「まなゆい」が仇となる⁉︎ 人間関係
「まなゆい」のあり方が身につくと人間関係が楽になると言いますが、
それがたまに上手くいかない⁉︎ こともあります。
わたしにとって、一番理解するのが難しい(⁉︎)のが、自分のパートナー😅
彼が何を言わんとしているのが、わたしに何を伝えたいのか、何をして欲しいのか、
彼が話している時やメッセージで送ってくる内容が、噛み砕いてもわからない時がよくあります💦💦💦
それは彼も、わたしが彼に向かって発する言葉に対して、同じように感じているみたい?で。
こないだも思いの行き違いがあって、ちょいとやり合いました😖
趣味や価値観、さまざまなものの好みも違うし、
彼が好きでもわたしは興味が持てないもの、
彼が役に立つと思ってもわたしはそれほど必要ないと思うこともあるから、
それはそれでいいとわたしは思うんですが。
それを伝えたら、彼は
「拒絶された」
と感じたらしいです。
「あなたはAがいいのね。
でも、わたしはBがいいの」
それをただ受けいれ、認め、ゆるし、愛しています😉
で、「全受容・全肯定」して終了❤️とわたしは思うし、
相手もそう思って終了❤️してくれればいいんだけど、
そう簡単にはいかない😆のですね。
パートナーは「まなゆい」を知っていてもほとんどやったことはないので、
「まなゆい」で言うところの「全受容・全肯定」で接してくれるのを期待しても、
それは無理な話。
やり合ったしばらく後で、彼の言い分を聞く時間を持った時に、
彼の話を聞いていて、「全受容・全肯定」の捉え方って、
たいていの人にとっては難しいんだなあ😅と思いました。
なのに、「まなゆい仲間」に接するように、
「ここは自分の勝手さ、未成熟さを敢えて出したいから、それを全受容全肯定してね👍」
という思いで、パートナーに対して言葉を発していた自分😓
そりゃ、通用しないわな〜。
そして、まなゆい的「全受容・全肯定」で人に接していると
時に相手が「物足りない」「不誠実」と感じることもあるんですよね。
これは実は前から思っていたことでもあります。
「まなゆい」は、愛はあっても愛“情”をかけるものではないので、
時に冷たくもあり厳しくもあります。
“情”を求めているところで「まなゆい」的でいると、結構シビアに思われてしまうかもしれません。
「パートナーとちゃんとコミュニケーションをとるって大変だな😅」と改めて思ったこの数日でした。
後日談として。
そんなことをやっていたある日、購読中のあるメルマガでどんぴしゃりな内容が届きました😁
シェアしますのでご参考にどうぞ
(以下転載)
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