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博士後期課程の1年目が終わるが、研究とは何だったか。D1の一年を振り返る話。

今日は学業の話です。
以前の記事で書いたのですが、2021年4月より、会社員の立場と並行して、大学院博士後期課程に入学しています。

2014年3月に修了した東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻、それも全く同じ都市計画研究室に戻った形です。

でも、当時とはあまりに多くのことが違います。
共に切磋琢磨する同期がいないこと、
(すべてオンライン研究指導なので)生身の付き合いがないこと。
しかし最も大きいのは、「フルタイムの仕事を抱えていること」でしょう。
研究・教育が本分ではないのです。

しかし振り返れば、もちろんそんなことは百も承知で入学願書を提出し、口述試験を受験し、入学したのです。

コンサルとしての、あまりに仕事一色な人生時間の送り方に疑問を持ちながらも、毎週と言っていいほどの遠距離出張による自己評価エラー、働いた分だけ支払われる残業代による生活水準の認識エラーに、「まあ、それでもこのままでいいよね」と思っていました。
そこに2020年、コロナがやってきて、さらに生活の自由度が低下することとなり、「いや、やはり変化は起こすものだった」と、心が切り替わったのです。

そして本日、博士後期課程の1年目、D1 のカリキュラムを締めくくる「博士ジュリー」がありました。
ジュリーとは直訳すると「陪審(Jury)」なのですが、東大の工学部都市工学科・工学系研究科都市工学専攻が共通して使っている呼称で、演習授業であれば、その成果の品評会、卒業研究から修士・博士研究であれば、そこまでの研究報告に対する口頭審査のことです。

しかし、私はこの一年、研究としての進捗がほとんどありませんでした。
入学直後の昨年5〜6月こそ、モチベーションの高さから、月1回の研究相談を心掛けていましたが、夏、本業がプロポーザルの執筆ラッシュになる頃には、研究の手はほとんど止まっていました。。。

職場から見る夕日。感覚的には、一日の折り返し時間。

その結果、研究は進みません。
他の学問分野はわかりませんが、所属するのは、毎日研究室に通って生物の世話や何かの観察をするようなラボ系の研究室ではなく、社会科学系・人文科学系のゼミ系の研究活動に近いものです。
書籍・論文のレビュー、それに基づくリサーチクエスチョンの設定、それに基づくデータ収集などのほとんどを、自分で葛藤しながらしなければならないので、学生個人のモチベーション、特に"知的孤独への耐性力"が問われるように思います。

授業などに出席する必要が基本的にない博士学生は、研究を進めなければ、ただ大学院に学費のみを納めるだけ。存在に矛盾を孕んだ状態となります。
無論、自分で働いて得たお金を自分の学費に充てているので、ここに大きな問題はないのですが、自責の念は大きいです。
特定の資格習得の講座を申し込んだのにサボっている、という状態とは少し異なるのです。

キャンパスの中で好きなビスタ。正門から安田講堂方面を望む。

そう、やはり学位が欲しいのです。
もちろん、都市計画の分野で生きていくために絶対に必要というわけではありません。
むしろそれが足枷になる場合もあるかもしれない。
しかし、私のような乏しい発想だと、このクソ難しい都市計画に向き合うこと、この分野に対する覚悟と貢献、献身を示すには、学位という称号でなければダメな気がするのです。

年度後半の忙殺状態から、当初はジュリーを回避することすら検討していたのですが、無理してジュリーに参加してよかったな。
恥ずかしい研究状況をさらけ出したことと引き換えに、諸先生方からの助言をいただけたわけで。
やはり研究とは魅力的な世界であると、思い出しました。

そしてnoteにも、研究活動に関する話題を書いていこうと思うのです。

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