アラサーOLの演じ方1~桜子の場合~
桜子は今日も柴犬の葉子に餌をやってから出社する。
「よしよし葉子。いい子にお留守番しててね」
ハッハッと短く息をしながらきらりとした目で葉子は玄関まで見送りしてくれる。
桜子と葉子の二人暮らし。こうして毎朝送ってくれる存在がいるというのはありがたく嬉しいことなのだと、この暮らしをはじめてから、知ったことだ。
二人の大好きな散歩コースでもある川辺を歩いて駅へと向かい、電車に十分ほど乗ると会社につく。この通勤ももう慣れたものだった。
出社すると、まず制服に着替える。今時、事務員用の制服があるなかなか古風な会社なのだ。
給湯室でポットに湯を沸かしていると、皐月さんがやって来た。皐月さんは事務員の中で一番若い後輩だ。
「桜子さん、おはようございます。いつも早いんですね」
「早起きだけは、得意なの」
桜子はくんと鼻をすすり笑った。
一緒にふきんの用意をする。皐月さんのふきんの絞り方は、ものすごく力強くて桜子はいつもじっと見つめてしまうのだった。
二人で朝の掃除をしていると、課長がやって来た。
いつもの通りあまり表情を動かさない。でも課長が悪い人でないと桜子は知っていた。なぜなら彼も犬を飼っているから。
公言はしていないがきっと犬好きだろう、いつも犬の匂いがスーツからする。同じ人は匂いで分かるのだ。
「あれ?」
桜子は目を見開き、つかつかと課長の傍へ寄った。
「課長それは?」
課長の持ってきた紙袋を指さす。
「さすが桜子さん、鼻が利きますね。これ家で余っていたお菓子、食べてください」
「わぁい」
渡された袋を持って、思わずその場をぐるぐるしてしまう。
はっと気づくと、皐月さんがくすりと笑ってこちらを見ていて、桜子もペロリと舌を出した。
「おさんじに頂きましょうね」
皐月さんに言われ、がぜん楽しみになった。
「きゃー遅刻!?いやセーフ!」
バタバタと現れたのは聖花さんだ。聖花さんはこの課の事務職一番の年上だ。
「はぁ、間に合ってよかったぁ」
パタパタとファイルであおいでいる。年上と言っても桜子とは数歳しか違わないはずだが、なかなか堂々としたものだ。
「おはよー、桜子ちゃんに皐月ちゃん。あ、課長もおはよおございます」
桜子はぽかんとしてパタパタを見つめていた。動くものを見るとなんだか体がウズウズしてくる。やっぱり事務職は運動不足になりがちだ。
皐月さんはなぜか焦りながら、「おはようございます」と聖花さんの真似をして隣でパタパタをしはじめた。
そんな私たち三人を見て、課長は「今時のアラサーはこんなものなのかねぇ」とぼんやりつぶやいていた。
今日も一日が終わり、いつもの道を帰宅する。
電車を降りて、駅前を通りすぎ、河原に着くと誰もいないのを確認し、桜子は全力疾走をする。
多少ヒールでは走りにくいが、そんなことは気にしていられない。
夕方の少しひんやりとした風を切り、川の匂いを体にまとわせ、非常に爽快である。
「ただいま」
家へ帰ると、しっぽをふりふり葉子が出迎えてくれた。
葉子はくうんと鳴きながら言う、
「お帰り、桜子。会社はどうだった?相変わらずつまらないところでしょ」
桜子は葉子をわちゃわちゃに撫でながら答える。
「そんなことないよ、結構楽しい。アラサー女子やるのって面白い」
「そんなもんかねぇ」
「ずっと家で留守番してる犬の生活の方が、つまらないでしょ」
「そうでもないよ、リラーックス」
葉子は後ろ足で頭をかきながら言った。犬の動作も様になってきている。
「入れ替わってみて、よかったね」
「そうそう、思い切って正解」
桜子の中身は元々葉子で、葉子はもともと桜子だ。
つまり、今アラサーOL桜子をやっているのは元柴犬の葉子で、柴犬葉子をやっているのは元人間の桜子。
二人暮らしならではのなせるわざ。
「ねぇ、散歩いこうよ。この体になってから走りたくて仕方ない」
葉子…もとい犬になった桜子がスカートをくわえてひっぱる。
「えー疲れたんだけど」
「ほら!私の気持ちも分かったでしょ。会社帰りに散歩させられるOLの気持ちが」
そう言われ、人間桜子になった葉子は「仕方ないなぁ」とリードを手にした。
二人はけらけらと笑いながら、今日も夕方の河原を散歩する。
飼い主と飼い犬、OLと柴犬が、入れ替わった姿のままで。
次話→2皐月の場合
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