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音楽エッセイ『やきもちは、いかが?』ピアノ講師・高岡紀美子作品

 35年の短い生涯のなかで、600を超える名曲を残したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。この200年間、多くの人々から愛され、賛美されてきた彼の作品は、同時代の音楽家の心にも強烈な印象を焼きつけたようである。          18世紀後半、それまで名声を欲しいままにしてきたウィーン宮廷音楽家・サリエリは、この若き天才の出現に、激しい嫉妬の炎を燃やした。モーツァルトの才能をいち早く見抜き、自分の作曲家としての能力に限界を感じるサリエリ。映画『アマデウス』のなかで、サリエリは天に向かって訴える。「ああ、神よ。私の歌が無用というなら、なぜ、私に歌いたいと思わせたのだ」。

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 モーツァルトの死はあまりにも早すぎた。     なぜか。この疑いが毒殺伝説を生み出してゆく。彼の死に対して、「それは大いに結構なことだ」と、喜びの言葉を残したサリエリは、後世、毒殺の張本人に仕立て上げられてしまった。もちろん真相は謎である。                         プーシキンの戯曲『モーツァルトとサリエリ』では、嫉妬に身もだえしながら、サリエリは毒薬をグラスにすべりこませる。…やがて、鎮魂曲が鳴りひびく。結局、彼が神から与えられたものは、モーツァルトが天才であることを“見抜く能力”だけであった。モーツァルトはまさに、その名のごとく「神の愛でし子(アマデウス)」であったのだ。

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 ともあれ、音楽で名を残すことができなかったものの、嫉妬によって後世に名を留めることになってしまったとは、なんとも皮肉なことである。ふくらみすぎた「焼き餅」は思わぬ人生を焼き上げるものらしい。

                             1998年・岐阜新聞掲載



🎶最後までお読み下さりありがとうございます!岐阜県のピアノ講師・高岡紀美子先生の音楽エッセイです🎶




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