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「Twitter見れない騒動」で時代の移り変わりを感じた話

7月2日現在、Twitter界隈で混乱が広がっている。ざっくり説明すると、一日に見れるツイートの件数に制限がかかってしまったらしい。

10年以上Twitterと付き合ってきた僕としてはとても不安になるニュースだが、悲観してばかりいるのもアレなので、このせっかくの機会にTwitterに対する思いや感じたことを書き記そうと思う。



今回のTwitter騒動で、不安を感じたりブルーな気持ちになったりしているのは僕だけではないと思う。ヘビーユーザーの方々にとっては、心休まる空間がなくなってしまう感覚だろう。

もはやTwitterは、立派な私たちの居場所になっていたのだということを実感した。なにもTwitterに限った話ではない。昨今では、ネット上のつながりが家族や友人といったリアルでのつながりに引けを取らないほど大事なものになっている。


少し、昔のことを思い出してみる。

僕がまだTwitterを始めたばかりの2010年前後、Twitterには「規制」と呼ばれる制限が存在していた。現在行われている制限と似たようなもので、一定の基準を超えるとツイートやTLの更新ができなくなる、といったものだったと思う。

僕は当時かなりのTwitter中毒者だったので、「規制垢」と呼ばれるサブアカウントを作ってまで規制を回避していた。当時はこれが当然だったが、いつの間にか「規制」という概念はTwitterからなくなっていた。

今回、10年越しに規制と似たような状況に直面しているわけだが、当時とはかなり心境が異なる。正直、当時よりもかなり不安を感じている自分がいる。

この気持ちの違いはどんな理由で生じているのか気になったため、自分なりに考えを巡らせてみる。

10年前よりもSNSで密なつながりができている

まず真っ先に思い浮かんだのは、10年前よりもTwitterにおける人とのつながりが強くなっているということだった。10年前、スマートフォンが普及し始めて間もないころ、Twitterの知り合いはまだまだ「別世界に生きる人」という感覚が強かったように思う。

今では当然のようにオフ会に参加することがあるが、当時オフ会というとかなり特別なものだったと思う。それは僕が高校生だったから、というだけでなく、世間的にもオフ会の特別感は大きかったと思われる。

スマホやSNSアカウントを持つことが一般的となった現代では、ネット上のつながりがリアルのつながりに匹敵するほど重要なものになるのは当然かもしれない。

ネット上のつながりは非常にもろい。本名や住所といったリアルの情報を共有することは、そう多くないだろう。かく言う僕も、仮にTwitterが消滅したら多くの方との関係を失うことになる。

今回の騒動でネット上のつながりのもろさをあらためて実感させられたが、それがネットのつながりの良さでもあり、難しさでもある。これからもつかず離れずのほどよい距離感で、SNSと付き合っていこうと思う。

リアルで友達を作るのが難しい年齢になった

実生活で「友達」と呼べる関係を簡単に構築できる年齢ではないことも、今回の不安につながっていると思う。学生時代に仲良くなった人は、すぐに「友達」と呼べる関係になるだろう。

しかし「学校」というコミュニティでの生活を終えていわゆる社会人になると、事情は大きく異なる。実生活で新しい出会いはそうそうあるものではいし、職場や仕事の関係で知り合った人と「友達」と呼べる関係になるのは、なかなか難しいことだろう。

実際、僕は学生時代を終えてからリアルでの出会いから新しい関係ができた記憶がほとんどない。ネットのつながりから始まった関係がほぼすべてである。

ゆえに、SNSの出会いや知り合いは、10年前に比べて非常に大切なものになっている。思えば、素直な関係を築ける学生時代や少年時代は特殊な時間だったのかもしれない。(むしろそのような純粋な関係を築くのが難しい現代の実社会は、少し悲しくも思える)

「規制」がないTwitterを知ってしまった

規制がされず、自由に使い倒せるTwitterを知ってしまったことも、今回の不安につながっていると思う。

これはTwitterに限った話ではないが、良い環境を知ってしまうと、以前の環境に戻るのは容易ではない。「一日スマホなしで生活してください」と言われたら、大半の人は不便を感じ、不安な気持ちになるだろう。

かつては当然だった生活でも、一度甘い蜜を吸ってしまえば簡単には戻れないのだ。実際、10年前の僕は規制のある環境で、何の不満もなくTwitterをしていたし、不安を感じることもなかった。

「より快適に、より便利に、より良い世界に」

こんな風潮が、年々加速しているように思えてならない。この傾向は人類が発展するために不可欠なものではあるが、その傾向が極端に強まることには危険を感じる。

一度味わってしまったものはそう簡単に手放せない。今回の騒動は、そんなことも考えるきっかけになった。



思った以上に多くのことを語ってしまい、自分でも驚いている。それほど今回の騒動で思うことが多かったということだろう。

いろいろ書いたが、僕の願いはただ一つ。これまで通り、自由に発信し、自由にコミュニケーションができるTwitterが続いてほしいということだけだ。

幸い、規制は一時的なもののようなので、数日後にはなんらかの変化がおきているだろう。

これからもTwitterが日常を彩るツールとして輝いてくれることを強く願っている。

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