サッカー選手に「ならせてもらった」
2022年、私は香川県から和歌山県田辺市へ移住した。南紀オレンジサンライズでサッカーをするために。
チームのメンバーは全員移住者だ。だから、練習場に駐車している車のナンバーも県外ナンバーが多く、それを見ると「本当にいろいろなところから集まっているな」と感じる。
チーム活動は、火・金・土の午前中に練習(水曜にナイターで練習することもある)、日曜日に試合といったスケジュールだ。平日の午前中に練習が行えるのは選手の雇用先、つまりスポンサーの方々のご協力があってだ。
練習場所も人工芝のピッチがメインだ。いわゆる部費というものは無く、ボールやマーカー、ユニフォームなども全てチームが用意してくれている。
そして、毎試合、公式戦や練習試合に関係なく多くの方が応援に来てくださる。横断幕や太鼓、大旗などを使った応援、そして声を出してチームを応援してくれ、自分の名前もコールしてくれる。試合に勝てば一緒に喜びを共有する。
もう一度書くが、チームは全員移住者だ。何の縁もない私たちのために、時間やお金を使って応援してくださる。
サッカーをしてお金を貰っているわけではない。だからプロではなくアマチュアだ。しかし、私がいる環境は小さい頃に憧れていた「サッカー選手」の環境だ。
サッカー選手は、サッカーをしてお金をもらい、大きなスタジアムで多くの観衆の中でプレーをして、テレビや新聞にも取り上げられて…と、そういうイメージを持つ方が多いだろう。実際に間違っていない。彼らは間違いなくサッカー選手だ。
一方で、今いる私の環境はどうか。試合会場はスタジアムではない。でも、さっきも書いたような多くの応援があるそこの会場は私からすると「スタジアム」だ。また、ありがたいことに地元の新聞でも試合告知や結果などをよく掲載していただいているし、チームのラジオ番組もある。
規模ではたしかにJリーグチームなどとは違う。でも、今のチームには私が小さい時に憧れていた環境がある。私はサッカー選手になった。
いや、サッカー選手に「ならせてもらった」
と表現したい。
たしかに自分の努力や行動で掴んだものでもある。でも、それだけではない。チームを支えてくださる皆さんが作り出す環境が、私を選手にならせてくれた。
創設1年目、何も形がない所へ多くの選手、スタッフが集まった。今はチームから離れた人も多くいるが、1人でも欠けていればチームはなかったかもしれない。
そして創設間もないまだまだ発展途上のチームを後押ししてくださるスポンサーやサポーターの方々、この方々の力がなければチームは間違いなく存続しない。
夢は自分で掴むもの。
私もそう思う。
だが、最初の1歩目から最後まで自分だけで
走る必要はない。
走り出せば、景色は変わるしその時々でいろいろな人に出会い、その人たちの力を借りながらゴールを目指せばいい。
大事なのはまず走り出すこと
つまり夢に向かって勇気をだして行動すること。
この1歩がなかなか踏み出せないが、私は勇気を出し1歩を踏み出して本当に良かった。
何のキャリアも輝かしい成績もなかった私が、サッカー選手になれたのは自分自身の少しの勇気と行動、そして素晴らしい人たちとの出会い、そして多くの支えがあったからだ。
夢の叶え方やその旅路は人それぞれだ。
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