20240703

 ながらく書き続けている小説でなかなか掴めないでいたモチーフに関するアイデアを思いついた気がする。まだ小さなぼんやりとした感覚だが、これからいろいろと資料を読み込んで具体化していきたいと思う。パッチワークのようにある一つの完成された物語ではなく、過去に生成したテキストの断片を繋ぎ合わせて再び命を吹き込む。それがわたしが小説を書くという行為なのではないか。ベンヤミンがパウル・クレーの《新しい天使》という絵についてこう語っている。

 「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。そこには一人の天使が描かれていて、その姿は、じっと見つめている何かから今にも遠ざかろうとしているかのようだ。その眼はかっと開き、口は開いていて、翼は広げられている。歴史の天使は、このような姿をしているにちがいない。彼は顔を過去へ向けている。私たちには出来事の連鎖が見えるところに、彼はひたすら破局だけを見るのだ。その破局は、瓦礫の上に瓦礫をひっきりなしに積み重ね、それを彼の足元に投げつけている。彼はきっと、なろうことならそこに留まり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。だが、楽園からは嵐が吹きつけていて、その風が彼の翼に孕まれている。しかも、嵐のあまりの激しさに、天使はもう翼を閉じることができない。この嵐が彼を、彼が背を向けている未来と抗いがたく追い立てていき、そのあいだにも彼の眼の前では、瓦礫が積み上がって天にも届かんばかりだ。私たちが進歩と呼んでいるのは、この嵐である。

ベンヤミン「歴史の概念について〔歴史哲学テーゼ〕」1940年  浅井健二郎訳

 きっと、わたしが書きたいのもこの瓦礫の山であり、それは〝わたし〟という存在の中に埋もれた記憶と時間と思考のないまぜになったものだ。

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