ぼくがずっとできるようになりたくて、でもやるのが大変なこと:自分で考えて、自分で決める

*2023/4/12作成

ぼくは今は、会社勤めをしてなくて、家族・子供もおらず、大きな病気は見当たらず、目先大きくはおカネに困っていない状況なので。
「自由」の定義にもよりますが。
そして、それがいいことなのか、よくないことなのかは置いといて。
自分のことを、日本の同世代で上から1%に入るくらいに自由な状況にあるのかも?と思ってるんですが。

東京で会社勤めをしていた頃と大きく違うのは。
モノゴトのほとんどを自分の裁量で決めていい、ということ。
そのことは、独り身に戻って十数年の間、心から欲していて、思い望んでいたことだったんですが。

でも現実に「自由」な生活をしてみての感想は。
「自由」な生活は、それはそれでなかなかに大変・・ということでした。
なぜならば、すべてのモノゴトを自分でやらなきゃいけないから。
そして、自分で「やる」ことの前提として、自分で「考えて決め」てかなくちゃいけなかったから。

それは例えば。
明日のお昼ご飯は何食べようか?とか、そのための食材はいつどこで買おうか?とか。
自分の時間を何に使おうか?とか、今今、何しようか?とか。
自分の人生を何のために使おうか?とか。
些細なことから壮大なテーマまで、もう、ありとあらゆる・・って感じです。

数年前までは家族も会社もあったので。
当時は、「家族のため、仕事のためにXXしなきゃ・・」という感じで、自分の外の世界からの制約があって。
選択=思考の余地が十分でないままに、時間切れになってたんですが。
今思うに、その方がアタマを働かせなくていいという点ではラクだったよなあと。

でも、でも。
最近は、24時間365日、常に自分で考えるというトレーニングをやってるようなもので。
自分の中では、かなり思考力が鍛えられたかなと。
それに、自分はどんな人で、どんな価値観や評価基準を持っていて、何をすれば自分が居心地がいいかなど、自分のことがよく分かってきたと思います。

中学に入ってうっすら「社会」なるものが見えてきて、それに適合することに違和感を覚え始めて、でもその正体はずっと分からず・・。
以降、大学に入り、社会人になって、結婚生活をしていた頃まで。
大学受験の点数はよくても、自分で考える力がなくて、どうしたらいいか分からず、ずっと自信がなくて、将来が不安だったぼくが。

うれしいこともそうでないことも含めて、いろんな出来事とそれなりの時間を経て。
長い間求めてきたもの(=自分で考えて決めること)を、今こうして獲得しようとしている・・というのは。
実はぼくは、今回の人生のテーマとか業というものにずっと取り組んできていたのだ、と認識できて、なんとも感無量です。

鴨川に来てから、ずっとなんとなく感じていたことの正体が分かった気がして、スッキリしたので、書いてみました。
ではまた。

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