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アーカイブ出来ない身体

展示をすると思い出すことは殆どが制作中のことだ。作り終わった作品、つまり展示そのもののことはあまり覚えていない、すぐ忘れてしまう。

自分の展示は年々、場所と空間について考えることが増えている気がする。そこの場所に向かうこと、鑑賞者がそこに立つことでその人の身体と場所と作品の結びつきがインスタレーションとしての展示の一回性を成立させると思う。その意味では誰かの経験は他の誰かでは再現が不可能だし写真や映像ではアーカイブすることは出来ない。

俺が展示に求めていることはそういうアーカイブ出来ない身体がもたらす永遠の一回性なんじゃないかなと思う。

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