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勿忘草-ワスレナグサ-/shortshort

早く死んでくれないか この言葉が溜息に乗り届いてしまいそうになり慌てて口を固く締めた。

「早く髪洗って下さいよ、痒いんです先生」

母は全裸で風呂椅子に座り、眉を八の字に寄せている。

「はいはい、わかりました佐藤さん。どの辺りが痒いんですか?綺麗綺麗しましょうね」

私が調子を合わせると、母はニカっと歯を見せる。

 髪を洗い終えると身体を拭き、頭にタオルを巻いて、着替えさせ、お姫様抱っこでリビングのベッドまで運ばなければならない。
この運ぶ作業が腰に来るのだ。
ただ、ただしんどい。
なんなら永遠に風呂に入っていて欲しい。

 母が認知症を患ったのは5年前だった。
初めは会話の内容を忘れたり、自分が言ったことを忘れたり、誰にでもあるような程度のことだった。
料理上手だった母がレシピ本を広げ一つ一つの作業を確認するようになった頃から症状は急速に悪化した。
真冬にカーテンを洗ってみたり、ガス台の五徳が気になり五徳を外して湯を沸かそうとしてみたり、段々と破天荒なことをするようになった。

その頃から私は仕事を辞め、彼女に付きっきりになった。ガスはオール電化に変え、勝手に外に出ないように鍵を暗証番号タイプのものに取り替えた。窓には彼女の手が届かない位置にロックを付けた。
彼女は散歩に誘っても、買い物に誘っても首を横に振るようになり、笑わなくなっていった。
そこからパーキンソン病を併発し身体まで介護状態になるのに、そう時間はかからなかった。

 母は私を「先生」と呼ぶ。
私は母を「佐藤さん」と呼ぶ。
母が言う先生が誰なのかはわからない。でも、しかし声の高さや話し方を聞いていると母が先生を大好きなことは確かなようだった。



「佐藤さん今日は少し暑いですね。調子はどうですか?」
本物の先生が車椅子に座る母を覗き込むようにして目尻を下げ、訊いた。

「えぇ、お暑いですね。ぇえ、そうですか」
母ははにかんで笑う。

先生は体制を戻して、目線を私に向けた。
「娘さんのことがわかる時はありますか?」

「いいえ今のところ全く。私のことはわかってないようです」

先生は大きく頷き、優しく微笑む。
「ヘルパーさんも頼んで、とにかく娘さんは無理をされないようにして下さいね。娘さんに何かあったらお母さん困っちゃうからね」


 病院の帰りに、桜を見ながら帰ろうと思いつき車椅子を押しながら少し歩いた。
満開の桜が風に舞う。
小学校の入学式、人見知りで学校へ行きたくないと泣き叫ぶ私の手を引いて「友達が100人できるよ」そう言って、優しく笑った母が思い出された。
中学の頃だって、桜並木の通学路を部活で何往復も走っていると、キンキンに冷えたスポーツドリンクを持ってきて「がんばれ、がんばれ」そう言って、母はしばらく私を見続けていた。

 目頭が熱くなり、私は慌てて下を向き暫くその場で停止した。
下げた目線の先に勿忘草が咲いている。
勿忘草の花言葉はたしか「私を忘れないで」だ。

「佐藤さん、佐藤さん。綺麗なお花があるからあげるね、ほらっ」
母の膝に勿忘草がぽつんと乗った。

「あら、ワスレナグサじゃないのこれ?」
母は少し戯けたような顔でこちらを見遣る。

「ほら、尾崎豊さんの歌にでてくるのよこの花」

歌手の名前や花の名前が母の口から出たのは認知症が悪化して以来、初めてだった。
私は言葉にならず涙が溢れた。

「思い出したの?わかるの?ねぇ母さん」

声が震え、嗚咽が出そうになる。

「あら、先生どうしたの。泣かないで」

そう言って母は優しく笑った。


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