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2023年映画感想No.7:エンドロールのつづき(原題『Last Film Show』)※ネタバレあり

物語のその先にある僕たち観客の存在

ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞。
原体験であり初期衝動であり、映画とは誰かの夢であると改めて感じるような作品だった。
映画という夢に魅了された少年が一から映画を作り出していく過程がまさに物語そのものとして描き出されるような映画で、主人公が描き出した物語、文字通りそのエンドロールのつづきにはまさに完成された映画を映画館で観ている観客の僕達がいるのだと思うと映画好きとして切実にグッと来る。
ただの光が劇場という暗闇を通してのみ違う世界を映し出す魔法になるということを確かに僕達は毎週映画館で実感しているからこそ、その光の先に自分の物語を見つけ出そうとしていく主人公に感情移入してしまうのだと思う。

映画を作る過程に内包される主人公固有の物語

ビンを通じて世界を見つめ、拾ったマッチで物語を描き出す主人公が映写という具体的な技術に触れることで自分の手で映画を映し出したいと思うようになる。
映画を撮る、映画を作る、ではなく映画が上映されるというマジックをこそ再現しようとするのがすごく面白いのだけど、主人公が生きている狭い世界の中で一つ一つ映写の原理を模索して"映画"を立ち上げていく様にグッと来る。日常の中からヒントを探り出しそれを使って映画を映し出そうとすること自体が彼ら固有の物語であり、主人公の言葉を借りるなら映画を映し出そうとすること自体に「主人公が映画になる」物語が常に内包されている。

"映画的"な象徴的演出の数々

またフィルム映画の持つ唯一性のようなものが主人公と言う個人のアイデンティティの希求と重ねて描かれるのも良かった。物語は確かにここにあるけれどそれを観ることができない、というジレンマがそのまま主人公の抱える閉塞感や葛藤を象徴しているように感じられる。
またフィルム上映という映画本来の「物語の一方向性」を強める設定があればこそ線路というメタファーも映画的に響く。冒頭から線路を歩く主人公には確かに物語的予感があり、線路を通じて彼はここではないどこかという憧憬を見つめる。古い身分制度に縛られた父親の元で駅に止まり続けるしかない彼は目の前を流れるたくさんの物語を観てきたのだろうし、「映画になりたい」といった彼がまさに彼の物語を走り始めるラストには電車に乗った彼が見送られる側になりまさに映画のフィルム同様に物語が前へと進みだす。

主人公と対照的な父親の演出

一方でこの場所に留まることしかできない主人公の父親は常に線路に対して直角な運動で描かれており、未来に向かう時代の流れから取り残された存在であることが象徴的にも浮かび上がる。可能性を失い、何者にもなれなかった父親は時代の趨勢の中でなけなしの職すらを失いかけているのだけど、そんな彼が映画こそ息子の物語なのだと認める場面の前後で初めて線路に沿う形での運動が描かれており、息子を解放させることで彼自身の物語もようやく過去から解放されるのだという希望が絵的な描写からも感じられて感動的だった。

女性たちの物語を見つめる視点

主人公に映写の技術を伝授する映写技師の男性とのブラザーフッドも良かったのだけど、彼との繋がりのきっかけには母親のお弁当がある。そして中盤で廃棄されたフィルムは最終的に女性たちをエンパワメントするアクセサリーになる。
映画内では物語の継承と同時に男性主義の更新が描かれているわけだけれど、常にそういうものの背景にされてきたであろう女性たちの物語が無ければ物語は前に進まなかったのだと敬意を持って見つめる視点が感じられて良かった。この映画の物語もさりげないながら確かに母性によって支えられている。
この現代的なバランス感覚もインド映画の過去と未来をつなぐ現在地の物語としてこの映画の価値を高めている要素に感じた。

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