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アフリカ目線で谷崎潤一郎『陰翳礼讃』を読んでみた

要約

☞政治や社会からは超越した「美のための美」と捉えられがちな日本の耽美主義文学。

しかしその提唱者である谷崎潤一郎もまた、グローバルな社会政治的観点から自分の思想を打ち立てていた。

谷崎には、アフリカにおけるアイデンティティ覚醒運動ネグリチュードと共通の問題意識がある。


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社会派を自認する私としては、谷崎潤一郎なんてとんと縁のないもんだと思っていたんです。アングリーヤングメンのアラン・シリトー「長距離走者の孤独」とか愛読してきましたから。

音楽的なボキャブラリーで言うと、クラッシュ→ボブ・マーリー&パブリック・エネミー→カーティス・メイフィールド&スティービー・ワンダーって流れです。

そして縁あってアフリカ文化に触れる機会が増えて、アフリカ文学とかアフリカの文化的アイデンティティとか考えるようになりました。

その中で出会った思想にフランス系アフリカ人のサンゴールが唱えた「ネグリチュード」というものがあります。

これは、一言で書けば、「『黒い肌』や『アフリカ文化』の『黒人性』って欧米近代文化において不当に蔑まれてるよね。これはこれで素晴らしいし、十把一絡げになんでも欧米の方が優秀っていうものでもないでしょう」

っていう思想です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89

詳しくはウィキに譲るとして。


谷崎の「陰影礼賛」の中で、特に引きこまれたポイントが数点ありました。黄色人種の肌と白人種の肌との差異について触れた個所です。

-黄色人種の肌の色はいくら白粉なんかで白く繕っても、欧米の白人ばかり集まる社交場では、汚い染みに見える-

さらに影を上手く利用した侘び寂びのある日本家屋の造りやお歯黒などの文化を点描しつつ、

むしろ、白く染まりきらない陰影(≒黄色い肌)こそ美しいものだと自分は思うし、そういう美を描いていくのが自分の使命、と書いています。

つまり谷崎は、日本版のネグリチュード宣言をしたに等しいのです。

ネグリチュードの詩人エメ・セゼールは、フランス知識人のアンドレ・ブルトンやサルトルから絶賛されましたが、同様に谷崎はフーコーらに絶賛されました。

このように、成熟を過ぎ既視感のある文化しか生み出せなくなってきたヨーロッパ文化を再活性化するものとして、アフリカや日本の文化が摂取されていったわけです。

アメリカの黒人ミュージシャン達は60年代から70年代にファンク・ミュージックで黒人性を前面に出していきます。ネグリチュード運動の延長にあるかのごとく「ブラックイズビューティフル」と歌っていました。

こうして、我々東洋やアフリカといった、欧米から辺境化されていた文化が摂取されながら普遍的、グローバルに享受されているのが現代。

そうした力は、詩という観念的な力から、音楽といったフィジカルなものになって広まり、遂にはバラク・オバマに象徴される政治的なパワーも生み出すに至ったわけです。

マルチカルチャリズム(多文化主義)なんて言われますが、谷崎が陰影礼賛を書いたのが1933年。エメ・セゼールが「帰郷ノート」を書いたのが1937年。実は同時代人だったんですね。

考えてみると、どちらも第二次世界大戦直前ですよね。

この時期に欧州では、アーリア人種至上主義を唱え、自由主義を否定するナチスドイツが席巻していることを考えると、二人の思想が含意するところにはヒリヒリとした感覚がありますね。

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チャズ・ゲスト

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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