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芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか⑤ 早起きして読もう

そうか、サロンにするのか

 でございますから若殿様が、御家督を御取りになったその日の内から、御屋形の中へはどこからともなく、今までにない長閑な景色が、春風のように吹きこんで参りました。歌合せ、花合せ、あるいは艶書合せなどが、以前にも増して度々御催しになられたのは、申すまでもございますまい。それからまた、女房たちを始め、侍どもの風俗が、まるで昔の絵巻から抜け出して来たように、みやびやかになったのも、元よりの事でございます。が、殊に以前と変ったのは、御屋形の御客に御出でになる上つ方がたの御顔ぶれで、今はいかに時めいている大臣大将でも、一芸一能にすぐれていらっしゃらない方は、滅多に若殿様の御眼にはかかれません。いや、たとい御眼にかかれたのにしても、御出でになる方々が、皆風流の才子ばかりでいらっしゃいますから、さすがに御身を御愧じになって、自然御み足が遠くなってしまうのでございます。

(芥川龍之介『邪宗門』)

はな‐あわせ【花合せ】‥アハセ
①人々が左右の組に別れ、花(主に桜)を持ち寄ってくらべ、その花を歌に詠み合ったりして優劣を争う遊戯。はなくらべ。はないくさ。
②花札を合わせる遊戯。

広辞苑
絵入日本艶書考 藤沢衛彦 編文芸資料研究会 1928年

 艶書合というのは懸想文合(けそうぶみあわせ)というもので、男女の歌人が恋の歌の贈答をする宮中遊戯である。

鑑賞小倉百人一首 新村出 編洛文社 1964年

 なるほど、「もの静な御威光」で「繊細で、またどこまでも優雅な趣」「眉の迫った、眼の涼しい、心もち口もとに癖のある、女のような御顔立ち」とくれば、まさにホストには適任というわけか。

 飲んで、飲んで、飲んで、飲んで、飲んで、飲んで、飲んで、飲んで、ハイ、ハイ、ハイ、ハイ……。という喧しいホストではないから客がやってくる。自分から探しに行かなくとも自然と事件の方がやってくるという仕掛けか。

 なかなかうまいことをやるな。

そしてパクれるものはパクる

 その代りまた、詩歌管絃の道に長じてさえ居りますれば、無位無官の侍でも、身に余るような御褒美を受けた事がございます。たとえば、ある秋の夜に、月の光が格子にさして、機織りの声が致して居りました時、ふと人を御召しになると、新参の侍が参りましたが、どう思召したのか、急にその侍に御向いなすって、
「機織りの声が致すのは、その方にも聞えような。これを題に一首仕れ。」と、御声がかりがございました。するとその侍は下にいて、しばらく頭を傾けて居りましたが、やがて、「青柳の」と、初めの句を申しました。するとその季節に合わなかったのが、可笑かったのでございましょう。女房たちの間には、忍び笑いの声が起りましたが、侍が続いて、
「みどりの糸をくりおきて夏へて秋は機織りぞ啼く。」と、さわやかに詠じますと、たちまちそれは静まり返って、萩模様のある直垂れを一領、格子の間から月の光の中へ、押し出して下さいました。実はその侍と申しますのが、私の姉の一人息子で、若殿様とは、ほぼ御年輩も同じくらいな若者でございましたが、これを御奉公の初めにして、その後も度々難有ありがたい御懇意を受けたのでございます。

(芥川龍之介『邪宗門』)

※「機織り」……「機織り蟲」のこと。「はたおるむし」とも。螽斯、きりぎりすの古名。

古今著聞集 上巻 橘成季 著||正宗敦夫 編纂校訂日本古典全集刊行会 1946年

 ここで芥川の弁解というわけではなくて、現在と昔の感覚の違いに関して念を押しておきたい。

 現在では何でも「オリジナル」なものがいいとされがちだが、昔はそういうものは「根無し草」として嫌われた。俊成—定家ラインで本歌取りという作法が定式化する以前から、そういう傾向はあったように思われる。源実朝も『金槐和歌集』なんかを読む限り、もう本歌取りという作法が確立したものであるかのようにその様式に嵌っている。

 あるいは俊成、定家に猛烈に噛みついた顕昭なんかも『万葉集』の解釈に遡って対立しているのであって古歌を盗むこと、言葉の由来を取り込むこと全く異を唱えていない。というより古歌の由来を重んじ、上手く生かそうとしている。あるいはこれも三島由紀夫が指摘していることだが『万葉集』がリアルな世界の歌だとしたら『古今和歌集』は歌枕的美的世界になって言っている。恐らく目の前には何もない。だから「かひや」が何だか解らないのに「かひや」の歌というものが詠まれる。これが日本文学の「この一筋」なのだ。 

 散文の方で見ても、西鶴にせよ馬琴にせよ、何か「いわれ」のようなものを可能な限りちょこちょこと足してくる他、馬琴だけに限ればまるごと翻案のような作品もある。
 芥川の時代になってみると「オリジナルとはそもそも何かね?」という意識さえあったのではなかろうか。森鴎外には資料の書き写しのような記述が多くある。芥川のこのパクリも、ある意味では自己とか自我と云うものに信頼を置かない、「去私」の感覚に近いのではなかろうか。勿論既に述べたように「サンプリングとリミックスの妙」というところに力点があつた事は確かだ。

あをやきの緑の糸をくり返しいくらはかりのはるをへぬらん
[詞書] 清慎公五十の賀し侍りける時の屏風に
元輔
あをやきの-みとりのいとの-うちはへて-としのをなかく-はるやへぬらむ

あをやきの-いとはみとりの-かみなれや-ふきくるかせの-けつりかほなる
京極関白家肥後 
あをやきの-みとりのいとは-かはらねと-くるはることに-めつらしきかな
前斎宮河内 
あをやきの-みとりやそこに-うつるらむ-ふかくもみゆる-みなせかはかな
為忠

和歌データベースより

 あをやぎの歌は790以上あり、月並みな春の季語だ。そこを何とか秋にねじ込んだところが面白いというところか。

 

また先に言っちゃう?


 まず、若殿様の御平生は、あらあらかようなものでございましょうか。その間に北の方も御迎えになりましたし、年々の除目には御官位も御進みになりましたが、そう云う事は世上の人も、よく存じている事でございますから、ここにはとり立てて申し上げません。それよりも先を急ぎますから、最初に御約束致しました通り、若殿様の御一生に、たった一度しかなかったと云う、不思議な出来事の御話へはいる事に致しましょう。と申しますのは、大殿様とは御違いになって、天が下の色ごのみなどと云う御渾名こそ、御受けになりましたが、誠に御無事な御生涯で、そのほかには何一つ、人口に膾炙するような御逸事と申すものも、なかったからでございます。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 また「天が下の色ごのみ」とか言っちゃう。それではまるで芥川龍之介ではないか。

 それにしてもこう何度も「不思議」とか書いちゃって本当に大丈夫なのかな。第一まだ五章なのだ。この『邪宗門』は三十二章まで書かれている。まだ六分の一にも届いていないのだ。

 それなのにもう六章で「不思議な出来事の御話へはいる事に致しましょう」なんてやってしまっていいものだろうか。

 その答えはまだ誰も知らない。何故ならまだ私が読んでいないからだ。



[余談]

 おいどん芥川ファンではないらしい。七問正解。


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