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クィーンエリザベス2世の死/The Death of QE2.

皆、心の余裕がない中での、哀悼だったと思う。

世界はまだコロナの損失から立ち直っておらず、ロシアのウクライナ侵攻によって、状況は更に悪化している。国際間の分断は、かつての米ソ冷戦時代に逆戻り、どころか、もっと酷くなってしまったように思う。

ほんの数年前は誰もが、多少の争いや懸念・疑念は残しつつも、いずれ、世界は良くなって行く、なぜなら人類は、共に進化して行けるから、との、緩やかな希望を持っていたが、今や、風前の灯である。

そんな中での、一国の世襲の長として、第二次世界大戦前から生きて来た人物の国葬は、過ぎ去った、希望に満ちた時代を懐かしみつつも、そんな思いに浸っている余裕は全くない世情が、誰の胸の内にも、映されていたように思う。

それでも、先の見えない前進と生き残りを賭け、人々は進んで行かなければならない。できることだけをやっていても、世界はちっとも良くならず、かと言って、何もしなければもちろん何も起こらず、ただ老いて死ぬだけとなる。

環境保護もDXも、人類の進化が前提にあってこそ、意味ある活動である。進化論ですら幻想なら、政治的にではなく、広く人類全体に影響を及ぼす革命(ただし「突然変異」という概念で、進化論には、この理論は既に内包されているとはいえる)の必要性が「再び」、高まっていると言える。

より良き未来のために。過ぎ去った美しい幻想と共に。
死を迎えるその時まで、元気に生きて行きたい。







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