無人駅にて

 時刻は午前零時四分。
 本日最後から二本目の電車が、寂れたホームから発車した。
 私はそれを目の前で見送った。
 残すところは二十分後の終電の一本のみ。

 日本の公共交通機関の時間に対する異常なほどの神経質さは、実に素晴らしい。先刻の電車だってホームの時刻表示が三から四に変わった瞬間に出発していった。
 私には難しいことは分からないけれど人々が相当の工夫と努力と計算を重ね作り上げ維持しているのだと思う。
 しかし、正直なところ二、三分の遅れくらい良いのではないかと思ってしまう。特にこんな深夜は少し遅く発車してくれた方が、ありがたいと思う人の方が多いのではないか?
そうすれば、電車の目の前で
「おやすみ。また明日。」
「・・・もう少しいて?」
「・・・うん」
なんて甘いやりとりに時間をかけ過ぎて、ようやく数時間の別離をお互いが渋々決意した瞬間、無情にもドアが閉まり、とてつもなく気まずい雰囲気が漂ってしまう若いカップルも生まれず、私も一人心の中で伏し目がちになることもなかっただろう。それに、二人から少し離れた所にいるあの中年の男性だって、呂律も頭も回っていないであろう状態で奥様への謝罪のメールを読み上げることもなかったであろう。
 昔は此所にも街にも、多分ありとあらゆる所に大らかな空気が漂っていたと思う。
 そう、私と妻が出会った頃のように。
 
 私と妻はこの駅で出会った。
 半世紀は前のことであるが、今でも最初に彼女に逢ったとき、心地良い早さで発せられる丁寧な言葉とその奇麗な声色に惚れてしまったことを鮮明に覚えている。
 以前彼女にこの話をすると、少し照れながら私の第一印象を話してくれた。聴いていてこれ以上恥ずかしいものはなかったが、要約すると真面目でありながら、人々の視線を集める華やかな光が見え、彼女も一目惚れをしていたという。
 そうして、お互いに一目惚れをしていた私たちは、もちろん意気投合し夫婦となった。
 夫婦になってからの日々は、それはもう幸せであった。幸せな日々はあっという間に過ぎていき、私たちも年を取り、元々は駅員がいたこの駅も無人駅と呼ばれるようになってしまった。

―ぷつっ―
 
 まただ。
 最近体にガタが来ていて時々自分の中の回線が途切れ真っ暗になる。妻も昨年同じような症状を訴え、次第に声が出づらくなり会話が難しくなり、そしてある日、動かなくなってしまった。
 私は彼女を見送った。

 私もその頃から調子が悪くなりつつある。しかし、仕事は真面目にしなければならない。私がしっかりと働かなくては、数は少ないといえどもこの駅の利用者は困ってしまう。
 最期の時まで、券売機としての職務を全うした妻のように頑張らねばならない。
 そろそろ時間だ。

―0:24 最終―

 時間通りに電車は到着し、先ほどのカップルの女性も、酔っ払いの男性も無事に乗車し、私の前から去っていく。
 私はそれを見送った。
 愛しい妻の元へ行きたい気持ちもあるが、まだあと少しだけ此所で人々を見送っていたい。
 始発まではあと五時間ある。
 朝に備えて少し仮眠を取ろう。

―本日の運転は終了しました―

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?