改造人間の哀しみ
MXテレビにて、初代仮面ライダーの再放送を毎週、見ている。
昭和に作られた藤岡弘、主演の仮面ライダーの物語だ。
その後の、仮面ライダーとの大きな違いはそのドラマの陰鬱さと怪奇色であろう。
物語が暗くそして、奇妙なグロさとペーソスに彩られている。
考えてみれば、仮面ライダーとはバッタの能力を移植された改造人間である。
そして、対する敵のショッカーはナチスの残党という設定だ。
ナチスの残党に拉致され、無理矢理行われた人体実験の結果、バッタ人間として生きる運命を課された男の物語だ。
結構な重さではなかろうか。
今の平成ライダーには殆ど感じ取る事が出来ない重さを初代仮面ライダーには特に感じてならない。
なんといっても、藤岡弘、がまた、イイ。
そして、現在の藤岡弘、も最高だ。
仮面ライダーの荒ぶる哀しみを役を離れた今もなお、体現しているかの様に思ってしまう。
はたと思ったのだが、仮面ライダー、そして藤岡弘、が体現している哀しみとは昭和という時代の哀しみを表しているのではないだろうか?
敗戦のショック、高度成長期への突入と時代によって、否応もなく変わらなければならなかった男たちの哀しみのペルソナを具現化してみせたのではなかろうかと。
故に今の時代からすると、時に過剰で、時に滑稽に思える演出や藤岡弘、の演技も納得がゆく。
仮面ライダーや藤岡弘、を通じて、自分は昭和を観ていたのだ。
そして、藤岡弘、は現在も昭和を体現している。
藤岡弘、の名に続く句読点がそれを表している。
藤岡弘、の中で昭和は終わっていないのだ。
いや、昭和というよりも各時代を生き抜いてきた男たちの魂が終わっていない、引き継いできたと信じたい。
昭和の終わりに生まれた自分も仮面ライダーの気概を持って、藤岡弘、の後に続いてゆきたい。
「はるかなる愛にかけて」
勇敢に戦った男がいた
人生を戦った男がいた
自由のために 愛のために
君は何にかけ 何と戦うか
たったひとつの この命を
はるかなる愛に かけて戦う
それだけでいいのさ
おれは おれは 仮面ライダー
雄々しくも戦った男がいた
人生を戦った男がいた
誠のために愛のために
君は何にかけ 何と戦うか
たったひとつの この命を
いとおしき愛に かけて戦う
それだけでいいのさ
おれは おれは 仮面ライダー
自分が初めて見た仮面ライダーはスカイライダー。このエンディングテーマが自分も、一緒に見ていた父も大好きだった。
人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ。