20230409

 御嶽神社近くにあるマルカフェが臨時営業されるということで、午後から行ってみることにした。マスターとお店を切り盛りする中川マルカさんがちょうどタイムラインで「ハンチバック」についてお話されていたので、そのことでも話せるかと思い立った。この日は晴れて気持ちのいい天気、朝晩は少し肌寒い一日だった。最寄り駅である自由が丘から東横線で旗の台に向かい、池上線に乗り換えて御嶽神社で降りる。日曜というだけあって自由が丘駅周辺は多くの人で賑わっていた。もう十年近く住んでいるがテナントも随分と入れ替わった。この辺りで暮らしていた人もどんどん入れ替わっていると思うと、街というのは不思議なものである。電車の中ではローベルト・ゼーターラーの『ある人生』(浅井晶子訳、新潮社クレストブックス)を移動のお供にした。雪山の麓で暮らす男の人生を生まれから振り返っていく物語だ。予約の時間の少し前に着いたので、御嶽神社でお参りをしてから向かうことにした。ボタン桜だろうか、満開の花を写真に撮っている参拝客を横目に本殿の前で手を合わせた。店に着くと客はわたし一人で「どこでも自由に」とマスターが迎えてくれた。マルカさんはキッチンで予め頼んでおいた「おやつセットA」の準備をしていた。ワンプレートの上にパウンドケーキといちご、きんかん、バニラアイスクリームなど彩り鮮やかな一皿を彼女が運んでくれた。わたしはドリンクにコーヒーを頼み、マスターが早速淹れてくれた。席に着くや否や、マスターは「文學界」を開き、「ハンチバック」について彼の読みを解説してくれた。わたしは選考委員と同じようにラストについて否定的な見解だったが、マスターは著者の狙いを引用された新約聖書の一節から、この小説がメタフィクションの構造を持っていると話した。どうしても読み手は冒頭の語り手に視点を置いてしまうので、後半が創作かと勘違いするが、語り手は実は後半の女性で、しかも彼女は信頼できない語り手で三重的な構造になっていると言われたとき、思わぬ気づきを得た。この掲載作が選考委員の指摘を経て改稿されたのか、それともそのままだったのか、不明だが、いずれにせよその目論見が失敗していたことは否めない。せめて引用が仏典からだとかなり完成度の高いメタフィクションになっただろう。途中から小説創作も行っているマルカさんも加わり、ド超級の新人について三人で語り合った。キンカンは皮ごと食べられる季節の味で美味しかった。食事を終えると、看板犬であるチワワのおまめが二階から下りてきた。エネルギーに満ち溢れ、神々しさをまとう姿は眩しいものだった。週末にエネルギーを分け与えてもらった一日だった。

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