育った地域、学校のこと。
父も母も若くして結婚し、家賃の低さで住んだ地域が
私の育った地域だ。
治安の良くない地域だった。
それでも私の学年は割といい学年だったように思う。
中学は皆勤だった。
みんなのやりたがらない学級委員や
生徒会役員、行事の実行委員などをした。
高校受験。
自分の家が裕福ではないと思っていたので
手に職をつけたいと、工業高校に行こうと相談したが
母に止められた。
そこで、子どもが好きでよく近所の小さい子の面倒を見ていたので
幼稚園教諭になろうと考えた。
そのためには国立の大学に行くのが一番お金がかからないだろうから
県内の教育大学に進学するという見通しを持って
姉の通う進学校を志望することにした。
もちろん塾に行くなどできないので
過去問集を解くなどしか出来ず、
数学に至ってはひどい点数を毎回取っていたので
合格できるかは本当に分からなかった。
(姉は頭が良いのでもう一つ上の高校も狙えたが教師に反対されたらしい)
一応、私立高校も受験し、合格はしたが
私立なんぞお金のかかる高校に行く気はなかったので
公立高校の合否の前に支払わされる前金を入金しなくていい、と
親に告げていた。
親もそれを聞いてくれて入金してなかったが
締切の日に呼び出され、親も呼び出され、
結局入金したと聞いた時には、担任への怒りがおさまらなかった。
なぜなら、私の住んでいた地域は、同和地区といって、
昔、被差別部落のあった地域らしく、一部の生徒が優遇されていた。
なので、その一部の子は教師の方から推薦をもらえていたのに、
生徒会など様々な役割をこなしてきて、その上で担任に推薦を貰いたいと
相談した時にいい顔をされなかったからだ。
(こういう地域ではこのような逆差別的なことが多くあるが、これについて話すと長くなるので・・・)
何度も志望理由を聞かれ、答えていたが
「それじゃ、弱い。」などと受けてもらえなかったのだ。
「優遇されている家庭の方が裕福なのに。」
「いつもあの保護者にはペコペコして。」
と、日頃からの思いもあり、どうせ通す気が無いんだと悟った。
「もういいです。」
そう言って普通受験することにしたのだった。
お金に余裕がなかったからこそ
内申点をよくするために「いい子」をしてきたのに。
公立一択しかないからこそ、だったのに。
なのに、私立の入金をしろと親に連絡をしたことに
ものすごく怒りが湧き出た。
家に帰って母からそれを聞いた時には
やるせないというかなんとも言えない感情に襲われた。
しかし、その頃の私は担任にぶつけることをしなかった。
振り返ると、感情を抑え込む癖があったんだと思う。
迎えた高校の合格発表。
奇跡は起きた。
まぐれで合格していた!
高校進学は、地域から離れられると言う意味で
いい転換期であった。
しかし、それは苦しい勉強漬けの毎日の始まりでもあった。
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