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芥川龍之介論2.0

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#恒藤恭宛書簡

芥川龍之介 大正五年二月十五日 短歌 九首

芥川龍之介 大正五年二月十五日 短歌 九首

田端にてうたへる

なげきつゝわがゆく夜半の韮畑廿日の月のしづまんとす見ゆ

韮畑韮のにほひの夜をこめてかよふなげきをわれもするかな

シグナルの灯は遠けれど韮畑駅夫めきつもわがひとりゆく

ぬばたまの夜空の下に韮畑廿日の月を仰ぎぞわがする

ぬばたまのどろぼう猫は韮の香にむせびむせびて啼けり夜すがら

韮畑韮をふみゆく黒猫のあのととばかりきゆるなげきか

 東京にてうたへる

刀屋の店にならべし

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芥川龍之介 「大学を出て、飯を食う口をさがして、そして死んでしまう」

芥川龍之介 「大学を出て、飯を食う口をさがして、そして死んでしまう」

僕はありのままに大きくなりたい。

ありのままに強くなりたい。

僕を苦しませるヴァニチーと性慾とイゴイズムとを、僕のヂャスチファイし得べきものに向上させたい。

そして愛する事によって、愛せられる事なくとも、生存苦をなぐさめたい。

このニ三日漸くChaosをはなれていたような、しずかな、そのわりに心細い状態が来た。

僕はあらゆる愚にして滑稽な虚名を笑いたい。

しかし笑うよりも先に同情がした

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芥川龍之介 大正四年九月二十日 漢詩 無題

芥川龍之介 大正四年九月二十日 漢詩 無題

黄河曲裡暮烟迷
白馬津辺夜月低
一夜春風吹客恨
愁聴水上子規啼

くわうがきょくりぼえんまよふ
はくばしんぺんやげつひくし
いちやしゅんぷうきゃくをふいてうらむ
しうちやうすゐじやうしきのなくを

[大正四年九月二十日 恒藤恭宛書簡]

芥川龍之介 二番目の俳句 破調

芥川龍之介 二番目の俳句 破調

葡萄噛んで秋風の歌を作らばや

[大正四年八月二十二日 恒藤恭宛書簡]

※「駄俳病がのこっている」と書いているので読み捨てた句は相当にあったものと思われる。

 

芥川龍之介 漢詩  「真山覧古」

芥川龍之介 漢詩  「真山覧古」

真山(まやま)覧古

山北山更寂
山南水空廻
寥々殘礎散
細雨灌寒梅

さんぼくやまさらにさびし
さんなんみずそらをめぐる
せきせきたりざんそちり
さいうかんばいにそそぐ

[大正四年八月二十二日 恒藤恭宛書簡]

※「寥々」は「りょうりょう」「レウレウ」であろう。「せきせき」とは読まない。こんなことをほったらかしにしていていいのか?

 普通同輩に漢詩を書き送るのに読み下し分は添えない。このふり

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芥川龍之介 大正四年七月二十八日 短歌 七首

芥川龍之介 大正四年七月二十八日 短歌 七首

八雲たつ出雲の国ゆ雲いでて天ぎりふらむ西の曇れる

はろかなる出雲の国ゆ天津風ふきおこすらむ領布(ひれ)なす白雲

そのむかし出雲乙女は紅の領布ふりふりて人や招(ま)ぎけむ

紅の領布ふる子さへ見えずなりて今あが船は韓国に入る

いづちゆく天の日矛ぞ日の下に目路のかぎりを海たゝへけり

こちごちのこゞしき山ゆ雲いでて驟雨(はやら)するとき出雲に入らむ

その上(かみ)の因幡の国の白兎いまも住むらむ

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芥川龍之介  「ある女を昔から知っていた」2

芥川龍之介  「ある女を昔から知っていた」2

 空虚な心の一角を抱いてそこから帰って来た。それから学校も少しやすんだ。よみかけたイワンイリイツチもよまなかった。それは丁度ロランに導かれてトルストイの大なる水平線が僕の前にひらけつつある時であった。大へんにさびしかった。

 五、六日たって前の家へ招かれた礼に行った。その時女がヒポコンデリックになっていると云う事をきいた。不眠病で二時間位しかねむられないと云うのである。

 その時そこの細君に贈

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芥川龍之介 大正三年十一月三十日 短歌 八首

芥川龍之介 大正三年十一月三十日 短歌 八首

駅路(はゆまぢ)はたゞ一すぢに青雲(あをぐも)のむかぶすきはみつられなるかも

烏羽玉の烏かなしく金の日のしづくにぬれて潮あみにけり

海大海よ汝より更に無窮なる物ありこゝに汝をながむる

ねまくほしみ睫毛のひまにきらめける海と棕櫚とをまもりけるかも

嗄声(からごゑ)に老いたる海はしぶきつゝ夕かたまけて何かつぶやく

わが聞くは海のひゞきか無量劫おちてやまざる涙の香か

夕されば海と空とのなから

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芥川龍之介 詩二篇  

芥川龍之介 詩二篇  

ゆゑしらずたゞにかなしくひとり小笛を
かはたれのうすらあかりにほうぼうと
銀の小笛を
しみじみとすかすにふけば
ほの靑きはたおり虫が
しくしくとすゝりなきするわが心
ゆゑしらずたゞにかなしく

われは織る
鳶色の絹
うすれゆくヴイオラのひゞき
うす黃なる Orange
われは織る われは織る
十月の、秋の、Lieder

[大正二年十月十七日 恒藤恭宛書簡]