御府内八十八カ所 3/19回
愛知県知立市に偏照院というお寺があります。三河三弘法第一札所であり、毎月の弘法様の日には縁日が立ちます。
子供の頃に祖父が連れて行ってくれました。
参道には出店が並び、とても賑やかで、店先で鰻を焼くいい匂いがしていました。
祖父の楽しみだったのでしょう。鰻丼を注文してくれました。
が。
丼の蓋を開けると、それはそれは小さな身が一切れあるだけ。隣では祖父が大きな身を美味しそうに食べています。
「私のは子供用なんだ」
少々、いえ、かなり恨みがましく、小さな鰻をチビチビかじっていると、しばらくして、なんということでしょう。
ご飯の中から大きな鰻が出てきたのです。あの時の衝撃は今でもはっきりと覚えています。そして、今でもうな重よりも鰻丼の方にトキメキを感じます。
前回の鰻丼もとても美味しかった。今回はどんなトキメキが待っているのでしょう。
さて、今回は渋谷から青山まで歩く予定です。
電車を降りた渋谷駅でいきなり戸惑う。東京メトロ銀座線に乗り換えないといけないのにわからない。もう泣きたい。いや、帰りたい。
待って。落ち着け。半蔵門線でもよかったはず。ホームに降りてみた。ああ、違う、これじゃない、見つからない。帰ろうかな。と、振り返ったところで銀座線の案内板。あるじゃん! 進む。が、改札でエラー。
結局、駅員さんに教えてもらって脱出。渋谷駅、いつのまにこんなに大きくなったんだろう(昔からです)
そんなこんなで銀座線に乗り換えて、外苑前で下車。国立競技場の出口を出る。青山熊野神社の前を通って、國學院高校の向かい側。
弘法大師空海は天台宗の真言宗の開祖なので、その足跡をたどるお遍路は真言宗になる。が、ここは臨済宗南禅寺派(南禅寺といえば湯豆腐ですね)。宗派を変えたのかと思ったら、南北朝時代の創建時から臨済宗だったもよう。同じ臨済宗の建長寺より古いことになる。
大師堂は明治になってから移転してきたとのこと。
大変に手入れの行き届いたお寺で、お庫裏さんは謙遜していらっしゃったが本当に綺麗です。
さて、ここから国立競技場に向かって歩く。
山号は観谷山福聚院。本尊は如意輪観世菩薩。
神亀2年(725年)行基北越遊行の際にこの地でしばらく休息した時に如意輪菩薩が現れたとされる。
行基といえば、奈良の大仏建立責任者として招聘されたことで有名だが、大仏は743年に発願されているので、それ以前の創建ということになる。
ここからは青山に向かって歩く。
高橋是清の邸宅跡。昭和11年(1936年)2・26事件によりこの地で暗殺される。母屋は江戸東京建物園に移築されているが和風庭園は当時のまま残されている。
青山一丁目の交差点で方向を見失うもなんとか赤坂に入る。
智山派の寺院。千葉からこの地移ったのは慶長5年(1600年)関ヶ原合戦が起きた年。パンフもいただいたが、詳しいことは下記HPで。
さて、ここから一ツ木通りからコロンビア通りを進んで坂を登る。が、建物がわからない。もしかして?
お寺というより邸宅。インターホンに張り紙が……
お寺は御朱印のために存在しているわけではない。出直しとする。ここから赤坂見附駅まで歩き、電車で恵比寿駅まで移動
今日の予定はここで終わり。
とても寒い日で、対応していただいたお寺の方には温かな労いの言葉をいただいた。ありがとうございます。
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