20231214

 住宅街を歩いていると、光るサンタクロースのオブジェクトが散見されるようになった。今年は流行っているのだろうなと思われるのが、三体のセットになった、それぞれが順を追って点滅して暗闇の中で煙突に登っているように見せるものだ。たぶん、今関東圏の住宅街で冬に軒先をライトアップする習慣のある家には結構な確率で遭遇する気がする。ちなみに、わたしは徒歩圏内で同じものを二つ見た。こういうのを見るとガーデニングにもセンスが問われると思ってしまうのが、人間の悲しい性だ。
 グアダルーペ・ネッテルの「盆栽」という短篇がある。東京の青山にある植物園を舞台にした作品で、妻がたまに訪れる植物園の園丁を務める老人に夫が出会い、自分がサボテンで妻がつる植物であると思い込んでいく。という奇妙な物語だ。この話は極端だが、わたしがいつも通る角地にある一軒家には壁面に花壇があって、そこにローズマリーなどのハーブが植えられていた。たまたま一度だけその家の婦人らしき女性が水をやっているところも見たことがある。ところが、いつからかその家に〝For Sale〟の立て看板が掲げられていた。庭の植物たちはそのままだった。さらに、先日その家に新たな家主が住み始めたらしく、庭の植物が一掃されていた。わたしはその様子を見て、なんだが切ない気持ちになった。人が住む場所にその人たち、家族の生活とまではいかないが、情念みたいななにかの残滓を見ると心が動く。そういうものがすっかり失われた時に初めて喪失感を覚える。わたしは立て看板が目に入った時も、あの庭先のローズマリーにあの婦人の存在を重ねていた。彼女が今どこでどうしているのか知る由もないが、次に越した場所にもローズマリーは植えられているのだろうか。

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