こ)簟浴して且嬉しさよたかむしろもろこしの夢はさめたり簟竹婦人抱籠や誰に倦れて拂ひもの蟲拂筆のもの忌日ながらやむし拂上野や足利代々の蟲拂祇園會かしこくも羯鼓學びぬ鉾の兒祇園會に曳くや手摩乳あしなづち。(二)晝顏晝がほや子を運ぶ鼬桓根より蓮とく起きよ花の君子を訪ふ日なら麻頭巾蓮見にまかる小舟哉瓶の蓮ことしも卷葉ばかりなり何いうて叫く舟ぞ採蓮歌瓜(一)南草は烟草(二)手摩乳、足摩乳は櫛稻田姬の父母春泥發句選
名家俳句集先づす〓め東寺はちかき瓜所瓜刻むあした隣を聞れけり(一)冷し瓜加茂の流に枕せむ醴あまざけや盒に居並ぶ父と母海松ところてん汐滿ちぬ雫うれしや籠のみる旅人の買ひはじめけむところてん心太酒の肴にたうべけれタ顏ゆふがほや古君今の名はしらず夕顏や用所見て置く旅の宿施米腰ぬけの僧扶け來る施米哉(三)麻なつかしき闇のにほひや麻畠あさかりてかつぱり淋し門の外〓水川上は溫泉の涌くなる〓水哉旅人の藥たてたる〓水かなかけ出の髭を絞りて〓水哉常夏なでしこや美人手づから灌ぎぬる氷餅あひにあふ氷おろしや氷もち夏祓(一)無村「鍋鳴らす冬夜隣を聞れけり」(二)蕪村「腹あしき僧こぼしゆく施米かな」兒つれて法師のしのぶ御祓哉白幣のはや西を吹くみそぎ哉
名家俳句集春泥發句選一乗褌の竿を落ちけり桐一葉散柳古御所の寺になりけり散柳七タ七夕やよみ歌聞きに梶が茶屋(三)きぬ〓〓に鵠尻を向けにけり七夕や藍屋の女肩に糸あまさかる鄙を川下天の河とかくして夜とはなりけり天の川魂祭槇買て方士戾りぬ玉まつり(三)侘しさや寢所ちかき魂祭秋之部白馬寺に如來うつしてけさの秋(一)今朝の秋を遊びありくや水すまし荒海に題目見えてけさの秋秋たつやさらに更け行く小田の泡初秋や藥にうつる星の影六月閏ありはるとし水なしの繼橋越ぬけさの秋厭はる〓身を起されつ今朝の秋水底に靑砥が錢やけさの秋(一)白馬寺は後漢の明帝が始めて長安門外に建立せし寺(二)蕪村「祇園會や僧のとひよる梶が許」(三)七月九日京都六道の辻なる珍篁寺に諸人參詣して槇の枝を買ひて歸り、之を魂棚に置春泥發句選
名家俳句集燈籠行くほどに上京淋し高燈籠長旅の城下へ出れば灯籠哉高燈籠寺前の池に移りけりつと立てあぶら浴びたる切籠哉踊乙の君ある夜ひそかに踊かな(三)母式部闇よりやみへ踊かなうかと出て家路に遠き踊哉かの後家のうしろに踊る狐かな霜天にみち〓〓明くるをどり哉(二)うき人の顏猶深きをどり哉相撲賭の御馬ひき出すすまひ哉老いにきと妻定めけりすまひ取弓張に暮れ行く角力柱かな花火花火舟遊人去つて秋の水花火舟家老ながらも叔父の殿蕣朝がほや日剃の髭も薄淺黃ひともとの蕣や日に出來ふできあさがほや盥の前に新なり明暮と朝顏守るいほりかな露三三二蛛の巢に露ふりよする譽かな(一)和泉式部まの闇よりいでて闇に「うばた入る遙に照らせ山のは0月(11)「みち〓〓」ちと道とにかくは滿露けしや朝草喰うた馬の鼻草高く露も穂に出る夕かな庭ゆくも露に裾とる女かな松明に露の白さや夜の道蓙撫でて驚きたちぬ月の露狩入て露打拂ふ靱かな-膏藥になる草とはむ原の露むさし野や合羽に震ふ露の玉萩荻ほろ〓〓と秋風こほす萩がもと爰かしこ小家隱して岡のはぎ似合しき萩のあるじや女宮明けぬとて萩を分けゆく聖哉なつかしき荻の葉伸びや塀の上一本の荻にも秋のそよぐ音薄山犬のかはと起きゆくす〓き哉身がまへて芒かるなり下男苦蔵鬼灯や老いても妓女の愚しき木槿白木槿夏華も末の一二りん秋風物換る壁の夕日やあきの風子の顔に秋風白し天瓜粉秋風や蚊屋に刀の鎭置かむ(一)蕪村「狩倉の露におもたき靱かな」春泥發句選
名家俳句集秋扇秋かぜの閨に殘せし要かな蜻蛤とんぼうや飯の先までひたと來る白壁に蜻蛉過ぐる日影かな秋蚊秋の蚊や默々として喰ひ行く鱸か〓る日に貰ひ鱸や生腐り八朔八朔や四座の登城の袖かへす稻妻いなづまや雨月の夫婦まだ寢ねず稻づまにあやしき舟の訴哉いなづまや其箒木の梢まで稻妻や夜もをり〓〓の橫涉し霧秋雲霧雨の外面にうごく曇哉石火矢に出行く船や霧のひま山霧の梢に透る朝日かな入相や霧になり行く一つづつ霧立て遠里小野となりにけり二色の繪具に足るや秋の雲稻落穗稻の香やゆりもて運ぶ行違ひめでたさよ稻穗落ち散る路の傍稻ぶさや誰むすび置く宮柱何かせむ稻刈頃のかより人あしあとのそこら數ある落穗哉鳴子引板野ねずみの迯ぐるも見ゆる鳴子哉水盡きて引きとる息や引板の音秋暮秋旅加茂の町樂も聞えず秋の暮婚禮の家を出ればあきの暮寺子屋のてら子去にけり秋の暮短冊の屏風を見たり秋のくれしられじと旅の身に添ふ金氣哉月名月や此松陰の硯水唐租に駒や繋がむ野路の月名月や懷紙拾ひし夜の道名月に辻の地藏のともし哉(1)百貫の坊に客ありけふの月橋の月裸乞食の念佛かな東寺寓居にて山ぶきは社家町に似てけふの月名月や〓にて詩の案じくせ名月や瓶子奪合ふ上達部夕月や驢鞍過行く驢鞍橋月影や田ををちこちの水の音見るものにしてや月見の小百姓(一)蕪村「秋の暮辻の地藏に油さす」春泥發句選
名家俳句集名月や金拾はむとたち出づる月かけて砦築くや兵等湖を月見の旅や友二人ありときく兼栽松や月の前(一)後の月何か肴に湯氣のもの悼移竹叟硯箱ふたよの月を見納めぬ同十三囘忌乙御前や顏見ぬばかり月の前放生會曉の霧しづかに神の下山哉浪黑き鰻十荷や放生會山崎へあまれる鳩や放生會秋夜秋の夜をあはれ田守の皷哉秋の夜に江帥兵を談じけり(二)畑ものに秋の夜を守る燒火かな長き夜の寢覺語るや父と母永き夜にや〓讀盡きぬ若菜の下(三)題妓秋の夜を何かしろ女が丸行燈(四川長き夜やあらまし成りぬ翌の業案山子夕日影道まで出づるかゞしかな立ちされは形なしたる鹿驚哉をちこちのたづきなき身のかゞし哉(五) (一)猪苗代兼栽が會津平潟の菅公祠前に植ゑしといふ松(二)江師は大江匡房(三)源氏物語若菜の卷は上下二冊に分てり(四)白女は昔の遊女にて後撰集に歌いづ(五)古今「をちこちのたづきも知らぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな」編笠のことにわびしき案山子哉二つあるかゞし容を違へけり俵腰を折る五斗の脫のかゞしかな朝風に弓返りしたるかゞし哉冬瓜糸瓜よきものと冬瓜勸むるくすし哉汁菜にならでうき世を糸瓜哉江鮭下築あめ來るや普請半の川堤またしては狐見舞ひぬくだり築蕎麥花穗蓼そばの花畠の秋も後段かな花を見て蓼の多さよ此邊草花野菊蘿あつめねば花にもあらぬ小草哉折るよりは行くに慰む花野かなかたはらにかぼちや花咲く野菊哉藪疊半は蔦のもみぢけり代なしに讓らむといふ蘿の宿野分まひといき野分吹くらむ薄月夜子狐を穴へ呼込むのわきかな雪隱のかきがねはづす野分哉獨居の野分ながらに朝寢かな宿までは闇の野分や馬の上(一)後段は食事後に出す小食春泥發句選
名家俳句集秋水白髭の笠木も見えて秋の水送蕪村先生之讚州江山の助況や秋添へて葛蘭くずの葉も吹くや鳴子のうら表栗に飽て蘭につく鼠とらへけり柿秋されや柿さま〓〓の物のしな蕃椒南草年よりの唇いやしたうがらし蕃椒常世が鉢にちぎりけりたばことりて荒に就たる畠哉南草干すとしても繩の中たるみ雞頭花葡萄けいとうの宿や窻から答へけりぶだうめす水銀盤をうたれけり蟲蟋蟀乾きたる蟲籠の草やあら無沙汰蟲聞てたつや野人の怪むまで蟲籠の總角さめぬ致仕の君秋風に涕す〓りけりきり〓〓す九日人心しづかに菊の節句かな菊宿のきく陶にさして憐まむ櫻井が跡に宗長菊持參すがりかと思はる〓菊の開きけり菊の香や花賣が身の袂にも初ぎくや九日までの宵月夜土龍妹が黃菊は荒れにけりうた〓ねの顏に離騒や菊の花雞老いぬ茄子黃みぬきく畠とく遲く菊此頃のたのしさよ(1)草の戶の酢德利ふるや菊膾殘菊見る時は殘菊としもなかりけり菊の香や十日の朝のめしの前栗料足に栗まゐらする忌日哉落栗や墓に經よむ僧の前いがぐりに鼠のしのふ妻戶哉題老坂毬栗に踏みあやまちそ老の坂蜜柑埋み置く灰に音を鳴くみかん哉擣衣いねかしの男うれたき砧かな小ともしの油あやまつきぬた哉相住や砧に向ふ比丘比丘尼山うばと顏見あはして砧かな牛祭(一)蕪村「二本の梅に遲速を愛すかな」春泥發句選
名家俳句集油斷して京へ連なし牛祭新米船頭に乞ひとるめしやことし米燒米や其家々のいせの神CI新酒父が醉家の新酒のうれしさに買ふほどは盡さぬ旅の新酒哉新酒や天窓叩てまゐる人つけざしの穗に出る君やことし酒母衣かけて新酒に醉へる祭かな初紅葉照葉いづちよりいづち使ぞ初もみぢ切溜につふと見せたる照葉哉銀杏北は黄にいてふぞ見ゆる大德寺秋雨秋雨や四方椽にも濡る〓方揚屋から旅乘物や秋の雨秋雨や旅に行きあふ芝居もの芭蕉新綿蟇の背にばせをの雨の雫かな何となき綿のにほひや宿通り鶉うづら籠棚の鞍に並びけり夜寒明けばまた夜寒の雨戶繕はむ(一)蕪村「初午や其家家の袖だたみ」わざとめす地藏の綿も夜寒哉怪談の後更け行く夜寒かな月の洩る穴も夜寒のひとつ哉あとさして夜寒に慮外申さばや題妖もの炭とりに早足のつく夜寒哉鹿鹿寒く月輪どのの寢覺哉鳴川の戶に寄る鹿や下駄の音ぬれ色に起き行く鹿や草の雨賓主鹿聞ぬ夜をかこちぬる身は瘦せて草嚙む鹿の思かな小鳥鵜鵙川上や黃昏れか〓る小鳥あみ遁れとぶ鵜一群や森の月鬼貫も歌よみにけり鵙おとしCI鵙鳴くや黍より低き小松原匏瓜種瓢斑なつらを見はやさむいつしかにうとろなものよ種瓢木梶木樨や禪をいふなる僧と我雁大宮や南がしらに雁の聲初雁や目に相手なき海の月はつ雁も春の覺えの舟路哉(一)鬼貫句選五、禁足旅の記九月二十七日の條參照春泥發句選
名家俳句集低く飛ぶ雁あり扨は水近し探題鍛冶月山の梢に響く秋の聲茸唐櫃の北山戾るきのこかな王ラノさし上げて獲見せけり菌狩降出して茸狩殘す遺恨哉茸山やから鐵砲の一けぶり紅葉紅葉見や小雨つれなき村はづれ山づとの紅葉投げけり上り口吹きさます酒や紅葉の燒過し老母草梅嫌花の時は氣づかざりしが老母草の實梅もどき我あり顏や暮の秋暮秋長き藻も秋行く筋や水の底枯れてたつ草のはつかや暮の秋四町なる御歌使や暮の秋題關月影の不破にも洩らす九月盡褌に贈別の詩や九月盡石女と暮れゆく秋を惜みけり江戶住やしぐれ問ひこす人ゆかし衰やしぐれ待つ身となりにける喘息に寢つかぬ聲や小夜時雨山城のとはかは急ぐ時雨哉妻木とる内侍の尼のしぐれ哉(10むらしぐれ古市の里にしばしとて寺深く竹伐る音や夕時雨爐開爐びらきやけふも灯下に老の日記爐開や庭はあらしの樅を吹く芭蕉忌冬の雨しぐれのあとを繼ぐ夜哉嵐雪祥忌冬之部初冬や兵庫の魚荷何々ぞはつ冬や戶ざし寄たる芳野殿初ふゆは曇とのみぞ障子越はつ冬や空へ吹る〓蜘のいと時雨しぐれする音聞初る山路哉傘の上は月夜のしぐれ哉(1)三度まで時雨れていとゞ黑木馬生きて世に寢覺うれしき時雨哉夕しぐれ古江に沈む木の實哉雲母行く豆腐にか〓る時雨かな(一)蕪村「古傘の婆娑と月夜のしぐれかな」(二)建禮門院に仕へし阿波內侍をいふ春泥發句選
名家俳句集六五八(一)嵐雪に其袋といふ撰集あるよりいふ其集に洩せし十夜袋かな(ニ)十夜人聲の小寺にあまる十夜哉燒寺の早くも建ちて十夜かな口切口切や寺へ呼れて竹の奥口切や彈正といふ人のさま夷講達摩忌前髪に戀はありけり夷講蛭子講火鉢うれしとこぞりぬる達摩忌や和尙いづちを尻目なる茶花茶の花にきゞす鳴くなり谷の坊茶の花に文覺のやうな庵主哉歸花かへり花蟬のもぬけに薰す(三)は〓き木の梢はこ〓ぞ歸花雨雲の梢は奇なりかへり花咲出でて心ならずや歸りばな歸花桃李の美人覺束な草枯いさ〓かな草も枯れけり石の間霜日三竿檜原に耐へぬ霜の色羊煮て兵を勞ふ霜夜かな手してうつ鐘は石なり寺の霜(二)芭蕉「蘭の花蝶の翼に薰す」織殿の霜夜も更けね女聲落葉あちこちとして居りたる落葉哉箆深にも射たる垜の落葉哉寺ゆかし山路の落葉しめりけり水含む落葉わび行く草履哉宮つこの闇の顏うつ落葉哉大根冬偈ある寺にひかる〓大根かな胡蘿も色こきまぜて大根曳納豆汁納豆汁比丘尼は比丘に劣りけり(^)反椀は家にふりたり納豆汁翌といふ隣の音や納とう汁齋腹の便々たりや納豆汁海鼠麗しく玉堂佳器にこた〓みぬ憂きことを海月に語る海鼠哉(二) pey海鼠た〓みの饗應しのばし聚樂御所蠣煎〓に土器とりし采女かな冬至御火燒雨ながら朔旦冬至たゞならねよそながら冬至と聞くや草の菴天文の博士ほのめく冬至哉百姓に浴ほどこす冬至哉(一)蕪村「紅梅や比丘より劣る比丘尼き」(二)蕪村「猿どのの夜寒とひゆく兎かな」春泥發句選
名家俳句集禪院の子も菓子貰ふ冬至かな御火燒や積上げし傍へ先づよるな批杷花輪番にさびしき僧やびはの花木枯こがらしや瀧吹きわけて岩の肩凩や花子の宿の戶にさはる木がらしの夜にゆたふる菴哉C)顏見世顏見せや伏見くらまの夜の旅浪花顏みせや空性ものの舟一片寒鐘氷さす敵に矢をとり落す寒さかな本陣に鼠の糞のさむさ哉鐘氷る尾上の寺や月孤つ氷初氷許由此朝掬すればうすら氷や格子の透の器琥珀には蟻氷には紅葉かな水鳥鴨鴛水鳥やかねて〓士の聟撰び水とりや心の闇の流し黐浮鳥を石とあやまる水遠し毛を立てて驚く鴨の眠かな水鳥に唐輪の兒の餌蒔哉(三) (一)「ゆたふる」さぶる」の意か(二)唐輪は髷の名鴨の毛や笊打ちたよく軒の水かたよりて島根の鴛の夕哉千鳥江南は烏飛ぶなりむら千鳥雪〓初雪に人寒からぬ御宴哉客去て寺しづかなり夜の雪何を釣る沖の小舟ぞ笠の雪羽織着て門の雪掃く女房哉雪の日や笠着た人をみさぶらひ袖を出る香爐も雪の衞哉ぬけがけの手綱ひかゆる雪吹哉物焚て夜すがら雪の乞食哉山買うて我雪多きあるじ哉都邊や坂に足駄の雪月夜雪の日や隣家の童子缺木履村人に雪の見所習ひけりよき君の雪の礫に預らむ夜着を着て障子明けたりけさの雪初雪や既に薄暮の嵐より雪の朝童子茶臼を敲くなり霙して海老吹寄する汀かな遠忌その夜半の啼く音は遠し浦衞仙鶴追善弔へば今もきませる頭巾哉春泥發句選
名家俳句集冬枯冬がれの里を見おろす峠哉家遠し枯木のもとの夕けぶり冬野枯野していづこ〓〓の道の數伯樂が鍼に血を見る冬野哉生きて世に古錢掘出す冬野哉枯野して松二もとやむかし道上京の湯どのに續く枯野哉枯野のや簑着し人に日の當る關屋より道のさだまる枯野哉鷹あた〓めよ瓶子ながらの酒の君冷めしの霰たばしる鷹野哉鳥叫や鷹にあたへる肉一〓草の戶に茶ひとつ乞へり狩の君炭炭うりや京に七つの這入口うき人の顏にもか〓れはしり炭消炭に薄雪か〓る垣根哉炭を挽く下部ゆがまぬ心かな炭取に侘しき箸の火ばし哉榾榾の火にあやしき僧の山居哉榾けぶる住居侘しや疊なき埋火(二)蕪村「夏百日墨もゆがまぬ心かな」うづみ火に我夜計るや枕上おの〓〓の埋火抱て繼句かな冬籠冬ごもり五車の反古の主哉仁齋の巨燵に袴冬ごもりCO思ふ事戶に書れたり冬籠住みつかぬ歌舞妓役者や冬籠雉子一羽諸生二人の冬ごもり隔なき友とさし向ひおろおろのみたるいとをかし何なりと薄鍋かけむ冬座敷水仙水仙や室町殿の五間床水仙や藥の御園守るあたり水仙や先づ揚屋から生けそむる水仙や引きさき紙に珍重す寒菊寒菊や猶なつかしき光悅寺寒菊やわきてかしこき莟がち寒菊や四つまで園の日のあたる冬椿冬つばき難波の梅の時分哉冬木立郊外に酒屋の藏や冬木立孟子讀む〓士の窓や冬木立蔕見ゆる貧乏柿や冬こだち(一)伊藤仁齋の物堅き殿の五間床春泥發句選
名家俳句集垣結へる御修理の橋や冬木立綿帽子綿子里下りの野ひとつ越ゆや綿ばうし留主がちの夜を守る妻の綿子哉綿帽子士農工商の妻の體紙子小夜更けて帋子まゐらす迎かな弓の師の家中をありく紙子哉ながらへば紙子を貰ふすまひ哉紙衣着てふくれありくや後影.紙子きて嫁が手利をほ〓ゑみぬ足袋胝扨あかき娘の足袋や都どり(1)あさましや足袋に足袋はく虛勞病子の母よいく度結ぶ足袋の紐革足袋で村あるかる〓醫師哉競べあふ胝の手先や寮の尼頭巾凩に頭巾忘れてうき身哉頭巾さへ多田の新發意の左折酒臭やうかれ頭巾の行違ひ異見など投頭巾着て馬の耳頭巾着て法師か知らじ安良殿頭巾深しとても聞えぬ老の耳揚虎ぞと取違へたるづきん哉學して寢ずや頭巾の影ぼうし(一)伊勢物語に都鳥の口と足との赤きとある(一)太祇「頭巾おく袂や老のひが覺え」袂なる頭巾さがすや物わすれC)頭巾着し冶郞に逢へりうつの山引かうて棧敷に忍ぶ頭巾哉火桶光茂が膠兀げたる火桶かな(三)火桶はる曆わびしき月日哉山伏も舞子も住みて火桶哉炭をふく紀の關守が火桶哉蒲團身に添はで憂しやふとんの透間風輕井澤君がきませるふとん哉紡績に妻老いけるよ敷ぶとん旅の夜の我瘻る蒲團哉火燵巨燵してくれる驛の馴染哉山鳥の病妻へだつ巨燵哉(四)侘しさや巨燵に焦る蜘の糸圍爐裡大原女の足投出してゐろり哉冬月しづかなる柿の木はらや冬の月(五)質置のイむ門や冬の月寒月や穢多が虎付に肉の影溫石の百兩握るふゆの月塞上燈氈帳に短檠くらし藥喰(二)蕪村「引かうて耳を哀む頭巾かな」(三)光茂は土佐光信の(四)山鳥は雌雄谷を隔てて時につくといふ、蕪村「腰拔の妻美しき巨燵かな」(五)蕪村「靜なる樫の木原や冬の月」春泥發句選
名家俳句集河豚純あらふいつもの男まゐりたりふくと汁我が使に我ぞ來ぬ歸らめや鰒喰はぬ家によせし身を河豚汁鯛は凡にてまし〓〓ける河豚しらず四十九年のひがごとよ廻文の點の長さよふくと汁佐殿に文覺鰒を進めけり雞卵酒玉子酒賓主を分つ小盃沫を消す内儀老いたり玉子酒草の戶や盃足らぬ鷄卵酒寢酒せむ先づたのもしき鷄卵百玉子酒十重ねたる小さかづき煮凍藥喰煮凍を旦夕やひとり住煮凍にともに箸さす女夫哉1長言す人去れけり藥喰夕べ誰疊焦しつくすり喰葱莖菜小灯に葱洗ふ川や夜半の月僕等のよ〓と盛りけりねぶか汁(一)重箱に縮ねて贈る莖菜かな後妻のこと〓〓に問ふ莖菜哉莖おしに寺中をめぐる老女哉鯨鰤(一)無村「入道のよ〓とまゐりぬ納豆汁」鯨舟新島守を慰めつ一のもり突くや日來の飯の恩めでたしな御子達からの臺の鰤寒造御佛名確の十挺だてや寒づくり(一)佛名や柿の衣の僧ばかり鉢敲鉢た〓き頭巾まくれて髪の霜愚なる御僧と申せ鉢叩鉢た〓き右京左京の行戾り寒念佛寒垢離無緣寺の夜は明けにけり寒ねぶつ茶を申すおうなの聲や寒念佛寒垢離の風に乘行く步み哉病中唫鏡とらば兩の鬢や枯尾花煤拂門口に歩みの板や煤拂煤拂あやしの頭巾着たりけり平仲の顏ともはやせ煤拂(三)一凾の皿あやまつやす〓拂す〓掃や宵のさむしろ大書院す〓掃やいつから見えぬ物のふたきぬ〓〓の駕も過ぎけり煤拂何やらむ妻火ともして翌の煤年忘(一)寒づくりは寒中に釀造する酒(二)平仲は平貞文の通名、女の許にて目に水を點じて泣くまねせしを女悟りて墨を水の器に加へしかば平仲の顏黑くなれり(大和物語)春泥發句選
名家俳句集家中衆のしのび〓〓や年忘玉子吸ふ女も見えつ年忘宮方の武士うつくしやとし忘國衆は舞子が好きで年わすれ貝で呑む人をあふぐや年忘腰越や鎌倉は嘸年わすれ醉臥の妹なつかしや年忘燭まして夜を續ぎにけり年忘寒聲寒聲や京に住居の能太夫衣配餅搗橘のむかし文庫やきぬくばり百疋は握る使や衣くばり餅つきや焚火のうつる嫁の顏節季候掛乞恥しらぬ老の戲れや節季候掛乞や雪ふみわけて妹が許書出しに小町が返事なかりけり年木樵岡見うれしさよ御寺へ年木まゐらせて此村に長生多き岡見かな節分追儺追儺うらの町にも聞えけり先生も人のす〓めや厄おとし厄落し石女年をあかしけり節分やよい巫女譽むる神樂堂寶舟御枕香ぞいや高きやごとなき一筆がきや寶舟節分をともし立てたり獨住年内立春宵闇に春ぞ立ちゐる十日ほど年ごもり月もなき杉の嵐や年籠歲暮行くとしや月日の鼠どこへやら春正があつらへ來しぬ年の暮(1)口上のせいほ使や古男年のいそぎ聖の衣みじかしや馬の背にまたる〓銀や年の暮行く年やたゞならぬ身の妹分錢はさむ下部の腰や年の暮ゆくとしや六波羅禿おぼつかな常よりも遊ぶ日多しとしの暮年の市や馬士によみやる送り狀名の高き茶入も見けり年の暮竈塗の心しづかにとしの暮年籠(一)春正は山本氏、明曆頃の名高き蒔繪師春泥發句選
蘆名家俳句集陰句選六七〇
むかし丹波の國に大なる璧もたるおきな有りけり、その玉うちに光をかくしてゆかしさ云はむかたなし。人其玉を百貫にかはむといふ、翁おもふやう、かくてだに有るを光まさばあたひなほかぎりあらじと思ひて、百貫にはえぞとてうらず。さて夜に日にすりみがきけるほどに、はつかに瑕あらはれ出ぬ。おきなあさましとまどひて、いよ〓〓すりみがくにしたがひ、きず大に玉はまめばかりになりぬ。はじめ買はむと云ひし人も、今は鼻おほひつ〓さたなくなりけるとぞ。されや大魯が門流蘆陰遺稿といふものを出さむとして序を予にもとむ。予が遺稿出て還て生前の聲譽今は鼻おほひつ〓さたなくなりけるとぞ。曰く、遺稿は出さずもあらなむ、いにしへより作者の聞えあるもの、遺稿出て還て生前の聲譽を減ずるものすくなからず、大魯はもとより攝播維陽の一大家と呼れて我門の囊錐なりし、はた遺稿を出して予がを減ずるものすくなからず、さればその佳句秀吟は人おの〓〓膾炙す、たれか遺稿の出るを期せむや、はた遺稿を出してひそかに草稿をあつめて凡董に託して校合せかの玉もたる翁に倣ふことなかれ。門流肯ず、しめ彫刻半にいたる、しかしてふた〓び序を予にもとむ。門流肯ず、しめ彫刻半にいたる、こ〓においてやむべからず、取て蘆陰六七一
名家俳句集その草稿を閱す。嘆じて曰く、遺稿出すべし、遺稿出て人いよ〓〓その完璧をしるべし、是大魯が身後の榮ます〓〓そのひかりを加ふるに足らむ。門流微笑して去る、このこと又序とすべし。安永巳亥孟冬夜半翁識蘆陰句選崕落ちて半は水の柳かな岡本の梅此梅や摩耶ふく夕海にほふ雨の梅しづかに配る薰かな黃昏や梅が香をまつ窓の人ちる梅よ春の行くへの始なる浪花吳服町にト居せし春寒からぬはじめや春の吳服町野諺春が來た梅ぢや芝居ぢやうかれ人古草に陽炎をふむ山路かな物おもふ人のみ春の巨燵哉仲春春之部初空や月にもよらずさくらにも福壽草咲くや後に土佐が鶴四十九のはつ春にひがごとの昨日のむかし明の春人妻の老いけり御忌の朝詣高倉帝陵にて宿直誰鶯とても留主の谷うぐひすの呑むほど枝の雫かな糸柳みじかき枝の狂ひ哉蘆陰選
名家俳句集きさらぎや人の心のあた〓まり雁かへる夕や小田の初蛙雉啼くやけふも人なき關を守る雙親の日に當りたる彼岸かな春雨の奈良茶は古き趣向哉野外田の蛙足ぬる〓ほどの水に鳴く畔道やほの見て過る雉の聲うしろより雨の追來る燒野哉歸雁けさ見れば今朝たちけるよ小田の雁等閑に立行く雁も日和かな耕や世を捨人の軒端までをみなへし薄も春の小草哉いとまある春邊や水も田に遊ぶ埋れ井の水あらはなる燒野哉涅槃會尼達の古き淚やねはん像我友の鼓ふりけり春の雨上巳古雛や櫻がくれのうらみ顏難波津の春四五日やかし座敷ふりたて〓角落したる男鹿哉正月を遊ばぬ人のさくら哉三月九日兵庫七宮の祭禮町町幟挑灯神輿御幸の行粧いと見事也糸櫻神輿にかけむ祭かなこ〓も又峠にあらず花の雲桃咲くやよき家建てし梓巫女海も帆に埋れて春の夕かなきれ凧や沖中島の船だより足袋脫で小石振ふや堇草鼻紙に物かく春の詠め哉おもひ出て庭掃く春の夕哉人たる事を知るべし花鳥の揃へば春の暮る〓かなけふ限の春に駈騎武士よ山陰や菜の花咲きぬ春過ぎぬゆく春や藤にかす日のはつか也松の月それさへ春の名殘かな関三月の吟花過ぎて春にあまれる日數哉春盡京上りして筍のふし見を春のひと夜かなうかむ瀨四郎右衞門に遊て現に蝶となりて此盃に身を投げむ蘆陰
名家俳句集人去てあたら櫻のわか葉哉澁柿の花落したる若葉哉脫置きし家わすれたる袷哉酢莖見て茶漬所望の御醫者哉笋やひとり弓射る屋敷守そら豆の花散里や伊勢まゐり謝友人ゆかしさの心とゞきぬひと夜鮓鮓の蓋とるや晝寢の夢心病中とら雄が三囘忌を弔ふ人の爲に枕しながら夏書哉夏籠や小瘡煩ふ御僧たちしらぬ字の大きに成りし夏書哉夏之部ほと〓ぎす二羽啼く雨後の月夜哉すくなしと山僧いへり杜鵑懷舊牡丹折りし父の怒ぞなつかしき簾して〓かくせし牡丹哉一もとは散らで夜明けぬけしの花愛すべき中にも芥子のひとへ哉雨を帶びし若葉に春もきのふ哉雨覆の廿日過ぎゆく牡丹かな白勝たずくれなゐ負けずタほたん西行庵にて皐月待つ時宗やたけごころかな夏草や野武士が持てる馬の數亡母正當詞書略首筋の今猶寒し羽ぬけ鳥念佛して庵の窓さす燈かなとら雄一周諱雨そへて一とせを經さつき哉夏草や花有るもののあはれなり重五さればこそ幟立てたりおもひもの風下の黃檗寺や麥ほこり蠣を出て物あらそへる翁かな蚊やりして師の坊をまつ端居哉感懷八句浪速津に庵を求めて五年の月日を過しけるにさはる事の侍りてやどりをたち出る日友どちに申す濁江の影ふり埋め五月雨久しく召遣へる少女に暇くれてなか〓〓に忘れじ瓜の漬けかげん庵の竹を切て節となす竹の子を殘してなれも旅のそら妻兒が飄泊ことに悲し我にあまる罪や妻子を蚊の喰ふ蘆陰
名家俳句集いほりを出る長明がやどりさへなし皐月空行路茫々然たり夏草やまくらせむにも蛇嫌ひ舍もとめるさへ心おかれて麥の粉をけふは戴くやどり哉是よりしていづ地に行かむと我に問へば我答萍に乘てわたらむ風次第右難波を出る日一本亭の賢息野外迄送られける其すがたさへ我にひかれて悲し晴るれどもさつきの簑の雫哉たま〓〓に團扇もつ日を我身哉夏川や棹さし得たる人ばかりさみだれや三線かぢるすまひ取分チ河狩や廿あまりの國の守早乙女やそこかしこ爰そこかしこ參宮の足引きずつて田植かな京に遊びて目ふたいで鉾下りにけり兒の親うそ〓〓と旅人ありく納涼哉夕顏や浴をかくす古すだれ兵庫に移て海を出て砂踏む蜑が暑かな午眠さむれば眞桑よき程に冷えたりかたはらに童手をきる甜瓜哉旅人の錢おとしたる〓水哉惡僧の天窓冷せし〓水哉ふた〓びす夕立月のうしろより西吹くや白雨せまる野路の人此里に醫師やおはす日の盛蘆
名家俳句集秋之部盆過の都はげしきあつさ哉涼しさや秋の日南の人通りうかれ女の黑髪焦せ散花火さればとて凋みも果てぬ木槿哉とんぼうや聲なきもののさわがしく蜻蛉や施餓鬼の飯の箸の先僧正の榎實こぼすやはつ嵐踊子や夕間暮して狂はしき兵庫なる劔にて活魚のけふと過ぎけり秋の風七尺と巷の說や關角力六つに成る子を失ふ人に聞てさへ秋の暮むつあはれなりすゞろたつ秋や翁が珠數の音華ながら秋となりけり池の蓮浦邊初秋浪ひとつ岸打ちこしぬ今朝の秋朝東風やほのかに見ゆる秋日和病少し癒ゆと思ふ初秋百日の枕洗はむけふの秋星合の名所ならばよしの川鵠の長柄もかけよほし一夜ほし合や詩作る妹がつらがまへ秋暑稻妻の顏ひく窓の美人哉いなづまや波より出る須磨の闇きのふけふ靈棚にありきり〓〓す鱸の膾おもへども任せず老杜親なし秋風を人の國に住む眼の限り臥行く風の薄かな釣瓶にてあたま破れし西瓜かな正名世をゆづりし賀田も畔も年ある秋を讓りけり旅人よ何々花の草まくら女鳩が兒喰ぞめによき年の米喰ひそめつ豐の秋秋興八句家在紅塵陌夜は相撲晝は踊の噂かな草生ふる小園なし露結ぶ夕あしたのつるべなは出戶澱河流秋のあふぎうき世の人に遠ざかるかねてひがめる身なれば蓼喰ふ蟲花に來て遊ぶか遊ばぬか夜座妻子にこたふうき秋の長物がたり聞く夜哉老杜が搆衣に傚ふ餘所の夜に我夜おくる〓砧哉一身有止處蘆
名家俳句集ふらついて瓢かたまる軒端哉國を辭して九年の春都を出て一とせの秋われが身に故〓ふたつ秋の暮田家良夜夏からの蚊屋はづしけり今日の月名月や塵打拂ふ摩耶おろし風たちて月うち曇る門茶哉衣搆つ女疲れて月は西追風や夜すがら月の走りぶね中秋夜半翁に申遣しける廣澤はいかに敏馬の月〓し朝戶出に露引きおとす鳴子哉山畠や茄子花ちる秋の風出て見よ秋の野守のしたり顏賑しや螽飛ぶ屋の秋の昏草庵小集端居して主忘る〓月夜かな朝風や大名連れてわたる雁小原野や花喰ふ馬の親子連宗高に妻射られしかひとつ雁(一)兵庫草庵背戶の半夜船每に蕎麥呼ぶ月の出汐哉十三夜二句名月や兎煑た家の豆の出來入るまでの夜も長月の光哉(一)宗高は那須與市目覺して旅僧坐し居る夜寒哉雨風の日和をさまる夜寒哉禁城ちかくやどり求めて病を守る重陽になめて見むかならず菊の御溝水けふとなりて菊作らむと思ひけりその翌日より菊つくりておもひ出て菊作りけりことしより約束の菊見に來りよしの人落柿や水の上また石のうへかつ散て盛まだ來ぬもみぢ哉雨の鴨一羽もた〓ず暮れにけり家ぬしを大工の議る夜寒哉惜秋起出でて月を尋ねむ秋の果社頭殘月殘月や一夜の松の木の間より蘆
名家俳句集橋守よ霜掃きおろす誰が爲霜に歎ず蝉髭を握りけりあさ每や同じ道來る霜の市病中京師の客舍に祖翁の祥忌を勤めて十月や翁も年をふる佛梵論が笠吹上げし枯野哉冬夜ともし火に氷れる筆を焦しけり世の人の數にはもれぬ寒かな凩や障子の弓のかへる音楠公碑啞々と啼く烏の聲も寒さかな冬之部蔓ものの蔓のゆるみや初しぐれ初時雨眞晝の道をぬらしけり慈悲ぶかき代官たちて初時雨客中北陰や冬と成り來るものの音はしなしや火箸ゆがみて炭われず閨怨夢やぶれ衾破れて君見えず洛東金福寺の芭蕉庵にして探題山畑や麥蒔く人の小わきざし河内女や千菜に暗き窓の機我ものと雁がね落つる冬田哉かたはらを雁がね過ぐる千鳥哉うめひらく軒に追はる〓干菜哉深草元政上人の寺にて月雪に竹三学のあるじかな早瀨川見るほど雪の流れけり山風や霰ふき込む馬の耳荒畠やはつかに霜の折葱船中あら海へ打火こほる〓寒さ哉着心のきのふと過ぎし紙衣哉埋火に梁の鼠のいばりかな眼さませと母のきせたる蒲團哉病しきりなるころ京師に旅寢して初雪ぢや大きな雪ぢや都哉みやこに田舍にかれに心せかれ是に心せかる我にまた歸る庵あり冬ごもり語不驚人死不休C横づらの墨も拭はず冬ごもり年內立春年のうちに春は來にけり莖の味煤掃や思ひがけなき朝月夜わがたのむ人皆若し年の暮(一)杜甫の句蘆陰句選
名家俳句集我を賴む人も有りけり年のくれ友人大魯はじめ京師にありし時夜半翁の門に入り、後浪速に移り蘆陰舍をむすび、又兵庫に退て三選居をひらけり。しばらく山河を隔つといへども、とし〓〓のいきかひ互にして、實に知音の友なりしが、去年の秋病によりて再び洛に旅寓をもとめ、もしや此ま〓に身まかりぬこともあらば、金福禪寺なる芭蕉庵のかたはらにはふりしくれよなど、いと賴なきことまでつぶやき置きしも、俳諧に因と緣との深きなるべし。されば朝夕起臥の勞をも扶け、終に遺言にまかせ霜月十三日の夜野邊の露踏分けつ〓、しも枯の草引きはらひ、かの山のほとりに亡骸ををさめ侍りぬ。かくて月日のうつるにつけつ〓、疎なるならひなるを、いひ殘せる句句を打ちうめき出ては、唯現に向ひ語るやうに覺え、親みは在りしにも猶まさりて、かなしきわざに侍れば、いかにやむべき、やがて草稿をつどり合せて蘆陰句集と題し、門葉舊識の人々と志をおなじうすといふことを、しりへにかいつけ侍る。安永八己亥仲秋望日几董書几董書蘆選
俳懺悔六八八
難波津や大江の岸近うその家代々礎をかたうして、名もふる國といへる俳士あり。東都雪中庵三世のあるじ蓼太より、ばせを嵐雪正風の遺書をつたへて、風流にも富めるをのこなり。其業遠つ國の雁章を傳へて事とするも、君が代の靜なるためしなるべし。よておのづから其名四方にひろうがり、訪ふ風騒の人も亦おほし。これにちぎる折からの句あり、無下にかい捨てむも本意なしと、一つの册子をした〓め、此みちのよしとなくあしとなく書きとどめむとなり、夫がはじめにあらましを序せよと乞ふ。もとよりみじかき蘆のふしの間の才をもて、か〓る初めの筆とらむやといなむべき事ながら、蓼師の需に應ず。將四とせの先にや、かの地に冬ごもりせし契もあれば、咲きにほふ言の葉はすみよしの濱の眞砂とつきせず、岸の姫松のあらむかぎりはと、ねがふことをしかいふ。安永二年初冬葆光齋天府懺悔六八九
名家俳句集天上天下唯我獨尊の思ひに、我も浪花に一人の作者也と、鼻のあたりうごめきて翅も生なむこ〓ちなりしが、四とせ已前のはる家の業によりて、みちのおくに下りしが、かの松がうらしま一見せばやと、千賀の鹽釜の浦よりひと葉の舟にさをさしてうかれ出たり。こ〓や名にしおふ扶桑に三つの勝地なれば、あだに見過さむも本意なしと、かねてのあらましにて袴羽織の禮服をこがましう、氈うちしき筆硯の調度きよらを盡して、こと〓〓しく置並べ、舟人に物かたらせて漕出ぬ、頃は彌生も半過ぎぬる頃なれば、行俳諧懺悔文倩我この道にあそびしこしかたをおもふに、廿とせあまりのむかし、東武の活活坊舊室の門に入て芥室の號をえたれど、たゞ歳旦せいほの一一句をなすのみなりし。とし經て浪花の半時庵勃々庵の社中になりて、舊國あるひは舊州とあらため、流行の點取に勝負をあらそふを是として、蕉門の風雅はちからなき物とのみ心にとゞめず、松露吸露又は雪中の庵主たちへも面をあはせながら、そのみちのおくをたづねさぐる事もなく、さながら俳
名家俳句集く行くさくらは梢にほころび、すみれたんぽ〓は堤に咲きみだれ、木の間のうぐひすも入江の蛙も、おもふ所みる處風韻あらずといふ事なし。江の中三里浙江の潮をただふと、ばせを翁の詞も思ひいでられ、あたかも仙境に入るかとばかり、やをら筆をとりて案にしづむに、風景にけおされて一句も出ず、とかくして舟は雄島の岸につきぬ。それより瑞巖寺五大堂など名だたる處を見盡して、寺前の何がしが許にやどり、この樓に昇りて見わたせば、松どものいくとせへたりともしらぬ色なるが、潮にかげをひたして誠に笑ふが如し。高欄に倚て硯引きよせおもむきをさがすに、日旣に西に沒し斜影紅をなして、海上又一つの景色を添へり。江の間〓〓小舟を漕ぎつれ、魚をわかつ聲々またあはれなり。ほどなく晩鐘告げわたり、もののあいろも見えず、いざ夕ぐれの松しまをと筆はとりたれど、草のうへの露もうかまず、夜もはや更け行かむとおもふにも、又あひがたきこの夜なるにと、うちも眠らで高欄にふとんうちかけ、悠然としてもたれゐたり。折ふし廿日餘りの月のさし出たるに、磯うつ浪の月に映じて白妙に、島々の松のいろもおほつかなきさましたる、墨繪のまつしまともいふべし。これをもとかくにおもひぬれど、一句のおもむきをも得ず、春の夜のならひとてゆめばかりに明けわたるよとおぼえて、東の方しらみわたり、烏の聲枝に聞え、朝かすみうちそひき、海の面靄々としてきのふにかはる風景なり。かくて日のひかり竿ばかりにさしのほり、霞の衣のほころびたるに島こそひとつ見えたれ。あはやと思ふうちに、こ〓かしこあらはれ渡る千島の松のみどりきら〓〓しく、名工の彫める如く妙手の繪がける如し、心詞も及ばれず。興に乘じてこの時心頭にうかぶ物あり、うつ〓なく筆をとれば、朝霧やあとより戀の千松しまと書き終りて、よく〓〓思ふに、是は雪中庵前のとし行脚せられ、此島にあそびし句也。東都にてものがたりありし頃は、たれもいふべき事ならんと、大〓に聞きなし置たるが、このときの實境に催されて心にうかびたるなり。暫くひとり推敲をなすに、朝霧のたちおほひたるが、常ならずと賞して五文字を置き、跡より戀のと艶詞を加へたるおもしろさ、意味深長なる事、古人のほね折りしどこ俳懺悔
名家俳句集ろ、みなかくこそあらめ、我も人も同じ事いふとのみおぼえ居たるが恥かしさ。はじめて我及ばざるを知りたるも、此松島一見の德により、か〓る絕妙の境をさぐり得たるも、外ならぬ因緣にやと、このとき胸裏に雪中を師と尊びて我をしりたるは、あつぱれの大悟ならむと自得し、江戶にかへりて雪中庵主にこの事をさんげす。師しめして曰く、よし〓〓夫こそ我家の理窟をはなれたる一路向上の風流なるをや、世塵得失を忘れて月下推敲の句を點頭すべしとぞ。夫よりこのかた花にうかれ月にあくがれ、雪に寒き日も蕉門の意をさぐるに、仰げば彌高し。去ども老若貴賤のわいだめなく、老後のたのしみといふ〓なれば、こ〓ろを遊ばしむるにたれり。猶行くすゑの修行むなしからずば、下手の數にも入りなむ、そは生涯の本懷このみちの冥加ならむかし。明和七年庚寅冬十月十二日浪華荒陵山下於蕉翁牌前囘心齋舊國謹誌霞みけりはやかみの町しもの丁とし喰ふ鬼の行くへやはつ霞いつはともあれはつ鳥〓〓まさ夢や浪花は梅のはなの春武州鬼石福田氏八十賀ふくわらや奧ある米のはひり口元日や二日とか〓る夕まぐれひとの心をたねとして萬のことのはとぞなれりけるとは我生艸の道にも尊しなにはづのはるや二日は淺香山門松は王母に戀の染木哉カド〓〓見あるかむいざ門々の松の月元日やこの時人壽二萬歲元日やうぐひすも鳴かでしづかなり老の春めがねに蒔繪か〓せばや元日のあそび所をさがせば新町の元日やこれ姫のくに(1)うまれしむかしの曆にかへれと南州のことぶき猶たのみあり百までは三十九年はなの春樂其樂利其利唯起きてかん祝ひけりわれが春(一)東海姬氏國の洒落俳懴悔
名家俳句集かど松やかゞみのおやに物申す有感つながる〓三尺の世やさるまはしさる引の友にあひたり宇津の山住吉奉納良能勸進しら鷺のかすみこぼすや松の陰な〓草やおやの拍子にかしこまり七草に不二の山彥うたふなり楓橋夜泊畫とだえては船に聞ゆるなづなかな雨がちに雪ふる朝やわかなつみさむき方に立て若菜の御供哉袂ふく若菜がすゑや小まつ川鷽かへて腹立させむ妙しろ女一其角つねに申されしは好氣根稽古の三つにくらぶればすきこそものの上手なりけれ將棊の師大橋宗桂もつね〓〓この歌を誦し申されしほろ〓うちて散らすな花のきじ隱しすみだ川にて櫓聲浪をうつて妹がるは誰ぞ朧夜に古畫にかゆ杖や馬の內侍をしととうつ二股大根の畫此大根人には見せそはつねの日屈原畫梅ひとり咲きぬこと木はまだ寒し時人に詔はず梅さきにけり武州兒玉郡春貞寺といへるに梅あり花五色にしてめづらし花さらば又いつ色の梅の庭香を持て梅の林に入る夜かなちる梅や獺のかづきし魚のうへひらの町神明境内出世天神は松木家より奉納ありし神體なりさくや此花みむ松の木の間よりたえず匂ふ梅又もとの香にあらず梅咲て木をとこがちの花見かな(一)後朝我袖のわが袖ならず梅の花一支考日、俳諧はたゞ梅の花のやうに有るべし、此花のかたちは世にへつらはず、たゞ有のま〓に咲きいでて殊勝のものなり、しかるにあやなきやみの夜すがらにも、たゞ獨りにはひゐたる、雪の裏はさらなり、花の佳名を世にもとめぬは、俳諧の人のためにして、名を急ぐまじきたとへにてあるべく候、さればとて侘びはて〓世をするすみなるもにくき(一)木男は木強男子の意なるべし俳懴悔
名家俳句集物なるが、深き時は暗香の月にうかび、あさきときは疎影の水に横たふ、風流ならざれば俗におちやすし、さびしからざれば酒色にまどふ、あるひは寒くあるひはあた〓かに、世に殊に自在のものにて、これらを法師がよのつねの工夫にいたすにて候へ鉈さげて出たりな梅の亭主ぶりおもひ切て梅見に出でむ日こそなき凡董が夜半亭になりし賀一條院の御時花有喜色といふ心を人々につかうまつりしに、刑部卿範兼君が世にあへるはたれもうれしきに花は色にも出にけるかなと詠給ひしも、か〓る折からの壽におもひあはせてはるの夜も半になりぬ梅がやど散りしほや香もそゞろげに梅の花主家のつとめ功なりて國にかへり申さる〓信濃の人におとらめや陶朱買臣うめの笠梅ひと日ひと日か〓ゆる餘寒かな下もえや忘れて過ぎしかきつばた木曾深阪といへる所にて下もえてあへもの富める山家かな春庭曲梅柳出あひも上手同士なり洛の諸九松島行脚の折の添へぢからにとて、案內のために遣しける元二郞といへるあらおやぢの、七十五歲になりたるが、風景のおもしろさにめでてや有りけむいのちこそたからの山の松島やかく不風流のものだにも、時に感じて自然とうかびしものなり、又みちのくにの二本松に俳諧すけるもの共、さくらがもとに酒くみかはしあそび居ける中へ、所の百姓のいでて酒のませ給へと乞ふ、發句いたし申されなばいかにもとたはれしに、この人しばし案じてきのふより翌よりけふのさくら哉いひ出されて興さめ、人々ほ句も出ざりけりうつかりと名所の中に田打かな母やまたむ我うつ畠のおはき事川島もはたけ打つなり淀かつらいて解や木幡の里のかり足駄齒ごころの又冴えかへるなます哉雪消えて遠山松と一なりにけり和州檜原玄賓庵主勸進七十賀松延齢友といふ事を俳
名家俳句集松につれてあるじにつれて松の花伊豫の國朝倉の庄官かたに今治の太守の名を給ひし靑三位といへる松に蔭深ししひもひろはで松の花覺英僧都舊跡みちのくくづの松ばら六百五十年忌松にこそ葛のむかしを呼子どり上毛にて莖立やたのの酒やのひたしもの+10ひとつ呑でうす紅梅や蘚うりおとろへやむらさき匂ふ蕗のたうおにつら曰、未熟の人の俳諧は春雨のと五文字をいひ出でし時、はるさめ先に出候といへば、秋さめのとつけかへ侍らむといふこそうたてけれ、春の月はくれ初るよりおほろだちて物たらぬけしき、夏の月は灯をとほく置てながめ深し、秋の月は窓に軒に海に川に野に山にながめあり、冬の月はひとむらの雲の雨こぼし行くひまを照らしていそがしはるの雨は物こもりてさびし、夕だちは氣はれて涼し、秋のあめはあはれにてさびし、冬のあめはそこよりさびしうぐひすはきく、郭公は待ち侘るこそ詮なるべけれ、四季折々の草木ひとつ〓〓辨ふべしはるさめや舍りがてらの年八卦地にあらば連木すり鉢猫の戀(三)あかつきや猫の戀するはつせ山腹中戀ひ〓〓て猫のおなかやはるの月おもひかねて猫はなちやる雨夜かなはりまや九兵衞三回北はまの獨尊ともいはれし人なれば今は三とせほさつの中の涅槃哉しらうをに有明月のうるみかな白魚やこの傳奏はなにの君父をうしなへる人に霞む日や殘せしめがね見れば猶かすませも果てず江戶ばし日本橋三條や霞ひとへに人ひとり帆ばしらに霞の袋脫したり内田活丈子上がたへのほり申さる〓に我は先だちてのぼりし折すみよしに松こそ笑ふ山かつらきさらぎや手もとおぼゆる莖の水おほろ夜を見つけ出したり隅田川述懷おほろ夜や我もむかしの男ぶり朧夜や越路にかへる鏡磨(一)地にあらば連理の枝の西落俳悔
名家俳句集几十子の國にかへり給ふを(一)おくるに、なにか別れのかなしかるらむとは、大江の白女が命をかこちしことのはながら左にあらでかならずよ似た春の來てかたるべしいとゆふや南に向ふ東大寺かげろふやたちも及ばぬ不二の裾あしたにはかげろふ立ちぬ鳥邊山花頂山にてかげろふや僧の答ふる小鍛冶が井陽炎や荷鞍ほしたるはし驛たがために酢味噌待つらむ春の草長閑さや簀にはじかる〓海苔の音信州上諏訪自得所持ばせを翁より傳來のうぐひすの水滴に人々の句を乞はれけるにおし親のうつはや道の月日ほしうぐひすの旭むかへて初音かなうぐひすの巡るや軒の芋俵金色鳥や鉋つかはぬ家のさま鶯の初音やちさく打ちかへしきぬ〓〓にうぐひす啼てうとまれずまだ寒し畠うつりして鳴くひばり我畑に雲雀舞はせて日は入りぬ(一)古今七、白女「命だに心に叶ふものならば何か別れの悲しからまし樂人町にて破を舞うて急に落るか揚雲雀落ちしほの月をおくるや蜆とりすみよしや粉濱の蜆赤味噌に生のりや江戶の南の小むらさき西の京西大寺など見巡りて遍照がうたをおもふ(1)柳にも誠少しつゆの玉きのふ今日あすの柳のみどり見む章臺見盡してかゞみにうつす柳かな老情春やむかし出口の柳みてかへる靑柳やおもへば長き露のみちなか〓〓に柳のあるじはる易し大筒の玉にもぬける柳かな女あふぎをひろひし人に落ちにきや女のこしの柳より江戶兩國道遙漁舟みえて吹くなり春の風しのぶ夜のしら玉椿散りにけり鶴舞うて椿屬々ちる日かな夜半亭蕪村を悼むこの叟の潔き性質を思ひて落ちるときおちし椿の一期かな老少不定の心を(一)遍昭「連葉の濁りにしまぬ心もて何かは露を玉とあざむく」俳懴悔
名家俳句集七〇四落つばきうつろふ花は枝にあり靈山丸山あるは花頂の風聲水音みな此會式の興を添ふるなるべし糸竹の花の雲間や墨直しうどの香や詞少のをとこ文字遠州高遠の志むら氏筆道のほまれ有しが、二月二十五日故人の數に入り申されしを聞て西行のもちより二十五日哉夕がすみどれが女のふまぬ山やぶ入りの二日になりし夕日哉對客我はせきあへずも山葵た〓きしを活々坊の云、一座の宗匠は軍中の大將軍、商家の番頭などの心せちにして、一座作にほこるときはしづめ、一席しづかならば又引きたて〓句をなすべし、ひと〓せ初午奉納の畫馬連衆作に作をあらそひし跡へ樓川が初午やゆらり〓〓と人通りかくいひいでしかば、かくべつきらびやかに出來ばえせし、是死活のあしらひなり、此一句ばかり聞たる人の、何事もなき句なりなど評したらむ、物その場の(一)朱雀門の鬼都良香の詩句をつぎたりといふ故事差略あり、これを思へば發句はがりいひつたへて、いにしへ人の句を評せむは、なほつたなき事ならむかしはつ午や有りともしらぬ古社はつ午や戶に拍子とるめくら兒はつうまや新別當の靑あたま二月堂水取や井をうち囘る僧の息苗代に筑波のこのもうつるなりなはしろや昨日は草の水がくれ苗代や小蛇のわたる夕日かげ君が代や米喰はうとてわらびうりたんぽ〓や野をめぐり來る水の隈なのはなや鬼の諷ひし門の跡尾崎氏江戶下りに四方は花阿邊川もちに江戶女郞三尺の松みどり也やけのはら眠さめてひと〓き春の夕日かなはるの日の凧ものぼらず夕ぐれぬ鯛買うて海女と酒くむ春日哉ぬれ鶴やすぐろの薄わけて行く畫圖紅梅に兒の唐輪のそこねけり蓮二曰、誹諧はたゞ物の本情にまか(三)せて、木のよろしきに遊ぶなり、古式につながれ其粕をねぶるまじき也、たとへ(二)木は時の誤か俳懴悔
名家俳句集ば八卦には離坤兌乾坎良震異とあるを、易には乾兌離震異次良坤といへば、おなじ文字にてはしる也、走てよきもあしきも、其時にのぞみての事なるべし、古人の格式は初心の人のため、中品已上の俳諧は、われしりて我するなれば、一千、點の學文も入るべからず、學文は階子也、はやくのぼりていらぬとはしるべし、下品のうちはしり過ぎて階子ふみはづしたらむもあやふし紅梅に日本ばれの天氣かな紅梅はさめて彼岸の夕日かな鳶の輪の下に鉦うつ彼岸かな伊勢山田ある寺に秋葉山勸請のやしろありかたへなるひと木に三尺の接穗も梅のにほひかなひがし白にし紅梅につぎほかな物さはる夢のみ見する接穗かな關口七郞左衞門風士が七十賀猶花にちぎらむ那智の若衆ぶり(1)亡妻三周の追悼別れにし其日ばかりは囘り(三)きてと、いせの大輔がふる事も(一)「高野六十那智七士の諺に據る(二)後拾遺十、伊勢「別れにし其日ばかりはめぐりきていきも歸らぬ人ぞ戀しき」にた花の物いはぬ日ぞ恨なる上毛〓水寺奉納花さくや御まなじりの屆くまで雪中庵七十の賀老師が古稀の祝に我も一一つちがひの老弟といはむもをかしたえず見むかたみに花のかゞみ山攝州溝杭矢島氏へ八十賀山口や花の千もとの八十瀨川かはらけに味噌も置れぬつばめ哉つばくらや其子もか〓る思ひせむ家分けてつばくら待たむ棚つらむ河州岸田堂かけくるや其梁のつばくらめ一古き歌を折よく誦しいでたらむは、あらたによめるよりも風情ありとや、淀のわたりのほと〓ぎす、宗盛の字佐の奉納など、手がらありてきこゆと承る、ちか頃尾張の人のつまの七とせまで腰たたでありしが、つひに身まかりしとき、其夫のおもひいでて申す麥くひし雁と思へどわかれかな野水が句をつぶやきしはいとあはれにして、野水が作せるよりも情あつかりけると、鳴海の蝶羅ものがたり也俳懴悔
名家俳句集行く雁や北斗の外は雲の浪つまなしや一羽たち行く雨の雁かへる雁紀の路や花のほころびし衣搆てばかへり來よ雁かへり來よ雁風呂にうちくべられし染木哉(一)大旦那となりけり春の雨やどり鳥の巢や小僧にしめす事ひとつ莊子の〓其鼻に入れて眼覺せ蝶のゆめ蝶々もしろきに事は足りぬべし雫して羽叩く雨の胡蝶かなたちいでて初蝶見たり朱雀門世を世とも三月がほの胡蝶かな莖立に翌飛ぶ蝶のすがりけり蝶の髭立ふるまひにかくしけりなる神の撃つぞや胡蝶舞出でよみよし野の吉野のおくや蜂の聲にしき木に蜂の巢ありと申しけり山里雪解や今更木々の下紅葉雪解や谷の戶いづる檜もの片隅に鍬のひかりやはるの雨高雄山にてはつ戀や袈裟も紅葉も靑きより-鳥醉曰、ばせを翁古池の吟世上にいろいろと解をなす、恐らく翁の心にあら(一)染木は錦木のことじ、其頃尾城の四五子や〓正風にもとづける折なれば、ひとしほ易きかたに骨髓をつくし、衆にしめすの五文字ならむ、其角が山吹やと申せしはおもしろけれど、衆口もとの旦風にかへらむ事をなげ(一)き、山吹の花なる汝にはよからむ、我はかくこそと御申ありし、句上の事はさもあれ、みちに志のあつき事をおもふべしとふり出して眠しづまる蛙かなある諸侯の御やかたにてほり池や御領の蛙ゐてまゐる信玄の團扇ゆら〓〓かはづかな千町田に聲あはせけり井の蛙雨の蛙あるはつま戀ふ夜もあらむ有感靑からば憂きには泣かじあか蛙星かげに田にし鳴くなり豐浦寺龍にかしてあと濁さる〓田にし哉革足袋のもえいづる春にあひにけり其中の一つは落ちよいかのぼりいかのぼりどちらへ落ちむ安藝黑田(一)且風は談林風〓女が御簾をか〓げし畫に猶みたし花の夕べの月のかほ(三)ねむき日や水を離れてなく蛙思ひ出や蛙一匹御溝水(二)芭蕉「猶見たし花にあけゆく神の顔」俳懺悔
名家俳句集物洗ふ側へ落ちけりいかのぼり庄田腸音を悼むいときれて凧のゆくへや西の空越後の國にありといふなるむら消えし雪のまに〓〓簾かけ出かはりの人ひと月はおにもなしでかはりの井戶には淺きちぎりかな南京行子をおもふ闇はあやなした〓き鹿鹿の角おぼつかなくも拾ひけり上ひなの膳揚名の金太郞あらしけり白桃の荅にひなの顏か〓むおもかげの皮子を出ぬ古雛飛驒の山中に六十の息子もちけりも〓の花桃わけて來たぞや伽羅の油うり咲初めて桃なき里はなかりけり桃さくや跡目披露の片山家狐去て桃林しばし春を笑む東方朔山岡頭巾をかぶりて桃をぬすむ畫に此も〓や年の眞砂は盡るとも叔父前田良阿君を悼むはるの夜の片破月も入りにけりはるの夜や伏見あたりの片はたご墨江に落日を見る人去て三日の夕浪しづかなり蟹とりて甲に物かくしほひかな和歌の浦にて潟は干て便なき蟹のはさみ哉ながき日やけさ追ひやりし黑き蝶永き日やまだ中山の八から鉦寺もちし初や花の亭主ぶりくよられぬ豆腐も來たり花の頃世は花になるとも知らず奧吉野ありもせよひと夜は花にいなびかり花を分て花さきにけりよしの山江戶酒にいたみの衆の花見かな花に下戶あはぬ敵とは無念なり花に世をとりて七日の上戶かな白麻五千句にさくやこの五度はなのよしの山あらし山の花みむとたれかれ訪ひ、野の宮天龍寺など見めぐりしに、臨川寺のあたりより雨しきりにふりしかば花とちるは雲なり雨のあらし山落貝の提重遲きはなみかな仁和寺にて花を踏で虻のうへ行く人の聲俳
名家俳句集はなの山伽羅ぬす人をみつけたり歸阪京の花見ゆめにもあらずぶとの跡花みぬ人唯ちるまでの名なりけりちり〓〓て花の氣違しづまりぬ老はたぞ淚おとして花にたつ船留て陸はさくらの花車西鶴此第三の事、後水尾院樣より御たづね被下候に、宗因が申しつるが、留て候へばとまりも可仕と御答申上し、其年柄人がらにもよるべし初ざくら田舍の人が見て仕舞ひ油斷して二番ざくらの花見かな手をうたば散りもやすらむ初櫻うぐひすの白き眼やはつざくら山家白箸に蕨のあくやはつざくら客ぶりはさくらにあるを蕨汁曉に雨の降たるさくら哉月は雪はおしなべて櫻ながめけり上毛烏渥先生八十賀さくら咲く遠山も何君が杖世にうむや十日過ぎたるさくら守豐竹越前司馬の叟八十の賀しけるときわかや和歌ならば人丸さくらかなもる神の廿日も過ぎぬ朝ざくら活々坊いへるは、沾德の詞に俳の魔心といふは、人の師にならむとおもふ故なり、此疾にて修行半途なり、いつまでも人の弟子たらむとおもふべし、弟子になりて終るべからずと云々、雪中庵もつねづね此事をいひて、御互にいつまでも稽古あれかしと思ふなりと申されし海棠やかたげて過る日本ばしかいだうの花さきにけり永き日に吉野出て又おもしろし三月菜奥州二本松西立坊といへる僧、錢笛といふものの妙音を聞て申す、いかに伯雅の三位なりとも、この笛に油斷すべからず葉二つの笛にもかへそおぼろ月蚫むくいせの浦人はる深し花咲て人にはうとき大根かなはる三つきおもへば我もあふむ石日は不二見ぬ山や赤つ〓じ一雪中庵にて夜話の節、門人山幸申しけるは、其角五元集の中に、しまむろに茶を申すこそしぐれ哉といへる句、いかなる事にやとたづねけるに、蓼太の曰、此事先師吏登物がたりに聞きしは、むか俳懺悔
名家俳句集し初代一蝶其角と相よし、然るに蝶故ありて公の罪をかうむり、伊豆の島に流さる〓に、友人これかれ別れををしみ、舟場までおくりて、信友の情をなす、一蝶申しけるは、か〓る身のふた〓び相見む事かたし、是までの御懇情いつの世にかは忘れ申さむ、我かの島の事を聞くに、大かたの人魚をとり日にほし乾かして、江戶の便に鬻くと承る、我も又さこそあらめ、然ばうをの腮に木の葉やうの物を、すこしづつ入れおくべし、若さやうのものの入たるほし魚あらば、蝶がなせるものよと思ひたまへかしといひて別れたり、人々其舟かげの見ゆるまで見おくり、其角はいとゞむねふたがりて立ちも去らでありし、其後ひと〓せばかりありて、其角が僕日本ばしの魚の店にて、乾魚の有りしをと〓のへかへり、かてぐさになさむと、たわ〓なる魚を火にあぶりけるに、むろといへるひうをの中に、さ〓の葉のやうの何とも知れがたきが一枚出たり、のこる魚どもにも各おなじやうにありし故、扨々島のやつらは、をかしき事をなす也と笑ふを、其角ふと寢耳に入り、やをら起きあがり、蝶がいひし事を思ひ出し、此乾魚はいづかたの島よりまゐりしものかと、其ひさげる問屋へ人はしらせてたづねけるに、大かたは八丈大島よりわたし申すよしを申す、角こ〓に於て蝶がいひし詞を思ひ、朋友の情しきりにうごき、蝶がしたしかりし友どちをあつめ、茶を申入れ、此干うをを出し、これこそ蝶が申しのこせしかたみなれ、いまだながらへてか〓るわざをなしけるよと、みな〓〓そなたのかたに向て、はるかに信友の情、今更淚とゞめかねたりしとぞ、角が句もこのときの事なりと、師のものがたり有りしとぞ申されしいなさ吹く彌生の末や大がつをむさしのにてなしの花有りといふなる逃水はちるなしを花のみぞれと申さばやけば〓〓と旭さしけり梨の花なし咲ける夜をしろがねに價せむ仙臺つ〓じが岡にて木瓜さくや此玉川はむつの外菊植る叟や秋にあはむとす都へは人して菊の分根かな春さびし蕗の古葉に夜のあめ嘴太も子に泣く雨の夕かないざ竹の秋風聞かむ相國寺俳懺悔
名家俳句集七一六谷の藤泥に尾を曳く風情ありちぬの浦行くはるや堺のうらのさくら鯛うり聲はとほ山どりかさくら鯛上毛の國に侍りて桑子もりつげの小櫛の落ちか〓り夜の守護ひるの守や蠶棚衣川蠶の蝶のながれけり月もはるの朧に細きかぎりかな玉東江戶下りに申遣すみつけ番にしかられな、うす雲高尾に長じりすな行く春や江戶は牡丹に杜若ゆく春のしころは切れて遲ざくらゆく春も銀杏の花のひとよかな行く春や鰺にうつろふ鯛の味春かへれ〓〓と深山ざくらかなもろこしまでも行くものは石火矢に船出す春の行くへ哉中といふ字をか〓せて家の政事をつ〓しみ給ふ御方へはるの日や有りのま〓なる牛の影晩春曲この月にほと〓ぎす鳴け花の雪う向ひ同士物いふ夏のはじめかな琴の春三線の夏となりけらし鳥醉曰、附句は次の句ぬしのためによろしきやうにと心がくべし、鞠のあしらひ成べし、猶さしあひ去嫌の多きものあり、たとへばかのあふみの筑間祭などいふ季は夏にして神祇なり、戀なり、名所なり、所名なり、句に依ては人倫おもかげなどのさしあひ有り、むざと遣ふまじき季なりと申されしか汗ふきやつくまの鍋の二つより花去て鳥まつ簾の靑みかな十南齋はじめの叟一日一萬朔日とたしかに申せはつ袷さくら狩家にかへれば袷かななにとなう夫婦みかへる袷かなどこやらに女さびしき袷かなきのふは紅にさかりをみせし園生の櫻の空しく散て、けふや卯の花の白きにかはる世のはかなさを思ひやりして、林氏のもとへ申遣す花のいろにそめし袂をはつ袷衣がへは〓きとる氣になりにけりこ〓ろまで酢にあふ日なり衣がへ俳
名家俳句集三千のほ句を吐て、俳道の和左大八なりと世に鳴りしも、光陰のつるおと早く、二十五年に成りぬる事よと、今の主まで懷舊を述侍る發句を射し名の通矢も九千日·白綠のうら吹きかへるわかばかな大太刀の御朱印もちし若葉かな鳥醉居士十三回この翁なにはにたびねしておはしける事などおもひいでて、烏明百明の二叟に申しおくる葉になりて殘るさくらや壬生山家花丹の功ます〓〓江林墨水に名をなし給へと、にしむら氏が新宅にしげれ〓〓若葉の花の宿ばひりはこね山にて夏木立伊豆の海づら見えぬなり卯のはなや曉の風月をふくひと〓せの天地易き四月かな大かたのみどりを盡すうづきかなもえぎ地のあやおり亂す卯月哉一支考曰、月雪花ほと〓ぎすは、君にもあらず父にもあらず、我らが爲のなぐ一さみものなり、くそともいひ、味噌ともいひ、人參附子ともあがめて、四季に心やすき出入のものともいふべし、擧てよき時はほめ、をかしき時はそしりてもあそぶべし、心にとゞめざれば氣一物の人なりとて、月花もはらたてぬもの也龍花會灌佛や五段がへりもなさるべく木といふ題にて庭更に木鋏の音かすかなりこがねある塚とこそ聞け桐の花春過ぎてはや咲くみかんかうじかな香久山の花や見捨て〓晒うり閑寓たちばなや碁盤か〓へて下手ふたり橘やならの都のふる手かひこの殿に人しづめたる牡丹かな切つて遣るあとの明たる牡丹かな巳の刻のかねを牡丹の花の時漢相國蕭何〓無事にして芍藥の花ちりにけり芍藥やおくに藏ある淨土寺ばせを行脚の文中に、女性の俳士にしたしむべからず、師にも弟子にもいらぬものなり、此みちに親炙せば人をもて傳ふべし、流蕩すれば人敬ふべからず、俳懺悔
名家俳句集此みちは專一無適にして成す、よくおのれを省るべし芍藥のちるや落るやいつの間に芍藥や末の十日の雨に落つ千兩のかくし妻ありかきつばた杜若凡そのこさぬ水のいろ其色の一つに富めりかきつばたからうじて芥子の使の市を出る愛女をうしなへる人に芥子ちりぬよしや牡丹も廿日草幟を立てはじめし祝に紙子着む音たのもしきのぼりかな芥子咲て抑雨とふり風とふき有所思白芥子のおのれを知るか花ひとへ白髪と吹かる〓けしの主かな咲くときや淺間に向ふけしの花さきつめて莖みじかげの葵かな上毛小林里旭が父を悼む老松の千代を讓りておちばかなそらまめやしら路に花のこむらさき妙觀が刀花柚に用ひむや(9)竹の子も切盡しけり明智風呂(三)若竹や月の細りも二十四五一蓼太曰、都て人の句を聞くに、其場其人貴賤老若にかけて、景曲觀相のうへ(一)妙觀は寶龜十一年攝津勝尾寺の觀音及び四天王を彫刻せし沙門(二)明智光秀敗北の時黃金を京都妙心寺に寄せ追福を乞ふ、表皮を以て每年六月十四日風呂を焚き諸人を入浴を以て辯ぜずば、あらはに口をひらくまじき事にこそ、新古の沙汰に及ばむもおなじ、たゞ人の句を聞て其ま〓成ほどと早速に感じたらむは、其人の俳諧しられてはづかし麥秋やよしのの奥にこもるとも加藤二にめし喰せけりむぎの秋島田驛桃舟にて苗に其たびねなつかし手作麥かつらきの神わざなれや麥の秋麥秋や嵯峨もさがにはしておかず宇治殿の障子立てけり麥のあきCIおのれさへ時ある蚤の四月かな閑居花落る江によし雀のはつね哉よしきりの鳴止むかたや筑波山よしきりのよし一株に高音かな蜘の糸つくろふ雨のはれ間かなやぶれけり袋の蜘の親しらず金春なにがしかたにて僧脇の月は出にけりほと〓ぎすほと〓ぎすく〓り枕の茶も匂ふ綿鞠の膝に落ちけりほと〓ぎす紅の舌一枚やほとよぎすほと〓ぎす月の暈着の連歌哉すみよしにて(一)宇治殿は降國をい俳懺悔
名家俳句集遠里小野の油なめたかほと〓ぎすはからずよ向ざまなるほと〓ぎすほと〓ぎすぬけ出しあとや三日の月三井寺にて寺といへば初音といへばほと〓ぎす東都の往返五十度に及ぶ百不二や月雪花にほと〓ぎす東山嵯峨は見ぬ戀ほと〓ぎす一吏登翁の云、世にはらみ句といへるあり、趣向うかびながらも、句を惜て其場をまつ、今の世の懷劒辨當などといへるさもしき心とは、おなじ日にかたるべからず、むかし源の順が、楊貴妃歸唐帝思、李婦人去漢皇情、かねてたしなみ侍りしが、對雨窓月といふ題を得て、この句を出せし、津守の國基がうす墨にかく玉づさと見ゆる哉のうたもおなじ、ふし柴の加賀、白川の能因なども皆このたぐひなり、ばせをの翁も、うき世の果はみな小町なりといふ句を、ひさしく心にかけて、品かはりたる戀をしてといふに出せり四火旣にもぐさ盡きけりほと〓ぎすかまくらつるが岡にてなけよやよ百萬た〓け郭公三所權現にまうでし頃き〓そめて二百町坂やほと〓ぎすほと〓ぎす喰てはこして六月なり一雪中菴云、一座の連衆をかうがへて、むざとさしあひの句をなすべからず、むかしばせを翁の杉風が耳のうときをあはれみて、つんぼの句をせられずとかや、是一座のさしあひくり也川ほねや申刻さがりの使者男月もたぬ露こそなけれ苔のはな物おもひ苔のはつ花みる日かなかんこどり狩や都の腹ふくれ千觀が馬洗ふなりかんこどり(一)よしきりの岸うち過ぎぬ閑古鳥かんこどり江戶を去る事八百里流羽を悼む音をいれし末の十日やうぐひすも一嵐雪曰、句を吟ずるになまりては口惜しとて、ひたもの都にのぼり、後には少しも訛らで、執筆へ句を渡されしとや花の京かまくらの夏はつ鰹水かけてかつを一世のきほひかな南鐐の箔のしろみや初がつををちかへる八百町や小鰺うり粟津奉扇會腰にあるうちは不易のあふぎかな維光が蜘捨てにたつ扇かな(一)其角「千觀の馬もせはしや年の暮」俳懺悔
名家俳句集廿年女あるじのうちはかな山中麻生てゆがまぬ家はなかりけり乞食の世にある夏とみゆるかな朝風や魚の血こほすみさごの巢紅うらの袂こぼる〓野びるかな夕すゞみ地藏こかして逃げにけり左專道友三寺禮まゐり各涼し伽留羅烟子子や方四五寸の和田のはら子子に水そ〓ぎけり寺參り明方や鳴く音血を吐く蚊の歩み伊藤なにがし轉役加增の賀めでたき事のかさねさせ給ふ方へ御庭までも皮脫ぐ竹のきほひかな蚤夜每不二の五文字の狂びけり江戶みぬは男にあらじ閑古どり紫蘇畠や雨の蹴上のうすぐもり一其角云、さしあひくりといはれむより、まづ句しといはれよとは尤の事なり、句しと成てはさしあひは自由なるべし、たとへば非常のとき鳴物音曲今日より御免とある、早々まちかねて出さむはよからじ、一兩日もさしおきて扨可ならむ、句しは此處につまらで外のものを作せむ、さしあひくりは六句めづつに松の句を出さめ三界無安といへる心を立山の人京に寢て蚊のぢごく拂ふ手にはかなや蠅の雨やどりうきゆめのあるとき嬉し蠅の聲高安の戀はさもあれ飯のはへ蠅うちや上手になりし我こ〓ろ扨こりよ餘り葉末のかたつぶり此句は位のぼれる人のすさめられし事によせて申侍りしかたつぶり這合せたりつの大師事ざまやめでたき雨のかたつぶり雨の日や日の岡のほるかたつぶり裸子の夕がほさしてかくれけり手にふる〓〓のかげや水の月苣のたう雨のけあげのかひ〓〓し夕立やおくれし雨に日のうつり許六のほと〓ぎすに對すひとしほやさ浪くゞりし鱧の味月の夜はおのれを遊ぶほたるかなちやうちんにあたりて黑き螢かな夕風やほたるの中の洗ひ馬一淡々曰、詩は長刀、和歌は刀、連歌はわきざし、俳諧は懷劒也、こ〓ろ切にお俳
名家俳句集もひつむれば、其利事はやく始皇の胸先をさすにいたる、刃長くば其所にいたりがたからむか、むかし戀といふ題を賜はり夏瘦と問はれて袖の淚かなといひけむも、卽懷劒のきれ味なりなつやせや西日さしこむ竹格子むらさめや灰の落ちつく藍畠小さめふる空やむくげの朝ぼらけさゆり葉やむらさめ過る虻の聲水仙の根をほす軒のあつさ哉日ざかりをしづかに麻の匂ひかなしのぶ戀といふ事を吉田屋の蚊に喰れけり伊左衞門-長嘯子の云、はじめて物を誦しよみかぬるは、夏中人の家に入てしばしあれば、その物かの物とわかるが如しとかたびらやなべて世にある人のさまかたびらやさもなき人の折目高かはほりやせめても苔の花に鳥宇治にてかはほりや大黑彫む板間より讓られてけふはつ舟のうがひかなその外の罪はつくらぬ鵜飼かな月入て鵜川に高し老が聲月みせて船に子を守るうがひかな麻生庵野坡三十三回無名庵にて風律興行塚に生ふ葱もゆかし杖のあとさらでだに乳母かしましき粽かな歌によまれ湯にたかれたるあやめ哉五月五日加茂にてのせ勝て埓を出でたり馬の汗東武馬光卅三囘石漱興行ありし世のその墨の香や入梅じめり降る事にみなしておりぬ五月あめ(一)どの雲のふるとも見えず五月雨春麗園蝶羅ぬし五十の宴催されしも、まだ四とせのほどぞかし、あはれ七の叟のむしろがみにもとちぎりしも、今は空ごととなりぬとて、龜章山父のもとへ申遣も、て、龜章山父のもとへ申遣る百とせも半鳴海やさつきあめ一吏登の云、我句を人に聞かしめ、きこえがたく云ふものあらば、よせ直すべし、口論のいつも我に理あるがごとし、樂天が老婆に問ひしも、この事なりと申されし二つめの〓水に足をひやしけり呑んでから宮守のみゆる〓水哉(一)「おりぬ」は「居りぬ」の意か俳懺悔
名家俳句集媒のほめのこしたる田うた哉おもひかねて苧桶に老の田唄かな田植唄嫁に拍子をす〓めけり加州沼水國にかへり申さるにかへる山雪のしら山夏ながら豫州松山法秀寺南嶺和尙にわかる〓詞月日は百代の過客にして、行きかふ人も旅人也と、さればいくかぎり人のうちにてかく寢食を倶にするは、ひとかたならぬ因にや、去ば、再會たのみありと、別れにのぞみ互に手をとりて一笑す相蚊屋に何かくす事夏の月己亥夏偶浪花舊國余與同上洛到草津驛而分手時有歌共是東西過客人同行千里日相親別離今朝暫分手再會尙期明日辰豫章南嶺草あぢさゐや人はいつまで同じ事線繡花の飛鳥川にや生ぬらむ丸裸これほど暑きことはなしあつき日や濱に下魚の算をなす周茂叔畫ひとり聞く時や蓮のひらく音から網の岡にほいなし夏の月涼とる舟漕ぎぬけてなつの月道問へば川にそへよと夏の月ある人の文拾ひけりなつの月二柳菴東行に申遣す古曾部のあるじも扉をひら(一)き、山崎の坊樣も夜具のさたに及ばむは、このたびの行脚なるべし留守つかふいほりはよもや夏の月東西夜話に支考の日、かどり火にかじかや浪の下むせび、かゞり火におどろかす魚はあまたありながら、むせぶといふ一字をよせていはゞ、かじか小海老のほかあるべからず、句は其魂を見、本情をとるべしある人云、風雅の理窟といふはいかに、曰風雅にりくつなし、おの〓〓こ〓ろの理窟なり、人の心をまなぶべし、句を學ぶべからずとなり氷室守七世の夏にあひにけりひむろもり近くめしなば消えぬべし(一)古曾部は能因、崎は宗鑑をさす山俳懺悔
名家俳句集七三〇なきさしてにべなき蟬の行方かな鳴きつくす終りや蟬の水調子つねに風流の心なき人も、ものの善きあしきに感じて、おもはず秀逸の句あり、遠江の國にある人の子をうしなひて、そのひととせのめぐり來し頃去年まで叱つた瓜を手向けけりかく千萬のあはれをふくませ申出しとや葉をもれて涼しや瓜のひざがしら雪中庵の畫讚からす瓜の一軸丸形氏へ遣すとてうら書に我園の夕くれなゐぞからす瓜はつ茄子公家ひと口にまゐりけりほの明の箱根こしたりはつ茄子手にふれば瑠璃やくもりて初茄子あつ盛の畫はつ茄子いづこに薄刃あて〓見むぬれて猶雨の水鷄のさやかなり一雪中庵云、其角がつけ句に毛拔にも名を給ふ君が世とあるは、かの尾州なごやの毛拔師南方といへり、孔明出師の表に、深く不毛の地に入て今南方定と云云、不毛といふよりして、むかし近衞殿下の被下し名なりとたとへ盡しの榮耀にもちの皮といふ事を京の人や鉾見にのぼる東山祇園會我子にて候へあれにほこの兒宵かざりあれほこの町山の丁いつはあれど水みる夏の都哉-雪中云、句振は我生れのま〓にして修行ありたし、つくろへるはいやみなり、土地によらずして、句に都ぶりあり、鄙ぶりあり、高雄といふ遊女のある田舍人に異見しけるは、そこにはゐなかにて歷々の御かた也、此ほどは江戶衆のはやり詞など似せ給ふがいやみなり、よきをとこと金つかふ人とはやり詞に、傾城は倦てゐれば、只ありのま〓なるが可愛なり、其ありのま〓なる人に、おろかなるはなきものなり、ゆめ〓〓にせ給ふなと申せしと、一座せし貫支といへる人の物がたりなり、か〓るあそびもののうちにも、名だかきは心の置所格別なり、しからば風雅も一希因云、大かたは初のほどめづらしく、樣々と句をねり二の折よりは退屈して、いひがちの樣になりはて〓、三四の折より卷の面あらめに、一卷の模樣をう俳懺悔
名家俳句集七三二しなふなり、是つれ〓〓にいへる木のほりの上手といへるは、木にのほる時はいはで、下りる時あやまちせそと、ひたものいひしに似たり名聞に四條へ出たるすゞみかな洛の蝶夢浪花に下り申されし折はじめて逢ひけるににごり江のこ〓ろ遣ひもはちすかな今は三十餘年の知音なり雪中二世吏登居士二十五囘通題江戶深川要津寺定基法師のことのはも、けふの法莚におもひいでられて本堂に蓮のかげさす夕日かなさらし井やをとこ世帶のけふはとて入江子を悼む酒ひやす泉には唯月ばかり奥州せのうへ等舟出店の賀呼井戶に猶手がらある〓水哉さらし井や家のうちなる六玉川書林何がしわづらひて、心地死ぬべくおぼえしに、菩提所の和尙を請じ、末期の安心をす〓むるあらましにて、懇ろに後生の大事を述べられけり、なにがしむつかしきをのこにてありければ、おもき枕をあげ、樣々の御しめしありがたく存候也、ひとつ御たづね申度事の候は、みな死候跡にて野おくりの節、御引導と申す事きく、さだめて能所へまゐる事を、御〓被下候事に候はむが、折角仰聞られても、其時は息たえ耳もなし、生きたる人のみ承り候、あはれ御情には只今仰下されたしと願ふ、和尙すつとたちて、佛前にありける法然上人の一枚起請をとりよみ聞せ、これ有がたき所へ行く道中記なりと被申、病人大にさとり、扨扨けつこうなる道中記にてこそ候へ、有がたし有がたしと息のかぎり念佛し、往生をとげ申しける、これ書林に對して題のうごかぬ處なり手枕や町のいづこに井をさらす川狩や半日無爲の境に入るほとけとは魚狩るときの心なり雲抱て夕立こゆる北のうみ三五粒蓮に落ちけり夏のあめ夕立や江戶は傘うりあしだ賣加賀の紫狐はし立へ行く先に立つ丹波太郞や道しるべ阿波加賀江戶の風士十餘輩荒陵以下の天曉院にあそびT、見わたる名所古跡を題(一)丹波太郎は雲の名俳懺
名家俳句集七三四にとりほ句するに、天王寺を舍利拾ふたもとは玉の風かをるひるがほや轍にくほむ作りみち鼓子花やかくれて住める女蜘ひるがほや眼の玉のちりてのち-淡々猫を飼ひけるに、我喰ひけるめし夜菜などを、我箸にて分遣し、膳の脇にてくはせけり、門人の日、先生餘りなる不行跡の飼せられやうなり、猫のくせあしく成候はむと、淡笑て曰、さればとよ、はじめ二三匹の猫は隨分と行儀に飼ひつけ、首玉なども奇麗に諸事めし遣天王寺の女どもの取計たりしが、いづくへかぬすまれ、十日と内の用にた〓ず、安府のつくしく飼ひたつる故、人もほしがる也、依て此猫は飼ひしはじめよりかくあしく育てたる故、一二度は盜まれたれども行儀あしき故追ひかへされしと見ゆ、いづれも能く御考候へ、猫は所詮ねずみの書物を荒すをふせぎの役が專一なりと見る時は、餘事にかまはず、唯鼠の役といふ所が脇のつけ所なり、俳諧も又かくの如し、こ〓が眼字、それが其題の專といふ事を見さだめたし風吹てひるがほの花みつけたり夕がほに角力が母のすがたみむ夕がほや戾つた牛の嗅で見る勢州白子山觀音堂奉納江戶升屋貞國勸進の畫馬禮まゐり彌ひらけめうがの子抱かごやかくしかねたる山かづら不二庵の句に、頑に貞女立てぬく水鷄哉とありしに、句兄弟せむとて手もさ〓じ兄の抱籠ころぶとも抱かごやたしか妹は玉は〓きむしほしや紙魚追ひながら物書すむしほしや立ちいづる戶も桐柳花見小袖うつりにけりな葛水にむしほしや鈍く傳へし腰の物一ばせを翁の文に、他の短をつげおのが長をあらはす事なかれ、人をそしりて己にほこるはいやしき事也とかよれし、今世の中大かた蕉翁の〓を守るといへども、この遺訓を守るもの百人にひとりふたりならむ名越夕祓子をつれて茅の輪を潛る夫婦かな夕かぜや夏越の神子のうす化粧形しろや戀しき肌もふれきなむ五十ぐしに鱸の烟か〓るなり俳懺悔
名家俳句集七三六洛の几董はじめて相見しける時これからの實になる秋を隣かななるみ千代倉鐵叟予がもとにたづね來ませる折の文をこ〓にうつす難波がた安井舊國のぬしは、もとよりのちなみ深かりければ、此處に至らばたびのつかれをも息めむなど、伴なふものにもかたりなぐさめて、夜舟の蚊をうち拂ひ拂ひ、漸三津の濱邊にあがり、大江のあるじをたづねけるに、予が出坂をまちまうけ給ふの志あさからずなむ侍れば、誠にさくやこの花の都人の情、かのから國の梅酸のそらごとにはあらず、その厚(一)きを謝して一句をつゞり賀し侍る。(一)梅酸云々は、曹操の兵士渴に苦みし時、近くに梅林ありと欺きて一時の渴を醫せし事乾く日も更になにはの梢かな己卯中夏日藏六岡七十二叟書○以下下卷西山宗因に俳諧の去嫌を問ふに、因曰、むかし昌琢新式を講ぜられしに、何はなにに嫌ふ、他は准之と云々、この准之とあるが第一要語なり、其准之とある、准ずる人の了簡よきもあしきも其人の旨に依る、俳事又准之と申されしとか元日のうら打つ風やけさの秋形しろやあとに流る〓秋の水大坂やまつりの跡の秋のかぜ秤口のにしに聞えてけさの秋秋立つや持佛の箔の目にかより民家かつしりと鍬に音ありけさの秋桐ちるやうめの曆の下の卷駝鳥といへるものを桐ちるやみぬ唐土の鳥はみせ(1)けふと暮れして二日のかげも秋の月なりひら〓女などのことの葉を思ひて、枕の草紙の趣にしたがふ彥星よこれ牧方の馬やらうほしあひや石ともならで待課せ中に落つる星や七日をよしの川しのぶれどあの光也ほしの戀御祓せし水にもあらず天の川ある妓家にてほし合を(一)正徹「なか〓〓に見め唐土の鳥はいでじ桐の葉おとせ秋の夜の月俳懺悔
名家俳句集七三八(一)「大ぼし」を「逢ふ星」にかけたり七夕の今宵大ぼし力彌かな(一)此句餘りけやけくいかゞ也と、申さる〓かたおほきよし沙汰あるにつけ、思ひ出し事あり、ひと〓せ東武にて雪中菴の附句に、おれも是から醫者になるはずといふ前句に、雪中、ひそ〓〓と矢間千崎堀小寺と附けられ候、其序魚汝連丈などいさめて云、おもしろき句ながら浮世めき候はむ、こ〓は間神崎などとあらむにやと申す、蓼笑て夫にては近代にて遠慮もあり、實にはまりてもいかゞなり、都て和朝のてあそび、源氏いせ物がたりなど、上古の人あながちに不可尋其作者、只可翫詞花言葉而己と、戶部尙書もおく書あり、これらをいふにあらねど、俳事又八雲の末なればと下略、ちからとあらむには風流なし、七夕のあふぼしとつづけて力彌とされたる宗因の風致をお(三)もふばかり、ひと〓せに數千の句をいひ捨るうちの我なぐさみなり、我にはゆるせとありしひとつの癖と、大樣に見なし給はれかしと戀ひ〓〓て花よりほしの七日かな送られてみなしらぬ火と成りにけり鶴脛か〓げて商ふ叟を見て中々に死なで此世を麻木うり(二)「風致」原本「風到」草市やいづれの家のたまの床瓜茄子さ〓げを畫きしにたま棚の花ぞむかしの櫻鯛魂だなや雛傅きし影法師たままつり八千世諷ひし一座なりうらやまし迎鐘つく他のおやたて濟す其夕ぐれや高燈籠影さすは月に成りしよたかどうろ露下梧桐一葉飛棒桐のいま二葉にとなりにける子はかくし親はかくれて踊かなをどり子やまだ片形のたつたひめ眞中へ旭のいづるをどりかな人の親のちやうちん赤き踊かなさとの子のおしやられたる踊かな上毛小塙地藏奉納盆のはへ地藏まつりにしくはなし痩せたかと背中みせけり盆の月初月のかけかた過ぎぬ芋の莖桐ちらできのふも過ぎし暑かな舟ばりの露にかげろふ花火かな八朔もから〓三八あけはなれ途中吟いなづまや不二の麓のはなれ杉稻妻や乞ひ草臥れしあめの空いなづまや鐵漿つけか〓る妹が顏俳懺悔
名家俳句集雨の萩うらがれて見ゆるあはれなり追はであれ萩喰ふ馬畫にか〓むちる萩にうたれて萩の咲きにけり空摩居士物故のまへ、今の雪中庵のするがの國に行脚とてたび立ちける餞別にとて、あさがほの花を畫て、ちるともちらめ蕣のとありし俊成卿の御うたは、かのから國の桓溫が枕をなでて人と生れては、たとへ臭きものといはれてなりとも、世に名ののこれるやうにとの心はべにおなじ、つとめよや道の修行としたよめてあさがほやおろかながらも花心白麻と兩人へおなじ樣にかきて渡されし、其行脚の留主のうち故人となり申されて、今はかたみとなりし事よとて、完來ぬし右の畫讚をみせ申されし、遺訓の心通じけるにやおもひ出や蕣の花の手折らる〓蕣に鉦皷のあうてあはれなりあさがほや今更ひるをふみこたへこれは秋のすゑに申しける句也あさがほに傾く塔のしづくかな之も元興寺にての吟なり蕣の松に並びて旭かな手折る間に秋風たちぬ女郞花吳逸が家を訪ひて肌寒き秋のちからや堺筬なるみ千代倉蝶羅云、我は酒屋なれば能き酒を造りて、俳諧はをりふしのなぐさみなり、知ある人の藝を好きたらばあそぶべし、ふけるべからず、狂ふは彌あし〓、其所は飛脚屋なり、通路の事にくはしくば、扨たのしみに遊ばれよ、家を捨て業を止めて名人上手になるは、夫人によるべしと申されし、又江戶藏前祇德といへる人の風月より家業はおもし傘の雪とか〓れしもこれに同じからむや酒造る桶に音ある夜寒かな尾陽鐵叟を悼むこの頃おほき世や更にと、なき人をいためるいにしへ人のことばも思ひ出て世のゆめや西へ見おくる秋の雲嵯峨の重厚加古川の山李など花屋がうらに案內して雨の日の薄にも似た案内哉(一)聲かれて夜寒の禿不便なりかへ駕の曉寒し宇都の山朝寒やつくぐ〓と蚊のうしろ影(一)徒然草にある登運法師が、雨の日にますほの薄の事聞きに行かんとせし事をいふ俳懺悔
名家俳句集七四二月落ちてひとすぢ蘭の匂かなきのふみし馬昇入れぬむくげ垣夕がほの實も市に出て朝寒し麻生庵の詞を思ふ長松がおやと申して西瓜かなCI鳴かうかと髭かきあげてきり〓〓す人家きり〓〓す猫にとられて音もなしふたりぬる夜は面白しきり〓〓す媒に追ひやられけり蟋蟀CIとんぼうや岩切り通す水のうへ關東道者のよし野よりいづるにとく〓〓の水も呑だか赤とんぼとんぼうや秋としもなき眼玉信州簔虫菴承和坊勸進みのむしよ月のある夜は出て語れ月にも鶴人、花にも鶴人とあけくれむつみ交しも、いつしかそこの國にかへりて、能き友ひとり失へる事を秋はものの松見ても其人戀し霧雨に小室うたふはたれが馬(三)耳鳥齋ぶりの畫をかきて蟷螂の斧九太夫やよこ車松むしやひるをば何と瓜のさね(一)野坡「長松が親の名でくる御慶かな」(二)きり〓〓すの切るといふ緣起を献ふなり(三)小室は馬方の謠ふ八六四芋うりや月にわかれし秋の聲からめくも秋の聲なり夜はまぐり日の辻や雨こぼし行く秋の雲北濱といふ題を得て雲こぼす雨にもちらず市の秋鰐の居る海たひらかに秋のくれ糸瓜の畫洗へとや三千人のあきの水をとこ山放生川のほとりにて鯉桶の水そ〓ぎけり女郞花-ばせをの翁加賀の一笑が塚にて、塚もうごけ我泣聲はあきのかぜと、其後に駿河の府中籠つくりの九兵衞といへるおやぢの死したるに、又此句を書て手むけられしは春なり、門人かれこれいぶかしく思ひたづね申しけるに、答、九兵衞が死したる頓に聞ておどろき、一笑を悼みたる時の心に同じく、外にいふべき詞なくして認めたり、世の人の噂はともあれ、我泣聲は春ながらも秋の風とおもふべしとなり、八文字を換骨して春となし申されし情、鬼神も虛空に聲をのむべし見ぬ戀や夜のあらしの荻をうつあきの風まづ荻に來てけた〓まし雨過ぎて庭の荻原しづかなり俳懺悔
名家俳句集九つの花みな空しけいとう花若たばこほしたり伊勢が家のあと靑なしや薄刃わたせば秋の水江戶靑山邊にて南瓜の一番首や組やしき世の中や紫蘇にまかる〓唐がらし唐がらし舍利に成てもまだからし木がくれて大内山の唐がらし一良能あるとき一卷の變化を說き申されし序、物がたりに、むかし淨るりの作者近松門左衞門、國性爺といへる狂言をつくり出して大あたりせし跡を、猶おもしろき趣向もがなと枕をわりし工夫にわたる、其時の芝居ぬし竹田近江申すは、作者の心にはさこそ存ぜらるべきか、去ながら大あたりのあとは、大體すらすらとしたる事をなしておかるべし、國性爺にてよほど德分あれば、一二年不當りしたりとも、我等式がたべるぼとは澤山なり、其間は古きものにても出し、其內には自然とよき狂言も出候はむ、夫よりうへそれよりうへと、趣向に趣向をかさねたらむ、かくもてゆかば我家業は盡果て申さむ、たゞ天然にまかされよと申したるは、一道に秀でたるものの詞諸道に通じ、俳諧の一卷の變化もこの心專要なるべしとかたられしならの宿にて鱠うつ宿の外面やしかの聲雄にみせそ雜水にひたす鹿のつら夜の明けて山の高さよ鹿の聲ひとしきり鳴子音して日は入りぬ鳥有てけふも暮らしつ鳴子ひき百舌鳥鳴て曉杉のしづくかな谷風梶之助が畫に關角力霞とともに出でけるかあの腹に宿りしものか角力取撫でられて母に身をまかす角力かなすまふとり並ぶや雨のひる餉どき(1)のり掛の角力にあひぬ宇津の山からくして〓を出でぬ角觝とり防人の名だたる谷風雪見いづみ川などと呼ばれしつはもの共も、早二代のものとなり、見物につれだちし好人の家も、旣に二世三世の人に伴ふ、我身ひとつはとよまれし歌には似げなけれど五十年角力を見たり福祿壽大井子がめしを喰たる角力とり出女の物ぬふかげや秋のくれ(一)嵐雪「角力取並ぶや秋の唐錦」俳懺悔
名家俳句集七四六不知明鏡裡拔き盡す白き鼻毛や秋の暮百里來て袴づとめや秋のくれ妹がりの分別いでぬ秋のくれ新宅に鼬わたるや秋の暮大磯にて鴫立てあとに宿引をとこ哉たちもせで鴫二羽ならぶ夕日哉要々深草裏むし聞くや古禰宜ひとり誘ひ出しなくとばかり聞きなば蟲の笑ふべし籠明けてうれしき蟲の聲聞かむ肌いれてうづら聞きけりかはらけ師磯ばたや日のさす粟にうづらの子風ほう〓〓うづら見せたる草のはら一宗祇法師名月の句、ひと〓せの月をくもらす今宵哉、又雨のふりけるときも、此句を誦して用ひられけり、詞は古きを以て心あたらしくせよとのしめし、いろは四十八文字みな切字なりと申しおかれし故人の金言こ〓にありと、淡々老人門弟にかたられしぬれいろや飯一濱朝の月月の夜や聲細々とあぶら賣藏移亭の反古をさがしけるに、いとなつかしさもいや(一)立入は出入の誤なまして、かの貫之定家の兩卿天王寺の鳥井にのこされし事などおもひいでて月にうつれ忘れてしのぶ人の顏百千萬刧菩提種ひがんの蚊釋迦のまねして喰せけり凡十ぬし須磨の行きかへり九度になりし折、一集を催されし、猶たえず通行し給へとて見のこすな月見の松もいま二本此二本といへる事たづねし人のありしにて思ひいでらる〓は、いつの頃にやありけむ、殿下の君立入の去畫工をめし、(一)御襖に須磨の風景をゑがくべしとなり、卽つかうまつりまゐらせしに能く出來たり、但し月見の松今二本たらでやと仰あり、かの工は須磨の近きあたりにうまれし者なれば、いかでかこの處の事にあやまりぬべきと思へども心すみがたく、其後國にかへり須磨に至り、月見の松をかぞゆるに十一本ありし、我畫て奉りしは九本なり、ふしぎにも恐入て、御内の衆にうかゞひしかども、いかにたゞうち笑ひて語られず、としを經て又承りしに、いつの頃にかしのびの御遊ありて、俳懺悔
名家俳句集七四八よくおぼしめしこめられし事と、みそかに承りて驚き入りしと、卽畫工のものがたりなりしをさまれる月に鶴なく夜半かな入る月や號のわたるあまの川荻なりて月半天にさやかなり有岡のさとにあそびし頃、呂東ぬしの案内にて、月もやどかるといひけむ昆陽の池の堤を巡れば、今宵の〓光いづくにかある、唯水面しろがねをうち敷たるに、ひとしく一瞳一物の外さらに物なし影滿ちて池一輪の月夜かな鎌鍛冶のまだねぬおとや秋の月囊中自有錢酒買うてかはらむ月の渡し守野に立て月存分のながめかな北上川に舟呼ぶ聲の夜每に聞えて、さびしく又あはれに秋のさまを思ひ、國分氏のもとへ申遣す舟に聲巴狹の月の猿よりも不二庵伊賀へ月見にまかで申さるよを我みちの魯國の月見うらやまし伏見のぼり舟のかしましき事を名月はちやうちんゆるす夜舟かな信夫呑溟懷舊水流れ人去て唯月ばかり鐵屋几掌は萬にたのしき叟なればひとりかへる道又月も〓からむ月の夜墨江にて我も見たり七十年の松に月まつ宵や情のまじるうす曇り一おにつら曰、誹諧の道はあさきに似てふかく、易きに似てつたはりがたし、初心のときは淺きより深きに入り、いたりて後は深きよりあさきに出るとか聞きし、むかしは初中後を經しかど、今は其修行する人だになく、心みなさきにはしり、いつしか人もゆるさぬ上手にはなりけらし、これをおもふに誹諧はたゞ當座あだ口にして、根もなきいひすて草なりと、かろき事におもへるなるべし、これも又和歌の一躰とかきく時は、かりにもあさ〓〓しく思へるはほいなき事にぞ侍ると名月や月の名所は月にあり俳
名家俳句集七五〇花雪と見捨て〓〓て月の雁粟のはなふみし夜もあり今日の月あかつきの雨にもあへりけふの月西みればまだ夜はふかし今日の月我家池魚の災にか〓りて、CI人々ひそみつ〓しめる中、おのれに過ぎたる造作のさまっいかいあはう宮とや笑ひ給はむとて足代の山兀としてけふの月名月や更けて皆鳴る荻す〓き月今宵荻も音せよ萩もちれ十六夜や雲により添ふ月の瘦あさがほのかげかすかなり十七夜夜半興行續一夜松北野天滿宮奉納御意に入らむ北野の森のうめ紅葉紺かきの火おこすかげや秋のあめあきの日のくれて馬呼ぶとほし哉山見えて秋ひとときの入日かな仙臺しほせ布朴かたにて、和歌の友のよりておの〓〓當座ありけるところへまゐりあはせしに、題のひとつ餘りぬるに發句いたすべしと申さる(一)池魚の災は火災を名所碪衣うてやあつさは昨日けふの里夜は夜とて箔やが妻のきぬた哉若い衆や近所の砧うち步行く媒もきぬた打ちけり宵のほど雨催ひ須磨のきぬたの通ふなり良能日、初心の修行はいかにも無分別つよきと思ふほどの句をする人、上手名人の場へもいたるべし、初からおとなしく姿情と〓なひ侍る人は、功者といふ中途にて終るべしと、細川公の耳底記にもしるさせ給へり、すべての藝能みなかくあるべしから衣下手にうたせて寢入りけり寺のきぬた念佛にあはで月白し母のきぬたつま持つべしと思ひけり閨怨留主の砧江戶へひゞけと打たりけり一雪中庵曰、ほ句を案ずるに心にうかび、我にめづらしくした〓め見るに、不思も前人の趣向におなじやうなる句がいづるものなり、是かねて聞き感じ心裏にのこれるものか、又は案じその境に行きあふもの、故人の句に彷彿たるあり、皆好の道よりいづるものにして、初心惡功の入たる人の他の趣向をぬすみ俳懺悔
名家俳句集七五二て、一二字を入れかゆる事などとは混ずべからずと語られし、我もちか頃後シテや月のおもても瘦女几童の句に似たり飯だこや朝紫のひとしぼり巴人が句に似たり水鳥のかしらならべて朝日かな布舟が猶去秋の句、ほたもちは小豆のかたにあきの風と案じて、我もをかしく人もめづらしと申しぬ、其後ふと江戶の春來が東風流といへる集中に、附合の句、ほたもちはあづきのかたに秋の風とありしにおどろき、句帳を脫したり、故人の句に作者のちがへるもま〓あり、かやうの事にや有りけむかし、しかれどもつね〓〓の俳力を見て、人の句をひらふものと、古人今人の句に同巢の句をなすものとは、一〓にこ〓ろうべからず、人こそしるらめ我句の事をいふにはあらず、世情のあらましをのぶるものなり、見む人ゆるさしめ樂頭の眉しらけたり秋のかぜ吹きぬける鱸の口や秋の風反りかへる鰺のひものや秋の風いつしかにかわく砂糖や秋のかぜ北越のならはしを三越路や雪に追はる〓あきの風八十島といふ所にて秋風よのざらしぶりの歌聞かむ洛の蝶夢あづまの卷阿など伴ひ、住吉の升市に詣でて高拜殿干珠滿珠の丘などをしへ侍りて松に月玉出の岸と申すなりおなじく十五日四天王寺の念佛會伶人の舞樂をみて月さすやはちすのうへに舞の影夜半亭有文の二子を伴ひすみよしに遊びてたがうゑし松にか千代の後の月日の色や野分しづまる朝ぼらけ木犀の思出しては匂ふかと杏谷子へみづから彫し石印をおくりておし分けてめでよ花野の品さだめ手折らましとても數ある花のはら川こす人の直段をきはめて八十文川九十文川などといふも水に日の價や秋の大井川義仲寺芭蕉翁塚名錄集とりとめた風こそ見えね花す〓き花す〓き吹かれながらに日は入りぬ一會呂利は滑稽の人也、太閤秀吉公或一俳悔
名家俳句集時諸臣に向はせ給ひて、世に恐ろしきものはなにならむと仰あり、君こそ恐ろしきものの頂上にて候と、一同に申しあげたるに、坊が曰、御前樣ほど恐ろしからぬ物はなし、手柄をすれば御はうび、あしき行ひあれば罪を御糺し遊さる〓、よしもあしきも我心にあれば、君は恐ろしきものにこれなし、たゞ世に恐ろしきものといふは、無分別ものにとゞめ申したりと申上げければ、公大きに笑はせられ、諸士もあつと口を閉ぢたりしと、からくにの東方朔、我朝の杉本、あつぱれの俳諧なりと、駿河の乙兒はなしなり駒牽やけふ切立の白ふどし琵琶と號し〓手水鉢に伯雅に柄杓とらせむあきの風いざ攀ぢてきぬた聞きたし塔の上細脛や寢覺る老もたつ鹿も大かたの草におくれて尾花かな江戶曙鳥子をおくりてまねくらむおくる薄にまつ尾花一蓮二坊くずの松原にかける、この頃一般の才人恐ろしき詞をもて、針灸祕訣の諺をのみめづらしといひ出たるに、しらぬ人はしらず、知るものはいかに淺ましとかおもふらむ、下略此しらぬ人はしらず、しる人はいかにをかしからむといへる、世上大かた此そしりのがるべからず川口逍遙淺づまに鰤の雫をあびせけり少將にかしらはられしふくべかななにがしの殿に似たるよたねふくべ蕎麥咲て花の都とおもひけりそばの花峰は淺間の夕烟茸を蹈てはおなじく惜む小めろ哉CI狩人にたけ守めでて山易し二の足にふみ潰されしきのこかな放野群牛引犢休いねかりて天地にこはい物はなしふくむ木を落して雁のはつ音哉船たてる烟のすゑやかりの聲雁鳴て菊のひと枝つぼみけり花と呼ぶ鯛より鮭のもみぢ哉九月九日高津の宮に詣たかきやにけふは栗むす烟みむ酒ことし一二の船のきほひかな雪も解けよ不二見て過る新酒の香細川立旨法印の、我も大廻し三段ぎれの仕やうは習ひたれども、いまだせぬほどに、もはや一期すまじきなり、人のしらぬ事つよくしたがるは、まぎらかし(一)朗詠、年春踏花同惜少七五五俳懺悔
名家俳句集の下手の事なりさればこそ花におもひし野分かな紹巴が一段はめて、扨かやうのほ句は重ねて御むようなり、さあれば人がしたがりてあしきなり、耳底記にかき給へり孔明がやぐらの琴、義經のひよどり越、それらは無據事にやあらめ、今どきたまたま物おぼえたる人の、三段切素秋などと好ていたさる〓は、氣のどくなりと、魚汝のはなしなり置けや露菊よりのちは花もなしあらそはぬ秋とは菊の上手かな菊簞笥通して起る野菊かな露帶てあるじも立てりきくの朝馬牽て菊一本の所望かなきくおなじからず然るにつくる人菊あはせ花ものいはゞ歎ずべし鱧た〓く音は隣かきくの花我ものと成て十日のきく淋し起き〓〓て菊に十日の朝寢かな老みせじ〓〓と菊にこてふ哉十三夜名月の其夜は丸しけふの月兎の子百目になりぬ后の月畫讚夕霧に立ち盡したるかゞしかな大かたの月を見果る案山子哉霞ませて尾上に見たきかゞしかな〓水うかむせ四郎右衞門かたに芭蕉翁の一軸あり松風の軒をめぐつて秋くれぬと、これ翁花屋がうらにて遷化ありし前九月廿六日した〓めのこされし物なり、これが祭を後々まで執行はむと、二柳庵のぬしあらたに松風會といふ事をはじめらる〓にいく千々の秋吹きわたれ松風會たかのの御山にてあさ霧や御廟にまゐる兒の聲うらがれて不二三尺のたかみかな中山由男舞臺納夜噺もこの人の事千々のあき雪中庵蓼太空摩居士九月六日身まかり給へるに悼の句呼びかはす聲や霞のうらおもてと、春の文のめでたかりしも、ことしの秋のたよりはかなくてそなたぞとふり向けば唯秋の空暮秋俳悔
名家俳句集くれ〓〓て秋の行方や雨の音翌をいかにさびしき秋もなごりなりあきの月九月も二十九日かなそ、本情にかなひ侍らむかし、又竪の題はおもしろく、橫の題はうつくしく作せむも俳諧ならめと半時庵淡々二十五回忌しは〓〓と浪に入る日やうめの花、と書きおくられしたんざくを取りて香は今も其ふたむかし冬の梅古物語に細川三齋より太閤樣へ獻上の兜立ものは八日月なりし、又千の利休よりさしあげし石燈籠火袋のすかし八日月なり、物そのわかち有りながら風流の心ありしと、人々感じ申しけるとか初しぐれ露のうたがひ解けにけりうら菊のそよぐばかりや初しぐれ神のたびかしま殿よりしぐれけり月はまだ有るかなきかに初しぐれ初しぐれいはゞ關寺小町かなをはりの巨舟ぬしを送てたびがさによし降るとても初しぐれ淡々老人の日、むかし水無瀨の上皇の仰に、春夏のすがたはふとく大きに、秋冬の歌はほそくからびてよむべしと勅ありし、我俳諧もこれにならひ奉りて、四季のほ句もその心をもて詠ぜむこ俳
名家俳句集爐びらきや泥鏝の光も八日月としよりに來年を問ふ小はるかな初霜やひと足すべるわたし守夜半亭几董はじめは春夜樓といへり、去とし東都へ下り、初代の夜半翁がすまれし石町のかねのほとりにて、雪中庵など俳諧ありて、二代目蕪村のあとをしりて、夜半亭となのられしは、ひととせふたとせのうちにして、酉の十月二十二日伊丹なる士川子の別莊にて、はからずも身まかり申されし事をいたみて二度の名もうしや小春の夜半の聲冬日日あたりや寒菊も子を僞すほどたま〓〓に鳥なく冬のひなたかな豐後の人の國にかへるをおくる人にかはりてしぐれずに笠縫の島に見るまでは花屋がうらの事一ばせを翁なにはの夢とむなしかりし旅やのあとは、御堂前花屋のうらとばかりにて、さだかに其處をもたづね申す人なし、我も久しく此事に志ありながら、能きよすがもなくてうち過ぎぬ、今年いかなる幸にや、をはりの千世倉蝶羅、翁の古きあとをたづねばやとのおもむきにて、羅川十叟雄山の二三子心をあはせ、かろからぬ御しるべをもてかたらひよりしは、南の御堂前南久太郞町花や仁左衞門といへる人にて、元祿のむかしのま〓に家つゞきて侍るが、これがもちつたへし地は、花屋のうらといふめり、又寸馬呼見の兩子も、かの仁左衞門とは故ありてちなみ侍れど、此家こそかの舊地といふ事をも聞侍らざりしに、ふと物の次手に此事申出せしも同じ頃にて、おのおの手をうちて悅にたへず、さらばかの亭をとかりものし、羅川十叟これが主まうけをなし、石漱雲亭其席の事にあづかり、都て連衆十八人うちこぞり、懷舊の一會を催ふし、はるかに翁のたましひをまつり奉りぬ、又樵風といへるは之道の孫にして、蕉門の志を起し、花屋のあるじも生木とて、これも我徒のみちに入らむとのあらましにて、かれこれうちかたらひ、そのかみ翁かれのの吟、かつ丈草のくすりの下と誦し申されしのち、たえて久しき舊地にて、かく文臺を立て之俳悔
名家俳句集七六二道の孫弟はなやのあるじの一句を手向申さる〓は、祖翁の靈神さぞ嬉しとやおぼしめすらめ、風雅のみちたえず、因と緣との薄からざる事よと、淚もおつるばかりになむ、今そのおもむきを書きしるして、翁をしたふ人々に、其古き跡の正しくのこれる事をしらしめ侍るものな給ひ、十月十二日物故ののち、あふみのあはづ寺におくりし每日の事實、おなじく花やかたに藏之大坂のばせを塚は天王寺毘沙門坂の下藥師院といへるに有り、卽門人野坡叟の造立にて、表の文字は堂上がたの御筆、うらの銘文は筑前の醫香月なにがしの六行會といふ作る處なり、其のちいかなる事にや、野坡門人梅徒といへる人、天王寺椎寺のうしろに塚を立てしのちは、此塚たれまつるものなかりしにや、寺も今は時宗となり遊行寺と呼ぶ、塚も臺所のせど口にありし、明和七年庚寅の十月、枯野見しかりねの夢や八十年くすりの下をおもふ埋火羅川其節諸國よりあつまりし短册は、みな花屋仁左衞門に納む、かつばせをの翁元祿七年九月奈良より大坂へうつり寸馬舊國こ〓にたづね、位牌なども往し野坡の納めしをもとめ出して祭事三四年、そののち加州の三四坊二柳この塚を寺の前にうつし、年々會式俳諧あり翁忌しぐる〓やむかし夜伽のかゆの音ばせを忌や長良の山もけふこそは芭蕉忌や其角が餅の冬牡丹行燈の糊につたふや冬の蠅御命講やあさ日を拜む御上人おめいこや女中の法花けふばかり人投げて念佛申す十夜かな若後家のことしも出來て十夜かなちりめんのおめこ紬の十夜かな一雪中の叟夜ばなしに云、句のあたらしみといふは、古よりいでて別に奇を求むるものにあらず、ある娘の子のいと寒かりし日に、友どちとの咄しに、風も寒いかしてふところへ入たといひし、去は寒は動かぬところ肌に通るは本情なり、ふところへ入るといふが、あたらしみなりと申さる、魚汝の曰、この頃も去寺にて、古御達のよりあひて、扨々今どきの(三)嫁共は、かへつて姑どもをなかせます、左樣々々わたくしも隨分きげんをとるが當世ぢやと申しあひたり、そしるは本(一)古御達は老女の義、原本「古後達」とあり氏野骨俳悔
名家俳句集七六四情にして、泣かせらる〓とあやまりがほに申すがあたらしみならむと、倶に笑ひて茶を過しぬ、山幸のいへる、巨燵にいくたりもあたりてねるは、菊の花の咲たやうにと、支考がかけるも是なりと笑ひて、又一服を過す爐の灰の曆にか〓る冬至かな山本羅川七囘亡人戀しき折ふしごとや、ひと〓せは冬の日、又の年ははるの日と、かぞへ〓〓てことしのけふの手むけにははや七部のち猿みのにしぐれけり京淋ししぐれ狩して遊ばうよ風吹けば木にも萱にもしぐれけり落付て牛の物喰ふしぐれかな夜半几董身まかりし事を江(1)戶の成美がかたへ申遣すとておどろけや驚くな此世のしぐれ師走野や鶴追ひのけて麥を蒔く乳追うて破魔矢ほしけり冬日向正面に祠堂のぬしや御取こし知れる關取の年老て杖にすがり本願寺へまゐりしを見(一)「身まかり」原本「身とあり、誤なれはあのたれば、はやくとり仕囘ひたき人なるをと、來山聞てきのどくがり、我は世をのがれたる風人なればかまひなしと許して、元日の夕かた我家より野おくりを出しやりての詠なるよし、夫を罪人といふも又道を重んずるの謂にて、殊勝には侍れど、物は其時の樣を能々考へていふべし、人の句を聞かむもおなじ口切やつる松太夫いまだ來ずくちきりや御次は奈良のあられ樽御師どのに灰かづけけり春の畦羅川十三囘十三年その霜月のしもはおくて御取こしや三つ輪ぐみたる角力とり御火たきや宮司がをとこの鼻の下芥にもならで果てけりかへり花良能云、世に來山の門松やめいどの道の一里塚といふ句をもて、禁忌なり、いかにあたらしき事をいはむとて、風雅の罪人になれりと云ふ人あり、これは來山がすみける家のうら家にすまひせしものの、大卅日に身まかりけり、來山が隣は家ぬしにて不斷は庭を通せしかど、元日なれば翌こそと申し、うらのをのこはやもめにて、遠き親類などのとり賄ひ俳懺悔
名家俳句集鳴きながら霜ふるひけり明がらす朝霜やおしなべて鴨のぬはれ伏伏見船中むろにねる梅さへ有るに筈のしもうか〓〓と白ぎく老いぬ霜の朝岡橋叙夕十三囘十七年霜置く松はそれながら上毛湖鏡悼みなかる〓草とはしれど此別れ天滿如瓶一周歸厚堂のぬし身まかりける又のとしかの舊庵を訪ひて石蕗の花も其墨染にさけよかし殘菊や小雨のうつる西日かけほし舍る冬木の梅のたち枝哉水仙のよく雁かもに煮られずよ水仙やひともとの花とおもはる〓大空は煤にかすめり寒のうめ中山與三郞がやぐら初にむかしは嵐、今は中山、三代のやぐらぬし、是優門の世家といふべし三代ぞ外になにはの冬のうめすみよしや松の外には大根畠こがらしや白衣の儈の門に入る松苗にこがらし落ちてしづか也月もるや榧の花ちる土手の上活々坊舊室傳馬町の新道にゐられし時、門人たれかれ寄りつどひ、俳道の奥儀をたづねけるに、其答例の高調子なりければ、門人の曰、今少しひきく仰られよ、外面に人や聞候はむと申せば、活活笑て、これほどに申しても熟得なきかたも有るに、此みち執心にて立聞する人はすしようなり、呼込でもきかせ度事と申されし活々を悼む活々の字もたのみなし枯尾花はつ雪や家の工に酒汲まむや〓有て雪より暮る〓野山かな雪一丈か〓る日に飮めおにころし鯛あげの聲橫たふや雪のうへ(三)駿河の乙兒國にかへり申さる〓に、我もかみつけにたびだつとて、雪中庵にして手をわかついざ雪のはなし契らむ不二淺間蝶有てこのふる雪に舞はゞいかに家のわざに行來する事四十餘年、半はくるしみ半はたのしむ月の富士雪の不二とてはたびいくつ(一)芭蕉「時鳥聲横たふや水の上」俳懺悔
名家俳句集乙雪や未進ねがひの小百姓雪に駕隱居の轉ぶ所まで鴨賣の雪かきわけて尾ごし哉笘もるやたる氷をた〓く磯の浪麻生の云、人に句を見せ相談に及ぶとも、しれた事にても書て見すべし、ことばにては聞きあやまりいひ誤にて、所のたがひめ、五音の不通にて、句の姿情わかりがたく、あたら句を夫ぼとに受けとらぬ故、捨ることま〓あり智者福者申入れたりふくと汁むかしの判者はいかにも覺悟おとなしく侍り、つゞきの原にちる梅を梢に返す羽蟻かな宗祇の發句、ちる花を梢にかへすあらし哉、此姿情のわかり無覺束に、なにともか〓ず、左もあしきにあらず、他につがひ侍らば下にたつ事かたかるべしと素堂判也金屏にことしの雪のひづみ哉さく〓〓と藁喰ふ馬や夜の雪三世雪中庵蔘太居士さみだれやある夜ひそかに松の雪、右のほ句にめでてや、明朝の雲南程劒南とい(1)へる唐人より、からうたお(一)「程劔南」は原本「裡劔南」とあり、改むくりしと聞て英名たかくからくににさへもてはやしぬる事、このみちの規模分て雪門のほまれなるべし雪のあとか〓げて松の月夜かな雪の日や火桶に硯うちわたし雪中待人といふうさぎ煮て橇の音きく夜かな鷹の殿鳶が娘を獲かなひる過や氷のうへのはしり水念四坊半僧半俗といへる人の、よしの山に分入りとくとくの水のほとりにて、つの石をひろひ得たり、其かたち西行に似たるも風流の志こりし處かとて氷うつて得たりしや此玉かしや一本のかしはにさはるみぞれかなひとりねや御油赤阪のかし蒲團夜話幸齋がはなし何々紙ぶすまCつもる事しらで霰のはしる哉獵人の火葢をはしるあられかな炭はねて庫裡に狸のはしる也終年帝城裡不識五候門といへる事を(一)新町の遊女屋の主にて驕奢をきはめし茨木屋幸齋俳懺悔
名家俳句集ほだたくや殿樣しらず年しらず寒月や經よみしふる法花坊に一山川舊跡したしくたづね入るべからず、まして私に名をつける事なかれ、主あるもの一針一草たりとも取るべからず、山川江澤にもおの〓〓ぬしあり、つとめよや四季いひ習たる季の詞の外、めづらしく季に用ふべからず、世の人三步が二も合點の上ならでは季に遣ふ事なかれとは、ばせをの翁行脚文のおもむきなりたゞし四季のことばにうち添へて遣ふは、又おもしろからむか上總戶の釘あらはなり冬のつき冬ごもりこよろに須磨の月見かなかれしやら桂も見えず冬の月有感けふに成て叶はぬ戀や冬の月冬の月夜ごとに照るとおもひける冬の月椋の梢をはなれたり冬の月人にくもらぬひかりかな寒梅や韜はづれて五三輪うめさくや冬の月夜の朝ぼらけ尼といふ題にて〓盛の文張てある火桶かなした〓〓と雨ふる宵のさむさかな藍に似て寒し野づらのたまり水あら寒し〓〓と淺間見あげたり吹立る鴻のうは毛の寒かなあづかりし人の小判の寒かなつとめては日を焚く人の寒かな(、)あら釜の鐵氣たき出す寒かな佛につかうまつるべき年頃なればと、ことし神無月の末我淨土門の尊き〓を受侍りしかど、いまだ世のわざののがれがたきま〓に十念につゞく霜月師走かな尾上菊五郎が京へのほるを祝して、わざをぎのいさをしになくして、なにはのさためでたく都へかへりのぼる事を見はやして東風吹かむたより待つなり梅の冬莖づけや女にわたるちからすぢ樓高し寒夜に聲をさらす人寒聲の若は念佛申しけりあら書を誦て生葱や小仙の世を爪はじき(ニ)丸盆につや〓〓白しあらひ葱最上川この月ばかり大根ぶね(三)大根引て松風の音ばかりなり(一)日は火の誤か(二)小仙は水仙の誤か(三)「最上川上れば下る稻舟のいなにはあらず此月ばかり」の古歌俳懺悔
名家俳句集あくる戶の人より先に落葉かな聞きなれて糊たく宿の落葉かなこれは道因法師の姿を畫にかけるなりむさし野を二日吹かる〓おちば哉まつ戀の題にこぬ人やことにあかつき鐘さゆるしのぶこそ風情あれといひしにをし鳥にしらすや戀のおもしろみキヌ〓〓かもなくや衣々の戶のうしろがみ鴨の毛や吹亂されて水に入る星みえてかさ〓ぎはらむ夜頃かな千鳥鳴きつゞいて老の念佛かな三州國府柳雨子所持あはぢしまといへる貝盃に疾ほして見よや繪島の浦千鳥聲さびてねぶとにさはる千鳥哉雨止てうしみつ過るちどりかな寒さうに人はいふなりあじろ守なまこもし柳の露のかたまりか一手爾波と〓なはざれば天地の神にかなはず、我人ともに受けざるところ有るべし、かの伊勢の團友さぬきの浦にて、なまこともならで果てけり平家蟹との初案、認めながらいまだに心行かぬ事のあればこそ、其夜の夢にあまたの蟹にせめらる〓と見しかば、再案、なまこともならでさすがに平家也、是景〓のうたひにも叶たる手爾波自然と備り、句ぶりも格別なりと、我心中に服せしかば、心神ともにをさまり、其夜はいさ〓かの夢にも見ざりしとか、又其角が、此木戶や錠のさ〓れて冬の月、平家ものがたりのうちに、此木戶は錠のさ〓れて候ぞこなたへ下畧酢をさせば闇浮にかへるなまこ哉網子むれてふみ潰されし海鼠哉ある僧の女の手からなまこかなかつらぎの大君の畫に采女より先へまゐりしなまこ哉つれ〓〓を誦てしやせましかくやあらましふくと汁(一)叱られし鰒も喰ひたし母戀し洗ふ事ふぐは外樣にまかせたり鰒の扉をうつ〓や煤の亂れ客たれやらが脛より白し洗ひ鰒兼房にさたばしするなふくと汁分別の字に抛たむふぐの腸去ぬるとしの冬、三島の驛にとまりし折、ばせを翁のすみつかぬとありし詞もお(一)徒然草「しやしせずやあらましと思ふ事は大方せぬがよきなり云々俳懺悔
名家俳句集もひかへして置ごたつこ〓よと不二の見ゆるまで(1)我は七十婦は六十かげほしやこたつに向ふつ〓井筒老情脫ぐまいと一町廻る頭巾かなくろかみと見ようば玉の投頭巾あかゞりや君にひかれて雲のうへ加茂の明神勸請の祠奉納水潜る色も丹塗のもみぢかな(二)晩年猫板にかくてぞとしのかくれ里まちかねて寢屋にほむらの湯婆哉むつごとも古きたんほの洩れやせむ石町のかね枕をそばだて〓冬ごもりわづかに石蕗の花を見る拜領の鼠馴付きぬふゆごもり冬ごもり蠅の古巢をながめけり七日みる若菜の卷やふゆごもり過ぎさりし人の事を思ひ出でて曆かへばその月と日は有りながら都のさまも碁うちはて〓、けちさすばかり、大路のゆき〓のきは〓〓しくもちや·つせんや宗左が門もうり過る(三) (一)芭蕉「すみつかぬ旅の心や置炬燵」(二)丹塗の矢の流れよりたる事加茂の緣起に(三)ちやつせんは茶筅ひと〓せを風にとられつ曆うり鏡屋のかどに立ちけり曆うりうしとらと恐しき野をはちた〓き鹿ひさぐ家とも知らずはちた〓き山里はさびし都もはちた〓き何蹈んだ念佛なるらむ鉢た〓きいとさむしと見ゆる夜の辻君に衣かられなはちた〓き北は黄に石蕗咲きぬらしいぶき山支考の日、風雅のかたはしを心得たるもの、たま〓〓名家の一卷を見て、此句はをかしからず、其句は味うすしなどいふめれど、一卷につらぬる事、あながちに一句のうへを論ぜず、ひと度は雨となし、ひと度は雲となし、中品の眼をとどむべき事を恐るとなり法然上人の語を聞てC)寒念佛目のさめたらむほどは聞け師走の雨世にある人のほめ申す寒椿咲てちりけり伊豆が崎大藪や竹の子はらむ寒のあめかほみせや衣に掃かる〓橋の霜かほみせやひいきの馬を待ちかねる寒の紅粉團十郞へまづまゐるす〓はきや盥のうつる日のひかり佛名のをはりに僧の笛聞かむ(一)徒然草に目のさめたらむ程念佛申すべしとの上人の語あり俳懺悔
名家俳句集かん明や三味線ばこに物の音節分の豆こぼしけり角力とり防人丸山權太左衞門が角力の高名はいふもさらなり、全體心やさしく風流にして、雪中二世吏登の門に入り、俳諧のほ句をなす、あるとき連中の望にて我手のひらを墨にて紙におし形をなし、其かたはらへひとつかみいざまゐらせむ年の豆かれが身の丈六尺三寸七分、手のひら長さ七寸九分あればよき祝の句也、あらあらしきわざのものながら、かく風流なりしもいとやさしかりけるあひる三度巡りて暮る〓冬至かな庚戌十月ばせをのやどり塚にて我戀は松をしぐれの十二日〓茶のために月うちならす氷かな川風さむき夕ぐれとらへよと君にすれあふ頭巾かなめうがやに一夜遊ばむとし忘れとしのいそぎにて餅つくあらまし、井のもとにたちまふ下女どもの我はがほなるも、晏子が御者の風情なる(二)慈鎭「我戀は松をしぐれのそめかねて眞葛が原に風騷ぐなり」たれかをしむ師走の月も十六夜こがねなる世は面白し年ひと夜世のいそがしきを忘れむと、なにはの大寺にまうでけるに、年のをはりの魂祭などいへるふる事のおもひいで(一)られ、むすぶちほりのすゑはかはらじとよみし、石玉出の水にむかへば親にあふとしの龜井の水かゞみ行く年や白髪をかくすおやもなしとしの市子にまじりたる鯡かな年の市たつうら町は月夜かなかたはらに尻なき妹や米洗ひ橘の木に引きさきし紙子かな舟床し鴨が鳴てもすみだ川驛路寒雲助が衣紋つけたる蒲團かな大佛の窓よりたかししぐれ不二たからぶね賣るや宵間のひとあらしあはれいかに寶舟うる人のさま紅うらの衣もらひけり着たりけり霜鬢明朝又一年花ちつてのち月雪をとし忘れとし忘れ津の國のなに思ふらむ面うちも見よや師走の人のかほ(一)「ちほり」は「ちぎり」の誤か俳懺悔
名家俳句集七七八としの眉いざ傾城につま〓れむ寢覺せぬ春の夜ちかくなりにけり翌しらで三日先みつとは、松江の叟の不二の雪みたりし風流の觀相もおもしろけれど、我は廉波馬援が老壯にならひて、猶いくとせの東行を願ふ鬢髭も不二と常盤に六十五とし忘具ひろはむと、なにはの浦づたひして、住吉の社にまうでけるに、生茂る松どものみどりなる枝うちかはすときは木、きねがつづみの浦風にひゞきて、世の外の心地ぞせらる、まことや無事をもて奇特とすといへる御神詫も、ひとしほありがたくてとしのくれ住吉はよき宮所年ひと夜あらおもしろの飛鳥川攝州ふく原沙月九十歲にて、十二月廿五日身まかり申されしに申遣はす人壽百歲の國にうまれて九旬を一期とし、はるちかく見やりて、もとの國にかへり申さる〓翁をうらやみてたる事をしるや命のとし仕舞異方の災にあへりし古年のくれにひきかへて、あらたなる家に春をまつとてめでたさや大卅日の夕がらす立春在臘はるや來しけさは五つの花の雪餅つきやこしきがうへの山かづら旣春初とりやめかりの息のゆるみより四季のほ句千あまり、すみつきの事ぐさ百三十かさねのもの、みづから筆とりかき納めてふたおやに見せたし今年六十九寛政二庚戌年十月(花押)俳懺悔
名家俳句集七八〇それ大和歌は天地ひらけ初しより、地の花の天にはじまり、天の月の地にすめる、天地和合の大道たゞちに詞となりて、神を貴み君をあがめ、世を治め身ををさむる道とはなりけらし。先づ梅かざすより桃の雫の盃にした〓り、菖蒲葺く軒にはのほり甲なんどを立てならべて、よこしまの氣をしりぞけ、菊の白露は淵となるらむいく世の末までをいひことぶき、一陽來りかへる頃には、をさなき人の髪を置初袴着そめなんどして、神に詣せむとて出たちたるを、老いたる人の杖に肥かけて見送りゐたる心のうちゝそそのもしけれ。四海浪しづかにして橋わたさぬ道もなければ、往來に足をだにぬらさず、かくおほん惠みふかく治まる國のためしには民ぐさうるほひて、誹諧のつらねうたなは萬歲をうたひて、人皆鶴龜の齡をしたふ、かよる御代こそあふぐべけれ。かよおにつら附言나 大江隣其先出村岡之〓流 在武安井舊國名政胤華名宗二號囘心齋又稱大啓交易場國初ト居民間從事銀山之役政容胤道頓之系〓改姓安井揖北海諸州之產讓業於舊國職道益盛居士舊國其性〓雅九又享保中政勝創東都脚力之職以令末輩參商大起範于當世歲與職事交舊南都音都や十回間製子興者殆六千年是是久任職業流俳于俳諧于鎻術于筆鋒各倚名家探探其祕蹟專名家聲,垂訓于後昆加加于歌道流不必酒其伎而常言夫俳自然聲感事述其志耳不必潤飾譬如花木天生者自然可愛是時居士剪裁者容態可惡俳之所貴在 話近於於意微、於神。也可觀其志樣早異〓如以演其所自遊于松嶼鹽扶桑ニ絕之妙學沈吃苦思未得一句夢寐力感書懺悔一章山川之美驛程之勝悉圖〓之以既未見未聞衆庶得、又甞西上之辰采 途於北陸:凡所 經歷花店新款子爵校東甲表者師博認識度工方發すれ諸議院〓収ま書居士阪陽城南圓通蒙光誌萬ノ聊供夫織悔之一端者而已告寬政庚戌中冬朔七八一俳懺悔俳
大江隣藏板寛政二庚戌年十一月名家俳句集茶發句集京都大坂江戶橘屋治兵衛藤屋彌兵衛西村源板六七八二一
增賀ひじりの師の御房僧正の參內のをり、乾鮭の太刀はき瘦馬に乘て供奉し、又皇太神宮の名利を捨てよと、おほけなき靈勅により、やがて赤裸になりてくるひそ〓めきしは、僧綱をたまはり錦繡を身にまとひしよりも、なか〓〓に內心〓淨ならむか。近きころ信濃の國柏原俳諧寺一茶は、元祿のむかしの惟然坊のたぐひにて、上野の坂本町本所番場にいほりせしをそれとともに店又皇太神宮の名利を捨てよと、僧綱をたまはり錦繡を身にまとひしよりも、俳諧寺一茶は、元祿のむかしの惟然坊のたぐひにて、上野の坂本町本所番場にいほりせしをりは、晝も行燈をともしおきて煙草火にかへ、或は客來り餉の時いたれば、それとともに店屋に行き食事をはれば、かたみに料足を拂て返りしなど、なべての事辛き世をいともやすげにすごせるものから、四方遊歷のさき〓〓には奇談咲話人口に膾炙せるもの多し。發句文章もまたそれに隨ひ、頤を解き膽をうばはしむる物少からず、實に一世の俳將なりし。斯而文政丁亥の冬黃泉の客となりしのち、門徒集りて反古物しらべしかど、斯く隱逸のさがにしあれば、いひのこす言葉もなく、さるさうしやうのものさへちり〓〓になむなりしを、からうじて句集いできにたれど、それさへ藏板とかいふものにて、世におほやけならざるををしみ、書りは、ば、茶發句集
名家俳句集七八四肆何某おのれにはかりて刪補を乞ふ。辭する事にしもあらねば、もとの集の上に自他の耳底に殘り、すりまき消息やうのたぐひに見えたるをも書きくはへて、あまつさへ始につたなき筆をはしらす。弘化丁巳彌生俳沙彌一具俳沙彌一具年立つや雨おちのいし凹むまであら玉の年立ちかへるしらみかな初空へさし出す獅子の天窓かな草庵二句庵の春寢そべる程は霞なり我春も上々吉ぞうめの花三崎の井は遊女柏木がかたみなりとかや若水のよしなき人に汲れけり若水やそうとつぎ込む梅の花蓬萊や唯三文の御代の松蓬萊に南無々々と云ふ子供かな富士の畫に一茶發句集上春の部元日や上々きちの淺黃空元日も立ちのまんまの屑家かな春立つと申すもいかゞ上野山土藏から筋違にさすはつ日かな鶯のいな啼きやうも今朝の春あばら家の其身其ま〓明の春還曆春立つや愚のうへにまた愚にかへる新家賀茶發句集
名家俳句集初春や千代のためしに立ち給ふ初春も月夜となりぬ人の皺長谷の山中に年籠りして我もけさ〓僧の部なり梅の花(一)福わらや十ばかりなる供奴小兒のあどけなきをかま獅子が腮ではらへぬ門の松袴着て芝にころりと子の日かな折てさすそれも門まつにてい小松引人とて人のをがむなり我庵やけさの年玉取りに來る初夢に猫も不二見る寢やう哉迯げしなや水祝はる〓五十聟大聲や廿日過ぎての御萬歲鳴く猫に赤ン目をして手まりかな鶴の畫に人の曳く小松に千代やさみすらむ脇差の柄にふら〓〓若菜かな垢爪や薺の前もはづかしき天神參ちさい子の麻上下や梅のはな梅の木や欲にや願はぬ三日の月梅折るや盜みますると大聲に梅の木のあるかほもせぬ山家かな餅組も一さじきなりうめの花鳥の音に咲かうともせず藪の梅藁を敷くを福わらとい(一)新年に庭上に〓き梅に月いやみからみはなかりけり菰はげばはやあか〓〓と梅の花團十郞咲いたりな江戶生えぬきの梅の花梅折るや天窓のまるい影法師信濃言葉赤いぞよあのものおれが梅の花相馬覽古梅が香や平親王の御月夜梅さくや唐土の鳥も來ぬ先に月の梅酢の蒟蒻のとけふも過ぎぬ(一)笠きるやうめの咲く日を吉日と山鶯よりもめづらしく新金を齒にあてけるを二步判の初音出しけり梅の花下戶村やしんかんとしてうめの花紅梅やうつとしがれば二本まで梅の花爰を盜めとさす月かそら錠と人にはつげよ梅の花島原入口のあいそになびく柳かな皮剝が腰かけ柳靑みけり螢飛ぶ夕をあてやさし柳門柳天窓でわけて這入りけり人聲にもまれて靑む柳かな犬の子のふまへて眠る柳かな(一)「酢の蒟蒻の」は何のかのといふ意の俗語
名家俳句集けろりくわんとして鳥と柳かな善光寺堂前白猫のやうな柳も御花かな御殿山鶯も親子づとめや梅の花三日月やふはりと梅に鶯が鶯にあてがつておく垣根かな鍬の柄に鶯なくや小梅むら鶯の目利してなく我家かな是程の上鶯を田舍かな鶯のまてにまはるや組屋鋪袖下はみな鶯や小ぜき越松室に遊ぶ鶯の馳走にはかぬ垣根かな黃鳥や泥あしぬぐふ梅の花鶯の野にしてなくや留守御殿鶯やよくあきらめた籠の聲関正月正月のふたつありとや浮寢鳥老婆洗衣畫彼の桃もながれ來よ〓〓春霞輕井澤笠でするさらば〓〓やうす霞西山やおのれが乘るはどの霞茶鳴子のやたらに鳴るや春がすみ牡丹餅を喰はへて霞む烏かな霞む日や夕山かげの飴の笛霞む日やしんかんとして大座敷横乘の馬のつゞくやタ霞霞みけりにくい宿屋も迹の村菜翁と遊ぶ此門の霞むたそくや墨田の鶴還曆の賀老松やまたあらためていく霞誰それとしれて霞むや門の原けふも〓〓霞んで暮す小家かな某母八十八歳賀門畠や米の字なりの雪解水雪解や門は雀の十五日あさましやちよつとのがれに殘る雪鍋の尻ほしならべたる雪解かな雪解や鷺が三疋立臼に世にあればむりに解すや門の雪菴の雪下手な消樣したりけり門前や杖でつくりし雪解川三日月はそるぞ寒さは冴えかへる藪入や三組一所に成田道藪入や墓のまつ風うしろ吹く芽出しから人さす草はなかりけりはや淋し朝がほ蒔くといふ畑藪入のわざと暮すや草の月店開賀一茶發句集
名家俳句集福の來る門や野山の朝笑ひかくれ家や猫にもいたふ二日灸初午花の世を無官の狐鳴きにけり齒も持たぬ口にくはへて接穗哉夜に入れば直したくなるつぎほかな山燒の明りに下る夜舟の火畑打や子が這ひ步行くつ〓じ原畑打や田鶴啼きわたるあたり迄一年を賣て親を養ふは孝行いはむかたなし出代や汁の實なども蒔いて置く出代やいづくもおなじ梅の花出代の市にさらすや五十顏二月十五日雪降りけるに花のところへ雪のふる涅槃哉御ねはんやとりわけ花の十五日小うるさい花が咲くとて寢釋迦哉寢ておはしても佛ぞよ花の降る寢て起きて大欠して猫の戀蒲公英の天窓はりつ〓猫の戀門番が明けてやりけり猫の戀おどされて引返すなりうかれ猫うかれ猫奇妙に焦げて戾りけり戀猫のぬからぬかほで戾りけりうかれ猫どのつらさげて又來たぞ行きがけの駄賃になくや小田の雁彼岸とて袖に這はする虱かな板橋かしましや江戶見た鴈の歸り樣寢た跡の尻も結ばず歸る鴈閏二月二十九日といふ日雨も漸おこたりぬれば朝とく頭陀〓首にかけて足ついで例の角田堤にか〓る東はほのぼのとしらみたれど小藪小家はいまだくらかりきしかるに上のならせ給ふにや川の面に天地丸赤々とうかみて田中は新に道を作りみぞ堀はこと〓〓く板をわたしておの〓〓御遊を待つと見えたり誠に無心の草木にいたるまで春風に伏しつ〓めでたき御代をあふぐとぞ覺え侍る五百崎や御舟をがんで歸る雁善光寺開帳にあふや雀も親子連雀子や川の中にて親を呼ぶ雀の子そこのけ〓〓御馬が通る竹にいざ梅にいざとや親すゞめ一茶發句集
名家俳句集我と來て遊べや親のない雀雀子やお竹如來の流しもと慈悲すれば糞をするなり雀の子(一)雉子なくやきのふ燒れし千代の松雉子なくや見かけた山のあるやうに(1)夕雉子のはしり留りや鳰の海黑門や下に〓〓と雉子の聲雀子のはや知りにけり隱れやう獨坐おれとしてにらみくらする蛙かな榎まで春めかせたり啼く蛙親分と見えて上座に鳴く蛙向き〓〓に蛙のいとこはとこかなめでたさの煙聳えて啼く蛙我を見て苦いかほする蛙かな象潟や櫻をたべて鳴く蛙玉川やまづ御先へと飛ぶかはづいうぜんとして山を見る蛙かな其聲でひとつ踊れよ啼く蛙產みさうな.腹をか〓へて啼く蛙我庵や蛙初手から老を啼く南都朝起の古風を捨てぬ乙鳥かな(三二)夕乙鳥我には翌日のあてもなし畫めしをたべにおりたる雲雀哉鑛乘の馬のつゞくや夕ひばり(一)「慈恐すれば糞をする」は諺(二)「見かけた山」は見込みつきたる意の俗語(三)諺に「奈良の朝起」(四)末五「夕霞」として前出野大根も花となりけり鳴く雲雀それ虻に世話をやかすな明り窓神風や虻がをしへる山の道小男鹿に手拭かさむ角の跡小男鹿の落した角を枕かな角おちて恥しげなり山の鹿奉納おんひら〓〓蝶も金比羅參りかな蝶飛ぶや此世に望みないやうにむつまじや生れ替らば野邊の蝶大猫の尻尾でなぶる小蝶かな蝶寢るや草ひきむしる尻の先葎からあんな胡蝶の生れけり田に畑にてん〓〓舞の小蝶かな門の蝶子が這へば飛びはへばとぶ小男鹿や蝶をふるつてまた眠る氣の毒やおれをしたうて來る小蝶てふといふ娘山路の案內しけるに俄雨はら〓〓とふりければ木の陰やてふとやどるも他生の緣橋本町上人陽炎や歩行ながらの御法談かげろふや臼の中からま一筋長閑さや垣間を覗く山の僧陽炎や子をかくされし親の貌茶發句集
名家俳句集長閑さや淺間けぶりの晝の月陽炎や手に下駄はいて善光寺凧あげてゆるりとしたる小村哉美しき凧あがりけり乞食小屋我蒔いた種をやれ〓〓けさの露鎌倉やむかしどなたの千代椿菜の花や霞の裾に少しづつ陽炎やそばやが前の箸の山小金原呼びあうて長閑に暮らす野馬哉かるた程門の菜の花咲きにけり大菜小菜喰ふそばから花咲きぬ春の日や暮れても見ゆる東山三助がはつせ詣やはるの雨傘さして箱根越すなり春の雨朝市に大肌ぬぎや春の雨掃留の赤元結やはるの雨(1)餅買ひに箱提灯や春の雨春雨に大欠する美人かな袖たけの垣の嬉しやはるの雨春雨や喰れ殘りの鴨が啼く春甫新宅賀安堵して鼠も寝るよはるの雨婚禮春雨や相に相生の松の聲春雨や鼠のなめる角田川(一)掃留は掃溜に同じはるの風おまんが布の形にふく狗が鼠とるなりはるの風(四)不忍の池に龜どもの菓子をねだるありさまを見るに此節娑婆に萬年の逗留もなら穴藏の中でものいふ春の雨負弓の藪にかよりてはるの兩鳩いけんして曰梟よつらくせ直せはるの雨(1)水江春色すつぽんも時や作らむはるの月ついそこの二文渡しや春の月待ち〓〓し日永となれど田舍かな春風やとある垣根の赤草履宿引に女も出たりはるの風老いぬれば日の永いにも淚かな闇がりの牛を曳出す日永かな(三)春風や牛にひかれて善光寺(一二、茶發句集(一)「つらくせ」は不機嫌なる面癖(二)諺を用ふ永の日を喰ふや喰はずや池の龜永き日や牛の涎の一里ほどおらが世やそこらの草も餅になる我宿は何にもないぞ巢立鳥好々や此年よりをよぶこどり(五)塊もこ〓ろおくかよ巢立鳥手のひらにかざつて見るや市のひな(三)同上(四)狗はゑぬころ(五)好々はすき〓〓と讀むべし
名家俳句集七九六上巳之部浦風にお色の黑いひ〓なかな煤け雛しかも上座をめされけり花咲きぬかた山かげに雛まつり盃よまづ流る〓な三日の月筆添へておもふ盃流しけり川下や果は圖どりの小盃人まねに鳩も雀も汐干かな如病得醫花を折る拍子にとれししやくり哉花のかげ南無さん火打なかりけりかう活きて居るもふしぎぞ花の陰三月十七日保科詣花ちるやとある木陰も小開帳人撰して一人なり花の陰おとろへや花を折るにも口まげる花の木に鷄寢るや淺草寺觀音奉納只たのめ花もはら〓〓あの通り(三)山の月花盜人を照らし給ふ花のかげあかの他人はなかりけり堪忍をいたしにゆくや花のかげ刈萱堂花の世は地藏ほさつも親子かな花の木のもつて生れた果報かな大和めぐりする人に旅の眞(一)觀音の詠歌といふに、「只たのめしめじが原のさしも草われ世の中にあらん限は」言といふをさづけてかならずよ跡見よそはか花の雲今の世や猫も杓子も花見笠ありやうは我も花より團子かなCI苦の娑婆や花が開けばひらく迚さる人は病氣をつかふ花見かな新吉原行灯ではやしたてるや花の雲御所にて棒突が腮でをしへる櫻かな櫻へと見えてじん〓〓ばしより哉一本は櫻もちけり娑婆の役此やうな末世を櫻だらけかな人聲にほつとしたやら夕ざくら氣に入つた櫻のかげもなかりけり花守や夜は汝が八重ざくら袖たけの初花櫻咲きにけり山櫻皮を剝れて咲きにけり傘にへたりと付きし櫻かな天からでも降つたるやうに櫻かなけふは町隣なる麻美と前の日より約し置きけるにかれさはりありとて止みぬさはとて翌の命待つものかはとたゞひとり來たりしに幸懷に五元集といふもののあれ(一)「ありやう」は實際は、銀座茶發句集
名家俳句集ばこれ究竟の句の相手なり櫻々と唄はれし老木かな一夜さに櫻はさよらほさらかな(一)下々に生れて夜もさくらかな小坊主や親の供して山ざくら鞦韆戲ふらんとや櫻の花を持ちながら櫻草といふ題をとりて我國は草も櫻を咲きにけり今すこしたしなくもがな堇草百兩の石につりあふつ〓じ哉若草や北野參りの子供講はるの日の入所なり藤の花東西の花に散りたてられてこ〓ろも山にうつりゆくといふ日は三月廿日なりけり煤くさき笠も櫻の降る日かな君が代の大めし喰うて櫻かな根岸にて山吹をさし出しさうな垣根かな惣々にきげんとらる〓蠶かなそまつげに育てられたる蠶かなやよしらみ這へ〓〓春の行く方へ茶もつみぬ杉も作りぬ丘の家舞々や翌日なきはるを笑ひ顏ゆさ〓〓と春が行くぞよ野邊の草(一)「さ〓らぼさら」は陽炎の内からも立つ淺生かな地獄夕月や鍋の中にて啼く田にし餓鬼花散るや飮みたき水を遠霞畜生散る花に佛とも法とも知らぬかな修羅聲々に花の木陰のばくちかな人間咲く花の中にうごめく衆生かな天上霞む日やさぞ天人の御退屈
名家俳句集夏の部人らしく替へもかへたり苔衣草菴其門に天窓用心ころもがへふだらくや赤い袷の小順禮大山詣(三)四五間の木太刀をかつぐ袷かな鶯のほ〓と覗くや花御堂永き日にかわく間もなし誕生佛雀子もおなじく浴びる甘茶かな馬の子が口さん出すや杜若扇にて尺をとらせる牡丹かな葉隱れの赤い李になく小犬大江戶やおめずおくせず杜若下谷一番の顏してころもがへおもしろい夜は昔なり更衣年とへば片手出す子や更衣けふの日や替へてもやはり苔衣立ちながら綿ふみぬいて出たりけり文虎が妻身まかりけるにおりかけの縞目にかよる初袷小兒の行末を祝してたのもしやてんつるてんの初袷(一)春日野の鹿に嗅がる〓袷かな南無あみだどてらの綿よひまやるぞ(一)「てんつるてん」は衣のゆきたけの短きこ(二)大山神社に木太刀を奉納する習俗あり我上へ今に咲くらむこけの花かわくまで繩張る庭や若葉吹く若葉してまたもにくまれ榎かな門番のほまちのけしの咲きにけり卯の花の吉日もちし後架かな菴の苔花さくすべも知らぬ也禪寺すみ〓〓も掃除とゞくや木下闇法談の手まねも見えて夏木立大寺は留守の體なり夏木立笋の子に病のなきはなかりけり首たけの水にもそよぐ穗麥かなせい出してそよげ若竹今の内朝顏にはげまされたる夏書かな澁柿のしぶ〓〓花になりにけり隱家や死なばすだれの靑いうち夕かげや駕の小脇の夏花持是ほどの牡丹と仕かたする子かなてもさても福相のほたんかな通路に階子わたすや杜若二十四年榮花只一夜夢善盡し美を盡してもけしの花桑の木は坊主にされてけしの花けしさげて群集の中を通り鳧卯の花の垣に名代のわらぢかな卯の花や臼の目切と鶯と茶發句集
名家俳句集若竹と呼ばる〓うちもすこしかなあつぱれの大若竹ぞ見ぬうちに鮮になる間と配るまぐろかな老翁岩にこしかけて一軸を(1)さづくる圖に我汝を待つ事ひさし時鳥是でこそ御時鳥松に月這ひ渡る橋の下よりほと〓ぎす時鳥俗な菴とさみするなほと〓ぎすなくや頭痛のぬけるほど此雨にのつぴきならじ時鳥せはしさを我にうつすな子規鎭西八郞爲朝人礫うつ所に時鳥蠅むしめらもよつく聞け(三)卯の花もちそうに咲くか蜀魂先住のつけわたりなり閑古鳥閑窓吉日の卯月八日も閑古鳥高野山地獄へは斯う參れとか閑古鳥前の世のおれがいとこか閑古鳥雲をはく口つきしたり蟇目出たさは今年の蚊にも喰れけり蚊の聲になれてすや〓〓寢る子哉宵越の豆腐明りに藪蚊かな蚊柱の外に能なき榎かな(一)黃石公と張良と會合の圖をいふ(一)宗因の時鳥いかに鬼神も慥にきけに本づくが如し蚊いぶしもなぐさみになる獨かな我宿の後れ松魚も月夜かな神國は天から藥ふりにけり晝の蚊の來るや手をかへ品をかへ我宿は口で吹いても出る蚊かな隙人や蚊が出た〓〓とふれ步行く晝の蚊やだまりこくつて後から蚊柱の穴から見ゆる都かな年寄と見てや鳴く蚊も耳のそば芝浦やはつ鰹から夜のあける鹿の親笹吹く風に戾りけり五月雨の竹にはさまる在所かな晝の蚊を後にかくす佛かな鶯よ老をうつるな草の家蜘の子はみなちりん〓の身すぎ哉かはほりやさらば汝と兩國へまつて居る妻子もないか通し鴨烟して蝙蝠の世もよかりけりあやめめせ武門かやうに靜なり古婆がかたにかけたり蛇の衣羽蟻出る迄に目出たき柱かなはげ天窓輪をかけろと行々子罷り出たるは此藪の蟇にてい年寄の袖としらでや虎が雨虎が雨などかろんじて濡れにけり妙義山茶發句集
名家俳句集五月雨や夜もかくれぬ山の穴粒々皆辛苦もたいなや晝寢してきく田植唄信濃路や上の上にも田うゑ唄身一つすごすとて女やもめの哀はおのが里仕舞てどこへ田うゑ笠住よし唐人も見よや田植の笛太鼓早乙女や箸にからまる草の花稽古笛田はこと〓〓く靑みけり寢せつけし子の洗濯や夏の月夏山やひとりきげんの女郞花なぐさみに藁を打つなり夏の月小むしろや茶釜の中の夏の月茨の花こ〓をまたげと咲きにけり短夜に竹の風くせ直りけり起き〓〓に慾目引ばる靑田かな豆腐やが來る晝顏が咲きにけり夏の夜や二軒して見る草の花源氏の題にて夕がほや男結びの垣にさく日々懈怠不惜寸陰けふの日も棒ふり蟲よ翌日も又ひいき鵜は又もからみて浮みけり手枕や親子三人鵜のかせぎはなれ鵜が子の泣く舟に戾りけり賑しう鐘の鳴込む鵜舟かな鵜のまねを鵜より功者な子供かな初螢ついとそれたる手風かなもうひとつ川を越とよ飛ぶ螢ゆけ螢とく〓〓人の呼ぶうちに大螢ゆらり〓〓と通りけり不忍池螢火や呼ばらぬ龜は膳先へきれわらぢ螢とならば墨田川夕月や大はだぬいでかたつぶり我袖を親とたのむか迯げほたる里俗かたつむりをでいろといふ此雨の降るにどつちへでいろかな朝やけがよろこばしいか蝸牛柴の戶や錠の替りにかたつぶりかたつぶりそろ〓〓登れ不二の山なか〓〓に安堵がほなり羽拔鳥六月や月夜見かけて煤拂小金原母馬が番して呑ます〓水かな山里は馬にかけるも〓水かな人來たら蛙になれよ冷し瓜初瓜を引とらまいて寢た子かな三日月とひとつ並や冷し瓜茶發句集
名家俳句集あさら井や小魚と遊ぶ心太旅人や山にこしかけて心太無限欲有限命此風に不足いふなり夏ざしき旅やせをめでたがるなり夏座敷まつかげや扇でまねく千兩雨手にとれば歩行きたくなる扇かな西山や扇落しに行く月夜夕暮の腮につ〓ぱる扇かな乙松や今年まつりの赤扇小座頭の天窓へかぶる扇かな他の人の見るも恥し夏ざしき獨樂坊を訪ふに錠のかよりければ三界無安といふ事を蠅よけの草をつるして扨どこへ蟬鳴くや我家も石になるやうに蟬鳴くや天にひつつく筑摩川ねがはくば念佛をなけ夏の蟬豐年の聲をあげけり門の蠅蠅一つうてば南無あみだ佛かな世がよくばも一つとまれ飯の蠅侍に蠅を追はせる御馬かなやれうつな蠅が手をする足をするま〓つ子や畫寢仕事に蚤拾ふ蚤の跡かぞへながらに添乳かな蚤燒いて日和占ふ山家かな(一) (一)俗に蚤の音高ければ晴天なりといふ草の葉や世の中よしと蠅さわぐ山蟬のたもとの下を通りけり松の蟬どこまで鳴て晝になる新家賀涼しさや糊のかわかぬ小行燈春甫京へ行くを送る涼しからむ這入口から加茂の水兩國橋上下見てもほう圖がないぞ涼舟(一)涼しさや笠を帆にして煑賣舟四條河原涼風に月をも添へて二文かな涼しさや彌陀成佛の此かたは草雫今こしらへし涼風ぞ藪村の貧乏なれて夕涼魚どもが桶とも知らで夕涼此月に涼みてのない夜なりけり人形町人形に茶をはこばせて涼み哉(三)門涼人の朝がほ咲きにけり銚子にて朝涼や汁の實を釣る背戶の海きのふは鮮魚に宴してけふは松宇佛夜涼が笑ひ納めでありしよな涼風やちから一ぱいきり〓〓す(一)「上を見ればほうづがない」の諺に據る(二)からくり人形をい茶發句集
名家俳句集すゞ風も隣の竹のあまりかな拵へた露も涼しや門の月江戶住人錢なしは春草も見ず門すゞみおく信濃に浴して下々も下々下々の下國の涼しさよ身の上のかねとしりつ〓夕涼み裏長屋のつきあたりに住す涼風の曲りくねつて來りけり丘の家や蓮に吹れて夕茶漬萍の花よこい〓〓爺が茶やむだ花にけしきとられて靑瓢團扇はつて先づそよがする萍かな臼井峠にて信濃路の山が荷になる暑かな蕗の葉にほんと穴あく暑かな關宿舟中暑き夜の荷と荷の間に寢たり鳧米直段くつくとさがる暑かな兎角してはした夕立ばかり也あとからも又ござるぞよ小夕立夕立や行燈直す小椽先蟻の道雲の峯よりつゞきけり湖水から出現したり雲の峰投出した足の先なり雲の峯川狩のうしろ明りやむら木立川がりや地藏のひざの小脇差玉川萩もはや色なる浪や夕はらひCO麻の葉に借錢書いて流しけり形代をとく吹きふるせ萩す〓き形代にさらば〓〓をする子かな灯籠のやうな花咲く御祓かな(一)後鳥羽院「玉川の岸の山吹影みえて色なる波に蛙鳴くなり」
名家俳句集一茶發句集下星待や龜も涼しいうしろつき子寶が蚯蚓のたるぞ梶の花に(一)病中うつくしや障子の穴の天の川木會山へ流れ込みけり天の川草鞋ながら墓參りして息災で御目にかよるぞ草の露あの月は太郎がのだぞ迎鐘末の子や御墓參りの箒持迎火は草のはづれのはづれかな亡妻新盆かたみ子や母が來るとて手をたよく鼠尾草や水につければ風が吹く(一)「梶の花」は「梶の葉」の誤なるべし秋の部秋立つや隅の小隅の小松島狗子有佛性秋來ぬとしらぬ狗が佛かな星さまのさ〓やき給ふけしき哉褌に笛つきさして星むかひ聟星にいで披露せむ稻の花哥書くや梶のかはりに糸瓜の葉娵星の御顏をかくす榎かな七日の夜只の星さへ見られけり茶發句集
名家俳句集玉棚や上座して鳴くきり〓〓す魂送おれが場もとく賴むぞよ佛達精靈の立ちぶる舞の月夜かな山里やあ〓のかうのと日延盆べつたりと人のなる木や宮角力草花を腮でなぶるや勝角力板行にして賣られけり負相撲椽ばなや二文花火も夜の體稻妻やうつかりひよんとした顏へたのもしやまだ薄暑き三日の月門の月暑がへれば人もへる神前秋草や草も角力とる男山高井野の高みに上りて秋風や磁石にあてる古郷山病後かな釘のやうな手足を秋の風秋風に歩行いて迯るほたるかなさと女三十五日秋風やむしり殘りの赤い花秋かぜの吹けとは植ゑぬ小松かな秋風や壁のヘマムシヨ入道墨染の蝶が飛ぶなり秋の風正見寺の上人十ばかりなる後住を殘して遷化ありし哀露の世は露の世ながら去ながら露ちるやむさい此世に用なしと秋霧や河原撫子見ゆるまで霧に眠る目付きして居る蟇かなあり明や淺間の露が膳を這ふ寢がへりをするぞ脇よれきり〓〓す白露の玉ふんかくなきり〓〓す彌陀堂の土になる氣かきり〓〓す藪むらや灯籠の中にきり〓〓すきり(二)〓す聲が若いぞ〓〓に經堂蟲の屁を指して笑ひ佛かな放屁蟲爺が垣根としられけり秋風やちひさい聲のあなかしこ寢莚や野分を吹かす足のうら五十足ては露はらり〓〓大事の浮世かな露置くや茶腹で越えるうつの山露ちるや地獄の種をけふも蒔くしら露に淨土參りのけいこかな火ともして生おもしろや草の露男女私にちぎりて夜ひそかに迯行くを〓訓して人問はば露と答へよ合點か愛子を失ひて(一)末の「に」は「よ」の誤なるべし茶發句集
名家俳句集(一)「とるや」は「みるや」の誤か寒いぞよ軒の蜩唐がらし其分にならぬ〓〓と蟷螂哉古犬や蚯蚓の唄に感じ貌御祭りに赤い出立のとんぼかな二百十日世の中はよすぎにけらし草の露狩好きの其身にか〓る夜露哉御目出度存い今朝の露うどん花甘い露ばせをさくとて降りしよな夕やけやから紅に露しぐれ朝顏や人の顏にはそつがある蕣や一霜添てはつと咲く朝顏の上からとるや經山寺(一)女郎花あつけらこんと立てりけり(三)鬼灯を膝の小猫にとられけり萩寺存じの外俗な茶屋あり萩の寺耳に珠數掛けて折るなり草の花何事のかぶり〓〓ぞをみなへし女郞花一夜の風に衰ふる入相の聞處なり草の花散る芒寒くなるのが目にみゆる穗芒やおれが小鬢もともそよぎきり〓〓しやんとして咲く桔梗かなうか〓〓と出水に逢ひし木槿かな(一))あつけらこん」は「あつけらかん」の誤な名月や蟹も平をなのり出で筑摩川舟留名月やつい指先の名所山やかましかりし老妻ことしむだ花に氣色とられし瓢かな萩の末芒のもとや喰祭江戶川や月待つ宵の芒ぶね名月やまづはあなたも御安全明月の御覽の通り屑家かな病中名月やとばかり立居むつかしき明月のさつさと急ぎ給ふかな明月を取つてくれろと泣く子かな名月やあてにもせざる壁の穴姥捨山けふといふけふ名月の御側かな赤馬關小言いふ相手もあらば今日の月姨捨などとは老足むつかし有合の山ですますやけふの月月蝕人顏は月より先へ缺けにけりむだ草も穂に穗が咲て三日の月深川や蠣殼山の秋の月茶發句集
名家俳句集春耕孫祝門の月殊に男松のいさみ聲翌の夜の月を請合ふ爺かな月も月そも〓〓大の月夜かな明く口へ月がさすなり隅田川赤い月是は誰がのぢや子供達秋の原知つたらなんぞ唄ふべき秋日和とも思はない凡夫かななぐさみのはつち〓〓や秋日和母のなき子の這ひ習ふにをさな子や笑ふにつけて秋の暮立つな雁住めばどつこも秋の暮病後えいやつと活きた所があきの暮蘆の穗を蟹がはさんで秋の暮なか〓〓に人と生れて秋の暮八月廿九日善光寺詣本堂の柱に長崎の舊友たれかれ八月廿八日詣るとしるしてありけるに今は三十年餘りの昔ならむおのれ彼地にとゞまりて一つ鍋のもの喰ひて笑ひの〓しりむつまじき人達なりあはれきのふ參りたらむには面會してこしかた語りて心なぐさまむものを互ひに四百餘里の道程へだたりぬればふたふび此世には逢ひがたき齡にしあればしきりにしたはしくなつかしくなむ近づきの樂書見えて秋の暮茶店萬灯日ましにへりぬ兩國の兩方ともに夜寒かなうそ寒や親といふ字を知つてから六十にふたつふみ込む夜寒哉うそ寒をはや合點のとんぼかなあばら骨なでじとすれど夜寒哉さ寢筵や虱わすれて漸寒き朝寒や垣の茶笊の影法師うそ寒や蚯蚓の唄も一夜づつ若僧の扇面に影法師に恥ぢよ夜寒のむだ步行旅一人と帳面につく夜寒かな膝がしら木曾の夜寒に古びけり行燈を畑に置いて磁かな草藪も君が代を吹く小夜ぎぬた雨の夜やつい隣なる小夜磁梟が拍子とるなり小夜ぎぬた飯けむり賑ひにけり夕ぎぬた豐秋茶發句集
名家俳句集二軒家や二軒餅つく秋の雨外ケ濱今日からは日本の鴈ぞ樂に寢よ初鴈の三羽も竿となりにけり小組を呼びおろしけり小田の鴈初鴈やあてにして來る庵の畠初鴈や芒はまねく人は追ふ旅にありて鴈啼くやあはれ今年も片月見初鴈もとまるや戀の輕井澤白川や曲り直して天津鴈信濃雪ふり田の鴈や里の人數はけふも减るおちつくと直に鳴きけり小田の膓天津鴈おれが松にはおりぬなり朝夕や峯の小雀の門馴る立つ鴫のいまにはじめぬ夕かな普陀らくや蛇も御法の窩に入る蛇も入る穴はもつぞよ鈍太郞足枕手枕鹿のむつまじや山寺や椽の上なる鹿の聲しぎ鳴くや深山の鹿も色好む鹿鳴くや今二三町遠からばやさしさや鹿も戀路を迷ふ山人ありと見せる草履や田番小屋米穀下直にて下々なんぎなるべしとはこと國の人うらやましからむ日本の外ケ濱まで落穗哉旅人の垣根にはさむおち穗哉今年米親といふ字を拜みけりことし米我等が小菜も靑み鳧姨捨はあれにいとかゞしかな乳呑子の風除にたつかゞし哉人はいざ直なかゞしもなかりけり穂芒や細き心のさわがしき爰に正風院此奥に百花あり門にたつ菊や下戶なら通さじと鍬の柄に子僧の名あり菊の花大菊や今度長崎から抔と酒臭き黃昏ごろや菊の花勝つた菊大名小路通りけり菊園や歩行きながらの小酒盛まけ菊をひとり見直す夕かな後の月月の顏年は十三そこらかな名所紅葉缺椀も同じ流れや立田川掉鹿の水沸拭ふ紅葉かな大寺の片戶さしけり夕紅葉毒茸(一)「も月さんいくつ十三七つ云々」の童謠
名家俳句集八二〇人をとる茸はたして美しき大茸馬冀も時を得たりけり茸狩のから手で戾る騒かな戶盛岡初梨の天から降つた社壇かな柿の木であいと答へる小僧哉小布施拾はれぬ栗の見事よ大きさよ柿の實や幾日ころげて麓迄虱をひねりつぶさむことのいたはしく又門に捨て〓斷食さするも見るに忍ばざる(1)折から御佛の鬼の母にあてがひたまふものをふと思ひ出して我味の柘榴へ這はす虱かな老の身は今から寒さも苦になりて山畠や蕎麥の白さもぞつとする秋の夜や障子の穴の笛をふく庵の夜や寢あまる罪は何貫目木枯や諸勸化いれぬ小制札九月盡今日まではまめて鳴たよきり〓〓す行く秋を尾花がさらば〓〓かな(一)鬼子母神が柘榴を好むは人肉の味に似たるよりなりとの俗說あしぐる〓や家にしあらば初しぐれ靑柴や秤にか〓るはし時雨桑名蛤のつひの煙や夕しぐれ途中にて素玩に逢ふしぐれ込め角から二軒目の庵夜しぐれやから呼びされし按摩坊人の爲しぐれておはす佛かな悼鳴く烏こんなしぐれのあらむとて盜人おのが古郷に隱れて縛られしに業の鳥良を巡るやむら時雨冬の部やあしばらく蝉だまれ初しぐれ善光寺御堂庭乞食重箱の錢四五文や夕しぐれ牡丹餅の來べき空なり初時雨()雀踏む程は菜もありはつ時雨初しぐれ夕飯買ひに出たりけり時雨れねば夜も明けぬなり片山家目ざす敵は鷄頭よはつ時雨子を負うて川越す狙や一時雨時雨る〓や親椀叩く啞乞食旅(一)吾背子が來べき宵なりの句を摸す茶發句集
名家俳句集菜畑を通してくれる十夜哉御十夜は巾着切も月夜かなもろ〓〓の愚者も月夜の十夜哉鳶ひよろひいよろ神の御立げな我宿の貧乏神も御供せよ桃青靈社御寶前にかけ奉る初しぐればせを忌やことしもまめで旅虱義仲寺へ急ぎいはつしぐればせを忌や晝から錠の明く庵ばせを忌に丸い天窓の披露かな降る雨も小春なりけり知恩院棒先の紙もひら〓〓小春かな御取越飴で餅喰ふはなし哉春日山棹鹿やえひしてなめる今朝の霜CI人足も霜がれ時や王子道霞まで生きやうものか霜の鐘中仙道霜がれやおれを見掛けて鉦叩く橋上乞食母親を霜よけにして寢た子かな小松菜の一文把や今朝の霜追分霜がれや鍋の墨かく小傾城霜がれや新吉原も小藪並(一)「えひして」の語誤一人旅次の間の灯で膳につく寒さかな一文に一つ鉦打つ寒さかな寒さにもなれて歩行くや信濃山年がさをうらやまれたる寒さかな上野の麓に蝸牛のから家かりて露の間の夢の結び所とすきのふあたり住倦たる人のなせる業にや垣の蕣のそれなりに枯れて其實はほろほろ落ちたりいく人の泪をかけし果ともおもはれて秋に立增りて哀れなり又門口に二尺計なる土をならして菜のやうなるもの蒔き置きけるが雪の片隅にほや〓〓と靑みぬ是必ず愛度春を迎へて餅いはふべき旦の料ならむか壁は七福卽生の守り張重ねて盜人の輩を防ぎ竈は大根注連といふものを引きはへて囘祿を迯れむとす荒神松はいまだ野の色ながら横ざまにこけたり皆たゞ行末いつ迄か住果むあらましぞと見ゆるも今は雲にや
名家俳句集迹をくらましけむ山にや影をかくしけむすべていづこかつひの栖ならむかくいふ我もしばしが程に又人にかくいはれむ事をおもふのみ身に添ふや前の主の寒さ迄おのが姿にいふひいき目に見てさへ寒きそぶり哉文化六年十二月十五日賀舊家大川氏木枯や千代に八千代の門榎今日も〓〓只木枯の菜屑かな木枯や雀も口につかはる〓木枯や行拔け路次の上總山水仙や大仕合のきり〓〓す水仙や垣に結ひこむ筑波山嵯峨村と名乘り顏なり枇杷の花落葉して日向に醉ひし小僧かな楢の葉の朝から散るや豆腐桶掛がねのさても淋しや散る木の葉落葉して三月頃の垣根かな鶯の口すぎに來る落葉かな門畑や猫をぢらして飛ぶ木の葉花鈿委地無人收おもひ草思はぬ草も枯れにけり枯芒昔婆鬼あつたとさ作らる〓菊から先へ枯れにけり女郎花なんの因果で枯れかねる木瓜の株苅りつくされて歸花大根引大根で道を〓へけり野大根引きすてられもせざりけり鶴遊べ葛飾大根今やひく雉子なども粗鳴きにけり大根引尼寺や二人か〓つて大根引鳴く雀其大根も今引くぞ爐開やあつらへ通り夜の雨炭竈の空の小隅も浮世哉朝晴にばち〓〓炭の機嫌かな炭の火や齡のへるもあの通り分けてやる隣もあれなおこり炭炭の火に峰の松風通ひけり炭の火に月落ち烏啼きにけり榾の火にうしろ向けけり最明寺榾の火や目出度御代の顏と顏樫木原に泊りて埋火に桂の鷗聞えけり旅斯う寢るも我火燵では無かりけり嵯峨山はや〓〓と誰冬ごもる細けぶり皈菴留主札もそれなりにして冬籠茶發句集
名家俳句集モ) (O)漏どのか恐しといふふすま哉燒穴の日に〓〓ふえる紙衣かな三日月と肩をならべて網代守網代守天窓で楫を取りにけりさきつとしの大なゐに鳥海山はくづれて海を埋め甘滿寺はゆりこみ沼田とかはりぬさすがの名どころも事ごとにうらむが如くなりけり象潟の缺を摑んで鳴く千鳥御地藏と日向ぼこして鳴く千鳥おちつきにちつと寢て見る小鴨哉汝等も福は待つかよ浮寢鳥(三) (一)雨の漏るが虎狼よりも恐しといふ昔話に小人間居成不善冬籠惡もの喰のつのりけりさし捨てし柳の陰をふゆ籠冬籠その夜に聞くや山の雨眠りやう鷺に習はむ冬ごもり西の木と聞てたのむや冬籠ばせを塚先づ拜むなり初紙子ほか來てもどなたぞよいふ紙子哉加茂の水吉野紙子とほたへけり大坂八軒家船が着ていとはぐふとんかな祐成がふとん引きはぐ笑ひかな今少し鴈を聞くとて蒲團かな(一)「果報は寢て待て」の諺による鶯や黃色な聲で親を呼ぶ鷦鷯ち〓というても日が暮れるこつそりとしてかせぐ也みそさ〓い鞁をかくして母の夜伽かな門口へ來て氷るなり三井の鐘一さんに飛んで火に入る霰かな(一)盛任がしやつ面たよくあられ哉(二)初雪や俵の上の小行燈はつ雪や今行く里の見えて降る初雪やこきつかはる〓立佛(三)初ゆきや椽から落ちし上草履はつ雪や古郷見ゆる壁の穴初ゆきや鳥も構はぬ女郎花石の上の住居のこ〓ろせはしさよ雪散るやきのふは見えぬ借家札來る人が道つけるなり門の雪ちとたらぬ僕や隣の雪もはくうまさうな雪がふうはり〓〓とほちや〓〓と雪にくるまる在所哉犬どもがよけてくれけり雪の道雪ちるや脇から見たら榮耀駕十二月廿四日古郷に入る是がまあ終の栖か雪五尺一茶病中のていたらく衽なりに吹込む雪や枕もと(一)諺を用ふ(二)盛任は遠藤武者所盛遠の事なるべし(三)「居佛よりも立佛」Dietて居る者は親でも使へ」などの諺を用ふ茶發句集
名家俳句集と十雪舟引や屋根から呼ばる屆狀棧や凡人わざに雪舟を引く翌は又どこの月夜の里神樂里並に藪の鍛冶屋も祭かな行く人を皿で招くや藥喰五十にて鰒の味をしる夜かな鰒汁やもやひ世帶の總〓とら鰒の顏をつん出す葉蔭かな出始を祝うてた〓く瓢かな大寒や八月ほしきまつの月一夜さは出來心なり寒念佛寒念佛さては貴殿で有りしよな寒垢離の背中に龍の披露哉叱らる〓人うらやまし年の暮梟よのほ〓ん所かとしの暮ともかくもあなた任せの年の暮(一)節季候や七尺去つて小節季候(三)町中をよい年をして節季候夕月や御煤の過ぎし善光寺念々相續彌陀佛のみやげに年を拾ふかな節分福豆やふく梅干や齒にあはぬ隱れ家や齒のない聲で福は內餅花の木蔭にてうちあは〓哉神の灯や餅を定木に餅をきる(一)あなたは佛をさす(二)「弟子七尺去つて師の影をふまず」の諺我門へ來さうにしたり配り餅わんといへさあいへ犬も年忘れいくつやら覺えぬ上に年わすれ長崎君が代やから人も來て年籠き〓給へ竹の雀もちよ〓〓と琵琶湖龜殿のいくつの年ぞ不二の山天下泰平松蔭に寢て喰ふ六十餘州かな雜おのづから頭が下るなる神路山掃溜へ一鶴の下りけり和歌の浦(1)月花や四十九年のむだ歩行鶴の子の千代も一日なくなりぬ佛ともならでうか〓〓老の松牧人七十賀(一)諺を用ふ
名家俳句集朝菜つみ夕菜つみつよつむとしのつむりの雪ぞ野らにまがへる世の中はかくてもへけれぬるてふの夢見てばかり身をすぐす哉かつしかの栖立退く日さし木の芽吹きたるに古庵にのち住む人よ花さかば心さし木の櫻とをしれいさましの老木ざくらや翌の日に倒る〓迄も花は咲きぬるうつ波に千度しづみて浮草のうき世並とて花や咲くらむ夕立のまだ晴れやらぬ木の間より雫ながらに出づる月かな功成身退といふ事を里々を涼しくなして夕立の光しりぞく山の外かな七夕の人見給はゞむさし野の草葉のむしとおほしめすらむ念彼觀音力稻の穗よ南無稻の穗よ〓〓かよるみのりの秋はあらじな行く雲の跡からはげる靑空へうそを月夜のむら時雨哉木曾おろし雲吹き盡す靑空のはづれにけぶる淺間山かな時鳥さのみな鳴きそ作るべき田はさら〓〓に持たぬ庵ぞこちあちの風のまに〓〓吹げばとぶ塵の身にさへせはしなの世やいくばくのなげきこりつむ小車の下り坂なる我齢かなみちのくへたつとてながらへば歸らむ事もしら川の關を越え行く老の身なれば追風にうしろ任せてあみだ笠おのづと西へ吹れゆくなりつひの世の煙の種となら柴のまがらぬ杖をたれのこしつ〓手をそらし〓〓つ〓活ばなの花の身ぶりを仕るかな茶發句集
名家俳句集八三二あがりたる世の言の葉を見るに、すなほなる巧なる俳諧なる、さま〓〓なれど、いづれも海山花鳥のあはれをつくして、その物のまことを失へるは一つもあることなし。たま〓〓そのまことにたがへるありと見ゆるは、なか〓〓に思はずなるなさけをこめたるものにて、いとめでたし。くだれる世にいたりてば、大かた人の心うすくなりゆき、まことのすぢを深くもたどらねば、おのづから淺はかになりて、いにしへには似べくもあらずなむなりにたる。今し世に行はる〓俳諧の發句といふも、またかくの如くなるべし。一茶翁はそのふるまひも發句も、うまくいにしへの俳諧の心を得し人なることは言ふもさらなり。その集あまたなりしが、今は世にちりぼひて、たはやすく得べくもあらずなれるを、書林向榮堂嗽芳菴墨芳と、にあなぐりかしこに求めて、かく一部の集となしぬるは、たれかはめで喜ばずしもあらむ。天保十四年みなつきすみだ川のつながぬ舟にて櫻園主人も、櫻園主人今井彥右衞門輯嘉永元戊申歲新鐫十軒店江戶書林英大助通貳丁目山城屋佐兵衞善光寺大門町信州書林蔦屋伴五郞助五郞茶發句集
俳諧玉藻集八三四
花の都の花にも月にも、なれにし風流人のいにしへの、名ある女のうつくしき句をあつめて、されば我にこのはし書せよと勸にいなみがたく玉藻集となづけ、櫻木にちりばめむとなり。て、三とせのやまうの枕をあげ、やよひのはじめなりけらし。かの何むしの這ふごとくといへる、恥かしみふかきながら、筆を染めぬる頃は、千代尼俳諧玉藻集
名家俳句集八三六俳諧玉藻集平安壬申の八月、神風やいせの古郷を立て、古き都のこ〓に來りぬ、その年もあら玉の春を迎へて難波女や何からとはむ事始日參茶屋長生に德あり姥がすわり餅春風春水一時來新しう揃へかけばや荒筵色紙や色好みの家に筆始ぶり〓〓を我は左に見ゆる哉鶯や手元休めむ流しもと鶯に晝笑はる〓帽子かな夜半亭蕪村輯春之部杠葉の莖も紅さすあしたかな元日や掃かぬ嘉例も松の塵新しう子を思はばや花の春松作御惠や代々の 春佛より神ぞ尊き今朝の春去年の眉今朝は嬉しき霰哉いざ摘まむ若菜洩すな籠の内今朝見れば若菜に揃ふ地黑好園女伊勢園女松葉妻丹野母しけとめ同同遊女利越前愛大津智同と越前簪柏原す江戶秋生女月て色俳諧玉藻集
(一)此句は其角のなり(二)雪汁は雪のしづく(一)「さくさめ」は姑俳諧玉藻集名家俳句集いそがしや堇を摘めば土筆初夜後夜の鐘つきやみし別霜親も子も同じ蒲團や別霜(I)大木に思へばならぬ柳かな風ながら衣に染めたき柳哉靑柳も宗祇の髭の匂ひかな手くり舟風は柳に委せたり伊奈木川蕗の薹峯には雪のまだ高し春の野に心ある人の素顏哉に流水むなしと子をかなしみし人もとも霜の鶴土に蒲團も被されず一カ氣の張らぬ入相聞て梅見哉日に梅よ思はず戀の筆始始ての梅にしらすな東風の風梅を折る隣も淺き釣瓶かな盃やおさへて走る梅の花初梅や文書く事を思ひたち梅が香や宵の別れの一つまへ笄の中や住みよき隱れ羽子はご板を子にかこつけて囉ひ鳧鶯や衣張續く枝つゞき雀して見れば竹にも鶯菜のもとへ送り侍るこ〓ろむつかしき折から人尼同園と芳智月娘肥前園そ錦園梅紫女め江女靑老尼園松秋梅曉女園女新某て乃龍妻紅ん女女糸女吟色め樹女靑右左知れぬ蕨の手先哉菫摘む袖に飛びつく蛙かな我のせて廓を出でよ風白雲を瀧へ蹴落す雲雀かな東雲をこらへかねたる雲雀哉咲かぬ間も物にまぎれぬ堇哉明染めたらで山までそめる菫哉雉の鳴く鏡のおくや天の原雉の尾のやさしくさはる菫哉鏡大和見にまかりさぶらふとて野石同(二)雪汁のぬくみ急げよ苔の花春めきて人の心はうかふ〓〓手を伸て折りゆく春の木草哉吹て來た又紅梅にあたらうか美しい處がほしい梅の花梅が香や慮外ながらも旅勞梅年をおよそ八百何十年莟なる梅溫むる春日かな(一)さくさめの何に色こき梅の注連1"貫之の梅に給ふに古き神書を奉るとて壬午の年菅神御忌にあたり寄古今梅木曾塚女三州牛久保少女智つ園紅き同同園智月や女糸ち女月八三九八三八同秋ふた遊女萬膳所み伊勢同同園同園智女色ぢま里ちつ女月
名家俳句集八四〇燕にしばし預ける舍かなかくいへる我も別を惜みて契りおく燕と遊ばむ庭の猫猫ぬすまれて猫の妻いかなる君の奪ひ行く思ふ事伏籠にかけて朧月其角をいたむ明日田鶴の翌も春なし袖の月男なら一夜寢て見む春の山二見春日照る二見は誰の歌姿くり臺に芹匂はする女哉春雨のあがるや軒に鳴く雀園女形池陽炎やおのが翅を池の水蜆とり早苗に習ふ心かな菜の花や引殘されて種大根蝶々は花に離れぬあひだ哉物や思ふいはでも花に蝶黃也樂みよ胡蝶も花の一勢明方につれてや花の鳥あつめ是でこそ命をしけれ山櫻入相の鐘に痩るか山櫻山ざくら散るや小川の水車是を見てあそこへ行かむ山櫻花ちりぬ是を名づけて姥櫻園女秋色んてぢ右貞女田上尼智月同同園秋豐後同遊女嵐雪妻近江籠口簪羽ん尙白母紅欄干に夜ちる花の立ち姿其角をいたむ土の黃な蝶に手向や花の 露同其人の夢路も花の明りかな花にあかぬ浮世男の憎さかな伊賀越松山の間々や花の 雲いその宮鳥の聲花ある方へ四方拜宮川をわたりまだ夜深し色あひも僅に春の夜明かな御材引羽紅講親の旅籠の馬や花かづら芭蕉翁訪れし時、のうれんの奥ものゆかし梅の花とありし返し時雨れてや花まで殘る檜笠花の前に顏はづかしや旅衣角びしの猿の酒でも花心蒲團まで朝の寒さや花の雪舍たつとて眠たがる人にな見えそ朝櫻追々に來る人ごとの櫻かな尾部山三絃の拍子にか〓る櫻哉同笹分辰下去來妹千子同同同同園女同同同同同八四、俳諧玉藻集
名家俳句集八四二奉納櫻とは見しりながらや神路山そも我は鐘に用なき櫻かな花の色は乳母に離れよ櫻町思夜櫻夜櫻や太閤さまの櫻狩散つたとの狀は屆きつ櫻狩君が代の日傘に成りし櫻.哉我年のよるとはしらず花盛兄弟はたんだ諍へ花にこそ花咲て近江の舟の機嫌かひ逢坂や花の梢の車道友憎くや翌というたが花の雨こしらへて出れば程なく櫻哉短尺や兒の手とゞく花の枝此花に垣も結ひたし此道に一つ木のすれ散る花の浮世哉花に來て美しくなる心哉女とていかに侮る花の風刈捨てし柴に花さく雨中哉落花せむ耳も驚く風の音花よりも氣に當りぬる嵐哉尼になりて太秦に住みける時花をやる櫻や夢の浮世もの花は世の例に咲くや一盛作州たゞ女京みつ京文字けんしげたつ簪同すて同と秋同め色園同辰智同同同少女み女下月て同同ねりと也、いふは風流よぶも風流、いまむきの題にて誹諧の發句す、にげなくはゞかりありや笠の圖にとれや氣にあふ春の道孫を愛して麥藁の家してやらむ雨蛙溜池に蛙生る〓ぬるみかな其後はことに粟津の田螺哉コナ大出代や此方の雨もけふばかり出代も頭巾で行くや花の頃笄も櫛も昔やちり椿沖にけふ足跡つくる汐干哉(一)牡丹花は肖柏牡丹花は實に香を愛し給へ(1)りし也、酒も香あり花も香あり、さればこそ夢といふ菴にはふして、金角の牛には乘り給ひける也、かよる風流の身より出來れば其ことはいはむもさらにや、猶あやしきは此翁の和泉の堺を、今や主はおかぬか、主はおかぬかといひもて過させしを、おき申さむと呼入れし人ありければ、それよりそこに住み給ふことはあ園女智同秋り月秋色りん園女吉次母羽紅桃女八四三俳諧玉藻集
名家俳句集八四四桃の節句を柳まけ去年の男のとつた髪馳走する身も我なれや雛の客桃柳代りありくや女の子桃見せて泣かず尿せず婢子哉CI)上巳雛立て〓局になるや娘の子幾年も變らぬものや雛の髪なぶらる〓子持ながらや雛遊相思子相思ふ酢貝や祝ふ雛遊山つ〓じ海に見よとや夕日影山吹の色にはあらぬ馴染哉寄拾遺款冬山吹にいしう射たりや雀弓六田渡山吹に川よりあがる雫哉をとこもすなるやまとしまねの月を、女はをして見む(三)とするを、あざける人もあべけれど、いさしらずといはむもいかゞ侍らむ、いときなき時やり初しこきのこの、ひいふ三つ四つ六玉川の水のもとすゑもわいだめなくして、いく瀨のわたり遊女唐(二)梅羽智(一)原本「唐士」とあるは土の誤土園女紅月同(二)婢子は「はうこ」とよむ、人形のこと(三)「女はをして」は「女もして」の誤かりん松吟朱芳妻幸智い女月くをなむたどりしか、さればよとちうせい駒のくつわづ(一)らをひかへて、いさ〓かの所の水かひてむとて、見ずもあらず見もせぬ所々を、筆の鞭打ちはいといふ俳諧の句に、やをら荷ひ出し、山吹よと呼びかけて、わたさぬ川をさはあらじかし、とまれかくまれすなるみちは、いなびてもいなとは人のいはせまじものをと、百丸子といへる好もののをのこのもとになむまゐらせぬ山吹に馬乘出して六玉川山吹やゆらぐ筧のこぼれ水ゆく春のうしろ姿歟藤の花小鹽井大炊の目出たき貌や藤の花藤や只君にふれたる結ぼほれぬれ筒も藤沈みたる暮の色大和路の望の春も暮れにけり(一)「ちうせい」は小き卯七妻園女子去か來春妻な園同同智女月俳諧玉藻集
俳諧玉藻集名家俳句集水若葉被着て來し人の影產衣に夜の目もあはぬ若葉哉爪はづれ華奢に育つや若楓短夜を長いは夢の思ひ哉富士の根に鰹あがらで道者哉卯の花や品も變らぬけふの花卯の花や投げやりさまを細心杜若いつ見むことぞ澤ながらぬれつけて色は變らじ杜若脇差は落しざしなり牡丹見に白牡丹子は幾人も持ちけれど情なうに見えて位のある白牡丹猿澤にて祇園下河原'遊女膳所遊女好萬松同園奧か常智久園り州ぢ女月女女ん女里吟女時鳥風鈴はづして待つ夜哉何をあてに行くやら闇の時鳥さつぱりと衣た〓かれ更衣戀ひ死なば我塚でなけ郭公風流やうらに繪をかく更衣はや膝に酒こぼしけり更衣あら美し卯の花は誰更衣更衣みづから織らぬ罪深し眞愚上人にわかる〓同じ日香久山にまかりて四月朔日當麻寺にて夏之部遊女膳所好萬松同園り遊女大坂奧久同同園尙白母り智ん月ん女里吟女州女女あの中へ轉びて見たき靑田哉白鷺の人音聞くや麥の中石竹や誰花こまを捨てたらむ笋や皮つきこはし甲武者〓やごしに虹見る朝の涼かな手枕や月の布目の〓の中男なき寢覺はこはい蚊帳哉御乳の人添寢ややさし枕〓獨寢や夜わたる男蚊の聲侘し筆の鞘燒て待つ夜の蚊遣哉柏の香に蚣氣づかふ蚊遣哉雨滴に袖もあやめの匂ひかな手鞠なら散るとも上れ飛上れ啼くにさへ笑はゞいかに郭公妻にせよ蟻に聲なし時鳥晝まではさのみ急がず子規歌がるた憎き人哉ほと〓ぎす遲く來るやおくてといはむ田長鳥山里を出ぬやまじめな郭公裏を着て寢よとの鐘か子規居るやうなり木の下闇の時鳥なけや〓〓今はいつなむ時の鳥男なら追はへても哉時鳥入相の響の中やほとょぎす吟ぜられしにたゞ有明の月ぞのこれると越前眞久妻宮川鷗伯妻智秋同羽み智政田妹ふ同すつぢ月月色てめ紅八四七八四六尼豐後遊女遊女千春妻園花綾智芳何某母秋智た愼か智千雀妻つ女う月女崎戶月樹智み智ふ色月つ女うつぢ月月
俳諧玉藻集名家俳句集けし殘れ菊の太夫が庵の跡駕かきの待たする森の涼哉涼風や余所の鉦鼓になむあみだ涼しさを持ちあふ風の便かなくらべあふ股の太さや庭涼み涼しさや髮結直す朝きげん見ぬ方の御園の瓜の汗ふかむ試みむと瓜に眉かく端居哉進出て瓜むく客の國咄しなぐられてこぼる〓けしや日の移有となきと二本さしけり芥子の花素牛を宿して始めて召されたる御方にて越後三條智素梅園は辰り秋同園同女つ下ん色女月顰寢所へ扇にすゑし螢かな螢火を晝はいづくに池の水もえ易く又消え易き螢哉螢火や爰恐しき八鬼尾谷朝顔にきほひぬかした螢哉金にて鑄つべき顏や合歡の花夏菊や藥とならむ床の上今朝見れば猫の踏折る菖蒲哉祭近し入帆につゞく幟かな山深みそれに名たてぞ姫胡桃辭多田院にて三熊野へ詣ける時世伊勢去來妹錦備中松山智花少女園同園み千田上尼園女つ子屑女月鈴女智素江戶同伊勢去來妹同園み千女つ子智花少女園り秋同園田上尼女月顰月鈴女氷花子餞別負うた子に髪なぶらる〓暑哉香附子のたけ見渡して暑哉卷々の中に吹かる〓團扇哉靜掃風軒散髪眼たそがれの物とや團扇一重帶石に針生姜も入れず〓水哉氷花子餞別どう見ても何やら足らぬ底〓水琴彈て老を嚙せよ夕涼涼しさや夏田の畔の晝あかり崎風はすぐれて涼し五位の聲簾さげて誰が妻ならむ涼舟けし咲くや雛の小袖の蟲拂ひけし垣の内や硯の小町形五月雨や人伺公して鳩縫物や着もせで汚す五月雨五月雨盛りいちごの雫かな白雨に呼出さる〓柏かな夕立や僅に降て田の黑み夕立やいとしい時と憎い時月影に動く夏木や葉の光川中にとゞして見たし夏の月是で見る月さへ涼し武藏野は水底の影をこはがる螢哉交りを紫蘇の染たる小梅哉八四九八四八徹士妻肥前遊女去來妻萬秋羽留園紫か園紅眞久妻秋かしづかな里色紅里女白な女糸色園紫園な同秋同同智秋女白女か色月色
俳諧玉藻集名家俳句集魂祭種殘されし角小豆哉施餓鬼棚やあるは泪の古位牌見るもうし獨住居の魂祭思へたゞ硯洗ひの後の恥木綿鬘星合の濱にかけてありかけ針や舟引きとめむ天の川七夕の忍びながらも光哉大內のかざり拜まむ星祭蜘の巢のたるみ初めけり秋の風桐の葉に隱れて匂ふ茗荷哉來る秋のきりぎは見する一葉哉逢坂やいとゞせきあふ蟬の聲蟬の羽の輕きうつりや竹の皮畫貌や雨降りたらぬ花の顏日々に諸手合せて百合の花蟲干や具足櫃から轉び出る子供等にいざ京見せう祇園會けふ來ても何の傳授か夏神樂夕顏やさすがとひ人も器量程夕顏によばれてつらき暑哉歌か尾も馬上の吟の暑かな母の墓にて其角をいたむすみよしにて秋之部橋水母去來妹伊賀柏原か性た園春綾松千素てすめ桂つ女女戶吟子顰うて遊女小紫塵母園源女園智羽智園智秋て月女月色月紅女柴草の露もちかぬるそだち哉はれしより氣づくしや露の玉葛おく露は玉のやうなる小萩哉風にかくせ小萩が露の置所朝露のうちにと萩の使かな猪も抱れて萩のひと夜哉萩に來て筑摩の人か五本松朝顏のはえあふ紅粉のねまき哉蕣の花を見たさの丸寢哉蕣の咲くや親にも呵られず朝顏やのいたる人も懷かしく兀山に秋のとりつく山もなし朝夕に見る子見たがる踊哉乙女子が辷りて落ちよ雲の峰朝蓮池や向ふの社暮深し佛めきて心おかる〓蓮かな俤もこもりて蓮の荅かな我影のそれかと覗く落葉哉熊我子をいたむ八五柏原園高遊女秋春卯七妻花遊女園行方妻龜千す湖隣女智り子て女尾色子女月崎女ん園カ越前秋り同り女め色ん
名家俳句集八五二船梁の露はもろ寢の淚哉初露に風さへしめる扇かな垣越に誰殿やらむふぢ袴芭蕉葉の破れつゞらむ松の針粟の穗の實は數ならぬ女郎花か身を恥よくねるとあれば女郎花一羽飛ぶ雁に哀の寢覺かな兄去來に供していせへ詣ける道すがら、初旅の心を伊勢迄のよき道連よ今朝の雁箱王が指す雁や暮の鐘名月や琴柱にさはる栗の皮寄芭蕉雨秋色同直久妻萬里すて秋色少女花鈴色名月や雨に開いて文字なき葉同神垣や御百度うつてけふの月同名月や筆の言葉の引廻し同雨後曉天晴得た貝を吹て田蓑の月見哉同月や空にゐよげに見ゆる簾越すて夜明には露まで月の別れ哉同葎にもゑみて見ゆるや今日の月たつ天の戶のすかし物かよ三日の月みつ名月や浴衣引きさく薄原うめ名月や靑うさし入る幅の中せん鼠丸女盃を取り落しけり今日の月つね池浦知仲妹我年に今宵十五夜の月見哉十五才同同同同す同たみうて千秋園子色女京遊女九重辰下八千代秋色同同智月同同同同同同月はのう淋しいでこそ哀なるても遊べ雲が盜んでけふの月桂男の懷にも入るや閨の月けふの月婆とはよばぬ小町哉楊貴妃の睦言もなしけふの月月みつと和泉式部も恨かな名月や志賀の磯田の榎いろ二つ有ば靜ひやせむ今日の月川上で菜を洗うたぞ月の影天水にたまる月影ま一盃おろ〓〓と向へば月の御光哉名月に鴉は聲を呑れけり立待や痺直さむ臼の上居待月起て守らむ枕挽同寢待月舟も靜に行き次第同月見れば父の礎に鬧し羽紅御所方も夜寒につゞく砧哉ち作州ヲヱ腹の立つ時や砧の片拍子たよめ海邊薄むら薄輪にはる風や帆の餘り園女はづれ〓〓粟にも似ざる薄哉同迷子の親の心やす〓き原同秋の野を舞臺に見たる薄哉萬里秋の千種の哀れなるが中に遊女櫛さすに力なきこそ薄なれ長門蚊市妻花野まで出て染めたるか立田姫同同羽月園同同萬女里俳諧玉藻集八五三
(一)「けうこつ」は輕忽俳諧玉藻集名家俳句集實や菊焙爐になりし人の肌白菊にうはの空なる銀化粧同じ香に菊や匂ひて色がはり菊賣や障子の外も千代の聲菊の花見に來てゐるか石敲どの色を分て折なむけふの菊茅屋つむ船も輕き世を誰が家七度の花の初めや早稻の花とまり〓〓稻磨歌も變りけり案山子にも哀さまけじ尼仲間ければ我と同じ道なる人々來たり亡父の七囘忌をとぶらふに、秋の蚊やしかも拂はで老の伽ひし人の昔に思ひあはせてぎほうしの傍に經よむ蝉哉年よれば聲はかる〓ぞ蟋蟀定まらぬ朝の曇やきり〓〓す古〓に哀なものよきり〓〓す縫物につかみ添へけり蟋蟀風の名の付て吹きよる新酒哉二王にも寄添ふ葛のしげり哉横乘に花野ぞゆるす牛の鞭法隆寺吳猛といまじく聞えける、小萩の露のいたはりもむつ京松かそ秋智ち智籠秋卯七妻口色吟なめ色月ね月正脂娘七紫同園靑女秋か智う萬色な月め女里けふの菊朗詠集を御家流菊の香ややれ誰やらが後影淋しさは素縫も同じ菊の裏成仲の松の祝ひかけふの菊汲や汲め菊の素顏のけふ來ずば秋獨さへられもせぬ寢覺哉抱帶とかずに宿の夜寒哉世の人のしらぬ花あり深山椎重義亭にて菊を嚙む菊の葉先の揃かな姊だけに小菊の中に殘るかやすみよし奉納の內旅なれてまどろむほどにな面白や水の春とは引板の音曉を引板屋にかはる妻も哉山田守猿手の粟の鳴子かな小原女や野分に向ふ抱帶やどり木に蜻蛉も通へ捨階子沙汰なしに渡てゐるか四十雀淋しさを我物顔や秋の鳩鳴出して米こぼしけり稻雀粟蒔の跡踏みつけに村雀鵙の子を育てあぐるや茨くろけうこつに誰が觸るぞ鵙の聲(二)嵐蘭子を悼む梅が枝にこそ鶯は巢をくへサ、八五五八五四娘尼花園辰い園唯次妻下ち女千女花園秋園辰智し田上尼智女色げ女下月月素か智た園た月つ女榴な顰つ
名家俳句集る宵を、思寢とこそ人もしりけれと、いふ心によりて秋の夜に寢習ふ旅の舍かな秋の夜に使はれはたす連木哉我人の合點しながら秋の空彥山に詣、同國五百羅漢を拜み侍るとて、樵の通ひける紅葉谷といふ所に入る、道のほど五六里、さらに外の梢も見えず、同行に申侍りける秋の道一日悲しもみぢ谷かつら子の髪にさ〓ばや薄楓哉里公へはじめて召され侍りてCI武士の紅葉にこりず女とは牢人の肩尖りけり秋のくれ知てしらぬ身の程悲し秋の暮行く秋や三十日の水に星の照(一)謠曲「紅葉狩」の事千子月峰妻京文字けん秋そ智園色め月女田上尼かな蕉翁初七日をいたむ待ちうけて淚見あはす時雨哉我袖の蔦や浮世の村時雨さらばえをいはうか去う神無月おく霜やけふ立つ尼の古葛籠蕉翁二七日廟參花桶の鳴る音悲し夜半の霜木々の根の獨くつろぐ霜こぼれ置きあげる蒔畫の松の月に霜銀箔を拂はゞやがて笹の霜月影の針もてさすか冬の空慰めし琴も名殘や冬の月千鳥啼出れば雌か雄かの冬之部か遊女薄き園や雲く女仰ごとはちがひ候へどもこなたはまことと存り僞とこちは思はじ初時雨佐渡遊女みほのヨ、定起卿娘加茂貴舟夜時雨れけり川の音連女だまされし星の光や小夜時雨羽紅近道を阿閣梨につる〓時雨哉園女神祇此猿は社久しき時雨かな同常磐山元かうはいはぬ時雨哉肥後求麻里木氏藤戶女兒の親の手笠いとはぬ時雨哉遊女タ霧はら〓〓と今のは慥時雨哉步柳かな智月藤戶女辰下何某母遊女萬里いくよな俳諧玉藻集
(一)寶曾齋は其角俳諧玉名家俳句集富士垢離や女の上の物わらひ鉢叩夜更けて道の廣さ哉幽靈に水呑せたか鉢たよき十德の袖は淚の氷かな待つ春や氷にまじる塵あくた打ちこけて指ぬき氷る淚かなしみ〓〓と子は肌につく電哉吹落す木の葉に包む霰哉降りにけり落ては消る玉霰蹴あぐれど裳にたまる霰かな我子なら供にはやらじ夜の雪蕉翁二七日廟參夜咄にゆきしをいふまいと思へど雪吹死出の旅雪燒や夜每に孫が手をふかせ佛の日誰にわかれの雪の肌わざとさへ見に行く旅や富士の雪雪に思へ富士に向はゞ故郷の繪蘭子東行を送る初雪や海のきはだつ葭の上初雪の疊ざはりやしゆろ箒霜燒を不二の光にこ〓ろ儘(一)柵の雪踏みちらす千鳥哉琴程の島のなだれて千鳥哉老のねざめのかぎりなきに寶音齋の許に馬下し侍りて藻集遊女と秋錦七ときはめ同同同智園せ智園り錦訓同智秋智素女月色月顰色江月女ん月女ん屑偏衫を着せても寒し假位牌米炊ば寒し雀の羽の音しれものの舍か寒し椚木原水仙の花の高さの日影かなさまのよさ手から又々歸花忘花喪になく御乳の哀哉鮟鱇や沓のとなへも二葉より年よれば鼠もひかず寒かな見ゆるさへ旅人寒し石部山とも寢して鍼立寒し戀の丸歌の島いなる事ありで路通に別るとて此足を湯屋までのさむ月も雪霜燒の手をふいてやる雪丸げ白鷺の鳴かずば雪の一丸げかはゆさや雪を負ねて歸る猫會者定離笹に霰や松の雪白からし京の御目から江戶の雪此頃の雪や案山子のなれの果月ならで日をやさはりの雪女大雪や藪と〓〓の切通し少將の尼のはなしや志賀の雪雪見には殿連恥る心かな京の人に逢て次郎といへるを連れて夫の膳所尼大坂堀江氏妻蓬辰羽秋透延母秋光貞妻ゆ已禰尼さ下紅き色生紅よ八五九濃州智萬か秋園智尼大坂少女蓬透延母秋已禰尼さ生紅よ秋錦せ園月里ね色女月色江ん女
名家俳句集冬椿神をだましに來はせぬぞ岡崎村に住み侍りける頃失はで落穂をたくや大師講石女や人形作る千團子嵐雪三回忌題拂子冬枯に畢竟劣る尾花かなある程の伊達仕盡して紙子哉さゆる夜の灯火凄し眉の劒凩やこほれて晝の牛の聲獨居やしかみ火鉢も夜半の伽遊戲寄れ枕ふり海鼠になりし鼠哉御火燒の盆もの取るな村鳥梅曉女凩や色にも見えず散りもせず凩を杖につきけり老の坂我形の哀れに見ゆる枯野哉芭蕉翁三七日像の畫に物いひかくる寒さ哉四七日冬の日や老もなかばの隱れ笠六七日跡の月思へば氷るた〓き鉦盡七日嚙みしだく反古伸さむ生火桶酒盛や一雫にて年のくれおしよせて鶯一羽としの暮同同同かきなち同秋園同同秋色女同同色同同同同智月年内立春冬の春心の外や梅の花大江山柊しげる世なりけりさゞ浪や落葉衣のしほり染露は秋しぐれは冬となむ定めてや、こそ〓〓と反古とり出て、火桶ひとつをはりまはす、是は何の翁ぞ、俊成賴政をならふにもあらず、唯ひとつにて吾冬を過さむとなり、春より後はといはばあらばあらまし、われなばもとのつちくれこそと、もしとはゞかく答ふべき膝もとの折敷に糊の木の葉哉園女閑居葉の音に犬吼えか〓る嵐哉同行年や老を譽めたる小町の繪同籠菊があふぎも古し年の暮同大年や手の置れたる人心羽紅へだてゆくま〓の俤かきくらし雪とふりぬるとしの暮哉俊成の女とは誰としのくれ園女智月越前ゆき藤戶女園女紅俳諧玉藻集八六一
名家俳句集答雲虎和尙(1)來書の旨趣拜し申候、本求眞不求妄は大道の根源、誰も存じ候所、憚ながら珍らしからず候、一心源頭にのぼりての所作は柳綠花紅只其ま〓にして、常に句をいひ歌に綴りて遊び申候ことにて候、無益の口業にて候はゞ、一切經も無益の口業にて候、法くさきことは嫌ひにて、所作所行は念佛と句と歌となり、極樂へ行け園女ばよし、地獄へ入ればめでたし、そこに候有無分別に候、申したき事候へども歩行なりがたく候ま〓御ゆるし候へかし和玉韻自己念其不竟心市中點々有明鏡(一)「來書」原本「ある書」とあり、奇人談によりて改む法灯已耀一灯心全識人間〓淨心誰か見む誰かしるべき有にもあらず無にもあらざる法のともし火わが日の本は和歌の國にして、天地をうごかし鬼神を感ぜしめし女の歌仙、數ふるにいとまあらずとや。其三十一文字の末葉を拾ひて五七五を並べ、花は盛に月は隈なきとのみにかたよらず、花にも雪にもほと〓ぎすにも、遠近の野山に心のあゆみをはこび、自在に遊ぶ人々また數をしらず。それを集め梓にゑりて、此後の人の先達になさむとは、うれしき荷擔の人なるかし。さるをこの双紙にわなみが愚なること葉を添へよと有り、いなむにゆるしなければ、硯とうでて禿たる筆をとることになりぬ。東都田女安永三年甲午八月吉日平安書舖安藤八左衞門梓俳諧玉藻集
名家俳句集製複許不大正七年九月四日發行大正七年九月一日印刷發行者印刷兼發行所印刷所編輯者俳有東京市神田區錦町一丁目十九番地有朋堂書店東京市神田區錦町三丁目九番地有朋堂印刷部東京市神田區錦町一丁目十九番地三浦理東京府下大久保町西大久保二百三十六番地塚本哲三朋句堂文集庫(非賣品)八六四

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