「本を書く才能」と「本を売る才能」

イベントでZINEを売っていると、ほぼ必ずと言っていいほど、全然売れない時間がある。

先までちゃんと売れていたのに、気づいたら1時間近く1冊も売れない。

何が悪いのか、とディスプレイの方法を変えてみた途端に、一気に売れる。

テーブルの上の商品自体は全く変わっていないのに、見せ方を変えただけで売り上げが全然違う。

ということは、作品自体はすごくいいのに、売り方を間違えたせいで全然売れない本というのも、きっといっぱいあるんだろう。良い作品さえ作れば置いとくだけで飛ぶように売れる、というのは大間違いだ。

本の売り上げにおける著者の功績というのは実は半分くらいで、残り半分は売り方を考える出版社や、表紙を作った装丁家、実際に販売している本屋さんなどの手柄なのだ。本屋さんのバイトが書いたポップの力で売り上げが伸びることもあるし、逆に出版社や本屋さんがテキトーな仕事をしていたら、売れる本も売れなくなる。

本の売り上げというのは、本を書く才能と、本を売る才能、この二つが合わさって初めて生まれる。そして、両方やってみてわかったことは、この二つの才能は、全くの別物だ、ということだ。

本を書くということは、本の価値を生み出す、ということ。そして本の価値とは、作者の個性そのものに他ならない。特にZINEなんて、人の個性をのぞき見しているようなものだ。

人の個性は数値化して比較することなどできない。同じように、本の価値、魅力というものも本来は数値化できないし、ましてや他と比較することなどできない。

ところが、本を売るというのは「いくら売れたか」という売り上げの数字だけが絶対の正義だ。本来は数値化できないはずの本の価値を無理やり数値化する作業が、本を売るということなのだ。

その本の持つポテンシャルを余すことなく「売り上げ」という数字に換算する行為が、「本を売る」という作業である。

数字では評価できない「本を書く才能」と、数字でしか評価できない「本を売る才能」。この二つは全くの別物なのだ。

あたりまえのことなんだけど、この二つを混同させている人が多い。

文学フリマやデザインフェスタのように、本や雑貨の作り手が自ら販売するイベントに行くと、時折、本当に作品を机の上に置いただけで特に装飾も何もしてないブースを見かける。いい作品さえ作れば勝手に売れるなんてことはなくて、そこは作り手から売り手へ、作者から商人へとと考え方を変えなければいけないんだけど、その切り替えができていない。「作るのと売るのでは考え方そのものが違う」ということに気づいていないのだ。もちろん、そういうブースが売れているのは見たことがない。

逆に、本を書いているときに「こういうことを書けば売れる」「こういう文章が好まれる」と考えながら書くのも違うんじゃないか。本の価値とは書き手の個性そのものであり、余計なことを考えずにただ書きたいように書けばいいのだ。「こうすれば文章が上手くなる」なんてスキルなんてないし、文章にスキルアップなんてものはない。自分が面白いと信じたものを、余計なことを考えずに書く。ただそれだけだ。

本を書く才能と、本を売る才能が別物なのだから、本を書く時は売るときのことなんて考えずに、好き勝手に書けばいい。そして、「さて、好き勝手に書いたこの本をどうしたら売れるようになるのか」というのは、書いた後に頭を切り替えて考えることなのだ。

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