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2023年映画感想No.3:ひみつのなっちゃん。 ※ネタバレあり

ドラマが希薄なまま因果関係だけで展開していく物語

ミッドランドスクエアシネマ2にて鑑賞。
予告編を観た感じだとトランスジェンダーの友人が亡くなりドラァグクイーンである主人公たちが自分達や死んだ友人がLGBTQであることを隠して葬式に参列する、というバレるのバレないのコメディだと思っていたのだけど、葬式に向かう旅に至るまでの展開も結構時間を割いて描かれる。
序盤は亡くなった友人の親族が来る前にトランスジェンダーであることを隠蔽しようとするも住んでる場所やがわからないので知人や職場を頼って情報を得ようとする展開なのだけど、なぜバレてはいけないのかという主人公たちの中にある切実な行動原理があまり説明されないまま状況のドタバタだけが展開していくので事態の因果関係しか場面を繋ぐ推進力がなく内容的にはかなり弱く感じてしまった。
もちろん登場人物たちはみな前提にマイノリティとしての痛みを抱えており、互いの素性について詳しいことを知らなくとも痛みをシェアし合うことでファミリーとして生きてきた人物同士だということは想像できる。一人で死んでいく友人のアイデンティティをなんとか自分たちだけは誠実に見つめ続けようという帰属意識が友人のために行動する根底には流れているのだとは思う。

強いキャラクター、弱い掘り下げ

舞台で踊れなくなり自分が何者なのかを見失いかけている主人公バージン、自分を拾ってくれたなっちゃんの最後を悼みたいモリリン、日の当たる場所で戦ってきたからこそそっとしておこうとするズブ子と三者三様の行動原理がドタバタぶつかりながらなっちゃんの人生の再発見に向かう序盤はキャラクターの立ちっぷりもあり物語的予感を感じさせるのだけど、各場面が単にオネエギャグ的なディテールの"おもしろ"に終始するばかりで各キャラクターの掘り下げや前後の展開との有機的な構成がないのでひたすら出来事の羅列にしかなっていない。
肝心の因果関係の繋がりにしてもかなり強引なロジックや場面設計を用いて話を転がすばかりで、脚本の展開力も描写的厚みも圧倒的に不足しているように感じてしまった。

積み重ねが弱い散漫な情報量

キャラクター同士のアンサンブルで笑いどころを作ろうという意図も結局登場人物たちの聞き分けの悪さが展開を鈍重にしている部分もあり映画的には功罪感じるバランスだった。せめてやりとりの中にキャラクターの深みを描き込めれば良かったと思うのだけど、笑わせ的な要素は常に取ってつけたような設計で描かれるので描写が一つの解釈に収束されたり積み上がっていったりという一貫性が見出しにくかった。
結果として散漫な情報をひたすら意識しながら映画を見進めるのだけど覚える要素が増えるばかりで全然回収されないので観ていてめちゃめちゃ頭が疲れた。

破綻しているロードムービー描写

後半、なっちゃんの葬式に向かうロードムービー的な展開になると行き当たりばったりな構成が加速していくので、ここにきてようやく作り手はただにぎやかな場面を作れば映画が面白くなると思っているっぽいということが見えてくるようになった。道中のエピソードは全てがとってつけたようなものばかりだし、そもそも葬式に向かうという日にちの感覚が全く描かれないのでロードムービーとして破綻していると思う。
以前『パパに教えられたこと』という作品のpodcastを収録した際に、よく出来たロードムービーの要素として
1.旅を通じて描かれる関係性の変化や成長
2.新しい土地を巡りその場所ならではの出来事が起きる旅本来の面白さ
3.いつか必ず終わりが来る構成
という3つを挙げたのだけど、本作の旅描写はその全てが上手く描けていない。
基本的には単発の出来事を強引な設定で描くばかりで、唐突な盛り上げどころが曖昧に着地して次の場面に進むという雑な足し算展開がどんどん表面化してきて正直かなり感心しない語り口だった。
葬式という明確な日にちに向かっていくはずの設定も劇中はっきりと不問にするセリフがあったりして、正直後半は物語が進むほどにリアリティについて真面目に考える気がない作品なんだという気持ちが強くなってしまった。

中途半端な結末

ジェンダーを隠して葬式に参列するクライマックスの前にドラァグクイーンとしてのパフォーマンスを披露した宿の人から「〇〇さん(亡くなった友人)ところの葬式だろう?」と案内されてしまっているので、もはやバレるのバレないのサスペンスが成立していない。
ありのままの故人を尊重しようとする切実さが「秘密」を破ってしまうようなラストも、その手前からその秘密がいかに重たいものなのか(もしくは実は取るに足らない心配だったとしても彼らにとってどれほど切実なものなのか)を映画的に共有する段取りが上手く描けていないので、勢いと曖昧さで何となく上手く行った感じに見えるだけの着地に感じた。
葬式のラストに起きる出来事は最も厳格な場所=社会と彼らの個人的な感情がぶつかり合うような出来事だからこそ、その結果としてその場所にいた人がどのように反応したのかということやそれを受けて彼らの内面がどう変わったのかを描くべきだったと思う。
その具体を欠いたままなし崩し的に「これで良かった」と処理されるばかりで、彼らが何を恐れていてそれがどう解決されたのかが結局映画として描ききれていないので落とし所としてかなり中途半端に感じてしまった。

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