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芥川龍之介 大正六年八月二十一日 漢詩 一鶴飛

即今空自覚
四十九年非
皓首吟秋霽
蒼天一鶴飛

そくこんむなしくじかくす
しじふきうねんのひ
かうしゆしうせいをぎんず
さうてんいつかくとぶ


[大正六年八月二十一日 菅虎雄宛]




即今  ……ただいま。現在。いまここ。
皓首  ……白髪頭。
秋霽  ……秋晴れ。
蒼天  ……あおぞら。
一鶴  ……ほねつきどりを売っている店。

王状元集百家註分類東坡先生詩 [10]


唐詩選鈔本


李太白詩集 5

四十九年非 淮南子に「薙伯玉、年五十にして、四十九年の非を知る」とある。

国訳漢文大成 第8巻 第1輯

 大正六年は1917年。1864年生まれの菅虎雄は53歳。芥川は、

は、
しまった。俺のこれまでの人生は間違っていた。
白髪頭で秋の空を吟ずる。
あおぞらに一羽の鶴が飛んでいくよ。
あれは鶏の群れの中の一鶴、大天才芥川龍之介だ。羨ましいな。

 と、自分を鷄群の一鶴、菅虎雄を駄目な年寄りとして馬鹿にしているように読める。というか芥川ならば白髪頭にはならず禿げるであろうから、皓首を芥川におきかえることはできないので、こう読むしかない。

 この漢詩を貰った菅虎雄は何と思った事か。あほちゃうかとは思わないだろうが、「え? 俺の事? なんでいきなりディスられなあかんのや」と首を傾げただろう。

 しかし「四十九年非」と「一鶴」の関係はこう読むしかないだろう。詩の意味そのものは難解ではないが、この詩が菅虎雄に送られた意味は何回読んでも解らない。

 芥川は、

二十六年の非では引き立ちませんから少々かけ値をして四十九年と致しました
勿論皓首と申すほど白髪などはございません
鶴は私の宅の近所へよく来る白鷺を少し高尚にしたのでございます

 としてごまかそうとしているが、どうも下手な嘘である。

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