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ヒッチハイク紀行文㉔ 岡山〜香川

時刻は21時。
僕はベッドから起き上がった。
ウェルカムドリンクがあると言うので、ゲストハウスのロビーにあるバーへと行ってみることにする。
土曜日だと言うのに、ゲストハウスは閑散としていた。
僕は眠るまでの間、チェックインの時に部屋を案内してくれたスタッフの女性と話をした。

「カラフルに柔軟に、心の赴くままに生きます!」

と言うメッセージを書いてくれたその女性は、僕と同じように自分の生き方を模索中らしかった。
元々リクルートに勤めてバリバリ仕事をしていた彼女だが、もっと自分らしい仕事がしたいと、フラワーアレンジメントをはじめ、現在は色々なアルバイトをしていると言う。
彼女は現在5つぐらいアルバイトを掛け持ちしているらしく、寝る時間がほとんど無いという。
何が彼女を突き動かすのか、とても興味があった。
バーにはもう1人店員がいた。
派手な金髪の彼女は、現在組んでいるバンドでベース兼ボーカルを担当しているらしい。

「今日お兄さんが泊まっている部屋に、もう2人宿泊する人たちがいるんよ。その人たちはペルーから来た人たちで、路上ライブをしながら生計を立ててるらしいよ」

彼女も路上ライブをしたことがあるみたいだが、それだけじゃ食べていくのは難しいと言う。
僕はそのペルー人たちに会いたくなった。
僕の隣で酔っ払っていたお爺さんにも『じゆうちょう』に一言もらって、僕はバーを出た。

「じいさんになっても元気でいなよ!」

その一言と住所を書いて、そのお爺さんは去って行った。

✳︎

僕の宿泊する部屋がある建物とバーの建物は分かれている。
自分の部屋がある建物へと戻ると、その1階でペルー人の2人が飲み会をやっていた。
音楽を流しながらコンビニ料理で宴会をする様子は、なんだか海外に旅行した時のことを思い出させた。
その2人は20年以上も日本に住んでいるらしく、ずっと2人で路上ライブをしてきたそうだ。

「NEW WIFE WAKAI MY DREAM」

おじさんになっても若いワイフを求める、陽気なおじさんたちだった。
彼らと別れて風呂に入り、ベッドへとダイブする。
この旅で僕は、沢山の人の夢を聞いた。
そしてこれからもそうだ。
みんなそれぞれ理想とする自分を持ちながら、現実との妥協を繰り返して今がある。
僕はそれを不幸なこととは思わない。
今日僕を姫路から岡山へと運んでくれた青年も夢を持っていた。

「ツバサさんも後悔しない素敵な人生を引き続き送ってください」

その言葉をくれた彼は、小さい頃から電車の車掌さんになりたかったと言う。
新卒で受かることが出来ず、とりあえず岡山の車関係の仕事に就職し、今は公務員をやっているらしい。

「中々中途じゃ雇ってくれないからさ、もうほとんど諦めているんだけど」

そう言う彼の表情は、どこか浮かなかった。
休日はよくドライブをするそうだ。
今日もドライブの途中立ち寄ったPAで、僕たちは出逢った。
自分らしい人生ってなんだろう。
後悔のない人生ってなんだろう。
僕はそんな人生を送れているだろうか。
何にしても、自分の選択に責任を持って生きていきたいと思う。
僕のお腹は、彼が奢ってくれた「えび丼」によって満たされていた。
この分じゃ夕飯は必要ないだろう。

6日目に使用した金額、3,860円。
ゲストハウス代を除くと、1,000円に満たない。
みんなの優しさに、今日も生かされていた。

✳︎

深夜。
僕は誰かの話し声によって起こされた。
室内の様子を伺うと、どうやらペルー人の1人が電話をしているらしい。
8人部屋に僕1人と言う環境は寂しく感じたものだが、うるさいのも考えものだ。

「下で電話してください」

僕は優しく彼らに注意した。

「ゴメンナサイ」

電話の声は遠ざかっていった。

✳︎

4月3日、7日目、晴れ。
僕は9時に起床した。
1階でくつろぐペルー人2人に別れの挨拶をして、僕はゲストハウスを発った。
奉還町商店街をしばらく散歩して、1時間ほど場所探しに苦戦したのちに、ヒッチハイクを開始した。
30分ほどで乗せてくれる人が現れた。
母と娘の親子だった。
今日は大学の入学式だったと言う。
大学のある香川から岡山の家に帰るところだったらしい。
サービスエリアまでなら乗せられるということで、乗せてもらうことにした。
娘さんは慣れないヒールに足を痛めたらしく、車内で裸足になっていた。
そうか。今日は大学の入学式か。
彼女はお金持ちになりたいらしい。
お母さんの方は、宝くじを当てて旦那と桜前線を南から追っかけたいらしい。
僕は昨年まで付き合っていた彼女のことを思い出した。
彼女は大学生だった。
彼女と居ると、自分が健やかになれた気がした。
目を背けたくなるような眩しい笑顔がたまらなく好きだった。
しかしそれは過去の話。
彼女は今何をしているだろう。

✳︎

吉備SAまで送ってもらい、僕はすぐにヒッチハイクを開始した。
目指すは香川だ。
中々捕まらず苦戦していると、1人の男性が声をかけてきた。

「香川に行くけど」

「本当ですか!?乗せていってもらえませんか?」

「え、乗せるって......お金は?」

「いや、お金は、アレなんですけど」

「あ、ヒッチハイクか」

「そうなんですよ」

「うーん。ちょっと考えさせて」

そう言って、その人は食堂へと消えた。
その後戻ってきた彼は、僕を乗せると決めたらしい。

「じゃあ、行こうか」

物静かな彼は、現在40歳ぐらいだろうか。
ヒッチハイカーを乗せた経験はないらしく、乗せるかどうかかなり迷ったらしい。
元々介護の仕事をしていたらしいのだが、今はフォークリフトを使った荷物の仕分け作業を行っていると言う。
夜勤もあり、最近は精神的に体調が優れないらしい。
また、フォークリフトの作業のせいで、腰をやられたと言う。
そこまでして働かなければならないのか。
人生に楽しみを見出せないと言う彼の目は憂いを帯びていた。

「田舎はさ、肩身が狭いよ。ちょっと何かがあるとすぐに広まる。東京はさ、色んな人たちがいるんだろう」

そう言う彼は、新宿に憧れがあるらしかった。
多様性を受け入れる町。悲しみを背負った人たちが行き着く最後の町。
そんな町に、彼は惹かれるらしかった。

「僕の家はさ、創価学会なんだ。別に何か悪いことしているわけじゃない。でもそれだけで後ろ指さされる。僕が望んだわけじゃないのに」

彼はその後、良い天気だからと瀬戸大橋が見える与島PAにわざわざ立ち寄ってくれて、写真を撮る時間を設けてくれた。
香川に着いてからは、空いているうどん屋を探して30分近く市内を一緒に彷徨ってくれた。
香川のうどん屋は、大体15時にはどこも閉まってしまうのだ。
彼が『じゆうちょう』に書いてくれた一言は、

「自分に自信を持ち、日々楽しく生きたい」

だった。
何が彼から自信を奪うのだろう。
何で彼は楽しく生きられないのだろう。
なぜ憂鬱な日々を過ごさなければならないのだろう。
優しい彼の純粋な願いが、なぜか僕の胸を締め付けた。
彼は僕と別れた後、1人きりの家に帰り、寝て、また朝になると出勤するのだろう。
その光景を思うと、勝手に胸が痛んだ。
彼が必死の思いで探してくれた、念願の香川のうどん。
コシがあって、とても美味しかった。
うどんを食べ終え、ヒッチハイクポイントを探して歩いている間も、僕の心は晴れなかった。
彼のような人たちが、笑顔で過ごせる世界でありますように。
僕はそう思った。

続く。

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