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御府内八十八カ所 2/19回

初めてのお遍路さんのあと、膝が痛くなってしまいました。

困ったことに我が家は坂の上にあるのです。膝の故障は生活に直結します。病院にかかろうとは思ったものの、言われることはわかっています。

「少し痩せた方がいいのでは?」

体重の減らして膝の負担を軽減。同時に筋肉をつけなさい。ごもっともでございます。

実は、始める時に相談した和尚さんから「写経のあとに願い事を書いたほうがいいよ」とアドバイスをいただいたのですが、私は「痩身?」とふざけたのです。どうやら聞かれていたようです。

観念した私は、ホコリが被っていたリングフィットアドベンチャーのハンドルを握りしめました。ああ、身体が重い。

さて、膝痛も筋肉痛も改善されたところで出発です。

今回は港区を歩く計画。
最初の失敗は電車。横浜住みの私は、武蔵小杉で乗り換えればいいと安易に考えていたのだが、どうもホームの様子がおかしい。駅員さんに訪ねると、私が乗っていたのはJRで、目的地は東急沿線であるとのこと。そして同名の二つの駅は離れている。無駄に10分ほど歩くことに……。

東急は都営地下鉄三田線に乗り入れている。なんとか御成門下車

御成門は港区西新橋にある。時代劇でよく「うえさまの、お、なぁ~りぃ」と台詞を聞くことがあるが、かつて増上寺の将軍家専用門があったらしい。

慈恵会病院方面の出口から、芝郵便局の交差点を左折する。
道の向こう側に愛宕神社を見ながら歩き、途中右折する。

20番札所 身代山 鏡照院

鏡照院

真言宗智山派のお寺。
常陸国の海上で出現した身代不動を笠間で祀っていたが、慶長8年に愛宕山下に移された。ということは家康入府後になる。この地に安置されたのは平成6年とのこと。御朱印は後日になると張り紙が。作法に従って出る。

次は愛宕神社の隣。
第67番札所 真福寺

真福寺

真福寺は京都にある真言宗智山派総本山智積院の別院。
天正19年(1591年)中興照海上人が家康を慕って江戸に入り、その後、家康より愛宕下に土地を与えられて開創。
ご本尊は薬師如来。そのお姿は右手で人々に安らぎと勇気を、左手に持つ薬壺で病気の苦しみを除く請願を示していて、「愛宕下のお薬師さん」と親しまれた。
幕末の通称条約締結あとは、江戸におけるオランダ使節団の宿舎として使われてもいる、とのこと。

ここから虎ノ門ヒルズ駅から六本木に移動。

初めての六本木。大都会に気後れ気味。ちょうどお昼。空腹なのだが、なんだが変に身構えてしまって店に入る勇気がでない。

とりあえず先に進もう。スマホで住所を確認しながら次の寺院を探す。

第6番札所 不動院

不動院

ご本尊は不動明王。
開山時期は伝承では徳川入府前だが、史料から推察するには入府後になるのだが詳細は不明とのこと。
かつては麹町平河町に1万坪の境内を有していたが、万治元年(1658年)に御用地召し上げになり移転。明暦の大火が明暦3年(1657)。麹町は火元の一つだったと思うので、移転と無関係ではないだろう。ともあれ、新しく与えられた境内は狭く、拡張には大変な努力があった模様。

建物内が暗いな、と思いつつ、扉は開いていたので入ったところ、警報音!

ごめんなさーい。

小伝馬町の大安樂寺でも御朱印がいただけることを確認して退散。

ここから元麻布に移動。途中、中国大使館の物々しい警備を横目に歩く。
道の向かい側にお寺!、の前に、目が隣の〝うなぎ〟の文字を捕らえる。迷うこともなく階段をあがり、鰻丼をいただく。

第27番札所 正光院

正光院

本尊は薬師如来。
元々は黒田家の祈願所だったという。

対応してくれたご婦人に六本木からきたと伝えると、派手なのは駅の向こうでこの辺りは昔からの寺町、とのこと。確かに六本木からここまで何軒も寺を通り過ぎた。すると、江戸で大きな寺院は「増上寺」と「寛永寺」。お寺はこの二つの寺の周りに集められている。と教えてくれた。なるほど!

寺を出てから広尾に向かって歩く。綺麗だと教えられていたが、確かに都心とは思えない美しさだ。

南麻布に移動。

この辺りは坂が多い
大名木下家の北側にあったために名付けられたという。
秀吉の正室ねねの兄の家系だろうが、確か2家あったと思うので、どちらだろうか。

木下坂

承応2年(1645)坂の東側に赤坂から曹渓寺が移転してきた。初代和尚の絶江が名僧でこの付近の地名となり、坂名となった。

絶江坂

この坂を下ったところに

第5番 延命院

延命院

真言宗智山派 本尊は大日如来
銀杏が大変に美しかった。

招福夫婦銀杏

坂を下りて、ここから2号線に沿うように歩いていく。ところが、三田にさしかかった交差点を渡ったところで

派手に転んだ。

スマホで地図を確認しながら歩いていて、足下の段差に気がつかなかったわけだが、放り出してしまったスマホを取ろうとしたために手が付けず、頬まで打ってしまった。痛かった。マジで痛かった。

痛む膝を気にしながら、前回通った道の反対側に渡る。が、道がわからない。地図では道路沿いの建物の奥にあるのだがみえない。少し歩いて、狭い路地を見つけたので入ってみる。
と、道路があるではないか。

第84番 明王院

五大山 明王院

本尊は不動明王。勅賜厄除け……て、遅いぃ。
御朱印と共に道中安全満願成就と書かれたお札をいただいた。ハイ、これから気を付けます。

慶應義塾大学に沿って歩いて行く。

綱坂

綱坂
羅生門の鬼退治で有名な渡辺綱が生まれた伝承による。

イタリア大使館

イタリア大使館は伊予松山藩の藩邸跡地にあり、ここでは赤穂浪士の大石主税、堀部安兵衛他10人が切腹している。もう12月だなあ。

第13番札所 弘法寺

弘法寺

本尊は弘法大師。現在は弘法寺としているという。
開山は不明。この地の建立は明治42年頃。
ちょうど勤行の時間であり、お忙しいだろうに丁寧に説明していただいた。空海が宮島弥山で護摩をした際の灯火を分けられた火で沸かした湯をいただくことができる。「厄除けです」うん、コケたしね。
4階にはお砂踏みも完備されていて、ご住職に案内していただいた。
ありがとうございます。

この寺の立地には、酒呑童子渡辺綱の屋敷があったという。
ちなみに徳川十六将の一人である渡辺守綱は綱の子孫を称している。

帰りに寺パンを買って帰る。

今回、気がついたことがある。
納経がわからない寺では読経をしたのだが、だんだん思い出せなくなっていった。最後の弘法寺では出だしから思い出せなかった。
修行とは、この体たらくを乗り越えるためにあるのではないか。スポーツ選手が厳しい練習を乗り越えて勝利を掴むように。


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