年下の男の子 2

ちらり、と横のデスクを盗み見る。

入社したばかりの、23歳武田くんは、私が渡したマニュアルを元に、せっせと資料を作成している。細長くきれいな指でパソコンを叩く。

ふーん。アリユウも手がきれいなんだよねぇ。あの指先まですっときれいなところが、手袋をしていてもなお、彼の演技をよりいっそう引き立てていて…

いやいや。有本選手と一緒にするなんて、冗談じゃない。私は現実では年下は好きになったことはない。フィギュアスケート選手である、アリユウだから好きなんだから。

「あの、先輩」

急に武田くんが顔をあげてきて、慌てて目をそらす。

「へ?え?どうしたの」

「マニュアルのこの部分を見ながら作業していたのですが…」

「あ、ごめん、そこは去年と変わってて。えーと、このファイルを開いて…この直下のデータをひっぱってほしい」

「分かりました。あ、よかったらマニュアルも直しときましょうか」

私は初めて武田くんの顔をしっかりと見る。つるんとした肌に、きりりとした眉、細長の目。

この子、社会に出たばかりなのに、なかなかやるではないか。

「ありがとう!助かる。じゃあマニュアルのデータはあとでメールに添付しておくから、ごめんけどよろしくね」

二コリと笑みを交し合う。なんだこれ。なかなか可愛い子なんじゃないかな。

そりゃあ有本選手には負ける、というか次元が違う話だけども。仕事の後輩としてはいい子かもしれない。

いきなり指導担当にされた恨みを忘れ、使える新人が来たことに少しほくほく気分だった。


*****

歓迎会しましょうよ、という和葉の誘いで、課長、私、武田くんが集まった。

「課全体での、ちゃんとしたやつは金曜にやるからな」

と課長は武田くんに対してフォローしている。さすがに、月曜から飲みに来れる人はあまりいなかった。

「私たちは独身だから、いつでもOkてわけ」

和葉は私の肩を組んで言う。

「そうなんですね」

武田くんは、独身というところに突っ込むことはせず、穏やかに微笑みながら「こんな会を開いてもらってありがとうございます」と言った。

こうやって、礼儀正しくて人の気持ちを思いやれるところ、アリユウに似てるななんて、また思ってしまう。

彼も武田くんも、若いのに大人の扱いを心得ているんだよなぁ。

「そういえば、武田くんは彼女とかいるの?」

そういえばも、何もない。と思うけど、和葉ぐいぐいと質問を始めている。この子、本当にアリユウと同じ年ってだけで武田くんを狙うのだろうか。

むしろ、この子はアリユウが好きなんじゃなくて、若い子が好きなだけなんじゃ…。

「武田くん、アリユウと同い年だよなー。こいつら二人、有本選手にお熱だから、武田くんも気を付けて」

きゃああ!課長ったらなんてことを…!!それは一番、言ってはだめなこと!

武田くんからしたら、私のような年上が、自分と同じ年齢のアリユウに夢中だなんてぜったい気持ち悪いんだから。慌てて私は弁明した。

「いや…。有本選手って演技がとても綺麗じゃない。その姿に感銘を受けるっていうか」

課長の足を踏んづけながら、ほほほと、あくまで選手としての彼を尊敬していることをアピールする。

「分かります!僕も昨日は遅くまで試合を見てしまって。また優勝だなんて、自分も頑張らなきゃなって思わされるんですよね」

武田くんは、「彼と同い年なのに自分はまだまだで恥ずかしい」と照れて笑った。

「そんなことないよぉ。武田くんも充分すごいじゃん!美咲先輩も、使える新人だってほめてたよ」

悪気があるのかないのか、和葉は、私が居酒屋に移動する途中にもらした感想を、本人に伝える。使える、だなんて、本人を前にしてだめでしょ。課長の足を踏むのをやめて、今度は和葉の足を軽くける。

「いやー!これから頑張らないとですねっ」

ちょっと酔ってきたのか、会社では見せなかったような満面の笑顔で武田くんは答えた。

くしゃくしゃな笑顔も、アリユウと似てるかも。試合で勝った時、仲間とふざける時、彼もくしゃっと笑う。

何枚も、そんな笑顔の写真をスマホのフォルダには保存してある。それを目の前でリアルに見せられたような気がして、少しとまどってしまった。


*****


「ふわー、おはようございまぁす」

盛大なあくびとともに、和葉が出勤してきた。おはようと返しながら、私はぎょっとする。

「か、和ちゃん、その服」

和葉はユニコーン柄のニット…昨日と同じ服装をしていた。

「それは、突っ込んじゃだめー」

ふふっと笑いながら席についた。昨日、飲み会あとに、和葉は…武田くんと同じ路線だからと一緒に帰っていったのだ。

「おはようございます」

そんな葛藤をよそに、武田くんがいつの間にかやってきてすっと席についた。こちらは昨日とは違う色のスーツだけど…。

武田くんの家にいったのならあり得るか。まさか、こんなピュアそうな子が?入社早々?

課長も出勤したとたんに、「お前…!」と和ちゃんの服装を見てかたまっている。当の武田くんだけが涼し気な顔でパソコンを起動させていた。


*****

そんなことってあるんだぁ。

家に帰っても、和葉と武田くんのことが頭から離れない。お昼の時間に和葉に聞いてもはぐらかされるばかりだった。

もちろん武田くんには聞けやしない。でも「仕事でも、人間関係でも困ったことがあったら何でも言ってね」とだけ言っておいた。まぁ、困ってはないのかもしれないけど。

年上に好かれたら嫌がるだろう、っていうのは私の勝手な思い込みだ。何より、和葉は私より武田くんと年も近いし、見た目も若い。並んでたら結構お似合いなのかもしれない。

なんだか言いようのない気分になって、ユーチューブで有本選手の演技映像を探す。

今季の有本選手の使用曲は、悲恋をモチーフにした映画のもの。それを見ていると、いつもならときめいて仕方ないのに、今日はその振付もひどく悲しいものに見えた。


*****


武田くんがやってきてから、私と和葉は有本選手の話を大っぴらにするのを辞めた。

やっぱりちょっと恥ずかしいような気持ちがあった。それは和葉も同じだったらしく、どちらからともなく、ランチのときなどにこっそり話すことになった。

だけど、前ほど話が盛り上がらない。

私は和葉と武田くんの仲が気になっていたし、和葉は武田くんのことで頭がいっぱいみたいだし、何となく会話がお互い上の空だったのだ。

せっかく、フィギュアのオンシーズンだというのに、なんだか灰色の毎日だった。

帰宅後、ぼんやりとテレビのアリユウインタビューを見つめる。

「恋愛ですか?今はする気はないけど…。タイプ?はい、年上の方でも…えっと五歳上くらいまでかな。楽しく笑いあえる人がいいです」

くしゃっとした、武田くんみたいな笑顔で、有本選手は答える。

スポーツ選手に対して何を聞いてるんだと思うけど、全国にはそれを聞きたい視聴者だってたくさんいるんだろう。

そして、多くが、年上は五歳までと聞かされて落胆する。私のように。和葉ならこの枠にぎりぎり入れるのに、私は入れない。明日、和葉とのランチはこの話題かなぁ。私は対象外だったって、笑えばいいのかな。

最近は何を彼女と話していいのか分からない。



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