涙を、免罪符にしないように
子供の頃、道でこける度に泣いた。
すごく痛かった時も、そんなに痛くなかった時も泣いた。
誰かが心配してくれて、
「痛かったねぇ、大丈夫?」
って顔を覗き込んでくれるまで、泣いた。
誰かがそうやって心配してくれていざ目があったら、思っていたよりずっと傷は痛くないんだってことに気がついた。
涙は止まっていた。
大人になったら、いつのまにか泣かなくなった。
って言うのは大嘘で、大人になってもまだ全然余裕で泣いてるけど、少なくとも道でこけたぐらいでは泣”け”なくなった。
そうこうしていたら、ある日抑鬱という診断書が私の手に渡された。
この春社会人になって、そう、社会人になって。
大人だから、と泣かないで、仕事だ仕事だと、と張り切って。
ある日、お腹の中にあるものを、
洗面台に吐くことしかできなくなった。
『あなたは、「しんどい!痛い!」と周りに言えくて、だから鬱になったんだよ』
心療内科の先生にそう言われた。
ああそうなのか。
心の痛みは、すり傷のようには見えなくて、
そして私はもう大人だし、子供のように泣き叫ぶことはできなくて、
だから私はしんどいと言えなくて、
こんなことになったのか。
ああ、
そうなんだろうか。
もう私は道で転んでも泣”け”ないから、
だから鬱になったんだろうか。
鬱になった原因は、この春弟が自ら命を落としたことだった。
書くことでしかその事実を認識し受け止めることができなくて、
私は狂ったように書いた。
お葬式に向かう新幹線の中で、弟が焼かれた火葬場の待ち時間で、言葉という言葉をありったけ書いた。
弟を助けられなかった自分への自責の気持ちとか。
人生が全て意味のないガラクタに見えたこととか。
要するに、傷ついて修復不可能な心の震えを書いた。
そしてその言葉達は思った以上の反響を呼んだ。
いや、今思えば”思った通りの反響”、だったのかもしれない。
つまり私が思うのは、そこに他者を動かす恣意性が本当になかったのかどうか、ということだ。
記事を読んでくださった方からのコメントに丁寧に感謝の返信をし、心配してくれる知人からの連絡全てにお礼をしながら、
私は涙で滲んだ視界に映る幼い自分の擦りむいた膝と、
覗き込む誰かの顔を思っていた。心配そうに私を見つめる、その瞳を。
やっぱり私は今でも盛大に転んでいて、そして大きな声で泣いているのではないだろうか。
確かに「しんどい!」と喉元を震わせて実際に泣くことはできなかったけれど、
それでも文章を書いたり、鬱であることを周りに公表したりして、
誰かに心配してもらって、
だからこそ今ここに、死なずに生きているのではないだろうか。
それは、私にとって気づいてはいけないことだったようにも思う。
誰かの心配する瞳を見て初めて、自分の傷の痛みのために泣いていたのではないことに気がついて、涙が止まって途方にくれる、一人の少女のように。
弱さは、弱い。
そして圧倒的に、強い。
弱さは助けてあげなくてはいけなくて、
守ってあげなくてはいけない。
無造作に、触れてなんか絶対にいけない。
子供の頃の私が傷の深さにかかわらず泣き続けたのは、
弱さが人を動かせることを、きっと知っていたからなんじゃないだろうか。
私は今、一体何のために文章を書いているのだろうか。
弱さを、免罪符にしてはいけない。
痛い。苦しい。
弱い私を見て。
優しくして。
あなたが守って。
こっちを見て、離れないで。
大人の私たちは、スクランブル交差点の真ん中では泣き叫べない。
それなのに震える心が、
時に、そろりそろりと他者にまで手を伸ばそうとしてしまうことがある。
きっと、
いや絶対に、
弱さを誰かに見せること、口にすること自体がダメなことなんじゃない。
大人だってやっぱり痛くて、苦しい。しんどいし、悲しい。
だけど、涙や声に目的を持たせてはいけないんだと思う。
弱さを理由にして誰かの行動に強制力を持たせてはいけないんだと思う。
弱さを利用することは、他者への見えない暴力だ。
それを私は、私に許せるだろうか。
大人の私は、
痛いと感じる心を大事にしたい。
でも同時に、弱さが生み出しうる他者への強制力に、意識的でありたい。
きっとこれからも、何度も何度も転ぶのだろう。
きっとたまには、涙が溢れるのだろう。
それでも。涙を免罪符にしないように。
▼表紙使用の写真は全てNicon new fm2(フィルムカメラ)で撮影しています。(写真のお仕事依頼はもしあれば飛び上がって喜びます、ます!)
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