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【読書感想文】山女日記 / 湊かなえ

📚内容(BOOKデータベースより)
私の選択は、間違っていたのですか。真面目に、正直に、懸命に生きてきたのに…。誰にも言えない苦い思いを抱いて、女たちは、一歩一歩、頂きを目指す。新しい景色が、小さな答えをくれる。感動の連作長篇。


📚読書感想文
100人いれば100通りの人生がある なんて、至極あたりまえのことだし、もう聞き飽きた常識である。
しかし、わたしたちは常に自分自身という主観で生きている。異なる考え方に出会うと驚いたりする。そして、賛同したり反対したりする。これらもやっぱり、聞き飽きた常識である。
異なる考え方に出会うには、その持ち主とコミュニケーションを取る必要がある。けれどわたしは、小説を読むということを"或るひとの人生の疑似体験"だと思っている。家にいなきゃならなくても、生身の人間がきらいでも、自分自身が常識どおり生きていなくても、何通りもの生き方に出会える。考え方を知ることができる。
2019年のノンフィクション本大賞も獲得し、話題となった「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という著書がある。これのキーワードのひとつが"エンパシー(共感力)"だと、なにかのインタビューで見た。シンパシー(同感、共鳴)とはよく聞くけれど、エンパシーはすこし耳に新しい。
あらゆることが多様化していく世の中で、大切になってくるのがエンパシー つまり、共感力なのだという。まったく同じじゃなくていい。自分とは異なる考え方、生き方、文化などに歩み寄り、認めること。
本書「山女日記」を読んで真っ先に思い浮かんだのがその話であった。


(以下、ネタバレを含みます。)

作中に出てくる女性たちは、みんな悩んでいる。山がそれを解決してくれるのではと期待して登山を決行する。初挑戦だったりブランクがあったり、経験はまちまち。
悩みごとの内容も、結婚や離婚や不倫や家族友だち、夢、今後…とそれぞれで、しかしどれも、いつかはわたしも通るかもしれない と感じるものである。
誰かと山に登るからと言って、べらべらと相談するわけではない。黙々と歩き、考え、自分自身と対話している。みずからを回顧している。たぶんそれは、心身ともにかなり疲弊することだ。けれど彼女らはそれを求めている。
わたし自身の境遇もあるのかもしれないけど、もっとも親近感をおぼえたのは「このまま結婚するのだろうか」と悩む律子と「旦那に離婚を切り出された」美幸である。女性じゃないけど、柚月の元カレ・吉田くんも。
妙高山を登る律子は、登山を機に腹をくくることになる。同居はいやだー!と叫ぶのは、ある種の諦めだろうと思う。或いは、きちんと闘う決心か。不倫女の由美の言葉が印象的だった。それに「わたしもそう思えるだろうか」と反応した律子にはやっぱり共感した。
利尻山と槍ヶ岳を登る美幸は、1度目の登山でいちばんたいせつなものに気づく。2度目の登山では、じぶんのやるべきことに気づく。仲が良くないとはいいつつ、妹の希美がいたからこそだろうと感じる描写もあった。自分自分に篭ってしまって、こうでなきゃならないに縛られて、娘や旦那や妹や、取り巻くものにまで気が回っていない。自分では考えてるつもりでも。悪天候でも一緒に登れば心強いきょうだいも、一緒ならジンクスさえも敵わない娘も、きれいな景色や娘の勇姿を見せてやりたいと思う家族も、ほんとうはとても大切なものだ。七花が美幸を引っ張ろうとするところでは少し泣いた。
そして、トンガリロ山をトレッキングした柚月の元カレ・吉田くん。自由を求める者ほど不自由なんだ と、そりゃそうだろうと思うけれど、なかなか抜け出せない不自由は確かにある。母子家庭で育った彼が、母親に従う様子はマザコンのように感じるかもしれない。けれど、そんなものなのだと思う。好きで母子家庭に育ったわけではないし、両親が勝手に離婚したのだとしても、やっぱり無碍にはできないだろう。そこにもどかしさを覚えるから自由を渇望する。でもけっきょく彼は自由にはなれない。
また、このトンガリロ山は、ゆいいつわたしの知っている湊さんらしさを感じることができた章でもある。はじめは並行するふた組の話かと思った。どこかで出くわすのかな と思っていた。ところが、過去と現在の柚月が交錯したとき、ぱっと視界が開けたような気がした。同者の著書「花の鎖」を感じた瞬間である(そういえば「花の鎖」にも山やコマクサが出てきましたね)。
イヤミスを得意とする湊さんの、喜劇(とどこかの書評に書かれていた)である本書は、登山を通してさまざまな女性の人生と悩みを垣間見ることができる。100人いれば100通りの人生があると改めて知ることができる。だから、エンパシーという言葉があたまを掠めたのだろう。次回読むときには、印象的な章がかわるかもしれない。それもまた面白いと思う。

さいごに。山ごとに主人公が変わり、ところどころで再登場したりはするものの、これは完ぺきな短編集ではない。
それは、彼女らに山女日記というホームページの共通項があるからだ。
きちんと物語に連なりをもたせるのは、湊さんの技だなと感じた。


(文中で出てきた「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」については未読です。読んでみたいとは思ってる…!)

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