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29年前のこの時

1995年 1月 17日(火曜日) 5時46分 52秒 兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡、深さ16kmを震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生しました。阪神淡路大震災です。
ここで内閣府から発表された【阪神・淡路大震災の概要と状況】を用いて、少しコメントさせていただきます。

内閣府からの情報引用

まず何より人的被害です。兵庫県の瀬戸内海沿いは、大阪・神戸・姫路のベットタウンとして栄え台風、地震が来ない環境と地元の人は信じておりました(兵庫県加古川市出身の僕)。まさか、こんなに大きな災害が起きることを誰が予想できたのでしょう。犠牲者も人口密集地の神戸市、西宮市が吐出しており当時の記憶では、火災による被害が『えげつない』状況でした。

内閣府からの情報引用

今回の能登半島地震でも輪島市、東日本大震災でも大和町。そして阪神淡路大震災では、神戸市の長田区、灘区。
当時は、各住宅に火災報知器、不燃性建築資材も周知されておらず、古い町ほど一度火が付くと燃焼を抑えることもできず、倒壊した家屋をよけて消火活動も困難です。

内閣府からの情報引用

ここで『住宅の耐震化』についての予備知識です。
全国全ての建物に耐震設計が初めて義務付けられたのは1950年。この年に建築基準法が制定されました。その後1964年の新潟地震、1968年の十勝沖地震を経て1971年に建築基準法の改正があり、その後1978年の宮城県沖地震を経て1981年6月に大きな改正がありました。
1981年6月以降の耐震基準を「新耐震基準」と呼ぶようになり、1981年5月以前のもの(旧耐震)と区別するようになりました。
要するに新耐震は、1981年以前の建物なのでそれ以前に建てられた建物は、旧耐震。1995年に阪神淡路大震災なので、都市型大震災としては被害が大きかったのでしょう。まして、長田区などは、旧耐震の木造住宅、長屋がまだある古くから栄えた町でした。
地質図ではどうなっているのでしょう。

神戸市の地質図

このような資料を分析しないと理解できませんが、断層、横ずれ断層表記まであり。ただし、以前のnoteでも記載しましたが、住んでいる地域の断層の活動に出会う機会は、数千年~数約年単位のレベルです。そこまで不安にならなずとも、備えは必要です。

日本という国は、四季があり、南国から雪国まである素晴らしく美しい国です。しかし、温泉があり火山かあり、島国であり、多くの半島あり、リアス式海岸があり、その他多くの地殻変動の痕跡が地図を見るだけで確認できます。地震が数千年単位で起きてしまうことは『必然』です。そんな島国で営みを築き、地球の歴史の中で暮らしているのです。
なら、なおさらそれらを理解し、受け入れ栄えるためにも備えが全てです。今の政治家に何かを求めたり、他人を頼ることは何の礎にも安心にもなりません。それより、『自助』を意識した備えと、身近な人、大切な人との協議
を重視し、【来るべき日】のために物心両面の備えが必要です。
今、能登半島で起きていることも事実です。29年間に起こったことも事実です。皆様が今回、たまたま被災されなかったことも偶然の事実です。
能登半島の被災地では、地獄の寒さの冬が来ております。
今、個人ができることは知れています。でも、お給料が出た。報奨金がもらえた。臨時収入があった。ほしいものが数パーセント安く購入できた。などのタイミングでもいいです、少額を数回に分けてでもいいです。義援金による復興支援をお願いします。

【被災者を忘れない】

皆様、もし1月17日にお時間が許せば、関西のほうへ向け、黙とうもしくは、哀悼の意味を含む一礼をしていただけるだけでも、1月17日が、命日となった被災者とご遺族に寄り添えることになるのではないでしょうか。

自論ばかり書かせていただきました。
最後まで読んでいただきありがとうございまいた。


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