てくてく旅@こぅーコ

てくてく歩いた記録です。 現在、御府内八十八カ所お遍路中

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御府内八十八カ所 5/19回

子供の頃、祖父のお供で親戚の法事に伺ったりしていました。 大人ばかりの経唱和の中に子供の声が混じるのは目立ったのでしょう。帰り際に「よくお参りくださいました」と親戚のおばあさんがお小遣いをくれました(それがお供の目的だったのは言うまでもありません) 長ずるにつれてお供はしなくなり、祖父も亡くなり、そのことは都合よくすっかり忘れていました。 ところが。 父の一周忌の時でした。私が小遣いをせしめていた親戚(当事者はすでにこの世の住人ではなく、その孫)が、子供を連れてきたの

    • 湯河原 城山ハイキング

      湯河原温泉1泊の城山ハイキングに行ってきました。 城山は桓武平氏の武士である土肥氏の山城があったとされる山。 さて、行ってみよ~! 今回は湯河原温泉が主目的で、あまり(というかまったく)下調べをしていなかったことは色々な意味で反省。 歩き始めて直ぐに嫌な予感が胸に沸く。まさかあの前方に見える山まで歩くんじゃないだろな?(結構あるよ?) 湯河原駅から徒歩10分。 城願寺は土肥次郎実平(鎌倉初期の武将)が建立したとされる寺で土肥一族の墓所がある。 寺を出で歩き出す。

      • 秦野 弘法山公園を歩いてきました

        小田急線の秦野駅から鶴巻温泉へと続く標高200メートルほどの低山ハイキングです。 コースタイム目標2時間。それでは行ってみよう! 駅前に湧き水。秦野は水が豊かな街である。 駅を出でから水無川を沿って歩く。 不二家レストランがある交差点を左折してしばらく歩く。 さて、行ってみよ。 15分ほど登ると ここからは尾根を歩く。 権現山には展望台がある。 昭和27年(1952年)秦野市の前身である秦野町により、戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるため建立された平和の塔

        • 御府内八十八カ所 4/19回

          これまで3回東京都内を歩いてきて〝お不動様〟が多いことに気がつきました。不動明王は真言密教の根本尊で大日如来の化身なのだから、真言宗のお寺を巡っていれば当たり前だとしても多いのではないか?そこで下の本を読んでみました。 お稲荷様って神様?仏様? 西の稲荷、東の地蔵 信仰に地域差があったとは。そして、江戸のお不動さんの多さの原因として成田山新勝寺の出開帳と市川団十郎の関係考察は大変に面白いです。 一つ賢くなったところで4回目のお遍路です。今回は京王線沿線です。 多摩センター

        御府内八十八カ所 5/19回

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        • 御府内八十八カ所
          6本

        記事

          小田原梅まつり 曽我梅林

          2月3日(土)から29日(木)まで開催する小田原梅まつりに行ってきました。 JR東海御殿場線下曽我駅で下車。駅前の正栄堂さんで豆大福と鯵の骨せんべいを購入。途中、無人売店でみかんも追加。 会場まで要所に案内板があるので迷うことはない(たぶん) 日本食に欠かせない梅であるのだが、8世紀に交易によって中国から伝来されたと考えられている。小田原での栽培は、北条氏の時代に軍用に供するため梅干作りが奨励されたのが始まりという。とにかくも古いらしい。 現代では花見といえば桜だが、

          小田原梅まつり 曽我梅林

          御府内八十八カ所 3/19回

          愛知県知立市に偏照院というお寺があります。三河三弘法第一札所であり、毎月の弘法様の日には縁日が立ちます。 子供の頃に祖父が連れて行ってくれました。 参道には出店が並び、とても賑やかで、店先で鰻を焼くいい匂いがしていました。 祖父の楽しみだったのでしょう。鰻丼を注文してくれました。 が。 丼の蓋を開けると、それはそれは小さな身が一切れあるだけ。隣では祖父が大きな身を美味しそうに食べています。 「私のは子供用なんだ」 少々、いえ、かなり恨みがましく、小さな鰻をチビチビかじっ

          御府内八十八カ所 3/19回

          御府内八十八カ所 2/19回

          初めてのお遍路さんのあと、膝が痛くなってしまいました。 困ったことに我が家は坂の上にあるのです。膝の故障は生活に直結します。病院にかかろうとは思ったものの、言われることはわかっています。 「少し痩せた方がいいのでは?」 体重の減らして膝の負担を軽減。同時に筋肉をつけなさい。ごもっともでございます。 実は、始める時に相談した和尚さんから「写経のあとに願い事を書いたほうがいいよ」とアドバイスをいただいたのですが、私は「痩身?」とふざけたのです。どうやら聞かれていたようです

          御府内八十八カ所 2/19回

          山辺の道を行く

          日本書紀には、平群(へぐり)鮪(しび)と影媛の悲恋がある。二人は相思相愛だったのだが、皇太子(のちの武烈天皇)が影媛に求婚したことから悲劇が起きる。皇太子の命令で恋人を殺された影媛は、鮪が殺された乃楽(なら)山まで訪ねていった。(影媛道行歌) 「石上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 物多に 大宅過ぎ 春日 春日を過ぎ 妻隠る 小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り 玉もひに 水さへ盛り 泣きそほち行くも 影媛あはれ」 乃楽山とは、奈良県奈良市と京都府木津川市の県境にある平城山(

          御府内八十八カ所 発願

          祖父は、仏壇の前で般若心経を唱えるのが日課でした。 最後の締めは ありがたや たかののやまのやまかげに たいしはいまもおわしまします くうかいの こころのうちにさくはなは みだよりほかにしるひとはなし と、唱えていました。 実家は、祖父の代からの分家です。法要を営んだことはなく、親戚の法事があれば、丁稚気取りで祖父のお供をして小遣いをせしめていた私も他家では聞いたことのない、それは謎の〝呪文〟でした。 祖父が亡くなったのは、私が高校生の時です。毎夜の読経は父へと代替

          御府内八十八カ所 発願

          御府内八十八カ所 下準備

          子供の頃、祖父からお遍路さんの話を聞くことがありました。自転車で巡ったと楽しそうに話す姿に、憧れのようなものを感じていたのかもしれません。 いつかは自分も歩きたい。そう思ってきました。 でも中々思うようにいかず、関東住まいの今では四国は本当に遠い。 とりあえずできることから、と、鎌倉三十三観音霊場巡りを始めていたところ、偶然立ち寄った甘味屋の主人から御府内八十八カ所の存在を知りました。 四国までいけない民のために開創したであろう霊場。なんと素晴らしい。 そこで色々下

          御府内八十八カ所 下準備