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ももいろクローバーZの音楽(2013年8月執筆)


前書き

この原稿を書いたのは2013年8月。当時私はももクロの音楽同人誌「イルミナーレ」の刊行に関わっていた。
私は当時ももクロに熱中していた。そしてももクロの音楽の「どこが新しいのか」「どうして面白いのか」を説明しようとしてこの原稿を書いた。
本の発起人で総責任者であったさかもとさんは、私の原稿を一番面白いと評価してくれた。その結果、私の原稿が一番最初に掲載いただくという名誉を得たのである。

本来は有料(といっても儲けなどはないが)の本の内容なので、インターネットに載せるのもあれなのだが、もう11年前の記事にもなるので、ここに全て載せようと思う。note用に見出しなどをつけ見やすくはするが、加筆修正等は行わない。(全 約2万5千字。超長い!)

はじめに

  この論考では、ももいろクローバーZの音楽的な面について考察する。第1章では、ももいろクローバーZの楽曲について他のJ-POPと比較を行いながら、言葉の面及び音楽の面から考察し特徴を述べる。第2章では、ももクロの音楽が何故現代で人気になりえたのかを考察する。第3章では、ももクロが創る未来について考察する。

 

第1章 ももいろクローバーZの楽曲の特徴

 

◆言葉の面から

■歌詞のレパートリーについて

ももクロは普通のアイドルとは違うんだよ、という話が出てくると、最もポピュラーな特徴として挙げられるのは、ももクロには恋愛の曲が少ないということである。確かに女性アイドルに恋愛の歌はつきものであることを考えると、ももクロの曲には恋愛の歌が少ないと言えるだろう。初期のももいろクローバー時代は相当に恋愛の歌が多いが、確かにメジャーデビュー以降は恋愛要素をあまり感じさせない歌詞が多い。やはり「ももクロは恋愛の曲が少ない」と言えるだろう。

ただ、今振り返って冷静に考えると『猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」』(以下、猛烈宇宙交響曲)のように、歌詞だけを見ると恋愛の歌と捉えられなくもないものもある。ところが、実際にあの曲を聴いて、恋愛の歌だ、とはなかなか思えないのではないだろうか。何故なのか。ももクロは、そのように聞こえなくなってしまうバックグラウンドを持っているのである。

つまり、私が付け加えたいのは「ももクロは恋愛の歌が少ない」という事実に加えて、「ももクロ以外が歌ったら恋愛の歌に取られかねない歌もあるが、ももクロが歌うとあまりそう聞こえない」ということである。

バックグラウンドとは何か。簡単に言えば、ももクロというアーティストが持つキャラクターである。重要なのは、バックグラウンドは、曖昧な言葉の意味を規定するものであるということだ。

例えば「君が好き」という言葉があったとする。これだけでは、「君」が誰なのかも、「好き」が、どのように好きなのかもわからない。男女の恋愛なのか、それとも親子なのか、友達なのか、はたまた犬なのか。それはわからない。SMAPの『夜空ノムコウ』や、小田和正の『ラブストーリーは突然に』に代表されるように、歌謡曲に比べてJ-POPにおける歌詞は非常に曖昧で抽象的なものになった。聴き手は、その曖昧さを自ら埋めるように促されているわけである。ただし、この「埋める」という意味付けの行為も、聴き手に完全に委ねられているのではない。まず、前後の文脈が意味を規定する。そして、そのアーティストがどういうバックグラウンドを持っているのかということも意味を規定するのである。

歌詞というものを単純な詩として解釈した場合、意味を規定する上で大切なのは前後の文脈であろう。ところが、拡大したバックグラウンドは前後の文脈を飛び越えて、全く別の意味、別の解釈を作り出すことがある。

どういうことか。『あの空へ向かって』には、「笑顔 君に向けて 手と手をつなごうよ」という一節がある。これは、主人公と「君」が2人でいることから、文脈的に恋愛の要素を含んでいると単純に解釈できる。ところが、この曲が恋愛の歌として受容されているだろうか。少なくとも私にとってはそうは思えない。もしかしたら私だけかと思い友人にも確認したが、やはり、この曲を恋愛の歌と捉えている人は少ないようだ。

また、メンバーのほうでもそのように考えているのではないか、という証拠がある。現在では、この「君」の部分を、有安はライブで「みんなに」と歌詞を変えて歌っている。「二人の時間過ごす」という前のフレーズから考えれば、よくよく考えると歌詞としては少しおかしなことになっているが、この曲が恋愛の歌として受容されることがない以上、この改変は特に不自然なものではない。また、不自然ではないとスタッフも認めるからこそ、それを許しているのだろう。

この曲はもはや二人の曲ではなく、ファンとももクロの絆を象徴する曲であると考えてもいいのではないかと思う。

どうしてこのようなことが起こったのかと言えば、やはりこの曲のライブでの使い方が真っ先に挙げられるだろう。ももクロの歴史において、節目となるライブでは最後にこの曲を歌うことが多かった。この時点でこの曲には重要な意味が付け加えられることになる。そしてその付け加えられる意味とは、ももクロというアーティストの持つキャラクター、つまりバックグラウンドに合致したものとなる。

こうして音楽と歌詞以外の要素が、この曲の受容のされ方を変えてしまったのである。この曲を路上で聴いていたときに涙していた人はなかなかいないだろう。しかし今では、この曲を聴けばライブ映像を見なくてもグッとくる、という人はたくさんいるのではないか。これは、バックグラウンドがこの曲に大きな味付けをしているもの、と言えるだろう。

他にも、本来の曲の歌詞を超えて別の受容がされている曲がある。「あの空」よりも明らかに恋愛の歌である、『走れ!』だ。

『走れ!』は、ストーリーでいえば、「いつも同じ電車に乗っている女の子に話しかけたい、だけど話しかけられない」という揺れ動く感情を歌ったものであり、やはり普通に考えて恋の歌である。

ところが、なかなかそうとは聞こえない。「電車に乗っている気になるあの子」は、もう「女の子」ではない。「自分が本当に好きなこと」を象徴しているのではないかと思えるのである。

具体的に言うと、「気になる女の子に話しかけられない自分」は、「本当に好きなことに挑戦できない自分」を象徴しているように聞こえ、まさに「夢に正直に向かっていけ」=「走れ!」と言われているように聞こえるのである。もちろん、この曲は元々そうした点を意識して書かれたものであろう。ただ、それにかかわらず、もはや「君が好き」というフレーズでさえも、ときめきであるとかかわいいであるといった感情を一切想起させず、むしろ何か凄みのようなものを感じてしまう。私だけかもしれないが、これは先程から述べているように、ももクロ持つ強烈なバックグラウンドがなしうることだと思っている。

総括すると、ももクロの曲には確かに恋愛の曲が少ない。そして、それに加えて独特のバックグラウンドを持っており、恋愛の曲ですらそう聞こえなくなることがあるということである。『走れ!』は極端な例で私だけが上記のようなことを考えているかもしれないが、「あの空」のようにごく普通の女性アイドルが歌えば恋愛の歌に聞こえるかもしれないものも、ももクロが歌うとほとんど恋愛の歌に聞こえなくなるということだ。

■歌詞の特徴

前項ではももクロの歌詞における恋愛の歌の少なさやバックグラウンドについて述べたが、では、歌詞のみを見渡すとどういった特徴があるのだろうか。考察してみたい。

・固有名詞が入っていたり、タレントの特徴に特化していること

例えば『だって あーりんなんだもーん☆』が代表的だが、タイトルや歌詞に固有名詞が入っている。先程述べたように、J-POPは抽象的なものを好むゆえに、タイトルもしくは歌詞の中に固有名詞が入っている曲というのは珍しい。(漠然とした外国人の名前が入ることはしばしばあるのは例外と考える。例えば、桑田佳祐『波乗りジョニー』など。ここでいうジョニーとは特定の誰かを指しているわけではないだろう。)こうしたことがしばしば見られるジャンルとしては、やはり一般的なJ-POPとは少し外れた、アニソン、アイドル、演歌、また、音楽の特性からヒップホップなどが挙げられるだろう。AKB48にも、『上からマリコ』という曲があるほか、『チームB推し』という曲では、メンバーが自己紹介をしていく歌詞がある。

こう考えていくと、ももクロの歌詞はAKB48と基本的にこの点においては似ているとも言えるかもしれない。

ただ、AKB48にはほとんど見られないが、ももクロによく見られる特徴というものがある。それは、ももクロには、個人のキャラクターに特化した歌詞がいくつも存在しているということである。具体的には、「佐々木彩夏が甘いものが好きで仕方ないが太るのを気にしていること」を歌ったものであったり、「玉井詩織が一人で寝られないこと」を歌ったものであったり、といったことである。これは、特にアニソンにおける「キャラソン」に似ているものであると言えるだろう。キャラソンとは、特定のキャラクターの名義で発売される曲で、多くは声優が、そのキャラクターの声を演じながら歌うものであり、キャラクターの特徴や固有名詞が歌詞の中に入っていることも多くある。AKB48の曲にはあまりこうした曲がない。確かにある個人を想起させるような「持ち歌」の類は存在するが、ももクロレベルで個人のキャラクターに特化した曲というものは私の知る限りは存在しない。『上からマリコ』ですら非常に控えめにキャラクターを「取り入れている」といった程度である。

もう勘のいい方はおわかりだろうが、キャラクター性を生かした歌詞が顕著な曲は『事務所にもっと推され隊』『だって あーりんなんだもーん☆』『あーりんは反抗期!』『Z伝説~終わりなき革命~』『シングルベッドはせまいのです』など、前山田氏が作詞作曲した曲がほとんどである。前山田氏はアニソンの作者としても非常に有名であり、同時にヒャダインとしてニコニコ動画で活躍していたなど、こうしたジャンルに非常に造詣が深いことが伺える。つまり、ももクロの曲の一部は、「キャラソン」であると言えるわけであり、この点がAKB48等とは少し違うと言えるかもしれない。

(とは言っても、前山田氏は他のアイドルグループにも曲を提供しており、同様にキャラソン的なものが存在している。)

・性的な表現を極端に避けている 

ももクロの歌詞を一通り確認したが、最高でもキスしかしていない。どの曲かというと、『僕等のセンチュリー』である。そう、確かに「Kiss me」と歌っているが、ほとんど性的な要素を感じさせない、呪文のようなパートである。他に出てくるのは、ももいろクローバーZ名義の曲ではなく、玉井詩織ソロの『…愛ですか?』。この歌詞は一般的なアイドルらしいもので、最も普通に「キス」という単語が出てくるが、ももクロの中でも「みんなの妹しかキスを歌っていないというのも面白い。(初期の曲でごく普通にあるかもしれないが、そこはご容赦願いたい。)

アイドルは擬似恋愛を売り物にしていることから、どうしてもパフォーマンスと性的表現は切り離せない運命にある。あれだけ「カッコいいアイドル」だった山口百恵氏も、初期は『ひと夏の経験』というタイトルからして危険な曲がある。1970年代と比べても仕方ないのでAKB48と比べてみるが、やはりAKB48にも(特に初期に)そうした曲が大量に存在する。

こうしたアイドルは、あまり売れていない時代やデビュー直後にこうした危うい表現をさせられ、売れるに従って公の目にさらされるためか、表現が大人しくなることが多い。しかし、ももいろクローバーは路上時代から、きわどい表現が皆無であることが特徴的と言えるだろう。ももクロは水着グラビアをしないほか、Ustreamなどの放送においても川上マネージャーは徹底して下ネタを排除しようとする発言が見られるため、スタッフ陣は意図的に性的表現を排除していると言える。これが、歌詞の面にも反映されているということであろう。

この徹底した性的表現の排除は、先程述べた「バックグラウンド」とも関連してくる部分である。ももクロが性的表現を避けることによって、アイドルとの擬似恋愛の要素は小さくなり、努力・友情・勝利の少年誌的ストーリーの要素がより大きくなってくる。結果、恋愛の曲が恋愛の曲に聞こえなくなるのである。

◆音楽の面から

■楽曲のレパートリー

ももクロの楽曲には様々なタイプの楽曲がある。この特徴については、アイドルソングではしばしばみられることである。しかし、特に「ももクロ★オールスターズ2012」あたりから顕著だが、ももクロの曲には「一般的なアイドルソングよりも、特定のジャンルに寄る」という他ではあまり見られない特徴が見られるようになった。例えば『黒い週末』は、アイドルソングの体裁は保っているものの、サウンドはかなり本格的なハードロックである。比率でいえば、今までのアイドルの楽曲は「8:2」でアイドルソングと他ジャンルを融合することが多かった。ももクロは逆に「2:8」とも言える比率で、アイドルソングと他ジャンルを融合している。「5TH DIMENSION」においても、この路線はそのままになっており、この幅の広さが様々な楽曲提供者の受け入れを可能としている。『Z女戦争』や『サラバ、愛しき悲しみたちよ』は非常に作曲者の色が濃く反映されたもので、特に布袋氏のサウンドに関しては非常に有名であることもあり、作曲者を伏せても当てることができるであろう。

■単純な繰り返しを避ける

ももクロの楽曲において、全体に共通する特徴が「単純な繰り返しを避けている」ということである。後述の特徴も、ほとんどがこの特徴に関わるものであるが、ここではあくまで同じパートをどう処理するかに特化してそのパターンを述べる。その特徴は大きく分けて2つある。

・1番と2番でメロディを変える

例えば、「猛烈宇宙交響曲」では、Aメロが1番と2番では全く異なっている。「宇宙の~」から始まるメロディが1番ではRPGの勇者の行進のようなパートだが、2番では突然「愛したいし~」から始まる、「アイアイサー」の掛け合いで有名なお祭りパートになっている。『DNA狂詩曲』でも、1番の「EVERYDAY EVERYNIGHT」の部分が、2番では「みんなだけどわかってる」から始まる、QUEENの『Bohemian Rhapsody』(※Rhapsodyは和訳すると「狂詩曲」)を意識したかのようなオペラ風の合唱パートに変わっている。初めて聴く人には、予想していた展開をいい意味で裏切られたと思うのではないだろうか。また、何度も聴いている人にとっては、メロディが変わるので何度も楽しめるはずである。まるでどんぐり飴のように、1曲で違う味が楽しめるお得感、満足感がある。

こうしたAメロ、Bメロの変奏以外にも、『ワニとシャンプー』などに見られるセリフのカット、もしくは『行くぜっ!怪盗少女』に見られるセリフ(掛け声)の追加といった方法で繰り返しを避ける方法も取られている。例えば『ピンキージョーンズ』では、2番のAメロやBメロの前に短いパートを挿入している。(「サフラン タイム オレガノ~」のパート。)喩えて言えばさっきまで食べていた板チョコレートに今度は生クリームを乗せて味を変えてみよう、と言ったところだろうか。

・メロディは同じでも、伴奏を変える

前述の特徴よりもわかりにくいものの、このパターンもよく取られている。『ピンキージョーンズ』では、世界中の民族楽器が使われているが、1番と2番ではそのメロディや楽器が違ったものになっている。また、『月と銀紙飛行船』では、1回目のサビと2回目のサビでドラムのリズムが異なっており、ももクロの楽曲においては、様々な方法で単純な繰り返しを避けていることがよくわかる。

■一般的な楽曲構成と異なる曲が多く存在する

現代のJ-POPにおける一般的な曲構成は「Aメロ⇒Bメロ⇒サビ⇒Aメロ⇒Bメロ⇒サビ⇒(Cメロ⇒)サビ(転調等)」であろう。もちろん初めにサビを持って来たり、という曲もあるが、基本的にはこの構成に従っているものと思われる。AKB48のシングルでいえば『Everyday、カチューシャ』や『フライングゲット』などは概ねこの構成に従っている。ももクロもゆび祭りで歌っていた『ヘビーローテーション』も、最初にサビを持ってきてはいるものの、概ねこの構成どおりである。詳しく見てみよう。

『ヘビーローテーション』/AKB48

「サビ(I want you~)⇒Aメロ(ポップコーンが~)⇒Bメロ(こんな気持ちに~)⇒サビ(I want you ~)2回⇒Aメロ(人は誰も~)⇒Bメロ(そんなときめき~)⇒サビ(I feel you~)2回⇒Cメロ(いつも聴いてた~)⇒サビ(I want you~)」

1番、2番、Cメロ、サビ、という構成が極めてわかりやすい。1番が歌えてCメロが歌えれば、あとは2番を知らなくても出てくる歌詞をそのまま歌っていけば歌える。

AKB48関連以外でも、嵐の『ワイルド アット ハート』なども概ねこの構成に沿っている。ももクロも基本的にはこの構成に沿っているのだが、ごく普通に沿っているかと言えば、そうではない。『コノウタ』『Z女戦争』『BIRTHφBIRTH』『空のカーテン』の4曲を取り上げて、具体的に考えてみたい。

まず、最もオーソドックスな形式に沿った曲を紹介する。

『コノウタ』・・・勝負球はストレートど真ん中

「Aメロ(訳も無くため息~)⇒Bメロ(その密かな~)⇒サビ(コノウタ キミに届け~)⇒Aメロ(分かれ道で行き先~)⇒Bメロ(誰のためでもなく~)⇒サビ(コノウタ キミに捧ぐ~)⇒Cメロ(何千回でも~)⇒落ちサビ(コノウタ キミに届け~)⇒サビ(コノウタ キミに捧ぐ~)」

Aメロ、Bメロ、サビを2回繰り返し、Cメロ(ラップ)の後に一旦静まった落ちサビを持ってきて、またサビに回帰する。ももクロには珍しく一般的な構成である。しかしこの曲の人気は高く、2013年5月のファンクラブイベントでも、メンバー全員からセットリストに選出されるほどである。『コノウタ』が何故心に響くのか。それは様々な理由があるだろうが、構成の面から言えることがあるとすれば、ももクロの曲の中では珍しく変化球を投げていないということだ。非常にシンプルな構成である。やはり変化球もいいけれど、勝負の1球はストレートということなのだろう。

『Z女戦争』・・・いつもより串が長い焼き鳥

「導入部A(3時の方向に~)⇒導入部B(リンリン~)⇒Aメロ(全校生徒の~)⇒Bメロ(ねえ委員長~)⇒Cメロ(巻き起こせ~)⇒Dメロ(淡く色づく~)⇒サビ(どこかで~)⇒導入部B(ズンズン)⇒Aメロ(どんでん返し~)⇒Bメロ(ねえエリントン~)⇒Cメロ(立ち上がれ~)⇒Dメロ(気づく弱い~)⇒サビ(ずっとみんなと~)⇒Eメロ(出会いと~)⇒Cメロ(巻き起こせ~)⇒Cメロ(巻き起こせ~)⇒Dメロ(目覚めよ~)⇒サビ(本当は~)⇒導入部分B(リンリン)」

メロディのブロックが非常に多く、一般的なJ-POPの構成とは全く異なっている。(※ブロックの分け方については、他の解釈も存在するとは思うが、とりあえずここでは一解釈として考えていただきたい。)

メロディのブロック数は、先程述べたとおり通常は2つである。喩えて言えば、通常の曲は焼き鳥の串が2本、2本とも同じねぎともも肉。ところが『Z女戦争』は、焼き鳥の串が通常の2倍の長さで2本。ネタは2本とも同じだが、レバーやらもも肉やら皮やらが刺さっている串といったところか。

『BIRTHφBIRTH』・・・生まれ変わり続ける蝶のように

「Aメロ(ダメなやつを~)⇒Aメロ(胸の奥で~)⇒Bメロ(誰もが~)⇒サビ(引き裂いて~)⇒サビ(迷わないで~)⇒Bメロ(いつまでガキのふりして~)⇒サビ(引き裂いて~)⇒サビ(悔やまないで~)⇒Cメロ(花は~)⇒落ちサビ(胸の奥で~)⇒サビ(引き裂いて~)」

これもまた決まりきった構成とは言えない。この曲に関しては1番、2番、という概念がかなり希薄になっている。というのも、Aメロが冒頭に2回繰り返されたのち、このメロディが再度出てくることはない。この曲は「昨日よりも少し強くなろう」「今を引き裂いて生まれ変わろう」といった歌詞にあるとおり、過去から未来への進化が大きなテーマとなっている。確かにBメロが繰り返されてはいるものの、この曲も後述する『走れ!』のように、楽曲構造と歌詞の内容がリンクしているとも言えそうである。

『空のカーテン』・・・3曲分のお仕事

「Aメロ(昨日の失敗は~)⇒Bメロ(「おはよ」教室前~)⇒Aサビ(いくつもの~)⇒Cメロ(携帯を~)⇒Dメロ(有明の月が~)⇒Aサビ(それぞれの今を~)⇒Aサビ(思い出ぴゅるりら~)⇒Bサビ(リンドンダン~)⇒Eメロ(図書室に並んだ~)⇒Aサビ(いくつもの~)⇒Aサビ(思い出ぴゅるりら~)⇒Bサビ(リンドダン~)」

もはや、この方式で表記するのが困難であり、むしろわかりにくい。別の言い方をしてみると、サビを基準にして1番、2番、3番とつけていくのであれば、この曲は3番まであり、毎度メロディが違う、ということである。横山氏はもはや実質3曲分くらいの仕事をしている。楽曲の作曲料等のことは全くわからないが、この曲は通常の曲の2倍くらいの値段を請求されても全く不思議ではないように思う。ともかく、非常に簡略化して書いているため細かい点の違いが表現しきれていないが、普通の構成ではないことは確かである。

(※ここで注釈したいが、前述のAメロやBメロが変化する、というものも、新しくCメロと認識すれば、構成上一般の枠から外れる、という解釈も可能である。しかし、楽曲の伴奏等を考慮した場合、例として挙げた「猛烈宇宙交響曲」はAメロが変化したもの、と考えて、一方『空のカーテン』では1番と2番でAメロが変化したと考えず、新しくCメロが存在する、という解釈をし、記述した。)

このように、ももクロの楽曲は一般的な楽曲構成と異なる構成を持っているものが少なくない。もはや、従来の表記では対応しきれないほどである。

そして、これに関連して指摘できるのが次の事項である。

 

・Cメロの肥大化 

Cメロとはそもそも、2番のサビが終わった後にしばしば挿入される比較的短いパートである。このパートの後は基本的にサビを繰り返すことが多い。ももクロの曲において、一般的な楽曲構成から外れた曲が多々あることは指摘したとおりである。ただ、とは言ってもAメロBメロサビを1番、2番として繰り返す曲は多い。この中に、一般的な構成でありながらもCメロが一般的なものよりも長い曲もある。

『スターダストセレナーデ』で、2度目のサビが終わった後からの部分(放課後いつも~)は、よくファンとの合唱がされるところであるが、この部分は基本的にはCメロであると言えるだろう。しかしそれにしては、非常に長いのである。

また、『労働讃歌』も同様である。「自分を試せる~」から始まるラップパートは、Cメロであるというより、実質的には3番として全く別のパートが入り込んでいると言ったほうが適切かもしれない。

やはり、もはや一般的な構成の枠組みでは、楽曲を捉えきることができない。

・少々道に外れて~現代のソナタ形式『走れ!』~

ここで少々1曲のみにクローズアップしてみたい。この曲は先程から指摘しているパターンの、1番と2番が異なっている曲の1つであるが、この異なり方がクラシック音楽的に見ると面白いからである。

ソナタ形式とはクラシック音楽の形式であり、本気で語ろうとすると非常に難しい理論なのでここではあくまでそれを極限に簡略化し、その特徴において似ている点だけを取り出して解説する。

『走れ!』とソナタ形式の似ている点とは、A、Bというそれぞれ性格の異なるメロディが存在し、それが交互にあらわれて二項対立的に展開をしていくという点である。ソナタ形式では通常Aというメロディが緊張感のあるものであれば、Bというメロディはその逆のゆったりとした性格のものになる。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の第1楽章を考えてみるとわかりやすい。世界一有名なソナタ形式と言ってもいい曲である。冒頭の「ダダダダーン」という緊張感みなぎる部分と対照的なゆったりとした部分があり、それが交互に登場して曲を盛り上げていくのがソナタ形式の1つの特徴である。

『走れ!』では、冒頭のサビの後、高城の比較的ゆったりとしたパートから1番がはじまる。そこから似たテイストの佐々木のパート、一転して緊張感のある百田のパートへとつながり、サビに突入する。そしてくどいようだが普通の曲なら、高城のパートのメロディが繰り返されるはずである。が、そうはならない。2番の有安のパートは、高城のパートとは全くメロディが違う。その前の百田のパートに類似している。その後百田も流れを継ぎ、高城の中間的なパートへ。玉井のパートで明らかに再び冒頭の高城のパートのような、ゆったりとしたメロディに戻る。その後の佐々木のパートも同じ性格のゆったりメロディであり、サビへ。

一旦整理しよう。

Aパート・・・ゆったり感や冷静さを想起させるメロディ・パート。
Bパート・・・緊張や熱狂を想起させるようなメロディ・パート。


と分類すると、ここまでの楽曲構造を

 

サビ(笑顔が止まらない~)

1番:Aパート(高城・佐々木ソロ)⇒Bパート(百田ソロ)⇒サビ

2番:Bパート(有安・百田ソロ)⇒Aパート(高城・玉井・佐々木ソロ)⇒サビ

 

と解釈することが可能であるということである。

見てわかるとおり、通常Aメロ・Bメロという考えで言えば、2番もAパート⇒Bパートとなるのが普通である。ところがこの曲ではその順番を入れ替えているのである。これは通常の発想から完全に逸脱している。例えば『コノウタ』で、2番が始まったと思ったら急に「誰の為でもなく~」と歌いだして、その次に「分かれ道で~」と歌い出そうものなら一体何が起こったんだと思うはずである。もちろん『走れ!』のメロディは『コノウタ』ほど固定的ではなく、かなり流動的に変化をつけているからこそこの芸当が可能なのであるが、本来は違和感があって然るべきことをサラリとやってしまっているのである。

2番が終わった後はじまるラップのようなパートでは、高音と低音が交互に展開される。この盛り上がりは「君の前じゃ素直でいたいんだ」で頂点に達する。しかしその興奮は突如消え、情熱的ではあるが静かな百田のパートへと移行する。いわゆる「落ちサビ」というもので、このパートはサビのメロディに基づいている。このパートが終わると再びサビに戻る。

ラップ的パート(高音部と低音部が交互に登場)⇒「キミの前じゃ~」で高音と低音がユニゾンし頂点へ。⇒落ちサビ(それでも答えは~)⇒転調してサビ

このラップパートでの高音と低音の掛け合いは、前述したAパート的なものとBパート的なものの対立として考えることが可能である。またラップパート全体を1つの緊張感のあるパートとしてみれば、その次の比較的ゆったりとした落ちサビとも対をなしていることがわかる。楽曲はその後、転調し興奮はさらに高まり、最後のサビへと向かう。

この『走れ!』という曲が「気になる女の子に好きと言いたい、でもできない」という揺れ動く気持ちを歌ったものであることは先程から述べているとおりである。しかし実はこの揺れ動く感情は音楽的の形式的にも再現されている。しかも、いわゆるJ-POPの形式を逸脱して、である。

話は戻るが、ソナタ形式はもちろんクラシック音楽の形式で、ポップスでは見られることはない。確かにソナタ形式で曲を作るマニアックなバンドもあるかもしれないが、基本的にポップスにそのまま利用するのは難しいと思う。ましてや、そのマニアックな曲がマニア以外に売れるかと言えば、かなり難しいだろう。その点『走れ!』は、ソナタ形式の1つの特徴をポップスに非常に上手く利用して、一般にもわかりやすい作品を作り出していると言えるだろう。気になるのは、一体作詞家と作曲家はこれをどこまで意識したのかという点である。まさかソナタ形式にヒントを得て、ということは考えにくい。二項対立の発想に自ずとたどりついたと考えるのが自然だと思うが、それにしてもよくできた曲と歌詞である。

■ラップともセリフとも言えない、掛け声のようなパートが存在する 

再び楽曲の特徴に戻る。前山田氏の楽曲に特に顕著だが、ももクロの楽曲にはセリフともラップとも言えない掛け声のようなパートがしばしば見られる。例えば、『Z伝説~終わりなき革命~』ではサビの後でメンバーひとりひとりが一言その掛け声を発する。これは広義でいえばセリフなのだろうが、やはり『月と銀紙飛行船』であったり、『ニッポン笑顔百景』の落語パートのような本格的なセリフとは明らかに異なる。これは、従来あまり見られることはないものだ。長いセリフでもなく、ファンの合いの手を期待せず、人の言葉を入れるのは非常に不思議な印象を受ける。考えてみると、これらの手法はニコニコ動画等で何度か見かけることがあった。いかにも音楽とアニメ等が交わるようなニコニコ動画らしい技法であろう。

AKB48にも『チームB推し』という楽曲があり、少し似てはいるものの、こちらのほうがセリフという感が強い。

また、前山田氏の曲には、もとからファンの掛け声を期待して作られているであろう曲が多々存在する。例えば『ももクロのニッポン万歳!」の「FLY!FLY!!FLY!!!」などだ。ここは明らかに合いの手を入れてほしくて書いたのだろう。ただし、こうした手法はモーニング娘。の楽曲にしばしば見られるものであり、この手法自体の歴史は比較的長い。

■音、楽器が多い

ももクロの楽曲の多くは、ライブで演奏することを想定したものではないのであろう。非常に多くの楽器が登場し、聞き取れないほどの音が溢れかえっている曲が多い。これは明らかに作曲陣の問題で、作曲ソフト等を利用して作曲しているがゆえのことであろう。生音と違い、楽器を1パートだけ使っても問題ないし、いくつ重ねてもお金がかからない。それにしても、ここまで重ねるかというほどももクロの曲は楽器が重なっている。そのうえ楽器の種類も多い。『ピンキージョーンズ』は先程指摘したとおり様々な民族楽器を使っているが、この民族楽器の多くは1度出てくると2度と出てくることはない。

この特徴は、特にNARASAKI氏と前山田氏の楽曲に顕著である。この手法を極めていくと、楽曲は「歌」というより「曲」的になっていく。

■効果音の挿入

前項に関連して、ももクロの曲では多種多様な効果音が楽曲に挿入されている。例えば『ミライボウル』では「青春のアザ」と言っているあたりのパートで、ファミコンのロケットのような音が入っている。また、『月と銀紙飛行船』では歌詞に合わせてドアを叩く音が入っている。他にもこのような効果音が入っている曲は多々存在し、これもまた、一般的なJ-POPの曲ではあまり見られない特徴である。

■カラオケで歌えない

今まで述べたももクロの曲の特徴を考えていくと、ある1つの結論を導き出すことができる。それは、「カラオケで歌うのに適していない」ということである。その理由は、「覚えなければならないメロディが多いこと」「構成が複雑であること」「よくわからないセリフがあること」と、まさに先程から述べているももクロの特徴そのものである。

この特徴については、AKB48と比べてみると非常にわかりやすい。

AKB48は、「同じ季節に、同じような曲調の、同じような歌詞内容の曲」を発売することが多い。初夏には『ポニーテールとシュシュ』や『Everyday、カチューシャ』といった、ストレートに盛り上がる夏の恋の曲であったり、秋も深まったころには『Beginner』や『UZA』といった、電子音楽の要素が色濃い曲調の少し説教的なメッセージソングを発売する。同様のケースは他にもあるが、素直に同じことを繰り返しているのがAKB48である。楽曲についても、Aメロ、Bメロの繰り返しがスタンダードであり、メロディについても多くの曲がBメロで同じパターンのリズムを刻んでいる。

つまり、AKB48の曲は非常にカラオケで歌いやすいのである。曲そのものはいつか同じ季節に聞いた曲に似ていて、サビはテレビで知っている。後はAメロBメロCメロをちょっと覚えれば、歌うことは簡単である。また、ももクロの曲と違って掛け声もあまりないため、皆がその曲を知らなくてもさめることがない。これは、経験のある人もいるかもしれないが、例えば『行くぜっ!怪盗少女』で出席番号を言っていくパートがある。このパートを1人でやるのは少し恥ずかしいだろう。ファンオンリーのカラオケでやれば盛り上がること間違いなしだが、アウェーでは厳しい戦いを強いられるはずだ。

他にも、指摘していなかったがももクロの曲はキーが高く転調やリズムの変化もしばしば存在する。やはり、歌いやすいかと言えばそうではないだろう。

・AKB48とももクロの方向性の違い

ここで1つ私が主張したいことがある。それは、AKB48の曲をけなすのはやめよう、ということである。確かにAKB48の曲はももクロに比べれば単純な曲が多い。しかし、これらは明らかに「狙っている」のである。ももクロの曲をダンスしながら歌うなどというのは非常に困難である。そもそも代表曲の『行くぜっ!怪盗少女』ですら、「エビぞりジャンプ」という一般人には不可能な部分がある。一方AKB48は歌も歌いやすいし、ダンスも、ももクロほど激しくない。つまり、一般人が気軽にダンスの真似をしたり、カラオケで歌うために非常によく工夫されているのがAKB48の音楽であり、一般人を超えたダンスと歌を、「見たり聞いたり」するための工夫がされているのがももクロの音楽である、ということである。

それぞれ全く目的が異なるため、一方をもう一方の基準で判定することは不適切である。評価はそれぞれの目的からされるべきである。ケーキを切るのに日本刀を持ち出して、切りにくいと言ってもそれは評価とは言えないだろう。であるから、もしももクロの曲とAKB48の曲を比べてAKB48の曲を批判するとすれば、それはファンとして不適切な行為なのではないかと思う。

かくいう私もAKB48の音楽を一切聴いていない時期は、特にこれといってAKBの音楽について考えることもなかったのだが、あることがきっかけでAKB48の音楽について考え直した。それは、空港の待合室で小さな幼稚園児ほどの女の子が元気よく『ヘビーローテーション」を歌って踊っているのを見たことだった。はじめは正直に言って「ももクロ歌って踊ってくれたら面白いのにな~」と思った。しかし考え直すと、ももクロの曲は歌もダンスも難しすぎる。『ピンキージョーンズ』を歌って踊っている幼稚園児がいたら驚愕である。(いや、それはそれで見てみたいのだが…。)そんなきっかけで、AKB48の施策や目的に気が付くことができて、偉大な単純さに敬意を表するようになったというわけである。

第2章 ももクロは何故売れたのか

ももクロはどうしてここまでの人気を獲得できたのか。様々な要素が指摘できるであろうが、ここでは音楽の面に絞って考えてみたい。

ももクロの楽曲が高い評価を受けていることは周知の事実だが、その評価の中でも代表的なのが「CDショップ大賞」であろう。この賞は全国のCDショップの店員が投票を行い大賞を決めるという純粋なもので、産業的な要素がレコード大賞等に比べて薄い。ご存じのとおり、ももクロはその「CDショップ大賞」にて大賞を獲得している。どうしてこれほどまでのことがなしえたのか。

それは、ももクロが「新しい音楽」であるからだろう。ももクロがいかに一般の枠から外れた音楽をやっているか、ということは上で述べたとおりである。時代は、より良いもの、新しいものを求める。しかし、新しいだけの音楽ではいけない。時代に受け入れられなければならない。ここでは、ももクロの音楽が何故時代に受け入れられたのかについて考える。

■J-POPにとっての90、00、10年代

ここでは、J-POPとその消費形態がどのように変化してきたかを大まかに述べる。

・90年代~CDミリオンヒット&カラオケ全盛期~

90年代という時代はJ-POPにとって1つのバブル期であった。とにかくCDが売れた時代であった。人気ドラマとのタイアップが行われた曲では特に、ミリオンヒットが連発された。テレビのゴールデンタイムにはいくつもの音楽番組があった。

音楽としては、レコーディング技術の発達により音楽技術者たちは以前よりも簡単に音楽を編集できるようになった。それに伴い、歌が決して上手くない歌手もかなり登場した。

カラオケボックスのルーム数は1996年に史上最高の160,680部屋となった。(一般財団法人 全国カラオケ事業者協会 ホームページ 「カラオケ業界の概要と市場規模」http://www.karaoke.or.jp/05hakusyo/p1.php より)

 

90年代の音楽の主要な消費形態は、テレビドラマの主題歌などをCDで購入して聴くこと、また、それをカラオケで歌うことであったと言えるだろう。

 

・00年代~音楽不況とITの波~

00年代に入って、爆発的に拡大した音楽市場は急激に縮小していった。CDが前ほど売れなくなり、音楽業界はコピーコントロールCDなど、迷走を続けた。CDが売れなくなった理由としてよく挙げられるのが、パソコンやインターネットの登場である。パソコンはあらゆる楽曲をボタン1つで完璧にコピーできるようにしてしまった。また、インターネットはテレビ以外の娯楽を提供した。テレビの圧倒的な権力は強力に存在するものの、以前ほどの権力はなくなっていった。

この時代に新しく出てきたものとして挙げられるものは、いずれもITの影響を受けている。主なものは携帯電話の「着メロ」「着うた」、「iPod」に代表されるmp3音楽プレイヤー、「YouTube」や「ニコニコ動画」に代表される動画サイトであろう。特に音楽の消費形態を劇的に変えてしまったのが、mp3音楽プレイヤーと動画サイトであろう。mp3音楽プレイヤーは、それまで主流だったMDプレイヤーに代わって、小さな製品の中にCD数百枚以上の情報を詰め込むことを可能とした。加えて、楽曲の中で好きな部分だけを頭出ししたりすることも簡単に行えるようになった。動画サイトも同様で、さすがに何不自由なくというわけにはいかないが、自分の持っていない楽曲を含めて好きな楽曲を好きなだけ聴けるようになった。またこの時期、動画サイト、特にニコニコ動画において独自の音楽文化が熟成された。これについては後述する。

こうしたIT技術の進歩があったものの、00年代の中盤までのJ-POPはそれらの影響を大きく受けることはなく、90年代と特に変わりのない音楽がメジャーであった。まれにアニソンがオリコンチャートの上位に食い込むなどの「異常事態」はあったものの、その事態に対して何らかの反応があったとは思えなかった。しかし、00年代の後半に入ると、「けいおん!」などアニソンが現象として無視できないレベルで売れ始めた。そしてついに、2009年には水樹奈々氏が声優としては初となる紅白歌合戦への出場を果たした。水樹氏の出演はあくまでアニメ的というより、一歌手としてのものであったものの、自身が声優として主役を務める「ハートキャッチプリキュア!」のオープニングテーマを紅白歌合戦でAKB48と披露するなど、NHKにとって水樹氏の起用は徐々にアニメ文化を紹介するための布石なのではと思わせるところがある。

00年代についてまとめると、音楽の消費形態はITの波に乗って多様化した。また、ニコニコ動画などで新しい独自の音楽文化が形成された。しかしメジャーな音楽の内容そのものがあまり変わることはなかった。強いて言えば00年代後半にアニメ文化が徐々にメジャー化してきたというところである。

・10年代~アイドルの時代~

00年代の後半から、年間シングルチャートはほとんど全てをアイドルグループが埋めてしまうという事態が続き、10年代に入りいよいよAKB48はCDの売り上げという指標をこれまで以上に無意味なものとした。AKB48は音楽の面のみでなく、社会的な影響を多大に与え、AKB48のファンを公言する著名人が多数現れるなど「女性アイドル文化」を一般人にある程度浸透させた。

このあたりに登場するのがももクロである。ももクロについても、ファンであることを公言し、ももクロの良さを語ろうとする著名人がいるといった点はAKB48と共通している。

また、こちらも00年代の後半からではあるが、ニコニコ動画で作曲された音楽(主にボーカロイド)が徐々にカラオケに入るようになり、ついにアンダーグラウンドなニコニコ動画の文化をメジャーな文化であるカラオケが吸収し始めた。

10年代は、未だ半ばではあるが、動向をまとめるとすれば「アイドルの台頭」「CDの売り上げの無意味さ」「ニコニコ動画等の文化がカラオケ等へ進出」と言ったところであろう。

こうして考えると、ももクロのCDが売れた理由については「アイドルだから」というのがある程度のところ真実であろう。とは言っても、それは何か納得できない。女性アイドルは他にもたくさんいる。では、何故その中でもももクロが売れたのか。また、これではCDショップ大賞を受賞した理由がわからない。

ももクロが何故たくさんいるアイドルグループの中でブレイクし、また、その音楽が評価されたのか。それは「動画サイトで生まれた音楽性を取り込んでいること」、「mp3プレイヤー等の音楽消費形態に合わせた音楽であること」が理由であろう。

■動画サイトとmp3プレイヤーに合った音楽

まず、動画サイトについて考えてみたい。音楽にとって、また、ももクロを語る上で重要な動画サイトは「ニコニコ動画」と「YouTube」である。この2つの動画サイトがどのようなものであったかは、まさに自分の体験として語れる部分である。私はその当時大学生で、人生のうちで最も長い時間をインターネットに費やしていたからである。

■2つの動画サイト

・ニコニコ動画について

ニコニコ動画は、2006年12月にニワンゴによって設立された、動画の上を流れるコメント機能を特徴とした動画サイトである。今ではあまり見られることがないが、2007年当時のニコニコ動画はテレビで放送されたアニメがそのまま一話丸々アップロードされていることが珍しくなかった。(もちろん違法アップロードであるが。)同時に、ニコニコ動画は自作動画の投稿サイトとしても人気で、数々のアマチュアの自作曲や既存曲の演奏がアップロードされていた。その中でも特に爆発的な人気だったのが「組曲『ニコニコ動画』」である。この曲は「しも」氏によって作られたもので当時ニコニコ動画で人気だった様々な曲をメドレーにしたものである。この曲がきっかけとなり、声をアニメキャラに似せて替え歌をしたり、自分の演奏できる楽器で演奏してみたり、単純に素人が一生懸命歌ってみたり、またそれらのものをリミックスしたりと、この楽曲を中心に様々な動画が生まれ大変な盛り上がりであった。それほどまでに「組曲『ニコニコ動画』」が人気になったのは、ニコニコ動画というシビアなユーザーを相手に最後の最後まで飽きさせない工夫がされていたからではないかと思う。繋がっている曲はメジャーどころばかりで、しかもサビばかりである。10分48秒という一般の曲に比べると相当な長さであるが、聴き手を退屈させることがない。次から次へと曲が展開し、同じメロディが二度と出てこない。アニメが丸々1本アップロードされていたニコニコ動画である。他にもアニメのOP、EDなどのCD音源がそのままアップロードされていることも珍しくなかったが、私が記憶している限りでは、それらよりも「組曲『ニコニコ動画』」は圧倒的な人気を誇っていたように思う。

・YouTubeについて

一方YouTubeはアメリカ生まれの動画サイトで、日本語を中心とするニコニコ動画とは違いグローバルなサイトである。コメントも動画の上を流れることはなく、単に静的に表示されるのみである。このサイトが我々にもたらしたものは、多種多様な音楽へのアクセスということであった。ボタン1つで世界のあらゆる場所の音楽、もしくは、あらゆるジャンルの音楽に手を出すことができるのである。先程のニコニコ動画とは違い、YouTubeはあまり時代の流行などを感じさせない作りになっている。この時代、私の周りでは歌謡曲、演歌好きの高校生が誕生したが、彼らに一体どこでそんな古い曲を聴くのかと尋ねたところ、いつも返ってくるのはYouTubeという答えであった。他にも、入手の難しいクラブ系音楽であったり、The Beatlesのような超のつくメジャー音楽も簡単に聴けるようになったことは間違いない。YouTubeは圧倒的な選択肢をユーザーに提示した。その結果、ユーザーは時代や国に縛られることなく自分の好きな音楽を聴けるようになったのである。

 

■ももいろクローバーZの音楽と動画サイト

・ニコニコ動画的な曲展開を持つももクロの音楽

そもそも、誰もがご存じかとは思うが前山田氏はニコニコ動画では「ヒャダイン」の名で知られている超人気投稿者であった。彼は自作の曲をアップロードして大変な人気を誇っていた。その音楽性もメジャーなJ-POPとは当然異なっており、ほとんど現在のももクロの音楽性と一致する。ももクロの音楽の特徴はほとんど前山田氏の音楽の特徴と言ってもいいだろう。

そして前山田氏の音楽はニコニコ動画というシビアな世界で勝ち残っていくための最大の特徴を備えていた。「聴き手が飽きないような展開がある」ということである。ニコニコ動画ではコメント数、マイリスト数、再生数などが基準となってランキングが算出される。何度も訪れて、何度も聴きたくなるものでなければ生き残ってはいけない。

そして改めて指摘することでもないが、ももクロの楽曲は前山田氏が書いているものもそれ以外の楽曲も含めて、聴き手が飽きないよう工夫されているものが多いのである。

・「飽きない」ことが大切なmp3プレイヤーに適したももクロの音楽

そしてこの「聴き手が飽きないような展開がある」という特徴は同時にmp3プレイヤーによる音楽消費に対しても効果のある方法であった。mp3プレイヤーが普及した時代には、私たちは簡単に曲を途中から聞いたり、途中で止めて別の曲にいくことができるようになった。ももクロの音楽は同じパートが少ないため、1番だけ聴いて次の曲、というようにはなかなかならない。気が付いたら1曲聴いてしまっていることが多い。

・YouTube的多様性を持つももクロの音楽

YouTube的多様性とは、国境、時代、ジャンルといった枠にとらわれないという性質であるとすると、ももクロの音楽はその性質を見事に持っていると言える。

先程述べたように、ももクロは現代に生まれた新しい音楽を積極的にJ-POPへ発表する一方で、「ももいろ夜ばなし」のような、懐メロをカバーする試みもしている。先日の2013年「ももクロ春の一大事」においても、南こうせつ氏、松崎しげる氏、広瀬香美氏、坂本冬美氏が登場するなどしている。単純に考えれば、ファン層を上の世代に広げる狙いがあるのではないかと思える。それは事実そのとおりであろう。00年代には、CDの売り上げを上げるための諸作戦の1つとしてカバーやリメイクという方法が考案され、多くの成功があった。島谷ひとみ氏の『亜麻色の髪の乙女』などが代表的だ。

しかしながら、ももクロの取っている施策はそれだけに留まらない。それは「カバーではない方法(徹底したオマージュ)で実質的にカバーする」ということである。

2012年ももクロ春の一大事では、メンバー全員のソロが用意されたが、これらの楽曲は極めて前時代的で、こういう要素を入れてみた、というよりも明らかにそれぞれが60年代、70年代など、特定の時代やジャンルを意識したものとなっていた。楽曲自体は新曲でカバーではない。しかし、何かしらカバーに近いものを感じさせるのはその音楽性を大胆に取り込んでいるからだろう。

『Z女戦争』と『サラバ、愛しき悲しみたちよ』でも同様である。作曲者を知っている人なら、誰が書いたかが簡単にわかるだろう。

このような「実質的なカバー」は邦楽にとどまらず国境を越え、『黒い週末』などでもよく表れている。この曲はBlack Sabbathの音楽とは異なっているものの、かなりハードロックの要素を取り込んでいる。

こうしてももクロの楽曲の幅は、時代や国境を越え、様々なジャンルを取り込み、さながらYouTubeのように多様性を持ちながら存在している。先程「懐メロのカバーはファン層を上の世代に広げるためか」と述べたが、実は少し00年代とは事情が異なっている。というのも、YouTubeで膨大な選択権を得て育った人々にとっては「ドンピシャ」の可能性があるのだ。「ももクロが歌うから、よく知らなかったが初めて知った」という人ももちろんいるだろう。しかし「本来世代ではないが、YouTube等で聴いていてファンだった」というようなケースが徐々に増えているはずである。

私個人の話となるが、2012年ももクロ春の一大事の1日目のDVDを友人と鑑賞していたときのことだった。ももクロ自体に特に興味のない友人はももクロよりもむしろゲストの「松崎しげる」と特に「デュークエイセス」に食いついていた。デュークエイセスについては元々からのファンだったそうで、友人がそうした時代を超えた音楽を聴くことができるようになったのはYouTubeのおかげであるという。やはり、ももクロのYouTube的多様性が、こうした人たちに受けているのではないかと思う。

その上、ももクロが挑戦的だと思うのは、ももクロは「ジャンルレス」な音楽をつくるために、実は他のアーティスト以上に「ジャンルへのこだわり」を持っているであろうことである。ジャンルを気にせずに作ると、必ず誰かしら何かしらの趣味が投影されたものとなる。ももクロの音楽は全体として「ジャンルレス」であるものの、1曲1曲はかなりジャンル付けしやすい。先程述べたとおり、特定のジャンルをかなり大胆に取り込んでいるからである。逆説的だが、こうしたジャンルへの深いこだわりがあってこそ、グループとしてのジャンルレスな音楽性に達することができるのだろう。

一般に音楽鑑賞の態度として「ジャンルに関係なく聴く」と言っている人は、意外に特定のジャンルや性質に偏っていることが多い。結局、主体的な学習態度なくしては自分の価値観を相対化することが難しいからだろう。ジャンルについて主体的に学び、自覚的に自らの価値観を塗り替えなければ、他のジャンルを「自分が好きでないから」ということで退けてしまう。結果的にお気に入りの曲は似たような音楽で埋まってしまうのだろうと思う。例としては、聴きやすさ、わかりやすさを至上としている人はクラシック音楽を理解できないだろう。クラシック音楽の持つ難解さの魅力を自覚的に学習し価値観を変化させない限りは、その人物のプレイリストに本格的なクラシック音楽が加わることはないだろう。

■まとめ

音楽的には以上に述べたような理由で、ももクロが売れ出したと私は考えている。ただ、実際にはももクロ以前にこうした音楽をやっている女性アイドルはたくさんいたのではないかと思う。やはり結局は、音楽だけでもダメだし、かわいいだけでもダメだということなのだろう。売れるためには事務所等の力や何よりも運が不可欠である。しかし運を掴んでも、ものにすることができないグループもある。ものにするには、最善の戦略を打ち続けることが大切だ。ももクロは着実にそれをしていたのである。だからこそ「CDショップ大賞」という、事務所やメディアの力が比較的及ばない場所でも結果を出せたのだ。 

第3章 ももクロが創る未来

◆ももクロはJ-POPを変えられるのか

ももクロはニコニコ動画的な新しい音楽と、YouTube的な国境・時代を越えた多様な音楽性で爆発的な人気を獲得した。現代ではこの音楽はスタンダードではないが、フォークミュージックやニューミュージックのように、一般的なポップスとなりうるのだろうか。

私の答えは「YES」である。

ただし、この「ももクロ的音楽」という概念は、先程から述べているとおり「ニコニコ動画的なもの」と「YouTube的なもの」に分解することができる。従って、このように分離して考えてみたい。

ある音楽が一般化する順序としては、初めに、1.新しい音楽が人気となる⇒2.同じジャンルでその音楽が取り入れられる⇒3.別のジャンルだが、似ているジャンルに波及する⇒4.全く別のジャンルへ波及するというプロセスをたどると考えられる。

ニコニコ動画的なものに関しては、既に3つ目の段階まで達成されているように感じる。ニコニコ動画出身アーティストがニコニコ動画的音楽をやるのは当然だが、アイドルがニコニコ動画的音楽をやるということが既に異質であるためだ。とは言ってもアイドルとニコニコ動画等は大雑把に言ってオタクカルチャーに分類できるため、完全に別のジャンルとは考えにくい。

一方、YouTube的な音楽に関しては、現状としては2つ目の段階までしか達成していないように思えるが、逆の言い方をすれば2つ目の段階までは既に達成されているとも言える。具体的にみてみよう。

BABYMETALの楽曲は本格的なヘヴィメタルサウンドである。特定のジャンルへの傾倒をする「実質的カバー」は、先程のYouTube的特徴の1つだ。ももクロと違うのは、ももクロはアイドルソングと他ジャンルの割合が、2:8程度であるが、BABYMETALの音楽は、ほぼ1:9、もしくは0:10とも言えるところである。しかし、そうした「実質的カバー」というYouTube的特徴を持っていると言えども、基本的にヘヴィメタル以外のジャンルには手を出さないため、楽曲の幅としてはYouTube的な多様性を持っているわけではない。ももクロからの影響としては、いわゆる「アイドルの常識」を破るという点が大きそうだ。

また、でんぱ組.incの『冬へと走り出すお!』はいかにもという渋谷系音楽で、特に小沢健二氏を意識したものとなっている。曲中のセリフパートの冒頭は「家族や友人たちと」となっているが、これは小沢健二氏の『愛し愛されて生きるのさ』のセリフパートの冒頭と完全に一致している。こうしたところがYouTube的だ。

余談だが『冬へと走り出すお!』が収録されているCDのA面として『W.W.D』という前山田氏の作詞作曲した曲が収録されている。この曲はまさにニコニコ動画的である。メンバーの個人的な体験が盛り込まれた歌詞とハチャメチャな展開がこれでもかというほど盛り込まれている。でんぱ組.incは私がももクロの音楽的特徴だと述べている2つの要素を1枚のCDに含んでいる。従って、でんぱ組.incは2013年6月時点で最も音楽的にももクロに近いグループと言えるだろう。

では、YouTube的な特徴を持った音楽は今後3つ目、4つ目のステップに移行していくことができるのだろうか。私が思うに、かなり可能なのではないかと思う。というのも、アイドルという媒体は極めて高い影響力を持っているからだ。3つ目、4つ目のステップが成就しうるかどうかは、どのくらいその媒体が高い影響力を持っているかというところが重要であろう。2010年代のCDの売り上げは、ほとんどがアイドルなのである。アイドルは何かの伝え手として非常に有効なのだ。中田ヤスタカ氏もPerfumeというアイドルグループがなければ、今日ここまでの注目を得ることはできなかっただろう。面白いのは、Perfumeのヒットにより、中田ヤスタカ氏が作詞作曲、プロデューサーを務める「capsule」も脚光を浴びていることである。こう考えていくと、ももクロが出てくる前から前山田氏やNARASAKI氏は活動をしていたわけで、彼らの作品・活動が注目を浴びる可能性は大いにあるだろう。彼らはももクロに関わる前からニコニコ動画やアニソンでかなり音楽的に面白いことをしていた。

時代背景を考えてみると、どんどんアニメや声優系の音楽シーンも成長を続けている。そうすると今後アニソン・アイドルの音楽性はこれまで以上にお互いが近いものとなっていくのではないか。

実は私は2010年に大学の音楽サークルに寄稿した文章でこう指摘したことがある。(※大学の音楽鑑賞サークルの部員及びOBにのみ配られた本で、現在入手不可。)

アニソンはJ-POPを好む者からはオタク的で気持ち悪いものとされ、芸術性が認められないとしてそれを退けることが多かった。しかしながら、その「芸術的なJ-POP」が、アニソンに売り上げのみとはいえ、敗北してしまったのである。現状では、テレビメディアにおいてアニソンがあまり取り上げられることは無いが、今後主要なメディアもこうした文化をこれまでより丁重に取り扱わざるを得なくなるのではないか。既にその流れは徐々に押し寄せているように感じる。特に、NHKの対応は早い。「アニソンスペシャル番組」が定期的に制作されており、2009年の紅白歌合戦では、声優兼歌手の水樹奈々が出場した。(彼女が歌ったのはごく普通の歌手としての歌ではあったが)アニソンの時代が来る、とまでは言わないが、例えば将来的に、年間売上ベスト10に入るようなアニソンが生まれた末、NHK紅白歌合戦で、声優が歌声を披露するということも十分にありうる話であると思う。というよりも、これは10年以内に実現するだろう。

この原稿を書いた当時から3年が経ったが、この考えは変わることはない。アニメなどで有名な「ラブライブ!」は2014年にさいたまスーパーアリーナで2DAYSライブを行うとの発表がなされている。将来的にこうしたユニットが紅白に出ることは十分考えられる。あと7年間もある。

しかしこの時に考慮できていなかったのは、アイドル音楽がアニソン音楽と合体するというビジョンだ。今後、こうしたアニメ・声優の流れとアイドル音楽は同じニコニコ動画的音楽としてどこかで合流し、一ジャンルとして認識されるのではないかと思う。もちろん時間はかかるとは思うが、新しいものが好きな私としては大変期待しているところである。

◆あとがき

私は元々いわゆる在宅のAKBファンで、ももクロの音楽に触れたのはTSUTAYAで「バトル アンド ロマンス」を借りたのがきっかけだった。「なんでアイドルがCDショップ大賞なんて大層な賞を受賞しているんだ?とりあえず借りてみるか」と思ったのが幸運だった。最初の1曲からその常軌を逸した音楽に圧倒された。他の曲も素晴らしい出来のものばかりで、1時間の通勤時間を毎日「バトル アンド ロマンス」を聴いて過ごした。2012年の春である。それから、他のシングル曲やライブDVDを購入するうちにどんどんももクロにはまっていき、2012年8月には西武ドームライブに運よく当選し参戦することとなった。一番後ろから二番目という席ながらも、一切それを感じさせない周りのファンの熱さに圧倒された。

当時から今に至るまで、ももクロで一番好きなのは圧倒的にその音楽であった。ゲーム音楽、ヒーリングミュージック、ヘヴィロック、ヘヴィメタル、ハードロック、クラシック音楽、演歌、歌謡曲、ジャズなどを今まで聴いてきたが、その中でもももクロの音楽は素晴らしいと思う。今まで何度も没頭した音楽はあるが、結局数年後にも聴き続けているのは構成にこだわっているものばかりだ。ももクロも構成にはこだわりが見られるから、今後ももクロとは何年も付き合っていくことになるのだろう。

今回はももクロの音楽的な面について執筆させていただいたが、正直に申し上げて、思ったよりもはるかに大変な作業だった。書いている最中に気が付くことも多かったし、自分がいかにももクロの曲を適当に聴いていたかということが痛いほどわかった。しかし、何度も歌詞カードと音源に当たって曲を注意して聴きなおすことは、私にとって素晴らしい体験だった。これほどまでに考えられて曲が書かれていたのかと気が付かされる部分がとても多く、より一層ももクロの魅力に気が付くことができたからである。こんな風に思えたのも、このような場を与えてくださった編集長のさかもとさんや執筆者の皆さん、このような音楽を与えてくれたももクロスタッフの皆さん、そしてそれを届けてくれたももクロメンバーの皆さん、ももクロを応援しているモノノフの皆さんのおかげである。深い感謝を示すとともに御礼を申し上げ、原稿の〆としたい。本当にありがとうございました。

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