御府内八十八カ所 5/19回
子供の頃、祖父のお供で親戚の法事に伺ったりしていました。
大人ばかりの経唱和の中に子供の声が混じるのは目立ったのでしょう。帰り際に「よくお参りくださいました」と親戚のおばあさんがお小遣いをくれました(それがお供の目的だったのは言うまでもありません)
長ずるにつれてお供はしなくなり、祖父も亡くなり、そのことは都合よくすっかり忘れていました。
ところが。
父の一周忌の時でした。私が小遣いをせしめていた親戚(当事者はすでにこの世の住人ではなく、その孫)が、子供を連れてきたのです。しかも、ちょうど、私の、あの頃と同じ年頃の子供です。
彼の素直そうな顔と、あの時の得意げな自分が重なりました。これは観念しなければならない。そう思いました。
帰り際、玄関で子供を呼び止め、あの時、おばあさんにしてもらったように
「よくお参りくださいました」
とポチ袋を渡しました。
もらうことを期待していたあの頃の私と違って驚きを隠せない子供。
「私もね、同じようにお供をして、おばあさん(彼にとっては曾祖母)に同じことをしてもらったから。ご無沙汰しているけれど元気でいると(仏壇の)おばあさんに伝えてくれる?」
因果応報。
私はその言葉を噛みしめたのでした。
さて、今回は文京区を歩いてきました。
東京メトロ千代田線湯島駅を下車。
元和2年、徳川家康が駿府で亡くなったあと、家康付きの中間・小人・駕籠方の「三組」の者が江戸へと召し替えされることになり、当地に屋敷地を賜った。駿府から帰ったので、一帯を駿河町と呼んだ。その後、町名を三組町と改め、その町内の坂を三組坂とした。
坂を登ったところでサッカー通りを経由して5分。
元禄4年(1691年)綱吉から現土地を得て創建。関東八州の真言律の総本山として幕府の庇護を受ける。
御朱印を受け取る時に「暑いですから」と塩飴をいただく。門を出たところで早速口に放り込む。ありがとうございます。
寺を出で中山道を経由して約10分。
東京のお寺だなあ。
シャッターが閉まっている。閉店かな?(オイ)と思いつつも左の戸を開けてみる。
開くじゃないか!
薄暗い廊下を進む。が、エレベータがない。まさか……奥の扉か?開けてみる。自動で明かりが灯るではないか。あった!
間違っていたらどうしようとビクビクしながら8階のボタンを押す。動き出す→扉開く→目の前に段ボールの山!
ええええええと目を丸くしていると左角に御朱印が置いてあるのを見つける。
現代では事務所になっているが、由緒はある。縁起によれば享保10年(1725年)紀伊家より秘仏とされた七観音を寄付されて創建。当時は木食寺と称した。
ここから春日通りに入って徒歩20分
インターホンを押すときはいつも緊張する。えいっと勢いで押す。
お寺としてはいきなりの参拝客というのは面倒だろうといつも思うのだ。しかしどのお寺も嫌な顔もせず対応していただけている。嬉しいものです。
薬王山偏照院三念寺は、室町時代中期、文明4年(1472年)品隆上人により、千代田区五番町十番町付近に創建された(その付近に三年坂があり、当初は三念寺坂と言われていたがいつの間にか三年坂になったらしい)その後、慶長8年(1603年)この地に移転した。
ここから春日通りに戻り徒歩25分
本堂がよくわからなくて先に社務所のインターホンを押してしまった。
ここも快く対応していただいた。ありがとうございます。
また春日通りに戻って徒歩20分。
当初は鳶多くして、女童の手に持たる肴をも舞い降りて取る故に「とび坂」と呼ばれていたが、転じて富坂となった。
茗荷谷の住宅地にある。周囲に溶け込んだお寺である。
清水山専教院灌頂寺
創建は延宝9年(1681年)
今回はここで終了。
道もさして迷わず楽にいけたな、と思っていたら、茗荷谷駅に行くつもりがまったく違う場所に向かってしまった。結局、後楽園駅から電車に乗る。なんだかとても遠回りしてしまった。最後まで気を抜いてはいけない。
これまでいただいた御朱印一覧
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