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「先祖の過去の行為に対して我々はどのように報いるべきなのか」と「2018年 横浜」と5/5〜5/11の日記

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今週の文章は「先祖の過去の行為に対して我々はどのように報いるべきなのか」
今週の写真は「2018年 横浜」
です。

今週の文章「先祖の過去の行為に対して我々はどのように報いるべきなのか」

ドラマ「アトランタ」のシーズン3に、自分の先祖が過去に奴隷オーナーだったために、現代でその子孫である黒人女性から賠償を求められ、家を取られてしまい仕事を失い、家族とも離れ離れになってしまうという白人男性を描いた回があった。

先日オーストラリアでは国会の一部議席をアボリジナル(先住民)に割り当てることを定める法律の国民投票があったのだが、これが反対多数で否決されてしまった。イデオロギーの対立などもあった一方で、反対に回った一部の人の中にはまさにこのように過去の先祖の行為に対して賠償・補償を求められることを恐れていた人が一定数いたという話を聞いた(実際争われていたのははそのような議論では全くなかったのだが、印象として)。

このドラマを見ると、実際に過去の行為に対して賠償補償を求められたとしたらどのように対応するべきなのだろうという疑問が湧く。現代を生きる我々は先祖の過去の行いに対して何ができるのだろうか?

オーストラリアにおける先祖の行いとその結果 

オーストラリアは元来何千年もの間アボリジニの人々がいくつもの集団に分かれてそれぞれ独自のルールの元に暮らしていた大陸であった。そこに1766年にクック船長が到達して一方的に同地の領有を宣言し、その後何年もかけて入植し、結果的に今のオーストラリアという国が出来上がっている。オーストラリアという名前、国/近代国家という仕組みは外から持ち込まれたものだが、そもそもそこに住んでいた人々も独自のしきたりの元に暮らしており、日本人の目線で言えばペリーが一方的に領有を宣言したようなものである。

オーストラリアという国は当然色々な人が土地などの権利を有し商売をして暮らしているわけであるが、そもそも最初の時点でのクック船長の領有宣言を違法な簒奪と捉えると、現代の土地の所有などは全て違法なところから始まっており無効であると捉えることもできる。

アボリジニの人々は職や生活に困っている人も多いのだが、そもそも現代的な職や貨幣という概念もイギリス人が持ち込んだ文化に立脚しているので、極論を言えば簒奪がなければ過去の暮らしを続けることもできていたと言える。

当然これらは極論で、それを全て認めるとオーストラリアという国が崩壊してしまう。ではこれに対してどのような取り組みが行われているのだろうか。

オーストラリアにおけるReconciliation (和解)に向けた取り組み

過去の誤った行為を現代において是正しようとする取り組みをおおまかにReconciliation (和解) と呼ぶ。これはオーストラリアだけでなくUSAやカナダなど同様のIndigenous Peoples (先住民) との関係において使用されている言葉だ。

おおまかに言えば過去の歴史認識の是正(「オーストラリアの発見」→「オーストラリア大陸への侵略」)、民族的な独立性の尊重(現代社会と交わらないかもしれない習俗の尊重など)、就労などにおける機会と結果の平等、そしてそれらに国、企業、個人それぞれのレベルで取り組んでいくことなどがその方向性として挙げられる。

土地の所有権と利用権

自分が特に興味深いと思ったのは土地の所有権と(先住民による)利用権を分けて考えている仕組みで、企業や国家による土地の所有は元の通り認めるもののそこで集会を開いたりキャンプをしたり儀礼を行ったり、動物や魚、植物をとったりすることを認めるという仕組みである。

これは当然オーストラリアの広大な大地と、そもそも使われていないけど所有されている土地の多さ(採掘などのため)などが組み合わさっているための仕組みではあり世界中で同様のことができるか、そして同様のことをする意味があるかは場合によると思うが、そもそも所有という概念が近代的なものであり、土地とつながるということと所有するということが必ずしも両立しなくてもいいということを示唆してくれるヒントになっている気がする。

日本人に無関係な話ではない

オーストラリアでは公的な会合の前には必ず「この国、この土地ははそもそも〇〇(固有の民族の名前)の人々が暮らしていて〜」という宣誓が行われる。それくらい、歴史の認識が大切にされているということだと思う。

日本にも第二次世界大戦まではアジアの国々を侵略していた歴史があり、その前で言えばアイヌや琉球を国家に組み込んだ歴史もある。(ちなみにアイヌや琉球は「先住民族」として国際機関に認知されている)

日本政府は補償のためのお金をたくさん払ってきていると思うが、一方で日本社会は肝心な歴史認識の部分を非常に蔑ろにしている印象がある。別にそれによって卑屈になる必要はないのだが、少なくとも認識を改めるという動きは社会全体としてやっていけるといいなと思う。しかし、どうにも反対方向に向かっていく動きばかりが目に入り悲しくなることが多い。

参考文献

今週の写真「2018年 横浜」

今週の写真は2018年 横浜です!

日本で仕事をしていた頃は毎年定期的に横浜の赤レンガ倉庫に数日間泊まり込みでやる仕事があり、この写真はそのタイミングで撮ったものです。今回1枚だけなのですが、綺麗に撮れた写真だったので載せてみました。

向こうの方に見える大桟橋とベイブリッジが大きな船みたいで面白いのと、満月に近い月が綺麗に撮れました。

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