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死を想え


20230707


メメントモリの警句を思い出す。日頃何かと暇があればスマホいじるのに時間と頭を費やしてしまうからなかなかぼうっとものを考える時間がない。不安やその他の考え事も大方現実的なことばかりで、いくらか哲学的な思惟をしたと言ってもそれはお堅い談義のようなもので、もう少し本心の、やんわりとして直感的な、ぼうっとした物思いに耽られるような機会が僕には少ない。

本日久々にぼうっとできたのは最近また本をよく読むようになったからかもしれない。久しぶりに論文でない自由な長文を読んだのである。やはりこうしてたのしい文字を読むことで盛んに僕の頭も覚めた。そしてそんな読後には疲労か何かでぼうっとするものだ。メメントモリの警句を思い出すというのは、ずばり家族の死を思ったのである。僕はドクロに花よりも、土にこれを想起した。

「死を想え」と言われたってこれはなかなか難しい。特に、死に疎い現代人である僕にとってはますます困難なことである。日常死体を目にすることは無く、親族の死にも僕は直面していない。ここにいう「死」とは専ら親しい人の死の事であるが、それは自分の死でも、見ず知らずの死でもない。自分の死を自ら知覚することは出来ないのだから、これは僕には関係がない。知覚出来たとしても全く死人に口なしで、うらめしやと言ってからではもう遅い。また死とは無縁の人のものでもない。それは文字通り僕には無縁の事である。誰々死亡とテレビで聞いても、薄情なくらいに僕には関係が無い。全く「死」とは隣人の死のことに他ならない。

「死を想え」親孝行もこの警句からだろうし、夢や志というものの根にもこの警句がなければそれは浮き草か水面の藻くずに収まるだろう。しかし果たしてこの感覚は難しく、そして忘れがちなものであるから僕は土をこれに見立て、いつだって死を想いたい。かといって忘れがちだから、時には土を触ろうかと思う。

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