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地質から災害を読み解く

今回は、能登半島地震の被害が少しずつ判明しつつある報道・情報が上がってきていますので皆様に地質から見る災害について『さわり』だけご紹介です。

被災経験


僕は、兵庫県出身で現在宮崎県在住です。
トップの写真は、1995年1月17日 5時46分に発生した『阪神淡路大震災』の最も印象に残った被害写真の一枚ではないでしょうか?
兵庫県淡路島北部の明石海峡を震源としM 7.3 。最大891galを観測しました。
この時僕は、高校2年生の冬。兵庫県から長野に修学旅行でスキー旅行に行った帰りの夜行電車(もう今は夜行列車とかないでしょうね)。帰路の特急列車内で、大阪駅に10分の停車中でした。
修学旅行の車内。もちろん寝台特急たる予算もなく、対面シートに同級生たちと肩を寄せ合い、足を乗せあいダラダラ、うとうとしていた時でした。今でも鮮明に記憶しており、今でもあの迫りくる地面の音は覚えております。
【地震発生】
列車が、線路の上で数回跳ねるのです。数回、車輪とレールが『ガン・ガン・・・・・・・・・』跳ね当たったと思いきや、レールから外れてしまい脱線状態。一瞬真っ暗になり(停電です)、すぐに電気がつき車内から外を見ると『大阪駅』と書かれたよく見るホームの看板が片方外れています。
みんな状況がわからず、眠りから覚め、まさかの状況に放心状態。
車外に出ようとすると、駅員さんが「ガス漏れのため、社内にいてください」。

外がこんな状況とは誰も知りません(ネットから写真引用)

近代都市での災害として日本国内のみならず、世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、西日本大震災が発生するまでは最悪のものでした。
幸いにして直接的な被害は、僕にも家族にもありませんでした。しかし、このころから建築物の新耐震制度。防災に対する認識が、国民全員に根ずいたのではないでしょうか。少なからずも、僕の記憶にはインプットされ、宮崎で起きる小規模の自信にも過剰に反応してしまいます。
皆様も、身近な人、家族、職場など『もしもの時』。この場に及んでは『もしもの時』ではないですね。『来るべき時』に備え、連絡手段、集合場所、装備、生活復旧手段を話しておくべきです。
余談ですが、うちは山のテント泊装備から昨年、PHEV車(プラグインハイブリッド車)を導入しました。燃料満タンで一般住宅10日分の電力は自給できます(オール電化住宅)。

能登半島の地形・地質


かなり本題からの脱線が過ぎましたが、僕たちの仲間でアウトドアで出かけるときに特徴的な地形・地質を観察したり、【ジオ】を感じた際に帰宅後、観賞するアイテムに【産総研 地質総合センター】のWebにある地質図カタログがあります。
ここには、その土地の基盤図から断層・年代まで事細かく色分けされ表示されています。

能登半島の地質図カタログ

赤い実線が背斜です。
背斜とは、構造地質学において、山状になっていて古い地層が中心部に来ているような褶曲である。地質図において、背斜は通常地層の順序が褶曲の中心に向かって次第に古くなっていく。これは隆起された褶曲中心部はそれ以外の部分に比べて優先的に古い地層まで風化していくからである。地層は褶曲の中心から流れ盤になっている。背斜が地表面に対して傾斜した場合、表面の地層は傾きの向きを示すV字状になる。背斜は通常、脇に向斜が伴うが、断層によりこれらの関係が複雑になりはっきりしなくなることがある。褶曲は典型的には、造山運動に伴う圧縮の結果として起きる地殻変動によって発生する。
ようするに、地殻変動が頻繁にあった証拠でもあります。この頻繁という頻度は、地球規模の活動周期で数千年、数万年、数十万年の頻度で、決して不安をあおりたいわけではありません。地球の活動、僕たちの住んでいる大地はそうやって形成され、山を登る僕たちの忘れている地球の活動の一環なのです。ましてや、クライミングをしたり沢登りをしたり、絶景を見える地域は、地殻変動の副産物と言えるのではないでしょうか。

自分の住んでいる足元


では、まず考えるのが自分の住んでいる地域の地形がどうなのか。
断層があるのか?背斜があるのか?

宮崎市の地質図

幸いにして?宮崎市内は、現在公表されている地質図には、断層が表記されておりません。ただし、四国沖には海溝が確認されており、地球の周期においては、『40年以内の発生確率は、90%以内』と言われています。
地球の年表からすれば、40年なんてものは髪の毛一本分の太さにも値しません。
どの状況で被災するか、どの準備で災害に合うのか。今のマスコミ、政治家に命を救う手立てがあり、準備があるのか。僕たちが、任せれるか。
これは、自然災害ではありません。ほぼ、ほぼ人災です。被災した際にも、格差を感じるのは間違いありません。
皆様、その覚悟で日常に、被災準備をしてみればどうでしょうか?
『人の振り見て我が振り直せ』
自分のため、大切な人のため、家族のため、会社のため、人それぞれですが、【自助】を全うしましょう。

最後に


今回被災された方々の、少しでも早い安堵の日常の復旧と犠牲になられた方の無念を痛み、ご冥福を心の芯から祈ります。
こんな文章で申し訳ありません。また、災害支援に向かう途中で、航空機事故にあわれた海保隊員にもご冥福をお祈りして、今回の投稿とさせていただきます。
まもなく、阪神・淡路大震災の日が来ます。1月17日。この日僕は、関西の方角に向け合掌します。昔の話だけどまだまだ、苦しんでいる人がいます。災害は、いつ当事者になるのかわかりません。

被災者の方々の平穏な日々の取戻しと、犠牲者の方のご冥福をお祈りさせていただきます。

被災された方をけして見捨てはしません。
気持ちばかりですが、支援させていただきます。


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