2023に遭遇した百合・ガールズラブ、或いはそれ以外の備忘録③カロリーメイトCM「光も影も」篇

その120秒のCMの何がそんなに素晴らしいのか。
あまりにも好きすぎるので映像内の言葉を書き起こしてみる。

――ねえ、絵を描くのって才能?
――どうかな、多分めちゃくちゃ努力。
――嘘。やっぱ才能かも。
――勉強もそうなのかな。

「なんだ一緒じゃん」

――やりたいことがあるって強いよね
――そう? AIだって絵を描ける時代だし
――ああ、すごいもんね。

「見ていい? めっちゃいいじゃん。うちこんなかわいい?」

――数学ってさ、何が面白いの?
――うーん、美しいところ?
――じゃあ、一緒か。
――緊張するときどうしてる?
――素数数える。
――素数?
――え、やんない?

「ええ。やんないよ!」

――人のことって、まぶしく見えるよね。
――受験だから?
――多分、ずっとそうでしょ。

「消しゴムってさ。間違いを消すものじゃなくて光を与える道具なんだって」
「光?」
「デッサンの話だけどね」
「ああ。なんかいいね、それ」

――光も、影も、栄養にして。

数学と美術。その世界を司る文法も用いる道具も異なる。
その技能を磨きながら、扉の向うの社会の有様にも目を向けて受験に挑む学生が二人、言葉を交しあう。その違いに驚き、その共通点に笑う。意志を通わせる。光と影のCMはどうしようもなく心に残る。
文字を起こしてみたけれど、表現しきれない感動が生じるのは音と映像の効果だ。

違う、異なる、と感じられるのは同じところがあるからだ。そこには才能といった言語で片付けられない、まだ可能性であるうちの姿が描写されている。眩しい。そう感じずにいられない。

ある冬の話だ。コミケの帰り道、会場から国際展示場駅に向かう途中、大道芸の演者のまわりに人の輪ができていた。全身を隈なく使って明るく呼びかけて盛り上げていた。何とはなしに私もその輪に入った。
素人目にもすごいとわかるパフォーマンスで周囲を沸かせて、スリリングな演出もお見事。明らかな名人だ。終演とともにたくさんの拍手が生まれ、その人の機材のケースに小銭や差し入れが続々と投げ込まれた。そこにはぎっしりのカロリーメイトが入っていた。
会場内が戦場なのでオタクたちは一様にカロリーメイトを持ち歩くのだ。
コミケだって楽じゃない。中にはほしいものが手に入らなかったり、全然本を見てくれる相手がなくて気を落として帰る人もいる。もしこれがコミケ帰りでなくて町中のパフォーマンスなら、私たちは足をとめなかったかもしれない。
もちろんひとつひとつは余ったアイテムだけれど、それがその人のパフォーマンスの助けになる。こんなにカロリーメイトが集まる会場はない、と大道芸の名人は驚いて笑って、それがまたみんなの気持ちを温かくさせた。
あ、コミケってスポーツなんだ。いつの間にかそういうものに自分もくわわっていた。そう思った。人々の、その交わりの中に。

それから、災害規模の病魔の脅威に世界中が巻き込まれて、世の中は様変わりした。お店も即売会も展示場も、あらゆる人が集まる場がタブーの場とされた。医療従事者の方々の尽力の成果として、その脅威は相当に薄れた。
けれど、どこか世界は変わってしまった。
だからこそ、見えてくるものもある。

切実さ、痛み、影。そういうものこそ本来で、それがあるから光を眩しいと感じられる。消しゴムで消された部分が光になる。ただ見えなくしているわけじゃない。日常に紛れてただ通り過ぎたら見逃していた。
それが見えるようになる、そういう瞬間がある。挑むということは同じだから。そんなメッセージが感じられた。

カロリーメイトはいつも何かに挑む受験生や大人に焦点をあてている。2015年、平祐奈の黒板アートのCMも併せて見てほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=RrPWjJeORBE


題:カロリーメイト CM|「光も影も」篇
制作:大塚製薬

※2021年・ポカリスエットのCMについても語りたいので、いずれまた別枠を設けます。

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