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親が亡くなる年になって、初めて自分の人生を意識した

こんにちは、こあらっこです。
唐突ですが、みなさんは、自分の人生の終わりにについて意識したことがありますか?
こあらっこはありません。人生の最後(の瞬間)に一人なのか、誰かに看取られているのかわかりませんが、なるようにしかならないと思っていたからです。
そして、人生の終わりに自分が「どう過ごすのか」、ではなく、「何を思うのか」についても、本当に何にも考えていませんでした。
「あの時、あれをやっておけば。。。」というようなことは、何も人生の最後でなくても、20歳の若者だって思うことがあるのです。そして、もし“あの時“に戻れたとして、今(未来)の記憶(知識&経験)を持っていない限り、「同じ人間が同じ状況で下す判断は同じ=必ず今と同じ道を選択する」とこあらっこは思っているのです。要するに、「あの時、あれをやっておけば。。。」という後悔?のような気持ちは過去を振り返る際には無意味だということです。

逆に、未来を切り開いてい行く際には必要だと思っていますよ。
過去に悔いがあるからこそ、“今“前に踏み出せるのですから。

だから、人生の最後に、「何を思うのか」なんて考えたこともありませんでした。
でも。。。
人生の最後に続く晩年期(特に体が動く間)については、意識してみないようにしていたと思います。だって怖いじゃないですか。
配偶者が先に逝くかもしれない。
子供だって巣立っているだろう。(というか、巣立ってくれないと困る)
もしかしたら、何十年と独り生活をすることになるかもしれない。(母方の祖母はそうだった)
その時、自分の生きる生きがいって何?みたいな。
こんなの、30代、40代で考える人は少ないかもしれません。
「子育てや仕事に追われてそんなこと考えていられないよ!」という方も多いでしょう。
もっともっと歳をとって、定年退職とかして手持ち無沙汰になってから思うのかもしれません。
人それぞれ向き合うきっかけは違うのでしょう。
こあらっこの場合は、身近な人が病気で倒れた時でした。
その人は、私の親より少し年上ですが、親とそう変わりない歳ごろなのです。
自分の両親の近い未来を見た気がしました。

祖父や祖母が亡くなった時。
私はまだ子供で、初めて身近な人の死がどういうものなのかを感じました。
でも、そこから、自分の死を感じ、自分の人生を考えるにはまだまだ若すぎました。人生はいつまでも続いていくように感じていたのです。
でも、自分の両親が晩年期に差し掛かっているのを感じた時、「自分にも晩年期があるのだ」と、「その時自分はどうするのだろうか?」と。
今は忙しく日々を過ごしていて、子供の成長に責任と充実感を感じるし、ありがたいことに自分も配偶者も元気です。
晩年期(老後)のことを思って今を生きろと言っているのではないのです。
晩年期も今と同じく充実した日々を過ごすために、今から自分に何ができるのかは常に考えながら行動していく事が大切だと悟ったのです。

じゃあ、どうすれば良いのでしょうか?
没頭できる趣味を見つける?
好きなだけ旅行をする?
地域サークルや習い事を始める?
体が動く限り仕事する?
楽しい、充実しているやりがいだと感じることは人それぞれだと思います。
こあらっこは、またしても小説を参考にさせてもらいました。

内館牧子著「今度生まれたら」
70歳になった、お婆さんが主人公の物語です。前半、主人公があまりにも猫被りで偏屈で、文句ばっかりで、「今度生まれたら〜」といった夢物語の“今度“にこだわっていて、これまた読むのが苦痛でした。(苦笑)
でも、主人公が自分の人生を振り返り、様々な出来事を通して葛藤しながら、自分にとっての後悔しない残りの人生(あえて老後とは書きません)と向き合っていく過程は参考になります。

この小説に、「生きがいとは何か」のヒントがいっぱい散りばめられているので、興味のある方はぜひ読んでみてくださいね。
(今ならAmazonオーディブルで無料で聴けます)

この小説を読んで、こあらっこは、
「他人と協力」「自己を高めあう」「社会貢献(ご恩返し)」というのがキーワードだと感じました。

仕事の快感って、自分は必要とされていることなんだよな。

内館牧子著 「今度生まれたら」

言葉にしてしまうと、ありきたりで陳腐になってしまいますが、「どの年齢でも誰かの役にたっている(必要とされている)」と感じれることが1番の幸せで、充実した日々なんだなと。
では、今やっていることの延長線で晩年期もそのように感じることができるのでしょうか?
自問自答しながら、何かしら動いていくことがこれからにつながる。
そう実感した2024年1月のとある日でした。

では、良い一日を〜🎵

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