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花と裸の写真と生活、そしてApex。

写真で作った借金を完済するためにApexを始めた。家で黙々とゲームをしていた方が金を使わなくて済む。そういった安易な考えから数年経過している。むしろ写真と同じかそれ以上に時間を費やしている。学生の頃、消費者金融から銀行系カードローン、同期、師匠、彼女、挙句の果てには妹からも金を借りて写真を撮り続けた。娯楽のためといえばそうなってしまうが、借金をし、一部は周りの人からの融資を受けて、写真で生きていくという覚悟の上、家でゲームをただしているのは投資してもらった人に申し訳ないという気持ちもうっすら感じた。そもそもバイクとか楽器とか写真以外の道楽を捨て、何をするにしても写真のことを第一優先に生活をしていたことから少し離れたいという逃避の気持ちもあったのかもしれない。ほとんどの借金を返し終えて、一応の社カメとして何不自由ない生活が送れるようになってきた今、当時、周りに迷惑をかけながら写真をやっていたことに後悔はない。軍資金が貯まるまで待っていたら今はないだろう。ツケを払うために必死になって写真に向き合っていたあの時間を考えると、今の生活が正しいのか迷うこともある。もしあのままApexなんてやらずに続けていたら。

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(REPORT FROM ODAKYU LINEより)

昔みたいに時間と金を費やした分が自分に返ってくる時代とも違う。もしかしたら、そもそも身を削ってまでやりたいことに打ち込むみたいな生き方が違ったのかもしれないが、それでも悔いはない。性懲りもなく、また高価な機材に興味も出てきて、制作環境を少し変えようかという気持ちにもなってきた。僕がリスペクトしている作家の作品を眺めていると、そろそろ自分も手を出してもいい頃合いなのではと思い始めた。ここ最近はずっとパソコンの画面を睨んでいる。そのためにはまた鬼のローンを組んで揃えるしかない。あの頃を思い出せばまた必死になって写真に打ち込めるのかもしれないが、今の何不自由ないこの生活を変えるとなると中々踏み込むことができない。むしろ経済的にある程度の余裕があったほうが視野が広がる気がする。写真に真っ直ぐになっていては「気づき」に欠ける。写真はあくまで副次的なものであって、何かがなければ成立し得ないものだからだ。他のことに目を向けたときにカメラという第三の目をその対象に向けられるか否かという要素が重要ではないだろうか。今まで中判カメラという大きなフォーマットに興味がなかったのは、そもそも写真が記録であるという信念から35mm判のカメラが道具として最も最適だと思ったからだ。自分の身の回りを記録するのにデカイ道具は必要ない。小さければ小さいほどいい。生活の質が上がったからなのか、自分の技術が上がってきたからなのか、目の前の事象を記録する上で、今できる限りの最高の質で保存したいという欲が出てきた。道具なんてなんでもよくてとにかく撮れればいい。という考えからやはり上質な道具から安価な道具まで幅広く触れて違いを知りたい。

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最近は自分の身の回りの生活から少し離れたものを撮っている。生活感を切り取ること、それは目の前に起きている事象を切り取ること。今までそんなことを無意識的に記録していて、それがだんだん意識的に撮るようになってきた。目の前で起こることに対しては受動的でシャッターを押すのは能動的行為。そんな矛盾を気にしていたらいつからか、目の前で起こる事件に期待して、シャッターを押すタイミングを待つ自分に気がついた。その時その瞬間をなんとなく記録するという曖昧な理由だからこそいいのであって、意識して生活を切り取ることほど浅はかなことはない。以前のように自然にシャッターを押すことが難しくなってきた今は、自らが何かしらの事象を発生させてそれをあえて切り取ることにしている。

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現場で一緒になったヘアメイクの人は「おじさんになったら若い子は顔触られたくないだろうから今のうちに稼いどかないといけないんだよね」という会話。花を撮り始めたのは人を撮ることが怖くなってきたからというのは嘘。最近、僕は裸を撮っている。確かにおっさんが若い子の裸を撮っている風景を想像するとなかなかにきつい。三十路に近づくに連れて「おっさん」の定義がいくつからなのか考えて不安を感じる。今しか撮れないもの、それが以前の僕は生活であって今は裸なのかもしれない。

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「裸を撮る」というと、男性である自分が女性を撮るというのは想像に難くない。ただ今まで男性の裸を無意識的に撮ってきて、女性をあまり撮影してこなかったという経緯も大きいし、ヌードは芸術か卑猥かなんてずっと論争されていることを知らないわけでもない。今しか撮れないもの、すなわち、そのうち撮影しにくくなることは何か。自分の経験の糧というのも違和感を感じる。シンプルに自分が男だから。きっとそうだろう。でも、なるべくそこに性別という要素を排除して記録したい。そもそも「裸」というのは、人の肌だけとは限らない。

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ひとまず今しか撮れないものを撮る。金を稼いで酒を飲む。すでにPlayStationは起動した。そろそろ煙草も辞めて道具を見直す。昼が過ぎたら近所のスーパーに酒を買いに行く。おじさんを通り越したら酒も辞めて違う生活を。コントローラーを握る前にそろそろ写真のことを考えなければ。そう考える日曜日のおやつどき。

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