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エッセイ『もう母親をやめてくれたっていいよ』
先日、母から電話があった。連絡を取り合ったのは半年ぶりである。
開口一番、母はこう言った。
「おう。薄情息子は元気にしてるか」
熱とも、苦みとも言えないものが、私のみぞおちの辺りに渦を巻いた。
帰省はおろか電話の一本すらなかったことを、母は根に持っているのだ。
たかが半年、音信不通だったくらいで――。
と私は思う。母は続けた。
「私の予定では七十で死ぬんだから、このペースだとあんたの顔を見られるのもあと十回くらいかもね」
陳腐な台詞だ。小説なら素人の私でさえ絶対に使わない。でも、これが母の本音なのだろう。還暦を過ぎ、老いの自覚があって、残された時間を意識する。その上で望むのは我が子と過ごす時間。実に陳腐だ。本物の感情とは陳腐なものなのかもしれない。いや、本物だからこそ陳腐に感じられるのか。
つくづく、私の母は〈母親〉という役割を生きた人なのだと思う。自分自身の望みすら希薄になるほどに。例えば、
『子育ても終わったことだし、私は私で楽しくやってるんだから、あんたはあんたで好きにやってくれたらいいよ』
こんな台詞は、母の口からは絶対に聞けない。私はこういう母親でいてほしいのだが。
親にとって子はいつまでも子、現在進行形で自分の一部であり続けるのかもしれないが、薄情な私に言わせると、子にとっての親とは過去の養分に過ぎない。自分を形作った養分のひとつではあるが、現在進行形で自分の一部であるなどということは決してない。私は私の人生を全力で謳歌している。現在を生きて、未来を見ている。過去は思い出以上の意味を持たない。
わりと言いたいことは言うタイプの私でも、これをそのまま母にぶつけることはできなかった。だから、精一杯オブラートに包んだ。
「俺は自分のやりたいことを幾らでも見つけられるんだよ。だから暇じゃないんだ。帰ってほしいなら『帰れ』と言ってくれ。そうすれば耳は貸す」
母は素直に「わかった」と答えた。『やりたいことは幾らでもある』という私の言には感心してもいた。それは同時に、『暇でもなけりゃ親の顔など見に行くか』という宣言でもあったのだが、母は〈情〉だけで押し通す人ではないから食い下がってはこない。
そうだ、それでいい。
どうか満足してくれ。我が子が自分の人生を謳歌していると断言するのだから、それで満足してくれ。
電話がかかってくるまでの半年間、私は一度も親を思い浮かべなかった。薄情と言われればそれまでだが、例えば仕事中、例えばデート中、親の顔が頭を過ぎる人は稀だろう。誰であれ、集中すべき目の前の何かがあれば、目の前にいない人のことなど考えない。『視野を広く持って他人のことを気遣う』と言えば聞こえはいいが、それは情が厚いからそうなるのではなく、単に他人のことを考えるのが好きか、そうでなければ暇なのだ。
この点、母の現在には子を忘れるほどの何かがない。自分で自分に要求するものが乏しい人については以前も書いた。私の母はおそらくその状態に近い。
しかし、母が私を気遣うのは、私が対外的に『友人も恋人もいない、毎日コンビニ弁当を食べている哀れな男』にしか見えないからかもしれない。〈哀れ〉の自覚がないこと以外は事実なので否定のしようもない。
今週末は「帰れ」と言われたので、約束通り耳を貸した。どうせ帰省したところでやることはないので、せいぜい私がいかにハッピーな男であるかを熱弁し、母の荷を軽くしてやる所存だ。