見出し画像

SNS疲れかな…コミュニケーションのありよう

SNSは多種多様でプラットフォーム別に使い分けをしたりしているが、だんだん億劫になってきた。もはやレガシーなメディア(新聞、TV)は信用していないから、SNSの口コミレベルの情報は大事なニュースソースでもあって、だからやむを得ずSNSは使っているという側面はある。

とはいえ様々なSNSを使い分けるのもだんだん面倒になってきた。私にはいろんな顔があって、仕事の顔、プライベートの顔、趣味の顔、それぞれでつながる人は結構違う。もちろん重なる場合もあるけど、例えば仕事に関する発言はコンプライアンス上問題がないか、インサイダー情報じゃないかとか、そういう気づかいは必須だし、一瞬にして拡散するインターネットの世界では注意と配慮が必要だ。

一方でこのnoteもそうだが、手軽に発信をしていくという点においては便利だしオーディエンスの反応も分かり易いのも重宝している。

最も気になるのは匿名性の問題だ。出自を偽ってなりすますことが割と簡単なインターネットの世界なので、本当に本人かどうか、ウソをウソと見抜けるかどうかのスキルは必須ともなっている。つまり自分の身を守るためにはどちらかと言えば、性悪説に基づいたアクションが必要なのだ。

SNSの特徴はそのスピードにあるとも思っている。例えば新聞、雑誌、TVのようなメディアは一定のペースで情報を提供しているが、SNSはリアルタイムだ。今そこで起こっていること、考えていること、発信する人のタイミングで常に情報が発信されている。情報によってはタイムリーにリアクションすべきものもあるので、そうすると絶えずどんな情報が発信されているか頻回にチェックする必要性もあるのだ。

ヒトの情報処理能力はある程度のキャパがあると思っている。類似している情報は統合して、自分の中の閾値を超えない情報は捨てるということを意識的に行わないとすぐにパンクすると思っている。だからSNSもある程度の数に絞るべきで、少なくとも自分はそうしないとSNSを有効に活用することが出来ない。疲れてしまう。

twitterでもfacebookでも良いが、その意味では一定の期間でフォロー先を整理するということを行っている。何かを期待してフォローするが、そのフォロー先があまり情報発信をしていない場合、そもそも自分の興味・関心分野が変わってしまった場合などを理由にフォロー先を削っていく。そうするとそのSNSのタイムラインはややシンプルになり、自分にとって重要と思われる情報が埋もれないようになってくる(と信じている)。

SNSは発信・受信というpeer to peerのコミュニケーションではなく、発信だけを取りまとめたメッシュ状の仕組みだ。もちろん網目は細かいほうがより多くの面積をカバーできるが、それほど厳密にカバーする必要性の有無について常に自問自答している。

もう一つ。SNSの大半は文字による情報発信だ。静止画や動画によるSNSももちろんあるが、基本的には文章で自分の考えを伝えようとする。ということは、書き手、読み手の双方にそれなりの文章力が必要となる。「行間を読む」ことを求めてしまうと、バックグラウンドが異なる読み手にとっては解釈が多様になってしまい、自分の考えを正しく伝えることが難しくなってしまう。

もちろん静止画や動画を扱うinstagramのようなSNSも存在するが、これだともっと解釈の幅が広がる。それを補うために静止画や動画にコメントを付記するが、これもまた文章の問題となり前述した通り文章のスキルが求められる。

人のコミュニケーションは本当に難しい。インターネットとSNSの出現でこのコミュニケーションのありようはずいぶんと変わってきた。COVID-19のおかげで更に直接的なコミュニケーションの機会が失われている現在、新たな生活様式、人同士のつながり方について考える必要があると思っている。もっと密になるのか、ある程度疎にしておくのか。試行錯誤は続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?