こはむ

結婚をきっかけに、自身がアダルトチルドレンの傾向があることに気づく。 「やりたいことが…

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結婚をきっかけに、自身がアダルトチルドレンの傾向があることに気づく。 「やりたいことが見つからない」「なぜか自己肯定感が低い」 ・・・そんな人はもしかすると私と同じような境遇かもしれません。 もっと早くそれに気づけるお手伝いが出来たらいいなぁと思って書いていくことにしました。

最近の記事

感謝があるから依存に気付けないというトラップ

前回の投稿からかなり時間が空いてしまいました。 あの頃は、とりあえず似たような境遇の人に届けばと 自分のこれまでについて書いていましたが それでは前に進むまでに時間がかかりすぎる、と。 結局のところ、 自分がアダルトチルドレンであることに気付かなかったのは 親のことを尊敬しているし、大切だと思っているし なにより親に感謝しているから。 「恵まれた環境に育ったのに、どうして生きづらいんだろう。」 こう思っている人に対して 「もしかすると、その親子関係、実は少

    • 育った地域、学校のこと。

      父も母も若くして結婚し、家賃の低さで住んだ地域が 私の育った地域だ。 治安の良くない地域だった。 それでも私の学年は割といい学年だったように思う。 中学は皆勤だった。 みんなのやりたがらない学級委員や 生徒会役員、行事の実行委員などをした。 高校受験。 自分の家が裕福ではないと思っていたので 手に職をつけたいと、工業高校に行こうと相談したが 母に止められた。 そこで、子どもが好きでよく近所の小さい子の面倒を見ていたので 幼稚園教諭になろうと考えた。 そのためには国

      • 外へ出ようとしない母

        母は結婚当初、喫茶店で働いていたそうだが、 私が保育園に馴染めなかったことで辞めて専業になったと聞いた。 父に「『働くな』と言われた」と母からは聞いていたが 父からは「いや、働いて欲しかったよ」と聞いた。 どちらが本当なのかは謎のままである。 二人とも言い出したら聞かないし、本当に忘れていたりするからだ。 私の記憶では 私が小学校の時に、知り合いの美容室を手伝いに行っていたことがあるが それ以外は専業主婦で、 趣味などで他のコミュニティーに属することはなかった。 読書が好

        • 母を助ける役割

          母は、健全ではない家庭で育った。 実母は蒸発し、母は実父の元からも離れたいと 定時制に通いながら住み込みで働いたらしい。 さらに、その後実母が戻ってきたかと思うと 母が住み込みで働いて貯めたお金を持って逃げたらしい。 「あんたたちは恵まれてる。」 そういって、この話を何度も聞かされた。 「またその話か。」と思っていたが、 そんな状況信じられないし、母が苦労してきたのもわかっている。 むしろ、そんな家庭に育ったのに 私たちをよく育てくれてるなぁと感謝さえしていた。 母が感

        感謝があるから依存に気付けないというトラップ

          感情で表す母

          私は赤ちゃんの頃、母以外には懐かず、 父ですら泣いていたので「本当に俺の子か?」と 喧嘩の種になっていたほどだと聞いた。 母でしか安心できなかった理由ってあるのかわからないけど。。。 物心がついても母のことが好きだったし、 参観日に見に来てくれると、 自分の母が一番綺麗だなと思っていた。 自慢の母だった。 ただ、理不尽に怒られて泣いた記憶がある。 ワーッと怒られて、言い返すことが出来ずに 部屋の隅に蹲るようにして泣いた。 またある時は、ベランダに出て柵に足をかけ、 飛

          感情で表す母

          ふざけてからかう父

          若き日の父はカッとなりやすく喧嘩っ早かったようだ。 けれど手をあげられることはなかった。 運転中に危ない車があると怒鳴っていた記憶はあるが・・・。 父はからかって楽しむようなところがあった。 海に行ってタコを見つけてきた時には(そんなにタコって居るもんかな) 私の背中にくっつけて楽しんでいた。 もちろん私は大泣き。。。 私には、唇の上にほくろがある。 父はいつも 「鼻くそがついてるぞ、ハハハ!」 と言って私をからかった。 だから幼稚園の頃も気にして 写真にうつる時には、

          ふざけてからかう父

          なぜか自己肯定感が低い

          親の愛情は感じているし、 アルバムを開けば子どもの頃の写真が並んでいる。 記憶にはない幼い頃の写真にも、可愛がられている様子が写っている。 だから、私は子どもの頃のアルバムを見るのが好きだった。 疲れた時には子どもの頃の写真を見たらいいと聞いたことがあったし なんとなくそんな気がしていた。 アルバムはいつでも出せる場所に収納していた。 けれども、私は 「私なんて生まれなくてよかったんじゃないか。」と 小学校中学年の頃だっただろうか、思っていた記憶がある。 母に何かで怒ら

          なぜか自己肯定感が低い

          「いい家庭」に育ったと思っていた

          うちの家庭は20歳で結婚した両親、 姉、私、弟の3人きょうだいの5人家族だった。 父はせっせと働き、母はワンオペで3人の子育てをしていた。 母は若いながらもいろんな手料理を作ってくれ、 誕生日にはケーキを焼いてくれた。 父は、途中から、夜働きながら昼間は職業訓練校に通い、 資格をとって働き、自分で会社を運営するようになった。 小さい頃はよく山などに連れて行ってもらい、 田舎育ちな両親から 食べられるイチゴやあけびなどを教えてもらって食べてみたり 父に竹でっ

          「いい家庭」に育ったと思っていた